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安全地帯・玉置浩二の音楽を語るブログ、管理人のトバです。安全地帯・玉置浩二の音楽こそが至高!と信じ続けて四十年くらい経ちました。よくそんなに信じられるものだと、自分でも驚きです。
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2022年08月31日

Honeybee


玉置浩二『CAFE JAPAN』八曲目「Honeybee」です。

LOVE SONG BLUE』『CAFE JAPAN』『JUNK LAND』の復活三部作(わたしが勝手にそう呼んでいるだけです。「ベルリン三部作」みたいなファンならみんな分かるような用語ではないのでお気をつけください)にはこういうきわどい、暗示的にか明示的にか性行為を表現した楽曲が散見されます。特にこの曲は明示的で、コメントに困っていけません(笑)。『LOVE SONG BLUE』だと「ダイヤモンドの気分」とか言ってもうちょっとオブラートに包んでいましたよね玉置さん!

さて曲はアコギと思しき澄んだ音がポロンポロンと右左から聴こえてきて、一瞬バラードなんじゃないのかと思わされます。ああ、題名がハニービーだから、花から花へ飛び、花粉を与えたり蜜をもらったりというそういう働き者の蜂さんの話なのかもしれない、そうだ、わたしたちは蜂のように生きるべきなのだ、蜜をもらう蜂は花に許可をもらったり申し訳ないという気持ちになどなったりしない、かわりに花粉を運んであげるのだから感謝せよとか恩着せがましい気持ちにもならない、交渉もしない……本来社会で働くとはそういうことなのだ、あるがままに自然に、各自の役割を果たし、それが何のためかとか死んだらパーとかそういう共同体主義とか個人主義とは無縁なものなのだ……ただあるがままに自然で尊い、ただひたすらに尊い、そういうものなのだ……「大きな"いちょう"の木の下に」「フラッグ」とは違った方面で働き蜂であるのに蜂のように自然に生きられないわたしたちの悲哀を攻めてきたか……さすが玉置さん……などと勝手に感心していたら、「イーアーパーストミニッ!イーアーパーストミニッ!」などと意味不明な悩ましい声で玉置さんが囁きだしたかと思えばズットン!ズットン!と艶めかしいリズムが打たれはじめ、おや何か様子が違うぞ?と困惑している間に「Yes! Honeybee!」の掛け声とともにアコギのカッティングに不穏なシンセが流れ始めます。「満月」だからためす?窓全開でとばす?な、何を?こ、これは、ぜんぜん違う歌でした(笑)。

蜂はふつう夜には活動しませんから、もう本当にノリで「Honeybee」って決めたんだと思います。なんとなく性行為を暗示させるよな、いろいろな点で!という感覚の問題でしょう。「ロケット」が男性器のイメージをもつとか「蜜」が分泌液のイメージをもつとか、いろんな意味でいちいち細かい解説を入れるのがためらわれる歌といえるでしょう。そういうものとしてこの文章もお読みいただけると幸いです。い、いや、わたくしここまでわかりやすいと逆に書けなくなるんです。松井さんの比喩はもうちょっと遠かったですから書く隙間があったような気がしたんですが、玉置さんと須藤さんはモロにその隙間をドカンと埋めてきました。

さてロケットがGOしまして曲は急展開、これまで元声ひとつとオクターブ上の声しか入っていなかったボーカルが、普通のハモリ音程になります。これが急に切迫した感じを演出していけません。ああ、始まったか……(笑)。途中でバカげた乱舞とかしてますけど、それもすべて基本行為中です。「別れた女のフリして」は正直意味がよくわかんないですけども、玉置さんほどの遍歴を重ねた情熱家ならばわたくしなどの想像が及ばないいろんな思いが去来するものと思われます、行為中に。

さて曲は間奏、ソロのない間奏で、アコギのカッティングがよく聴こえます。パラパラパラ〜と広がる安藤さんのキーボードもよく聴こえます。この曲はお二人だけで演奏しているのですが、ここからの三曲はほぼこのお二人だけなのです(「愛を伝えて」だけCat Bellsに違うクレジットが入っていますが)。よほど相性がいいと見えます。こんなに玉置さんが一人のミュージシャンと一対一で曲を作り上げたのはBAnaNAさん時代以来ではないでしょうか。こんな感じのキーボード入れたいなあって玉置さんが思うところを安藤さんが勝手に受信して的確に入れることができるくらいでなければ、こういう関係は築きにくいでしょう。「さっちゃんは音楽を作れる仲間だと思った。そういうやつが欲しかった」(『幸せになるために生まれてきたんだから』より)とまで玉置さんに評価されている安藤さんの存在は、この復活三部作の中でどんどんと大きくなってゆくのでした。

