玉置浩二『CAFE JAPAN』六曲目「SPECIAL」です。
玉置さんがパーカッション、アコギ、エレキを演奏しているほかは藤井さんの打ち込みとキーボードになっています。それにしてもこのアルバムでの藤井さんはかつての川島さんなみの活躍ですね。
というわけで、多くの音は打ち込みということになります。玉置さんのお弾きになったギターの音もあんまり聴こえてきません。それにしても……このストリングスの音はさすがにわかります。抑揚がだいぶん少ないというか不自然な感じがします。玉置さんや藤井さんがそんなこと気づかないわけありませんから、わざとでしょう。何らかの狙いがあって人工的な感覚をあえて出しているのだと思います。ドラムやベースは正直よくわかりません。ドラムの音がちょっと単調かな?くらいです。これだって玉置さんの歌があんまり強いので最初に気がつくようなものでなく、クレジット見てああそうだったんだと後だしジャンケン的にそう解釈するだけのことです。
さて、なにやらハープをかき鳴らしたような音がなったかと思えば、ドラムス、ベースの音、パーカッション、ベルの音が絡み、ダッダッダー!ダ!ダッダダー!ダッダッダー!ダ!ダッダダー!というこの曲メインのリズムが奏でられます。この曲のメインはこのリズムなんだと思います。歌は当たり前にいいし、平面的なストリングスもいいです(これが金子飛鳥グループのリアルな演奏だったら、はっきりとはわかりませんがおそらく合わないと思います)。ですが、この曲でもっとも強く印象に残るのはこのリズムでしょう。ねえ須藤さん、このリズムで曲作ろうよ歌詞書いて書いて、というが早いか、玉置さんがギターに合わせて即興の歌詞で歌い始めて、須藤さんが慌ててメモ用紙を取り出す、そして何度か歌っているうちに「スペシャル」「きっと」「もっと」という言葉が決まってくる……「きっとスペシャル」は浩二が作った歌詞だからといってクレジットは共作にすることにして、それに合わせて「射的場」とか「メリーゴーランド」という雰囲気を須藤さんが示し、玉置さんがそれを組み込んだ仮歌を作り、AメロBメロが固まったところでカセットに録音(当時はMDか?)、須藤さんがそれを持ち帰ってウンウン唸って次の日にできあがった歌詞を玉置さんに見せたら玉置さんは喜んでギターで弾き始める、そして「須藤さん、これだよ!」と二カッと笑う……こんな光景を想像していまいます。うわあ、いいなあいいなあ!それこそ作曲だよ!バンドだよチームだよ!松井さんはこういう仕事の仕方はせずに、カセットだけ受け取って自室にこもって出来上がったものを見せてくるタイプだそうですけど、須藤さんはもう曲が生まれる第一歩目のところから一緒にいて一緒に作っているわけです。それこそどこをどっちが作っているんだかわからなくなるくらいに、融合しています。
当時のわたくし、ドラマーとよく部屋で曲作りをしていたものです。まずはわたくしギターをシャリシャリとアンプを通さず弾いていまして、ドラマーはその横で「信長の野望」です(笑)。姉小路とかそういうきわめて天下統一の難しい大名を選んでいますので悪戦苦闘しています。しばらくたってわたくし「こんなリフどうかな?じゃあこんなのは?」ドラマーはその間鉛筆を片手に五線譜にリズム譜をさらさらとメモしています。「よーし、じゃあドラム作るから待ってて」とドラムマシンをピコピコ打ち込むドラマーをよそにこんどはわたしが「ストリートファイター2」とかやっています。サガットは強いので何回か敗れたりベガに全然勝てなかったりしてイライラしています。そんなことしているうちに「できたよー」「おーし」と交代、今度はわたくしMTRにドラムを録音して、ギターを重ねていきます。アンプは使いません、アパートだから。MTRにメタルゾーン直差ししてヘッドホンです。ドラマーは姉小路再開していますが何しろとなりの斎藤が強いので北陸から攻めていき、そのスキに斎藤から攻められています。デモにはベースも入れないといけないんですが、何しろゲームの状況によってベースはドラマーが弾いたり私が弾いたりになります。二人ともあまりベースのことは考えていませんでした。ドラムとギターが決まればその間を縫うようにフレーズを作るしかないのは当然なので、私が弾いてもドラマーが弾いても同じなのです。ちなみにベースも直差しです。そうして歌のないデモが出来上がります……不思議だ、やってることは玉置さん須藤さんと同じなのになぜこんなに違うんだ。きっとわたしたちはお互いの待ち時間にそれぞれ勝手なことをやってるからでしょう。玉置須藤コンビのような一体となった曲作りとは非常に遠いわけなのです。
以上の玉置須藤コネクションはわたくしの妄想なのですが、『幸せになるために生まれてきたんだから』によりますと「24時間体制」で一緒に風呂入りながら曲作りしていたようですし、『カリント工場の煙突の上に』をふたりが一緒に作る様子を読むにつけても、当たらずといえども遠からずだろうと推測できます。
