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安全地帯・玉置浩二の音楽を語るブログ、管理人のトバです。安全地帯・玉置浩二の音楽こそが至高!と信じ続けて四十年くらい経ちました。よくそんなに信じられるものだと、自分でも驚きです。
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2023年02月12日

CHU CHU


玉置浩二『JUNK LAND』十曲目「CHU CHU」です。コメントで教えていただいたのですが缶コーヒーJIVEのCMソングでした。The Archive of Softdrinksさんによると、JIVEは2003-4年で販売終了だったようです。うーむもう20年も前か!当時はBOSSが登場して一気に缶コーヒーブームだったんですが、いまやコンビニコーヒーにシェアを奪われだいぶ細々とした感じになってしまっています。

我が愛しのフラッグ」から続く蝉時雨を一気に切り裂くギターの「ジャイーン!」で曲は始まります。武沢さんもそうなんですが、どうしてこんな残酷な音が出せるのでしょう。わたくしの知ってるギターとは違う楽器なんじゃないかと思うくらいです。

玉置さんのボーカル「CHU CHU」が始まり、背景にギター、ハイハット、バスドラとタム、そして……木琴ですかね?テケテケテッテという癖になる音が入っています。主旋律は何の楽器なのか……まったくわかりませんがおそらくキーボードで出したシンセの音でしょう。「……〇×△行くか!(よしそろそろ行くか?)」という玉置さんの声があって須藤さんのベースと安藤さんのピアノが入り、スネアを合図に歌が始まります。

「あのつまらない毎日が素晴らしい」ぬお!1997年秋、つまらない日々をむさぼり、その日々が終わろうとしていることに寂しさを覚えつつ、その日々を閉じる準備をしていたわたくしにクリティカルヒットでした。なぜ泣かせる!何の解決にもならないゴタクを並べていた仲間たちも次々と街を去っていった、ちょうどそんな時期に、よりにもよって……。

当時のわたくし、「つまらない毎日」の閉じ方がわからず、とりあえず必要とされる本を買わなくてはならないのにその金もなく、パチンコ屋に駆け込んでなんとか本代を工面することに成功し、読みふけっている最中でした。この本を読んで、そしてなにがしかの文章を書けばこの毎日は終わってしまう、じゃあ読まなければいいんじゃないか?でもおれが読まない書かないでやり過ごしたとして何が残る?みんないなくなるんだ。残された者とこの日々を続けるか?いや、そいつらもいずれいなくなる。じゃあそれでも残っているやつらと……そんな児童会にいつまでも顔を出すウザい中学生みたいなことしてられっか!ああああ、やっぱ読むしかないよな……などと、頭の中グルグルさせながらひたすらわけのわからない本を読み、飯を食い、洗濯をして、また読んでいました。

「つまらない毎日」は素晴らしかったのです。ああでもないこうでもない、ああでもあるこうでもある、言葉だけが飛び交い中身は何にもない、なくっても構わないのに大問題であるかのように思っているあの毎日、この毎日は夢なんだとわかっていたつもりで、実は全然わかっていなかった……「何のー解決にも、ならないってく」「やんでたー」という当時の人には思いつかない譜割を見事なハモリで歌う玉置さんのボーカルに、自分がいま終わらせようとしている日々がどんなものであるか教えられたような気がしたものです。

場面転換を彩るギターのフレーズ、曲はペースアップ、「自然に」「真剣に」「泣いてりゃいい」「悩んでていい」の組み合わせでわたくしのような迷子の人生を導きます。これまでも十分キャッチーで曲の冒頭からいきなりサビかと思っていたら、実はここからがサビでした的なダブルサビ構成で一気に駆け抜けます。演奏はライドシンバルの連打とアコギのストロークを入れたのか、にぎやかさと疾走感がいや増しています。

