2022年08月11日
STAR
玉置浩二『CAFE JAPAN』五曲目、「STAR」です。先行シングルで一番初めに出たシングルです。カップリングは前アルバム「正義の味方」でした。かわいらしいイラスト(バジャ一家?東京電力コマーシャルだったようですが詳細が全然わかりません)のジャケットで、曲調もアコギのアルペジオ主体の可愛らしい曲になっています。
アルバムより一年以上前に出ていまして、テレビでも何回か流れたのを聴いてはいました。あら玉置さんの声だ、きれいな曲だねえ、と思っていました。ですが、それだけでした。わたしがそれまで「玉置さんらしい」と思っていた音楽の要素から外れていましたので、何か事情があったのだろう、くらいに思っていたのです。だって!玉置さんが!「ベイベー」とか歌うなんて思ってなかったんですもん!(笑)まさかのちにアルバムに収録されるとは……しかも、アルバムにはスパッとおさまる「らしい曲」になっているとは……わからんもんです。95年はアルバムのリリースはありませんでしたが、前作『LOVE SONG BLUE』から今作『CAFE JAPAN』へと進化するために必要な期間だったのでしょう。その、いわばサナギの状態にあってポロッと漏れ出てきたこの「STAR」に面くらったというのが事の次第だったのだと思います。
ポロロロ〜とガットギターがアルペジオで響き、ほどなく玉置さんが「ベイビー」と歌い始めます。このギター、低音がずいぶん効いてますし、途中でパートが二つに分かれますから、二本か、もしかしたら三本重ねているのでしょう。星がきらめくようにハーモニクスの音がキラーンキラーンと……その間もストロークやアルペジオは聴こえてきますし、かなり試し試し重ね方を工夫したのだと思います。ボーカルは……これまた二回か三回重ねて録音しているように聴こえますが、玉置さんのことですから油断はなりません。一回か二回か、ちょっと判別つけかねる箇所もいくつかあります。ひとりクイーンやってるんじゃないかってくらい重厚なので、薄いところ厚いところの感覚が狂ってきます。
一番のサビ以降、ポコポコとパーカッションが聴こえます。かなり控えめなので、ギターとボーカルの重厚さに埋もれていますし、それくらいの味付けでいいとお思いになったのでしょう。
そして間奏ではポロロポロロロ〜と流麗なエレキギターによるソロが入ります。「矢萩が弾いても俺が弾いても同じだから」と豪語する玉置さん、さすがの腕前です。トーンづくり、フィンガリング、ピッキング、フレージング、どこをとっても本職ギタリストと遜色ないソロです。カキくんと同じかどうかはともかく。
で、この曲、すべてが玉置さんの演奏によるものなのです。安藤さんも藤井さんも入っていません。『カリント工場の煙突の上に』以来の完全にオール玉置です。『カリント工場』もパーフェクトにオール玉置って曲はあったかなかったか……?ともあれ、ここまで徹底的にほかの人の音を入れないというのは珍しいことだったのです。しかもシングルですし。
前作『LOVE SONG BLUE』はかなりゴージャスにミュージシャンを起用したアルバムであることはすでにご紹介しました。わたくし思いますに、これは、玉置さん一回イヤになっちゃったんじゃないかと思うのです。安全地帯時代にもサポートメンバーが十人を数えるくらい豪勢だったのを、ほぼ削って極力五人だけでレコーディングに臨んだ『夢の都』のように、そしてその五人すら削ってほとんど一人で作り上げた『カリント工場』のように、原点回帰といいますか、玉置さんは息詰まるといったんすべてをリセットして、最小構成(へたすると自分一人)でリスタートする癖があるのではないかと思うのです。この癖はのちに『ニセモノ』を全部ひとりで録りなおしたという事件や、『雨のち晴れ』後に安全地帯を休止させたことにも表れているように思われます。
精神的支柱として須藤さんと二人三脚、音楽的支柱として安藤さんと二人三脚と、玉置さんを支える超強力サポーターたるお二人がいたからこそできたのでしょう。この二人さえいれば、ほかはいざとなればぜんぶ俺がやればいいんだ、悩まなくていいんだ自由でいいんだと、バンドボーカルなりソロ歌手なりが背負いがちな束縛をいっさい捨てることができた、そんな喜びがこの曲、そしてアルバム『CAFE JAPAN』にはみなぎっているかのようです。おい浩二「べイべー」とか言って、そんなキャラじゃないだろ大丈夫かお前、なんていう人はいません、自由なのです。だから「ベイベー」なのです。
