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安全地帯・玉置浩二の音楽を語るブログ、管理人のトバです。安全地帯・玉置浩二の音楽こそが至高!と信じ続けて四十年くらい経ちました。よくそんなに信じられるものだと、自分でも驚きです。
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2023年02月25日

おやすみチャチ(Instrumental)


玉置浩二『JUNK LAND』十三曲目、「おやすみチャチ(Instrumental)」です。

玉置さんの「お願いします、ワン、ツー、スリー(だんだん声が小さくなる)」から始まるガットギター二本の織りなす美しい「太陽さん」のテーマ、ここにJUN TAKEUCHI STRINGSのストリングスが絡み、ため息の出るような美しい合奏になっています。ギターは二本とも玉置さんが弾いてるでしょうから、誰にお願いしたのかはよくわからないんですが(卓かな?でももう録音スタートしてるから玉置さんの声が入っているわけで)、目の前でこんなセッションあったら腰が抜けるだろってくらいの臨場感たっぷりな一分半になります。

だいたいメロディー弾きとアルペジオの二本なんですが、たまにメロディー弾きで二本が絡むことがあります。それが同じ音程だったりハモった音程だったりします。ですが、ガットギターだととくに顕著なんですが、同じ音程を弾いても同じ音って出ないんですよ。ちょっと押弦の強さが違うとか右手のほうが指のテンションが違うとか、物理的な要因はそんなところだと思うんですが、この「おやすみチャチ」でも微妙にブレた音が重なり合っているのがわかります。

で、ここが不思議なことなんですが、この微妙な違いが膨らみというか厚さというか、気持ちのよい音を生み出す効果があるのです。たぶんコーラス効果とかダブリング効果とかいって物理的な説明のつくものなのだと思いますが、わたくしよくはわかっておりません。エフェクターのコーラスも原理は同じだよと聞いたこともあるのですが、それがどうして気持ちがよいのかは結局は人間の性質なのでしょう、よくわからないのです。

ビートルズの歌もジョンとポールと二人でそれぞれ微妙に違うボーカルラインを歌っているから気持ちがいいと、何かで読んだこともあります。何も別人でなくても、一人で二回録音すれば似たような効果が出るのも知っています。でも、この曲がなぜこんなに心地よいかは結局は誰にもわからないのでしょう。わたしがお遊戯とか盆踊りとかさんざんなこと言っている(笑)アイドルグループの歌も、みんなで歌うからある程度聴くにたえる歌になっているのだと思われます。もちろんわざわざは聴きませんが。

そんな心地よいガットギターのコーラスにより、曲は「太陽さん」のテーマ、正確には「太陽さん」のアウトロに使われたテーマを二回繰り返します。二回目にはストリングスが入ってえもいわれぬ空間の広がり……まるで眠ってしまった猫を菜の花畑にそっと寝かせて、空の青と花の黄のコントラストを遥かに見渡すかのような……歌詞カードですとそこになにやら白煙をもうもうと上げる禍々しい工場がデンと居座っているわけですが、そんなスケールの広さを感じさせます。

亡くなってしまった愛猫チャチに捧げる曲だと聞いた記憶があるのですが、玉置さんのイメージではもしかしたら広い広い菜の花畑にチャチを葬り、おやすみといって広い菜の花畑を歩く、そして夜になってチャチの上に満天の星が輝く、というイメージでこのテーマをお作りになったのかもしれません。そしてこのテーマから「太陽さん」が生まれ、ほかの曲も次々にできていき、このアルバムは完成した、ということなんじゃないかと、このブログ特有の妄想大爆発で思惟を巡らせております。

なお、このギター、ストリングス、そしてこの曲には含まれていない安藤さんのピアノは、のちのセルフカバーアルバム『ワインレッドの心』の原型イメージになった音なんじゃないかとわたくし勝手に思っております。この音でもう一度安全地帯の曲をやってみたいなあ、となんとなく思っているところに、安藤さんが「安全地帯の曲やろうよ、みんな呼んでさ」と声をかけたからこそ、矢萩さん田中さん六土さんが加わったあの奇跡のアルバムが誕生したのだとわたくし勝手に思っております。よーしこの勢いで安全地帯復活のニューアルバム作っちゃうぞーと作り始めたのが、あとから思い直してぜんぶ自分で録りなおしてソロ名義で出すというビックリなことをした『ニセモノ』なんだと思うのです。

玉置さんはこの後安藤さんとともに軽井沢時代に突入し、そのような活動をして安全地帯復活に三歩進んで二歩下がるような過程を歩むのですが、そのドラマはこの曲「おやすみチャチ」ですでに示唆されていたのではないか、と思われるのです。

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2023年02月23日

MR.LONELY


玉置浩二『JUNK LAND』十二曲目、「MR.LONELY」です。先行シングルで、カップリングは「FIGHT OH」でした。ゴールドディスクではありますが、前シングル「田園」に比べると1/4〜1/5の出荷枚数です。売り上げはガクッと落ちましたが、わたくしこれは「田園」をしのぐ超名作だと思っております。なおフジテレビのドラマ『こんな恋の話』主題歌だったそうです。