素直になれることに自然に泣く……何の得にもならないことに悩む……君と僕で……それでいい、それでいいんだ……

このメッセージは、見栄と向上心と退廃とムダとがドロドロに混在していた青年時代、奇しくもそれに重なった90年代後半の混沌とが相まって、世の中も人生も真っ暗に思えていたのに街はムダにビカビカと安っぽい光で満たされている、そのギャップが生活環境となっていたわたくしにとって、導きの光のように思えました。現代の若い皆さんはご存知ないでしょうけども、90年代は新興宗教ブームで、テロ事件で大騒ぎになったあの教団以外にも、大小さまざまな団体によりさまざまな問題が毎月のように起こされていたのです。ですから当時の若者はそういうものに近づかない!貝になる!という態度を決め込んでいたのです。ほとんどの勧誘は教団の思惑を知らない末端の信者によって善意で行われていたでしょうし、なかには本当に癒しと救いを与えてくれようとした手もさしのべられていたのかもしれませんが、そんなの区別がつくわけありませんから、すべて撥ねつけていました。そうやって自分を守らなくてはならなかったのです。ちょっと大きな駅や交差点には必ず勧誘の人たちが毎日スタンバイしていましたからね。後ろからトントンと背中を叩かれ振り向けばベレー帽をかぶったなにやら可愛らしい女の子がまっすぐに目をみつめてきてニコッと微笑んだかと思うと、私の手を取りボールペンを二本渡してきて、よくみるとテレクラのボールペンだった!きゃーこしゃくなTELクラブかー!感情線で待ちぼうけよー!なんて日常茶飯事です。ゲシュタルト崩壊まっしぐらという雰囲気ただよう世紀末だったのです。とはいえ可愛らしい女の子から折角もらったボールペンですから、例の本を読みながらメモを取るのにしばらく使わせていただきました(笑)。

素直になれること、それは……何の得にもならないこと、それは……とわたくし、本を読みながら考えました。その本は、パチンコで勝った金で手に入れたというダメダメな素性にもかかわらず、わたくしの思考回路をもの凄い速さで回転させてくれました。「つまらない毎日」を数年続けたためにすっかり錆びついた歯車に油をさし、燃料を補給し、そしてプラグに電流を流してくれたのです。そして、音楽は趣味だ、自分の仕事にしてはいけないと思い至ったのでした。人生の転換点といってもいいでしょう。自分の適性やら嗜好性やらからするとわたしが積み重ねるべきことは音楽じゃない、とはっきり分かったのでした。

オッサンが何くだらねえ自分がたりしてんだよとお思いになるのは当然です。ですが、これは多くの人と共有すべき点を含まないでもないのです。もし、わたしがこの時点でこのように思い至れずに音楽の世界を突っ走り、そしていつまでも評価されないと悩み続けていたとしたら……うっかり一発でも当ててしまってその後全然さっぱりになってしまって絶望に苛まれていたとしたら……もしかしたらその先には、あのベレー帽の女の子の微笑みが……ではなく(笑)、偽りの癒しと救いを与えたくて手をこまねいてスタンバイしていたフェイクヒーラー(メタルチャーチ)の彼ら彼女らに取り込まれていたのかもしれないのです。「きみの夢を応援」「生きがい」「自己実現」「なりたい自分に」「キャリア開発」などといううさん臭さ抜群のキャリア産業が看過できない規模の勢力となった現代にあって、これは多くの人に訪れ得る危機といっても過言ではないでしょう。どこの世界によく知りもしない赤の他人の人生に「寄り添う」やつがいる?自分でとことん考えるしかないんだ!真剣に悩むしかないんだ!どんなに悩みが辛くても苦しくても他人にその判断を求めてはいけない!自分にしっくりくるもの、「素直になれること」「泣いてりゃいい」と思えるものに、自然な反応を示すのがベストなんだと、玉置さんは訴えているようにわたしには聴こえてならないのです。

曲は前奏にプラスアルファの「CHU CHU」で二番に入っていきます。

「楽しんでいられなくなる」のは、どうしても何も、人は変わっていくからです。成長するからです。頭の回転を速くする方向に成長することもあれば、身体能力が高くなる方向に成長することもあるでしょう。そうなると、見えるもの、考えることが変わってくるのは当然です。そしてそれは一人ひとり違うのですから、いまの仲間たちはいずれ去ります。そして新たな人たちと新しい人生を作り始めますが、やがてその人たちも去ります。仕方ありません。見えるものも考えることも違うからです。「ダメなんだ」のはどうしてもなにも、変わってしまうからです。「雨に濡れちゃ」った「かけずりまわっていたあいつ」のことも助けてあげられません。助けるには、こっちが見えているものを見ないことにするしかないのです。それは、自分の成長を否定し、人生を放棄して、「あいつ」に捧げてしまうことです。その覚悟がなければ、けっして本当の意味で助けることなどできはしません。それは悲しいことです。タブルボーカルの玉置さんがその悲しさを切々と語ります。これは軽快な曲調とは裏腹に楽しい歌などではなく、変わりゆく自分と人生とを悲しむと言っては言いすぎでしょうが、少なくとも前向きな歌ではありません。切ない歌なのです。

