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安全地帯・玉置浩二の音楽を語るブログ、管理人のトバです。安全地帯・玉置浩二の音楽こそが至高!と信じ続けて四十年くらい経ちました。よくそんなに信じられるものだと、自分でも驚きです。
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2022年09月30日

小さい秋みつけた

ENDLESS [ 安全地帯 ]

価格:3,594円
(2022/9/23 14:13時点)
感想(0件)



安全地帯『安全地帯ライブ ENDLESS』十四曲目(Disc2一曲目)、「小さい秋みつけた」です。

いわずと知れた有名童謡、サトウハチロー作詞、中田喜直作曲「ちいさい秋みつけた」で、最初の発表は1955(昭和30年)のようです。玉置さんも生まれてませんね。ただ、玉置さんが生まれたのは1958年ですので、そんなに前のことでもありません。玉置さんの幼少の頃はまだ10年やそこら前の曲って感じだったでしょう。そうですね……いまの若い人(20代中盤くらい)からみた「だんご三兄弟」(1999年)くらいの古さだといえばその感覚が想像できるでしょうか。わたしら氷河期世代からみたら「おもちゃのチャチャチャ」(1963年)や「ピンポンパン体操」(1971年)、「およげたいやきくん」(1975年)くらいですね。子どもの頃にはぜんぜん古い曲なんて思った記憶がないですね。玉置さんにとっても「ちいさい秋みつけた」はそれくらい新しい曲だったのです。

大先輩のN.Noguchiさんのサイトによりますと、「ワインレッドの心」は玉置さんがこの曲のイメージをもとに作ったとのことです。さもありなん!「ワインレッドの心」は、当時あまりに売れない安全地帯が陽水さんから曲提供を受けることを玉置さんが断り、悩んで悩んで作り上げた曲なのです。こういうときに自分が信じるいい曲、好きな曲にイメージを求めることは人間の心理として起こりそうなことでしょう。

また、さまざまな音源販売サイト(もちろんAmazonとかでも)に転載されているCDジャーナルによれば、「童謡の「小さい秋みつけた」が収録。ボーカルの玉置浩二は当時`この曲を超えたい`と言っていたらしい」と記されています。あの「ワインレッドの心」をしても超えたという感覚がなかったのでしょう。その後、玉置さんは「ゆびきり」「夢のポケット」「氷点」「大きな"いちょう"の木の下で」など童謡チックな歌をリリースしていますが、「超えた」感覚はあったのでしょうか。なんとなく、まだ超えられないと思って、さらにいい曲を作りたいと思っている玉置さんであってほしいと思わされますね。

さて、そんな目標とする「ちいさい秋みつけた」を、玉置さんはアコギをもって弾き語りします(映像があるわけじゃないので、もしかしたらギタリストが横で弾いているなんてこともなきにしもあらずですが……当時会場にいた人でないとわかりませんね)。ポロン……「ぬふっ」「キャハハ(観客の笑い声)」ポロヒラリ〜(ハーモニクス)「玉置さーん」「いくよっ!」という不思議なやり取りがかわされます。

うーんこれはですね……いままで持っていたエレキギターからアコギに持ち替えてちょっと弾いてみたら、ほんの若干チューニングがズレていたんじゃないかと思います。「ありゃ」とか「まあしょうがねえな」くらいの気持ちで「ぬふっ」という声が漏れたか(あとのハーモニクスはチューニングを確かめるもの)、もしくはたんなる咳払い程度の「ぬふっ」だったのでしょう。

そして玉置さんが朗々と切々と歌い始めます。いつしか観客も一緒に……いやたぶんほかの曲も一緒に歌っているんだと思うんですが、なにせバンドサウンドだとかき消されて聴こえないのです。この曲は玉置さんのボーカルとアコギだけですので観客の歌もよく拾っています。当時の観客の皆さん、お上手ですね。

めかくし鬼さん手の鳴るほうへ……「めー」の大きさ、「ほう」の持ち上げ方、こういう一つひとつが、なんでこう歌おうと思ったんだろうと不思議なんですが、でもこう歌われるとその説得力に息をのみます。こういう誰もが知っている歌だと比較ができますからその巧さが際立ちますね。いっそ童謡メドレーを10分くらいやってほしいのですが、あっさり終わります。

このアルバムを手に取ったとき、曲目リストに「小さい秋みつけた」を発見して、え?と思いました。そういう名前の曲は知っているけども……これはほんとうにあの「ちいさい秋みつけた」なのだろうか?それともアルバムに収録されていないだけで安全地帯に「小さい秋みつけた」という曲があってこのライブアルバムに収録されているのだろうか?それは中身を聴くまでわからなかったのです。当時試聴なんてありませんでしたしね。あったのかもしれませんが、少なくともわたし個人の経験内では見たことはありませんでした。

なんと札幌にはタワーレコード日本上陸の前に、なぜかタワーレコードというレコード屋さんがすでにありました。どうも個人の方がやっていたようなのですが、その後本家タワーレコードに買収されて、めでたくタワーレコード日本一号店となったそうなのです。そうなのか!全然知らなかった!わたくし当時はちょっと幼少すぎました。わたしがタワーレコードに出入りするようになったころには、小さなビルの四階とかにあったのですが、それがある日移転してドカンと大きなフロアの、私たちがよく知るタワーレコードらしいレコード屋さんになったのです。その頃にはもちろん試聴コーナーはあったと思うのですが、移転前にはなかった気がするなあ……。ここはオサリバンの「クレア」とかを求めて買いに行ったなつかしいタワーレコードなのです。いや、もちろんメタリカのブラックアルバムとかも求めに行っているのですが、ここは雰囲気的にオサリバンだろう、などと考え、メタリカとか日本版発売前のハロウィン『ピンクバブルズ・ゴー・エイプ』などをうひょーとかいって買った事実を意図的に隠しておりました!(笑)。事実の編集失礼いたしました。