さて曲はポーン!(ズッズッパ!ズッズッパ!)ポポーン!(ズッズッパ!ズッズッパ!)とギターのハーモニクスのような音にパーカッションをかぶせて始まります。玉置さんの「オーオオー」という高音の歌にアコギのアルペジオ、安藤さんのピアノとなにやら鍵盤系のシンセの合奏でイントロからAメロBメロまで突っ切ります。サビ前からエフェクトシンバルを合図に始まるドラムと、須藤さんのグギー!グギー!!と歪んだベースが入りますが、演奏は間奏でエレキギター、終盤にうすいストリングスが入るよりほかにはこれ以上楽器を増やすことなくいたってシンプルに、ただただ玉置さんのボーカルを聴かせてくれます。

さて歌詞ですが、これが涙モノです。焦らず驕らず、淡々とできることをやってゆく……去っていってしまった君のことを思い、君のために、ずっとここで同じように暮らしている、待っているという内容なのです。人には帰るところが必要なのだと愛をこめて全力で表現した『カリント工場の煙突の上に』から約四年、今度は玉置さん自身が誰かの「帰るところ」になろうと奮闘している様子が歌われているのです。次々曲の「しあわせのランプ」における寂しかったら帰ってきなさいというメッセージと相まって、反則級の切なさを演出しているのです。当然、「君」は帰ってくるか来ないかはわかりません。帰ってくるかもしれませんから、そのときに帰る場所がないと困るだろうと、一人で淡々と暮らす寂しい男、ミスター・ロンリーであるわけです。「こんな僕でもやれること」とは、そんな、「君」の帰る場所をつくることなのではないだろうか、とわたくしには思えるのです。

「君」が捨てて出てゆくような場所で、「何もない」と思われがちな場所なのでしょう。典型的にはさびれた田舎の市町村を去る若者のことを指していると考えるのがいちばんイメージに合います。そこはもう、基本的に無関心で特には何もしない住民が、地域を活性化させるぞ!と使命感に燃える人と公的補助金をねらう都会の業者が勝手にいろいろやって当たり前に無為に終わっている(補助金の大半は都会にスイーと流れる)のを横目で見ているというキッツい地獄絵図になっています。地域活性化というのはそういう公金まみれのイベントで派手にやった感を出しても基本は一時のことで、活性化なんてするわけないですからね……コツコツと、やれることをやるしかないというか、そもそも活性化なんてねらってできるものではありません。誰もがそれぞれの思惑でそれぞれのすることをコツコツとする、そういう人がたくさんいることで結果として「活性化」しているわけです。無関心派もそれが何となくわかっているからこそ淡々としているといってもいいでしょう。

そこで「君」の帰る場所を守りつづけようとするミスターロンリーは、周囲から何やってんだあいつ、この街がいまどんなことになっているのかわかってないのか?(活性化派)、何やってんだあいつ、あんなことしたって無駄だってわからないのか(無関心派)、まあ素人が何したって何にもなりませんよ(業者)と、フルボッコです。なんなんだ、おれはおれで勝手にやるんだからほっといてくれよ、と思いつつも悔しくて涙をこらえます。

「オオオオーオー!」と高音の掛け声から曲はサビへ、何にもない、でも野に咲く花はある、その花のようにいつでもささやかに力強く生きてゆく……それは悲しき決意表明です。「君が優しかったから」なんて、そんな思い出にすぎないものを理由に、帰ってくるかもしれない「君」の帰る場所を守るんだ、と歌います。その声は歌の内容の通り力強く、悲愴で、それでいてあたたかいのです。こんな複雑な感情を見事に表現する声、そしてその根底には底抜けの愛と善意が溢れている声、こんな声がかつてあったでしょうか。そしてこれほどまでに玉置さんの声が生きる曲をかつて玉置さんは作っていたでしょうか。これまでも名曲がキラ星のごとくズラッとたて続けに存在していました。そのどれもが玉置さんの声が最も生きる、最もその内実に迫る曲だ!という最高傑作ばかりだったのですが、今度ばかりはこの曲以上のものはないんじゃないかと思われるほどの徹底ぶり、肉薄ぶりです。こ、こりゃ最高傑作だろ……と毎回思わされるんですが、さすがにこれ以上はもう……という限界が見えた感すらあったのです。まあ、次々曲の「しあわせのランプ」で早くもその予想は裏切られるわけですが(笑)。まだまだ先があった!玉置さんあんたどこまでいくの!とこのときは恐怖すら感じたものです。

さて曲はイントロに戻りまして「オーオオ」、そして二番に入っていきます。「人の気持ちになって」心が痛むなら、それは共感なのです。わたしたちは共感の力によって生きているといっても過言でないくらい、共感の生き物です。共感するからこそ人を愛し、憎み、哀れみ、大きなエネルギーをもって事態を解決しようとします。これはきっと、わたしたちがホモエレクトゥスとかいうサルでウホウホやってきたころからそうだったのでしょう。だからこそわたしたちは幾度もあった絶滅の危機を集団で乗り切り、壮絶な淘汰と自然選択により現代人類へと進化を遂げてきたのです。「空気が読める・読めない」なんて、現代人類の間では無意味な差しかありません。わたしたちはみな空気を読むスーパーエリートであるからこそ、現代にまで生き延びているのですから。そんなわたしたちは、自分のことでない他人のことに胸を痛めることができます。それは人のサガなのです。極めて自然に、それが無駄だろうとなんだろうと、エネルギーを提供して事態を好転させようと試みるのでしょう。

