玉置浩二『カリント工場の煙突の上に』六曲目、「キラキラ ニコニコ」です。
キラキラは青春で、ニコニコは純情。歌詞カードに掲載された詩のタイトルが「青春」「純情」で、それにふられていたルビがそれぞれキラキラ、ニコニコなのです。
詩は短く、切なく、美しいです。夜明けの海に僕の涙が輝き、暮れゆく空に君の涙が落ちていきます。ぼくは君を思って泣くのに、君の涙は僕に対するものではないのです。それでも、キラキラニコニコ笑うのです。
低めのシンバルの音が重なり響き、重層なストリングスが入ります。きたきたきた!これぞ玉置浩二!と当時のわたくし大喜びしました。このまま片思いとか失恋とかの悲しみに胸を焦がされ涙を絞り出されるような超絶悲恋ソングになってゆくに違いない!という予感はあっさり裏切られます。玉置さんの節回しとなにやらポコポコとしたコンガらしき打楽器に、ガットギターの音がシャリンシャリン、ジャインジャイン、ポロンポロンと重ねられ、ベースがウウン!と唸って「ハイ元気ですか」と何やら呑気なセリフが聴こえてきて、期待を裏切られた感いっぱいのわたくし、オーディオの前でひっくり返ります。このアルバムでそんなのを期待するほうが間違っていた!
気を取り直して歌詞カード片手に、曲に聞き入ります。深刻なストリングスに比較して緊張感のない呑気な歌だとばかり思っていたのですが、聴いているうちに何やら異変に気がつきます。「山は高いんですか」って高いに決まってるでしょう、「防人の詩」みたいに死にますかとかちょっと変わったこと訊きなさいよ。「大切なことをすぐ忘れる」って健忘症かい、それだから僕が君の星になるって意味がよくわからないよ、それに星になるって言っているのにこの不吉なコード進行はなんだ、ぜんぜん輝いている気がしないよ、「もし疲れたら 僕がおぶってあげるよ」ってやさしいことばをどうしてこんなに辛そうに叫ぶんだ、背景に「キラ…キラ…ニコ…ニコ…」ってゼイゼイハアハアいいながらやっとの思いで顔だけニコニコしているのがまるわかりだよ!どうなっているんだこの曲は……
そんなわけで、ひとことで言えば不気味な曲です。これだけ不気味な曲もそうそうないでしょう。その不気味さは、玉置さん自身が人に対してどんなときでも全力で楽しませようとする、やさしくするという性格の持ち主であるのに、心身が言うことをきかない、思ったように感じられない、思えない、動けない状況であることによって醸し出されているように思えます。そしてこのとびきりの音楽的才能の持ち主であるがゆえに、そんな感情と意志と身体性とをそのまま表現できてしまったという、まさに玉置さんでなければ、そしてこの状況で、このタイミングでなければ生まれ得ない、ハッキリいって怪作であり、大傑作であると思います。不気味だなんだとわたくし言っておりますが、このアルバムで最高の曲を挙げろといわれたら、この曲もしくは次の「家族」を挙げます。おそらく賛同者は少ないでしょうけれども……これほどの奇跡的な音楽表現はおそらくは玉置さん自身にさえ二度と為しえないのではないかと思われるのです。
なお、このコントロール不能期のことは、玉置さん自身が「〈田園〉の詞は、まさに俺が一番グチャグチャになっていたときのことをまとめた詞」とおっしゃっていたように(『幸せになるために生まれてきたんだから』より)、数年後に「田園」というヒット曲に「まとめた」形で世に出されます。ですから、「生きていくんだ それでいいんだ」って思えるようになった前の段階がまとまらない形でこの「キラキラ ニコニコ」において表現されているのだと、わたくしは考えています。つまり、「田園」序曲なのだという位置づけです。
O Freunde, nicht diese Töne!
Sondern laßt uns angenehmere
anstimmen und freudenvollere.
ああ友よ、この音楽ではないんだ!
