玉置浩二『カリント工場の煙突の上に』八曲目、「納屋の空」です。
前曲「家族」とは違って、曲らしい曲です。本アルバム中、曲らしい曲の中でもっとも玉置さんのコアに迫った曲といえるかもしれません。
アルペジオのガットギターからはじまり、リードのギターとベース、シンバル、なにやら細かく刻まれる打楽器、そして「ずっと……〇×△◇」という玉置さんのささやきで前奏は構成されています。
これ以降サビまでシンバルはほとんど入らず、サビでわずかにバスドラが打たれ、一番の終わるタイミングからドラムが、ズッパン……ズッパン……と重く入ってくるのですが、ギターやベースはあまり調子が変わらず、淡々と弾かれます。しかし、曲の最後、この淡々ぶりが徐々に盛り上がってゆくさまは、『CAFE JAPN』以降の玉置サウンドの原形といえるでしょう。見事な、これこそ「変態(いい意味の)」といっていいでしょう。蛹から成虫になる様子に似てます。カオスになりそうな音たちを曲としてまとめ上げ、感情の盛り上がりを像として結んだほとんど最初の例であるように思われます。別ないい方をすれば、『CAFE JAPAN』や『JUNK LAND』で聴けるような玉置サウンドを好きな人であれば、この曲にはその原石をみつけることができるでしょう。
ただ、『CAFE JAPAN』や『JUNK LAND』とは違って歌詞が思い切り暗く、多分にセンチメンタルです。この時期の玉置さんの心境を思えばもちろん当然のことなんですが、こんな傷心の時期にあってもサウンドはすでに次の時代への萌芽を膨らませているのですから、すごいエネルギーだとしか言いようがありません。
さて歌は、タイトル中の「納屋」を中心に追憶の中に沈んでいきます。辛いことがあったとき泣いていた納屋、あぜ道脇の、風で吹っ飛びそうになっている納屋、悲しみを吐き出し、心を癒し、愛と希望とを湧き出させる場であった納屋……
北海道人たるわたくし、この情景を経験的に理解していたかったのですが、無念ながらそんな納屋は知りません……これは上川盆地という北海道随一の穀倉・農業地帯であるからこそ可能であった情景であるように思われます。札幌の住宅街では、家の裏にある、家々の屋根に囲まれた物置が納屋です。冬の間は使われないバイクや自転車を格納している、寒くて入る気にもならない、そもそも入り口付近が雪に埋まっている物置ではそんな精神的ドラマは起こりようがないのです。歌詞カードの写真で、畑の片隅で玉置さんが寄りかかっている傾いた建物こそが、そのような情景にふさわしい「納屋」でしょう。
傷つき、倒れそうになり、風の中フラフラと納屋にまで辿りつきます。演奏も一瞬止まるほどの辛さです。その納屋には、壁に絵が描いてあります。なんでしょうね?悪ガキのいたずら描きかもしれませんし、風雪によって自然に描かれた模様かもしれません。田舎によくある広告看板かもしれません。もしくは団地絵のようなものかもしれません。真相は不明なのですが、妙に惹かれる絵というのは幼少のころよくあったように思います。わたくし、横浜タイヤの顔なんて味があって好きでした。もちろんこの歌の「壁の絵」はそういうのじゃないんだとは思いますが……なんにせよ昭和の何かではあるでしょう。そんな納屋は心落ち着く場所、秘密の場所なのです。夕暮れになるまでぼんやりと雲を眺め、日が暮れて気が落ち着き、また歩き始めることのできる場所なのでしょう。
「のろし雲が叫んでた」のはちょっと謎ですが、旭川空港に発着する飛行機による飛行機雲なのだと思います。飛行機の発着ですから「叫ぶ」ような音がしているのでしょう。そうであれば、「離れそうになる君」の正体がみえてきます……具体的な誰であるかはわかりません。飛行機で新天地に旅立つご友人なのでしょう。納屋の空を眺め、羽田空港へと向けて飛び立つ飛行機に心の中で別れを告げるのです。こうして「会った」のですが、空港で見送ってませんので「会えない」というわけなのでしょう。
さて、一番を一気に歌詞だけで通過しましたが、この歌い回しったら、背筋がゾクゾクときます。「夕暮れ」「空が」「赤く」「揺れた」と細かく言葉を切って一つずつ吐き出しつつ、「のろし雲が」と大きく伸ばす、この緩急だけで悶絶ものです。裏のギターも最高のタイミングで胸を締め付けるように「ぺロロン」「キュイーン」と泣きます。これは作詞作曲玉置浩二、かつボーカル玉置浩二であるからこそ出せる言葉と音楽の融合でしょう。自分の肉体が出せる表現をギリギリまで追究したかのようなことばの連続に、これまでにない一体感を感じずにはいられません。この経験があったからこそ、『CAFE JAPAN』以降の作品が成り立ったとさえいえるんじゃないかと思います。個人的には『CAFE JAPAN』よりも『JUNKLAND』のほうがその一体感は強いように思えますので、よろしければ『JUNKLAND』をお聴きになってからこの『カリント工場の煙突の上に』をお聴きになり、玉置さんの選んだ言葉を玉置さんが歌うことによって生まれるノリを意識してお聴きになってみてください。なお、このアルバムでは「キラキラ ニコニコ」「納屋の空」「元気な町」「青い"なす"畑」の四曲が作詞作曲玉置浩二のクレジットになっています。
