玉置浩二『カリント工場の煙突の上に』十曲目、本アルバムラストチューン「青い”なす”畑」です。
トマトはナス科です。言われてみりゃ似てます。葉とか茎とか見る人が見れば一目瞭然なんでしょうが、家庭菜園の経験すらないわたしですと、実がなるまで別物だと気づかないです。そんな家庭の畑で、トマトだと思って育てていたらナスがなっちゃって、ありゃナス畑だった、いままで気づかず耕してたよ、こりゃおれの人生みたいだな……という歌です。
演奏はガットギターたぶん一本、ドラム、最後にウインドチャイムだけです。ラストの「花咲く土手に」リプライズ部分も口笛、コーラス、ガットギターだけ……だと思います。シンセかなと思っていた低音が突如「フンフフーン」と歌いだして玉置さんの声だったのかと驚かされます。
声も声ですがギターもギターで、おそらく一本のガットギターでいろんな音を出しています。たぶん指の腹で弾く、爪で弾く、指先で弾く、等々様々なタッチで音を出しているのだと思います。これはすごい。しかも計画・計算してなさそうですよね。感情の高ぶりや静まりに合わせて指先のコントロールが自然に行われているんだと思います。ご本人でも同じような精神状態や身体の状態でなくてはコピーできないでしょう。
「とまと〜」と唐突に歌が始まり、次いでギターとドラムが入ります。兄弟ふたりで作った音です。この兄弟にとっては朝飯前なのかもわかりませんが、わたくしがギターもしくはドラムですと何回やり直しになるか……ピッタリ合ってますね。一緒に録音したんでなくて、玉置さんのテイクを聴きながらドラム入れたんだと思いますが、それにしたって、この感情赴くままの歌とギターを聴いてドラム入れるのは簡単ではなかったことでしょう。「ツッ……!」「トッ!……」「ズシ……」「バシ!……」とタッチを極めて繊細に使い分けているのがよくわかります。かつてZeppelinみたいに歌えと玉置さんに言っていたお兄さん、きっとボンゾみたいに叩くのが得意なんだと思うんですが、バンドが発展してゆく過程で武沢兄弟のテクニカルさと玉置さんのエモーショナルさに合わせてどんどんスタイルを変えていったのでしょう、地鳴りのようなドラムではまったくありません。この繊細なドラミングは、軽井沢時代の玉置さんに影響を与えたんじゃないかな?と思われるんです。軽井沢時代の玉置さんはキットカットの箱に爪楊枝を入れて叩く等の工夫をしていたわけですが(『幸せになるために生まれてきたんだから』より)、お兄さんがこのアルバムでみせた、玉置さんの魂に寄り添うかのようなこのスネアコントロールによって、ドラムの音に非常にこだわるようになったのではないかと思われるのです。実際にはお兄さんがズッシンバッシンとボンゾのように叩きまくって玉置さんにいろいろ言われて不本意ながらこういうドラミングにしたという可能性もなくはないですが(笑)、お兄さんが弟の再生のために魂を救い上げる思いでどんな心の動きにも対応してみせるぞ!と丁寧にやさしくドラムを叩いたとわたくしは信じたいのです。
家の庭にトマト畑があって、夏には毎日赤い実がなって、それをもいで食べて楽しむために、毎日世話をします。それは、家庭や地域の人たちが子どもにかける期待に似ています。いやあ、大きくなったねえ、大人になったらお父さんの時計屋さんを継ぐのかい?それとも野球選手になるのかい?……「思われ」「慕われ」て育ちます。そして子どももそんな気になっていきます。「覚悟」するのです。
お嫁さんはどんな人だろうねえ、子どもは何人かな……そんな人々の期待を受けますが、少年は何をどうしたらいいかわかりません。さしあたり自分のできること、興味の向いたことに集中します。歌うのが上手だね、こりゃ歌手になるかもねえ……と「思われ」ます。もちろんのちに安全地帯がトップバンドになって玉置さんが大スターになるなんて誰も思っていません、本人でさえもです。
