玉置浩二『JUNK LAND』六曲目「ラストショー」です。このアルバムで初めて出会うバラードですね。
なにやらカラカラカラと、洋食屋のドアについた鐘のような音が鳴り響きます。そしてピアノの単音リフ……曲を通して断続、表になったり裏になったりとリズムが曲とは無関係に鳴っている感じのするこの無機質なリフが、本当に効いています。そしてガットギターでメロディーと伴奏のコード弾きが入ってきます。右チャンネルは明らかにガットギターですね。左チャンネルもギターだと思うんですが、これはガットギターかどうか判じかねます。耳を澄ましてもうーむ、ほかの音と混ざってしまって音質がよくわかりません。まあ、わかることが目的ではありませんので問題ないでしょう、必要があればいろんなギターを弾いて一番しっくりするものを選べばいいだけのことです。
「スポットライトが〜」と玉置さんが歌い始めます。なにやら今夜がラストショーで、スポットライトに照らされ、踊り始めるのです。ここでもの凄い音のベースが入りますが、これは須藤さんが弾いたものだとクレジットされています。ゴーン!と歪み味付けの少ない、ベース本来の音ともいうべき音、わたくし好きですこの音。自分がデモを作るときでもこんな感じの音を目指して作り、ゴーンゴーンと鳴っているベースの音に自分で聴き入っておりました。うーん、これは踊るといってもズンドコズンドコ激しいやつでは全くなくて、歌いながらちょっと軽いステップを踏む程度でしょう。
そして曲は一気にサビ、徐々に徐々に、それでも控えめに鳴るストリングスを加え、怒涛の「て」攻勢が始まります。拍手がき「て」、笑っ「て」、いつまでたったっ「て」と、わたくしがよくダメパターンとして指摘する連用止めです(笑)。たいがい、よっぽど言葉にならない想いが表現されていなければ単に作詞が稚拙なだけだと判断するのですが……。「って」の「っ」を合わせた「って」が、この玉置リズムによってメチャクチャ生きているのがみなさん感じられることと思います。「たったって」なんて神業です。背筋がゾワゾワします。歌詞それだけをみたら一本調子の決して巧みではない歌詞にみえなくもありませんが、これを玉置さんが自分の演奏で、自分のリズムで、自分の声で歌うことによって、これは超絶切ないソングとして生きるのです。なんだこれ、泣けるぞ、おれがトシを取っただけか?いやそうじゃない、当時は若くて、ラストショーなんてまだまだ共感できる段階じゃなかったんだ、若くても泣かされるんだよこんちくしょう……卑怯です。「手」を振「って」……と玉置さんが囁いてガットギターを「ぺぺぺぺ」と鳴らし、シンバルをロングで響かせます。余韻もそこそこ、曲は二番に入ります。
素敵な人たちがこのステージで恋をした……ステージで恋なんかするわけないじゃん……とツッコむのは野暮というものです。玉置さんが歌うとほんとにそんなこともあったんじゃないかと思えてきます。ツアーメンバーとして玉置さんと安藤さんはほんとうにこのステージで恋をしたのかもしれませんし、似たようなことはあのバンドこのバンド、あのツアーこのツアーで起こってきたのかもしれません……で、恋をしたように切ない夜だから歌うラストショー、という、因果のぜんぜんわからない歌詞なんですが(笑)、それはわたしたちが因果でものを理解する癖がついているからであって、玉置さんのこういう感性こそが素直なのかもしれません。ステージ上で恋をする、ああ、そりゃ切ないよな、このラストショーも切ないよな、もしかしてこのステージで起こってきた出会いと別れがそういう気分を盛り上げているのかもな、というように、因果でもなんとか理解できるように思考をフルに回転させて補わないといけないわけですが、まあ、わかりますよね。「せつない」がステージ上の恋とラストショーをくっつける接着剤として機能している、というように図的にイメージすればいいだけなのです。