さて試聴もなしにトライ、再生開始数十分後に「ちいさい秋みつけた」だとわかったのですが、その後玉置さんとこの曲の関係を知りその後の童謡チックないくつかの作品にその面影をみて……ということは何年もかけて行ってきたのでした。情報時代というか、口コミ大公開大放言時代である現代では考えられないゆっくりした過程です。逆にいうとこれ以外の知り方吸収の仕方を知らないのでこれらをその気になれば二時間以内に経ることのできる現代には驚きです。人間の頭のほうがついていかないんじゃないのか……?だからメガデスのムステインがメタリカ時代に練習に犬を連れて行ったとかジェイムズを殴ったとか、そういうどうでもいい記事は普段からあんまり読まないことにしております。今回は特別くだらない情報を探したらまんまと目に入ったのがこれです(笑)。

わたくしこの『ENDLESS』はメタルテープTDK MA110に録音して持ちあるっていました。KENWOODのウオーキングステレオと、部屋にあったバブルコンポを行ったり来たり、一日に何周したのか……カセットテープってタフですね。CDと違って一枚目二枚目をぶっ通しで流しておけるので重宝していました。「」が終わってしばらくしてからガシャンとオートリバースがかかりこの「小さい秋みつけた」が流れるのです。何度も何度も玉置さんの「小さい秋みつけた」を聴き、冬でも春でも夏でもすっかり秋の気分、玉置さんの表現力にかかればオールシーズン秋です。すましたお耳に口笛とモズの声がかすかにしみてくるのです。いま気づきましたが、この「すました」って耳を澄ます、つまり注意力を高くして耳に入ってくる音を漏れなく聴こうとすることですね。わたくしいままで「おすましさん」とかの冷静な様子のことかと思っていました。耳が冷静ってなんだよ。ずっとずっと勘違いしたままでした。これでは「目隠しおじさん」とか危ない歌を歌っている人を笑えません。

ENDLESS [ 安全地帯 ]

価格:3,594円
(2022/9/23 14:13時点)
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2022年09月24日

『安全地帯ライヴ ENDLESS』

ENDLESS [ 安全地帯 ]

価格:3,555円
(2022/9/20 10:13時点)
感想(0件)



今回はライブアルバム、安全地帯『安全地帯ライヴ ENDLESS』です。1985年2月12・13日(武道館)、17・18日(大阪城ホール)での録音から編集した二枚組で(どの曲がどっちで録音されたものかはわからないです)、『安全地帯II』『安全地帯III 抱きしめたい』の収録曲はほとんど収められた、初期安全地帯全曲集に近い大作になっています。発売は1985年4月、アルバム発表順に記事を書いてゆくという弊ブログの方針とは異なり、わたくしこんなに遅くなってからの上梓となってしまいました。方針を守ったなら『安全地帯III 抱きしめたい』と『安全地帯IV』の間に記事があったはずですが……。当時からライブアルバムの扱いをどうするべきか決めかねておりまして……だって収録曲はもう書いちゃったしなあ、などと悩んだ末にやっぱり書いておこう、ベストアルバムと同じ体裁で書けばいいやと決めたのがつい最近だったわけです。

さてこのライブアルバム、とんでもない出来上がりで、なにより演奏がマーベラスです。玉置さんが歌詞を間違った箇所(「ブルーに泣いてる」)はありますが、ミスらしいミスがほぼないのです。何十年も聴いていますが演奏が乱れた箇所を発見出来たためしがありません。これを聴いてしまうとスタジオアルバムが面白げに欠けるように思われてくるくらいです。なんなんだこのバケモノバンドは!と今なら思えますが、なによりわたくしライブアルバムというものをほぼ聴いたことがなかったので、どのミュージシャンもこれくらいはできると思ってしまったというある意味恐ろしいライブアルバムです。録音も素晴らしく、全員の音がハッキリ聴こえてきます。そりゃ現代のライブアルバムに比べたら音圧がどうとか明瞭度がどうとかいろいろ言えなくもありませんが、40年近く前の音源にそれはムリってもんです。

ところでこのENDLESSライブのわずか三年前にオフコースが10日間連続ライブを行っており、今年40周年でCDやDVDが大売り出し、これもいいライブです。鈴木康博ファンのわたくしとしては個人的にお気に入りです。さらにその10年前にはDEEP PURPLEが『LIVE IN JAPAN』、さらにその六年前にはビートルズが公演を行っておりまして、武道館が大動員のライブ会場として用いられるようになってから安全地帯がこのENDLESSライブを行うまで20年くらいたっていたのです。大動員といってもキャパは一万チョイですから、現代の感覚でいうとそんなに大きな会場でもないんですが、当時はさいたまスーパーアリーナとか東京ドームとかはなかったですから、武道館公演を行うことが大成功の象徴みたいなものだったのです。現代では音響機器が進化したというのか、ツマミさえひねればどれだけ大きな音でも出せるようになっていますから(エンジニアのきみたち全員南朝だろ、いや難聴だろと思うくらい)、数万人規模のライブもそんなに難しくないのかもわかりませんが、当時はこのENDLESSライブが技術的にはほぼ最高の動員と音だったといってもいいんじゃないでしょうか。

さてこのENDLESSライブアルバム、『REMEMBER TO REMEMBER』からは四曲、『安全地帯II』からは全十曲、『安全地帯III 抱きしめたい』からは「エクスタシー」を除く九曲、シングル関連から二曲、その他一曲の全26曲となっております。LPやカセットでは数曲省かれたり三枚組になっていたりと事情がやや異なりますが、ここではCD二枚組としてご紹介いたします。

Disc.1
1.Endless
2.マスカレード
3.真夏のマリア
4.Happiness
5.Kissから
6.ブルーに泣いてる
7.Big Joke
8.エイジ
9.つり下がったハート
10.あなたに
11.…ふたり…
12.アトリエ
13.