二番に入りまして、もちろん話は全然進んでおらず同じような濡れ場が描かれるんですが(笑)、これは二晩のことを歌っているのでなくて、同じ一晩のことを違う角度から描いたってところでしょう。一番ではまだ描写が客観的でしたが、この二番はもはや副詞だけというか、何やってるんだかさっぱりわかりません、「イライラ」はまだわかるとしても、「ブラブラ」「ブルブル」「グルグル」はもはやなんだかわからないし、あまり想像したくもないです(笑)。さほどに強烈かつ直接的でピンポイントすぎて、完全に脳内だけで起こっていることを身体が行っていることから切り離して表現したんじゃないかってくらい、傍からはわかりにくいものです。長嶋監督がバッティング指導するとき「ピャッときてバッと打つ」とか言ってほとんどの選手にはさっぱり伝わらなかったのと同じく(松井選手だけわかった)、天才の感覚的な表現というのは往々にして凡人にはわからないものなのでしょう。榎本喜八選手も現役時代にバッティングのアドバイスを求められ「体が生きて間が合えば必ずヒットになる」などといっていたせいか、あれほどの大打者でありながらコーチや監督を一度も経験せずに亡くなったのでした。玉置さんの天才ぶりは、長嶋榎本レベルか、あるいはそれ以上なのだと思い知らされる歌だといえるでしょう。

そしてサビのあと「Yes, Honeybee」のフレーズを二回繰り返します。「どうしたんだい 元気出して 一緒にいこう」?元気ないんですかね?夜じゅう頑張りすぎたのか、あるいはもう夜は明けていて別の誰かに言っているのか……いやいや!そんなふしだらなことは!(笑)

これも、時系列で考えるべきでなく、相手は同じ、シチュエーションが違っているのに一曲の中で重なる、時間や空間をすっ飛ばした(一人の相手への)強烈な愛情を表現しているものと思われます。あるいは、愛欲とか蜜蜂の労働とかそういう文脈の次元すらも吹っ飛ばして、玉置さんが多くの人たちに「元気出せよ!一緒に楽しもうぜ!」というメッセージなのかもしれません。わたしたちは文脈の中に生きていてあまりそこから離脱しませんので、ちょっと意識を飛ばさないと「そうだ!クヨクヨしてないで楽しまないと!」とは思えないわけですが(あんたいま行為中じゃん!)。

さて曲はいったんブレイクしまして玉置さんのシャウト、そしてギターソロに入ります。一分弱の長いソロです。あまり音程を大きく動かさずチョーキングを多用したエモーショナルなソロです。以前にも書きましたが、ギタリストだとここまで思い切ったソロはなかなか……あちこちのポジションを使って華麗に弾こうなんて思っちゃいますから、これは逆に難しいといえます。そしてアルペジオ、一瞬復活したドラムとベース、またアルペジオに玉置さんの囁き……これは次作『JUNK LAND』にもしばしばみられるのですが、こういう余韻というか、感情の流れ・動きをストレートに奔放に表現した箇所といえるでしょう。

この曲、玉置さんには大きな手ごたえがあったのでしょう。おそらくはお気に入りナンバーとして『安全地帯XIII JUNK』にも安全地帯で再録されています。

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2022年08月19日

フラッグ


玉置浩二『CAFE JAPAN』七曲目「フラッグ」です。

JUNK LAND』に「我が愛しのフラッグ」という曲がありまして、なんで旗なんか愛してるんだよと不思議に思ったものですが、例によって『幸せになるために生まれてきたんだから』によりますとフラッグとは玉置さんの愛猫の名前なんだそうです。へえー、じゃあ『CAFE JAPAN』の「フラッグ」も猫なのかなと一瞬思いましたが、作詞は須藤さんですし、太陽の光にきらめいたりしていますんでふつうに旗なんででしょう。

ガシャン!ガシャン!ザワザワ……と、工作機械の音、うごめく人々の気配、これは工場でしょう。いまの世の中ではどこに行ったのか、あまり聞かなくなった工場の音です。たんにわたしが住んでいたのが工場地帯だっただけなのか、産業構造が変化してそういう工場が減っただけなのかちょっと判じかねますが、ともあれ懐かしい子ども時代に一気に戻されるようなあの頃の音です。

アコギの音がなりはじめます。右から左から中央から……あまり聴いたことないですがカントリーミュージックの臭い、バンジョーの響きにも似たギターオーケストレーションです。玉置さんがスキャットを始め、パーカッションがズシンズシンとプレス機を思わせる重い音でリズムを取ります。

ベース、ドラムと同時に歌が始まります。どちらも玉置さんが演奏していますが、エレキギターによるアルペジオが……鈴木さんがクレジットされていまして、おそらくこのアルペジオが鈴木さんなんだと思います。相変わらず柔らかくてスーパーナイスなトーンを……。前作『LOVE SONG BLUE』ではほとんどメインギタリストでしたが、この『CAFE JAPAN』では「フラッグ」一曲のみの参加になっています。この曲にはどうしても鈴木さんの音が欲しくて急遽頼んだんじゃないんでしょうか。

ドラム缶に腰かけて飲み干すのは、ペットボトルの水じゃありません。当時そんなものありません。あるとしたらビンなんですが……水なんてそもそもその時代に売っていたかな?おそらくはビンでなくてヤカンです。ヤカンの水を穴をふさいでフタに注いで飲むんです。もちろん共用ですが、感染症など誰も気にしません、というか現代人とは免疫が違いますし、みんな似たような行動範囲で似たような生活してましたんで、もっている菌なりウイルスなりもかなり共通していたのでしょう、そもそも念頭にも浮かばないのです。ある意味開放的ではあるんですが、もちろん同じ場所で同じことの繰り返しの日々、気づいてしまえば閉塞感がハンパでないです。だから袋小路な気分ですし、ダイスを投げてみたくもなります。投げたってなんにも変わらないんですが……投げるのです。6が出たら何か運命が開けるかも?などと思いながら。そんな悲しさと工場の煙が目にしみて涙が流れ出します。排ガスに関する規制が強くなったのか、産業構造が変化したのか、現代は空気がきれいです。タバコの煙すら閉め出そうと躍起になる現代人などは、昭和の工場地帯の臭いは目にしみるどころか鼻が曲がってひっくり返るに違いありません。

