価格:2,358円 |
玉置浩二『あこがれ』八曲目、「瞳の中の虹」です。
「風の谷のナウシカ」「崖の上のポニョ」みたいな「の」二連発のタイトルです。個人的なこだわりですが、わたくしなるべく意味がハッキリしない「の」を使わない、「の」二連発などもってのほかである、という大変不自由なこだわりをもっておりますもので、こういう「の」をみると別の言いかたに言い換えようとしてしまいます。「風がよく吹いている谷に住んでいるナウシカ」とか「崖上部に居座ったポニョ」とか。「気がつくと隣にいるトトロ」「魔女がやっている宅急便」「天空に浮かんでいる城ラピュタ」くらいまでならなんとか対応できますが、ハウルとかそういうロクに観てないやつは困ってしまいます。むむ!あの城はハウルがオーナーなのか?それとも不法占拠しているのか?仮暮らしなのか?関係性がわからないと言い換えようがありません。紅で豚なやつもあんまり観たことないんですが、あれはどのあたりが紅なんでしょう……。
さて「瞳の中の虹」なんですが、これは「の」二連発でもハッキリ意味がわかります。いや、ハッキリはわからないんですが、なんとなく情景が浮かびますね。ずっと昔、夏の日、きみと二人で歩いた街で、夕立の後にふたりで虹を見たね、そんなきみの瞳を覗いてみると、そこに虹が映っていたんだ……い、いかん、この手の話、わたくし超弱いのです。こういう望郷系の話全般に弱いのであって、こういう恋人と夕立の街を歩いたとかそういう経験を思いだして泣けてくるとかではないのが残念ではありますが!(バリバリ夜型ロケンロール)
夕立も、入道雲も、靴の裏が貼りつきそうなアスファルトも日焼けした肩も、その向こうに流れてゆく切り妻屋根の家たちも、みんなみんな、あの時だけの光景です。川島さんのシンセによる蝉時雨、そして「行かないで」で用いられた「シュワー」という音……そこに玉置さんのガットギターで印象的なアルペジオ・リフが入ります。そこに清水さんのエレピが重なり……そこに玉置さんのボーカルで散文詩のように須藤さんが厳選した懐かしワードが……泣かせに来てます!いもしなかった恋人と故郷の街を夏の夕方に歩いたような気がしてなりません!ありもしない思い出を気合で記憶に注入してくるかのようなものすごい威力の歌です。
歌はサビに入り、玉置さんのアルペジオ・リフが下降パターンを主にしたものになります。わたくし初聴時にすっかり参ってしまい、しばらくこればかりコピーしていました。いまでもガットギターがあると最初に弾いてしまうのはこのフレーズです。「ずっと……昔のこと」という、年を重ねれば重ねるほどその意味が深くなる歌詞とともに、脳髄に叩き込まれてしまいました。当時は18歳とか19歳とかですから、ずっと昔っていったって最大で18年とか19年ですけども、現実的には中学生高校生くらいの時ですから4-5年前ですよね。そんなの昔でも何でもないです。もちろん当時の玉置さんならば上京したてのころから10年くらい、旭川時代からは15年とかの重みがあります。それくらいのオトナでなければこの歌はすこしも説得力を持ちません。僕の町は二人の町で、輝いていたんだ、あのころはわからなかったけども、いまならわかるよ……くうー(笑)。
歌は二番に入りまして、また散文詩です。ガラスに貼り付けられた紙の花ってわかりますか。わたくし、近所に一か所だけそういう家がありました。あれは住宅だったのかなんらかの施設だったのか記憶は定かではありませんが……もしかしたら託児所とかだったのかもしれません。ピンクの紙を花形に切り取って窓の向こう側から貼り付けられていました。それ以降見たことがありませんから、ここで強烈に地元の街を思いだします。ねじれた時計台はよくわかりません。何度も同じことを申し上げてくどいですが、わたくしの地元は札幌なので時計台といったらあの時計台なんです。もちろんべつに歪んではいませんでした。ですから、ああいう大仕掛けの時計台のことでなく、風雨雪に耐えてすこし歪んでしまった公園の時計塔くらいのことなんじゃないかなーと思うのです。あれ、悪ガキがドロップキックとかするんでよくへこんだり曲がったりしてるんですよ(笑)。もしかしたらそういう物理的な意味でなくて、記憶の中で何時とかのはっきりした映像はないからハッキリとその形を思い出せないとかそんな意味かもしれませんね。もしくは雨上がりの陽炎的なもので曲がって見えているとか……あ、きっとこれだ(笑)。だって「陽炎坂」ですもの。夕立がやんで陽炎たつ坂を登るとき、アスファルトから立ち上る蒸気と自分たちの汗ばみによる湯気的なもので時計台が曲がって見えて、そんな中でみたガラスに貼り付けられた紙の花の色と、髪飾りの赤と黒のことははっきり覚えている……形は歪むけれど色ははっきり見えて記憶に残っているという、人間の感覚や認識に起こるギャップとかその印象付けの強さとかを見事に切り出して描写しています。なんという表現力!
