玉置浩二『JUNK LAND』九曲目「風にさらわれて」です。JUN TAKEUCHI STRINGSがクレジットされています。
前曲「我が愛しのフラッグ」ラスト、蝉時雨と猫鈴のような音がやまぬうちにアコギのリフでこの曲は始まります。玉置さんのひと唸り、ピアノ、ストリングスが瞬く間に入り、前奏と言えるほどの長さももたぬままストリングスはいったん止み、玉置さんの歌が始まります。
「あのローカル線の〜」という言葉でたちまち意識は旭川に跳びます。安全地帯の合宿所があった永山にのびる宗谷本線が新旭川で石北本線と分かれて、南永山、東旭川へと走っていきます。いまGoogleマップで観るとシネプレックス旭川なんてものができていてちょっとした街みたいになっていますが……このあたり、記憶をたどると一面水田だったような気が……イヤ北海道特有の荒れ地だったか……するのです。東旭川なんて、ほんとに周りなんにもありませんでした。そして電車が旭川に向かう途中、いや電車だったか汽車だったか記憶は定かじゃないですが(笑)、ともかく少しの間国道39号沿いの街並みを走ります。そして39号は繁華街へと曲がってゆき、電車は道北随一の巨大ターミナル、旭川駅へと向かうのです……。
北海道人にとって都市部の列車は速いです。さかさかと走ります。通勤通学に多くの人をさばいているからでしょうね。これが余市より向こうの函館本線とか、先日大リストラにあった日高本線とか胆振線とかだと、もっとキビキビ走れねえかな!とイライラしちゃいます。ですが、必要もないのに急発進急加速急制動を繰り返して車両を消耗させることはありません。それは合理的なのです。「ローカル線」にもこのように多種多様であって、その中に玉置さんが歌った「ローカル線」が入っているのだと思います。安藤さんが弾くピアノのストローク、それにあおりを入れる玉置さんのギターは、その遅いほうを思わせます。
「鉄は錆びついて〜」と序盤なのにいきなりハモリを入れます。セオリー無視というか、聴いてみるとここにハモリを入れずしてどうする!というくらいハマってますね。この曲は、半分くらいハモリが入っていて、もうハモリのほうが通常なんじゃないかってくらいになっています。ハモリによってハモリでないところとのコントラストが生まれ、むしろハモリでないところの鮮やかさが際立つという、ビートルズを彷彿とさせるスタイルでこの歌は紡がれていきます。
あの頃の鉄は錆び、石は砕けてすっかり姿を変えてしまっています。子どもの頃に聴いた祭りばやしも(永山神社例祭ですかね……)車窓を切ってゆく風の音にかき消されてゆき、もう思い出すことができません……。そんな情景をすっかり変わってしまった景色の中に見るのです。「Yeah」と長く伸ばし、一瞬ブレイクがあってから曲は突如サビに入ります。ここ、わたくしギターをボロンボロン弾きながら歌ってみるんですが、かならず失敗します(笑)。そうです、ここは転調なのです。半音一音上がるけど相対的には同じままズレるだけじゃありません。ドレミファソラシドの位置がまるきり変わるのです。半音階の位置が変わるのです。大事件なのです。つまりどういうことかというと音痴なので変化についていけないのです(笑)。安全地帯の頃には頻繁にあったのですが玉置ソロではあまりなかった気がするのでひさしぶりのショック!でも玉置さんの曲がスーパーナイスであることにはなんにも関係がないので、わたしがヘボだとバレただけでした。
曲調も変わりましたが、情景もさらに少年期へと遡っていきます。野球少年だった玉置さんが、空にボールを投げてボールを失った思い出が歌われます。わたくしも誰も来なかった公園で自分でフライ上げて自分で取ったりしてました。わたしがやると惨めくさいだけですが(笑)、玉置さんの思い出だと青い空にまぶしい太陽、そしてどこまでも飛んで行くボールが爽やかに心に浮かぶのが不思議です。竹内ストリングスの魔力でしょうか。いや、これは玉置さん自身の魅力と歌の力ですね。須藤さんのベースが見事なフックを作っているのも見逃せません。
曲は二番、須藤さんのベースが引き続き曲をリードします。二番かと思っていたら「ダダダーン!」と展開が入って「別れはやっぱりつらい」と切ないセリフでブリッジが途切れます。ぶつんと途切れるのでなく、ごく自然に、別れの辛さを描き出す大音量のストリングスとガットギターのソロへと流れてゆきます。