そして自由に歌う玉置さん、これは安藤さんとの間に芽生えた愛を歌っているのか、いやたぶんそうなんだと思いますけども、それにしても空とか星とかいうことがデカいんですけど!(笑)。超ラブラブのときには、世界中がぜんぶ自分たちを祝福しているような気分になるのもわからないでもないんですが、もしこのラブラブ説が正しいのであれば、あからさますぎです。作詞には須藤さんも参加しているわけなんですが、あまり制約はかかっていないようです(笑)。当時のわたくし、まだまだ薬師丸さんとラブラブだとばかり思っておりましたから、まさかそんな心境になっていようだなど思いもよりません。な、なんだこの歌詞、仙人にでもなったか?穏やかすぎんぞ!と驚いたものです。いや、実は安藤さんうんぬんは全く関係なく、ほんとうに仙人的な心境になっていたのかもわかりませんが。
「この星と暮らそう」「この星で暮らそう」のスケールには、のちの「プレゼント」を思わせる大地と空の広さがグワーッと胸に迫ります。「愛はどこからきたんだ」、不思議ですね。それはもう星が自転公転するのと同じくらい自然なことなのでしょう。大地がどこまでも続き、緑が芽生え生き物たちがうごめき、空はすべてをおおい宇宙と境を接している……そのメカニズムのうちに、わたしたちの愛もあるのでしょう。ですから、どこから来たんだと問われたら星から来たんだというしかありません。そして、星の一部たるわたしたちにも「聞こえる」はずなのです。「作用する」とか「機能する」ってことなんでしょうけど、それを聴覚で表すセンスには驚きです。すげえ自然な感じ!
この理屈が正しいのであれば、生きとし生けるもの皆すべて、べたすると非生物にすら愛は聞こえるはずです。ですから、「いつの日か争うこともなく」すべては丸く収まってもよさそうなものなのです。ですが、それは世界が結局調和的にできているはずだという幻想にすぎないことを私たちは知っています。だって争いまくってるじゃないですか私たち。へたすると隣人でさえ知ったことかで切り捨てます。な、なぜ!ほんとうはみんな争わずラブ&ピースで暮らしたいと思っているんじゃないのー?
たぶん、そうなんです。私たちは争わずに済むならそれに越したことはないとそれなりに思っているのです。だって皆兄弟だから(星的なスケールでいうと)。でもですねー、そういうラブ&ピースな気持ちってのは、たぶん濃淡がかなりあるんだと思います。昆虫とか貝類とかはほとんど感じてなさそうですよね。人間だってけっこう人による、心境によるんじゃないでしょうか。オランウータンはメチャクチャ感じていそうですけども。この濃淡があるから、きっと私たちは一致団結などせずにそれぞれのテンションでラブ&ピースを星から受信しているのでしょう。
きっと、だからこそ、私たちは運命の人ともいえるような、似た波長の人とめぐり逢うことがあるんじゃないかなー、なんて思うわけです。で、そんな人とラブラブになったらすっげえ鷹揚な気持ちになって、世界のすべてが許せる!世界のすべてが自分たちを祝福している!ような気にもなれるんじゃないかな、なんて思うわけです。それはふつうには舞い上がっているというんですけども。
と、まあ、ラブラブ説をどっちかというと推したいわたくしなのですが、まあ例によっていつもの妄想ですから、今作から参加していない星さんを思って書いた曲なんですとかあとから判明してしまいとんだ赤っ恥といういつものパターンが見えて仕方ありません。
玉置浩二 / CAFE JAPAN(完全生産限定盤/Blu-specCD2) [CD] 価格:2,016円 |
この記事へのコメント
コメントを書く
この記事へのトラックバックURL
https://fanblogs.jp/tb/11540278
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。
この記事へのトラックバック