そしてめぐりあ「って」離れ「て」……と「て」攻勢のサビです。きもちストリングスも一番に比べて強めで、さらにここは二段重ねのサビになっていて、「がっかりしたまんまで」ともう一度サビを重ねます。これが、メロディーに泣かされているのか歌詞に泣かされているのかわかりませんが、大号泣モノの歌になっています。なんだよ、なんだよこれ……「なったって」「がっかり」「まんま」と撥音促音を駆使したリズムと歌詞の融合体が玉置さんの声、演奏、メロディーで歌われるのです。これで何も受信できなかったらもう玉置さんの音楽を聴かないほうがいいんじゃないかと思うくらい強烈な切なさパワーを発信しているのです。そして歌われるストーリーがまた……若いころに逢って別れてまた逢って、ダメなところはずっとあの頃と同じ、ガッカリしちゃった……何べんつきあっても好きになるけど、何べんもダメになっちゃう、だけど何べんも好きになっちゃう何でだかわからないけど、いまは抱きあえてうれしい、幸せ……というやるせない心の機微、重ねてきた月日、離れていた月日の重さがトリプルパンチで私たちを殴りつけます。ガツッ!ガツッ!ガツッ!っと。「僕に〜抱きつ〜い〜て〜」と叫び、「うれしいって」と囁く、な、なんという歌の力だ!わたくし、若造だったくせにすっかりラストショーのステージ上にいる壮年歌手のような気分に浸ってしまいました。
そしてまたガットギターで「ぺぺぺぺ〜」とささやかな合間で余韻をたのしみ、また玉置さんが「スポットライトが〜」と歌い始める短いフレーズを迎えます。スポットライトが消えて、ラストショーは終わり、だけど再びめぐり逢えた君を離さない〜って、それ、もう生身の存在じゃないだろ……音楽の精霊か何かなんじゃないかと思えるくらい具体的な光景を想像したら不可思議なんですけど、情景としてはよくわかるのです。明かりの消えたステージで、客電をつけて、お客さんがご退場なさるまで片付けは始められませんから、ステージはとりあえずそのままです。演者がステージを降りるときに機材につまづいたら危ないですからボーダーか何かを薄く点けてはおきますけども、とりあえずステージは終演時のままなのです。楽屋で「おつかれー」とか言って汗を拭いて……あれ、浩二がいないな?まだステージかな?呼んでこようか?よせよお邪魔虫だぜ、ああそうか、という物語が舞台裏で繰り広げられているわけです。その間、ステージでは、抱きあったふたりが……音数の少ないギターソロで急に盛り上がるアウトロをバックに「I Love You so much......」完璧だ!そんなことあるわけないのに完璧だ!(笑)
かように、現実にそれが起こりうるかどうかを考えたらダメになる情景の描かれた歌であるわけなんですが、図的イメージですとかリズムと言葉の組み合わせですとか玉置さんの肉声ですとか、いろいろなものを駆使して楽しまされてしまう美しくも切ない物語なのです。これ、このアルバムで初めて玉置さんの歌を聴きましたって人にはどんな風に感じられるんでしょうね……わたくしのようなヘビーリスナーはヘビーリスナーとしての聴き方しかできなかったわけですから、そういうフレッシュな視点は持ちようがありません。安全地帯を経て、玉置さんのソロを第一作から何年もかけて聴きこんで理解してきたからこそ、こういうふうに理解できるんだと正当化するんです。人間誰だって、自分が何年もかけて体験してきたことがまるごと無意味だったなどと信じるはずがないからです。だからなのです。もしわたしがこのとき20代の若者でなくて中学生くらいで、「田園」のヒットで衝撃を受けて以来このアルバムを楽しみにしていたような年頃だったら……この美しい物語とどのように向き合ったのだろうと想像したくなるのです。
価格:2,820円 |
【このカテゴリーの最新記事】
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
