玉置浩二『カリント工場の煙突の上に』三曲目、「ダンボールと蜜柑箱」です。
「ウウン……」と謎の音、たぶんベースだと思うんですが、玉置さんの低い声に聴こえないこともありません。玉置さんはベースが一番得意と2001年におっしゃってましたが、それは玉置さんにとって歌うように弾ける、リズムを刻みたいときに刻める、その両方ができる楽器からじゃないかな、なんてインタビューを読んでいて思います。
いきなり余談ですが、いまはもうベースって初心者がジャンケンで負けて担当する時代じゃないんですよね。ベーシストに憧れてベーシストになりたくてベースを始める若者が多いとききます。もちろん昔もすごいベーシストってのはいたんですけども(古い時代だと、それこそ岸部一徳さんとか)、初心者の目に入る、耳に入るようになったんでしょうね。動画も多くなりましたし、家で聴く再生機器の音質も派手になりましたし(いい音だとは言っていない)。
さて曲は、アコギ・ベース・ドラム・パーカッションで始まり、すぐ星さんアレンジのストリングス、そしてエレキギターの旋律が入ります。右に左に振られたアコギ、なんと美しい音色でしょう。中央のエレキも見事な甘いトーンで、これはもちろん玉置さんが弾いたんですけど、最初は矢萩さんが弾いたんじゃなかと思ったほどです。ストリングスもシンプルなんですが……ほれぼれします。星さんいないとだめだよホントに!と玉置さんが頼りにしていたのはもちろん精神的支柱としてでもあるんでしょうけども、このアレンジの手腕は当然にアテにされていたと思うのです。
伴奏はアコギだけになり、歌が始まります。暗い物置から幼いころの思い出がつまったいろいろなものが出てくるシーンを、アコギに乗せて玉置さんが歌う……これは、文字通り弾き語り、ほんとうに語っているのです。本物のシンガーソングライターだけができる「弾き語り」です。フォークソング時代、歌の途中にとつぜんしゃべり始めるアレとは違い、歌うことで語っているのです。アレはシンガートーカーソングトークライターとでもいうべき別の種類の芸術家だとわたくしは思うのですが、基本好きではありません(笑)。
ここで玉置さんの歌によって語られるものは、「置き手紙」のような明確なストーリーの一片ではありませんでした。古いアルバム、顕微鏡、柱時計……と、次々に現れるものの名前、ただの名詞です。ただの名詞なのに、なぜ泣けるのか?「瞳の中の虹」でみられた「切妻屋根」「時計台」「髪飾り」「陽炎坂」……と同じ手法なんですが、それら名詞の一つひとつが惹起するイメージを組み合わせることで、これほどの世界を描けるとは……ふたたび思い知らされたにとどまらず、玉置さんの凄まじい歌唱力によってその世界がどれほど生き生きと眼前にというか脳裏に焼き付けられるのか……「カビの匂い」に至っては、ほんとうに嗅覚が起動してカビの匂いがするんじゃないかと思うくらいリアルです。そして「がらくた」はモノの名前でありながら、古くて役に立たぬものという価値判断を含んだ、思考回路を刺激するワードです。幼いころにはなんらか価値を持っていたものなのですが、長い時を経たいまとなっては無用のものであるという今現在の判断を示すワードによって、星さんの流麗なストリングスに乗って遠い思い出の日々に運ばれていったわたしたちの意識を現在にフッと呼び戻すのです。なんという鮮やかな技法でしょう。星さん、須藤さん、玉置さんでなければ決してたどり着かないだろうと思われるこの領域、わたくしの狭い音楽見聞では似たものを示すことすらできません。
曲はサビに入ります。須藤さんの書いたイメージ、かくれんぼをしていて寝てしまって、月のウサギと散歩するイメージに玉置さんが共感したところからこのアルバムの製作が始まった(『幸せになるために生まれてきたんだから』より)という、そんな原点的なイメージを詞にした箇所です。おそらくはそのイメージをもった玉置さんが曲を作り、言葉を当てはめていったのがこの詞なのでしょう。須藤さんのイメージは「長持ち」だったそうなのですが、作詞の段階で、リズムや音数に合わせて「ダンボール」へと変わり、このアルバムの初回限定版ジャケットがダンボール製に、そして須藤さんは「ミスター・ダンボール」になるというアイデアの発展が起こりました。
ダンボールに隠れて、隠れているのに早く見つけてほしくて待ってるんです。なんという子供心!そうなんです、見つけられて、驚かれたい、笑われたいんです。見つかったら収容所送りで死を意味する逃亡とは違うのです。遊びなんです。100%遊び心しかない、そんな純粋な心がたったこれだけのイメージで描かれ、玉置さんの極上ボーカルによって語られ、そして星さんがストリングスをあてるのです……誰もが持っていたあの子供心へとこれほどわたしたちをトリップさせる歌があったでしょうか……。「きみがーは・や・く…「うさぎーた・ち・と……」と、鬼気迫る抑揚の付け方で、わたしたちの脳内からそれ以外のイメージを追い出してしまうかのようなどんでもないボーカルです。
