『安全地帯VIII 太陽』八曲目、「ジョンがくれたGUITAR」です。
元ロック少年号泣必至の名曲!切れ味鋭いリズム隊とアコギで描かれる青春の日々!18のあの夏、ぼくたちはいっぱいの夢と、そして将来への不安を抱え、ギターを片手に仲間たちと、そしてまだ少女だった彼女と……泣けてきます。いや、ウソです(笑)、わたくしそんな健全なロック少年ではありませんでした。わたくし、当時はこんなロックをやっておりました。
|
|
こんなんで、将来「大人になった彼女が微笑む」わけねーじゃんかよ!バカにしやがって!ちくしょう!(泣)
そんなわけでして、わたくし個人的にあんまり感情移入できないような気がしていたのですが、よくよく歌詞を読んでみますと、「彼女が微笑む」以外の箇所、つまり「長い髪がかっこよかった」とか「汚れたシャツ」とか、ショーウィンドウにギターがあってそれを見ていたとか、そういうところは見事に思い当たる節があるのです。ただ一点のみ!そこだけが合わない!なんという重大事でしょう、そこが一番肝心なのに(笑)。
モトリーとかハノイとか、そういうロックはもちろん流行っていましたが、それはなんというか、中学とかでうっかりバンドに興味をもち文化祭でボウイとかやってキャーキャー言われてそれで満足して飽きてしまったような人たちでない一隅(ズバリ、アチキです)の間で流行っているのであって、けっして教室中がモトリーの新譜の話題で持ち切りとか、やっぱマイケルモンロー最高にかっこいいわーシビれちゃう!とかいう女の子がたくさんいたとか、そういうことは起こっておりませんでした、全く、はい。それどころか高校内にはメンバーがおらず複数の高校のメンバーでしたもので文化祭に出るとかそういうこともなく、バンドマンであるという認知すらされていなかったと思われます。されたところで、なんかアブない音楽やってるブキミな人、という認識になったことでしょう。ダメだ―、もっと昼休みに校庭の木陰でアコギ弾いてチャゲアス歌うとか、そういうアピールしておくべきだった!チャゲアス一曲も知らないけど!(笑)
ちなみにこのたった数年後、今度は日本でビジュアル系ロックブームが起こり、モトリーとかハノイにちょっと近い(見た目の)ロックが流行りますけども、わたくしすこしも興味がありませんで、「紅」とかのギターをヘルプで弾く程度しかかかわっておりません。もしこのときに将来微笑む「彼女」が傍らにいたら、わたくしあまり詳しくありませんが、それはきっと「バンギャル」という種類の女性であるかと思われます。
価格:765円 |
FERNANDES YH-JR. HY 2019 W/SC hideモデル スピーカー内蔵ミニエレキギター ハートイエロー 【フェルナンデス】 価格:54,450円 |
アホな話はこれくらいにして、とりあえず「ジョン」はレノンですよね。フルシアンテとかペリーとか(それは「ジョー」だ!)ペトルーシとかなわけはありません。つまり、ビートルズのやジョンの活動を幼少期から少年期のころにリアルタイムで経験していて、90年代初期に大人になって彼女と一緒に街歩きをしていたら「おっこのギターは……」と思えるような世代の話であるわけです。わたくし、はじめから全然違うんですね。というか、この曲聴いたときまだ18になってませんでしたし。ですから、大人になったらこんな感じでこのショーウィンドウをみるのかもなーと思っていたものの、全然そうはならなかったわけです。シャツは汚れてましたが。
で、この曲ですが(ようやく本題)、けっこう難しいんですよ、16分でシャッフルというのは、聴くぶんにはノリがよくて心地いいんですけど、演奏するのはけっこうホネでして、それを三分弱とはいえこのペースで完走するのは慣れというか体力と注意力の配分ペースが求められます。ですから、安全地帯はもちろんこのくらいニコニコしながらやったことと思いますけど、少なくとも楽勝ではなかったことと思います。