Disc.2
1.小さい秋みつけた
2.恋の予感
3.yのテンション
4.Lazy Daisy
5.ダンサー
6.真夜中すぎの恋
7.熱視線
8.ラスベガス・タイフーン
9.ワインレッドの心
10.La-La-La
11.眠れない隣人
12.We′re alive
13.瞳を閉じて

Disc 1は「Endless」のゆるやかな感じ(これはSEでしょう)から、大音量の「マスカレード」で一気に盛り上がり、つづけてミディアムテンポの「真夏のマリア」「Happiness」「Kissから」でノリを持続させます。「ブルーに泣いてる」でちょっと泣きを入れてから「Big Joke」の軽快なリズムを挟んで「エイジ」でまた泣かせます。ここからしんみりモードで「つり下がったハート」でちょっと不穏に気持ちにさせてから、大人気バラード「あなたに」で観客の狂喜!この耳をつんざく黄色い声はただごとではありません。本気で失禁・失神した人が出たんじゃないかというくらい興奮しています。ここからはアコギ路線で「…ふたり…」「アトリエ」「風」と、これもさぞや興奮と落ち着きが同居した不思議な幸福感を味わったものと思われます。

Disc 2に入りまして玉置さんの、おそらくは弾き語り「小さい秋みつけた」のほんわかしんみりから、大ヒット曲「恋の予感」で一気に盛り上げます。この歓声は「あなたに」を越える大きさ!なにせ当時最新シングル「熱視線」のわずか一枚前ですからまだまだ新曲、観客が大喜びするのもさもありなんです。そこからは「yのテンション」「Lazy Daisy」とニューアルバムから一曲目二曲目を繰り出し興奮を持続させます。ここで何やら効果音的なものがだんだん大音量になり途切れたかと思うと「ダンサー」が始まります。このあと「真夜中すぎの恋」ですからセカンドアルバムからの選曲になる気分モード転換に効果音を使ったのかもわかりません。そして最新シングル「熱視線」とシングル曲が続きます。このあたりで観客も喜びすぎて疲れたでしょうから次は「ラスベガス・タイフーン」、これもシングルなんですがおそらくは知名度の相対的に低かった曲で一休みという感じでしょう。ですがこの曲、かつてはメインの曲だっただけあってかなり強力な魅力を持っています。矢萩さんの超絶ロングアドリブソロが炸裂し、知らない曲だけどすごいねこれって感じで会場はいやがうえにも盛り上がっていきます。そして暖まりきった会場に「ワインレッドの心」が投下され、コンサートはクライマックスを迎えます。このあと「La-La-La」でメンバー紹介をしていったんコンサートは終わります。鳴りやまない拍手、終わらないアンコールを求める声、そして大歓声とともにメンバーが再登場し「眠れない隣人」でドカンと盛り上げます。そしてアンコールの定番「We're alive」で「みんなの顔を忘れはしない〜今日はほんとにどうもありがとう〜」と別れを告げ、コンサートは終わりになります。ふたたびアンコールを求める声が収録されており、それにこたえた形という体でラスト、エレピだけの伴奏で「瞳を閉じて」が歌われ、このライブアルバムは終わります。

うーこうして書いてみてもいいライブアルバムです。演奏はパーフェクトなのはもちろん、キッチリ流れがあります。わたくしがこれを聴きまくりすぎたせいで流れがあるように見えるだけかもわかりませんが(笑)。それを差し引いてもボリューム満点、いやーライブ聴いた!という気分になりますよ。安全地帯のライブアルバムで一番のおススメといってもいいくらいです。快進撃真っただ中の安全地帯がどれくらい凄かったか、よーくわかるライブアルバムです。

ENDLESS [ 安全地帯 ]

価格:3,555円
(2022/9/20 10:13時点)
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2022年09月19日

メロディー


玉置浩二『CAFE JAPAN』十一曲目「メロディー」です。先行シングルで……このアルバムからはぜんぶ先行なんですけども(「STAR」「メロディー」「田園」の順)、アルバムより数か月前に発表されていました。筑紫哲也のニュース番組でエンディングに使われていたことはすでに何度か言及しましたが、この翌年キョンキョンと小林薫さんと共演した「メロディー」なるドラマにも挿入歌として使われたようです。なおカップリングは「愛を伝えて」でした。

この曲は、おそらくですが玉置ソロで「田園」の次に有名曲なんじゃないかなと思います。ちょうど玉置ソロが注目を集めていた時期ですし、それ以前の郷愁ソングの流れがちょうど大きな実を結ぶタイミングでしたし、昔からのリスナーが郷愁を感じるくらいの年齢に差し掛かっていましたし、それなのに社会は激変して地方のふるさとがギタギタにされていく時代でしたし……この曲が多くの人の涙を誘うにピタッとうまくハマった感じです。

とまあ、こんなふうにこの曲が有名である原因らしきものを説明することはできるわけですが、それらはしょせん外的な条件であって、それ以上に曲そのものが持つパワーが大きいのだと思うのです。

その日、わたくしはシンガーの後ろでギターを弾いていました。オーバードライブを踏み込み、この「メロディー」のソロを弾きあげ、そのあとフロントピックアップからハーフトーンに切り替えてジャガーンとサビの伴奏を入れていたのです。なるべく矢萩さんが弾いた通りに弾こうと正確さを心がけていたところでした。

ふと、歌が途切れ始めました。ん?と思ってシンガーをみると横を向き目をこすっていました。ゴミでも入ったのかと思いましたがそうではありません、みると聴衆がみんな涙涙……泣いているのです。「く、く、く……」とマイクが嗚咽を拾います。そうです、シンガーは泣けて歌えなくなっていたのでした。その日はシンガーが皆に別れを告げる日で、「メロディー」はステージの最後にセッティングされた曲でした。誰もが感極まってはいたのだと思います。これはえらい場に紛れ込んでしまった……せめてこのまま正確に弾き上げなければ!でも指にはそれ以上の力がこもります。ピックをもつ右手もすこしオーバーになっていきました。この場をもっとドラマチックに盛り上げたいという誘惑が手つきをおかしくしていきました。そうやってどんどんテンションが上がる中なんとか歌い切ったシンガー、たった五分弱の曲で背中から湯気を噴き出すわたくし、終演後はぐったりです。片づけを終え椅子に座って足をだらんと延ばし、この曲「メロディー」は、こんなに大きな力を持つ曲だったのか!と放心していました。玉置さんの曲を聴き込んで弾き込んで何十年も経ちなお知らなかったこの力、とうてい弾き切れるもんじゃない……と痛感し、もうこの曲を軽い気持ちで引き受けるのはよそう、やるなら数か月前から万全の準備をしようと決心したのでした。

