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安全地帯・玉置浩二の音楽を語るブログ、管理人のトバです。安全地帯・玉置浩二の音楽こそが至高!と信じ続けて四十年くらい経ちました。よくそんなに信じられるものだと、自分でも驚きです。
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2021年09月11日

大切な時間


玉置浩二『あこがれ』十曲目、すなわちラストチューン、「大切な時間」(「時間」と書いて「とき」と読みます)です。

お気づきの方も多いかと思いますが、この曲は売られている曲の中で初めて玉置さんが詞をお書きになった曲です。なぜ!ここまで須藤ワールド全開で来て、なぜここで玉置さんの詞を出す?作詞の手練れである須藤さんがありとあらゆる天才的なワザをここまで繰り広げてきたのに、ここで初作詞の玉置さんが、かなりの素朴な歌詞を付け加えたのはなぜだ?ちょっと混乱します。

まったくの推測なのですが、これは玉置さんが「付け加えた」のではなく、最初からあったのではないかと思うのです。というのは、この曲(弾き語り部分)が最初にあって、それを星さんがインスト化・オーケストレーションにしたのが後半部分、その過程で三拍子になり、それをあっさりめのピアノ曲にリアレンジしたのが一曲目の「あこがれ」、ああ、じゃあこの二曲で最初と最後にして、この間に色々な曲を入れていこう、さいわいバラードたくさんできてるし……作詞はこの調子で書いていたら間に合わないよな……誰に頼もうか……須藤さんって人がいるんだけどどうかな?じゃあお願いしてみようか、わあ須藤さんの歌詞最高だ!もう残り全部お願いしちゃおう!という順番でできたのがこのアルバムなんじゃないかと思えるのです。まるっきりの推測なんですが。須藤さんの歌詞を先にみて、じゃあおれも一曲アマチュア以来ひさしぶりに書いてみようかな、という気持ちにはなりにくいんじゃないかなと思います、さすがに。つまり、この「大切な時間」プラスアルファを作った時点で、アルバムの設計思想はほぼ完成していた、そこに後から加わった須藤さんが残りの曲に最高の歌詞を書いたという推測です。

玉置さんの歌詞が拙いというわけではありません。むしろ、素朴で心に響くことばたちであり、そして当然といや当然ですが曲にピタリと合っています。私の推測が正しければですが、もしかして須藤さんもこの詞をみて玉置さんの曲にドンピシャに合うことばを探していったのではないかと思うくらいです。

安全地帯には決してない、つまり松井さんにはなかった、玉置さんの素朴な素朴な心そのままの歌詞であるように思えるのです。松井さんだとどうしても美しすぎるのです。いや、松井さんは玉置さんのこころをより鋭くより繊細にとらえていたというべきでしょうか。玉置さんの、心の中にあるワンシーンをより的確に表現していたのは松井さんだったのかもしれません。その集大成となる『太陽』では信じがたいまでにそのシンクロ度は高まっていて、玉置さんも「参ったな……五郎ちゃんには見事に見破られちゃってるよ……そうそう、こうなんだよな……」という気持ちだったのかもしれません。ですが、玉置さんはこの時期、そういう心的シーン的意味でのリアルなことばではなく、別な方面、瞬間瞬間の精神状態的なリアルさ、つまり一つひとつはとても素朴な心情の表現、それらを紡いでいくとシーンになるけれども、そうなる前の心情を歌うための歌詞を求めて、自分でこの「大切な時間」をお書きになったのではないかと思うのです。

「痒いところに手が届いていながら、かえって癪に触ったりするみたいな、ちょっと近親憎悪的な関係」と松井さんが表現なさったように(『幸せになるために生まれてきたんだから』より)、松井さんの歌詞がパーフェクトであったからこそ、玉置さんはそれに耐えられなくなってきた、だから自分で歌詞を書いてみた、その意図をくみ取った星さんによって須藤さんが呼ばれ、玉置さんの詞を見た須藤さんがその詞に現れた傾向を読み取り残りの曲に詞を書いていった……なんてこった、自分で書いておきながらけっこうそれらしい推測に自分でビックリです(笑)。例によってなんの確証もありませんので、どうかこれを真相だなどとお思いにならないようにご注意ください!

さて曲は、オルゴールのようなベル音で始まり、すぐに玉置さんのガットギターによる弾き語りへと続いていきます。曲と歌詞が一体化した、素晴らしい弾き語りです。「うれしくて」の裏でギターがそのメロディーをなぞるところなんて背筋がゾクゾクします。時折混ざる弦をはじく音、これは場合によってはノイズとして処理されてしまう音だと思うんですが、それすら玉置さんの歌とのあわせ技によって必然性ある音であるように聴こえてくるのです。

「うれしくて泣いてた」きみに出会えたあの時は、今ではぼくにとっても大切な時間なんだ……なんで「きみ」が泣くほどうれしかったのかはまったくわかりませんが、ひとには、欠けていたピースが奇跡的に見つかったと思える出会いというものがあるものです。いままで息継ぎしないで泳いでいたような感覚を覚えていた「きみ」は、やっとみつけたセーブポイントのような「ぼく」に、わたしを見つけてくれてありがとう!と、最高の笑顔と泣き顔を見せるのです。

曲は金子飛鳥Groupのストリングスをまじえて二番に入ります。そんなふうに出会いを喜んでくれた「きみ」に、「ぼく」はできることを何でもしてあげたいと願います。ひとは、自分が誰かの役に立っていると思うと、心の底から奮い立ち、力を尽くそうと思う生き物であるのかもしれません。そんな出会いは「ぼく」にとっても喜びであって、楽しくて、やさしい気持ちになって、その出会いの日の気持ちをいつまでも持続させたいと願うのです。

もちろん、そんな気持ちが長続きするわけはありません(笑)、いや笑いごとでないですね、でも長続きはしません。「ぼく」も「きみ」も人ですから、出会いの瞬間だけに生きているわけではありません。腹は減るし金は必要だし仕事の締め切りはあるしで、さまざまな制約の只中にあってはじめてその出会いがあったのに、今度はそれらの制約がふたりの時間を変質させてゆくのです。仕方ありません。これはどうしたってそうなのです。よほど強靭な精神力をもって努力すればある程度のテンションを維持できるかもしれませんが、それだっていつかは疲れてしまいます。せいぜい一年か二年でしょう。

ですが、この歌詞は、そんな人の悲しさを感じさせません。いや、示唆はしているのです。なぜなら、「泣いてた」「楽しかった」「やさしかった」「抱きしめたかった」と、すべてが過去形だからです。これらはすべて過ぎ去ったことであり、もう泣いてもいないし、楽しくもないしやさしくもない、そして抱きしめたくもない……のかもしれません。現在はそうでなないんだ、とは一切書いていませんから、すべてがポジティブのまま保たれているのです。過ぎ去った出会いの喜びと、それを保てなかった寂しさ・悲しさはもちろん表裏一体のものですが、この歌はあえて喜びのみを歌うのです。

だんだん大きくなるストリングスをバックに、「抱きしめたかった もう少しだけ」と、いまはすでに叶わない願いをつぶやいて、歌は口笛にバトンタッチ、美麗なストリングスとガットギターの伴奏で、曲はいったん終わります。

そして、「Bye Byeマーチからエンディング」のように、曲は「あこがれ」のオーケストレーションバージョンとでもいうべきストリングスによる後半インスト部に入ります。この美しさといったら……息をのみます。とりわけ最低音部の動きには、わたくし腰を抜かすんじゃないかと思うくらい胸を揺さぶられました。例によって自分の曲でいつも真似しようとして失敗しています(笑)。最近作った曲でちょっとだけうまくいきましたけど、この記事を書くにあたって凄まじいこの曲を聴き直し、あーまだまだだったと頭を抱えています。

歌詞カードには、この曲からページをめくったところに、玉置さんの「勇気」という詩が掲載されています。わたくしには、この「勇気」が「大切な時間」後半インスト部の歌詞にあたる……いや、歌でないから歌詞というのは変なのですが、歌詞のように曲の精神性を表す言葉であるように思えるのです。

出会いがあって、とびきりの笑顔を見せてくれた「きみ」の夢を叶えたいと思った、うれしくて楽しかったあの日をいつまでも続けたいと願った、だけど人の制約は容赦なくそんな願いを削ってゆく、だけどそんな悲しき変化の中にあっても、悲しませたくない、だから変わらない強さがほしい、変わらずに「きみ」をいつでもあたたかい気持ちにさせる「ぼく」でいられるよう、強い気持ちをもちつづける決心をしつづけたい、それはきっと「勇気」と呼ぶべきものなのだと思うからなのです。

さて、このアルバムもとうとう終わりました。この年、1993年はコメは大凶作でしたがアルバム的には豊作の年でして、八月に『安全地帯ベスト2 〜ひとりぼっちのエール〜』、そのわずか一か月後に『カリント工場の煙突の上に』がリリースされます。ですから、当ブログでは先に『安全地帯ベスト2 〜ひとりぼっちのエール〜』の未レビュー曲を三曲扱ってから、『カリント工場の煙突の上に』に入りたいと思います。どうかひきつづきご愛顧ください。

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僕は泣いてる

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玉置浩二『あこがれ』九曲目「僕は泣いてる」です。

シンセサイザーのクレジットはなく、清水さんのピアノ(生ピアノとエレピ)、金子飛鳥Groupのストリングスによる伴奏となっています。

サビ以外ではおおむねエレピによるホワホワした伴奏が強め、その裏側にシン!と響く生ピアノが聴こえますね。その逆にサビでは生ピアノが強めでエレピが裏側に回っているように聴こえます(逆だったらすみません、わたくし耳が悪いんです)。そして金子飛鳥グループのストリングスが高音でこのピアノの位置交代を違和感なく結び付けているようです。