君も僕も、ふたりとも野に咲く花のように仲良く力強くささやかに暮らしていた、そんな日々は穏やかで優しいものだったのでしょう。僕はもう、君がいなくなった後でも、あの頃の思い出だけで生きていける。いや違う、正確にはあの頃がまた戻ってきてほしいと思っている、その望みは薄いかもしれないけども、君がもしつらくなって帰りたいと思ったら帰る場所として、僕はあの頃と同じようにここにいるんだ……いやもういいじゃないですか、あなたも自分のしたいことをしなさいよ、と思わなくもないのですが、ミスターロンリーにとってはそこを守ることが自分のしたいことなのですから、させておくしかありません。そんなミスターロンリーの気持ちを思いやり、わたしたちも胸を痛めるのです。

曲は間奏、玉置さんの見事なソロ、須藤さんのグッキグキに歪んだベースが目立ちますが、玉置さんも負けじとブルージーで狂おしいスクリーミングを指先に込めてギターを奏でます。うーむ、ことによるとこれは安全地帯を超えたかもしれません。演奏技術とかでなくて、この一体感ある競演の凄まじさは、『太陽』のころの安全地帯にすら迫り、下手するとそれを超えているんじゃないかというくらいの見事な間奏です。

曲は三番、Bメロから始まりサビを二回、そしてイントロとほぼ同じ演奏のアウトロで幕を閉じます。逆風に吹かれても、どんな時でもと若干歌メロを変えて、曲は最後のサビに突入していきます。「遠く離れていたって」というのは、空間的な隔たりの大きさだけでなく、おそらく心理的な距離の大きさもあるのでしょう。先ほどは地域活性化の舞台となるような田舎町で喩えましたが、それは比喩でしかなく、たとえば考えることの違い、携わる仕事などの違いも当然ありうるわけです。ここでいきなりですが野球の話です。先日鬼籍に入った門田は、野村克也と袂を分かったあとに覚醒して大打者となっていきました。二人ともプロ野球界にいるわけですから近くにいるんですが、考え方は天と地ほども違う、といったようなことも当然この「遠く離れていた」には含まれうるでしょう。ふたりの断絶は決定的なものでしたが、ノムさんは、もしかしたら自分が監督をつとめる球団に門田がトレードで入ってきたら干したりせずに受け入れるんじゃないかと思うのです。「お前よう帰ってきたな」なんて言って。もちろん、わたくしが勝手に妄想しているだけですから、本当のことは二人にしかわからないんですけども。以上、唐突なプロ野球バナシでした!あ、いや、「ミスター」って長嶋じゃないですかふつう。ちょっと反骨精神を発揮して「ミスター・ロンリー」はノムさんみたいだなあ、なんて思うわけです。あのコツコツぶりが。

「君」が帰る気なんか全然なくて、自分的には「捨てた」と思っている故郷や古巣であっても、そこに「笑って」「元気でいる」ぼくがいることはもしかしたら「君」の支えになるかもしれない、と信じて生きてゆくミスター・ロンリーの生き方には、わたしたちも大いに共感して胸を痛めて、ことによれば泣くのではないでしょうか。結果としてわたしたちは全然ミスター・ロンリーのようには生きないかもしれません。ですが、その生き方に共感する、胸を痛める、そんな心を、太古の昔からわたしたちは共有しているのだとこの曲は信じさせてくれるのです。

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2023年02月19日

金持ちさんちの貧乏人


玉置浩二『JUNK LAND』十一曲目「金持ちさんちの貧乏人」です。

なにやら玉置さんのヨーデルが聴こえます。やあー、行くのか、久しぶりだなあ(ハッハッハ)というよくわからないやり取りが入ります。そしてワン、ツー(よし)、ワンツースリー(キュッ!)と玉置さんの掛け声で演奏が始まります。

(あーっあっ!緊張するなあ!)オーイエー!(いちにいさんし、にいにいさん)Yeah(さんにいさんしにいにいさん)いくぜー!

ピアノ、ギター、ベース、のほかに、さっきからキュッキュキュッキュと何かをこするような音が入っています。なんだかわかりません。DJという種類の人たちがディスクをこするときにこんな音がするのでしょうか?それとも、たんにウェスで楽器か何かをこすると音なのか……謎の多いオープニングで、おそらく玉置さんと、もしかしたら安藤さん須藤さんもご存知かもしれませんが、ごく限られた人しか声や摩擦音の正体、意図はわからないのでしょう。イントロ一連のセリフらしいものも歌詞カードに書かれていますが、意味はもちろんわかりません。

朝が清々しくてミニスカートでハイヒール?意味が分かんねえ!いや、意味なんてないのかもしれません。すがすが「しい」と先が「いい」、ここだけ韻を踏んでいればあとはどうでもいい、くらいの思い切りで作られた歌詞なんじゃないかとさえ思えます。

リズムが変わり、胸はって恋して〜と、玉置さんのスーパーナイスなファンク的カッティングが響きます。いや冗談でなくいいです。なんだこれ!わたくしカッティングとかブラッシングとか、あんまりやらないんですよ、なんかその場しのぎな感じがして好きでなくて。ただ、この曲のこの場面ではその場しのぎとは全く違います。恋してどうする?どうするかは後で考えるとして、ともかく今夜はビシッと決めなきゃ!というよくわからない切迫感を表現するのにこのカッティングは非常に似つかわしいものであるように思えます。