そんな臭いの中、おそらく鈴木さんのスーパーナイスなカッティングが響き、曲はBメロというかサビに展開してゆきます。おかしくなりそう、悲しくなりそうと、閉塞感極まった町を捨ててもよいと叫びます。汗とアブラは、その地域に深く根ざし内部に入り込んだ人でなければ触れることものないものなのですが、見えてしまうんですねえ、ふるさとだから。でも、きっと捨てないんです。見えなくなるとさみしくなりそうだから。ふるさとの地べたにはいつくばって、ガソリンの臭いを嗅ぎながら、工作機械の排熱をでかい扇風機でかき回した風を浴びながら、暮らしていくんです。

さてドンドン!とフロアタムが響き歌は二番、「組合」「サイレン」と相変わらず重めのワードが歌われます。19世紀、労使関係は暴発寸前、ある国は共産主義に移行、多くの国は修正資本主義に舵を切ります。その過程で生まれた組合とは、結局は妥協の産物にすぎません。はじめから「喧嘩もしない」状態であればいいんです。その喧嘩が労使間のものか、それともたんなる痴話喧嘩なのかはわかりませんが、いずれにしろ穏やかではありません。経営者が最大限に労働者の生活を尊重し配慮していれば、争いごとの半分はこの世からなくなるといっても過言ではないでしょう。サン=シモン派やロバート・オウエンのいう理想的・空想的な社会がそこにはできる……かもしれません。でもまあ、そんな世の中は文字通り空想にすぎないのでしょう。ロバート・オウエンの街ニューラナアックはいい感じに運営されていたと伝えられていますが、当時は繊維関係がメチャクチャな成長産業であったことを考えれば、まあそういうことも一時的にならあるかもねってくらいです。作業場のトラブルで爪は剥げるし(何かの比喩かも……「能ある鷹は爪を隠す」みたいに能力とか強さを表すものであれば、粋がっていたけども日々に疲れてそんな気すらなくなってしまった、くらいの意味かもしれません)、終業を告げるサイレン後にシャワーを浴びなければならないほどドロンコ、恋人と待ち合わせするカフェまではいつくばってゆくほど体は疲労困憊、さんざんです。ちなみに三交代制とかは当時あんまり聞いたことがありませんでしたので、普通に17時に機械はストップでしょう。みんな定時に帰れます。恋人と夕食もとれます。もしかして現代のほうが辛いんじゃないのかってくらいユートピアな感じがしますが……それは現代がキツすぎるだけで、当時はそれが「ああ今日も大変だったな……」と繰り返しの毎日に疲れた労働者の日々だったのです。

さて歌はふたたびサビ、はるばるきた、ここまできた……はるばるいくよ、そこまでいくよ……これは町を離れて新天地に来たとかそういう意味ではないように思われます。繰り返しの毎日にあっても、一歩一歩進んでいると信じている青年が、ここまではるばるやってきた、きっと自由な日々にたどり着けるんだ……とそうした明日への希望を歌っているように感じられるのです。どんな夢、希望があるのか、自分は何を守っているのか判然とはしないけれども、昭和という時代は明日は今日よりもっとよくなると、信じられた時代でもあったのです。自分の声でハモリをいれた玉置さんのボーカル、切々と、それでいて悲愴感が感じられないように聴こえるのはこうした未来への希望(その象徴がフラッグ)がにじみ出ているからではないでしょうか。玉置さんのボーカルにも須藤さんの歌詞にも、辛い労働の日々のなかにも信じて生きて行ける希望、というストーリーを、わたくしはっきり感じてしまうのです。疲れているのかもしれません(笑)。

曲は玉置さんの情熱たっぷりなギターソロに入ります。うーむ見事!あらかじめ考えておいたソロではないでしょう。おそらくはアドリブに近いです。指先の力を振り絞った大きめのチョーキング、目いっぱい伸ばしたビブラート、魂のリフレイン、これは前もって作ろうとするともうちょっと細かくいろいろやろうとしてしまいます。ギタリストの性なのです。ですから、アドリブのほうが案外いい感じになることはままあります。

曲は一番と二番のサビを一回ずつ繰り返して最後は「自由のフラッグYEAH…(ah!)…YEAH…(ah!)…YEAH…(ah!)(ah!)…」とテンションアップして終わります。楽器の音が終わる瞬間にうすーくストリングスらしき音が入っていたことがわかり、あ、クレジットされていた安藤さんの演奏はこれか、とやっと腑に落ちました。そしてまた工場の喧騒……また繰り返しの毎日へと、いつか自由になれるんだと希望を求めて帰ってゆきます。

思うに、繰り返しの毎日は人間にとって不自由を感じるものなのだと思います。なにも束縛されているわけじゃないのに、自由になりたいと思ってしまうのです。いつ起きるか寝るか、起きている何をするのか、何を食うか食わないか、何もかもがほんとうは自由なのに、生活の糧を得るために繰り返しのスケジュールを採用してしまったそのときから不自由を感じるようになってしまいます。どこにでも行けるのにどこにも行けない、いつまで寝ててもいいのに起きなくちゃならなくて、いつまで起きててもいいのに寝なくちゃならなくてと……ああしまった、急に自分がとてつもなく不自由なんじゃないかと思えてきて胸が苦しくなりました(笑)。