曲はゆったりと、穏やかに始まります。玉置さんの歌もひとこと一言途切れるかのように歌います。曲名でありかつ歌いだしの歌詞が「僕は」「泣いてる」と主語述語の二文節なんですが、玉置さんは一文節ずつ噛みしめるように歌います。そういう気持ちで歌ってもいるのでしょうけども、そもそも作曲の時点からこういう譜割なのでしょうから、須藤さんが曲想からインスピレーションを得てこのように仕組んだのです。偶然そうなったわけではないでしょう。ひとこと一言絞り出すかのように歌う、だから題名も一文を分けて歌うようにする、「〜て」「〜し」と連用つなぎで区切るようにする、という全体のイメージを統一させるというコンセプトを貫徹したのでしょう。歌・アレンジもそれに呼応するかのようにだんだんペースと音量を上げて、しくしく泣きから号泣まで盛り上がっていきます。ちょっとプロフェッショナルすぎて過程を想像するだけでも鳥肌モノです。

かつて松井さんが、自分の名前が見えなくなって、歌手本人がそう言っているんじゃないか、そう思っているんじゃないかというリアルな歌詞を書くという方針を示していた、ということを弊ブログで何度かご紹介したのですが(もちろん元ネタは毎度の『幸せになるために生まれてきたんだから』、そしてインタビュー記事等でも読むことができます)、須藤さんによるこの「僕は泣いてる」は、松井さんの方針を極限まで追究したかのような凄みがあります。安全地帯時代や、『All I Do』時代の玉置さんの歌は、どこか周囲に遠慮したかのような、バンドでの、ビッグソロプロジェクトでの、「みんなでやる」音楽、「みんなに届ける」音楽的なものだったと思えるのです。それはもちろん松井さんも意識されたでしょうから、「ひとりぼっちの虹」「時計」「Time」といったような、目立たない位置にあって、かつ少人数で録音されたような曲ではこうした玉置さんのパーソナルな感情的なものを前面に押し立てた歌詞をお書きになられていたのだと思います。松井さんは安全地帯チームのありとあらゆる機微をご存知の超重要メンバーですからそうした視点の使い分けすらなさっていたのですけども、須藤さんにははじめからそんなこと関係ありません。眼中にないんです。「安全地帯には興味がない」と言ってしまうひとですし、忖度というものがありません。ガンガンと玉置さんの超個人的な感情をこれでもか、えいこれでもかと演出します。えっここはチャンピオンベルト奪回のために盛り上がるというストーリーを演出するためにクリンチだろ、肩で息をして睨み合ってちょっとニヤッとして十四ラウンド終了のゴングが鳴るところだろ、とか、関係なくバシーンとアッパーカットをクリーンヒットさせドカドカとラッシュを決めてきます。わたくしすっかりグロッキー、ノックアウトです。十五回戦なのに第九ラウンドですでにテンカウント、タオルを投げる余裕もなくリングに沈みます。

ところで、その須藤さんの詞ですが、「強く 神を 信じ」に、最初ずいぶん驚いたものです。安全地帯や玉置さんの歌で、これまで神仏が登場したことがあったでしょうか。少なくともパッと思いだせる範囲ではなかったように思うのです。ピストルズの「God save the Queen」とかテンプターズの「神様お願い!」等の(どっちも古いなー)歌に登場する「神」やそれに対する信仰的なものは、なんというか、ちょっと甘え過ぎでないですかと思わせるような現世利益的なものだったり、まったく神なんて眼中にないぜ勝手にしやがれ的なアナーキーさを演出するようなものだったりしました(そもそも神は関係なくて「女王陛下バンザイ」ですかね、意味的には)。ところが、ここで登場する「神」は、U2ですかってくらい現世利益的なものでなく、突き放す対象でもなく、ただ敬虔に、ひたすらに信じるだけの対象となる神であるように思えるのです。

僕は泣いてる、というのは、人を愛し、その愛が報われないときに泣いているのでもあるのでしょう。だから現世利益的な意味でいえば神様あんた何の役にも立ってないでしょとか、いまは試練を与えてくださっているわけですねわたしの愛をお試しになられているけど、最後には報われるようにしてくれてるわけでしょ、よーしそれなら信仰しちゃうぞ的な意味かと一瞬思うのですが、どうもそうではありません。報われなくても、うっかり報われても、それはこの信仰とは関係ないんだという強い決意が感じられるのです。「この想い届けたい」ならば、ひざまずき祈っている場合ではありません。さっさと会いに行くか電話かけるか手紙書くかすればいいんです。でも、ひざまずき祈るのです。それは、話したり書いたりすることでは決して通じない想いであることを知っているからなのではないでしょうか。

「なし寄りのあり」「あり寄りのなし」というバカっぽいことばをご存知でしょうか。どっちかはっきりしろい!甘えるな!とオトナなら一蹴するでしょうし、それで正しいと思います(笑)。ですが、人間の心理的事実として、ありとなしの間にそういう段階があるのだとすれば、それを的確に表現したことばであるのかもしれません。使う側は配慮してほしいから甘えていっているだけでしょうから真に受けなくていいと思いますけども、モノのたとえとして、通常のことばでは表現しにくい、あるいはできない心理的状況というものがあるかも、ということなんです。この歌ではそれは深い愛なんですが、人類のもつ言語能力・もしくは非言語的表現能力の限界によって、どうしても相手にわかるように言葉に直して説明できず、こんなときひとは絶望します。そして、人を超えた力の存在を願うのです。それが神だということなんですね。

玉置さんほどの音楽家・歌手であれば、音楽で伝えきれない想いなんて存在するのって訝しく思いたくなるんですが、玉置さんでさえ伝えきれない想いというものがあるとすれば、それはもう、伝えられるとすれば神しかいないんじゃないかと思えてきます。「せつなくて せつなくて」「さみしくて さみしくて」と同じ言葉を繰り返すのは、そのもどかしさを表している、だから客観的に観察してわかる状態として僕は泣いてるというしかないんだと、ひとの抱える限界を表現したかのように思えてきます。まったくすごい歌であり、歌詞です。機動戦士ガンダムの世界ならニュータイプ同士で感じられるかもわかりませんが、あれだって認識能力が拡大しただけであって表現能力が拡大したってわけではなかったはずですから(うろ覚え)、ピキーン!僕は……泣いてる……?って伝わるだけです(笑)。

さて、余談になるかもですが、わたくしこの曲の「面影を追い掛け」と「ひざまずき祈って」の裏、生ピアノで「ズチャッチャッチャー!」というリズムを刻むところが好きで好きで、そこだけ切り取って百回くらいリピート再生したいくらいなのです。しかし、自分の曲にもこういうアレンジを使いまくった……かというと、実はそうでもないのです。似合わないんですよ、絶望的に。わたくしのピアノアレンジ力や演奏力がヘボいということはさておくとしても、このピアノアレンジはこういう極限の表現力を尽くした曲でなければ使えないんじゃないかというくらい、わたくしの曲程度にはとても似合いません。シルクハットにタキシードの紳士が屋台のおでん屋に入るくらい変です。旧ドイツ軍の将校が保育士やってるくらい違和感ありまくりです。そのくらい、玉置さん、須藤さん、星さん、清水さん、金子飛鳥Groupさんの凄まじさをこれでもかと痛感しまくって、もう神に祈って泣きたくなるくらいなのです。

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2021年09月05日

瞳の中の虹

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玉置浩二『あこがれ』八曲目、「瞳の中の虹」です。

「風の谷のナウシカ」「崖の上のポニョ」みたいな「の」二連発のタイトルです。個人的なこだわりですが、わたくしなるべく意味がハッキリしない「の」を使わない、「の」二連発などもってのほかである、という大変不自由なこだわりをもっておりますもので、こういう「の」をみると別の言いかたに言い換えようとしてしまいます。「風がよく吹いている谷に住んでいるナウシカ」とか「崖上部に居座ったポニョ」とか。「気がつくと隣にいるトトロ」「魔女がやっている宅急便」「天空に浮かんでいる城ラピュタ」くらいまでならなんとか対応できますが、ハウルとかそういうロクに観てないやつは困ってしまいます。むむ!あの城はハウルがオーナーなのか?それとも不法占拠しているのか?仮暮らしなのか?関係性がわからないと言い換えようがありません。紅で豚なやつもあんまり観たことないんですが、あれはどのあたりが紅なんでしょう……。

さて「瞳の中の虹」なんですが、これは「の」二連発でもハッキリ意味がわかります。いや、ハッキリはわからないんですが、なんとなく情景が浮かびますね。ずっと昔、夏の日、きみと二人で歩いた街で、夕立の後にふたりで虹を見たね、そんなきみの瞳を覗いてみると、そこに虹が映っていたんだ……い、いかん、この手の話、わたくし超弱いのです。こういう望郷系の話全般に弱いのであって、こういう恋人と夕立の街を歩いたとかそういう経験を思いだして泣けてくるとかではないのが残念ではありますが!(バリバリ夜型ロケンロール)

夕立も、入道雲も、靴の裏が貼りつきそうなアスファルトも日焼けした肩も、その向こうに流れてゆく切り妻屋根の家たちも、みんなみんな、あの時だけの光景です。川島さんのシンセによる蝉時雨、そして「行かないで」で用いられた「シュワー」という音……そこに玉置さんのガットギターで印象的なアルペジオ・リフが入ります。そこに清水さんのエレピが重なり……そこに玉置さんのボーカルで散文詩のように須藤さんが厳選した懐かしワードが……泣かせに来てます!いもしなかった恋人と故郷の街を夏の夕方に歩いたような気がしてなりません!ありもしない思い出を気合で記憶に注入してくるかのようなものすごい威力の歌です。