ドラムは堅めの音で軽く、バッシン!ンシン!バッシン!ンシン!と駆け抜けます。ベースはどうも他の曲に比して音量が低くミックスされているんですが、「ブブー・ブブ・ブブー・ブブ」を基調として進み、サビのところで音程をすこし動かしながら「ブブー・ブブブ・ブブー・ブブブ」にリズムを変えているように思えます。アコギの曲でそうなりやすいんですが、アコギの低音弦の音に紛れてかなり聴き取りに自信がありません。ギターもアコギで「ジャ・ジャー・ジャジャ!ジャ・ジャー・ジャジャ!」を基調としつつ、エレキギターで細かくアオリを入れつつ、サビではアコギの低音弦で音程を少しずつ動かすアオリのトラックを入れているようです。アコギだからただジャカジャカ鳴らしているだけかと最初思ったのですが、どうしてどうして、なかなか再現難易度の高い複雑な編曲になっています。ライブですとこれにコーラスも入るんですから、息も抜けません。
この曲はイントロからとつぜんサビに入ります。泣きのメロディーで、わたくし初聴時からトリコになりました。ここまで「俺はどこか狂っているのかもしれない」「SEK'K'EN=GO」「エネルギー」と、変わり種曲が続いていましたから、やっと安全地帯「らしい」のが来た!と喜びました。もちろん今でもこの曲は好きなのですが、変わり種三曲もずいぶん好きになりましたので、初めのころのような対比感はもうほとんどありません。それがやや寂しくもあります。
構成の面でも事情は似ています。イントロ後「ジャ!」とキメが入り、AメロA'メロ、Bメロ、キメ、サビと、ごくごく普通な感じで構成されています。この後もあまり意外な展開はなく、「僕をしまってほしい」とちょっとフレーズを変えただけでサビを繰り返し、ふつうに終わります。非常にあっさりです。爽やかな曲調もあいまって、あっさり感がかなり高いものになっているのです。かなり技巧を凝らしたソースのコッテリ料理を連続で出されてきたあとのシャーベットのような感覚を味わうことができます。
そしてこの、アコギの澄んだ音といったら!トップは単板でしょとか弦はヘヴィゲージでしょとか、そういう次元でないですね。ギターももちろんいいものなんでしょうけど、なによりストロークの巧さこそがこの音を実現するのだと思います。安全地帯の三人(玉置さん矢萩さん武沢さん)なら、ギターでなくてバンジョーでもこの雰囲気を再現できるんじゃないかってくらいストロークが巧いんです。わたくしアコギも必要に応じて弾きますが、こんな音が出せたためしがありません。もちろん目指してますし、ギター屋さんで試奏して高めのギターで「ジャ!」とやって(「ジョンがくれたGUITAR」のキメ)、おおこの音は!と一瞬興奮するんですけど、それでもやっぱり違うんですよ。こんな澄んだ鋭い音は出ていないのです。そして、「いい音でしょう?いやこれ一本だけ入りましてねえ」とかおっしゃる店員さんに、「すみません修行して出直してきます……」と言いうなだれて帰ってゆくのです。金がなくて高いギターを買えない口実に使っているわけではけっしてありません(笑)。
さて歌詞ですが……「長い髪がかっこよかった」のは、70年代ですかね、みんな髪長かったです。ツェッペリンやパープルはもちろん、ビートルズだって長くしてましたし、西城秀樹さんとかも長かったです。俳優さんも長かったですねえ。これはもう、若者のブームだったのです。80年代になると、ハードロック、ヘヴィメタル界隈を除いてみなさんだんだん短くなっていきます。90年代ではもう絶滅危惧種です(笑)。ですから、「かっこよかった」と過去形になっているわけなんですね。いまはかっこよく思わないのです。
髪を伸ばして、あこがれのロックスターに近づきたかった少年時代、パンタロン履いてティアドロップのサングラスかけて……「彼女」も、福井ミカさんみたいなバンダナとかして、みんなで集まって音楽を楽しんでいた日々(安全地帯の合宿所は女人禁制でしたが)、もうあんな日はこないとわかっているのです。
