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玉置浩二『ニセモノ』九曲目、「御伽話」です。前記事で言及しましたけども、のちの『安全地帯IX』の雰囲気を色濃くまとっています。なんというか、盛り上がっているんだけど盛り上がり切ってない感じのする、一歩手前でスッと引いてしまった美しさです。はじめから突き抜ける気がないんですね。「熱視線」が「踊ろう〜」からジャッ!ジャッ!ジャッ!「抱きしーめてー」とサビに行かず、「戻っては来ないそぶりで〜」と二番に進行してしまう感じです。今テキトーにたとえていいましたけど、実はその「熱視線」いいかもしれない!(笑)。この時期の玉置ソロが昔からの安全地帯ファンに支持されなかった(アルバムの売り上げ枚数は残酷なことに1/10くらいになっています)理由は案外この辺にあるのかもしれません。
さて曲は「チャインチャイ〜〜ン」というあんまりギターっぽくない、なんだか中国南部よりもっと南の国的なイメージの音階をもったリフレインで始まります。やったことないんではっきりわからないんですが、これはスライドギターってやつかもしれません。要所要所に繰り返されるため、これが玉置さんの御伽話のイメージをもったメインフレーズだったのだと思います。それに「モンワー」というシンセ、タッタカタッタ!と鋭く入るパーカッションがスポット的に入り、じわじわと緊張感を上げていきます。そしてそれらがスッと消えて玉置さんの歌が始まります。
ドラムはごくごく小さくフレーズもシンプル、ベースも音量は控えめながらよく動って目立っています。ギターはガットギターの音色でアルペジオです。これら最小限ともいえる伴奏が玉置さんの抑制した歌をよく支えます。
歌の内容は、旅人の話です。そりゃ「御伽話」なんですから、ナントカ太郎が鬼の征伐に行くとか、姫のリクエストに応えてムチャクチャなものを探しに行くとか、亀を助けたら海底につれて行かれるとか、御伽話にはとかく旅がつきものです。当然のことながら食糧はたっぷり持って行くとか途中で子分をたくさん雇い入れるとか、あるいは宮殿にたどり着いてたいへんな歓待を受けるとか、ともかくそんなに大変な旅ではないのが定番の展開なんですが、この玉置さんが歌う御伽話はそんなに豊かな旅ではなさそうです。「雨風しのげりゃどうにかなる」とか「君らのスピードにゃもうついていけない」などと、その旅路の苦難が歌われるのです。いやだよそんな御伽話。白土三平『カムイ伝』に、正太郎のお姉さんだったかが変態大名に捕まって「夜伽を命ずる……」と言われ翌朝井戸に身を投げたというシーンがあったと思うのですが、わたくしそれを読んだ中学生くらいのときはじめて「伽」の意味を知りました。御伽話の「伽」って一緒に寝ることなのか!だから親が寝床で話してくれる昔話のことを御伽話っていうんだ!わーおれひとつ賢くなったぞ!変態大名のおかげだ!とすっかり喜んだ記憶がございます。マンガとはいえお姉さんが変態のオモチャにされて亡くなってしまったわけですから、喜んでいいものではないんですけども。
そんなわけで玉置さんの歌も、どこか哀愁を帯びています。いや間違いました。そんなわけでではなく、玉置さん自身が語る「御伽話」は変態大名とは全く関係なく、どこか悲壮感のあるお話になっています。Aメロでは空手でさまよってくたびれてしまった……いきなりなだれ込むBメロが急転直下で「どうにかなるもんさ」「もうついていけないよ」とマイペースを貫く宣言につづけて「想い出して」と言葉を短く切ってスピード感を出しつつ、あたたかでおだやかだった昔を想起させるという、その切迫した歌い方と歌われる内容ののんびり感がいかにもアンバランスであやうい魅力に満ちています。そして最初のサビ、ドラムが激しくなりアコギがストロークになりと厚みを増し、「戦いたいなら」相手になるぞ、「愛されたいなら」何度もくればやっぱり相手になるぞという、これまた相反する両方の感情を包み込む覚悟をコーラス入りの重厚な歌で示します。一気に畳みかけたかと思いきや盛り上がりもそこそこにコーラスを重ねたまま「おいで、えーえーええー」と語尾を伸ばしたサビが終わり、そして「タタタタタタタ……」と小さくロール、「ジャイーン!ジャッ!」とアコギのストローク、途切れ途切れにメインリフが奏でられます。こういう、聴きなれないとなんだか煮え切らない感じのするところが、かつての安全地帯や初期玉置ソロにはあまり見られなかった特徴であるように思うのです。もっとバーン!と長尺の泣けるメロディーで、これでもかと何度も繰り返してもっと泣かせてくれよ!とわたくしも当時思っていたような記憶がかすかにございます。ですが、例によって聴きまくったのでそんなイメージはいつのまにか吹き飛んで、これでいいんだよ、あっさりなのがいいんだ、と思うようになりましたから、そのうちこれがあっさりなのだなどとも思わなくなったわけなんですが。後から思えば次の『スペード』や『安全地帯IX』はこの感覚ばっかりですので、ここでこの感覚に慣れておいてよかったと思わずにはいられません。