「雨に濡れちゃっても」で一番よりも時間を使ったはっきりしたブレイクがあってまた「自然に」が始まります。ほとんど歌詞は一番と同じですが、「何の為にもならないことに」だけが変わっています。得になること為になることしかしてはいけない的ビームが頭上を飛び交う現代、「コスパ」だとか「タイパ」のようなゾッとする生き方を示唆する醜悪な言葉が飛び交う現代、何の得にもならないことでもいい、何の為にもならないことでもいいと、歌詞をそこだけ変化させることによって浮かび上がらせて玉置さんは力説するのです。

CHU CHU……Thank you John,でしょうか、玉置さんが歌うジョンはレノンしかいないとわたくし勝手に思っておりますが、狂熱のビートルズ全盛期を乗り越えたレノンの生き方はまさに、現代でいえばコスパタイパ完全無視の、傍からは迷惑なんじゃないかってくらい自分に自然な生き方を求めたのでした。軽井沢に避暑に訪れ、ヨーコやショーンと一緒にゆっくりと滞在を楽しみ、ロイヤルミルクティーを飲み……LOVE & PEACEを求めたのです。

木琴が鳴り響き、玉置さんが「自然に真剣に」と繰り返し強調します。スネアが入り「素直に」「素直に」「素直に」……

人生、マジになろうぜ。他人のいうことを真に受けてどうする。誰もがいずれ「雨になっても」「知らんぷり」で去るしかない人生なんだ。自分の人生、自分にしか「自然に」「素直に」なれるピンポイントのことはわからないんだ……迷惑になるかもしれない?それはそうだ。でも、迷惑を避けるように調整するか、迷惑をかけちゃってすべての後始末をするか、どっちかしかないんだ……。これは悲しき真理です。悲しいけれども、でも素晴らしき哉人生、だからこそ新たな出逢いがあって新たな展開がスタートするわけですから、恐れて立ち止まってばかりでもいられません。時代はときに残酷なくらい確実にわたしたちを導きますけども、それはごくごく自然なことだったのです。

かくしてベレー帽のお姉さんにもフェイクヒーラーにも近づかなかったわたくしですが、「ジャイーン!」と時を刻む残酷なギターによって前後が切り取られたこの曲は、そのいっときの悲しさとさみしさ、それと同時に垣間見える希望を意味しているのだろう……玉置さんの爆笑で終わるこの曲には、アイロニカルな笑いでなく、明るい未来を意味する笑いが似合うとわたくし思うのです。



JUNK LAND [ 玉置浩二 ]

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感想(1件)



Listen on Apple Music
posted by toba2016 at 12:16| Comment(6) | TrackBack(0) | JUNK LAND
この記事へのコメント
自分の作品を好きになれないというのは深刻です。演奏するとみんな大喜びなのに自分だけブルー。そこをうまいことちょっとずつ好きな方に変えていけばいいのにと傍からは思いますが、そんなの何年もやってられねえよ!というのもよくわかるのです。

わたくし、本業はちゃんとあるというか、傍からは本業と区別つかないようなことをやってるんです。それが求められるから。玉置さんが不本意な音楽をやってたときのように。玉置さんほどじゃないとは思いますが、お前は○○やってればいいんだよって態度にはそれなりに苦い思いをします。でもわたしがいま本業を思い切りやり始めたら、たぶんみんなポカーンです。難しいものですねえ。だから、ドロンコになったって君のためなら僕だってまだやれる!と、また不本意な仕事にそれなり精を出してしまうのです。それでろくろくバンドにも出かけられないんですが……。
Posted by トバ at 2023年04月16日 20:44
どうも立て続けてしまって。いまじん(ひまなひと)やってます。

マーケット的なコメントは、大事な自分のコンサートやライヴでも玉置さんは安全地帯が10周年迎えるまでずっと気にされてたように思いますし、実際、太陽がグーンと売れず活動停止にも繋がっていった、作品のクオリティはむしろ上がっていましたし、実際に何十回も1991、1992のライヴに通った私は安全地帯は何処へ向かっているのか?こんなに素晴らしく、感動を与えてもらったらこっちだって唱いたくなるジャマイカ(笑)
と勘違いをしてこちらは30年が過ぎました。

