2024年12月31日
つぶやき
THE VERY BEST OF 安全地帯 [ 安全地帯 ] 価格:2669円 |
『THE VERY BEST OF 安全地帯』十八曲目「つぶやき」です。
前回の「抱きしめても」と同じく、「作詞:武沢俊也/崎南海子 作曲:玉置浩二 編曲:安全地帯/星勝」のクレジット、すなわちアマチュア時代の「トシ&コー」の曲であることがわかります。
前回の記事で、この時点で玉置さんの歌が完成しているって書いたんですけども、これ、もしかして2001年かその近くに録りなおしてるんじゃないの?と思えてきました。不自然なくらい(当時としては)現代的です。でもまあ、「萌黄色のスナップ」と比べてもそんなに違和感ないですし、やはり当時に録音したものを、せいぜいリミックスしたくらいの事なんでしょうね。なんか釈然としないものが残りますけども。
さて、曲は美しいアコギの響きで始まります。そしてボーカルに絡んでなにやらエレピが装飾音的に入りますが、これがもしかして俊也さんが弾いていたものに近いのではないでしょうか。二番からはストリングスが入りますが、これは明らかに星さんです。そのためか、のちの安全地帯バラードともそれほど違和感なく聴ける仕上がりになっています。
星さんもこの路線でデビューさせてアルバムまで行くぞくらいに思ってアルバム曲のアレンジとレコーディングを進めていたのでしょう。ところが先行シングル(「萠黄色のスナップ」)が売れない。ビックリするくらい全然売れない。記録があるのかないのか、何枚売れたのかわかりませんが、玉置さんが「レコードが全然売れない」とおっしゃっているからには壊滅的な成績だったのでしょう。へたすると初版も売れ残るくらい。これはまずいと、急遽進めていたアルバムをボツにして、安全地帯は路線変更に舵を切ります。セカンドシングルはグッとハードロックに寄せた「オン・マイ・ウェイ」、作詞陣を見るとこれはアマチュア時代の曲ではなく新曲であったろうことを察することができます。北海道東北地方限定CMというタイアップ戦略もばっちり(全国でなかったのは仕方ない!)、これで売れなかったらどうしたらいいのかわかんない!くらいの路線変更っぷりです。ですがこれも売れたという記録は残っておらず、惨敗であったことが状況から察せられるのみです。玉置さんは自殺を考えるほどに追い込まれます。そんな苦しい時代の波に流され埋もれていたのがこれら「抱きしめても」「つぶやき」、そしてとうとう今日まで発表されていないいくつかの曲たちだったのです。
玉置さんが「息吹きかけて暖めた~」と、まことにリリカルな詞を歌います。これは……譜割りからいうと安全地帯というより90年代後半の、つまり軽井沢時代の玉置ソロに近い感じがします。玉置さんが「一番影響を受けたのは、いまでも武沢の兄貴」と「安全地帯・零ZERO-旭川の奇跡-」とおっしゃったように、玉置さんが好きな音楽を好きにやれるようになった軽井沢時代にこそ、俊也さんの影響がもっとも音に表現されていたからではないかと思われます。歌詞の世界と、作詞によって必然的に行われる譜割りが、この「抱きしめても」と軽井沢以降の玉置ソロでは通底するものがあるように思えてなりません。結果としてプロミュージシャンの道を選べなかったかつての相棒、俊也さん、そして大平さん、宮下さん……彼らと作り上げたものは「萠黄色のスナップ」惨敗とともに一度は葬り去られましたが、玉置さんは胸の内でずっとそれらを暖めていて、皆の無念を、世に出なかった曲たちの無念を晴らすかのように、軽井沢時代の音楽を作っていたのではないかと思えるのです。