自由を求めて歌われた団塊世代のフォークは、自由のほかに不戦とかなんだかイデオロギー臭さがつきまとっていて下の世代からすると正直食傷気味なんですけども、玉置さんのこの曲は力強くも美しいメロディーに、イデオロギーのかわりに汗やアブラ、誰かがよこしまな気持ちで支配しているとかそういう悪玉を設定して恨むような気持ちは露ほどもなく純粋な気持ちで自由とかフラッグとかへの憧れを歌う気持ち、こうしたものが心を何ともいえずさわやかにしてくれます。

カントリーミュージックって、ほんとの昔はこんな感じだったんじゃないですかねえ……カントリー大全集的なやつをちょっと聴いたくらいしか知らないですが。わたしが中高生の頃はもうメアリー・チェイピン・カーペンターとかがいてAORと区別がつきにくくなっていましたし、いまなんて……テイラー・スイフト?ふつうのポップスと何が違うのかわたくしにはもうわかりません。そんなわけで、この曲がお好きな方は60-70年代くらいのカントリーをお聴きになるとより幸せになれるかもしれません。ともあれ、この曲は玉置さん流のカントリーなんだとわたくしは思っております。

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2022年08月13日

SPECIAL


玉置浩二『CAFE JAPAN』六曲目「SPECIAL」です。

玉置さんがパーカッション、アコギ、エレキを演奏しているほかは藤井さんの打ち込みとキーボードになっています。それにしてもこのアルバムでの藤井さんはかつての川島さんなみの活躍ですね。

というわけで、多くの音は打ち込みということになります。玉置さんのお弾きになったギターの音もあんまり聴こえてきません。それにしても……このストリングスの音はさすがにわかります。抑揚がだいぶん少ないというか不自然な感じがします。玉置さんや藤井さんがそんなこと気づかないわけありませんから、わざとでしょう。何らかの狙いがあって人工的な感覚をあえて出しているのだと思います。ドラムやベースは正直よくわかりません。ドラムの音がちょっと単調かな?くらいです。これだって玉置さんの歌があんまり強いので最初に気がつくようなものでなく、クレジット見てああそうだったんだと後だしジャンケン的にそう解釈するだけのことです。

さて、なにやらハープをかき鳴らしたような音がなったかと思えば、ドラムス、ベースの音、パーカッション、ベルの音が絡み、ダッダッダー!ダ!ダッダダー!ダッダッダー!ダ!ダッダダー!というこの曲メインのリズムが奏でられます。この曲のメインはこのリズムなんだと思います。歌は当たり前にいいし、平面的なストリングスもいいです(これが金子飛鳥グループのリアルな演奏だったら、はっきりとはわかりませんがおそらく合わないと思います)。ですが、この曲でもっとも強く印象に残るのはこのリズムでしょう。ねえ須藤さん、このリズムで曲作ろうよ歌詞書いて書いて、というが早いか、玉置さんがギターに合わせて即興の歌詞で歌い始めて、須藤さんが慌ててメモ用紙を取り出す、そして何度か歌っているうちに「スペシャル」「きっと」「もっと」という言葉が決まってくる……「きっとスペシャル」は浩二が作った歌詞だからといってクレジットは共作にすることにして、それに合わせて「射的場」とか「メリーゴーランド」という雰囲気を須藤さんが示し、玉置さんがそれを組み込んだ仮歌を作り、AメロBメロが固まったところでカセットに録音(当時はMDか?)、須藤さんがそれを持ち帰ってウンウン唸って次の日にできあがった歌詞を玉置さんに見せたら玉置さんは喜んでギターで弾き始める、そして「須藤さん、これだよ!」と二カッと笑う……こんな光景を想像していまいます。うわあ、いいなあいいなあ!それこそ作曲だよ!バンドだよチームだよ!松井さんはこういう仕事の仕方はせずに、カセットだけ受け取って自室にこもって出来上がったものを見せてくるタイプだそうですけど、須藤さんはもう曲が生まれる第一歩目のところから一緒にいて一緒に作っているわけです。それこそどこをどっちが作っているんだかわからなくなるくらいに、融合しています。

当時のわたくし、ドラマーとよく部屋で曲作りをしていたものです。まずはわたくしギターをシャリシャリとアンプを通さず弾いていまして、ドラマーはその横で「信長の野望」です(笑)。姉小路とかそういうきわめて天下統一の難しい大名を選んでいますので悪戦苦闘しています。しばらくたってわたくし「こんなリフどうかな?じゃあこんなのは?」ドラマーはその間鉛筆を片手に五線譜にリズム譜をさらさらとメモしています。「よーし、じゃあドラム作るから待ってて」とドラムマシンをピコピコ打ち込むドラマーをよそにこんどはわたしが「ストリートファイター2」とかやっています。サガットは強いので何回か敗れたりベガに全然勝てなかったりしてイライラしています。そんなことしているうちに「できたよー」「おーし」と交代、今度はわたくしMTRにドラムを録音して、ギターを重ねていきます。アンプは使いません、アパートだから。MTRにメタルゾーン直差ししてヘッドホンです。ドラマーは姉小路再開していますが何しろとなりの斎藤が強いので北陸から攻めていき、そのスキに斎藤から攻められています。デモにはベースも入れないといけないんですが、何しろゲームの状況によってベースはドラマーが弾いたり私が弾いたりになります。二人ともあまりベースのことは考えていませんでした。ドラムとギターが決まればその間を縫うようにフレーズを作るしかないのは当然なので、私が弾いてもドラマーが弾いても同じなのです。ちなみにベースも直差しです。そうして歌のないデモが出来上がります……不思議だ、やってることは玉置さん須藤さんと同じなのになぜこんなに違うんだ。きっとわたしたちはお互いの待ち時間にそれぞれ勝手なことをやってるからでしょう。玉置須藤コンビのような一体となった曲作りとは非常に遠いわけなのです。