歌はサビに入り、玉置さんのアルペジオ・リフが下降パターンを主にしたものになります。わたくし初聴時にすっかり参ってしまい、しばらくこればかりコピーしていました。いまでもガットギターがあると最初に弾いてしまうのはこのフレーズです。「ずっと……昔のこと」という、年を重ねれば重ねるほどその意味が深くなる歌詞とともに、脳髄に叩き込まれてしまいました。当時は18歳とか19歳とかですから、ずっと昔っていったって最大で18年とか19年ですけども、現実的には中学生高校生くらいの時ですから4-5年前ですよね。そんなの昔でも何でもないです。もちろん当時の玉置さんならば上京したてのころから10年くらい、旭川時代からは15年とかの重みがあります。それくらいのオトナでなければこの歌はすこしも説得力を持ちません。僕の町は二人の町で、輝いていたんだ、あのころはわからなかったけども、いまならわかるよ……くうー(笑)。

歌は二番に入りまして、また散文詩です。ガラスに貼り付けられた紙の花ってわかりますか。わたくし、近所に一か所だけそういう家がありました。あれは住宅だったのかなんらかの施設だったのか記憶は定かではありませんが……もしかしたら託児所とかだったのかもしれません。ピンクの紙を花形に切り取って窓の向こう側から貼り付けられていました。それ以降見たことがありませんから、ここで強烈に地元の街を思いだします。ねじれた時計台はよくわかりません。何度も同じことを申し上げてくどいですが、わたくしの地元は札幌なので時計台といったらあの時計台なんです。もちろんべつに歪んではいませんでした。ですから、ああいう大仕掛けの時計台のことでなく、風雨雪に耐えてすこし歪んでしまった公園の時計塔くらいのことなんじゃないかなーと思うのです。あれ、悪ガキがドロップキックとかするんでよくへこんだり曲がったりしてるんですよ(笑)。もしかしたらそういう物理的な意味でなくて、記憶の中で何時とかのはっきりした映像はないからハッキリとその形を思い出せないとかそんな意味かもしれませんね。もしくは雨上がりの陽炎的なもので曲がって見えているとか……あ、きっとこれだ(笑)。だって「陽炎坂」ですもの。夕立がやんで陽炎たつ坂を登るとき、アスファルトから立ち上る蒸気と自分たちの汗ばみによる湯気的なもので時計台が曲がって見えて、そんな中でみたガラスに貼り付けられた紙の花の色と、髪飾りの赤と黒のことははっきり覚えている……形は歪むけれど色ははっきり見えて記憶に残っているという、人間の感覚や認識に起こるギャップとかその印象付けの強さとかを見事に切り出して描写しています。なんという表現力!

そして歌は必殺のアルペジオでサビに入ります。歌詞は一番の「僕」を「君」に、「輝いてた」を「きらめいてた」に変えただけです。よくある手法ですが、これは陳腐なのではなく、わざとでしょう。僕の町なら君の町でもある、それが「二人の町」に込められた思いなんだ、ということがこれによりハッキリするのですから。いま僕がその町に行っても、もうそこに「二人の町」はないのです。「君」がいないからです。「君」がいたとしても、いまの君と僕はあのころの君と僕とは違うのですから、もうそこはあの町ではありません。ですから、「ずっと見つからない」んです。人は変わります。「ずっと昔」がどれくらい昔なのかにもよるんですが、どうしても同じではいられません。べつに同じでいたいわけでもないですからいいんですけど、それでも後から振り返ってみると、あのときは、あの町は、楽しかったなあ、ずっとあの頃のままでいたらよかったのになあ、でもそうはいかないもんなあ、と叶うはずもなかった願いをちょっとだけ抱いてしまうのです。

曲は間奏に入ります。サビの歌メロをシンセでなぞるのですが、「シュワー」音とエレピ、そしてガットギターの伴奏と混然一体となった見事な間奏です。ベースにあたる音域の音がないのがまったくすごい!わたくしだったら思いきれずに絶対に隙間を埋めようとしてベースか低音ストリングスを入れるでしょう。要らないのに!こういうところを思い切れるというか、そもそも思いつかないのが天才的なんです。

そしてサビを繰り返します。歌詞カードには「忘れないよ 歌があふれ」と記されているのですが、そこに歌は入っていません。玉置さんのごくごく小さい声で「ずっと…ずっと…」とささやきが入っているのです。録音ミスとかミックスミスってことはないでしょうから、もちろんワザとなのでしょう。もし、ここに歌が入っているバージョンをご存知の方がいらしたら教えてください!ないとは思いますけども、わたくし、『リメンバー・トゥ・リメンバー』でプレスミスというか曲順ミスのバージョンを持っておりますもので(笑)、全くあり得ない話でもないのです。

でもまあ、これは、歌ってみたらしっくりこなかったから「ずっと」とささやいてみたらすごくいい感じにハマったんでこれでいこう!という話になったんだと思います。歌詞的には「ずっと……優しかった二人の町」になって意味は通りますし、ここで言葉にならなくて歌が途切れたという心理的出来事の描写にもなるし、なんだ?と思って歌詞カードを見たら、そうか……歌があふれ、か……これ、つらかったか思いが溢れたかで歌えなかったんだ……と思わせる効果もあります。そんな計算高かったのでなくて、たんにいい感じだと思っただけかもわかりません。なんせ天才ですから。

そして曲は最後のサビです。最後だけ「二人の町」でなく「真夏の夢」です。これも卑怯なくらい心をかき乱してくれます。こういうところで手を抜かない、適当に済ませない、最後の最後まで手を入れる、そんな須藤さんのこだわりぬいた姿勢が胸をうちます。二人の町は、真夏に、夕立のあと陽炎の中にだけ出現した夢だったんじゃないか……それくらい奇跡的で、もう望むべくもない、楽しくて愛おしい瞬間だったんだと思わせてきます。むうー!泣かせるじゃないですか……。

こういう歌を聴いた後で、わたくし昔のことを思いだそうとすると、夏の日のことばかり思いだされます。もちろん春夏秋冬ぜんぶに思い出はあるんだと思うんですが、「夕立」とか「陽炎」とか強力なワード、強力な玉置さんの歌唱によって、夏限定の回想モードに強制突入させられてしまいます。暑くて暑くて外に出たくなくて、それでも恋人にひもじい思いをさせるのがイヤで意を決して部屋を飛び出し、汗だくで買ってきた冷やし麺を二人で食べたとか、夜になってやっと涼しくなってから部屋を出てみると、非常階段の柵ごしに花火が見えて、ああ、今日祭りだったね、今からでも行こうか?いい、ここで花火みようよ、と非常階段に腰かけたとか、そこそこスイート(笑)な思い出がよみがえってきます。陽炎坂?そんな暑い時間に出歩くわけがないじゃないですか(笑)。わたくし北海道人ですから、本州の夏など殺人的です。同じ北海道人の玉置さんがこんな素敵な歌を歌っているというのに、わたくしはからっきしダメなのでした。

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2021年09月04日

遠泳

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玉置浩二『あこがれ』七曲目、「遠泳」です。

ポール・エリスさんのシンセサイザーによる演奏と、玉置さんのガットギターによる間奏ソロの組み合わせです。なんか、もう玉置さんのソロはこれだけでいいんじゃないですかってくらい完璧にハマっていますね。ちなみにアレンジもポール・エリスさんです。うっとりしますね。わたしもシンセでこんなアレンジができるようになりたいものです。

わたくし、シンガーの気持ちというものをよくわかっておりませんが、どうやらシンガーにはこういうシンプルな、シンプルといったってこの曲のそれは幾重にも重ね録りしたすごい音源ですけども、ともかく編成的にはシンプルな伴奏で歌いたいときや歌いたい曲というものもあれば、仲間とバンドでジャーン!とやりながら歌いたいときもあり、さらには大編成のビッグバンドやオーケストラで歌いたい場合というものもあるようです。つねにディストーションのヘビメタ野郎にはピンとはきませんが、表現のバリエーションが豊かでよろしいかと思います。

さて、低音で「ズーン……」と始まった曲はとつぜん「ピヨロロロ〜」と高音の笛的な音色で静寂を破られた感覚を与え、ストリングスをまじえてピアノを中心にした伴奏へと移行していきます。笛とかピアノとか、ぜんぶシンセ(のはず)なんですけども、妙にリアルに聴こえます。このころのシンセってこんなに音よかったんだとちょっと驚きます。だからビンテージシンセってものがあって、それが妙に高値で売られているのかと思わされます。

玉置さんの歌が始まり、このアルバム随一のエロ場が展開されます(笑)。これ、真顔で説明できないですよ!松井さんよりも比喩が直接的で、解釈の余地がほとんどありません。隠喩なのに直喩!どう考えてもわざとです。玉置さんの囁くような声が、どう聴いてもアノときのテンションを高めているようにしか聴こえません。「針が重なる真夜中」って、ようするに時計の短針と長針が同じところを指しているんだから、正午か零時しかありません。解釈は二通りしかないのに直後に「真夜中」って言っちゃってますから、二通りかと思ったら一通りだった!絞首刑か銃殺刑かどっちか選ばせてやる喜べ!ってくらい余地がありません。もう、アナログ時計の機械音がカツーン!と聴こえてくるかのようなすごい緊張感です。ストリングス音で繰り返される短いフレーズも、もはや高鳴る胸の音か荒くなった呼吸にしか聴こえません。

そしてストリングス系の音が大きくなって、歌はBメロ・サビに……ひとことひとこと大切に、語尾をすこし裏返して玉置さんは歌います。もう!(笑)笑い声が風になって髪をとかすとかって!卑怯なくらい近いです、描写が。近さをこれだけ意識させる表現もそうあったものじゃありません。揺れる島って!昔の漫画であった臨海学校最終日の遠泳大会でみる小島のこと……なわけないです。わたくしも臨海学校や遠泳の経験があるわけではないですから身をもって知っているわけではないのですが、おそらくは犬かきでゆっくりゆっくり、体力や肺活量の限界に縛られつつ進む「遠泳」っていうタイトル自体が、もう比喩として秀逸すぎます。

歌は二番に入りまして、パーカッションがカシャ…ポコポコ…ピコン!(ドスン!)といった具合に上に下にといい具合に意識を分散させつつ、玉置さんの歌とストリングス系の音が中心の存在感を失わず進みます。

