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玉置浩二『ニセモノ』十三曲目、「ニセモノ」です。
ピアノとギターのユニゾンで、ちょっと覚えづらいメロディーが奏でられてこの曲は始まります。こういうの損していると思うんですがね……でも別にムリして売れようとしていないのがわかって、こっちも落ち着いて翻弄されていられるってもんです。ベースが入りピアノがアルペジオになるとグッと安心しますが、それはこれまで翻弄されているからです。おお、(ふつうの)曲になった、という感覚です。
「クワアアアアア……」という効果音的なシンセがときおり入る以外は、基本的にギター、ベース、ピアノ・エレピと、ドラムのシンプルなアレンジで最後まで進んでゆく静かなバラードです。
タイトルはずばり「ニセモノ」、このアルバムがニセモノであることを自ら宣言した玉置さんの心情をもっともよく表した曲、いわば本丸です。
「自分で確かめて」ニセモノだと見破ったら胸が痛む……わたくしべつに痛くありませんでした(笑)。そりゃそうです、当時わたくし全然事情知りませんで、このアルバムがそもそも安全地帯でレコーディングを始めたものであることすら知りませんでしたから、見破るもヘチマもありません。
曲はサビ、「変わらないでいたい」「虚しい」「黙って騙されていようよ」……玉置さんが「変わらないでいたい」と願ったのはきっと安全地帯、そしてその再現を願うのは「虚しい」から、だからニセモノに騙されて夢を見ていればいい……これは悲痛な叫びです。しっとりとしたバラードなのに、叫んでいます。
2000年当時、わたしはまだ安全地帯を生々しく覚えていて、その復活を心から願っていました。91年の『太陽』、92年のアコースティックツアー、そして93年の、わたしの知らないところで起こっていた崩壊と活動休止、武沢さんの脱退……それ以降七年間の玉置ソロの間も、安全地帯を待ち焦がれていました。だから、もしこの『ニセモノ』が安全地帯の新作としてリリースされたなら、きっと狂喜して飛びついたに違いないのです。そして武沢さんのいないことに気づき、そして音源を聴いてそのサウンドや曲が玉置ソロの延長であることにいつか気づいてしまい、なんともいえない違和感に苦しめられていた、つまり「見破っ」てしまって胸を痛めていたのだと思います。安全地帯なんだけど安全地帯じゃない……。
玉置さんの歌は静かでやさしく、ギターとピアノがつねに寄り添って一体となっています。これは安全地帯ではなくこの時期の玉置ソロの特徴です。この曲を安全地帯で演奏するイメージはちょっとできません。「このままでいようよ」と思わせるものです。逆に言うと、玉置さん自身にもソロで積み上げたものの影響が強すぎて、安全地帯を始める準備ができていなかったことを示しています。
そして全部自分でレコーディングをやり直すという暴挙に出てしまい、そのことを玉置さんはカラッと「僕が我慢できなくて田中と六ちゃんを裏切っちゃったんだよねーハハハー」って感じで話すんですけど、それは甘えているんでなくて、メンバーを、安全地帯を守ったんじゃないかとわたくし今になって思うのです。それこそ「気が付いたら涙がこぼれる」思いで。
安全地帯が崩壊した1993年、『カヴァーデール・ペイジ』が突如登場しました。パープル・ホワイトスネイクのボーカリストで有名なデヴィッド・カヴァーデールと、レッド・ツェッペリンのジミー・ペイジが組んだアルバムです。ジミーとしてはツェッペリンをやりたかったそうなんですが、ツェッペリンのボーカリストであるロバート・プラントの腰があんまり重いので業を煮やしたか、デヴィッドを起用して始めたプロジェクトですね。それまでのソロ活動では精彩を欠いたジミー、このアルバムでは思う存分本領を発揮して、まさにツェッペリンの再来!というイメージのアルバムに仕上がっています。デヴィッドはそのぶんちょっとプラントのイメージに引きずられ気味な感じはしますが、ツェッペリン再結成の夢を見たかったファンには感涙モノのアルバムに仕上がっていたのです。ですが、それはやっぱり「ニセモノ」でした……ボンゾはもういなかったにしてもジョンジーはバリバリ現役ですし、ロバートだってぽつぽつとジミーとコンサートやっていたんだから(出来はボロボロだったそうですが)、ツェッペリンの三人が揃うことは不可能ではなかったんだと思います。ましてやその後ペイジ&プラントで二枚アルバム出してるんですから。でも、それらもやっぱり「ニセモノ」なのです。みんな、わかっていました。どんなに似ていても、どんなにぼくたちがそれらのユニットにツェッペリンの影を重ねても、「ニセモノ」なんです。