さて話は曲に戻りまして、「Ah!」と威勢のいい玉置さんのシャウト、「Oh〜」と朗々とした唸り、にぎやかなアレンジでメインリズムが響き続けます。これは曲のイメージである遊園地を演出する効果があります、というかあるように聴こえてきます、後だしジャンケンで!(笑)。後だしなんですが、歌の強さですべての要因が互いに融和してゆくのです。
さて、歌に入りまして、ベースがボンボンボンボンと小気味のよい下降を繰り返すなか、玉置さんが遊園地の施設で遊ぶ様子を歌います。楽しく、そして懐かしい感じです。Bメロ、「コインポケットにジャラジャラ」なんてお祭りの夜を思いだしますねえ。ひたすらセピア色な気分です。「夢」でいっぱいで、でもそれは一日で終わってしまう「夢」だとわかっているわけですからこそ、愉しもうとするのです。
サビは「スペシャル」の連呼、ときめく、はじける、「ハレ」の日です。ずっとは続かないけどもずっと続いてほしい、でもずっと続いていたらスペシャルっていわないので、これはスペシャルなことなんだと連呼する、そんな矛盾をはらんだ気持ちを……意図的にか非意図的にか、この曲は表現しているようです。この時点ではわたくしそう思っておりました。
二番では輪投げしたりサンドバッグを殴ったりしています。楽しそうですねえ。ちょっとわたくしの記憶内では、遊園地にはそういうものはなかった気がするのですが(あまり行ったことないですけど)……さきほど申しましたように、そういうものはお祭りにある気がします。この歌、遊園地と祭りが混じってませんかね?そんな場所があるわけが……歌は「スペシャル」連呼のサビを何事もなかったかのように通過し(わたしが疑問に思っているだけで実際には何事も起こっていない)、大サビに入ります。
「人生は遊びさ」……これは遊園地や祭りの歌などではなかった!逆にいうと遊園地でも祭りでもないのだから、それらが混ざっていても別に問題がなかったのです。つまり、比喩だったのでしょう。射的場や観覧車、ピンボール、パントマイム……「のように」特別なイベント、スペシャルなイベントがそこにある「ように」生きていこうぜ、いつでもそんな浮き立つような、どこでもそんな楽しい気分でいようぜ、一度きりだし、しかも一通りしかないのがこの人生だもの、と玉置さんは歌うのです。なんという勇気のわきでる歌でしょうか。SMAPが「世界に一つだけの花」で「オンリーワン」と共感を買いまくったのは2002⁻2003のことです。いやいや玉置さんがもっと前に……なんていうだけ野暮というものでしょう。なにせむりに特別でなくていい、もともと特別なんだからと肩の力を抜きまくった詞を歌うSMAP(作詞作曲は槇原敬之)と、がんばらないとスペシャルじゃないぜ!いつでもがんばってスペシャル!もっと楽しまないと!と非常に積極的な玉置さんの歌とではその心構えが違い過ぎるのです。
なんということでしょうか。遊園地の楽しい歌だと思っていたら、これはほんの数年前にどん底を経験した玉置さんが、その精神を奮い立たせ、人生を楽しもう!と高らかに歌い上げる歌だったのです。そのために、遊園地とも祭りともつかぬ「ときめく」「はじける」ハレの装置を数多く次々に歌うのでした……。
「スペーシャール……」と最後に歌声を伸ばし、アウトロも終わらずにフェードアウト、きっといつまでもスペシャルなんだろうと暗示するのにはこの上ない終わり方です。玉置さんはその通り、この後も紆余曲折ありつつもスペシャルな人生を送って26年後の現在に至っています。その活躍ぶりはみなさんもご存知の通りです。
そういや今夜は玉置さんのシンフォニックコンサートが放送される日です。これはうちのテレビでも観られますので録画決定(チャンネル決定権はない)!うーむ楽しみ(明日の早朝が)!。
価格:2,542円 |
当時、MK5(マジでキレる五秒前)という言葉が中高生の間で流行ったように記憶しています。わたくしそれよりは年上でしたんでまたアホな言葉流行ってんなと思ってましたが……ともあれこの歌はその前なのか後なのか……広末さんの可愛らしさが当時のイヤな空気(援助交際とかドラッグとか)をほんの少しだけ吹き流したような感覚を覚えてます。
「フラッグ」はいい歌ですよね。そうか次なんだ……おっしゃるように自分だけのオーダーメイドな人生前向き前のめりで行こうぜ!というこの「SPECIAL」から、いよいよこのアルバムも山場ですね。
この曲の人生に対する考え方は、ポジティブに生きていくために必要な考え方ですよね。僕も自分の人生をたったひとつの特別メニューだと思って楽しみたいと思わせてくれた曲です。
次回の記事は個人的に大好きな「フラッグ」だと思うので、楽しみにしています。