閑話休題。かようにこの曲は多くの人たちを泣かせてきたこと間違いなしの超傑作郷愁全開バラードなのであります。そしてわたくしのような安全地帯バカにとっても、クレジットに矢萩さん六土さん田中さんの名を見つけて大号泣の安全地帯復活の兆しを感じた曲ナンバーワンの思い出ソングでもあるのです。このギターソロを聴いたとき、あれこれ矢萩さんじゃ?と思いました。それでクレジットを確認してギターだけでなくベースもドラムも安全地帯!と知ったときの興奮たるや!武沢さんがいないことにももちろん気がついてやや悲しくなりましたけども、事情を知るよしもなかったわたくし、近いうちの安全地帯復活を信じることができたのでした。

「あんなにも〜」と静かな暖かいボーカルに続きボロボロン……とアコギのアルペジオが始まります。始まったばかりなのにもう名バラード確定の雰囲気です。きみがいたこの町にあの歌がまだ聞こえている、大好きだったきみが歌う大好きな歌が。玉置さんワールドにありがちなのですが、この「きみ」は恋人的な存在のようにも描かれるし、友達的な存在にも描かれます。おそらくなのですが、玉置さんにとってはどっちも大切だし同じように仲良くするのでしょう。家庭と家庭の境目がいまよりも薄かった(と語られることの多い)昭和中期、大切な家族も、大切な友達も、そして大切な恋人も、みんなみんな「この町」にあって混然一体としており、そのなかでみんな同じように楽しませて愛する玉置さんならではの表現なのだとわたくしには思えるのです。ですから「あの歌」は友達の歌であり恋人の歌であり、そして家族の歌でもあるのでしょう。

短いBメロ、ベースが加わってさらにセンチメンタルな雰囲気の中歌われる遠い昔のこと、いつもやさしい、少しさみしい、それはふるさとである「この町」であり、ふるさとの人々のことなのでしょう。とすれば、やさしいのはともかくさみしいって何でしょうね?この歌から醸し出される何ともいえないさみしさは、これは誰もがふるさとを振り返って感じるさみしさのことだと考えてその内容を求めると見つけられないものなんじゃないかな、と思われます。つまり、わたしたちがそれぞれ抱くふるさとでの「さみしさ」をそれぞれに感じるような、共通の意味がないもの、「さみしい」という共通の言葉だけがそこにあり、それによって共感が生まれるんだけど実はみんな違うことを思い浮かべている……人間は全部が全部そうなんだといえばそうなんですけども。わたしが食べているチョコアイスの味わいは、相手にとってのバニラアイスの味わいであるとしても何の矛盾も生じない……このような中途半端な懐疑論にうっかり陥ると夜も眠れなくなりますので、若い人は特にネットワークゲームでもして仲間とメッセージを交わし合うなどして自己の存在と共感の成立とを信じ続けていられるよう精神を落ち着ける工夫をするなど、注意が必要です(笑)。

あくまでわたくしの場合ですけども、北海道ってみんなせいぜい四代前から住んでいますから先祖代々の土地ってものがないんですよ。だからか、わりとあっさり移住します。札幌のような大きい街は特に流動性が高く、かくいうわたくしも北海道におりません。地元に残っている友人はもう数人しか浮かばないし、その友人だって今でもいるのか……。うん、さみしい、さみしいです。べつに一堂に会したいわけでも何でもありませんけども、失われたという感覚が強くあります。埋めることはできないしその必要もとくにはないんですけども、玉置さんの歌は容赦なくほじくりだしてきますね、埋めようのない隙間を。このアルバム全体でしばしば想起させられてきたふるさと、家族、いま送っている日々の大変さ、それを生きていくんだという決意、いつかもっと素晴らしい未来が来るんだという希望、それらを一気に包み込む少年の頃の「この町」での「きみ」との日々の思い出を歌うこの曲をラストにアルバムは終わる……うーむ完璧だ!この曲単体しか知らない人はもったいないことをしています!この曲はアルバム全体を聴くことなしにその真価を味わうことはできません。これを余計なお世話だと思う人には全く無駄で野暮な話をしているわけですが。

さて歌はサビ、田中さんのドラムも加わり、怒涛のさみしさの中歌われる「あの頃」、なにもなかったあの頃、いやもちろん何かはあったんですよ、でも思えば何もなかった……やさしいとかさみしいとかの感触だけの思い出だけが残り、実際にあったモノやコトは「あった」と同時に終わっていて「なにもない」に変わってゆくのです。そんな思惟を巡らせるまでもなく伝え聞く昭和中期は「たいしたもの」はなかったのです。いま思えば物質的には貧しかったのですがそれは現代からみればそうであるだけで、貧しいなんて感覚はありませんでした。だから「楽しくやった」し希望に満ち溢れていました。べつに昭和後期や平成初期のような経済的繁栄を願っていたわけじゃないんです。このままの日々が続けばそれでいいと思っていました。「なにもなく」、つまり無事に平穏に、みんなと、きみと、この日々を続けて行けるものと思っていたのです。それが幸せってものなんですけども、人間ですから、今が幸せなんだという実感はありません。幸せというものはこれから来るものだと思っています。「泣きながら〜…(中略)…(実はいまがそうだからバリバリに直視しているんだけどこれから起こると思っている)幸せを(遠い目して実は目の前にあるものを)みつめてた」わけなのです。