曲は二番に入り、玉置さんのドラムが鳴り響くなか、難解な詞を歌った二番に入ります。難解なんですが、玉置グルーヴによってすっと聴けてしまう不思議な個所です。「ズジャでもいいんでしょ」とか言われた気分です。よくねえよ。
「赤のセロファン」って学校でもらったことあるんですが、なんかうれしかったですね。なんに使ったのかははっきりわかりませんが、たぶん図画工作でステンドグラスづくりでもしたのでしょう。彫刻刀を木に入れる前の準備段階だったんだと思うんですが、切り出し刀でボール紙とセロファンのステンドグラスを作ったことがあります。残ったセロファンを、帰り道に雪に透かして遊んだ記憶もあります。白い世界が赤い世界にみえて面白いんですよ。「消えないよう 落ちないよう 僕が付けたサビ」を雪で洗うというのはよくわかりませんが……雪にはよくサビがついてました。たまにあった木の電柱に巻き付けられていた針金や、それこそ納屋のトタン屋根を支えていた釘で、雪が赤くなっているんです。赤のセロファン越しにみると、そこだけ黒く見えると思います。でもそれじゃ意味が通りません。たぶん、「サビ」的なものをセロファンにくっつけてあって、それを雪にこすりつけて汚れを落としていたんだと思います。「サビ」は本当のサビでなくて、図画工作で作った作品等としての何かでしょうから、それが落ちないように注意しながらセロファンをきれいにしていたんだと思います。なぜそんなことしているのかはさっぱりわかりませんが、少年の考えることなんてわからないものです。この傍からみたときの不合理さが、リアルな少年時代の描写になっているんだと考えたいです。わたくしなんて雪に「トーチカ」をいくつも作って、手近な屋根に上ってそれを「空爆」していたものです。傍からみて何をやっているんだかわかるほうが怖いです(笑)。
さて、歌詞はさらにわけが分からなくなっていきます。「にじんだ」「ビルと」「欠けた」「屋根と」「時をつーなぐ」と玉置グルーヴ全開で強引に分からされた感じがしますが、冷静になるとやっぱりわかりません(笑)。季節は春でしょうから遠くに見える市街地のビルが水蒸気で霞んでみえる、もしくは東京のビル街を思いだしているのでしょう。風雪に耐えて変形してしまった納屋のトタン屋根は、まるで別の星にあるかのように違う世界です。それは市街地と近郊農業地帯との違いでもあれば、少年時代と青年時代の違い、それぞれに過ごしていた旭川と東京の違いでもあるのかもしれません。ですが、すべて同じ人間・人格であるところの玉置浩二がいた空間です。それは全然違う世界であって、それが統一体であるところの玉置浩二という人格を切り裂くかのような感覚に襲われているのではないか、それらをつなぎとめ、一つのものとして心の中に整理させる、統一させる可能性を示唆するものは夜空の星が過去でも現在でも旭川でも東京でも同じだということ……その星たちがひとつずつ、時間と空間の狭間にバラバラになった精神の欠片に降り注ぎ、夜空にまた昇って統一させてほしい、なんて思いが込められているのではないか?……むむむ、無理やり考えると苦しい(笑)。
ものすごく下世話に考えれば、忘れずに連れられていく「君」は、もしかして恋人や奥さんなのかもしれません。だって玉置さん、そっち方面でもだいぶバラバラじゃないですか(笑)。バンドのメンバーはあんまり変わらないのに。
節操がないとかそんな意味になりかねないんですが、でも、これは誰の心にも少しはあるんじゃないでしょうか。わたくしも家庭ある身ですからあまり迂闊なことをいうとのちのち自分の居心地が悪くなる危険を冒すわけなんですけども(笑)。こんな少年時代の、原風景にあたるような場所を一緒に歩いていた、このままずっとつれて行けると思っていた「君」は、いまは一体どこで何しているやら、ぜんぜんわかりません。実家のイエデン番号がわからないどころじゃないですよ、わたくし、例によって声だけはよく覚えているんですが、もう顔もよく覚えていません。「今よりもっと遠くへ」、つまり、ずっとずっと未来まで、一緒にいようねって思っていたのでしたが、実際にはだいぶん近い未来でしかなかった「今」でさえ消息不明です。あぜ道を渡って農業地帯を抜け出し、ぜんぜん違う世界の青空の下へ行っても、「あふれる愛」「幸せ」は変わらないと信じてたことを、あの頃と同じく傷つきたどり着いた「納屋」のそばで空を見上げて思いだすのです。