これではなくて、気持ちよく歌おう、よろこびに満ちた歌を(「歓喜の歌/合唱」より)
わたくしは「この音楽」が気になるわけですが(笑)、「よろこびに満ちた歌」が「田園」であるのに対して、「この音楽」が「キラキラ ニコニコ」にあたると思っております。「diese Töne」は正確には「この音楽」というより「これらの音たち」という複数形であるわけなのですが、「音楽」として「まとめた」ものが「田園」であって、「音楽」としてまとめられる前の段階、まだ「音たち」と呼ぶべき段階の状態が「キラキラ ニコニコ」であるように思えてならないのです。ですから数年後、「田園」を聴いたとき、「田園」って第六交響曲じゃん、うまくできてんなーと思いました。もちろん偶然でしょうけども、ここに符号を感じずにはいられませんでした。
あのグチャグチャだった日々は、「キラキラ」だった「青春」の日々であり、「純情」の涙を流し合い、その涙もすれ違ってゆくような日々だったのです。山の高い、遠いふるさとを思い「元気ですか」「まだ休めませんか」と気遣う自分がもっとも広い海、広い世界で荒波にもまれ傷つき……それでも「君」の輝く星であろうとした、ゼイゼイハアハアいいながらキラキラニコニコと笑顔で「君」を助けて共に歩んでいこうとしていたのです。なんというまとまらなさ!まとめる暇も余力もない、壮絶で過酷な青春を送ってきた玉置さんにしか出せない凄みがビンビンと伝わってきます。
エレキギターでピヨピヨと、丸っこいきれいな音が響くなか、一番の聴かせどころである「おはよう」の一節が流れます。玉置さん自身が叩いたドラムが「ドッシン!ズシン!」と重く響きます。この曲でムリヤリに「AメロBメロサビ」という区分を当てはめようとしたらここがサビなのでしょう。ただ一度の、繰り返されることのないサビです。展開まで直感的でグチャグチャですから、あれ、あのメロディーどの曲だっけ?と曲目リストをみても思いだせません。「キラキラ ニコニコ」という曲名から思いだせるのは「キラキラ ニコニコだね」という最後の一節であって、そこだけ取り出すとこの「おはよう」とはまるで別の曲なのです。
そんなわけで、一回聴いて覚えられるようなキャッチーさは皆無に近く、それでいて魂にこびりついて離れないような強力なアピール力をもつサビがあり、まとめようという気の感じられない、もっというと売る気の感じられない芸術品のような風格さえ漂わせる傑作であると、わたくしは信じております。「最近玉置さんの歌を聴き始めたんですけど、どのアルバムがいいでしょうか」って人には特におススメしませんねえ(笑)。これをリアルタイムで通過した人、ここでリスナーを辞めなかった人、数年後の「田園」での快進撃を知っている人と、しみじみと語り合いたい、そんな曲なのです。なあ、「あったかでまんまるに生まれた」君って誰だと思う?なんてギター片手に酒でも飲みながら。
価格:2,352円 |
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子どものころ聴いた音楽だの読んだ本だのっていうのは、結局自分を作っているなと思わされることがありますね。何を聴いても安全地帯に戻ってくるわたくし、音楽でいうと安全地帯がわたくしの血肉になっていると感じています。本は何だろう?手塚治虫かな……なんか知りませんが、親が私に最初に買い与えたマンガは「ブラック・ジャック」だったのです。まだ五歳くらいなのに!当時連載中でしたもんね。当時のチャンピオンは黄金期で、従兄たちが読んでいた「マカロニほうれん荘」とか「ガキデカ」の面白さは完全にわたしの一部となっています。おかげで、ちょっとやそっとのギャグマンガじゃ笑いません(笑)。
わたくし、ジブリダメなんですよ……ディズニーもダメです。面白く観られないんです。ジブリだとやっぱり五歳くらいのときに毎週観てた「未来少年コナン」を求めてしまって、これ違う!と思ってしまいますし(違って当たり前なのは重々承知)、ディズニーは突然歌ったり踊ったりするのがどうしても違和感あります(だからトイストーリーやモンスターUni.とかはふつうに観られる)。そんなわけで、「未来少年コナン」とか「太陽の子エステバン」とかがきっとわたしのアニメ原点だと思います。
お酒やめてひと月になろうとしてます。
ご飯の量も徐々に減らしてますが、ご飯とお茶が楽しみなじじいみたいな生活です笑
確か、このうたはハワイの友人に子供が生まれて作った?とあこがれ武道館コンサートで話していたように記憶してます。
地震や台風、異常に暑かったり急に寒かったり…それでも皆、生きているんだ!それで良いんだ!みんな友達なんだ!?
やなせたかし氏のアンパンマンのテーマや、ドラえもんの世界、はたまたジブリの宮崎駿氏の作るものなど、心に残る映画や漫画、音楽作品が僕らの糧となって結局は最後まで影響すると思っています。安全地帯、チェッカーズが好きな方はチェッカーズがそうであるように。