思うところ色々あってさすがに長くなりましたが実はまだ歌は一番でした(笑)。ちょっと急ぎ足で「あの頃」の姿を追っていきたいと思います。

「この店」に寄せ書きなんてあったでしょうか。これはわたくしありませんでした。旅先で見かけることがあったくらいです。その店に足しげく通いすっかり常連になった仲間たちが町を離れることになり、記念に残した寄せ書き的なものでしょう。ラーメン屋に芸能人やスポーツ選手が書いたものが掲げられているのとは趣が違います。芸能的な意味でいうと無名の少年少女たちの寄せ書きです。もちろんその隅のほうに「たまきこうじ」とか「たけざわゆたか」とか書かれていたら無名でも何でもありませんが(笑)、書かれた当時は無名だったのです。そんな、思い出を凝縮して残したような寄せ書きがだんだんと隅に置かれてゆく……時の流れを感じずにはいられません。この仲間たちは部活とか……ありえますね。でも当時部活の帰りに集まって飲食するほどの小遣いをみんな持っていたわけではありません。わたくしもパスします(笑)。『タッチ』の南風みたいな店があってそこでスパゲティとか食ってると黒づくめの男がバイクに乗って紙袋抱えた看板娘を送ってきてみんなジェラシーなんて展開はまったく起こりませんでした。起こっていたのかもしれませんが知りません、パスしてたから(笑)。これはある程度お金が自由に使えるようになってからでしょうから、玉置さんでいうとバンドを始めて以降の若者時代なんじゃないかなと思います(「ピースマーク」は交通標識でいうと安全地帯じゃないですか!)ギターを取り出してみんなで歌って、泣いたり笑ったりしたんだと思います。なぜ泣いたのかは他からはうかがい知れませんが……これは若い人には驚きだと思いますが、ギターを取り出して歌うというのは案外起こっていたのです。ギターや歌本を置いてある店もありました。ステージのある店すらあったのです。そういう店もだんだんカラオケマシンを入れるようになってギタリストの出番はなくなっていったのですが、私が若者だった平成初期頃にはまだ街のそこここにそういう店が残っていたものです。

「あの頃」はカラオケマシンも店になくて、それだって「楽しくやっ」たのです。というかカラオケマシンないほうがいいじゃないですか。自分がギタリストで楽しいからそう思うのはもちろん私の勝手で、ギタリストが来るか来ないかわからない店の人からすればそりゃカラオケマシン入れますよ(笑)。こうして「大切なもの」は失われていったのです。

エレキギターが高らかに鳴り、間奏に入ります。Gのペンタトニックで……と書いてちょっと違和感あったので弾いてみたら半音低くてF♯でした。相変わらずテキトー!おかしいなGで弾いた記憶があったんだけど……たぶんほかの楽器が半音下げ面倒だからGにしたとかそんな事情でしょう。そんなわけで矢萩さんの得意技ペンタトニックの泣きギター(F♯)が炸裂し、曲は最後のサビ(二回)に突入します。

あの頃は何もなくて……と描かれる世界は同じなのですが、矢萩さんのギターが加わってアオリをビシビシ入れてきますから泣きの効果がひときわ高い箇所です。そして歌詞に一か所だけ変化があります。「遠い空流されても」ですね。何が流されるのか……

そして最後のサビ(二回目)です。「きみのこと忘れないよ」……忘れないのは「メロディー」が心に残っているからでしょう。「きみ」が歌った「あの歌」の「メロディー」、その記憶が残っているから、あるいは、「きみ」や「みんな」と過ごした日々の軌跡を旋律、つまり「メロディー」に喩えたのではないかと思うのです。日常があってライフイベントがあって「きみ」や「みんな」と盛り上がったり沈んだりした日々の軌跡「メロディー」、それに「きみ」が歌った実際に存在した「あの歌」の旋律「メロディー」が重なって、セピア色に変色しつつも鮮やかに思い出せるあの歌、あの日々が一体となって僕の心の中でいつでも鮮やかに再生される……「泣かないで」、震えないで、止まらないで、泣くのはメロディーのほうなのか、再生装置であるぼくの「心」のほうなのか……美しい日々にもある日大ショックが起こって(それこそ移住をともなう進学就職レベル)きみの歌もぼくの思い出も震えて、遠くの街にあって空に流れて(折にふれて思いだして)、そしてまた再生するんです。

こう書いてみると、昭和とか平成とかに限らず、誰の胸にもあるやさしさやさみしさを歌っていますね。だから、若い人でも高齢の方でも、それぞれの年代に応じていくつかの歌詞の謎を残しつつも、自分の身に起こったこととして胸に迫ってくる歌なのではないでしょうか。だからこそ売れたし、多くの人が知る名曲となりえたのでしょう。わたしのようなマニアがアルバムの頭から聴け!とか言いまくるかもわかりませんが(笑)、冒頭に書きましたように曲単体でももの凄いパワーがあることをわたくし痛感しておりますもので、曲単体の楽しみ方があってもいいのかもしれませんね(超上から目線)。

さて、このアルバムも終わりました……おおお、今年のうちに『JUNK LAND』に入れるという話をどこかで書いたものですから、達成できそうでちょっとホッとしております。ですが次は安全地帯のライブ盤『ENDLESS』をご紹介しようと思います。収録曲はすでに扱っていますのでアルバム紹介と、曲紹介はせいぜい「小さい秋みつけた」だけですが。では、またお目にかかります!