「やんなきゃー(きゃー)(きゃー!)」とコーラスで盛り上げブレイク、そして急展開でサビに入ります。また「キュキュッ」という摩擦音が響いてきます。ギターがいい具合にカッティングともコード崩し弾きともつかぬ……とギターの話をしようとして気がつきましたが、これ、弦を擦る音かもしれません。断言できるような話ではないんですが、ギターの、ナットよりペグ側、ようするに普段弾かないとこなんですが、そこを指でつまんで擦るとこんな音がしたような気がします。たまにカカカカッとピッキングしたような音も聴こえてきますんで、もしかしたらピックでキュウキュウとスクラッチやってたのかもしれません。もしそうだとしたら遊び心満点ぶっちぎって120点です。さてそんな枝葉のことはともかく(笑)、曲はドラムがドンタタドンタと気持ちの良いリズムでリードし、ギターとベースによるもう分離のよくない分厚い伴奏をひきつれて玉置さんがダブルボーカルで突っ走ります。「金持ちさんちの貧乏人〜」いやダメだ、意味が分かんねえ(笑)。「金持っていかんでくれよ」なんて言われています。なんでしょう?家族扱いされてない居候?それとも自分の小遣いは自分で稼ぐという自立心旺盛な高校生とかでしょうか。なにやら複雑な家庭環境を思わせますが、玉置さんが歌うとおり大抵の場合よくも悪くもありませんので、玉置さんもそのギャップを歌うだけです。え?それだけ?と一瞬思いますが、それはわたしたちのバイアスがそう思わせているだけなのでしょう。だって「ワインレッドの心」だって傷心の女性に男がちょっかいかけてるだけだし、「悲しみにさよなら」なんて「元気出しなよ」って言ってるだけじゃないですか。どうです、金持ちさんちに貧乏人がいるだけじゃねえか!なんて決して言えないでしょう。わたしたちはともすると恋愛に価値を重く置き過ぎなのであって、それ以外のことを軽く見る傾向があるのかもしれません。いや、面白いなあ〜みたまえ、貧乏人が金持ちの家にいるね、これはね、昆虫の世界でも起こることで……いやあ、こういう話に一ミリも興味がない状態からだと慣れるのが大変です(笑)。「金持ちさん」と「貧乏人」とベリースムーズに歌う玉置さんの圧倒的なボーカルに聴き入ってしまって気づきませんが、金持ちはさん付けなのに「貧乏人」はなんか蔑みの感覚が滲み出ています。たぶん「さん」と「にん」がどっちも「〇ん」なのでリズムとか語感とかがうまく合うという音楽上の感覚でこうなったものと思われます。ただ、この「さん」と「人」の扱いの違いさえもギャップとして楽しむという作戦なのかもしれません。むむ、そうだとしたら高度な芸術です。無意識的な差別すら描いてしまうという……「洛中洛外図」のようです。

そしてブレイクが入りまして「貧乏人!」と叫ぶダブルボーカル、ダメ押しか!(笑)そして曲は間奏に入ります。玉置さんのギターソロ、これすごいですよね。『CAFE JAPAN』あたりからさらに円熟味を増して、もはや本職ギタリストとしか思えないエモーショナルなソロです。

「行くぜ!」で曲は二番、「マンションホテル」って何だ?今まで気づかなかった!長期滞在型のホテルのことですかね、Jリーグの監督とか、そういういつクビになるかわからない仕事をしていて住民票を移す気のない人たちが住んでいるようなところだと思います。むむ、そういうところを根城にして今夜も浮名を……続くのが「ABC」とか「アルファベット」とか、もはや文脈がよくわからない言葉たちですから、あまり意味はないのかもしれません。もしかしたら恋愛系のABCかもわかりませんが、別にイロハだっていいじゃないですか、ねえ。

「見栄はってチェックイン?」ああ、実は帰るボロアパート(貧乏人だから)があるのに引っかけた恋人にセレブぶりたくてホテルに長期滞在している体を装う……?いや、家はあるんだ、金持ちさんちが。だから居候なのを隠したいとか、もしかしたら平素ひどい扱いをされているので恋人を連れ帰ったりすると無事では済まない家庭なのかもしれません。なんだかとても気の毒に思えてきました。むしろボロアパートなほうがマシかもしれません。金持ちさんちに住んでると大変なのでしょう。スーパーナイスなカッティングで思考を千々に引き裂かれながらこんなことを考えましたが、もはや物語を背景に想像することすら野暮なくらい、直感で楽しく作られた歌世界なのかもしれないなと思います。

曲は最後のサビ、ギターの単音ソロがバックでキュイーンキュイーンと効いています。これは弾きながら完全に楽しんでいます。こんなに残酷な歌詞なのに。今度は「金持ちさんちの」ではなく「金持ちさんたら」です。ねえ、金持ちさん、金持ちさんったら!と強く呼びかけているのです。「金持って逃げんでくれよ」と言われています。なんで金持ちさんが金持って逃げるの?金持ちの都合とか考えることはわかんねんなあ……もしかしたら手形を飛ばしたとか何かで、官報に掲載された瞬間に債権者が詰めかけるからその前に逃げるということかもしれません。そうならないようにちゃんと金持ちさんのままでいてくれよ、安心安全に金持ちを維持してくれよ平和のために……金持ちは金持ちでいろんな人に対する義務を負っていて大変なのかもしれません。一ピコグラムも同情できませんが(笑)。だっておれ貧乏人だもん。だけど金持ちがいなくなった後の混乱に巻き込まれるのは確かに嫌ですので、腹立ちますけどたのむから出入金の管理は怠らないでくれよと思わずにいられません。そして「金持ちさんたら貧乏人」という言葉でこの歌は終わります。むむ?金持ちさんなんだけど、実は資金繰りが大変で内情は火の車?これはヤバいかもしれません。富裕層といえどもともと根は貧乏人、いつ卑怯な財産隠しに手を染めるか分かったものじゃない……手形飛ばし・夜逃げにも時効というものがありまして、その間債権者に見つからず遊んでいられるだけの財産を隠しておけば楽勝で借金はチャラになるのですから、外国にでも身を隠しておけばいいのかもしれません、いや、やったことないですからわかりませんけど(笑)。年金とか子どもの就学とかいろいろありますから、役所にだけは届け出をしないといけないですし、逃げ切るのは正直ムリなんじゃないかなー、年金とか保険とか義務教育とかそういうものを全部捨てて完全無視する覚悟があれば話は別なのかもわかりませんが……いや、やめといたほうがいいと思います。

