玉置浩二『あこがれ』十曲目、すなわちラストチューン、「大切な時間」(「時間」と書いて「とき」と読みます)です。
お気づきの方も多いかと思いますが、この曲は売られている曲の中で初めて玉置さんが詞をお書きになった曲です。なぜ!ここまで須藤ワールド全開で来て、なぜここで玉置さんの詞を出す?作詞の手練れである須藤さんがありとあらゆる天才的なワザをここまで繰り広げてきたのに、ここで初作詞の玉置さんが、かなりの素朴な歌詞を付け加えたのはなぜだ?ちょっと混乱します。
まったくの推測なのですが、これは玉置さんが「付け加えた」のではなく、最初からあったのではないかと思うのです。というのは、この曲(弾き語り部分)が最初にあって、それを星さんがインスト化・オーケストレーションにしたのが後半部分、その過程で三拍子になり、それをあっさりめのピアノ曲にリアレンジしたのが一曲目の「あこがれ」、ああ、じゃあこの二曲で最初と最後にして、この間に色々な曲を入れていこう、さいわいバラードたくさんできてるし……作詞はこの調子で書いていたら間に合わないよな……誰に頼もうか……須藤さんって人がいるんだけどどうかな?じゃあお願いしてみようか、わあ須藤さんの歌詞最高だ!もう残り全部お願いしちゃおう!という順番でできたのがこのアルバムなんじゃないかと思えるのです。まるっきりの推測なんですが。須藤さんの歌詞を先にみて、じゃあおれも一曲アマチュア以来ひさしぶりに書いてみようかな、という気持ちにはなりにくいんじゃないかなと思います、さすがに。つまり、この「大切な時間」プラスアルファを作った時点で、アルバムの設計思想はほぼ完成していた、そこに後から加わった須藤さんが残りの曲に最高の歌詞を書いたという推測です。
玉置さんの歌詞が拙いというわけではありません。むしろ、素朴で心に響くことばたちであり、そして当然といや当然ですが曲にピタリと合っています。私の推測が正しければですが、もしかして須藤さんもこの詞をみて玉置さんの曲にドンピシャに合うことばを探していったのではないかと思うくらいです。
安全地帯には決してない、つまり松井さんにはなかった、玉置さんの素朴な素朴な心そのままの歌詞であるように思えるのです。松井さんだとどうしても美しすぎるのです。いや、松井さんは玉置さんのこころをより鋭くより繊細にとらえていたというべきでしょうか。玉置さんの、心の中にあるワンシーンをより的確に表現していたのは松井さんだったのかもしれません。その集大成となる『太陽』では信じがたいまでにそのシンクロ度は高まっていて、玉置さんも「参ったな……五郎ちゃんには見事に見破られちゃってるよ……そうそう、こうなんだよな……」という気持ちだったのかもしれません。ですが、玉置さんはこの時期、そういう心的シーン的意味でのリアルなことばではなく、別な方面、瞬間瞬間の精神状態的なリアルさ、つまり一つひとつはとても素朴な心情の表現、それらを紡いでいくとシーンになるけれども、そうなる前の心情を歌うための歌詞を求めて、自分でこの「大切な時間」をお書きになったのではないかと思うのです。
「痒いところに手が届いていながら、かえって癪に触ったりするみたいな、ちょっと近親憎悪的な関係」と松井さんが表現なさったように(『幸せになるために生まれてきたんだから』より)、松井さんの歌詞がパーフェクトであったからこそ、玉置さんはそれに耐えられなくなってきた、だから自分で歌詞を書いてみた、その意図をくみ取った星さんによって須藤さんが呼ばれ、玉置さんの詞を見た須藤さんがその詞に現れた傾向を読み取り残りの曲に詞を書いていった……なんてこった、自分で書いておきながらけっこうそれらしい推測に自分でビックリです(笑)。例によってなんの確証もありませんので、どうかこれを真相だなどとお思いにならないようにご注意ください!
