『安全地帯ベスト2 ひとりぼっちのエール』一曲目、「萠黄色のスナップ」です。安全地帯デビューシングルになります。カップリングは「一度だけ」でした。
いまでこそ『ONE NIGHT THEATER』のライブCDがありますから、アルバムのみのコレクターでも聴くことのできる曲といえなくもないんですけども、当時はまだ『ONE NIGHT THEATER』はVHSかLDしかなかったんですよ。ですから、一部の人にとっては伝説上の曲だったわけです。
がんばればYouTUBEで観ることができますが、クリスタル・キングが初の北海道コンサートを札幌の厚生年金会館で終えた次の日、稚内に向かって車を走らせるというドキュメンタリー的な映像が放送されたことがあります。その旅の途中、まだアマチュアだった安全地帯の合宿所に立ち寄るというとんでもない貴重映像が収められています。そこで演奏されクリスタルキングが感想を述べていたのがこの「萠黄色のスナップ」だったのです。
札幌の厚生年金会館は当時札幌で一番大きいホールで、ほぼすべてのメジャーアーティストが使っていました。せいぜい二千席で、音もたいしてよくなかった記憶があります。でも当時はそこしかないからそこでやるんですよ。東西線西11丁目の駅で降りて、北一条通をワクワクしながら歩くんです……この映像はクリスタルキングが出発する前の入口しか映ってませんでしたが、当時の地元民としてはちょっと涙モノです。ここから、安全地帯がいたところまで、車で行けたんだ……。なんだか、いますぐ地元に戻って北一条から旭川まで車を飛ばしたくなります。ちなみに、このホールは昨年(2020年)解体されちゃってます(涙)。さらばだ、思い出のホールよ。
映像では、クリスタルキングのメンバーが、おれたち九州の人間だと絶対思いつかないよね、萠黄色とか雪解けの水とかって話していました。そりゃそうでしょう。そして、べつに東京に行く気はない、ここを拠点にしてやっていくんだ的なことを玉置さんが話していました。北海道的な曲を北海道でやっていくんだという決意で活動をしていたことがうかがえます。のちに金子さんや星さん、陽水さんがそんな彼らを東京に呼んでくれなかったら、たぶん私たちは安全地帯も玉置さんも知らないままだったことでしょう。だって、当時旭川に出入りしていたわたしだって知りませんでしたよ、安全地帯なんて。ローカルバンドはいくらローカルで有名でも一部のシーン内のことなんです。旭川という比較的大きな都市にあってさえ、ごくごく一部のムーブメントにすぎません。同じ道内の札幌に住み、旭川に年に数回出入りしていたわたくしが知らなかったんですから。
さてさて、わたしたちよりも先にクリスタル・キングが聴いた「萠黄色のスナップ」ですが、レコーディング当時大平さんがドラムを担当されてまして、田中さんは車の整備工場で働いてらっしゃったそうです。曲はそんな大平さんのドラムで「ズッ!パン!ズッ!パン!」と始まります。そして玉置さんが「どこか〜」と歌い始め、ギター、ベース、キーボードが重なっていきます。
Aメロというかサビの伴奏はこの「ズッ!パン!ズッ!パン!」なドラムにすこしオカズを混ぜたフレーズのベース、ひたすらカッティングのギターの上にキーボードが大きな音で「ジャージャジャージャ・ジャッジャージャー」を繰り返すという、ごくシンプルな作りになっています。玉置さんのボーカルと多声コーラスが伸びやかに広がって聴こえる、アマチュアらしからぬアレンジです。
Bメロ、単音弾きのなにやら不穏なシンセ(オルガン?)に続けて、歪みを効かせたギターがこれまた単音で重なりそのあとリフ弾き、繰り返しでシンセ(オルガン)、ギターとかけあいまして、「それがこの今さ」でジャーン!と全音弾き、ドラムがダダダダと響いて二番へ行く、という構成になっています。
二番に入りまして、Aメロ(サビ)が二声・三声ボーカルによって歌われていきます。ひそかにシンセにもアオリが入って(もしかして武沢さんのギターシンセじゃないかと思います。映像で見る限り『ONE NIGHT THEATER』ではそうだったのですが、デビュー当時がそうだったかはちょっとわかりません)、曲を盛り上げます。それなのにBメロは一番とだいたい同じですから、一気に静かになった感触を受けますね。