わたくしの世代は、ツェッペリンをリアルタイムで聴けた世代ではありません。82年に解散していますし、『イン・スルー・ジ・アウト・ドア』『コーダ』という言及することさえ一種ためらわれる作品が最新作であった時代にようやく小学校に入る前後ですから、そもそもツェッペリンの名前すら知らないのです。ですから、厳密な意味では「ホンモノ」のツェッペリンを知りません。これって20年前のものだよねって感じで『II』や『IV』などを高校生の頃からポツポツ聴いていたに過ぎません。だから、ある意味『カヴァーデール・ペイジ』のほうがよっぽど「ホンモノ」なんですよ。だけど、一連の作品を聴きこんでいくとわかってしまいます。ああ、これは「ニセモノ」なんだって……だから、玉置さんが全部自分で録り直した幻の安全地帯音源がリリースされたところで、それは時がたって歴史の語るところとなれば「ニセモノ」であることがわかるものだったのでしょう。
80年代の日本という文脈に埋め込まれたホンモノの「安全地帯」を私たちがいくら求めたって、そしてメンバー本人たちがそれを懸命に再現しようとしたって、おそらくはもうできないんだと思います。2010年の『Hits』はその夢を垣間見せてくれましたし、わたしもしばらく酔ったものですが、もう彼らから新曲として「熱視線」や「じれったい」が出てくることはないことに気が付いて、80年代の安全地帯という意味での「ホンモノ」の安全地帯はもうないんだ、と思うに至りました。ロバート・プラントはそのことをよくわかっていたんだと思います。同じことはできないししたくもない。玉置さんだってもちろんそれはわかっていたのでしょう、新しい安全地帯を新しい「ホンモノ」として始めない限り、再集結の意味はないんだって。玉置ソロに安全地帯のメンバーが参加しましたってだけの「ニセモノ」になってしまう。
そう、玉置さんは安全地帯でレコーディングしたものを全部自分でやり直したからこれは「ニセモノ」なんだって説明をなさっていたのですが、わたしが思いますにそれは逆で、「ニセモノ」だったから自分でやり直したんだと思うのです。安全地帯を心から大事に思うからこそ、こんな「ニセモノ」を世に出すわけにはいかない……。
安全地帯を再始動するならそれは新しい「ホンモノ」でなくてはならない、そしていまその準備は整っていない、だからどんなに手間がかかっても、どんなにメンバーに不義理なことになっても、これは世に出しちゃいけないから全部自分で録り直して玉置ソロとして出す、という判断を玉置さんはなさったんだと思います。玉置ソロは玉置ソロであって安全地帯ではない……これは、歌しか聴いていない層には決してわからないバンドマンの感覚です。
「変わらないでいたい」「忘れないでいたい」「嘘はもうつかない」と歌う玉置さんの心の叫びが、こうした「ニセモノ」と「ホンモノ」の違いをめぐる葛藤から生まれてくるんじゃないかと思えてならないのです。新しい「ホンモノ」としての安全地帯が生まれるのはここからさらに二年かかったわけですが、何年かかるかは当然当時は誰もわかりませんから、このアルバムを『ニセモノ』と名付ける決断はけっして軽いものではなかったことでしょう。何年かかったっていい、場合によってはその結果再始動できなくたってかまわない、くらいの気持ちでないと自分で録り直すなんてできるものではありません。その苦渋の思いと決断がもっとも端的に示されているのがこのラストチューン「ニセモノ」なのだとわたくし思う次第です。
さて、このアルバムも終わりました……なんかすごい時間がかかった気がします。曲数がやや多いからでもあるんですが、正直、難産でした。2000年当時はとても辛くて正直この時期を振り返るのが苦しかったものですから、その後の聴きこみが足りなかったアルバムだったのです。記事を書くためにこのアルバムを何度聴いたことか……次は『スペード』ですね。2001年も負けず劣らず辛い思い出のある時代ですからやや気が重いわけなのですが、そのぶん新しい発見がたくさん埋もれているに違いないと考えております。さらにその次はいよいよ復活する安全地帯なんですが、その前に『THE VERY BEST of 安全地帯』ってのがあって、そこに未発表曲だった曲があるんで、それを扱ってからになります。
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わたしも、オヤジと師匠のニセモノなんですよ。だってあの二人三人がいずれこの世から消えるだけなんて我慢できないから、わたしが受け継いだんです。それでいいんだ生きていくんだ……。
でも、それでいいんだと思います。そうでしかない、どうしても知らないうちにそうなっちゃってる。
「ホンモノ」って何?って感じすらします。みんなどこかで何かを無意識に演じて生きている…。
カッコつけてないで、やれるもんだけで、そんなに急がないで、そんなにあせらないで 毎日頑張っている事ができていれば、もう上等!
それでいいんですよね。(それが意外と難しいのですが)
他に何ができるの?? 心配いらない、愛はどこへもいかないよ!!