「蜜がきらめく斜面」「ひとつの小舟」って!とかいちいち驚いていると進まないので、というか気恥ずかしいですので(笑)、さらっと流すことにしますけども、これはいい感じにシンクロしてうまいこと盛り上がったということなんでしょう。こう書くとまったくロマンチックさが失われて大したことじゃないような感じですが、いやいやどうして、脳内麻薬というものはすごい威力をもつものでして、「消えない夜」とか「シルエット」のような陶酔感をドカーンと味わわせてくれます。陶酔の演出として宇宙を感じさせたそれらの曲に対して、この曲は青い海を感じさせるのです。どちらも息ができないことは共通していますね。「息もできない」という直接的なレトリックはしばしば歌詞に用いられますが、表現力があまりにレベル違いだというのは明らかでしょう。

落ちてゆくめまい……朝起きてタバコを吸ったらヤニでクラクラしましたってことなわけはありませんから、もちろん別なことでクラクラきたのです。その様子を「渦になって二人つないだ」と表現するんですから、ほんとうにクラクラと渦に巻き込まれてゆき、その先で愛しい人のもとに行き着くような気分にさせてくれます。その先でって、はじめから近いんですけど(笑)、それは物理的に近いのであって、精神的にも近さと、その前提となる少し離れていたという距離感を描写することが可能となっています。うーむ、ツインカム・エンジンのコンセプトすら彷彿とさせる緻密さです(やけくそなよくわからないたとえ)。

曲は間奏に入り、玉置さんのガットギター・ソロが流れます。……もう!なんでこんな悲鳴みたいな音を出せるんですか!ガットギターってポロンポロンと柔らかい音を出すギターなんですが(弦がガットですから)、使いこなしによってはこんな人間の精神的肉体的限界を思わせるような音も出せるんだから……玉置さんは弾き語り用にいつもガットギターをお使いになっていたそうなのですが、もはや手足のように操れるんでしょう……。こう押さえてこう弾くとこんな音が出るって、ギターと一体化しているほどに把握しているとしか思えません。さらにすごいのは、シンセサイザーのような電子音楽器と生楽器のガットギターって、わたくしの経験上相性があんまりよろしくなくて、こんなふうに違和感なくミックスするのは至難の業だと思うのですが、ここではこれがベストな組み合わせとしか思えない見事なミックスになっています。これはコンプレッサーでつぶしたとかイコライザーでスキマを作ったとかリバーブでぼやかしたとかでなくて、はじめから音の相性がいいのでしょう。しかも楽器同時の相性が良かったのでなくて、玉置さんの演奏によって相性よくなっているとしか思えないのです。

そして派手なストリングスの上昇フレーズとともに、曲は最後のBメロ・サビに入ります。「手繰り寄せてた」のところで下降フレーズを入れることによって、上がったり下がったり、気分の高揚・興奮とちょっとした絶望・落胆といった振幅が見事に表現されます。このように上下することによって人は時間の感覚を失い、視界すらも失い、ただ二人だけの世界に入りこみます。それは、まるで遠泳のように……って、それ説明になってませんね(笑)。これもそれもあれも大自然の営みには違いないのですからこうした比喩が成立するのはある意味当然といや当然なんですが、これまでは誰も気づかなかった類似性・共通性をみごとに浮かび上がらせた須藤さんには敬服するほかありません。よりによって玉置さんが歌うときにこんなエロ系の偉業を成してくださりありがとうございますと言いたいです。いや冗談でなく。玉置さん以上にこういう歌を巧く歌うシンガーなんていません。

砕けて漂う時間、それをたぐりよせる理性と肉体のせめぎ合い、その中で海の底に飲み込まれてゆこうとする影……影は海底に映っていますから、それが飲み込まれてゆくということはすなわち深く暗い海に溺れてゆくわけなんですが……野暮な説明は避けて、遠泳の果てに力尽きて海に沈んでゆくかのような限界状況を想像し、この抽象画のもつ説得力のような芸術の粋を、美術館で思わず足を留めてしまったような気分でずっと味わっていたいものです。

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2021年08月29日

コール


玉置浩二『あこがれ』六曲目、「コール」です。先行シングルで、カップリングは「大切な時間」でした。

さて、以前コメント欄に書いたことがあったのですが、89年発売の「行かないで」をほぼリアルタイムで聴いたわたくし、なんのつもりでこんな大仰な曲を?と不思議に思っておりました。めいっぱい切ないアレンジを施したストリングスで「行かないで……行かないで……」などと切々と訴えるタイプのボーカルに驚いたものです。なんというか、それまでの玉置さんの歌って「じれったい」「好きさ」と、切々と繰り返すタイプの歌でも、こんな圧倒的に弱い立場から発せられる歌ではなかったように思うのです。行かないでって思うなら立ちはだかって止めればいいじゃん、とハッキリ思ったわけでなかったのですが、当時のわたくしにはその立ち位置と精神性がよくわかりませんでした。その後『夢の都』『太陽』と安全地帯が復活しますから、「行かないで」は、あれはいったい何だったんだろう?くらいの違和感と不思議さを残すことになったのです。

それから三年と少したってこの「コール」を聴いたとき、「ああ!」とハッとさせられました。こ、これは、「行かないで」の系譜だ!そうか、こういうことがやりたかったんだけど、あのあとバンドが復活したから途切れていたんだ……そして、この『あこがれ』が「長年録りためていたバラード集」であったと『幸せになるために生まれてきたんだから』で知り、おそらくは「行かないで」もその中の一曲であったのだろうけども、何らかの理由で(たぶん李香蘭関係)あのタイミングで一曲だけ松井さんに歌詞を書いてもらってリリースされたのだろう、と思うに至ったのです。

さてさて、この曲は映画『ナースコール』のテーマであったと記されているのですが、面目ないことにわたくし『ナースコール』観てないんですよ……君のあたたかい手が必要さという感じのせつない病院ドラマだとは思うんですが……『プルシアンブルーの肖像』のときのように知っていて妄想を書きまくるというわけにはまいりません。そして、その『ナースコール』主人公を演じた薬師丸ひろ子さんが当時の奥さんで、後年「コール」をお歌いになったという情報を寄せていただいたこともありまして、ますます興味が尽きません。わたくし薬師丸さんのアルバムは結構持っているんで薬師丸さんの歌に関しても結構語れるつもりではあるんですが、いかんせん『ナースコール』観てませんので、準備が整っていないのです。

そんなわけで、音楽のみの文章になります。や、本来そういうブログのつもりで始めたんですが、『プルシアンブルーの肖像』以降、方針がブレまくってていけません(笑)。

曲は金子飛鳥グループの重厚なストリングスで始まり、それが途切れるころにキラキラキラ……と、これはポール・エリスさんのシンセでしょう、つなぎが入りまして、玉置さんがまるで弾き語りしたかのように、玉置さんのガットギターにのせたボーカルが始まります。

なんと生々しいギターと歌声……ギターなんて、玉置さんの指の弾力がそのまま感じられるような音です。どうやって録ったの!とレコーディングエンジニアを問い詰めたくなるくらいリアルなガットギターの音です。この曲があるから、わたしは決してガットギターでレコーディングに臨まないといっても過言ではありません。いや過言か(笑)。たんに自分のギターが下手で聴くに堪えないだけでした!それにしてもこんな音だされちゃどうやったって満足できる音が録れるわけがないよってくらい生々しいです。

歌はいつものとおりとんでもないので、そろそろ語る言葉もなくなってくるくらいですね。「ひとりぼっちの虹」や「Time」でかつて通った夜明けタイミングの歌です。さらに後年「プレゼント」でもこの系譜は受け継がれます。わたくしうっかり寝そこなった日など、窓の外を見ながらこれらの曲を小声で歌う習性があります。たんなる不気味なおじさんですが、かつては少年〜若者だったんですよ!なぜ扱いが変わる?趣味は同じなのに!不公平だ!とか何とかいったって扱いが変わるわけはありませんので、黙っておけばよかったのです。

夜明けのタイミングで歌うおじさんもブキミですが、ひとりぼっちで名前を呼び続ける青年もなかなかどうして、変わった青年だと言わなくてはなりません。もちろんこれは声に出して呼んでいるんじゃないんですね。心の中で呼び続けているんです。心の中ですから、もちろん来ません(笑)。来ないから呼び続けるんですね。玉置さんの歌も、この段階では心の中で呼び続けていることを暗示させる、情熱的ながらも静かなトーンです。

金子飛鳥グループのストリングスが薄ーく入ってきて、陽が昇ります。すっかり青空です。星も闇も消える、つまり夜中の気分はなくなっていきます。それはドロドロしていたりヌタヌタしていたりギトギトしていたりして、つまり直接「君」にぶつけたら「君」が所轄署に被害届を出しかねないようなものなんですが(笑)、生まれたての青空はそうした心の闇をすっかりクリーンにしてくれるほどさわやかで、さあこれで「君」に伝えられるぞ!という前向きな気持ちを与えられるのです。ここでシンセサイザーの鍵盤の音が入ってきて、一気に曲をサビに向けて盛り上げます。さあ叫ぶ準備はできた!

いま声に出して叫ぶよ、だから、聞こえるだろう、聞こえたらすぐに来てほしいんだ、ここに!