思えば、この頃の日本はまだITバブルなど来ておりませんでしたから、IT長者もIT土方もいなかったのです。土地バブルで盛り上がった人と、そこから一気に落ちた人、なんとか持ちこたえた人、みたいなのがいましたが……みんなもとは平民です。苗字が伊集院とか西園寺とか九条とかじゃありません。ちなみにそういうお公家さんたちもみんな律令時代後半からずっと不景気ですので(笑)、日本はずっと平民の商売人が上がったり下がったりしているわけで、根っからの金持ちというのはごく僅かなのです。格差格差といいますがそんなのはレース中の現在位置に不満といっているだけのことで、ある意味とても平等な社会ということができるでしょう。チャンスは誰にでもある!成功するのは数百年に一度かもしれませんが(笑)。ですから貧乏人も金持ちですし金持ちさんも貧乏人ですし、金持ちさんちに貧乏人が住んでいることだってあるでしょう。大した違いではないのです。

そして「貧乏人!」と叫んだダブルボーカルでブレイク、アコギのアルペジオにエレキのソロで曲は終わりまして、「ハイ!」と声が入ります。次の「MR.LONELY」にこのまま入るぜ!という意味なのでしょうか、まるでセッションしているような臨場感です。さっきまで「久しぶりだなあ」「緊張するなあ」といっていたのにノリノリなのでした。

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2023年02月12日

CHU CHU


玉置浩二『JUNK LAND』十曲目「CHU CHU」です。コメントで教えていただいたのですが缶コーヒーJIVEのCMソングでした。The Archive of Softdrinksさんによると、JIVEは2003-4年で販売終了だったようです。うーむもう20年も前か!当時はBOSSが登場して一気に缶コーヒーブームだったんですが、いまやコンビニコーヒーにシェアを奪われだいぶ細々とした感じになってしまっています。

我が愛しのフラッグ」から続く蝉時雨を一気に切り裂くギターの「ジャイーン!」で曲は始まります。武沢さんもそうなんですが、どうしてこんな残酷な音が出せるのでしょう。わたくしの知ってるギターとは違う楽器なんじゃないかと思うくらいです。

玉置さんのボーカル「CHU CHU」が始まり、背景にギター、ハイハット、バスドラとタム、そして……木琴ですかね?テケテケテッテという癖になる音が入っています。主旋律は何の楽器なのか……まったくわかりませんがおそらくキーボードで出したシンセの音でしょう。「……〇×△行くか!(よしそろそろ行くか?)」という玉置さんの声があって須藤さんのベースと安藤さんのピアノが入り、スネアを合図に歌が始まります。

「あのつまらない毎日が素晴らしい」ぬお!1997年秋、つまらない日々をむさぼり、その日々が終わろうとしていることに寂しさを覚えつつ、その日々を閉じる準備をしていたわたくしにクリティカルヒットでした。なぜ泣かせる!何の解決にもならないゴタクを並べていた仲間たちも次々と街を去っていった、ちょうどそんな時期に、よりにもよって……。

当時のわたくし、「つまらない毎日」の閉じ方がわからず、とりあえず必要とされる本を買わなくてはならないのにその金もなく、パチンコ屋に駆け込んでなんとか本代を工面することに成功し、読みふけっている最中でした。この本を読んで、そしてなにがしかの文章を書けばこの毎日は終わってしまう、じゃあ読まなければいいんじゃないか?でもおれが読まない書かないでやり過ごしたとして何が残る?みんないなくなるんだ。残された者とこの日々を続けるか?いや、そいつらもいずれいなくなる。じゃあそれでも残っているやつらと……そんな児童会にいつまでも顔を出すウザい中学生みたいなことしてられっか!ああああ、やっぱ読むしかないよな……などと、頭の中グルグルさせながらひたすらわけのわからない本を読み、飯を食い、洗濯をして、また読んでいました。

「つまらない毎日」は素晴らしかったのです。ああでもないこうでもない、ああでもあるこうでもある、言葉だけが飛び交い中身は何にもない、なくっても構わないのに大問題であるかのように思っているあの毎日、この毎日は夢なんだとわかっていたつもりで、実は全然わかっていなかった……「何のー解決にも、ならないってく」「やんでたー」という当時の人には思いつかない譜割を見事なハモリで歌う玉置さんのボーカルに、自分がいま終わらせようとしている日々がどんなものであるか教えられたような気がしたものです。

場面転換を彩るギターのフレーズ、曲はペースアップ、「自然に」「真剣に」「泣いてりゃいい」「悩んでていい」の組み合わせでわたくしのような迷子の人生を導きます。これまでも十分キャッチーで曲の冒頭からいきなりサビかと思っていたら、実はここからがサビでした的なダブルサビ構成で一気に駆け抜けます。演奏はライドシンバルの連打とアコギのストロークを入れたのか、にぎやかさと疾走感がいや増しています。

