玉置浩二『CAFE JAPAN』七曲目「フラッグ」です。
『JUNK LAND』に「我が愛しのフラッグ」という曲がありまして、なんで旗なんか愛してるんだよと不思議に思ったものですが、例によって『幸せになるために生まれてきたんだから』によりますとフラッグとは玉置さんの愛猫の名前なんだそうです。へえー、じゃあ『CAFE JAPAN』の「フラッグ」も猫なのかなと一瞬思いましたが、作詞は須藤さんですし、太陽の光にきらめいたりしていますんでふつうに旗なんででしょう。
ガシャン!ガシャン!ザワザワ……と、工作機械の音、うごめく人々の気配、これは工場でしょう。いまの世の中ではどこに行ったのか、あまり聞かなくなった工場の音です。たんにわたしが住んでいたのが工場地帯だっただけなのか、産業構造が変化してそういう工場が減っただけなのかちょっと判じかねますが、ともあれ懐かしい子ども時代に一気に戻されるようなあの頃の音です。
アコギの音がなりはじめます。右から左から中央から……あまり聴いたことないですがカントリーミュージックの臭い、バンジョーの響きにも似たギターオーケストレーションです。玉置さんがスキャットを始め、パーカッションがズシンズシンとプレス機を思わせる重い音でリズムを取ります。
ベース、ドラムと同時に歌が始まります。どちらも玉置さんが演奏していますが、エレキギターによるアルペジオが……鈴木さんがクレジットされていまして、おそらくこのアルペジオが鈴木さんなんだと思います。相変わらず柔らかくてスーパーナイスなトーンを……。前作『LOVE SONG BLUE』ではほとんどメインギタリストでしたが、この『CAFE JAPAN』では「フラッグ」一曲のみの参加になっています。この曲にはどうしても鈴木さんの音が欲しくて急遽頼んだんじゃないんでしょうか。
ドラム缶に腰かけて飲み干すのは、ペットボトルの水じゃありません。当時そんなものありません。あるとしたらビンなんですが……水なんてそもそもその時代に売っていたかな?おそらくはビンでなくてヤカンです。ヤカンの水を穴をふさいでフタに注いで飲むんです。もちろん共用ですが、感染症など誰も気にしません、というか現代人とは免疫が違いますし、みんな似たような行動範囲で似たような生活してましたんで、もっている菌なりウイルスなりもかなり共通していたのでしょう、そもそも念頭にも浮かばないのです。ある意味開放的ではあるんですが、もちろん同じ場所で同じことの繰り返しの日々、気づいてしまえば閉塞感がハンパでないです。だから袋小路な気分ですし、ダイスを投げてみたくもなります。投げたってなんにも変わらないんですが……投げるのです。6が出たら何か運命が開けるかも?などと思いながら。そんな悲しさと工場の煙が目にしみて涙が流れ出します。排ガスに関する規制が強くなったのか、産業構造が変化したのか、現代は空気がきれいです。タバコの煙すら閉め出そうと躍起になる現代人などは、昭和の工場地帯の臭いは目にしみるどころか鼻が曲がってひっくり返るに違いありません。
そんな臭いの中、おそらく鈴木さんのスーパーナイスなカッティングが響き、曲はBメロというかサビに展開してゆきます。おかしくなりそう、悲しくなりそうと、閉塞感極まった町を捨ててもよいと叫びます。汗とアブラは、その地域に深く根ざし内部に入り込んだ人でなければ触れることものないものなのですが、見えてしまうんですねえ、ふるさとだから。でも、きっと捨てないんです。見えなくなるとさみしくなりそうだから。ふるさとの地べたにはいつくばって、ガソリンの臭いを嗅ぎながら、工作機械の排熱をでかい扇風機でかき回した風を浴びながら、暮らしていくんです。
さてドンドン!とフロアタムが響き歌は二番、「組合」「サイレン」と相変わらず重めのワードが歌われます。19世紀、労使関係は暴発寸前、ある国は共産主義に移行、多くの国は修正資本主義に舵を切ります。その過程で生まれた組合とは、結局は妥協の産物にすぎません。はじめから「喧嘩もしない」状態であればいいんです。その喧嘩が労使間のものか、それともたんなる痴話喧嘩なのかはわかりませんが、いずれにしろ穏やかではありません。経営者が最大限に労働者の生活を尊重し配慮していれば、争いごとの半分はこの世からなくなるといっても過言ではないでしょう。サン=シモン派やロバート・オウエンのいう理想的・空想的な社会がそこにはできる……かもしれません。でもまあ、そんな世の中は文字通り空想にすぎないのでしょう。ロバート・オウエンの街ニューラナアックはいい感じに運営されていたと伝えられていますが、当時は繊維関係がメチャクチャな成長産業であったことを考えれば、まあそういうことも一時的にならあるかもねってくらいです。作業場のトラブルで爪は剥げるし(何かの比喩かも……「能ある鷹は爪を隠す」みたいに能力とか強さを表すものであれば、粋がっていたけども日々に疲れてそんな気すらなくなってしまった、くらいの意味かもしれません)、終業を告げるサイレン後にシャワーを浴びなければならないほどドロンコ、恋人と待ち合わせするカフェまではいつくばってゆくほど体は疲労困憊、さんざんです。ちなみに三交代制とかは当時あんまり聞いたことがありませんでしたので、普通に17時に機械はストップでしょう。みんな定時に帰れます。恋人と夕食もとれます。もしかして現代のほうが辛いんじゃないのかってくらいユートピアな感じがしますが……それは現代がキツすぎるだけで、当時はそれが「ああ今日も大変だったな……」と繰り返しの毎日に疲れた労働者の日々だったのです。