上京してサクセスしてから、玉置さんは安全地帯を誰よりも愛していながら、愛しているがゆえに安全地帯を離れたり壊したりしてしまいます。「勘違い」を「ひとりで耕す」ようなこと、たとえばドラマや映画まで「引き受け」てしまい、のめり込んでしまいます。メンバーや松井さんの気も知らずにチャリティーコンサートをやってみたり北海道に帰ろうと言ってみたり、ソロでバンドとは全然違う音楽を試してみたりと、まるで地に足がついていません。でも、すこしもふざけていません。一生懸命なんです。家の畑を一生懸命に耕してみんなが期待しているトマトを育てているつもりでナスを育てるような、そんな日々です。
玉置さんは俳優でもソロ活動でも、なんでもニコニコしながら超人的な仕事をやってしまいます。ですから「慕われ」るんです。それは、武沢さんやお兄さんとバンドをやっていたころから、「さあバンドやろうぜ、ぜったい楽しいよ、成功するに決まってるよ」とみんなを率いて突っ走り、みんなに夢を見せてくれる太陽のような人だからです。もちろん絶対の自信をもっているからこそそう振る舞えるんですが、ほんとうは誰よりも不安だし怖がっていたのも玉置さんなのでしょう。そしてバンドは本当に大成功しちゃいます。ソロ活動も俳優業もけっこう当たります。順風満帆です。ですが、帆はそんなに丈夫でなかったんです……。
あるとき、帆に小さな破れが走り、左右のバランスが崩れ船が傾きます。マストが倒れ、傷つき、船は座礁してしまいます。クルーは投げ出され、離れ離れになってしまいました。玉置さんは荒れた暗い海を泳ぎ、故郷に帰りつきます。
「「思われ」「慕われ」「覚悟した」」、「わからん 知らんで 「慕われ」た」と、低音を利かせたアルペジオのギターに合わせて、翻弄された心身の境遇がスピーディーに流れるように、もっというと滑ってゆくように、運命の渦に飲み込まれてゆくように表現されます。こんなスリル満点の歌、目の前で聴いたら失神ものでしょうね。一気に力が抜けるような、忘我の境地に達する快感が得られることでしょう。
そして曲はサビに突入します。「広がる〜」と、本当に空の隅々にまで広がっていくかのような、すごい声です。そして「ちっちゃな〜」とほんとに小さな、ささやく声との緩急にはため息を漏らさざるを得ない表現力です。小さくても聴こえます、はっきり通るんです。玉置さんのボーカルはどこもかしこももの凄いんですが、この緩急のつけかたが一つのポイントなのでしょう、完コピするとすこぶる歌うまくなりそうです。わたくし?コピーできるわけがないのでモノマネだけします(笑)。いや、これはコピーできるところまでいかないですよ、ほとんどの人は。
辿りついた故郷で、「広が」ったかつての夢、それと比べて「ちっちゃ」くみえる今と少年のころの、自分というひとりの人間存在を、時間をかけてゆっくりとみつめます。そして気づくのです。どっちもいい、どっちも自分なんだと。ここにはあの頃と同じ青い空がある、その下にいる自分はいまも昔も自分であって、この関係は変わることがない……
なんか、吹っ切れたかのような歌なんですが、静養の時期に玉置さんと会った金子洋明さんが、「僕はもう死にたい気持ちなんです」とか言っている玉置さんがこの歌を歌っているのを聴いています(『幸せになるために生まれてきたんだから』より)。つまり、この歌ができた時期にはぜんぜん吹っ切れていません。これはあくまで、玉置さんが自分のグチャグチャの精神をまとめよう、整理しようともがいていく過程に生まれた歌なんだということができるでしょう。その金子さんがマネジメントを引き受けて、玉置さんの活動が再開します。金子さんがいなければ、わたしたちはこのあと玉置さんの音楽も安全地帯の音楽も楽しめなくなっていた可能性すらあります。