以上の玉置須藤コネクションはわたくしの妄想なのですが、『幸せになるために生まれてきたんだから』によりますと「24時間体制」で一緒に風呂入りながら曲作りしていたようですし、『カリント工場の煙突の上に』をふたりが一緒に作る様子を読むにつけても、当たらずといえども遠からずだろうと推測できます。

さて話は曲に戻りまして、「Ah!」と威勢のいい玉置さんのシャウト、「Oh〜」と朗々とした唸り、にぎやかなアレンジでメインリズムが響き続けます。これは曲のイメージである遊園地を演出する効果があります、というかあるように聴こえてきます、後だしジャンケンで!(笑)。後だしなんですが、歌の強さですべての要因が互いに融和してゆくのです。

さて、歌に入りまして、ベースがボンボンボンボンと小気味のよい下降を繰り返すなか、玉置さんが遊園地の施設で遊ぶ様子を歌います。楽しく、そして懐かしい感じです。Bメロ、「コインポケットにジャラジャラ」なんてお祭りの夜を思いだしますねえ。ひたすらセピア色な気分です。「夢」でいっぱいで、でもそれは一日で終わってしまう「夢」だとわかっているわけですからこそ、愉しもうとするのです。

サビは「スペシャル」の連呼、ときめく、はじける、「ハレ」の日です。ずっとは続かないけどもずっと続いてほしい、でもずっと続いていたらスペシャルっていわないので、これはスペシャルなことなんだと連呼する、そんな矛盾をはらんだ気持ちを……意図的にか非意図的にか、この曲は表現しているようです。この時点ではわたくしそう思っておりました。

二番では輪投げしたりサンドバッグを殴ったりしています。楽しそうですねえ。ちょっとわたくしの記憶内では、遊園地にはそういうものはなかった気がするのですが(あまり行ったことないですけど)……さきほど申しましたように、そういうものはお祭りにある気がします。この歌、遊園地と祭りが混じってませんかね?そんな場所があるわけが……歌は「スペシャル」連呼のサビを何事もなかったかのように通過し(わたしが疑問に思っているだけで実際には何事も起こっていない)、大サビに入ります。

「人生は遊びさ」……これは遊園地や祭りの歌などではなかった!逆にいうと遊園地でも祭りでもないのだから、それらが混ざっていても別に問題がなかったのです。つまり、比喩だったのでしょう。射的場や観覧車、ピンボール、パントマイム……「のように」特別なイベント、スペシャルなイベントがそこにある「ように」生きていこうぜ、いつでもそんな浮き立つような、どこでもそんな楽しい気分でいようぜ、一度きりだし、しかも一通りしかないのがこの人生だもの、と玉置さんは歌うのです。なんという勇気のわきでる歌でしょうか。SMAPが「世界に一つだけの花」で「オンリーワン」と共感を買いまくったのは2002⁻2003のことです。いやいや玉置さんがもっと前に……なんていうだけ野暮というものでしょう。なにせむりに特別でなくていい、もともと特別なんだからと肩の力を抜きまくった詞を歌うSMAP(作詞作曲は槇原敬之)と、がんばらないとスペシャルじゃないぜ!いつでもがんばってスペシャル!もっと楽しまないと!と非常に積極的な玉置さんの歌とではその心構えが違い過ぎるのです。

なんということでしょうか。遊園地の楽しい歌だと思っていたら、これはほんの数年前にどん底を経験した玉置さんが、その精神を奮い立たせ、人生を楽しもう!と高らかに歌い上げる歌だったのです。そのために、遊園地とも祭りともつかぬ「ときめく」「はじける」ハレの装置を数多く次々に歌うのでした……。

「スペーシャール……」と最後に歌声を伸ばし、アウトロも終わらずにフェードアウト、きっといつまでもスペシャルなんだろうと暗示するのにはこの上ない終わり方です。玉置さんはその通り、この後も紆余曲折ありつつもスペシャルな人生を送って26年後の現在に至っています。その活躍ぶりはみなさんもご存知の通りです。

そういや今夜は玉置さんのシンフォニックコンサートが放送される日です。これはうちのテレビでも観られますので録画決定(チャンネル決定権はない)!うーむ楽しみ(明日の早朝が)!。

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2022年08月11日

STAR


玉置浩二『CAFE JAPAN』五曲目、「STAR」です。先行シングルで一番初めに出たシングルです。カップリングは前アルバム「正義の味方」でした。かわいらしいイラスト(バジャ一家?東京電力コマーシャルだったようですが詳細が全然わかりません)のジャケットで、曲調もアコギのアルペジオ主体の可愛らしい曲になっています。