玉置さんが大きな声で「叫ぶよ!」と歌います。つまりまだ叫んでないんです。これから叫ぶよ、という予告を、大きな大きな声で歌います。それは実際に叫ぶよりも、待ちかねたその決心をするほうが精神的には大きい動きだからなんだとは思いますが、実際には叫んだとわかる描写はありません。もちろん歌詞の中に「おーい」とか入れるような野暮なことは決してしません。最後の「いーまー」だけが叫んだ「かのように」歌われていますが、それでもまだ叫んでいません。ですから、ほんとうに決心してから叫ぶ前までの一瞬の心の動きをとらえた歌なのです。

歌は二番に入りまして、またガットギターがよく聴こえます。そして音量の控えめなストリングスで玉置さんの歌が彩られます。

微笑みしか贈るものはないんだ、それしかないんだ、つまり君にとってはたいした利益はない、あくまで僕が一方的に君に会いたいんだ、きみが必要なんだ、それだけなんだ……という、弱すぎる立場から発せられる強い思い……この切実さ、痛み、愛おしさが、「行かないで」を聴いて止まっていたわたしの時計を動かしてくれたのです。こういうことか……!あ、いや、なにが「こういうこと」なのかは今でもさっぱりわからないんですけども(笑)、なんと申しましょうか、ギブアンドテイクとかそういうしゃらくさいことを言っているうちはまだまだなんだと思い知らされたんですね。もちろんギブアンドテイクですよ、ええ。ですが、それは結果としてギブアンドテイクになってましたってくらいであって、ねらってするようなものじゃないなー、と思うわけです。ましてや、女の子にもてるテクニック的なもの、最近恋人とうまくいかないんですけどどうしたらいいんでしょうかTIPS的なものを読んだり友達に相談してみたり真似したりする程度のことをやっているうちは、まだ波打ち際なんだと思わされたんです、「行かないで」とこの歌によって、18歳とかで(笑)。だって、箸の使い方をいちいち考えながら飯を食う日本人はいないでしょう。箸の使い方と同じくらい気にせず自然にギブアンドテイクは成り立っていて、そのうえでこれらの曲にあるような激しさ熱さがあるべきなんじゃないでしょうか。若いころからそんなことを思っていたからもちろんそんなにうまくできるわけはなくて、いろんな人に迷惑や心のダメージを与えてしまった気がしなくもありません(笑)。やっぱり波打ち際からチャプチャプと始めるほうがいいですよ!わたくしみたいに突然沖でダイビングしたら死にかねません。

君の手じゃないとダメなんだ、ほかの誰の手でもダメなんだ、どんなに白くてどんなに暖かくても他人の手じゃダメなんだ!

半音上がりまして、さらに気持ちはヒートアップします。

涙をぬぐうのはもちろんハンカチとかでいいんだけど(笑)、そういうことでなくて、心の涙をぬぐうためには君の暖かい「手」つまり君の存在そのものが必要なんだ、だから叫ぶよ、すぐ来て、いま来て!

もちろん看護師さんにこんなことを求めてナースコールをバンバンしまくったら、来るのは看護師さんでなくてガードマン的な人にそのうち変わると思いますんで『ナースコール』はそういう話ではないのでしょう。これは心に深い傷を負った青年が、それを唯一癒してくれる恋人を精神というか霊的なレベルで求める歌なのです。

「君」は癒す人です。それ以外の存在としては描かれていません。手塚治虫の重要女性キャラがことごとく慈母的であるのに似て、一方的に求められ、慈愛を与える存在です。ですから、実際の生活においてずっと成立する現象ではおそらくありません。成立したらマリア様です、というかマリア様だってずっとはやってられないでしょう(笑)。ですから、人にはごく限られた局面において、あくまで瞬間的に、このように一方的な関係を求めてしまい、それが受け入れられるということも心理的事実としてありうる、くらいのことなんですけども、だからこそ、その姿はこの歌のように激しくも儚く、そして一種独特の美しさをもって輝いてみえる瞬間があるのだと思います。

曲は激しくも壮麗なストリングスが一分も続いて、フェードアウトしていきます。このストリングスエンディングにもわたくしすっかり影響を受けて、このパターンの曲を書いたこともあります。こんないいメロディーはそうそう作れませんのでだんだん自信がなくなり、20秒くらいで終わるんですけども(笑)。星さん玉置さんの形だけマネしてもダメですねー。

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2021年08月22日

アリア

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玉置浩二『あこがれ』五曲目、「アリア」です。

清水一登さんのピアノ重ね録り、金子飛鳥Groupのストリングスによる演奏で歌われる、シットリ曲だらけのこのアルバム中においても際立つシットリ曲です。

清水さんのピアノは基本エレピで、サビに混じる鋭い音がアコースティックピアノ……だと思うんですが、なにせわたくしの耳ですからあてにはなりません。そして、二番サビ以降にストリングスが入るという、まことにシンプルな編曲です。あ、いや、わたくしがPC上でやればシンプルってだけで、実際には何パートもの人たちが何度も試行錯誤しながらレコーディングしてるんですから、軽々しくシンプルなんて言えるようなものではないんですけども。でもまあ、シンプルですね。で、玉置さんの歌がいっそう凄みをダイレクトに響かせるわけです。

まずこの「アリア」というタイトルですが、わたくしの理解では抒情的な独唱曲をさします。つまり、玉置さんの歌はほとんどぜんぶアリアなわけでして(笑)、わざわざタイトルを「アリア」にしたのはなぜだろうと余計なことを考えさせられます。玉置さんが「アリア」を歌うとこうなるんだぜ!という意味ではおそらくなく、ひとりで歌う、つまり精神的に孤独を抱え、その孤独を歌い上げる……やっぱりいつものことじゃんという気がしなくもないんですが(笑)、この歌の歌詞は明らかに失われた恋人をしのんでいる物語であるだけでなく、バンドが崩壊したあとで、いや、おそらくは崩壊しつつあるなかで収録されたこの歌は、玉置さんだけがひとりそこに立ち、ただ歌うことから始めなければならなかった運命を示唆しているように思えるのです。

……ですから、安全地帯を忘れようとした、崩壊を受け止めて、未練なく前に進もうとした……それでもあきらめず、いつかまたバンドをみんなでできるんだと信じていた……一人で活動を続ける中、ふとスタジオを覗くとそこに安全地帯とスタッフのみんながいるんじゃないか……そんな悲しい幻を無人のスタジオにみてしまう……こんなふうにも聴こえるんです。これは病気です(笑)。ふつうに、失われた恋人を歌う歌だと思いますよ!

この三回ある「忘れようとした」の「ーんわ!すれー」、絶品ですよね。ひらがなで書くとマヌケですが。そして「必ず」と「悲しい」の「かな」も絶品です。どうしてこんな歌い方ができるのか……泣いているってわかるじゃないですか。もちろん泣きながら歌ってなどいないんでしょうけども、そういう心情を表現している、というか、表現しようとしているんじゃなくてそのまま泣いてるんだ!としか聴こえない、ものすごいリアルさです。ここはもっと泣いている感を出して!とかわけのわからない指示を出す音楽インストラクターをひとふしで黙らせるほどの、ほとんど暴力に近いレベルの表現力です。

曲はサビに入りまして、というかもう前後メチャクチャに語ってますんでいまさらなんですが、「あなたはいる」「あなたを見る」「あなたはいる」って、どれも切なすぎます。だっていないんですよ、見えないんです。ですが、いますし、見るんです。日常の風景であった朝陽や夕暮れの街角にあなたがいること、それが浮かんで仕方がないのです。そして金子飛鳥Groupのストリングスが混じり、わたしたちの思惟は日常生活を離れ、「空港」「谷間」「浜辺」へと跳びます。ちょっと旅行に行った空港や谷間、浜辺にもあなたは記憶の中に染みついていて、その光景と不可分のものとなっていて、だからいるし、みえるのです。ですから、どこに行っても行かなくてもあなたはいるのです。この描写だけで、いかに愛が深かったかわかるという、とんでもない仕掛けの詞の世界なのです。イマニュエル・カントの『純粋理性批判』を持ち出すまでもなく、ひとは認識の際にかならず自分のフィルターを通しているわけですから、そのフィルターの仕組み以外のものは認識できないのです。人間という生き物がみんなもつフィルター(というか認識システム)というものがあって、神がいるかどうかはわかりようがない、人間以外の生き物が世界をどのように認識しているかも知りようがない、もっというと世界がフィルターなしだとどのようなものであるのかも知りようがない、等々の、まあ現代でいえば当たり前すぎることをこの本は延々と解説してくれるわけですが、このほかに、個人にこびりついた認識フィルターというものがあるとすれば、そこに「あなた」が「いる」「見る」ようにそのフィルターがチューニングされてしまうということが起こるのかもしれません。あーあるある、わかるーわたしもしばらく息子が独立した後もよくうっかり食事三人分作ってたわ!あと、風呂沸かしたら「お風呂よー」って言っちゃうのよね、二階に誰もいないのに……ってくらい切実に、人はこのフィルターのチューニングによって悲しみを味わいます。わたくしも、かつて住んでいた部屋や、かつてみんなが集まっていたスタジオ、かつて彼女が……やめておきましょう、泣きそうです(笑)。ですが、人はこれから起こるであろう別れの後に、きっとそれに悩まされると知りつつ、自らの認識フィルターを調整しつつ生きるしかないのです……。

人は誰もが、自分だけのフィルターを抱えて日々それをチューニングしながら、ひとり生きていきます。それは玉置さんもそうなのであって、玉置さんのその様子こそが「アリア」なのだろうと、思えるのです。