例によって全然ちがう心象、情景が歌われているのかもわかりませんが、もしも玉置さんのお考えになってたことにこのわたくしの妄想の熱量だけでも似ていたのであるとすれば、それをものの数分の歌にして盛り上げていった玉置さんは、ちょっと信じがたいシンガーソングライターです。作曲家、歌手としてのもの凄さはこれまでのキャリアで十分すぎるほど世の中に見せつけてきた玉置さんですが、ここにきて、歌詞という表現ツールを自分の作曲、自分の歌唱に見事にアジャストすることによって、新しい時代に突入したということができるでしょう。アルバム全体がきわめつきに暗く重いのでわたくしも今の今までわかってなかったのかもしれません、このアルバムこそが、これ以降の玉置さんを方向づけたのだということを。
例年、大晦日か元旦、あるいはその両方に更新をしていたのですが、今度の年越しではそれができませんでした。なにしろ前曲の「家族」延々リピートが重くて、玉置さんの音楽を聴く気にならず、ひたすらギター弾いていたのです。メタリカとか(笑)。ヘヴィメタで自分の原点をもう一度見つめ直さないと、とてもとても玉置さんの音楽に向き合うエネルギーが出ませんでした。メタリカよりエネルギッシュってどういうことだよ参っちゃうなあとか思いながら。おかげでここニ三年やっているギターのリハビリがたいぶ進みました。
2021年はほとんど休まず50本くらい?記事をかけましたから、このペースでいけば2022年内に『JUNK LAND』くらいまではいけるかなーなんて思わなくもありません。いまサラッと書きましたけど、このペースでも『JUNK LAND』までしかいかないのか……玉置さんソロって分厚いなあとちょっとめげそうになりました(笑)。ともあれ2022年も精力的に更新していく所存でございます。どうぞよろしくお願いいたします。
価格:2,733円 |
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このアルバムのわずか数年後にどうして『CAFE JAPAN』「田園」を作れるのか、ほんとにとんでもないですよね。天才というか鬼才というか……当時はそのわずか数年もリアルタイムでゆっくりと通過してましたから、いま感じるほどのとんでもない変化じゃなかったんですけども……。
当時、玉置さんがどこからか受け継いできたバトンを、次の世代たる私たちは受け継ぐことができなかったようで、玉置さんは現在でも孤高すぎる大活躍です。私たちの世代にもちゃんといたんだと思うんですが、何しろレコード会社に余裕がなくミリオン連発の安物を売りまくり、ちゃんとしたミュージシャンを育てないまま潰してしまったんだと思います。そのあげくにサブスクリプションでカゴ売りしてるんですから笑えません……。
シンフォニックもいいじゃないですか(わたしも聴きに行きたい)。それに、またバンドを引き連れてドカンとやってくれると思います。紅白でもほぼフル構成でやってくれましたし、きっとまた大爆発してくれます。これまで何度だっていつだってそうだったのですから!
今回の納屋の空に関してはどなたもまだコメントされていないので、チャンス(笑)と思って30年前から聴いて現在にまたがる思い出をこの際まとめて書かせて頂きますので、内容が相応しくない場合は削除を御願い致します。
まず、この時期の玉置さんはご承知のとおり、安全地帯をストップしソロでコールやロマンなど、バラードアルバムを出した後で、とにかく歌や絵、たまに役者をしながら表現者としてビカビカしてとても眩しかった印象が30年たった今でも鮮明に残ってます。あるバレンタインにちなんであこがれの宣伝的に出演したラジオでは、「僕らの世代は次に時代を作る人達にバトンタッチ、橋渡しをするのが役目。そのための作品は残したい」みたいなことを話しており、それから本当に数多くのアルバムを何枚も出し、特に田園、メロディーを筆頭に現在は圧倒的支持を得るスタート地点が、まさに30年前のこのアルバムカリント工場のようです。こういう凄いアルバムを作って数年後にはカフェジャパン、田園を大ヒットさせるのは本当に神業、神技としか思えないです。最近はシンフォニックに集中してますが、またいつか爆発すると信じてます(笑)
それで納屋の空ですが、はじまりが、小さな声で「大丈夫だ、じっとしてろ」で始まり、ラストの「幸せに いつまでも どこまでも」のシャウトがまた最高に高音でカッコよく、何回かしか生で聴いた覚えがないですが、この曲をシンフォニックでやってくれたら観に行きたいと思ってます。入場料高いですし、なかなか買えなそうですが(笑)
長々と大変失礼しました。またのブログ楽しみにしてます。ありがとうございます。では。