曲は間奏に入ります。武沢さんのギターシンセ説が正しいとすれば、武沢さんがホワホワした音でソロを弾いています。途中で「ペッペレレ!ペッペレレ!ペッペ!」とキメを入れるところが印象的ですね。これは安全地帯のノリだと思います。正確にいうと、矢萩さん武沢さんツインギタリストのノリなんだと思います。『ONE NIGHT THEATER』で聴くことのできるインスト(のちに『ツインギター2』で「ヴァリアント」と命名されていたことがわかります)での武沢さんソロのノリと一致するようにわたくしには思えます。
さて曲は終盤です。ドラムのパターンがやや複雑で忙しくなり、歌はAメロ(サビ)を繰り返すんですが、歌詞カードに書かれている範囲を超えて玉置さんは歌います。「きらめく歌が聴こえてくる」とはまったく歌詞カードには書かれていませんね。もしかしてものすごい小さい字で書かれているのかとか、実はロウで書かれていて炙ったら出てくるのかとかいろいろ考えましたが、これは玉置さんが付け加えた、もしくは安全地帯で最初に作ったときにあった歌詞だけど崎南海子さんから帰ってきた原稿ではカットされていた、でもいざレコーディングになったら歌うことにした、等と考えるほうが自然でしょう。
そして最後にシンセの音でなくギターの音でソロが弾かれ、曲はフェイドアウトしていきます。これは矢萩さんだろうな、と思います。当てずっぽうではなく、『ONE NIGHT THEATER』での映像もちゃんとチェックしておりますのでご安心ください(笑)。いやこれ、レスポールの音なんですよ。例によってわたくしの耳はポンコツなのであてにはならないんですが、先ほど書いたクリスタル・キングの映像で、矢萩さんがレスポール弾いているのをわたくし見逃しておりませんので、ああこりゃ矢萩さんがあのギターで弾いたな、と思ったわけです。
で、五分を超える大曲であるこの曲は終わったわけですが……
うん、こりゃ売れないですね……。
すみません、売れないです。ムリです。玉置さんの歌は当時から最高に巧いですし、メンバーの演奏も文句なしです。ですが、これが売れるためには、聴衆がこの手のロックに慣れているか、もしくは安全地帯というバンドの知名度かが必要なのですが、当時はどちらもありませんでした、絶望的に。武沢さんの親戚伝いに当時のテープを聴いた金子さんは、当時の安全地帯の音を「天地が高い」星さんは「広い感じ」、そして金子さんはさらに「純粋な美しさ」「原石の輝き」等々と安全地帯の素質を評価しています(『幸せになるために生まれてきたんだから』より)。すてきな評価ばかりなんですが、二人ともすごいとか売れるとかは言ってません。志田さんは当時の安全地帯がドゥービー・ブラザーズの影響を受けていたということをさまざまな証言を用いて述べていますが、もちろんそれは日本でメンバーが食べていけるほど当時の若者に売れる音楽じゃないと言っているに等しいわけです。星さんが「ドゥービーよりも土臭い」ってハッキリ言っていることからもわかるように、軽薄短小ブームの80年代日本でこれが売れると思うほうが間違っています。ようするに、金子さん星さんは、安全地帯はこのままでは売れない、思い切った変革が必要だ、変革さえ成功すれば化ける、それだけの素質を持っている、と判断したわけです。ともかく陽水さんのバックバンドをしながら、アマチュア時代の総決算ともいえるこの曲をレコーディングしデビューだけは果たしますが、もちろん売れません。それならばと思い切りハードロック寄りにした「オン・マイ・ウェイ」と『リメンバー・トゥ・リメンバー』で勝負に出ますが、これもうまくいかない、玉置さんは自殺まで考えるほど追い詰められます。当然といや当然でしょう、自信を持っていた自分たちの音楽では売れないという現実を突きつけられたわけですから。
ですが、安全地帯はその後売れて、知名度を得ます。そして『ONE NIGHT THEATER』でぽつりと「しばらくやってなかったんですけど、ぼくらのデビュー曲を」というMCにつづけてこの曲は演奏されました。横浜スタジアムいっぱいのお客さんの前でこの曲はのびやかに広がって、クリスタル・キングが訪れたあの合宿所につづく空へと響いていったのでした。
