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安全地帯・玉置浩二の音楽を語るブログ、管理人のトバです。安全地帯・玉置浩二の音楽こそが至高!と信じ続けて四十年くらい経ちました。よくそんなに信じられるものだと、自分でも驚きです。
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2021年12月05日

大きな"いちょう"の木の下に


玉置浩二『カリント工場の煙突の上に』五曲目、「大きな"いちょう"の木の下に」です。

なんじゃこのほっこりソングは?と誰もが思います。何しろありさんが迷子になって歩くだけの歌詞なのです。

遠くから口笛、高音のシンセ、アコギが聴こえてきます。この高音のシンセ、曲のところどころで薬師丸さんの声に聴こえるんですよ、わたしには。わたくし一時的に耳おかしいのかと思ってたんですが、30年近くたってもやっぱり聴こえます。これはもう、周波数なりなんなりがかなり似通っているか、もしくは本当に薬師丸さんの声を混ぜているか、あるいは本当にわたくしの耳がずっとおかしいかだと思います。

歌詞カードには、薄字で歌われなかった物語が書かれています。「誰かさん」がすべり台を滑るという話と、もうワンコーラス、赤い目の「やぎさん」がのびのび暮らしている話です。これは謎です。歌詞は須藤さんとの共作でなくすべて玉置さんですから、玉置さんの精神世界なのだと思いますが……

むりに解釈を試みますと「働き続けの誰かさん」は玉置さんをはじめとするワーカホリックの都会人でしょう。仕事仕事で、年から年中オトナとしての働きをしています。そこにはさまざまな葛藤なり冷徹な判断なりが求められるのですが、オトナですからそれはサラッとこなしてしれっとやり過ごすしかありません。でも、心の中の「泣き虫ぼうや」は情感たっぷりのままですから、そんな判断を迫られたら泣いてしまいます。そんなつらい働きをしなくてもよかった少年時代の、楽しい遊びの世界から鬼さんこちらと手を鳴らし誘う音が聴こえます。「こちら」から「あちら」へと、えいっと渡ればいいのです。少年時代への憧憬があふれて「あちら」側へとつづく虹色のすべり台をすべれば「あちら」側です。

そこには「やぎさん」がいて、日がな一日草を食んで暮らしています。ここでは夜が明けていても、遠くの国では日が暮れたころだなあと思うことのできるくらい余裕のある生活をしています。わたしたちの日常においても、いま北米大陸南米大陸では日本と昼夜が逆転しているわけなんですが、そんなこと意識して暮らしていません。株とか先物とかやっているのでなければ。だからこそ私たちは谷川俊太郎の「カムチャッカの若者〜」(「朝のリレー」より)にハッとさせられるのでしょう。そしてまた、日の出や日没を意識できるような広々とした大地にあるような解放感・開放感を思わせます。

さてやっと歌です。働き者で正直者の「ありさん」です。

曲は、低音のギター、高音のギターが重ねられ、そこに玉置さんの低音と高音がさらに重ねられ、曲の基本が編まれています。これに高音のシンセが絡んで色を付けています。

ギターの音ですが、どうやって録ったのこんな生々しい音ってくらい、目の前で鳴っているかのような……いや、それは言い過ぎか(笑)、ともあれリアルないい音です。

「気が付いたらチューニングしてないギターで音を録っちゃってた」「全部生ギター弾いて歌うところから録って」(『幸せになるために生まれてきたんだから』より)と玉置さんはおっしゃっています。う、うーん!業務用のコンデンサマイク立てただけで録っちゃったんじゃないでしょうか、もしかしたら……ふつうの、ホールにダイナミック近づけてとる方法じゃこんな音にならない気がしますよ。ピエゾピックアップなんてなおさらムリです。「ペペペペペペ」と高速で弾くところの空気感というか……反響のいいホールで、目の前で弾いてもらっているときに聴こえる音に近いように思います。