アルバムより一年以上前に出ていまして、テレビでも何回か流れたのを聴いてはいました。あら玉置さんの声だ、きれいな曲だねえ、と思っていました。ですが、それだけでした。わたしがそれまで「玉置さんらしい」と思っていた音楽の要素から外れていましたので、何か事情があったのだろう、くらいに思っていたのです。だって!玉置さんが!「ベイベー」とか歌うなんて思ってなかったんですもん!(笑)まさかのちにアルバムに収録されるとは……しかも、アルバムにはスパッとおさまる「らしい曲」になっているとは……わからんもんです。95年はアルバムのリリースはありませんでしたが、前作『LOVE SONG BLUE』から今作『CAFE JAPAN』へと進化するために必要な期間だったのでしょう。その、いわばサナギの状態にあってポロッと漏れ出てきたこの「STAR」に面くらったというのが事の次第だったのだと思います。

ポロロロ〜とガットギターがアルペジオで響き、ほどなく玉置さんが「ベイビー」と歌い始めます。このギター、低音がずいぶん効いてますし、途中でパートが二つに分かれますから、二本か、もしかしたら三本重ねているのでしょう。星がきらめくようにハーモニクスの音がキラーンキラーンと……その間もストロークやアルペジオは聴こえてきますし、かなり試し試し重ね方を工夫したのだと思います。ボーカルは……これまた二回か三回重ねて録音しているように聴こえますが、玉置さんのことですから油断はなりません。一回か二回か、ちょっと判別つけかねる箇所もいくつかあります。ひとりクイーンやってるんじゃないかってくらい重厚なので、薄いところ厚いところの感覚が狂ってきます。

一番のサビ以降、ポコポコとパーカッションが聴こえます。かなり控えめなので、ギターとボーカルの重厚さに埋もれていますし、それくらいの味付けでいいとお思いになったのでしょう。

そして間奏ではポロロポロロロ〜と流麗なエレキギターによるソロが入ります。「矢萩が弾いても俺が弾いても同じだから」と豪語する玉置さん、さすがの腕前です。トーンづくり、フィンガリング、ピッキング、フレージング、どこをとっても本職ギタリストと遜色ないソロです。カキくんと同じかどうかはともかく。

で、この曲、すべてが玉置さんの演奏によるものなのです。安藤さんも藤井さんも入っていません。『カリント工場の煙突の上に』以来の完全にオール玉置です。『カリント工場』もパーフェクトにオール玉置って曲はあったかなかったか……?ともあれ、ここまで徹底的にほかの人の音を入れないというのは珍しいことだったのです。しかもシングルですし。

前作『LOVE SONG BLUE』はかなりゴージャスにミュージシャンを起用したアルバムであることはすでにご紹介しました。わたくし思いますに、これは、玉置さん一回イヤになっちゃったんじゃないかと思うのです。安全地帯時代にもサポートメンバーが十人を数えるくらい豪勢だったのを、ほぼ削って極力五人だけでレコーディングに臨んだ『夢の都』のように、そしてその五人すら削ってほとんど一人で作り上げた『カリント工場』のように、原点回帰といいますか、玉置さんは息詰まるといったんすべてをリセットして、最小構成(へたすると自分一人)でリスタートする癖があるのではないかと思うのです。この癖はのちに『ニセモノ』を全部ひとりで録りなおしたという事件や、『雨のち晴れ』後に安全地帯を休止させたことにも表れているように思われます。

精神的支柱として須藤さんと二人三脚、音楽的支柱として安藤さんと二人三脚と、玉置さんを支える超強力サポーターたるお二人がいたからこそできたのでしょう。この二人さえいれば、ほかはいざとなればぜんぶ俺がやればいいんだ、悩まなくていいんだ自由でいいんだと、バンドボーカルなりソロ歌手なりが背負いがちな束縛をいっさい捨てることができた、そんな喜びがこの曲、そしてアルバム『CAFE JAPAN』にはみなぎっているかのようです。おい浩二「べイべー」とか言って、そんなキャラじゃないだろ大丈夫かお前、なんていう人はいません、自由なのです。だから「ベイベー」なのです。

そして自由に歌う玉置さん、これは安藤さんとの間に芽生えた愛を歌っているのか、いやたぶんそうなんだと思いますけども、それにしても空とか星とかいうことがデカいんですけど!(笑)。超ラブラブのときには、世界中がぜんぶ自分たちを祝福しているような気分になるのもわからないでもないんですが、もしこのラブラブ説が正しいのであれば、あからさますぎです。作詞には須藤さんも参加しているわけなんですが、あまり制約はかかっていないようです(笑)。当時のわたくし、まだまだ薬師丸さんとラブラブだとばかり思っておりましたから、まさかそんな心境になっていようだなど思いもよりません。な、なんだこの歌詞、仙人にでもなったか?穏やかすぎんぞ!と驚いたものです。いや、実は安藤さんうんぬんは全く関係なく、ほんとうに仙人的な心境になっていたのかもわかりませんが。

「この星と暮らそう」「この星で暮らそう」のスケールには、のちの「プレゼント」を思わせる大地と空の広さがグワーッと胸に迫ります。「愛はどこからきたんだ」、不思議ですね。それはもう星が自転公転するのと同じくらい自然なことなのでしょう。大地がどこまでも続き、緑が芽生え生き物たちがうごめき、空はすべてをおおい宇宙と境を接している……そのメカニズムのうちに、わたしたちの愛もあるのでしょう。ですから、どこから来たんだと問われたら星から来たんだというしかありません。そして、星の一部たるわたしたちにも「聞こえる」はずなのです。「作用する」とか「機能する」ってことなんでしょうけど、それを聴覚で表すセンスには驚きです。すげえ自然な感じ!