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2021年08月19日

終わらない夏

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玉置浩二『あこがれ』四曲目、「終わらない夏」です。

セミが鳴いています。でも気温はすっかり下がりました。ついこの前まで暑かったのにいやますっかり夏の終りを感じる季節です。さてこの時期にこの曲のレビューを書けたらいいなあと思っていたタイミングにうまくはまりました。夏とはすなわち恋の季節……この曲では、暦の上では夏は終わっていても、恋のほうが終わらないまま続いてしまったというか、終わらないならハッピーじゃんと思いつつそんなにハッピーじゃない感じで続いてしまった苦しさが歌われます。なんだとこの贅沢な!わたくしなんかこの夏も何もなかったぞ!(何かあったらおじさん困るんですが)。「もうそろそろ終わりにしようか、夏も終わるし」「え?それってどういうこと?」「夏の恋には夏でお別れするのさ。それがルールだろ?」「……」これは、昭和末期〜平成初期にマンガとかドラマとかで行われていたナウなヤングのやりとりですが、実際にこんなことが起こっていたのかどうかはあいにくわかりません。いや、マンガとかドラマのマネをしようとしても気持ちが割り切れず、刺されるか結婚するかを選ぶことになった御仁はそこそこの割合でいらしたのではないでしょうか。あれから四半世紀以上が過ぎ、そうした(元)恋人たちが現在いまどうなっているのかはわたくし寡聞にして知りません。わたくしですか?わたくし、「風雲たけし城」とか「加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ」とかをみてゲラゲラ笑っていたお年頃でしたから、もちろんよくわかりません。なんというか、「あすなろ白書」とか「ロングバケーション」とかの平成トレンディー世界に生きようとする人と、「ビートたけしのスポーツ大将」とか「巨泉のクイズダービー」とかの昭和ゴールデン世界にとどまろうとする人が混然一体とまじりあっていて、カオスな時代だったように思います。だから、わたしにとって基本的に「あっち側」の世界の話なんですねー。

さてイントロ、イントロでのポール・エリスさんのシンセサイザー、すごく思い切った音作りに思えます。アタックとかベロシティー設定とかあまり考えなくても、この音ができた時点で勝ち!な凄まじい音色です。シンセサイザーはわたくしも最近さわるようになったんですが、音作りの自由度が高すぎてついついプリセットに頼りがちです。や、これいいですよ、ラクだし。そんなものに頼っているから、30年近く前のこのポール・エリスさんのような音を作れる気はまったくしません。

キラキラキラ……ボワーホワワワーと重ねてきたシンセの音が弱くなり「ホワー」だけになって、玉置さんの「丘の上……」がはじまります。一瞬アグネスか!と思わせる歌詞ですが、そんなほのぼのしたものじゃありませんでした。いや、あれも「涙がこぼれそう」ではあるんですが、玉置さんのほうはそれどころじゃありませんでした。何やら大変な運命に巻き込まれようとしています。大変なっていったって、まあ、色恋沙汰なんですけども。

キラキラ音のアルペジオとともに再度「丘の上……」これは、実際に丘の上にいたのかどうかまではわかりませんが、心象風景としてそうなのでしょう。蝉時雨ばかりが聴こえて、松尾芭蕉の「最上川」のようにひどく静かです。緑の丘に白い歯のコントラストも鮮やかな美しい瞳をもつ女性と恋に落ち、そしてあっさりと想いを遂げます。これは仕組まれています(笑)。傍からみれば明らかなんですが夢中になっていると気がつかないものでして、家で扇風機浴びながらアイス食って「お笑い漫画道場」でゲラゲラ笑っていたほうが平和なんですが、人によってはそうはいかないんですね。どうしてもこういう愛の罠に堕ちてゆく果報者がいるわけです。仕組まれていたとあとから気がついて「僕を汚した」という、一瞬ドキッとするような被害者モードのことばを用いるのです。

仕組まれていたとして、そしてそれをあとから知ったとして、気持ちがすっかりダウン、ドン引きモードに入る人があってもいいでしょう。その一方で、べつに出会いは何でもいいや、そのあとどのようなプロセスをたどったか、そこで何を感じたかが全てだ、という割り切る御仁もあってよいでしょう。この歌での玉置さんは、その中間だったと考えられます。

「まだ」と声が大きく響き歌は最初のサビに入ります。ピアノ的な音がアオリに入り(なんていい音だ……生ピアノでない音にこんなに惹かれるとは不覚……)、終わらない夏、すなわち、出会いの美しさと甘さに溺れた夏の後で、その裏に隠された思惑の間で揺れる季節が訪れたわけです。夏には「君が一番美しかった」のですから、いまは一番ではないわけですね、少なくとも。二番でしょうか(笑)。

曲は二番に入りまして、シンセの音が厚くなり、揺れ動く季節は続きます。場面はまた「丘の上」、「甘くかすれた声」が「僕を突き刺」します。これは何を意味するのか?ちょっと考えれば「終わりにしましょ」的な内容ですよね(太陽も凍ってますから)。でも、そのあとの展開がドロドロ感がありますので、ここでかなり粘ってしまったのでしょう。いや、そりゃ粘ると思いますけど、ストーカー的な粘りはぜひ避けたいところです(笑)。そういやこの当時はまだストーカーとか付きまといとか、そういう事例はもちろんかなりあったものと思われますが、とりたてて大問題扱いはされてなかったように思います。テキトーでおおらかな時代だったというべきか、むき出しのサバイバルで怖い時代だったというべきか、なんとも判断に困るところではあるのですが、それが日常でしたのでそういうものだと思って暮らしていました。「加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ」の探偵コントでは、しばしば何者かに付きまとわれている女性のボディガードを二人が引き受けて、女性の家に寝泊まりし、二人がスケベ根性を出してすべてがメチャクチャになるという筋書きがあったものですが、まあ、探偵が活躍する領域ですから逆にいうと警察は動かない領域だったわけでして、「怖いよねー」くらいの扱いでした。

サビに入りまして、打楽器系の音がズシン!ズシン!と胸をうちます。叫ばれた「まだ終わらない」ものはここでは「夢」で、「夏」ではありません。その「夢」とは、突如終わりを告げられると「色をなく」すようなもので、しかもその色が愛を彩っていたようで、色がなくなったために愛の形がぼやけてしまうのです。きっと愛の輪郭さえも形どるほどの夢だったのでしょう……気の毒に……「ヤイ、なにを軽口叩いたんだか知らないけど、いや想像はつくけど(笑)、彼は真剣だったんだぞ!」「あら、そう?(しょうがないじゃない、気が変わったんだもの)」、という不毛なクレームとその対応は想像するだに野暮でムダです。ですが一方的にダメージをくらっただけですので、落とし前をつけてもらいたい気持ちはよくわかります。わかりますが、ダメでしょうねえ。

そして間奏……ズシン!……カシ!という音数の少ない打楽器、シンセベースがドーン!ドンドンドーン!と老獪に響き、フワーキュワー(シュワワワとディレイ成分多いリバーブを利かせていますね)という高音部シンセが、これまた音数少なく組み合わされ、言ってみればおそろしくシンプルに、愛の季節とその終りの季節の狭間をさまよう情景を描写します。なんでしょう、わたくし、徹底的に「こっち側」、つまりこういう悲しみとは無縁な世界の人間、車だん吉とかで大笑いしてるだけの平和な人間のつもりなんですが、泣けてきそうです、こんなシンプルなアレンジで……ひとえに玉置さんの作曲能力と須藤さんの物語の強さとポール・エリスさんの手腕によるものなのですが、「こっち側」の人間さえ「あっち側」にトリップさせるんじゃないかってくらい強烈なパワーをもって胸に迫ってきます。ありもしない夏の思い出をムリヤリつなぎ合わせてひとつの悲恋物語を紡ぎだしたくなるほどです。

そしてサビが二回繰り返されます。「終わらない夏」と「終わらない夢」、どちらもその無念さに心を打たれます。愛の鎖を巻きつける情念の深さと強さ、そして、何も見えなくなり、「愛の運命」に倒れる……具体的に何があったのかを想像して語ると、たぶんメチャクチャな野暮さとヤバさでしょう(笑)。これは、当たり前のように修羅場と、その果ての徹底的な消耗があったのです。しかし、陶酔させる力が最高度の須藤さんの筆力と玉置さんの歌により、なんだかとても美しいことが起こったんじゃないかと思えてくるのですから、これはとんでもない曲だといわなければならないでしょう。

余談ですが、サビの末尾に入れられているピアノの低音アルペジオ、これ、わたくしにこびりついておりまして、編曲の際に気がつくとこのようなフレーズを入れてしまっています。今回この曲をレビューするにあたって聴きなおし、気がつきました。ああ!これだったのか!元ネタ(パクリ元)は!イヤハヤ……若い時代に聴いた音楽はこういうふうに、よく言えば血や肉になっている、悪くいえばパクリのネタ帳になっているものです。最後に「シュワー!」と終わるパターンまで使っていました(笑)。

そして松井さんの信奉者であったわたくし、須藤さんをもともと知りませんでしたので警戒していたわけですが、この曲の歌詞を覚えたい!と強烈に思い、「夏」と「夢」をしばしば間違いながら覚えました。そして須藤さんによる物語世界のトリコになっていったのです。こうやって人はいろいろなものに惹かれながら成長してゆくのでしょう。いまもって歌詞は全然書けませんので、血や肉にはなっておりませんが、もし歌詞を書いていたら松井ネタ須藤ネタをメチャクチャに使いまくったとんでもないパクリ歌詞を書くものと思われます。

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2021年08月14日

砂の街

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玉置浩二『あこがれ』二曲目、「砂の街」です。

あちこちの方向から聴こえるパーカッション(クレジットをみると玉置さんによるもの)、軽快なピアノのコードストロークと口笛ではじまり、前曲「ロマン」の雰囲気から一変、川島さんのシンセベース(コントラバスみたいな音です)でジャズっぽいリズムを心地よく感じられる曲になっています。

軽快で心地よい……と思っていたら、歌がやけに深刻で、聴くとだんだん寂しい気持ちになってきます。そんなこと言ったらこのアルバム全部そうでして、基本ボーカルと歌詞の力で無暗ヤタラにさみしいのです。

歌はAメロ、ささやくように歌われる星空と三日月で、夜空を想起させます。

続けてAメロ、はやくもタイトル「砂の街」の謎を解く「人波の海」という都会を暗示させる言葉が登場します。街ゆく群衆を「人波」と表現する手法はごくごく一般的なのですが、そこでふたりで「砂に溺れ」てゆく感覚というのは新しい角度から都会をとらえた表現であるように思われます。普通に考えればコンクリートジャングルを「砂の街」と言い換えたものでしょう。コンクリートは砂ですから、都会は巨大な砂細工の集合体なのです。そもそもコンクリート「ジャングル」の中を人「波」が行き交うって、森と海が混ざっていて変な表現といや変な表現なのですから、ここは須藤さんの表現こそが正しい!と、いま歌詞を見ていて気付いただけで、玉置さんのササヤキ唱法の説得力に圧倒されていままで全く気付いておりませんでした。

ストリングスが入って、曲はBメロ、このストリングスがもう、砂の街に吹いた風、下手すれば次元を超越させて時間的にも空間的にも恋人を遠くへ連れ去るような旋律で、突然ひとを強烈な寂しさに閉じ込めてきます。玉置さんは囁きから朗々とした歌唱に徐々に切り替え、自分が取り残され消えた恋人を探すという、これまた強烈に寂しい歌を聴かせてくれます。この急転直下な落差が演出する緩急たるや!さっきまですがりあっていたのに!