素直になれることに自然に泣く……何の得にもならないことに悩む……君と僕で……それでいい、それでいいんだ……

このメッセージは、見栄と向上心と退廃とムダとがドロドロに混在していた青年時代、奇しくもそれに重なった90年代後半の混沌とが相まって、世の中も人生も真っ暗に思えていたのに街はムダにビカビカと安っぽい光で満たされている、そのギャップが生活環境となっていたわたくしにとって、導きの光のように思えました。現代の若い皆さんはご存知ないでしょうけども、90年代は新興宗教ブームで、テロ事件で大騒ぎになったあの教団以外にも、大小さまざまな団体によりさまざまな問題が毎月のように起こされていたのです。ですから当時の若者はそういうものに近づかない!貝になる!という態度を決め込んでいたのです。ほとんどの勧誘は教団の思惑を知らない末端の信者によって善意で行われていたでしょうし、なかには本当に癒しと救いを与えてくれようとした手もさしのべられていたのかもしれませんが、そんなの区別がつくわけありませんから、すべて撥ねつけていました。そうやって自分を守らなくてはならなかったのです。ちょっと大きな駅や交差点には必ず勧誘の人たちが毎日スタンバイしていましたからね。後ろからトントンと背中を叩かれ振り向けばベレー帽をかぶったなにやら可愛らしい女の子がまっすぐに目をみつめてきてニコッと微笑んだかと思うと、私の手を取りボールペンを二本渡してきて、よくみるとテレクラのボールペンだった!きゃーこしゃくなTELクラブかー!感情線で待ちぼうけよー!なんて日常茶飯事です。ゲシュタルト崩壊まっしぐらという雰囲気ただよう世紀末だったのです。とはいえ可愛らしい女の子から折角もらったボールペンですから、例の本を読みながらメモを取るのにしばらく使わせていただきました(笑)。

素直になれること、それは……何の得にもならないこと、それは……とわたくし、本を読みながら考えました。その本は、パチンコで勝った金で手に入れたというダメダメな素性にもかかわらず、わたくしの思考回路をもの凄い速さで回転させてくれました。「つまらない毎日」を数年続けたためにすっかり錆びついた歯車に油をさし、燃料を補給し、そしてプラグに電流を流してくれたのです。そして、音楽は趣味だ、自分の仕事にしてはいけないと思い至ったのでした。人生の転換点といってもいいでしょう。自分の適性やら嗜好性やらからするとわたしが積み重ねるべきことは音楽じゃない、とはっきり分かったのでした。

オッサンが何くだらねえ自分がたりしてんだよとお思いになるのは当然です。ですが、これは多くの人と共有すべき点を含まないでもないのです。もし、わたしがこの時点でこのように思い至れずに音楽の世界を突っ走り、そしていつまでも評価されないと悩み続けていたとしたら……うっかり一発でも当ててしまってその後全然さっぱりになってしまって絶望に苛まれていたとしたら……もしかしたらその先には、あのベレー帽の女の子の微笑みが……ではなく(笑)、偽りの癒しと救いを与えたくて手をこまねいてスタンバイしていたフェイクヒーラー(メタルチャーチ)の彼ら彼女らに取り込まれていたのかもしれないのです。「きみの夢を応援」「生きがい」「自己実現」「なりたい自分に」「キャリア開発」などといううさん臭さ抜群のキャリア産業が看過できない規模の勢力となった現代にあって、これは多くの人に訪れ得る危機といっても過言ではないでしょう。どこの世界によく知りもしない赤の他人の人生に「寄り添う」やつがいる?自分でとことん考えるしかないんだ!真剣に悩むしかないんだ!どんなに悩みが辛くても苦しくても他人にその判断を求めてはいけない!自分にしっくりくるもの、「素直になれること」「泣いてりゃいい」と思えるものに、自然な反応を示すのがベストなんだと、玉置さんは訴えているようにわたしには聴こえてならないのです。

曲は前奏にプラスアルファの「CHU CHU」で二番に入っていきます。

「楽しんでいられなくなる」のは、どうしても何も、人は変わっていくからです。成長するからです。頭の回転を速くする方向に成長することもあれば、身体能力が高くなる方向に成長することもあるでしょう。そうなると、見えるもの、考えることが変わってくるのは当然です。そしてそれは一人ひとり違うのですから、いまの仲間たちはいずれ去ります。そして新たな人たちと新しい人生を作り始めますが、やがてその人たちも去ります。仕方ありません。見えるものも考えることも違うからです。「ダメなんだ」のはどうしてもなにも、変わってしまうからです。「雨に濡れちゃ」った「かけずりまわっていたあいつ」のことも助けてあげられません。助けるには、こっちが見えているものを見ないことにするしかないのです。それは、自分の成長を否定し、人生を放棄して、「あいつ」に捧げてしまうことです。その覚悟がなければ、けっして本当の意味で助けることなどできはしません。それは悲しいことです。タブルボーカルの玉置さんがその悲しさを切々と語ります。これは軽快な曲調とは裏腹に楽しい歌などではなく、変わりゆく自分と人生とを悲しむと言っては言いすぎでしょうが、少なくとも前向きな歌ではありません。切ない歌なのです。