そして歌は必殺のアルペジオでサビに入ります。歌詞は一番の「僕」を「君」に、「輝いてた」を「きらめいてた」に変えただけです。よくある手法ですが、これは陳腐なのではなく、わざとでしょう。僕の町なら君の町でもある、それが「二人の町」に込められた思いなんだ、ということがこれによりハッキリするのですから。いま僕がその町に行っても、もうそこに「二人の町」はないのです。「君」がいないからです。「君」がいたとしても、いまの君と僕はあのころの君と僕とは違うのですから、もうそこはあの町ではありません。ですから、「ずっと見つからない」んです。人は変わります。「ずっと昔」がどれくらい昔なのかにもよるんですが、どうしても同じではいられません。べつに同じでいたいわけでもないですからいいんですけど、それでも後から振り返ってみると、あのときは、あの町は、楽しかったなあ、ずっとあの頃のままでいたらよかったのになあ、でもそうはいかないもんなあ、と叶うはずもなかった願いをちょっとだけ抱いてしまうのです。
曲は間奏に入ります。サビの歌メロをシンセでなぞるのですが、「シュワー」音とエレピ、そしてガットギターの伴奏と混然一体となった見事な間奏です。ベースにあたる音域の音がないのがまったくすごい!わたくしだったら思いきれずに絶対に隙間を埋めようとしてベースか低音ストリングスを入れるでしょう。要らないのに!こういうところを思い切れるというか、そもそも思いつかないのが天才的なんです。
そしてサビを繰り返します。歌詞カードには「忘れないよ 歌があふれ」と記されているのですが、そこに歌は入っていません。玉置さんのごくごく小さい声で「ずっと…ずっと…」とささやきが入っているのです。録音ミスとかミックスミスってことはないでしょうから、もちろんワザとなのでしょう。もし、ここに歌が入っているバージョンをご存知の方がいらしたら教えてください!ないとは思いますけども、わたくし、『リメンバー・トゥ・リメンバー』でプレスミスというか曲順ミスのバージョンを持っておりますもので(笑)、全くあり得ない話でもないのです。
でもまあ、これは、歌ってみたらしっくりこなかったから「ずっと」とささやいてみたらすごくいい感じにハマったんでこれでいこう!という話になったんだと思います。歌詞的には「ずっと……優しかった二人の町」になって意味は通りますし、ここで言葉にならなくて歌が途切れたという心理的出来事の描写にもなるし、なんだ?と思って歌詞カードを見たら、そうか……歌があふれ、か……これ、つらかったか思いが溢れたかで歌えなかったんだ……と思わせる効果もあります。そんな計算高かったのでなくて、たんにいい感じだと思っただけかもわかりません。なんせ天才ですから。
そして曲は最後のサビです。最後だけ「二人の町」でなく「真夏の夢」です。これも卑怯なくらい心をかき乱してくれます。こういうところで手を抜かない、適当に済ませない、最後の最後まで手を入れる、そんな須藤さんのこだわりぬいた姿勢が胸をうちます。二人の町は、真夏に、夕立のあと陽炎の中にだけ出現した夢だったんじゃないか……それくらい奇跡的で、もう望むべくもない、楽しくて愛おしい瞬間だったんだと思わせてきます。むうー!泣かせるじゃないですか……。
