『安全地帯ベスト2 ひとりぼっちのエール』十四曲目、「あの頃へ」です。
「雪が降る遠いふるさと」はわたしのふるさとも同様でして、本州(のとある地域)に住んでいるとたまにしか降りませんけども、冬の北海道はいつでも降っているのです。降っていないときでも降り積もった雪の塊が常に身の周りを埋めていますから、雪の存在をいつでも感じながら暮らしているのです。
もちろん雪は日常の風景に溶け込んでいますから、いちいち意識するわけではありません。学校の行き帰り、ギター担いでスタジオに歩くとき、街をぶらつきに行くとき、いつでも雪はそこら中にありました。だけれども、夏にはすっかりなくなっているわけですから、全く何もないのと同じというわけではないのです。夏が緑の季節であるのと同じ感覚で、冬は白い季節なんだという感覚です。そういう感覚がまだ生々しい頃には、本州、つまり温帯気候の冬は何もなくてちょっと違和感がありました。無色の季節とでもいいましょうか。
本州の冬に慣れてきますと、ああいまごろ北海道は雪が降っているなと思うことがあります。無色の季節の中で、真っ白に染まった街をなつかしく思い出すのです。
さて曲はカツカツと響くパーカッション、ボキボキしたベースにバスドラをズシズシと合わせ、それをバックにシンセのメインテーマとキラキラ音が流れます。ずいぶんスキマの多いシンプルな作りですが、それが白く染まった街を思わせます。
Aメロもチラチラと降る雪を思わせるキラキラ音とギターのアルペジオが流れ、根雪に響く足音のようなドラムとベースが足元を支えるなか玉置さんが歌います。そうこの感覚……雪に閉じ込められた冬を幾年も過ごした経験がないと出せない感覚……のように思えます。北海道人のわたくしが勝手にシンクロしているだけの気がしなくもありませんが(笑)、スパイクのついた雪靴でガシガシと家路を歩いた感触がよみがえります。わたくしの家路はつねに南向きでしたので、かつて冬季オリンピックを行った山に陽が沈み、青紫に染まってゆく雪景色の上に一番星が見えてくるあの夕暮れを歩いた日々を、いつでも思いだすことができるのです。
そしてオリオン座ともそろそろお別れだな、と思う頃に春はやってきます。肌で感じる気温はだいぶ上がってきています。気がつくと頬が痛くなくなっているんです。「春を待つ想い」は比較的気候が温暖な札幌にいるとやや感じにくいですが、旭川のような苛烈な冬を送る地域では格別のものがあるのでしょう。特急列車が旭川駅のホームについて扉が開くと、一気に客室内の温度が下がり、そしてディーセルの音と臭いが飛び込んできます。うわーなんだこれ寒いぞ!と道内の人間が思うくらい旭川の冬は寒いのです。もちろん、その中に住んでいるとあんまりわからないんだと思うんですけどね。でも、ほんの少しだけ、「春を待つ想い」は誰かを幸せにする力がよその地域に比べて強いんじゃないかと思います。
ドラムのフィルインが響き曲はサビに入ります。ズッタズズッタ・ズッタズズッタ……とリズム隊のお二人が重いリズムを刻みます。ギターのお二人は「いつも君のそばに」で聴かせた細かいアルペジオや刻み、ストロークを組み合わせた渋い仕事をなさいます。武沢トーン「シャリーン」も響き、もう安全地帯色満点です。そしてストリングスとキラキラ音をわずかに流し、「パンパンラーン」的ななにやら鍵盤の音がオブリガートに入ります。
そしてコーラスもなくただ、玉置さんの独唱が響きます。そうですね……コーラスないほうがいいとは思うんですけども、それはこの出来上がりを聴いたからであって、コーラスアリバージョンを聴いたらそっちがいいやと思うかもわかりません。歌詞的には「みんなで歌おう」的な歌詞でなく、ただ一人の「ぼく」がただ一人の「君」をあの頃へつれていけたらいいなあって内容ですので、コーラスなしのほうがハマるとは思います。