「雨に濡れちゃっても」で一番よりも時間を使ったはっきりしたブレイクがあってまた「自然に」が始まります。ほとんど歌詞は一番と同じですが、「何の為にもならないことに」だけが変わっています。得になること為になることしかしてはいけない的ビームが頭上を飛び交う現代、「コスパ」だとか「タイパ」のようなゾッとする生き方を示唆する醜悪な言葉が飛び交う現代、何の得にもならないことでもいい、何の為にもならないことでもいいと、歌詞をそこだけ変化させることによって浮かび上がらせて玉置さんは力説するのです。

CHU CHU……Thank you John,でしょうか、玉置さんが歌うジョンはレノンしかいないとわたくし勝手に思っておりますが、狂熱のビートルズ全盛期を乗り越えたレノンの生き方はまさに、現代でいえばコスパタイパ完全無視の、傍からは迷惑なんじゃないかってくらい自分に自然な生き方を求めたのでした。軽井沢に避暑に訪れ、ヨーコやショーンと一緒にゆっくりと滞在を楽しみ、ロイヤルミルクティーを飲み……LOVE & PEACEを求めたのです。

木琴が鳴り響き、玉置さんが「自然に真剣に」と繰り返し強調します。スネアが入り「素直に」「素直に」「素直に」……

人生、マジになろうぜ。他人のいうことを真に受けてどうする。誰もがいずれ「雨になっても」「知らんぷり」で去るしかない人生なんだ。自分の人生、自分にしか「自然に」「素直に」なれるピンポイントのことはわからないんだ……迷惑になるかもしれない?それはそうだ。でも、迷惑を避けるように調整するか、迷惑をかけちゃってすべての後始末をするか、どっちかしかないんだ……。これは悲しき真理です。悲しいけれども、でも素晴らしき哉人生、だからこそ新たな出逢いがあって新たな展開がスタートするわけですから、恐れて立ち止まってばかりでもいられません。時代はときに残酷なくらい確実にわたしたちを導きますけども、それはごくごく自然なことだったのです。

かくしてベレー帽のお姉さんにもフェイクヒーラーにも近づかなかったわたくしですが、「ジャイーン!」と時を刻む残酷なギターによって前後が切り取られたこの曲は、そのいっときの悲しさとさみしさ、それと同時に垣間見える希望を意味しているのだろう……玉置さんの爆笑で終わるこの曲には、アイロニカルな笑いでなく、明るい未来を意味する笑いが似合うとわたくし思うのです。



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posted by toba2016 at 12:16| Comment(6) | TrackBack(0) | JUNK LAND

2023年02月04日

風にさらわれて


玉置浩二『JUNK LAND』九曲目「風にさらわれて」です。JUN TAKEUCHI STRINGSがクレジットされています。

前曲「我が愛しのフラッグ」ラスト、蝉時雨と猫鈴のような音がやまぬうちにアコギのリフでこの曲は始まります。玉置さんのひと唸り、ピアノ、ストリングスが瞬く間に入り、前奏と言えるほどの長さももたぬままストリングスはいったん止み、玉置さんの歌が始まります。

「あのローカル線の〜」という言葉でたちまち意識は旭川に跳びます。安全地帯の合宿所があった永山にのびる宗谷本線が新旭川で石北本線と分かれて、南永山、東旭川へと走っていきます。いまGoogleマップで観るとシネプレックス旭川なんてものができていてちょっとした街みたいになっていますが……このあたり、記憶をたどると一面水田だったような気が……イヤ北海道特有の荒れ地だったか……するのです。東旭川なんて、ほんとに周りなんにもありませんでした。そして電車が旭川に向かう途中、いや電車だったか汽車だったか記憶は定かじゃないですが(笑)、ともかく少しの間国道39号沿いの街並みを走ります。そして39号は繁華街へと曲がってゆき、電車は道北随一の巨大ターミナル、旭川駅へと向かうのです……。

北海道人にとって都市部の列車は速いです。さかさかと走ります。通勤通学に多くの人をさばいているからでしょうね。これが余市より向こうの函館本線とか、先日大リストラにあった日高本線とか胆振線とかだと、もっとキビキビ走れねえかな!とイライラしちゃいます。ですが、必要もないのに急発進急加速急制動を繰り返して車両を消耗させることはありません。それは合理的なのです。「ローカル線」にもこのように多種多様であって、その中に玉置さんが歌った「ローカル線」が入っているのだと思います。安藤さんが弾くピアノのストローク、それにあおりを入れる玉置さんのギターは、その遅いほうを思わせます。

「鉄は錆びついて〜」と序盤なのにいきなりハモリを入れます。セオリー無視というか、聴いてみるとここにハモリを入れずしてどうする!というくらいハマってますね。この曲は、半分くらいハモリが入っていて、もうハモリのほうが通常なんじゃないかってくらいになっています。ハモリによってハモリでないところとのコントラストが生まれ、むしろハモリでないところの鮮やかさが際立つという、ビートルズを彷彿とさせるスタイルでこの歌は紡がれていきます。

あの頃の鉄は錆び、石は砕けてすっかり姿を変えてしまっています。子どもの頃に聴いた祭りばやしも(永山神社例祭ですかね……)車窓を切ってゆく風の音にかき消されてゆき、もう思い出すことができません……。そんな情景をすっかり変わってしまった景色の中に見るのです。「Yeah」と長く伸ばし、一瞬ブレイクがあってから曲は突如サビに入ります。ここ、わたくしギターをボロンボロン弾きながら歌ってみるんですが、かならず失敗します(笑)。そうです、ここは転調なのです。半音一音上がるけど相対的には同じままズレるだけじゃありません。ドレミファソラシドの位置がまるきり変わるのです。半音階の位置が変わるのです。大事件なのです。つまりどういうことかというと音痴なので変化についていけないのです(笑)。安全地帯の頃には頻繁にあったのですが玉置ソロではあまりなかった気がするのでひさしぶりのショック!でも玉置さんの曲がスーパーナイスであることにはなんにも関係がないので、わたしがヘボだとバレただけでした。