玉置さんの歌や曲はもう40年分もありますから、たまにしか思い出さないままになっている曲も当然あるんですけども、思い出して聴いてみたら泣けるというか、そういうタイミングに思い出させられてるんじゃないかと思ってます。曲の強さというか、日常のちょっとしたトリガーで猛烈に聴きたくなる曲が確かにありますよねえ。
ほんとうのことだけをやっていきたくなった、と本には書かれていましたけども、あれ、本当にそうだと思います。人間いろんなことにイライラしてくると、自分のやりたいことだけで勝負したくなります。安全地帯のメンバーも、スタッフもそりゃ驚いたでしょうね。全盛期の巨人軍で、長嶋がいきなり「おれ本当はピッチャーやりたかったんだよね」王が「ミスター、じゃあ僕が受けますよ」とか言い出したようなもので、何言ってるんだたのむからヤメてくれ!と現場はパニックになること必至です。
薬師丸さんとは何があったのかはよくわかりませんが(わからなくていいです)、もう安全地帯がボロボロと崩れてゆくときにまさに隣におられたのでしょう……変わったから結婚したのか結婚したから変わったのか、それもわからないくらい激動だったことと思います。
あのころの日本チャートは本当に酷かった……というかそれ以降全く見なくなったからそれ以降のチャートも知らないんですが、あのころ一気に幼稚化したように感じられました。要するに売りたいものが売れるように作られて売れるだけで、マトモなミュージシャンがセールスへのやる気をなくすのは当たり前です。安全地帯も、君たちそろそろ若いのに場所を譲りなよって扱いだったのでしょう。安全地帯の後継者なんていないし、育てる気もなかったくせに……。
おそらく、安全地帯を夢の都で復活させ自身も結婚。それからまた役者やりながら本分である音楽の作品をまた作りツアーをする。ああいう打ち込みやアイドル、売れ線の主流な時に、安全地帯の正統派なポップなロックで、思い切り行ったけれど…。
また、そういった理想と現実のさなかで確か何処かで話しておられましたが、これをやればどれだけ売れるとかがわかってしまうと、もうやる気がしない、みたいな事を話してました。
音楽やって立派に社会生活も送ろうとしたけれど、それでは表現者として死んでしまうと気づいたのかは定かではありませんが、安全地帯10周年の年にちょうど今頃、稚内から旭川までお父さんと10日間歩いて、玉置さんはその時変わったようです。詞を自分で書いたり(大切なとき)ステージでの表現がキレッキレに研ぎ澄まれて生まれ変わっていました(私は関東の群馬、茨城、千葉以外全部行きました)
が、安全地帯はその船から玉置さん以外他のメンバーは降り、10年後に全員復帰するまで停泊していました。横浜の港に。
ちょうど、20周年の最初の公演が神奈川県民ホールだったようです。
思いますに、一曲つくればよかっただけなんですよ。玉置さんのやりたくない歌謡曲を。それでほとんどのことが解決するのに、一番肝心なものを失うからやりたくなかったんだと思います。「I LOVE YOUからはじめよう」にしろ「月に濡れたふたり」にしろ「情熱」にしろ「いつも君のそばに」にしろ、ことごとくそういうものを求めるリスナーからはちょっとズレてますし、わざとそうしたんだと思います。だからこそわたし達は色々な名曲を楽しめたわけですが、セールスは落としています。悔しかったと思います。でも、そうとしかできなかったんだと思うと切ないです。
ただ、このシチュエーションに似たようなライヴは観ました。1994年1月31日の武沢さんが抜けたばかりのクラブチッタでのライヴが、まさにラストショー的なライヴとこの曲を最初聴いてジーンと来ました。歌詞も玉置さんが書かれていて、本当に素朴で奇をてらわない、素直でいて、それでパンチのある歌詞をいつも書かれます。
このクラブチッタでのライヴは、終演後にビデオカメラを玉置さんは客席に長いこと向けて撮影されてました。
それから奈良のコンサート、次の飛天で復活されるまで、少し時間がありましたから
色々お考えがあったのだと推測。そんな私のラストショーでした。ありがとうございました。