さて歌はふたたびサビ、はるばるきた、ここまできた……はるばるいくよ、そこまでいくよ……これは町を離れて新天地に来たとかそういう意味ではないように思われます。繰り返しの毎日にあっても、一歩一歩進んでいると信じている青年が、ここまではるばるやってきた、きっと自由な日々にたどり着けるんだ……とそうした明日への希望を歌っているように感じられるのです。どんな夢、希望があるのか、自分は何を守っているのか判然とはしないけれども、昭和という時代は明日は今日よりもっとよくなると、信じられた時代でもあったのです。自分の声でハモリをいれた玉置さんのボーカル、切々と、それでいて悲愴感が感じられないように聴こえるのはこうした未来への希望(その象徴がフラッグ)がにじみ出ているからではないでしょうか。玉置さんのボーカルにも須藤さんの歌詞にも、辛い労働の日々のなかにも信じて生きて行ける希望、というストーリーを、わたくしはっきり感じてしまうのです。疲れているのかもしれません(笑)。
曲は玉置さんの情熱たっぷりなギターソロに入ります。うーむ見事!あらかじめ考えておいたソロではないでしょう。おそらくはアドリブに近いです。指先の力を振り絞った大きめのチョーキング、目いっぱい伸ばしたビブラート、魂のリフレイン、これは前もって作ろうとするともうちょっと細かくいろいろやろうとしてしまいます。ギタリストの性なのです。ですから、アドリブのほうが案外いい感じになることはままあります。
曲は一番と二番のサビを一回ずつ繰り返して最後は「自由のフラッグYEAH…(ah!)…YEAH…(ah!)…YEAH…(ah!)(ah!)…」とテンションアップして終わります。楽器の音が終わる瞬間にうすーくストリングスらしき音が入っていたことがわかり、あ、クレジットされていた安藤さんの演奏はこれか、とやっと腑に落ちました。そしてまた工場の喧騒……また繰り返しの毎日へと、いつか自由になれるんだと希望を求めて帰ってゆきます。
思うに、繰り返しの毎日は人間にとって不自由を感じるものなのだと思います。なにも束縛されているわけじゃないのに、自由になりたいと思ってしまうのです。いつ起きるか寝るか、起きている何をするのか、何を食うか食わないか、何もかもがほんとうは自由なのに、生活の糧を得るために繰り返しのスケジュールを採用してしまったそのときから不自由を感じるようになってしまいます。どこにでも行けるのにどこにも行けない、いつまで寝ててもいいのに起きなくちゃならなくて、いつまで起きててもいいのに寝なくちゃならなくてと……ああしまった、急に自分がとてつもなく不自由なんじゃないかと思えてきて胸が苦しくなりました(笑)。
自由を求めて歌われた団塊世代のフォークは、自由のほかに不戦とかなんだかイデオロギー臭さがつきまとっていて下の世代からすると正直食傷気味なんですけども、玉置さんのこの曲は力強くも美しいメロディーに、イデオロギーのかわりに汗やアブラ、誰かがよこしまな気持ちで支配しているとかそういう悪玉を設定して恨むような気持ちは露ほどもなく純粋な気持ちで自由とかフラッグとかへの憧れを歌う気持ち、こうしたものが心を何ともいえずさわやかにしてくれます。
カントリーミュージックって、ほんとの昔はこんな感じだったんじゃないですかねえ……カントリー大全集的なやつをちょっと聴いたくらいしか知らないですが。わたしが中高生の頃はもうメアリー・チェイピン・カーペンターとかがいてAORと区別がつきにくくなっていましたし、いまなんて……テイラー・スイフト?ふつうのポップスと何が違うのかわたくしにはもうわかりません。そんなわけで、この曲がお好きな方は60-70年代くらいのカントリーをお聴きになるとより幸せになれるかもしれません。ともあれ、この曲は玉置さん流のカントリーなんだとわたくしは思っております。
価格:2,570円 |
夏の玉置さんの曲?を考えた時に、この曲が思い浮かびました。トバさんのおっしゃるように玉置さん流カントリーだなぁ、と。
熱い夏の情景。で、汗と油、工場の煙とか空き地、ドラム缶なんかが出てくる(そのうちにバイクとか缶ビールが出てきそう)ような詩には、今にして思えば私も20代の放浪に近かった時代を今でも彷彿させてくれる、いわばフラッグこそ私の終わらない夏でした。以上。