CAFE JAPAN [ 玉置浩二 ]

価格:2,514円
(2022/9/19 09:32時点)
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posted by toba2016 at 09:29| Comment(6) | TrackBack(0) | CAFE JAPAN

2022年09月10日

あの時代に…


玉置浩二『CAFE JAPAN』十曲目、「あの時代に…」です。

このアルバムは多くの人がおそらく感じたことでしょうが、華やかで賑やかで、それでいて悲しいのです。その悲しさを担うのが「田園」に滲み出る苦労であったり「フラッグ」が醸し出す希望の切実さだったりする一方で、どストレートにこの「あの時代に…」や次曲「メロディー」が描く郷愁だったりもするのです。

スネアの音が小さくバシッ……バシッ……と遠くから聴こえてきて、次々と音が重ねられていきます。アコギのアルペジオ、ピアノ、シンバル、ベースとストリングス、そしてエレキギター……玉置さんの「……ン……ア〜……」とともに音がどんどん近くなってゆき、バシン!と一点音を揃え、歌が始まります。

伴奏の主力はピアノで、それを彩るようにギターが重ねられています。アコギの弦を鳴らす「ヴィ!ヴィ!ヴィーン!」というもはやパーカッションとして使っているんじゃないかという出音が効いています。ドラムは細かく、そして小さく入れられていて、リズムの主力はドラムではありません。リズムも旋律も伴奏も、歌とすべての楽器が一体となってともに進められてゆくような感覚です。ふつうのバンドサウンドのようにみんなドラムに合わせようぜという感じではありません。歌が先にあって、それにすべての楽器が合わせてゆくような作り方をしているようです。これは『カリント工場の煙突の上に』で玉置さんが試みた手法ですが、おそらくこの曲でも同じように作っていたんだと思われます。安藤さん以外はすべて自分が演奏するからこそできることであって、逆にいうと安藤さんにはこの域に入ることができたのだということです、これは相当シンクロしています。

詞は切々と、昔と今の思いを描きます。昔は夢いっぱいだったのに今の現実はどうだい、すっかり毎日に疲れ切ってしまってさ……と現在を嘆く歌にも聴こえなくもないのですが、全体のイメージはそんな悲愴じゃないんですよね。不思議な詞です。今からできることもいっぱいあるじゃないか、愛だってなくなったわけじゃない、それを越える想いだってまだあるんだ、泣いている君はきっとまだまだ夢があって情熱があって、だから泣くんだ、だから僕もそれを越える想いでもっとやさしくなれるんだ……ぜんぜんまとまっていない思考の流れがそのままに書かれたようなことばなんですが、だからこそリアルにわたしたちの胸を打ちます。いまあるものを、いまいてくれる人を、いまできることで大切にするんだ、という心がけを感じずにはいられません。その心がけはわたくしぜんぜん持っておりませんもので(笑)、ことさら尊く感じられます。そういうふうに生きないとなあ、と。

歌はBメロに入りまして、教えてほしい、きかせてほしい君の思いを、たぶん僕たちは同じことをずっとくりかえしてきたし、これからもくりかえすだろう。何度だって同じ話をするだろう、そして何度だって同じように笑ったり泣いたりするだろう。そして何度だって同じように心を通わせあい、確かめあうんだろう。それが一緒に生きるということだから。志村けんが「ワンパターンになれるということは素晴らしい」と生前に語っていたのを読んだ記憶があるのですが、それはお笑いに限らず、共同生活にも言えるのではないかと思うのです。心地よいパターンが何度も繰り返される、それが熟成され完成に近づいた安心というものだろう。わたしたちは年齢を重ね経験を積み、性格や行動があまり激変しなくなります。感情も安定し、あまり違った反応をしなくなっていきます。それを確かめ合えるのが人生を長くともにしてゆく伴侶だったり仲間だったりするのでしょう。「ずっと同じこと」をくりかえすふたり、というのはこのような過程を経て形成されてゆく現象なのです。

若いとピンときませんよね。それってロボットになってゆくってことじゃないの?と思うでしょう。うーん、ちょっと違うんですよね。挙動が安定しないロボットから挙動が安定したロボットに変わってゆくこと……やっぱロボットじゃん(笑)。いやまあ、成長するというか老化するというか、大人として年月を重ねるということは予想のつかないことや不安定なことを少しずつ排除してゆく過程なのです。それは若さゆえのダイナミックな変化を失ってゆくことでもあるのですが、経験してみると別にさみしくもないですし、それでいいんだと思わされます。だってそんなに変化してたら疲れるじゃん!中学校とか高校とかなんて三年間で生活環境が激変してたんですから、今となってはとてもとても、ついていけません。え?もう次のところ行くの?ってくらいです。自分の子どもがそういう激しい変化をしている間は、自分はどっしりと子どもの目からはほとんど変わらずにそこにいて支える側なんだと思わずにいられません。

でも、細かい変化はしてるんですよ、ロボットじゃないですから(笑)。だから、「涙がこぼれてくるんだ」なんです。とかなんとか話はもうサビに入ってますけども。「ふたりは」でジャイーン!と一瞬転調したかと思わせるほどのダイナミックなコード進行で曲は一気にサビに入ります。涙がこぼれてくるのはもちろん悲しいことがあった場合もそうなんですが、時間的にも空間的にも遠くなったふるさとの、まだまだ変化が激しかったころの、安定していなかった自分の記憶がどうにも泣けてくる、ということが起こる、ような気がします(笑)。やや、すみません!けして茶化しているわけじゃないんですが、なにせ自分がそういう瞬間を迎える前にこの曲に出会ってしまったもので(1996年はまだわたくしバリバリのヤング!)、この曲にそういう感情の動きを教えてもらったからそう感じるんじゃないかという疑惑が抜けきらないのです。こればかりはどうしようもありません。若いときにこの曲に出会ってしまったがゆえに、そういう思いを抱えて生きざるをえなくなっているのです。もちろん、きっと将来、こんな気持ちだったことを思いだして泣けてくることもあるんだろうなとは思いました。そしてまんまと泣きそうになることもあります。それ以上がわからないのがほんの少し残念ではあります。

「特別じゃない夢」と、いまとなっては言えます。当時は自分が特別だと信じて疑ってなかったですから、自分の夢は特別に決まってたんです。でもいま思えば、まあふつうにある夢、ありがちな夢だよな、なんですね。ミュージシャンになりたいというのも何百万もの若者が毎年思うことですし、累計だと数千万人いるでしょう。玉置さんもその一人だったわけですが、たんに天才すぎてそう見えないだけで夢自体は「特別じゃない」ものだったのです。人によってその夢は身に合わぬものだったり合うものだったりしたでしょうし、叶ったり叶わなかったりもしたことでしょう。そして「特別」なものだと思っていたものが、「特別じゃない」ものだとわかっていく過程をみな生きているのです。