「あの空」はまだ冠雪の旭岳を臨む広い広い上川盆地の空、「あの風」は、「あたたかい」といっても頬が痛くなくなったという程度ですが、そういう季節の季節を感じる風、私たち北海道人は冠雪の山と冷たい風の中で三月四月を迎えますから、別れも出会いもすべて「あの頃」なのです。
松井さんはきっと、「もう故郷に帰りたくなっちゃった」(『幸せになるために生まれてきたんだから』より)玉置さんの心情を最大限に汲みとり、このような歌詞をお書きになられたんだと思います。「もう一回北海道でいちからやり直して本当のオリジナルを作ろうぜ」(同上)と毎日のようにメンバーに言っていた玉置さんですが、松井さんは帰るも何も北海道のときからのメンバーでないですから、松井さんのことは、言いかたは悪いですが視界に入っていなかった、もっと悪くすれば離れたかったんじゃないかと思います。デビュー直後からつねに安全地帯の作詞をメインで担い、チームの重要な一員であり続け、うれしいときも辛い時も玉置さんと安全地帯を支え続け絶頂期をともに作り上げた松井さん、一度解散の危機を乗り越え『夢の都』『太陽』の力作を作りあげたそのタイミングでバブルが崩壊しバンドもまた崩壊してゆくその過程をもっとも間近でみつめてきたのが松井さんなのです。ですから、玉置さんの松井さんぬきで帰りたいという思いを想像しこの歌詞をお書きになったときの心境はいかばかりのものであったか、考えるだに胸がつぶれそうになるのです。なにしろ「あたたかいあの頃」に松井さんはいないのです……。
うん、五郎ちゃんの思い、受け取ったよ、とでもいわんばかりに玉置さんは熱唱します。美しく激しく、たった一人で。カップリングの「地平線を見て育ちました」がどこか開き直り気味にさえ聴こえる合唱ふうだったのに対比して、なんと悲しい歌でしょう。
歌は二番に入りまして、ストリングスがすこし存在感を増しますが、基本的には一番とアレンジは変わりません。しいて言えばここからきもちリズム隊が大きくミックスされているようにも感じます。
「街の灯」は、雪が降っているとボワッとその周りが反射光で包まれてみえる街路灯のことなのか、はてまた夜景のような遠景のことなのか……どちらもありそうな感じではありますが、わたくしの生活感覚では前者です。だって寒い季節に藻岩山ロープウェイとかにわざわざ乗って夜景観に行かないですから。ナイタースキー場からみえる夜景……スキーやって楽しんでいるのに夜景に「神様の願い」とかいちいち見ません。ここは、雪に包まれる街路灯だと思いたいです。その灯りに、雪が次々と一瞬だけ照らされながら落ちて消えてゆくその流れが見えているのだと。「神様の願い」は、無為に無限に思えるほど降りゆく雪の一つひとつにこそ現れています。人間のつくった灯りで照らされなければその存在はわかりません。見えている箇所は街路灯の周辺だけで、同じことはとんでもない範囲で起こっているのです。その美しさ儚さは圧倒的で、人間の思惑などあっさり超えている力の存在を思わずにはいられない……まあたかが雪なんですが(笑)。大袈裟に書くとそういうことなのです。そんな神の存在を感じますと、自分の人生であといくつのことに取り組めるのだろうか……などと来し方行く末を知っている神様に尋ねたい気持ちにも少しだけなるのですね。
安全地帯という「夢」が実現したチームのみなさんにとって、同じレベルの「夢」を叶える機会はどれだけあるのでしょうか。キャロルが終わってプリーズを結成したジョニーとウッチャンは、キャロルと同じくらいの夢を実現することができたのでしょうか。バンドというのは多くの人にとってメインは一つであり、二つ以上のバンドで商業的に成功した人があまりいないということを私たちは知っています。バンドに限らず、他業種まで考慮に入れたとしても、二つ以上の夢を叶える人というのは稀です。鳥山明はメガトン級の作品を二発も飛ばしていますが、それだって二発なのです。多い人でも、高橋留美子が四発五発くらいで奇跡的ですが、それ以上は基本ムリでしょう。