ですが、あのころ憧れたギターは、まだ同じショーウィンドウに飾ってあった……たんに売れ残った?それとも一回売れて、持ち主が下取りに出した?いずれにしろ、強烈なデジャヴ感があります。ちょっとおっさんになった自分の顔が、あのころショーウィンドウに映っていた18の少年の顔に戻ったかのように、あのギターへのあこがれの表情、それは、そのギターをもつロックスターへのあこがれの表情でもあるのですが、まったく同じだったわけです。「ジョン」のギターといえば、アコギではD28、エレキだとリッケンバッカーかカジノでしょうかね、いずれにしろ18の少年に買えるシロモノではありません。だからこそ、あこがれはますます募ったのです。もちろん、「ジョン」はなにもレノンでなくても、少年にとってのあこがれのロックスターであればだれでもこの体験はできるでしょう。ペイジのレスポール、ブラックモアのストラトキャスター……今でこそ日本メーカーOEMの国内モノどころか、インドネシア産とかのそれらしい形をしたモノが一万円とかで買えてしまいますけど、当時はそんなものありませんでしたので、どんなに安くても当時の値段で五万円くらいの国内コピーモノを使わざるを得ませんでした。いつかはギブソン、いつかはフェンダーと思いつつ。
余談になりますけど、このころの国内コピーモノが「ジャパンヴィンテージ」とかいって妙に高い値段がついているようです。はあ?それってただの中古じゃないの?そんなこというならわたしのギターなんてほとんどジャパンヴィンテージ(のなりかけ)だよ?と訝しく思うのですが、ブームというものは全く不思議なもので、ほんとにわたくしのボロギターたちにもそれなりの値段が付くようです、驚きです(笑)。
18の少年は夢いっぱいで、「ぶつかるものを恐れもしない心」をもっていたのですが、大人になったいま、「ぶつかるもの」がどんなものか知ってしまったので、恐れまくりです。ですがそのギターを前にした今、表情はあの頃の、怖いもの知らずな顔に戻っていた……ああそうか、おれも大人になったんだな……としみじみ思うわけです。
そのギターがくれたときめき、夢は遠い日のものとなりました。玉置さんならその夢を叶えたといえるでしょうけども、多くの人はもう楽器も手放してしまい「ジャパン・ヴィンテージ」市場を賑わすことになっています。玉置さんも、すでに愛機・名機を購入したりエンドースされたりと、いろいろ入手してしまっているのでいまさらなんですが、ショーウィンドウにあったギターの前で、かつての夢やあこがれを一瞬思いだす、いま手に入れたら……もちろん買えるんです、でも、いらないんですよ。だって、あの頃に手に入れるのと、いま手に入れるのとではぜんぜん違うからです。いまだと、コレクションの一本にしかなりません。もしいまあの頃の少年だった自分に戻ってこのギターを手に入れられていたなら、一生モノのギターとなって、きっと別の音楽体験を積み、人生さえいまとは違ったものになっていたんじゃないか……と思えるんです。もしあの頃ハコスカが買えていたら、きっとおれは暴走族でイキリまくって、バイオレンスな人生を送っていたかもしれない……よかった、あの頃金がなくて、とまではいきませんが(笑)、こういうふうに物品との出会いが人生を変えることは起こっているはずなのです。
さて、そんな人生に、少年のころから伴走してきてくれた「彼女」、でもこの彼女、そんなロマンにはとんと興味がないのかもしれません。ふりむくとそこにいて、「どうしたの?」とニコニコしてる感じです。「あ、いや……」と言葉を濁します。10代のころ、あんなにあこがれたジョンのギターで、きっと当時彼女にも散々語っているはずなんですが、もちろん彼女はそんなことパーフェクトに聴き流していたので覚えているはずもなく(笑)、いまも足を止めた意味がよくわかっていないものと思われます。「うっそお!マジ?これってジョンのギターじゃない?いくら?〇万?買える買える!買っちゃいなよ!」とか一緒に18の笑顔になられたらそれはそれで怖いのでそれでいいんですけども、こういうちょっとした気持ちのすれ違いの「さびしさ」に僕を浸らせてほしいと、唇をかみしめ、しばしショーウィンドウの前にとどまるのです。