「とくべつ〜じゃない〜ゆめをみてた〜」と高音から低音へなめらかに旋律を描くボーカル、ダーン、ダーン、ダーン、ダーンとコードを変えながら刻まれるリズム、ここに「あれは特別だったんだ!でもいまは特別じゃないとわかってしまったんだ」という、人生を一気に振り返り抜ける一抹の寂しさ、そして安心感を叩き込んでくる玉置さんの凄まじい表現力が凝縮されています。そして「あの時代に……」とタイトルを歌い上げてサビは終わります。気分はすっかりふるさとへ……あの時代、わたくしですと昭和末期から平成初期の北海道が強烈に思いだされるのです。

曲は間奏、Aメロと同じメロディーを……なんでしょうねこの音色?安藤さんがキーボードで出したんだと思うんですけど、オルガンっぽい、なんだかわからない、なんともいえない郷愁を誘う音色です。二番のサビの裏にも聴こえますね。エレキギターが絡んで粘っこく漂います。

歌は二番、春は渚の風、冬は枯葉の歌、これは北海道ではありません(笑)。渚はともかく雪に埋もれて冬に枯葉などありませんから。そんなことを生活感覚で知っている人は北海道人と豪雪地帯に住む人だけでしょうから、ここは本州の人にもわかる言葉で郷愁を表現したものと思われます。もちろん都会でも、大人になっても、渚には風が吹きますし冬は枯葉がカサカサいってるんですが、そんなものにあまり心動かされなくなっているのがオトナです。もちろん中高生の頃だって心動かされないフリしてましたけども(笑)、いまよりはずっと季節の情緒ってものを受信していたのは確かなのです。

倒れても、つまり失敗しても気にせずに好き勝手やってましたし、できたのです。当時は当時なりの制約を感じていて大人はわかってくれない的なことを思ってた気もしないではないのですが、いやいやいや何をおっしゃるうさぎさん、大人はさまざまな制約を課されていますし自分でも自分に課していますので、好き勝手などできたものではありません。少年時代は自由だったのです。これも大人になってからわかることで、「笑い転げた青春」が完璧に消え去ってからその意味を知るのです。ですから若い人は、笑い転げられるうちに笑い転げておくべきなのです。

さてBメロ、今度は「ずっとちがうこと」です。ですからこれはAメロに引き続き青春時代のことでしょう。同じことを繰り返していても感受性豊かでいろいろに感じることのできた時代です。だから、刺激に満ち溢れています。あれやりたいこれやりたいと、いろいろなことに興味が向きます。じっとなんかしていません。だから愛着を感じたり飽きたりする暇なんかないんですが、それでも、ふたりは別れが辛くなるほどに一緒にいてしまったのでしょう。これも尊いことです。友情、愛情、いろんな呼び方をしますが、なぜか人は一緒に行動する人を絞っていきます。当時はフィーリングが合うとか居心地がいいとか、そんな風にしか思いませんでしたが……きっと変わりゆくものごとのなかで、変わらない「その人」の何かを受信してしまったのでしょう。

歌は最後のサビ、サヨナラの日に、涙があふれて、手を振ります。花に埋もれていたふるさとで、南へと向かう列車に乗ったり空港へ行くバスに乗ったりします。少年は特別だった夢を叶えに旅立ち、そしてその夢は特別じゃない夢だったと気づいてゆく長い長い過程を経てゆきます。そう、特別じゃなかったんです、僕の夢も、僕の人生も……だからこそ「あの時代」は記憶の中で輝き続けています。もうすっかりその特別感を思いだすことは難しくなっていて、「特別だったんだ」と形容するしかほかに表現方法がわからないくらい、あの特別感は遠いものになっています。でも、それでいいんでしょう。わたしがいまだに特別感をバリバリ感じていて、「いつまで夢を見てるのいいかげん現実を見て」と子どもたちに言われるようになったら子どもたちがかわいそうです。特別感のバトンはとっくに若い人に渡したし、いまはそれが子どもたちに回ってこなくてはならないものなんですから……。でもたまに、子どもたちの見ていないところで、花に埋もれていたふるさとを思いだしてギターをつま弾くことくらいは許してもらってもいいと思います(笑)。もちろん思いだせはしないんですが、ふっと記憶をかすめる何かが蘇りそうになるのを感じて、そこでギターを置きます。そうして少しだけ気持ちを震わせて遊んでいるんです。

曲はアウトロ、ふたたびオルガン似の浮遊音、そしてオルゴールの音色に主旋律は引き継がれ、ギターのハーモニクスと一緒に曲は終わります。

このアルバムを最初に聴き終えたとき、この曲をもう一度聴きたくて仕方なくなりました。飛行機だったからか、カセットに録音したものだったからかは忘れましたが、この曲だけを聴き直すようなことはしませんでした。この感動は、アルバムの最初から物語が続いていたからこそあったのだと思ったからです。シングルとして輝く曲ではなく、アルバムのクライマックスだからこそ、このとんでもない感動があったのだとわたくし直感したのでした。だからいまでもこの曲だけ単体で聴くようなことはあまりしませんが、この曲は玉置ソロで三本の指に入る好きな曲なのです。

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2022年09月03日

愛を伝えて


玉置浩二『CAFE JAPAN』九曲目「愛を伝えて」です。シングル「メロディー」のカップリングでした。NHKの「バラエティーざっくばらん」1995年五月のテーマソングだったそうです。ということは、アルバムが出る一年以上前からこの曲はすでに聴かれていたことになります。うーむ全然知りませんでした。

さて曲は何やら鈴の音で始まります……あっ!Cat Bellsってこれか?猫鈴!じゃあ、"CAFE"&"JAPAN"って猫の名前なんじゃないのか?即席チームとかどこかの記事で書きましたけど、即席も即席、下手すると猫のチームです。これはまいった!玉置さん猫好きですから、チャチ、フラッグみたいな猫がたくさんいて、このときはCAFEとJAPANがいたのかもしれません。メロディーももともと猫の名前だという話があるくらいですし、ありそうな話です。