すぐさま二番に入って、今度会えたら「暖かい街」で暮らしたいなどと、いまは別れたまま会えていない状況を示唆します。濡れた肩をかばう夏とか、マロニエが凍る冬とか、なんだそれ!切なすぎるだろう、いま「ぼく」がいる、三日月を抱いた砂の街というアラビアのロレンスを思わせるような殺風景でドライなロケーションで思いだすには、しっとりしすぎなのです。自分の肩を犠牲にして濡らしながら恋人のほうに傘を傾けて雨や汗で濡れてしまった肩をこれ以上濡らさないように歩いたとか、生命力あふれるマロニエが実を落とし冬を耐える森林を散策したとか……たった二行でどれだけ愛おしかったかがわかる、凄まじい歌詞と歌唱です。それが厚めのストリングスで記憶をよぎったり離れたりと、もう翻弄しまくりなのです。

Bメロ、誓いだと思っていた誓いは、実は風の気まぐれで誓いの形をしていただけだった、また風でほどけるようなものだった……それに気がついて、それ以来ぼくの時間は止まったまま……こりゃ、フラれて逃げられましたね(笑)、簡単にいうと。こういうことは割と起こるのですが、逃げようとする力のほうがそれを留めようとする力よりも圧倒的に強いですから、人はほぼ無力と知りつつも誓いを立てるのでしょう。その誓いさえも一陣の風で無効になる、「ほどけて」しまうような、中途半端な結い方でしかなかったわけです。もう、半田付けでもしておけばよかったのに(笑)。でも、そんなきつい結着は望まなかったふたりでしたから、仕方がないのです。

そしてイントロのフレーズを繰り返し……正確には玉置さんによるボイスパーカッション的な歌ともいえぬ歌が加えられているんですけども、これが言葉にならぬ寂しさもどかしさを表現しているように思えます。そしてトロンボーンのソロが入りましてワンフレーズだけのサビというか大サビというかを挟んで、すぐさまトロンボーンと玉置さんの慟哭シャウト連発の競演で曲は閉じられていきます。失われた恋人を求めていつまでも探すその胸中を示す玉置さんの言葉にならぬ声と、その声が響く夜の街、それは実は砂漠同然の、虚飾に満ちた楼閣なんですけども、それをみつめる砂の星である月の光のような暖かくもどこか冷たい、不思議な透明感あるトロンボーンが響き渡ります。

前曲「ロマン」ですっかり圧倒されていたわたくし、この曲は箸休め程度の小曲かなと最初は受け流す態勢に入っていたんですが、そうはさせてくれないとんでもない歌でした。何だいまの!って感じです。当時のわたくし、こういう一発KO級の切ないソング二連発というのはくらった経験があまりなく、っていまもあんまりないんですが、呆然としたままさらに「終わらない夏」に突入せざるを得ませんでした。寿司でいうとトロ、ヒラメ、アワビと出された感じです。ちょっと待ていまガリ食って茶を飲むから!そうとんでもないネタを連続で出されちゃ舌も追いつかないし第一フトコロが心配でいけねえよ!縁あってススキノの高級寿司店のカウンターに座っておまかせ一人前を食べたときの旨さと肝の冷える思いを思いだします(笑)。

こういう曲がほんとうの意味で沁みるお年頃ではまだまだなかったのですが、そんな気分で街を歩きたくなってしまうお年頃ではありました。いまでも、帰り道に三日月が浮かんでいるとこの曲がアタマに流れてしまい自分がすこし可笑しくなりますね。

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2021年07月31日

ロマン


玉置浩二『あこがれ』二曲目、「ロマン」です。

卑怯すぎるスローバラードです。これ、この一曲のためだけにこのアルバム買っても損したと思う人はかなり少ないでしょうね。それくらいのとんでもないメロメロソングです。いやまいった、後半に収録されている先行シングル「コール」をまつ意味がないくらい、最初のほうでいきなり来たよキラーチューン!と気分をいきなり最高潮に盛り上げてくれる名曲です。

リバーブたっぷりなのになぜか澄んだ音色のピアノで曲ははじまります。そのうちベースが入ってドラムが入ってと来るかと思いきや、ずっとピアノで突っ走ります。

なんとこの曲、二番の終りでようやくストリングスが入るのですが、それまではピアノとボーカルの、見事すぎる緩急・強弱だけですべてを表現するのです。これは「Time」以来でしょう。安全地帯にも「記憶の森」、ライブで「瞳を閉じて」や「ほゝえみ」をピアノ一本で歌いきるということもないではなかったのですが、それにしたって珍しいことです。しかも、こんなアルバムのしょっぱなから炸裂させるような技ではありません。このアルバムをご愛聴のかたはもちろんご存知でしょうけども、このアルバム、ずっとこんな感じです。でも初聴時はそれがわからないものですから、この曲でこのアルバム全体の基調を知らされるという形になります。当然に、聴き終わってから、ああ、あの曲ですでに知らされていたんだ……と思うわけですが。

『安全地帯VIII 太陽』で泣けるバラードが少なめだったような気がしてなんとなく欲求不満だった当時のわたくし、玉置さんはもうそういう曲が書けないか、何らかの事情で書かないことにしているのではないかと思っておりましたから、この曲には正面からドスコイ!とぶちかましをくらいました。もちろんこのアルバムの前に「あの頃へ」とか「ひとりぼっちのエール」とかの直撃をくらっておりますので、バラードが書けないと怪しんでいたわけではありません。「こういう」泣けるバラード……何が「こういう」なのかはわかりませんが、こういう脳天にドカンと薬物を注入してくるような陶酔バラードは久しぶりだ……いや、もしかして初めてだったのかもしれません。思いだしてみても、これほどのド正面からの強烈な張り手は過去になかったように思えるのです。比較的近いのは「あなたに」とか「夢のつづき」とか「Friend」とかですが、まさかピアノ一本で、終盤にストリングスを入れるとはいえ、こんなシンプルで美しいアレンジで、歌の力をこれほどまでに直接押し出してきたことはありませんでした。玉置さんの歌はいつだって歌の力がものすごかったのですが、それを極限までに突き詰めたような音像に、ただただ、呆然としました。

音数の少ない、そして音量を抑えたピアノによる前奏〜Aメロに、リバーブの効いたボーカル、玉置さんはもうあまりリバーブお使いにならないんですけども、このときはまだバシバシ使っています。これが、欧州の神殿か何かでピアノ一台と管弦楽団だけの無観客コンサートでもやってるんじゃないかと思われるほどの異世界感を感じさせます。Bメロというかサビも、ストロークが増える感じではありますけども、抑制的なピアノに乗せて玉置さんの声が響きます。

二番、ややピアノ大きくなったかな?くらいで、基本的には一番と変わらないバランスを保ち曲は進みます。いまはPCのプレーヤーで簡単に一番のサビと二番のサビを連続で聴くなんてことができますからやってみるんですけども、そうすると二番のサビがずいぶん一番のサビに比べて音量が大きいことに気がつきます。三番はストリングス入ってますからさらに大きいです。これは、ボーカルと、ピアノと、ストリングスの皆さんが意識的にそうしたのでしょう。オートメーションであとから音量調整したって可能性もなくはないんですけども、玉置さん、なんとなくそういうの嫌がりそうじゃないですか。だから、ボーカルがどんどん盛り上がっていき、それに呼応してピアノがきもち強く鍵盤を叩き、ストリングスを入れたぶんさらに玉置さんも声を張り上げ……と、自然に生まれた音量変化であると信じたいのです。

さて須藤さんの歌詞ですが……なんですかこれ、ロマンチックすぎて卑怯ですよ(笑)。たったひとつの愛って、そんなわけないじゃないですか、とくに玉置さんは。だけど、本当にたったひとつに聴こえちゃうんですよ!玉置さんの恋愛歴にツッコミを入れる入れないはともかく、誤解の余地のない超ストレートな始まりです。「夜空が〜目覚めないうち」っていうのは要するに朝になるまでにってことなんですけども、その間夜空が「届かぬ夢」を追い続けるっていうのは多少わかりにくいというか、わからないですね。ムリヤリ考えますと、夜は頭狂ってますので(笑)、夜に色々考えだすとダメなんですよ。あれこれ思惟がほとばしって、自動的に「届かぬ夢」が量産されてしまいます。ですから、夜に手紙を書いてはいけないというのは古人の知恵なのですが、夜に書いた手紙は決して封を閉じず、朝になってからもう一度読み直して、投函するべきかするべきでないかを考えなくてはなりません。ほぼ100パーセント没になります(笑)。当時はE-mailとかなかったですから、何度もこれで難を逃れたものです。ありがとう郵便局!ですから、夜は恋人とリモートで語るのも好ましくありません。LINEなどもってのほかです。うっかり送信ボタンを押し、「取り消し」が間に合うタイミングを逃してからでは取り返しがつかないのです。ですから直接会って、そしてただ、朝まで抱きしめあうのがいいでしょう……。いや、ロマンチックなことを言っているわけではありません。純粋に、それが人生の失敗や損失を過度に大きくしないコツなのだとおじさん世代が忠告しているのです。うん!言葉少なめに、ただロマンチックなことを言っている体裁にしておけばよかった!(笑)