曲はまた淡々とした二番に入ります。「罪なら捨てていきな」……むむ、なんだかわからないぞ!(笑)。これは、邪心を捨てようという玉置さんのおススメ処世術なのだとわたくしは考えています。人間、これは墓場まで持って行かなければならない……とか深刻に思い悩んでいるものが一つや二つあるんだと思いますが、よくよく考えてみると大したものでないのに酔っているだけだったり、実際大したことなんだけど思い悩んでもどうにもならないものだったりします。そういうものは捨てる、捨てない・捨ててはならないものでもとりあえず「束ねて」しまう、そうすることによって前途を暗いものにしてきた「迷いもおそれも」忘れるのではなく捨て去るのでもなくさしあたりは目の前からどけてしまう、そうすることによって一歩でも前に進むと違う景色が見えてくるんだ、だから進め、人生の長い宿題にしつつ進め、「思いあがってなけりゃなんとかなるもんさ」……ホントにそうです。かつては思い上がっていたからうまくいかなかったし、弾かれてしまった、それがわからなかったがゆえに舐めた辛酸を思ってハッとさせられているうちに、いつのまにかまたまた急転直下のBメロになだれ込み「なんとーかなーるもんさー」と玉置さんに力強く励まされます。「想い出して」のスピード感から「ささやかな夢を」と若き頃の思いを想起させられると、そのメッセージと自分の思い出とがリンクして混ざり合ったものによって泣かされてしまう、そんな強力な歌の力が胸を直撃してきます。もう物足りない、煮え切らないなんて思いません。もう十分煮えています。これ以上煮ると不味くなるだけです。そしてこれ以上の量はおいしく食べられません。もう自分の失敗したこととそこからの道のりをさんざん想い出しておなかいっぱいです(笑)。
そして必要十分な泣きのサビ、またしてもコーラスを重ねた重厚な歌、優しさと痛みをわけあいたい、バラバラになった心と心(これ安全地帯のことでしょ!)をふたたび重ねあいたい、バラバラになったときの痛みを共有している仲間としてふたたび一緒になりたい、痛みを知っている者同士だから、そしてそのとき分かれざるを得なかったのはある意味でお互い優しかったから……その優しさも分かち合いたい、あのときは心がバラバラになった絶望に支配されていたけども、じつはみんな地球上で一番同じ気持ちを感じていたはずなんだ……これは、たしかに「御伽話」です。御伽話らしく寓話化されていますけども、たしかに玉置さんの身に起こったことなのです。そして寓話化したことによって、わたしたちの誰もが抱く同じような胸の痛みにダイレクトに届く癒しの歌になっているのです。こんな話、寝る前のテンションでないと話せない……!(笑)
抱きしめたいならいつでもおいで、愛されたいならおいで、ぼくはいつでも相手になるよ……このどこまでもやさしく大きい包容力こそが玉置さんの性格であり覚悟なのです。だからこそ「おいで……ええーええ……」の説得力があまりに大きく、これ以上の冗長なメロディーや言葉はいらないのです。
歌詞カードはここまでなんですが、このあと慟哭のギターソロがピアノをバックに入れられ、また「チャインチャイ〜〜ン」とリフが入るんですが、そのあと歌詞カードにない歌があります。
生まれた街も……帰るところも求めているものも違っているけど……想いだして……
これほどはっきりした歌詞なのに歌詞カードに掲載しなかったのはなぜでしょう。載せ忘れたか?(笑)わたくし思いますに、これは個人的なメッセージなんじゃないでしょうか。どストレートに言えば武沢さんへの。ツアーメンバーに起用された武沢さんは、マジメですからきっとこの『ニセモノ』を隅から隅まで何度も聴くでしょう……そしてこの歌詞が掲載されていないことにお気づきになるんだとわたくし想像するのです。え?ぜんぶ妄想?そりゃそうですこのブログはぜんぶ妄想です。ですけども、そんな妄想を膨らませてもいいじゃないですか。御伽話なんだから。
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この曲は何ともいえない、雰囲気がありこわかったです。お伽話ですし。
間奏がなんか安全地帯の曲っぽくて、広い感じです。
アルバム全体を見渡しても、この曲のインパクトはデカい!まあ、メリハリだったりバリエーションという意味で流石。
と言えるくらいの自信が欲しい、今日この頃です。(-_-;)