さて、後半の歌詞はちょっと謎なのです。大人になったらわかるかなと思っていましたが、1991年当時のメンバーの歳をとうに超えた今でもよくわかりません(笑)。「風のGAME」「消えてゆく幻」とは、普通に考えれば、そのミュージシャンへのあこがれなのだと思います。自分のなかにギリギリ残っていた音楽への情熱、これが完全に消えてしまう前に、さあ、買うんだ!(笑)と一念発起して、買ってしまったんだと思います。だって、そんなギターもう一品物で、逃すと二度と買えません。「あたたかい春の陽ざしがやさしくなるとき」まで、ちょっと山奥のダム工事現場に出稼ぎに行ってくる……だからこのギター、守っていてくれ……くらいの決心が必要な値札が付いていたのかもしれません。もちろん、玉置さんなら数百万の値段がついていてもさらっと買えちゃうんだとは思うんです。だから、ここの箇所はよくわかりませんでした。ですが、かりにこの主人公が玉置さんのような立場の人だったとしたら、きっと少年のころのあこがれのギターを手に入れて、もしかして少年時代のルーツを刺激に新しい創作意欲がバンバン湧いてきて、半年くらい曲作り合宿とかレコーディングとかに入る、ということが起こるのかもしれないなあ、と思えてきました。ですから、現時点では、わたくしのような人間だとダム現場に(笑)、玉置さんのような人だとスタジオに、「彼女」を置いて出かけることになるのかもなあ、とこの歌詞を解釈しています。そこまで大げさでなくても、ちょっとこれから何か月かこのギターに夢中になって、いろいろ昔を思い出して弾いたり語ったりする酔狂な感じになるけど、きっと春頃には覚めるから、それまで、ごめんね、大事な思い出なんだよ、くらいのことかもわかりませんけども。
そんなギターがあるなんてうらやましいなあ、と思います。わたくし、モトリーのギタリストがどんなギター使っていたかよくわかりません(笑)。高崎晃モデルほしいなあとかは思ってましたけど、いまはまったくほしくないので、やはりわたくしには縁のない世界のことだったようです。いいなあ……ギターみてたらふりむく街に大人になった彼女が微笑んでいて……(まだ言ってる)。
価格:1,509円 |
【このカテゴリーの最新記事】
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
いや、このとき安全地帯の解散はマジでありえましたよ!ナイスプレーです!本人たちが解散と言ってないだけで解散してたようなものですが、このとき解散と言ってしまわなかったことが後に大きな意味をもったんじゃないかと思います。
そうですねえ、この歌は物語として、絵として、きっちりいい感じにハマッてますよねえ。高校生のわたくしにもちゃんと理解できるはずのない絵でもありました。なんせモトリーですから(笑)。あのとき、へんなコダワリなんて持たないで同じ学校の人と楽しくボウイとかでもやってれば、また違う絵が見えたのかもしれないな……なんて思います。BURRN!とか読んでないで。
ジョンがくれたギター。この曲はアルバム太陽の中の私がイチ押しの曲です(笑)
だだ、この歌には安全地帯が解散を考えている?ような匂いがプンプンしているので、当時私は解散をしないでください!と必死でファンレターを書いた記憶があります。その甲斐あってか(笑)
解散はしないで何度かの活動停止で現在まで!
と勝手に自己解決してます(自己満足)
この曲のモチーフは、恐らくは多くのバンドにはつきものである、出会った初めの頃から今に至っての、手にした物や無くした物、人との出逢いと別れがそのシチュエーションで映像的に唱われてます。安全地帯ですと、古くはエイジなんかは
ファーストアルバムで既に作られていて逆に凄い(笑)
他のバンドでも、チェッカーズやボーイ、私もコピーバンドでドラムを叩きましたレッドウオリアーズにも、ルシアンビルの丘の上でという名曲がちょうどジョンがくれたギターと歌の雰囲気は被る気がしてジーン!と来ちゃいます!特に、詩が男目線だから?なのか、その儚い夢に男は掛ける生き物なので、それが壊れてしまってそこから別の生き方に移行したとしても、別のやり方で納得し成功していたのなら、その別の歩いた道のりを振り返ることがおそらく出来るからなのでしょう。お目出度いっちゃあお目出度い(笑)
高校生ですでにリスナー歴二年とは!いやいや、若い人のアンテナと感受性には驚くばかりです。当時のことはもちろん生きてきたぶんわかりますので、なるべく書いていきますね。