二番も卑怯ですね、宇宙の果てで命が消えて小さな灯になるって!ふつうに病院とかで死ぬと思いますけど、それは熱く熱く愛し合う若者にとってはそれこそ宇宙の果てにあるくらい遠いことなのです。わたくしもそう思っておりました。みんな宇宙船地球号(レイジー)に乗っているんだから、病院で死んでも宇宙のはてて死んだことには違いないのですが、そういうことじゃないんですよね。「生」のいちばん熱いとき、いちばん盛り上がっているときですから、「死」が果てしなく遠くにある感覚はよくわかるのです。ですから、「宇宙の果て」はかなり共感度の高いことばなんです。実際には次の瞬間に脳溢血とかで死ぬかもしれないんですけども、やはりそういうことでもないのです。ひとは、恋とか愛とか子育てとか、そういうことをしていると先が見えない感覚を味わいます。それが、いずれ必ず来る「死」を遠く感じさせるのです。実際に寿命が延びるとかそういうことは起こるのかどうかはわかりませんが、感覚的・心理的に「死」を遠く感じるんですね。こればかりは、人間のアタマとか認識能力とかの仕様でしょうから、それ以外に説明できません。ただ、充実していると、終わったときに「あっという間だったなあ!」となるんじゃないかという気はしなくもないんですが、それはそれでもう、仕方ないじゃないですか、そう生きちゃったんだから。

「遠く離れてた」というのも、実はえらく近くにいたのかもしれませんが、物理的距離ではなく感覚的・心理的に遠かったんですね。めぐり会えてないってことはいないと同じですから。実は僕たちは、すでに出会っていたことにこの瞬間気がついたのだった……なんてことは起こったとしてももちろん偶然ですから、最近出会ってつきあうようになった恋人というのは、もちろん遠かったのです。出会えたよろこびは、もちろん最初のうちは大きいもので、それまでの人生がすべて「悲しみばかり拾って彷徨ってた」ように感じられるものです。非常にというか、異常に共感度の高い表現です。もうほんとに悲しみばかり拾ってましたよ!前の恋人とは当然お別れしてるんですから「悲しみ」には違いないんですけども、そんなリアルな悲しみでなくとも、タンスの角に足の小指をぶつけたとか自動車学校で卒検に寝坊して落ちたとか(笑)そんなつまらぬことでさえ、恋人に出会うための序曲であったかのように感じられるのです。これも人間の性というやつなのでしょう……ひとはストーリーに酔います。というか、ストーリーがあると思わないとやってられませんよ。実際にはすべてがバラバラに起こっており、そこでわたしたちの知覚がその都度反応して因果性というストーリーを脳内で作り出しているのだ、などという夢も希望もストーリーもない話は300年も前から論じられてはいますけども、それをまともに受け止めたらそこで終わるものが大きすぎて(笑)、とても耐えられないのです。ですから、酔おうじゃありませんか。めぐり会えたことを奇跡だと思って、糸がつながれたのだと信じて、指を絡め、そして眠ろうじゃありませんか……あ、いや、わたくし、なんででしょう、寝込みたくなってきましたよ(笑)。

そして「君の胸」「僕の胸」「君の指」「僕の指」と、なんと見事な視点の変化!なぜ指から行かないでいきなり胸から!いや、よくわかる順序なんですけど。だってくっついてたら暑いですし(笑)。歌詞でこのよくわかる順序をやられたら、もう共感度マックスです。「指」の箇所が、ストリングスで一番盛り上がるところなんですよね。ふとしたときに愛しさがあふれる(80年代ふう)、なんて言いかたを今でもするのかわかりませんが、そういうとき、手を握る、指を絡める、といった行動を人は取るのかもしれません。やや、これはいささか感傷的に過ぎたかもしれません。トシもとってますが、それ以前になんだかわたくし、日々の生活に疲れているようです。

と、このように、このとんでもない名曲「ロマン」を語ってみました。夏がちょうど終わるころに「終わらない夏」を扱いたいなあ、なんて思ってますから、ちょうどいいペースかもしれません。このアルバムが発売されたのは春でしたが、このアルバムを夏まで聴きまくっていたのですから、「終わらない夏」はかなりキました。1993年……あの年は梅雨が終わらず、「終わらない夏」もなにも、夏が来なかったのです(笑)。秋からはタイ米食べて暮らしてた未曽有の凶作の年でした。

そんな一年を支えてくれたアルバムの、冒頭キラーチューン「ロマン」のご紹介でした!

あこがれ [ 玉置浩二 ]

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2021年07月23日

あこがれ


玉置浩二『あこがれ』一曲目、「あこがれ」です。

一分ほどのインストゥルメンタルなんですけどもね、ピアノとストリングスでしっとりと、それでいて情熱的に胸に迫ってきます。一分経ったら終わりますんで、え?もう?という気持ちになるんですが、ちゃんと意味というか仕掛けがあるんです。

第一に、二曲目「ロマン」の導入になっているということです。「ロマン」が同じようにピアノとストリングスで泣かせに来ますから、あーなるほど、この曲で本泣きさせる作戦で早く退いたか……と納得できます。

第二に、十曲目「大切な時間」の後半部がこの「あこがれ」のストリングスバージョンとなっており、しかもかなり重厚なアレンジ・音圧でこのアルバムを超弩級感動モノとして締めくくりますから、う!こうきたか!ここで「あこがれ」を思い出させて終わるのか……不覚にも「ロマン」の導入とだけ位置付けちまったぜ……と自分の不明に恥じ入ることになります。もちろん、エスパーじゃないんですからそんなの予想できるわけないですし、予想できたところでたまたま当たった以上の意味はないです。そうですね、しいて言えば『安全地帯IV』がこういう作りになってましたけども、阪神の試合で川藤が代打に出てくるよりも頻度は少ないですので(笑)、まあ、こういうパターンもなかったわけじゃないってくらいです。

さて、この曲、AメロBメロ、そして転調してAメロを繰り返して終わります。この転調、わたくし気づくまでかなりかかりました(笑)。相変わらず耳がポンコツでいけません。ニ長調(D)からヘ長調(F)ですね。実に一音半、歌ならいきなり上げると結構戸惑うジャンプになりますが、玉置さんきっとガットギターで歌いながら作ったんだと思いますから、なんなくこのジャンプをこなしたのでしょう。そして、星さんにテープ渡して、これでピアノとストリングスのインスト作りたいんだよね!と注文なさったのでしょう。星さんはもちろん「お、浩二のやつ、ずいぶん跳んだな、でもそんな唐突感がなく自然に聴こえるな〜じゃあこっちもそんなに違和感なく組み立ててみせるぜ!」なんて感じで、ゴールデンコンビの作曲チームワークが発揮されたものと思います。

そう、このアルバム、もう松井さんはいないのです。作詞は須藤さんが入るにしても、まだ共同制作者って感じではないです。ほぼすべての曲を玉置さんと星さんでアレンジして(ポール・エリスが二曲)いるのです。演奏者はピアノは奥さん清水さんが交代で、シンセもポール・エリスと川島さんが交代で、その他ハープ、トロンボーンがたまに入るくらいで、入れ代わり立ち代わりって感じです。ほとんどすべての曲で金子飛鳥Groupがストリングスを担当しているにしても、それにしたって基本的にスタジオミュージシャンですから、一緒に作ったって感じではないでしょう。このアルバムは事実上、玉置さんと星さんが作ったのです。『All I Do』と比べると、なんと贅沢なところのないアルバムでしょうか。ですが、このときの玉置さんにとって、誰よりも信頼できたであろう星さんと二人三脚のようにこのアルバムを作れたことは、きっと幸せなことだったのです、というか、安全地帯に、そして自分に疲れて、それしかできなかったのだと思います。

この曲を「あこがれ」と名付けたのはおそらく玉置さんでしょう。「情熱」の歌詞で「いつか追いかけた」と松井さんが評した「あこがれ」、それは、玉置さんにとって「夢」とは違うものであったことが、ブックレットの最終ページに掲載された玉置さんの詩に記されています。

「夢」とは、バンドの仲間とロックスターになること……それはもう果たしてしまいました。いまはもう、その「夢」は見失い、ホントに好きだった音楽をやることを模索し、あの『太陽』を完成させますが、バブルの崩壊とともに安全地帯そのものが社会のひずみに飲み込まれていきます。

あこがれだったロックスターと同じように、大きなコンサートホールで脚光を浴びること、それ自体は大したことじゃなかったとわかってしまい、ほんとうの「あこがれ」が、自分から見える、自分の外側にあるロックスターになることでなくて、自分のなかに、自分が作る音楽のなかにあったんだと……気づいたのでしょう。

こうなると、もういけません。ひたすら曲を作り続けるしかありません。「夢」なら叶っておしまいにすればよかっただけですよね。ですが、「あこがれ」はそうじゃありません。ベートーヴェンが聴力を失っても自分のなかにある真実を求め歯ブラシくわえて音の振動を拾い拾い曲を作り上げていったことに似て、はてしない精神世界への旅を続けなくてはならないのです。だからこそ、玉置さんは「僕はこんなはずじゃなかったのに」と、「夢」でなく「あこがれ」を追い求めた自分を表現したのでしょう。

や、もちろんぜんぶわたくしの妄想ですけれども!(笑)

ですが、この寂しげで、それでいてやさしさにあふれた旋律が、安全地帯の大成功から活動休止、ソロ、安全地帯の復活と崩壊といったこれまでの「夢」の世界での彷徨の果てに「記憶の森」という精神世界への第一歩を踏み入れたことを示すものであるように思えてならないのです。

最後にハープで視界が開ける感覚の箇所がありますよね。あれがわたくしには、北海道の森で、樹々の間からみえた湖の光景であるように感じられるのです。これは完全にわたくしの想像であって、なんの根拠もないですけども。でも、本州の森にはない感覚なんです、これ。

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