曲調も変わりましたが、情景もさらに少年期へと遡っていきます。野球少年だった玉置さんが、空にボールを投げてボールを失った思い出が歌われます。わたくしも誰も来なかった公園で自分でフライ上げて自分で取ったりしてました。わたしがやると惨めくさいだけですが(笑)、玉置さんの思い出だと青い空にまぶしい太陽、そしてどこまでも飛んで行くボールが爽やかに心に浮かぶのが不思議です。竹内ストリングスの魔力でしょうか。いや、これは玉置さん自身の魅力と歌の力ですね。須藤さんのベースが見事なフックを作っているのも見逃せません。

曲は二番、須藤さんのベースが引き続き曲をリードします。二番かと思っていたら「ダダダーン!」と展開が入って「別れはやっぱりつらい」と切ないセリフでブリッジが途切れます。ぶつんと途切れるのでなく、ごく自然に、別れの辛さを描き出す大音量のストリングスとガットギターのソロへと流れてゆきます。

そしてまた泥だらけの手でボールを投げます。さっきは気づかなかった「woo---yeahyeahyeah」の強さ!失われたボールは、別れた人たちでもある……彼らは泥だらけのぼくと一緒にいてくれて、そして豊かな時を過ごしたんだ、だけどいつか、ちょっとしたすれ違いで去っていってしまった……まだまだ一緒にいたかったのに……ぼくは草むらの中、ベンチの下、そして川の水面にきみを探すけども、空に吸い込まれて消えてしまったとしか思えないほど、どんなに探してもみつからないんだ……「woo---yeahyeahyeah」はそんな悲しみを言葉にならない叫びとリズムで表現していたんだ!と気づかされるのです。

曲は一転、ピアノとアコギのアルペジオだけになり、玉置さんのハモリでない歌がクリアに響きます。「楽になりたくて人を許してしまおう」としたけどできなかった……なんという辛さ!エレキギターのアオリが入り、須藤さんのベースが「ドーン!」と入ったかと思うとストリングスが見事なクレシェンドで入ってきて、玉置さんのハモリがさらに入り「今はもう」と無念そうながらに懐かしそうな、不思議な悔恨とも惜別とも望郷ともつかぬ、すこしだけ温かさを感じるくらいにはふるさとに癒された玉置さんの、それでもいまだ強い後悔が胸をうちます。

「楽になりたくて人を許してしまおう」

ハモリでなく歌われたこの詞に、わたくし初聴時から打ちのめされました。初めて聴いたときに打ちのめされるのは、松井さん時代以来かもしれません。玉置さんソロの曲はだいたい、わたくし最初は馴染みがそれほどよくないんです。二回目聴いてむおお!とやっとわかり、何度も聴いて味わい尽くすというリスニングスタイルを採ってきました。それは、松井さんの歌詞と玉置さんの歌詞が、メロディーやリズムとの組み合わせ方、設計思想が異なるからだったのかもしれません。玉置さんの歌詞に一発KOされることはほとんどありませんでしたが、このアルバムではダウンを取られてあやういラウンドがいくつか出てきていたのです。ここへきて、スーパーメガトンパンチをくらって沈むことになりました……。

わたくし、こうみえて論理と倫理、そして義理を愛する人間です、いや、笑わんでください(笑)。ご存知のように音楽ではワガママ一杯ですが、日常生活や仕事では自分の好き嫌いでものごとを判断することはほとんどないのです。いや、ホントですって!、で、ですから、好き嫌いで曲がったことを押し通そうとする人間には基本近づかないようにしております。頭にくるだけですから。そうして前科者認定した人にもあまり近づきません。その人が変わる見込みはないし、こっちが降りて行って合わせる義理はまったくないからです。

ですが、そういう生き方をすることで、ちょっと世界が狭くなることはあるんですよね。絶対にまた頭にきて離れるに決まっているのに、それはまあ落とし前はいったん保留にして、もう一度その人と何かを始めてみようかと思うこともあるのです。許すまでは行かなくても(笑)。

許しちゃうとラクですよね。「始めた頃に一緒に」です。それはわかっています。でもできないです。このもどかしさ!もしかしておれが異常にガンコなだけか?いやそんなことないだろあれだけの不義理を許すほうがおかしい……と苦しみます。相手はどう思っているのか知りませんが飄々としています。ああ、この苦しみは、おれの側だけにある。原因はあやつでも、苦しさはおれの内部で起こっている。その苦しさをなくす手っ取り早い方法は、こちら側だけで苦しみという現象を解消してしまうこと、つまり許してしまうことだ……わかる!わかるよ玉置さん!と勝手に大共感してしまったのでした。ここにおいて、わたしが心の底で松井さんの詞を求めていた気持ちが消えて、完全に現代玉置さんにシンクロできたターニングポイントだったといってもいいかもしれません。そんな記念碑的な曲なのでした。

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posted by toba2016 at 16:30| Comment(2) | TrackBack(0) | JUNK LAND