さて曲は再びサビに入ります。今度はあの「星」「雲」ですね。うーん、これは当時の東京にいると見えにくかったことでしょう。なにしろビルが多いし空気も汚かったのです。「傷だらけの天使」に出てくるようなビルがウジャウジャと空をふさいでいるような感覚で、「おれをここから出してくれ!」という気分になるんです。もちろん札幌にも旭川にもそういう地域はありますが、しばらく歩けば視界は開けます。ところが東京はどこまで行っても閉塞感なのです。勘弁しろよずっと創成川の向こう側みたいじゃん!って感じです。星や雲がワッと広がる空に見える場所は、雪がやんだ「遠いふるさと」、天地が広い北海道なのです。
「君」とは北海道でないどこか、それこそ東京などで出会います。「君」はあの広い北海道の空を知りません。いやど田舎の出身ですから知ってますよって思うかもわかりませんけど、それは北海道を知らないからそう思うのです。北海道人にとって本州の田舎など田舎ではありません。だってどこまで行っても田んぼはあるし、人の手が入っているのがわかるじゃないですか。北海道は人の手が入っていない箇所が結構あるのです。両側が田んぼの道路など自然ではなく人工的です。自然とは、利用されていない荒れ地のことなのです。石狩平野や上川盆地、十勝平野といった広大な平地では、その荒涼たる雰囲気が全天下の八割くらいを占めている感覚を味わうことができます。本州の田舎など、どこまで行っても人の気配だらけでぜんぜんそんな感覚はありませんとも。ですから、自然というか野生というかの美しさあふれる「美しいあの頃」へ「君をいつかつれて行けたら」、あの開放的な感覚を味わわせてあげたい、これが「ぼく」が育ったところの開放感、解放されている、自由だって感覚なんだよ!と教えたくなるのです。「君」がそれを味わいたいかどうかはともかく(笑)。
曲は間奏に入ります。静謐な音色のメインテーマに続けて玉置さんが「あの頃へ」とだけ歌い、続けて矢萩さんが弾いたと思われるメロウな短いギターソロが流れます。ひどくあっさりした間奏ですが……長々とやる意味もそんなにないのでしょう。早々に最後のサビへと向かいます。
「あの」ではなく、「やさしさ」「さみしさ」であることには、何か意味がありそうです。「あの」ではないのですから、これは東京のやさしさやさみしさだったのかもしれません。東京のさみしさは尋常ではありません。何しろ隣人の顔もろくに知らないのです。電車に乗る顔ぶれはいつも違っていて覚えきれません。だから無関心にならざるを得ないわけですが、無関心だからってわざとイヤなことをする人もまたいません。だから最低限に「やさしい」し、交流の多い人とは田舎と変わらぬ「やさしさ」で交流します。人間の性質なんて都会にいようと田舎にいようとそんなに変わるものでもありませんから、「いつも愛を知っていた」と知るのです。星さんも金子さんも、そして松井さんも、そうした「さみしさ」や「やさしさ」を安全地帯のメンバーよりも少し早く知っていたのです。まあ、旭川はよそだと県庁所在地クラスの道北随一といえる都市ですから、出身地でいえば東京にいる人々の中でも都会人に属するほうだとは思うんですが、人は東京に何年か住み慣れたら自分を都会人だと思い込むフシがあるようで、北海道人の「キャラメル」とか「コーヒー」の発音を鼻で笑うような人や、電車のことを「汽車」といったら「汽車ってなんだよ電車だろどこから来たのお前」とか言ってくるような人もいまして、そんなときに「さみしさ」を感じることがないわけではありません(笑)。北海道は雪の重みで架線が切れるとメンテできないくらい広いところを走るからディーゼルがけっこうまだ走ってるんだよ!(怒)