「大切な家」の脇に、わずかな青空から太陽と雨を浴び、「強く強く生きてきた」、トマトだと思っていたらナスだった玉置さん、あれ、おれってナスなのか……トマトだと思ってるみんな、がっかりするかな……でもこれがおれなんだ、ナスはナスだ、「覚悟」して大きくなって、がっかりされても驚かれても、逆にすごく喜んでくれたとしても、すべて引き受けるしかないんだ……。
自信も気力もメンバーもみんな失って、ボロボロになった玉置さんは、たったひとりでギターを弾いて、自分の再生劇すら音楽で作ろうとします。その舞台となったのが旭川なんですが、これも考えてみたらすごい話ですよね。静養すら音楽でやってしまう!ゆっくり休んで回復してから東京に帰って曲作り始めればいいのに。もう仕事してるんだか休んでるんだかわからないです。半年くらいは空ばかり見て暮らしていたそうですが、よくもまあ半年で……半年なんてあっというまなんですよ!わたくし!無職の経験ありますから!わかります!わからなくていいんですけど、悲しいことにわかるのです。バーンアウトしてから半年で活動を再開するなんて、生半可なエネルギーじゃありません。
さて、「オーオオオー」と歌う玉置さん、ジャリリン!とうウナリを上げるギター、ウインドチャイムで、曲はいったん終わります。遠くからコーラスが幾層にも重ねられ、「花咲く土手に」のリプライズがはじまります。「じゃがいもの花」に「じいちゃんの笑顔」を思いだし……北海道の「つかの間の夏」の、青い青い空を、自分が覚えていることを、自覚するのです。自分は、ここの人間なのだと。美しい口笛、つま弾かれるギター、カウンターを入れるストリングスのように響くコーラス……か、完璧だ……何も派手なことはやってないのに……玉置さんがいればそれで成立することしかやってないのに……わたくし、このコロナ騒ぎで面倒を避けるため帰省してませんけども、というかそもそもほとんど帰省しない人間なんであえてこの時期に行くようなことは初めからしないだけなんですけど、なんか……帰りたくなっちゃうじゃないですか、向こうは来るなよお前って思うでしょうけど(笑)。
さて、このアルバムも終わりました……わたくし、この曲の「とまと畑(実はなす畑)」が、CAFE JAPANのオーナーが耕している畑だと思ってるんですよ。もちろんただの妄想なんですけどもね。この人生の復活劇を支えた玉置さんの故郷、そして家、家族こそがCAFE JAPANなんだと信じてるんです。だからこそこの後の快進撃があったわけですから、あながちデタラメでもないと思ってるんですが、どんなものでしょうねえ?
次は、順番からいうと……94年夏『安全地帯/玉置浩二 ベスト』ってのがあって、玉置さんの初期シングルも少し収められているんですが、これらはのちの『EARLY TIMES』(97年)で扱おうと思います。すると、次は『安全地帯 アナザー・コレクション』(94年)になります。そのあと同年の『LOVE SONG BLUE』ですね。わたくし、この『安全地帯 アナザー・コレクション』でやっと安全地帯が終わったことを悟りましたから(遅い!)、『あこがれ』も『カリント工場の煙突の上に』も、『All I Do』と同じくサイドプロジェクトだと思ってたんです。違いましたね……『カリント工場の煙突の上に』は、わたくしにとって長い時間をかけてじっくりと味わわないとその意味が分からないアルバムですらありました。正直『GRAND LOVE』が出てからですかね、このアルバムの位置づけを、いまと同じように考えられるようになったのは。同じようなことが二回起こって初めてわかるんですよ、わたしってやつは。
それではまた、次のアルバムレビューでお目にかかれますよう!
価格:2,663円 |