猫鈴に続けてストリングスがフェードイン、シンバルが鳴り響き、すぐにアコギのアルペジオ、ボーカルが入ります。ほぼギターのみの伴奏でAメロを一回、そして繰り返しのAメロにベースとストリングスを重ねます。さらにシンバルのシュワアアアアン!という音……これは『カリント工場の煙突の上に』でもしばしば聴くことができますね。同じシンバルじゃないでしょうか。玉置さんはシンバルにもかなりこだわりがあるようですから、選び抜いたものを愛用なさっているんでしょう。わたくしなどスタジオにあったシンバルを全部叩いてみて(たいがい数枚しかありません)、ああこれでいいやってくらい適当に音を録ります。玉置さんは音色へのこだわりがまるでレベル違い、いちボーカリストを完全に超えた領域まで自分の音を作りこんでいることがわかります。

壮麗なストリングスをバックに玉置さんがサビを切々と歌います。この箇所、ポクポクポク……と何かリズム楽器が鳴っている……パーカッションだろうか?と思うんですけど、よくよく聞いたらこれは玉置さんのアコギによるアルペジオであることがわかります。いままでもこうしたことは何度かあったのですがわたしが確信したのはこの箇所です。アコギのアルペジオがリズム楽器のような役割を果たしていたのでした。むう!こんな手法は思いもよらなかった!もしかしてアルペジオと一緒に同じタイミングで音色のよく似た打楽器を鳴らしているのかもしれませんが、わざわざそんなことをする意味がよくわかりませんので、さしあたり名前を付けておいて、いずれ他の曲でも検証をする際のために書きやすくしておきたいと思います。「パーカッシブ・アルペジオ!」どうだ!(プロレスの必殺技を命名するアナウンサーの気分)。そのパーカッシブ・アルペジオとベースによるリズムキープ、壮麗でスローなストリングスをバックに、「おやすみ」「おはよう」という日常の会話にあるようなことばが歌われていきます。「花のように」「風のように」……これは!「Honeybee」の記事でわたくしが書いて完全にハズした妄想の世界じゃないですか。蜂さんと花が邪念なくただただ自然に自分の役割を果たすという尊い世界!というか玉置さん!ほんとはこの曲がHoneybeeだったんでしょ!蜂と花の夜と朝を歌う尊い歌だったんでしょ!ところが途中で「Yes!Honebee!」とか歌いだしちゃって、いつのまにか入れ替わったんでしょ!いやこれ、もちろん何のソースもなくわたくしが思い込んでいるだけなんですけど、わりと自信ありますよ!真相は玉置さんとごくごく限られた人しか知らないから好きなこと言ってます(笑)。たんに当時この歌を聴いてその歌詞の世界に感銘をうけたわたくし、朝になったら風のように自然に会う……蜂と花のようだなあ……なんて妄想をしていて、その前曲がたまたま「Honeybee」だったから、むう!これは曲名を取られてしまったに違いない!なんて思っただけのような気がします。でもまあ、この「愛を伝えて」が一年以上前から存在していたんですから、この曲のモチーフが蜂と花なのは当たっていたとして、それをもとにあとから蜂の歌を作ったということなのかもしれません。もちろんそうでないのかもしれませんねえ。さてストリングスが途切れシャアアアアアン……とシンバルが鳴り、アコギのアルペジオのみでゆっくりと玉置さんが「君だけを愛してる」と歌います。Cat Bellsもチリチリと……蜂とか花とかでなく猫のことだったのかもしれない……(笑)。

アルペジオがひときわ目立ち……ああいい音だ……と思っているうちにストリングスとベースが再開、歌は最後のパート、Aメロに入ります。ストリングスとベース、パーカッシブアルペジオ、ときおり「ガタン!」と響く低音のパーカッション、フル構成で歌の最終局面を盛り上げます。最後の「愛を伝えて」あたりからCat Bellsも聴こえてきます。Cat Bellsが大きめに響き続けるなか、玉置さんのソロが入ります。ポロロポロロと、これまたいい音です……ガットギターを指で強めにはじきながら一音一音丁寧に弾いたのでしょう、ストリングスにベース、キラキラキラ……とこの曲で何度も用いられてきた(のにいままで言及していなかった)ウインドチャイムにも似たシンセの音……そしてシャアアアアンというシンバルが遠くで響きCat Bellsだけを残して曲は終わってゆきます。

この当時はまだ『カリント工場の煙突の上に』における玉置さんの詞の世界をあまり理解していませんでしたので、実はこの「愛を伝えて」の歌詞がはじめてわたくしがハマりこんだ玉置さんの歌詞になります。それこそ松井さんの「La-La-La」とか「」のように、何度も書いてでも覚えようとしたのは、玉置さんの歌詞では初めてです。書くだけでなく、コピーして歌おうとしていました、歌ヘタなのに(笑)。もちろん酷い弾き語りで悦に入っていたんですけども、いまでもガットギターを抱えるとこの曲をポロポロと自動書記的に弾いてしまうことがあります。それだけ、当時のわたくしに染みたのでした。人はなぜわざわざ争ってまで仕事をするのか?人はなぜ駆け引きしてまで異性を求めるのか?そこまでして何が得られるというのか?それで得られたとしてそれがなんだというのか?……こうした今となっては青臭い青年の悩みに苦しめられていたのだと思います。青臭いなどと上から目線で書いておきながら、実はいまだに答えはわからないんですが。わからないままにしておくことにガマンできるようになっただけです。そういう、子どもなんだか大人なんだかよくわからない精神状態と、玉置さんの猫への思いと(笑)、世の中の行き詰まり感が絶妙にマッチングすることによってこの曲にハマりこんだのだと思います。玉置さんは相変わらず猫がお好きでしょうし、悲しいことに世の中も26年前と同じように行き詰っていますから、この曲はいまでも同じ輝きを放っているものとわたくし確信しております。あとは青年期の悩みだけ!(笑)

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