この理屈が正しいのであれば、生きとし生けるもの皆すべて、べたすると非生物にすら愛は聞こえるはずです。ですから、「いつの日か争うこともなく」すべては丸く収まってもよさそうなものなのです。ですが、それは世界が結局調和的にできているはずだという幻想にすぎないことを私たちは知っています。だって争いまくってるじゃないですか私たち。へたすると隣人でさえ知ったことかで切り捨てます。な、なぜ!ほんとうはみんな争わずラブ&ピースで暮らしたいと思っているんじゃないのー?

たぶん、そうなんです。私たちは争わずに済むならそれに越したことはないとそれなりに思っているのです。だって皆兄弟だから(星的なスケールでいうと)。でもですねー、そういうラブ&ピースな気持ちってのは、たぶん濃淡がかなりあるんだと思います。昆虫とか貝類とかはほとんど感じてなさそうですよね。人間だってけっこう人による、心境によるんじゃないでしょうか。オランウータンはメチャクチャ感じていそうですけども。この濃淡があるから、きっと私たちは一致団結などせずにそれぞれのテンションでラブ&ピースを星から受信しているのでしょう。

きっと、だからこそ、私たちは運命の人ともいえるような、似た波長の人とめぐり逢うことがあるんじゃないかなー、なんて思うわけです。で、そんな人とラブラブになったらすっげえ鷹揚な気持ちになって、世界のすべてが許せる!世界のすべてが自分たちを祝福している!ような気にもなれるんじゃないかな、なんて思うわけです。それはふつうには舞い上がっているというんですけども。

と、まあ、ラブラブ説をどっちかというと推したいわたくしなのですが、まあ例によっていつもの妄想ですから、今作から参加していない星さんを思って書いた曲なんですとかあとから判明してしまいとんだ赤っ恥といういつものパターンが見えて仕方ありません。

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2022年08月06日

ヘイ!ヘイ!


玉置浩二『CAFE JAPAN』四曲目「ヘイ!ヘイ!」です。

「ヘヘイのヘイ!」と威勢のいい掛け声と、ギターやベース、ドラムの試し弾きのような音、セッションの準備ができたことを意味する「オーケイ」に応じる「オーケイ」(全員玉置さん)、ひとりバンドなのにずいぶん臨場感あります、クレジットにはキーボードに安藤さん、コーラスにThe Asiansがあるほかは全員玉置さんなのです(The Asiansが何者なのかは不明です。おそらくは即席のグループでしょう)。

「ジャーン!ジャッ!ジャーン!」と重めのリズムで、しかし軽快に、ストラトキャスターのスプリング音が聴こえるくらいにおそらくは腕の力で強く弦を叩いたギターが二本絡み、ロックの王道……AC/DCかと思うくらい王道のバンドサウンドで曲は進んでいきます。いや、あんなに重くないですね。これまた玉置さんが弾いたベースのせいか、足取りが軽やかです。玉置さんはベースが得意なんだそうですが、決して王道のベースではありません。ベースという楽器を、曲のボトムを支えるとかバスドラに合わせるとかそういう定石をほとんど気にしない自由な発想で弾いたとしか思えません。もちろんドラムも上手なんですが、これも前曲「田園」や前々曲「CAFE JAPAN」と同じく、ドラマーの定石うんぬんはほとんど気にせず、玉置さんという全身楽器みたいな人の肉体そのものから発信されるリズムを自由な発想で叩いたように聴こえます。そんなにシンバル叩かないっす!スネア連打そんなにためないっす!これはまさにオール玉置バンドでなければ再現が難しい演奏だといえるでしょう。

さて歌が始まり「いらんでしょ」「いいでしょ」のように語尾が「〜しょう」でなく「しょ」なのは、実は北海道弁なのです。かつてハウス食品が出していた「北のラーメン屋さんうまいっしょ」が島殿下(小野寺昭:太陽にほえろ)と雪子さん(篠ひろ子:キツイ奴ら)のCMで「うまいっしょ」とニコニコお客さんに話しかけていたのを覚えている方は、確実に40代後半以上でしょう。他地方の人にもまるで問題なく通じる言葉ですからあまり北海道弁って感じはしないかもしれませんが、道産子にはすぐわかります。ドイツ人が外国で同朋と思しき人とのすれ違いざまに「カルトッフェル(ジャガイモ)」とつぶやいて相手が振り返るかどうかを確かめるのにも似た、すぐに分かる合言葉のようなものです。北海道人にはすぐわかります。この曲は、傷つき倒れた玉置さんが自らを癒した旭川が舞台なのです(全部このパターン)。

誰かひさしぶりの友達とサシで呑みます。「あの娘とはどうなった?」なんて話に及びます。

曲はダンダカダンダン!と唐突にサビに入り、ヘイヘイ〜ヘイヘイ〜とコーラス入りで豪勢に歌います。基本、あの娘とはうまくいってないんです。そんな悲しさを嘆きながらも笑い飛ばす、そんな切ないヘイヘイです。なんもわかってない……ちゃんと愛してない……そんな不満をいわれてどうしようもないんだ……なんとありがちな……でも、どうしようもないのです。人間の注意力には限界ってものがありますから、「あの娘」も底なしに愛されたいのであれば人選を誤ったとしかいいようがないのです。