要するに何が言いたいのか?と申しますと、玉置さんの歌はぶっちゃけ、売り上げが低迷しはじめた時期からグーンと素晴らしくなる、皆既月食もとい怪奇現象をみせたのです。

色気や貫禄は十二分に備わったのに、自身にとって最終的に一番必要であったであろう、幸せ感や自己肯定感が安全地帯を成功に導くためにすり減ってしまったのでしょう。少し真面目に考えてみました。ありがとうございます。
Posted by よし at 2023年04月16日 16:08
おお、玉置さんと鈴木さんにもそんな縁があったのですね。なんか、決して悪くないというか好みの問題なんですが小田はべったりしているんですよ、私の感覚的に。A面B面でそれぞれ並び立つ色だったのが、それをメインにされちゃ鈴木は出ていくしかないと思っただろうなと傍から考えていました。玉置さんと並ぶと圧倒されてしまうでしょうね。ずっとメインをはる声でないのは確かなんですが、小田の曲も鈴木さんの声が入っていないコーラスだとあまり生きません。そういう絶妙の立ち位置なんでしょう。ソロになったのはもう巡りあわせとしか言いようがありません。

東京生まれ東京育ちのミュージシャンがバカ売れという例がそんなに思いつかない(ユーミンくらい?でも彼女も区内ではない)のでもうわたしの中ではほとんど確信なんですが、東京は生産地でなくて消費地として特化されているんです。これだけ人口が集中しているのに新しいものが生まれにくいって、ちゃんと原因があると思うのですよ。さすがの玉置さんもすっかり消耗したようですし、軽井沢時代のあることは必然だったのでしょう。
Posted by トバ at 2023年04月16日 07:16
しんや丑三つ時に失礼しますた。わたし丑年生まれの今年50になりやす(笑)

そうそう!!俄然、このあたりから、軽井沢へ行った事がもう新しい空気を体中で吸うんでしょうし作品がうまれ変わりますよね。それでも相当自分に厳しくしないとダレるから、玉置さんには相棒がいつも傍に必ず居るので良いのですが。

僕は本当に都内に住んでた頃は、あちこちライヴ行きまして、鈴木康弘さんと玉置さんが森山直子さんとのチャリティーコンサートの時に一度、「もう花はいらない」をデュエットしたのを見ました。

一番が鈴木康弘さん、二番から玉置さん。
正直、玉置さんの歌の美味さにわたしは
驚きました!一番を本人が歌い、そのあとご本人を軽く超える歌声、表現力というか、大谷翔平氏のバッコンバッコンステンドへ運ぶホームランみたいな。
1994年の暮れに確か九段会館であったコンサートでの出来事で、遥か昔に玉置さんは旭川にオフコースが来て、会場の出口で小田さんに握手して貰おうと思ったら鈴木さんが来たので鈴木さんに握手して貰ったそうで、鈴木さんが「覚えてないよ」と言って爆笑してました。面白いエピソードデスね!ではおやすみやさい。
Posted by よし at 2023年04月16日 02:53
JUNK LANDのビデオ、そういやしばらく観てないな……わたくし気づいてしまったのですが、玉置さんの歌、弾き語りこのあたりから急に難しくなります。わたくしが舌ったらずなのかもわかりませんが、なんか歌詞についていけない、ストロークやアルペジオのリズムと合わせにくいのです。CHU CHUなんてとんでもありません。玉置さんの弾き語りをよく見て真似するしかないですかねえ。作った人が一番よくわかるでしょうし。

玉置世界観ですか、松井さんとも須藤さんとも違う世界をこのとき確立していったのはよくわかります。90年代はまがい物がたくさんヘビーローテーションでしたから、そこにおいてひときわ透き通った美しい光を放っていたように思います。小田和正と別れて一足先に独自の世界を作っていた鈴木康博にも似た透明感でした。
Posted by トバ at 2023年04月15日 21:09
だめだ!バラバラになっちった。終わり方がフェイドアウトしていくところも楽しいす。

チュッツュッは本当に数え切れない玉置ソングの中でも指折りなキャッチーな自然体ソング。
もっとあとの今日というこの日を生きようのアルバムにも通じる玉置世界観(尾崎世界観みたい)
を味わえます。たぶん作り出したらパッとすぐに出来ちゃった良い曲なんだと思います。

ジャンクランドのビデオ(ふ古い)でおじいちゃんギターでサービス精神全開な弾き語りしてますね!
Posted by よし at 2023年04月15日 19:06
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