いつかやさしさや心をわけあう人に逢える……いまあった君が、あなたが、その人なんだとお互いに祈りながら信じながら、川が雪解け水でキラキラしながら流れてゆく五月の北海道で、いっぱいの新緑の中で、たがいの命が愛しいと感じるこの日を迎えたんだと、玉置さんは歌うのです。玉置さん!北海道人のわたくしにはわかります、その情景!この歌を、どんな気持ちで夜の横浜スタジアムでお歌いになったのかも、もしかしたらわかるんじゃないかって気さえするのです。
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クリスタル・キングは大物すぎて、当時の安全地帯もさぞ驚いたことと思います。「萠黄色のスナップ」はまさかその後デビューシングルになるとは、当時放送を見た人で予想できた人がいるのかと思います。たしかに佳曲なんですが、若者がデビューに持ってくる曲だとは……渋すぎです。なんとも言えない強さがありますから、クリスタル・キングも覚えちゃったのかもしれませんね。
クリキンの番組は私も見ました。音楽に対する熱量すごかったですね。帰りの車でクリキンの方が萌黄色を歌ってたのが素敵でした。音楽の出逢いというか、伝染というか。
不思議なテンション始まりですが、あれがサビなんですね。
パソコン持って来なかったので退院してからまとめてコメントしようなんて思っていたのですが、我慢できずに書き込ませていただきました。
で、パンチのたりないこの曲ですが……あとでブレークして売れなければ横浜スタジアムも再販もガーデンシアターもなかったわけですから、そうなることがわかっていたわけじゃないのに、実に感慨深い素朴なデビューをしてたと、仰るように結果として、よかったわけです。こればかりはもう運命というかなんというか……。
なかなか桜が咲いてもすっきり晴れないところが深い?ですね〜。
えーと、この安全地帯デビュー曲。横浜スタジアム安全地帯コンサートで唱われ、廃盤から再発したとかで私は再発を購入したようです。
私の亡くなりました母は生前私を放牧する以前、義務教育時は習い事に厳しく躾てもらいましたがこと音楽に関してよく自宅で私が玉置さんになりきり安玉ソングを大熱唱(笑)していると、後年は励ますつもりなのか、CDなのかと思った?としょっちゅう話してました。半分ぼけてたのかもしれませんが。
萌黄の歌を、中学1年の時にシングルを買ってすぐに、当時私の部屋へ母を呼んで確か一緒に聴いた時の母の一言
「パンチが足りないのかなぁ」
でした。
うーむ。北海道からアマチュアからプロにデビューする歌にこの曲を選んだのは結果的に成功だったのでしょう。昨年末のガーデンシアターでオープニングあの頃への次曲が萌黄でした。選曲と曲順が凄いですね。玉置浩二ショーで、5人が集まって玉置さんは萌黄のジャケットを手にしながら⚪⚪だよなぁ、と、ジャケットに関して言ってました。デビュー曲として私は大好きです。
「萠黄色のスナップ」はそうですねー、退屈なのもムリないです。おっしゃるとおり、Aメロというかサビというかが一緒になっている感じです。「いつか〜」のところがサビといえばサビなんですけども、あんまりそういうこと意識して作ってないですね。サビは一番盛り上がるところで繰り返される傾向がありますから、わたしたちがサビ認定をすればそこがサビなんですが、まあ、Aメロか「いつか〜」のどっちかは聴く人それぞれでいいと思います。
AメロBメロっていいますけど、ほんとのABサビはアーティストのリハーサル譜にしか書いてないんで、外部にはわからないんですよ。じゃあAからもう一回やってみようか、Bだけ繰り返してやろうよってメンバー間で共有するためにありますからね。わたしたちが音楽談義をする際に勝手にAB言ってるだけで、じつは一種の知ったかぶりなんです。イントロ終わった次のところがA、展開ちょっと変わったところがB、そのあとの盛り上がるところがサビってなんとなくみんなが思ってるし、歌謡曲はだいたいそういうふうにできてますから話が通じるだけで。安全地帯・玉置さんの曲は往々にしてそのパターンに沿っていないことがありますんで、勝手にブログを書き散らしている側からすれば困っちゃうことがあるわけです。スミマセン、たよりないことで。