リーダーだから、抱えちゃうんだと思うんです。大平さんをメンバーから外して田中さんを呼び寄せるほどのリーダーシップを発揮するからには、それ相応の責任が伴うということを玉置さんはよくわかってらっしゃったのだと思います。みんなごめん!ほんとうにごめん!いつかきっとこの思いは遂げてみせるから!いまはおれを信じてくれ!だけど結果が出ないからこそ、自殺を考えるほどに苦しんだのではないでしょうか。『Friend』や『幸せになるために生まれてきたんだから』で、当時の玉置さんが自殺を考えていたと読んだときに、はじめは違和感があったのです。なんで音楽が認められないくらいで自殺するのよ?そんなのチャンスがもらえる限りどんどん路線変更していけばいいんだし、事実それでヒットしたんだからいいんじゃないのよ、そんなに思いつめるなんて、どこまで自分の音楽にこだわりがあるのよ?でも、ちがいましたね。その「自分の音楽」は自分だけの音楽じゃなかったんです。音楽にこだわりはもちろんありますけども、なにより「あの八人」の音楽だったのですから、自分の意思だけでそれを捻じ曲げてしまうかのように思えて、本当につらかったのではないかと思い当たるようになりました。ああなるほど、それなら申し訳なくて情けなくて、人によってはかなり追いつめられるわな……これも「安全地帯・零ZERO-旭川の奇跡-」を観なければ思いが至らなかったと思います。何より、俊也さんが、わたしの実家近くの駅で働いていた姿、そして当時を思い出して思いを語る姿、ピアノを弾いて歌う姿……これは本当に、衝撃でした。ジーンときました。脳のてっぺんを思い切りひっぱたかれたようなめまいを感じました。わたくし、人なみ以上に安全地帯を愛していると自負してきましたし、それなり音楽の経験もございます。だけど、なんにもわかっちゃいなかった……察することさえできていなかった……人間の実存というものをまだまだ軽く見ていた……どれだけの思いでこの「抱きしめても」「つぶやき」、そして「萠黄色のスナップ」「置き手紙」、「最後の風景」、そしてとうとう世に出なかった曲たちを葬ったのか、玉置さんがどれだけの思いで安全地帯の崩壊と精神的危機を乗りこえソロで音楽を作り続けていたのか……それを俊也さんはどのようにご覧になっていたのか……すべてを語らない俊也さん玉置さんの凄味、それぞれ日々の生活にすべてを尽くす二人の天才の姿が、これまで聴いてきた安全地帯や玉置さんの曲たちへの膨大な思いと重なって、とてつもなく巨大な山塊のようにわたしの眼前にそびえたちその山頂は見えない……そんな感覚に襲われました。
ああ、曲の説明が全然できていない!(笑)
で、切々と歌われるこの歌は、ほんわかした恋人の歌です。淡いです。とにかく淡いです。愛する人の手のひらに見えない文字を書いて息であたため、夜の窓辺に積もる雪を包むように大切にしたい……もっとこう、ガッツリと手を引っ張るとか強く握りしめるとか愛の言葉で縛りつけたいとか、そういう激しさを全く感じさせない、そういう強さを一切排した淡さです。「あの頃の玉置の詞ってお子ちゃまなんだよね」とおっしゃった俊也さんによる、淡いけれどもたしかに人間の精神の中にある、正確にいうとオトナの男ならかならず持っている、こういう種類の大切に思う心情を描く詞が、玉置さんの声で実体をもってやさしく恋人を包んでいるかのようです。これは凄い!言葉はシンプルで、一見誰にでも書けそうに思えなくもないんですが、これはムリです。まずこの心情を精神の中に発見するのがムリです。俊也さんに詞にしてもらって玉置さんに歌ってもらってはじめてそういう心情があることに気がつかされるだけです。
同じ北海道の人間として、そしてそうとは知らずおそらくは俊也さんと同じ駅周辺に暮らしていた人間として、わたくし涙を流さざるをえません。窓辺に積もる淡雪って、わかりすぎるんですよ。手で包んでも溶けないあの寒さとやわらかい感触を、わたくし知っているんです。北海道の人間にとって、生まれてきた喜びは、雪の喜びでもあります。北海道の人間は誰でも、生まれてきてから一年以内に雪に包まれる暮らしを経験するんです。そして半年ちかくも閉じ込められて、残雪の中ようやく訪れる春の喜びを誰もが年齢の数だけ知っているのです。ですから、てのひらにそっと包んだ雪の柔らかさは、ふるさとの感覚であり、そして恋人の感触でさえあるのです。だから、今あの人にささげる思いは雪の感触であり、それは生きる喜び生まれてきた喜びと一体不可分なのです。ですから、経験としては知っているけども自覚してない感覚が、この曲によって奥深くから呼び覚まされる快感をじんわりと感じながら、繰り返されるアコギのリフレインに、ざくざくキュッキュッと踏みしめて歩く大地と、暗くなってゆく曇り空からまだまだ降り続ける雪を思わされて、曲はあっという間に終わっていきます。