ドンドン!とフロアタムが響き、玉置さんのミドルの効いたギターソロが……暑い夜に近々のビールを飲んだ時の「くうううー」にも似たトーンで奏でられます。これに合の手を入れるベースが「トゥルル!」などとベーシストが思いつくとは思えないフレーズを入れてきます。

歌は二番、わかりあうっていいでしょ、でも何にも問題は解決してないんだけどね、結局は自分でなんとかしないといけないよ、と突き放すような話に聞こえるかもしれません。でもいいんです。解決なんかするわけありません。これは非指示的カウンセリング(ロジャース)なのです。あ、いや、吞んでるんですけど(笑)。当店カフェ・ジャパンは束の間の癒しをこのような形でご提供しております、解決はどうぞご自分で、というスタイルなのです。というか、カフェとか呑み屋ってそういう場所ですよね、昔から。「よろこんでー」とか声だけ喜んでるバイトさんが忙しく歩き回っているようなデフレチェーン居酒屋ばかりになった現代の若い人は理解しにくいかもしれません。それじゃおれたちの悲しみは癒せねえね(笑)。あるんですよ、立ち入ってこないけど気心知れてるんだ今夜はVERY GOODって距離感が。優先順位がおかしいって殴られたよ参っちゃうよなあ、ああそりゃ災難でしたねえ大根煮えてますけど喰います?いいねこの大根……すげえしみてる……くう〜酒ちょーだい酒!いいんですよたまには殴らせてあげればいいじゃないですか、ほら熱くなってますよ、みたいな!わかるかな〜わっかんねえだろうなあ〜(千とせ)。

玉置さんがダンダカダンダカものすごいタムワークとシンバル連打で雨のち雨のち晴れという、なんだか大変な境遇を歌います。ですが、最後に晴れている、「いいことある」のでこれでいいんだという気分になれます。夢のち夢のち……覚醒?いや、雨の間は寝て夢を見て、晴れた明日にはいいことがあると信じよう!という意味でしょう。辛くたってそれはいずれ時が解決する、時は心を癒し、状況を動かし、全く違った地平へとわたしたちを誘う……これは、安全地帯の時代によくみられた、恋人たちがもうこのまま時間よとまれ、季節よあの人を連れ去らないでくれと願っていた境地とはまったく違っています。正確には「ひとりぼっちのエール」ですでに須藤さんが示していた境地でもあるのですが、この歌も須藤さんが作詞に玉置さんとの共作という形で参加されていて、今度は玉置さんがそのバトンを受け継いでいるような恰好になっているのはとてもドラマチックです。

曲は最後のサビ、なんもなくなってない、ぜんぶわかってない、また殴られてしまいそうですが(笑)、でもいいんです。明日は晴れるから、今夜はロックンロールな夢を見ればいいんです。そしてベリーグッド!ベリグーベリグー!と掛け合って曲は終わります。なんとも、明日への根拠のない希望が湧いてくる歌じゃありませんか。

時は96年秋、わたしは悩んでいました。なんもわかってないって殴られて悩んでいたわけではなく(笑)、将来のことです。音楽を続けるのか?しかもメタルでいいのか?インペリテリの「Future is Black」みたいにお先真っ暗だぞ?メタリカの「Blackened」みたいに真っ暗で終了だぞ?でもいきなり玉置さんみたいな音楽できるわけないしなあ……それともいまからでも髪を切って背広着て企業を巡るか?それまでありとあらゆる企業勤めの機会をスルーし続けてきたわたくし、いまさらそんなことをするのもウルトラヘビーな気分でした。何しろ、氷河期真っただ中、いいニュースなど一つも聞かない時代です。派遣法も改正され、いよいよ若者使い捨ての気配が濃厚になってきていたのです。街はいつも灰色、「いちご白書をもう一度」のような未来が明るい時代では全然ありませんでした。そんななか危機感なく秋から動き始めるやつなんか相手にされるハズがありません。ですがいずれは何とかしなければならないのは明白です。ようするにわたくし、時代のせいにして甘ったれていたのでした。まあーなんとかなるっしょ!飛行機を降りたわたくし、「どーにかしなきゃな、ひとりで」と足取りも軽やかに札幌行きの電車に乗り込んだのでした。たぶん、なんも、ぜんぶわかってません(笑)、

いまふとエディット画面の表示を見て気づいたのですが、これで200の記事を書いたことになるようです(最初の「このブログの説明」を除く)。おお!100は何だったのかな?調べるとどうも「Holiday」のようです。うーむだいぶ前の気がするな……。ともあれ、節目です。気持ちを新たにしなければなりません。前の節目は気づきませんでしたが。このまま300まで行ったとすると……このペースだとあと二年くらいですかね、はっきりとはわかりませんがおそらく『安全地帯IX』か『安全地帯X 雨のち晴れ』のどこかだと思います。まだ20年遅れだよ!どんだけ曲あるんだすげえーなあー(笑)。ともあれさしあたり300目指して頑張りたいと思います。

CAFE JAPAN [ 玉置浩二 ]

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