こういう歌を聴いた後で、わたくし昔のことを思いだそうとすると、夏の日のことばかり思いだされます。もちろん春夏秋冬ぜんぶに思い出はあるんだと思うんですが、「夕立」とか「陽炎」とか強力なワード、強力な玉置さんの歌唱によって、夏限定の回想モードに強制突入させられてしまいます。暑くて暑くて外に出たくなくて、それでも恋人にひもじい思いをさせるのがイヤで意を決して部屋を飛び出し、汗だくで買ってきた冷やし麺を二人で食べたとか、夜になってやっと涼しくなってから部屋を出てみると、非常階段の柵ごしに花火が見えて、ああ、今日祭りだったね、今からでも行こうか?いい、ここで花火みようよ、と非常階段に腰かけたとか、そこそこスイート(笑)な思い出がよみがえってきます。陽炎坂?そんな暑い時間に出歩くわけがないじゃないですか(笑)。わたくし北海道人ですから、本州の夏など殺人的です。同じ北海道人の玉置さんがこんな素敵な歌を歌っているというのに、わたくしはからっきしダメなのでした。
価格:2,358円 |
いやー、届いてないんじゃないですか。残念ながら。わたしたちが「世の中」と思うくらいの広い範囲、多くの人数には届いてないと思います。「ワインレッドの心」は届いた、という実感があったそうなんですが、あれくらい売れないと届いたと気づかないのが、わたしたちがふだん認知できる「世の中」なんだと思います。
ですが、確実に聴いている人、心酔してる人、この曲のギターが好きすぎてコピーして弾いちゃう人、「安全地帯・玉置浩二の音楽を語るブログ」などという痴れ者ブログを開設する人はいるわけでして。そういう人たちに、届いているよ!すごいよねこれ!と伝えたいなあと思ってこのブログを作りました。ですから、こんなふうにいろいろお知らせくださって嬉しく思っています。だって、一時期はマジでわたししか受信してない暗号みたいになってましたもん(笑)。
瞳の中の虹。あこがれをの歌詞を書いて下さった須藤晃さんは、言わずとしれた尾崎豊さんを育てたといわれる名プロデューサー。なんでも、月刊カドカワの玉置浩二特集によると、あこがれはオール アイ ドウの後のアルバム制作に5年かかっていて歌詞がなかなか決まらず、星勝さんか、金子章平さんかが須藤晃さんにお願いして、玉置さんがレコーディング時に唱った歌の歌詞がすべて須藤晃さんの書いたものだったらしいですね。
瞳の中の虹は、私もギターのイントロ部分が凄い好きで(笑)よく玉置さんになったつもりで弾いて唱ってました。「夕立〜」でのAmからの入りと、そのあとすぐにギターのベースラインがG〜Fと下がる玉んソングの王道パターン(笑)
ずっとその繰り返しですが、何とも言えないこう、胸の中の伝えたかったんだけど上手く言えなかった、または今でも君と一緒にいたあの時間は忘れないよ、消えてないよ、と玉置さんが呼びかけていて、それを聴いてる僕らにもそう思わせる力がこの1曲には詰まっていると感じます(玉置さんが何かのビデオでインタビューしてる発言と同じになってしまいました。飛天のコンサートの合間に旭川の元合宿所で話してるもの)
こう生きてる時間が積み重なって長くなってくると、どうしたって家や配管と同じように不純物や埃、サビは着きますし心はいつも前ばかり向いてはいませんし、横や後ろ、下や上も見ます。
何が言いたいかと言いますと、音楽の果たす意味や役割まで聴いてる人は考える必要はないですが、あまりにも玉置さんに私も傾倒しすぎたおかげで、世の中に果たしてこの曲は届いているだろうか?届いてほしいと願うから、こう言うブログを通しての交流でお話しして、心が温まることが出来るのだと解釈しています。長くなりました。ありがとうございました。
ありがとうございました。