そしてまた泥だらけの手でボールを投げます。さっきは気づかなかった「woo---yeahyeahyeah」の強さ!失われたボールは、別れた人たちでもある……彼らは泥だらけのぼくと一緒にいてくれて、そして豊かな時を過ごしたんだ、だけどいつか、ちょっとしたすれ違いで去っていってしまった……まだまだ一緒にいたかったのに……ぼくは草むらの中、ベンチの下、そして川の水面にきみを探すけども、空に吸い込まれて消えてしまったとしか思えないほど、どんなに探してもみつからないんだ……「woo---yeahyeahyeah」はそんな悲しみを言葉にならない叫びとリズムで表現していたんだ!と気づかされるのです。
曲は一転、ピアノとアコギのアルペジオだけになり、玉置さんのハモリでない歌がクリアに響きます。「楽になりたくて人を許してしまおう」としたけどできなかった……なんという辛さ!エレキギターのアオリが入り、須藤さんのベースが「ドーン!」と入ったかと思うとストリングスが見事なクレシェンドで入ってきて、玉置さんのハモリがさらに入り「今はもう」と無念そうながらに懐かしそうな、不思議な悔恨とも惜別とも望郷ともつかぬ、すこしだけ温かさを感じるくらいにはふるさとに癒された玉置さんの、それでもいまだ強い後悔が胸をうちます。
「楽になりたくて人を許してしまおう」
ハモリでなく歌われたこの詞に、わたくし初聴時から打ちのめされました。初めて聴いたときに打ちのめされるのは、松井さん時代以来かもしれません。玉置さんソロの曲はだいたい、わたくし最初は馴染みがそれほどよくないんです。二回目聴いてむおお!とやっとわかり、何度も聴いて味わい尽くすというリスニングスタイルを採ってきました。それは、松井さんの歌詞と玉置さんの歌詞が、メロディーやリズムとの組み合わせ方、設計思想が異なるからだったのかもしれません。玉置さんの歌詞に一発KOされることはほとんどありませんでしたが、このアルバムではダウンを取られてあやういラウンドがいくつか出てきていたのです。ここへきて、スーパーメガトンパンチをくらって沈むことになりました……。
わたくし、こうみえて論理と倫理、そして義理を愛する人間です、いや、笑わんでください(笑)。ご存知のように音楽ではワガママ一杯ですが、日常生活や仕事では自分の好き嫌いでものごとを判断することはほとんどないのです。いや、ホントですって!、で、ですから、好き嫌いで曲がったことを押し通そうとする人間には基本近づかないようにしております。頭にくるだけですから。そうして前科者認定した人にもあまり近づきません。その人が変わる見込みはないし、こっちが降りて行って合わせる義理はまったくないからです。
ですが、そういう生き方をすることで、ちょっと世界が狭くなることはあるんですよね。絶対にまた頭にきて離れるに決まっているのに、それはまあ落とし前はいったん保留にして、もう一度その人と何かを始めてみようかと思うこともあるのです。許すまでは行かなくても(笑)。
許しちゃうとラクですよね。「始めた頃に一緒に」です。それはわかっています。でもできないです。このもどかしさ!もしかしておれが異常にガンコなだけか?いやそんなことないだろあれだけの不義理を許すほうがおかしい……と苦しみます。相手はどう思っているのか知りませんが飄々としています。ああ、この苦しみは、おれの側だけにある。原因はあやつでも、苦しさはおれの内部で起こっている。その苦しさをなくす手っ取り早い方法は、こちら側だけで苦しみという現象を解消してしまうこと、つまり許してしまうことだ……わかる!わかるよ玉置さん!と勝手に大共感してしまったのでした。ここにおいて、わたしが心の底で松井さんの詞を求めていた気持ちが消えて、完全に現代玉置さんにシンクロできたターニングポイントだったといってもいいかもしれません。そんな記念碑的な曲なのでした。
価格:2,666円 |
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これきっと気にいるから聴いてみてくれ、安全地帯みたいにいい歌!と渡されたCDがあって、聴いて呆れ果てたことがありますが、誰の曲かは黙っておくのが吉でしょうねえ(笑)。あれは酷かった……。
確かに今の曲はリズムはいいところついてると思いますが、覚え辛い(笑)
いいか悪いかは置いといて、私なりに設けている良い楽曲の基準は誰もが良いと思えるものです。ですから、難しくして覚えにくかったり、敢えて違すぎるとこに行ったりしてるものは良いと思いません。流行ってるから、人気があるからよいのではなくて、本当に心に落ちたか?心揺さぶられたかが、基準です。
音楽は理屈ではなく目で譜面に書いてあるものを追いかけてやるものでもなく、ハマクラさんの著書にも書いてありましたが、瞑想するものだと私も信じています。