さて曲は、オルゴールのようなベル音で始まり、すぐに玉置さんのガットギターによる弾き語りへと続いていきます。曲と歌詞が一体化した、素晴らしい弾き語りです。「うれしくて」の裏でギターがそのメロディーをなぞるところなんて背筋がゾクゾクします。時折混ざる弦をはじく音、これは場合によってはノイズとして処理されてしまう音だと思うんですが、それすら玉置さんの歌とのあわせ技によって必然性ある音であるように聴こえてくるのです。
「うれしくて泣いてた」きみに出会えたあの時は、今ではぼくにとっても大切な時間なんだ……なんで「きみ」が泣くほどうれしかったのかはまったくわかりませんが、ひとには、欠けていたピースが奇跡的に見つかったと思える出会いというものがあるものです。いままで息継ぎしないで泳いでいたような感覚を覚えていた「きみ」は、やっとみつけたセーブポイントのような「ぼく」に、わたしを見つけてくれてありがとう!と、最高の笑顔と泣き顔を見せるのです。
曲は金子飛鳥Groupのストリングスをまじえて二番に入ります。そんなふうに出会いを喜んでくれた「きみ」に、「ぼく」はできることを何でもしてあげたいと願います。ひとは、自分が誰かの役に立っていると思うと、心の底から奮い立ち、力を尽くそうと思う生き物であるのかもしれません。そんな出会いは「ぼく」にとっても喜びであって、楽しくて、やさしい気持ちになって、その出会いの日の気持ちをいつまでも持続させたいと願うのです。
もちろん、そんな気持ちが長続きするわけはありません(笑)、いや笑いごとでないですね、でも長続きはしません。「ぼく」も「きみ」も人ですから、出会いの瞬間だけに生きているわけではありません。腹は減るし金は必要だし仕事の締め切りはあるしで、さまざまな制約の只中にあってはじめてその出会いがあったのに、今度はそれらの制約がふたりの時間を変質させてゆくのです。仕方ありません。これはどうしたってそうなのです。よほど強靭な精神力をもって努力すればある程度のテンションを維持できるかもしれませんが、それだっていつかは疲れてしまいます。せいぜい一年か二年でしょう。
ですが、この歌詞は、そんな人の悲しさを感じさせません。いや、示唆はしているのです。なぜなら、「泣いてた」「楽しかった」「やさしかった」「抱きしめたかった」と、すべてが過去形だからです。これらはすべて過ぎ去ったことであり、もう泣いてもいないし、楽しくもないしやさしくもない、そして抱きしめたくもない……のかもしれません。現在はそうでなないんだ、とは一切書いていませんから、すべてがポジティブのまま保たれているのです。過ぎ去った出会いの喜びと、それを保てなかった寂しさ・悲しさはもちろん表裏一体のものですが、この歌はあえて喜びのみを歌うのです。
だんだん大きくなるストリングスをバックに、「抱きしめたかった もう少しだけ」と、いまはすでに叶わない願いをつぶやいて、歌は口笛にバトンタッチ、美麗なストリングスとガットギターの伴奏で、曲はいったん終わります。
そして、「Bye Byeマーチからエンディング」のように、曲は「あこがれ」のオーケストレーションバージョンとでもいうべきストリングスによる後半インスト部に入ります。この美しさといったら……息をのみます。とりわけ最低音部の動きには、わたくし腰を抜かすんじゃないかと思うくらい胸を揺さぶられました。例によって自分の曲でいつも真似しようとして失敗しています(笑)。最近作った曲でちょっとだけうまくいきましたけど、この記事を書くにあたって凄まじいこの曲を聴き直し、あーまだまだだったと頭を抱えています。
歌詞カードには、この曲からページをめくったところに、玉置さんの「勇気」という詩が掲載されています。わたくしには、この「勇気」が「大切な時間」後半インスト部の歌詞にあたる……いや、歌でないから歌詞というのは変なのですが、歌詞のように曲の精神性を表す言葉であるように思えるのです。
出会いがあって、とびきりの笑顔を見せてくれた「きみ」の夢を叶えたいと思った、うれしくて楽しかったあの日をいつまでも続けたいと願った、だけど人の制約は容赦なくそんな願いを削ってゆく、だけどそんな悲しき変化の中にあっても、悲しませたくない、だから変わらない強さがほしい、変わらずに「きみ」をいつでもあたたかい気持ちにさせる「ぼく」でいられるよう、強い気持ちをもちつづける決心をしつづけたい、それはきっと「勇気」と呼ぶべきものなのだと思うからなのです。
さて、このアルバムもとうとう終わりました。この年、1993年はコメは大凶作でしたがアルバム的には豊作の年でして、八月に『安全地帯ベスト2 〜ひとりぼっちのエール〜』、そのわずか一か月後に『カリント工場の煙突の上に』がリリースされます。ですから、当ブログでは先に『安全地帯ベスト2 〜ひとりぼっちのエール〜』の未レビュー曲を三曲扱ってから、『カリント工場の煙突の上に』に入りたいと思います。どうかひきつづきご愛顧ください。
価格:2,359円 |