あんまり忙しすぎたんで、帰り道に迷った……これは玉置さん自身のさまよいを寓話化したもののように聴こえますね。絶頂にあった安全地帯の音楽と、それとは対照的に盛り下がってゆくバブル崩壊後の日本、その狭間の歪みを直撃でくらってしまい、傷つき、すりつぶされて、それでもいつか潮目は変わると信じ歩き続け、とうとう倒れたのです。何時間も雨に打たれた、季節が変わって冬の風の中も雪の中も歩き続けたのです。だれだよ、「違う道」を教えたやつは!と傍から腹が立つくらいの気の毒な行程でした。

「雨に打たれたって………」の「………」に、裏で玉置さんが「〜ても〜」と歌っていますよね。ちゃんとは聴きとれないんですが、「雨が降っても」とか「雪が降っても」とか「足が傷ついても」とかそういう内容であることは想像がつきます。おそらくですが、別な歌詞の歌が入っていたんだと思います。それをここの部分だけあえて消さなかったか、どうしても残ってしまったかして入ったのでしょう。偶然か必然かわかりませんが、これが不屈の精神で辛い道を歩んだことをより一層強く表現しているように聴こえます。さしあたりここでは、もしかして冒頭の歌われていない歌詞、これの続きがあったんじゃないかな、だって高音の玉置さんと低音の玉置さん、ちょっとタイミングズレてるじゃん、これはあえて直さなかったとして、それで「前を向いて〜」に続いていた……と妄想をたくましくしておきます。

「風の中も 冷たい雪の中も」と歌う玉置さん、「つめーたーい……ゆきーのなー……か…も……」と、「氷点」のときよりさらに冷たそうに歌っています。ど、どんだけ寒かったんだ!とちょっとゾッとするくらいの表現力です。ここに高音のシンセ(薬師丸ボイス的)を入れて曲をこれでもかと冷たくします。

そろそろ間奏かなと思いきや、曲は一気に終わりに向かいます。「ここまで「ほら がんばれ」」このセリフを言ったのは……「なかよしこよしの風」なのでしょう。さっきはその冷たさで玉置さんを芯まで冷やした風ですが、少なくとも「違う道」を教えたのではありません。「なかよしこよし」ですから(笑)。「大きないちょうの木の下」へと玉置さんを導きます。「きっときっといけるよ」と励まします。

そして「ポロロポロロポロロ」と高速のギターアルペジオに乗せて、ガットギターのソロでこの曲は終わっていきます。

いちょうの木というのは、わたくしの少年時代ですと神社とか学校の前に植えられていた印象があります。秋になるとくっさいアレです(笑)。大人になると、近所にそんなものがあるところは限られてきますから、通過しないか、通過してもほんの一瞬ですから、そんなにその存在を意識しないのですが、子どもの頃はそうはいきません。何しろ学校の前ですから、いきおいその存在を意識しないではいられません。あんた学校より昔からここに生えてたでしょってくらいの巨木が、毎日毎日目に入ります。秋には鼻にも入ります(笑)。だからなのでしょうか、いちょうの木はわたくしにとって少年時代、とりわけ小学校を思い出させるのです。

歌詞カードには、この詞のとなりは玉置さんがもらった賞状や通知表の類が埋め尽くされた写真です。神居小学校、神居中学校、教育文化協会、その手の非常に地元チックなものです。こんな歌詞カードでは小学校を思いださざるを得ません。このアルバムをデータで買ってしまうとこういう演出は見ないで終わってしまいますからぜひCDをお買いになるとよろしいかと思いますが、そもそもCDを再生する機械がない方もおいででしょうし、だいいちこの歌詞カードは私が持ってる初回限定盤に限られているのかもわかりませんので、あんまり無責任なススメはできませんね。

小学校、中学校……ああ、寝込みたくなってきました(笑)。玉置さんはお勉強はイヤだったみたいですが、それ以外のことでとても充実した学校生活を送ったようです。途中から武沢さんも転校してきますし。いいなあ!小学校とか中学校の、あの独特の世界を玉置さんもやはり通過したのですが、オトナになって傷つき倒れた玉置さんがその「独特の世界」を正面からみつめ、なつかしい「いちょうの木の下」と位置付ける、そんな原点を求める旅のような心のさまよいを歌になさったのだと、わたくしは思うのです。

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