もう安全地帯は活動しないかもしれません。二年前の今日、紅白歌合戦で見たあの「I Love Youからはじめよう」が本当に最後だったのかもしれません。でも、それでもいいかと思っています。わたくしこのブログを始めたときは、安全地帯や玉置ソロがいかに音楽的に素晴らしいかを説明したかったのはもちろんなのですが、それに並行して、石原さんがいうところの「わたしと浩二の物語」を文章で説明することに躍起になっていました。そして、安全地帯崩壊とその後の復活を経た玉置ソロのあまりに劇的なドラマを文章としてこの世に残したいという思いで、ここまで書き続けてきました。それがわたしという人間を作ってくれたからです。世の中にはここまでとんでもない人がいるんだ!Das Manであるところのわたしよ、Geredeになどふけっている場合じゃないぞ!……でも、「安全地帯・零ZERO-旭川の奇跡-」で俊也さんのお姿を見て、まだまだ甘かったと思い知らされました。いままでおれは何を見ていたんだ聴いていたんだという思いでいっぱいです。たしかにもう安全地帯の新曲は出ないかもしれませんし、コンサートもないかもしれません。でも、まだまだ彼らが残してくれた音楽たちにはわたしの感じ取れていないものがたくさんあって、いくらでも聴き続けることができるのです。ハイデガーの『Sein und Zeit』も未完のまま終わりましたが、まもなく発表(1927)から一世紀、まだまだわからないことがあるのに似ています。おかげで、安全地帯という巨人に挑み続ける決意を新たにすることができました。2025年も頑張ってまいります。
今年は早々に失速して、20記事も書けませんでした。来年もこんな感じだとは思いますが、やめずに頑張っていきたいと思います。来年は2002年に復活した安全地帯から始まります。あ、そうだ、ブログ引っ越さなきゃ!それではみなさんよいお年を!
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語られないことを推測、妄想するのは自由ですが分かりやすい言葉で伝えないと伝わらないのは歌詞と同じで大事ですよ。
『ワインレッドの心』も安全地帯名義では出さなかった。誰が見ても安全地帯であっても、それは安全地帯ではなかった。その思いは語られない。ああ武沢さんがいないからだねとみんなわかってるんですが、本人は語らない。
田中さんが不在でも甲子園は安全地帯として開催した、田中さんが亡くなっても紅白には安全地帯として出た、だけど田中ぬきの安全地帯なんて考えられないとだけ語る……たぶん田中さんのために開催しよう、出ようとしたんだろうとみんな察するんですが、それは語られない……。
語られないことによって隙間が生じます。わたしはその隙間でいろいろと思いを巡らせるのです。
音楽浪人というか、みんな浪人じゃないですか。会社員じゃないんだから。浪人だから苦しかったんじゃないと思いますよ。もらえた勝負するための数少ないチャンスを生かせなかったのが辛かったんだんでしょう。若いときは食うものや住むとこなんかなんだって大丈夫ですよ。お互いよく知ってるじゃないですか、そんなこと。
好きなことなら続けていくに決まってます。やめてしまうなら、そんなに好きじゃなかったんだと思います。玉置さんもあだち充も好きだから当たり前にやめてないんでしょう。
漫画家のあだち充さんが、インタビューで、もしもタッチで売れなくて有名になっていなかったら、今頃どうしてるか?と訊かれ、「売れない漫画家を続けていると思う」と応えていたのを読んで、「ああやっぱり好きな事を続けるのはその覚悟があるかないか?」なんだと思いました。玉置さんのように、バンドでメンバーの人生まで変えて背負ってきた人からすると、簡単にバンドを解散するのは出来ない。何故なら安全地帯にまだやることが残されていると、少なくとも本人達は思っているから解散出来ない。長年応援してきた自分にしたら、今の状況はそう見えます。カリント工場の煙突の上にのような、安全地帯のアルバムがいつか作りたい!とあこがれの頃に玉置さんは言っていたので、多分メンバーは欠けてしまっているけど、死ぬまでに恐らく作ることでしょう。期待してます!