歌は二番に入りまして、エレキギターとストリングスが最初から入り、「蜜柑箱」が登場します。はて?蜜柑箱ってダンボールじゃないの?とわたしくらいの年代は思うわけなのですが、これはもちろん須藤さんや玉置さんに訊かないとわかりません。昭和中期くらいまでは木箱で、子どもの机に使うこともできたくらいいい箱で蜜柑は輸送・販売されていたそうなのです。そうした蜜柑箱なのか、はてまたダンボール箱なのか……ダンボールなんじゃないかなーと思いますけども、あえて「蜜柑箱」といったからには、「蜜柑」という果実のもつ飾らないイメージと、それを箱で買うんですから家庭の臭いとを想起させるワードであるように思えるのです。ちなみに、蜜柑箱はダンボールでもかなり質のいい部類に入りますので、宝箱に転用することも十分考えられるのです。それこそビーズのような小さなものでも隙間から失われることがなく、プラモデルのような脆いものでも壊れることなく、ときにはお気に入りのアメリカの風景が写された写真の切り抜きのようなものを保管しておく、そんな信頼感ある丈夫なダンボール箱だったのを思い出させます。
ところで、昭和55年ころですが、「赤いきつね」「緑のたぬき」で、武田鉄矢がCMでトレーラーの運転手か誰かを相手に何かやるCMがあったように記憶しています。それでそのキャンペーンでトレーラーのおもちゃだったか下敷きだったかが当たるというイベントがあったと思うのです。なにぶん幼少の頃なのでちゃんとは思いだせないんですが、あのトレーラーの巨大さ、武骨さはわたしを魅了しました。そしておそらくは両親に教えてもらったのでしょう、アメリカという国名で一番最初に記憶に刻まれた風景は、そのキャンペーンチラシの銀色に輝くトレーラーが砂漠をゆくシーンなのでした。あのチラシがわたくしの「憧れてたアメリカ」です。これが「中国」や「イギリス」では少年の夢っぽくない……というのは偏見ですかね(笑)。
曲は再びサビに入ります。玉置さんのボーカルが大きくなり、望郷の念、郷愁の念、そして子ども時代への追憶……すべてを語るすばらしい歌・詞です。「今でも」隠れているんだと、意味深な告白を叫びます。もちろん隠れているわけないんですけど(笑)、あのころの遊び心を今でも忘れていない、あのころの「君」への思い・期待はそのままなんだよ、と強く強く歌い上げ、語ります。そして「月の庭」を散歩する夢を今でも見るんだと、「君」に打ち明けます。もし子どもの頃の友達にこんなこといわれたら、嬉しいなと思います。「君」は誰なのかわかりませんし実在する人物なのかもわかりませんが、幸せ者なんです。
曲はアウトロ、大音量でエレキギターの……いや、わたしがこの曲を弾くとしたらエレキギターを使う、それ以外でこの音が出せるとは思えないんですが、はっきり自信が持てません。こんなマイルドな音が出せるものなのか……フロントピックアップで弾くのはもちろんですが、ここまでマイルドでそれなのに何本も重ねられたアコギの中にあって存在感を示す音を作れるか、ちょっと自信がありません。ミックスの仕方で聴こえやすくなっていると考えるにしたって、この音は強烈です。玉置さんもギタリストとしてタダモノでないのはもちろんわかっているのですが、こんなの聴いたらアマチュアとはいえギタリストとしてちょっとへこんじゃいますね(笑)。そしてギターはだんだん同じフレーズを繰り返すように崩されてゆき、美しいストリングスがリードして曲は終わります。
わたしが「ダンボールの中に隠れていた」で強烈に少年時代を思い出すのは、須藤さん玉置さんのイメージがわたしだけにヒットしたからだということは考えにくいですので、おそらくは古今東西多くの子どもが似たようなことをやるんだと思います。とても個人的な思い出なのにみんなに似たような経験があるという、すばらしい一面を切り取った「語り」ソングであるといえるでしょう。
価格:2,852円 |
そうですね、このアルバムG多いです。べつにバレてもいいと思うんですが。メタリカなんてEmばっかりだし。あのチューニングズラシはマネできない……
この歌は、このコロナ騒ぎと相まってさらに含蓄を増したというか、しみじみ度が上がりましたね……ほんとに子どもたちにはつまらない思いさせちゃいました。無理が通れば道理が引っ込むとはこのことだと呆れるばかりです。せめてこれからは大いに遊んでみせて、子どもらに失わされた日々を取り戻せるようにしたいものです。
多分、この曲も花咲く土手に、カリント、メロディー、トマト畑、等この時期やたらコードがG名曲オンパレードですね。槙原敬之さんとのテレビで、色々ギターをチューニングして弄って、Gばかりではばれるから(笑)と玉置さん笑いなから解説してくれてました。
ダンボールもライヴでは、Gか半音下げでサビがみつけ〜る!のところと、ラストのみていたよ!のところを高音めっちゃ張るのがたまらないです(笑)
そして、この歌の主題テーマは、玉置さんの本で松井さんが語られていたものと同じように、いつも人間はどこかに隠れたがる生き物。
コロナ禍がおさまるまで、2年間以上に渡って人は隠れていました。さあ、ここからまた夢をみに人に会いに街へ出掛けましょう(マスクなかなか満員電車では外せません)子供達も学校生活がガチでつらかったと思います。以前とは違った世の中の部分もありますが、もっとのびのびと、そして開放感のある子供時代を送らせてあげたいと、私は思います。ちなみに私の仕事部屋の本棚はミカン箱です(笑)
わたしは今、村上春樹の新刊「街とその不確かな壁」を読みながら隠れています。かなり面白いと思います。
あの金八さんは村上春樹さんと同い年でいらっしゃるそうですが作家としてライバル意識がそうさせるのでしょうが、全然読む気がしない、面白いと思わないんだそうです。ご自分のラジオ番組でそう語られてましたが、ひとのことはどうでも良かったですね。ては。