そんなさみしさを感じつつ、何度目かの春を迎えてもう「汽車」とか言わなくなったころ、無色の冬が終わりああだいぶ暖かくなってきたな、北海道だと雪が解けてくる季節だな、真っ白な山がだんだんと緑に染まってゆく季節だな……ディーゼルの「汽車」に乗って「キャラメル」食って「コーヒー」飲んで……「あの頃」へ「君」をいつかつれて行きたいなと、本州の春はそんなことをふっと思わせる季節なのです。
曲はアウトロ、メインテーマが鳴り響き、六土さんのベースが「ボキボキッ!ボキボキッ!」と音を短く切ってアクセントを入れてきます。もしかしたら「あの頃へ」の思いを一番わかっていたのはこの人かもしれません。なにしろ六土さんは稚内の人ですから、冬の寒さも春の喜びも旭川とは一味違うでしょうし、旭川という「都会」で活動したのちさらに東京という「都会」に移っていった人ですから、「やさしさ」も「さみしさ」も二段構えで他の安全地帯メンバーよりも経験豊富なのです。
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たしかにこの前後の玉置さんが歌手としては絶頂期だったと思います。このときバンドが崩壊していたのは返す返すも運命としかいいようがありません……。
わたくしこの頃、グラス磨いたりつまみを焼いたりお客さんにカラオケ歌わされたりするような仕事をしていた時期がありまして、しょうがないので「よろしく哀愁」とか「心凍らせて」とか歌っていました(笑)。「あの頃へ」は歌いません、歌えません。だってダントツに若いですから。シラケちゃいます。プロはなんでもガマンです。
この曲は、当時私は割烹料理屋さんで皿洗いのバイトをしていた時に、流れてくる大量のお皿を洗いながら口ずさんで涙ぐんでいた思い出があります(やさしさもさみしさもいつも愛を知っていた)そこの大将の娘さんに気に入られてよく部屋に泊めてもらって、安全地帯武道館涙の祈りもその娘さんと一緒に観に行きました。そんなこんなもありつつも、極めつけはミュージックステーションでの歌唱ではないでしょうか?
「ボタン開きすぎですね〜」とタモリさんと生島さん相手に天然玉置さん炸裂し歌は圧巻!!この前後の数年間が玉置さんは声がめちゃめちゃ出てました。
確か、ベストヒットなんかのインタビューで、太陽が発売された頃に、夢だけで終わらない云々のテーマの曲に触れてあったので、1年寝かせて10周年に合わせたのだと思いました。ちなみにB面の地平線をみて育ちましたも好きです。
ワインのCMで始まった安全地帯ムーブメントが、日本酒のCMで終わるのもおつなものだ……といまなら思えますけどね(笑)、当時はおっしゃるように演歌か!と思いました。夜の街で有線に流れる「あの頃へ」は、札幌を離れたわたくしにひたすらな郷愁を感じさせたものです……。
「究極の一曲」はあまり考えないで書いてました。そうですね、たしかにわたくしは辞書を作っているような気分なのかもしれません。全曲いい曲であるというのが当ブログの趣旨ですもの。『広辞苑』でいうとまだ、か行かさ行を書いているところですから、まだまだですけどね。
でも、「ひとりぼっちのエール」のカップリングや、アンプラグドライヴのDVDのアレンジこそが、本来の姿なのかと思っています。
時々、玉置さんのソロの究極の一曲が「メロディー」なら、安全地帯の究極の一曲はライヴ編曲での「あの頃へ」かな、なんて思うことがあります。
でもね、冷静に考えると、本当は、玉置浩二だろうと、安全地帯だろうと、究極の一曲なんて、無いんですよ。広辞苑に最重要な1ページ、1項目なんて無いじゃないですか。それと同じです。
そうじゃなかったら、このブログを楽しむ意味さえなく無くなりますよ。そうでしょ?
♪愛をみんなの為に。