『安全地帯IV』二曲目、「デリカシー」です。
必ずしもメロディーが綺麗でなくとも、いい歌だなあ……と思わされる曲があります。わたくしにとってこの「デリカシー」は、まさにそうした曲です。
いやー、白状すると、子どもの頃は、そんなにいい曲だとは思ってなかったんです。「夢のつづき」「碧い瞳のエリス」の間にはさまっている、なんだか変わった曲、という印象でした。これがCDだったら跳ばすのかもしれませんけど、最初はカセットですから(笑)、面倒でそのまま聴いていたんですよ。そしたらそのうちに「パンシュポンシュポン〜」とか「Fu!Fu!」と口ずさむようになってしまったというわけです。すっかりハマったんですね。はっはっは。
この曲は、リズムの力が強くて、そのほかの要素がリズムに負けないように……リズムを引き立てるように、かもしれませんが、リズムを中心に作られているように思われます。「肌を甘やかす」とか「後先のないデリカシー」とか、強烈な言葉の載った歌を聴いていても、のちの「チャイナ・ドレスでおいで」を思わせる風変わりな音色のギターソロ、ツインのハモリ速弾きを聴いていても、六土さん田中さんの奏でるリズムを一瞬でも忘れる、ということがありません。
さぞかし完璧にシンクロしているんだろうな〜六土さん、田中さん、と思っていたのです。ところが、よくよく聴いてみると、……思ったほどシンクロしてません。ズレてます。え?ウソだろ?と思ってもう一回聴いてみても、ベースとドラムのリズムは意図的にズラしてあるとしか思えないくらいズレています。
よーく聴いてくださるとわかるのですが、いや、わたくしごときだからよーく聴かないとわからないのですが、最初の二小節からしてズレています。一小節目こそはほぼシンクロですが、二小節目は田中さんがバスドラを半拍遅く踏んでいるにもかかわらず、六土さんは一小節目と同じリズムです。サビに至っては、まるで別のリズムを奏でているに近いです。こ、これは……数十年にわたって、とんだ思い違いをしていました。
それにしてもこの二人は……達人だ! こんなにズレているのに、どうして「一つのリズム」を奏でることができるのですか?ドラムとベースの役割分担は、同じリズムを、音程あり(ベース)、音程なし(ドラム)で奏でることだと、わたくしは思っていたのです。ベースが流麗なメロディーを奏でることがあっても、それはあくまで曲の演出上ギターのほうの役割に近づくだけで、その間リズムはドラムだけが担っているだけのことだと思っていたのです。違ったのです。二人とも違うリズムを奏でて、それがアンサンブルで「一つのリズム」になる、ということがありうるのです。そうじゃない、お前はまだロックがわかっていない、出直してこいと、このお二人に演奏で教えられたのです、まさに、いま。
これはムリです。わたくしには絶対演奏できません。一つひとつのパートをコピーすることはできても、アンサンブルに加われません。この曲はギターがえらくシンプルで技術的には簡単なのですが、それだってこのリズム隊に載せてギターを弾くなんて、できっこないとしり込みしてしまいます。
さて、リズムにばかり驚嘆していてはいけません、曲全体を聴くのがわたくしの使命です(思い込み)。そうですね、当然のことですが、おそらく川島さんによるものと思われるシンセサイザーが、曲の序盤でかなり効いていますね……。この音、わたくしシンセサイザーには(も?)疎いものでして、なんという音色か知りませんが、80年代にはよく耳にしましたね、この透明感のある鍵盤の音は。この音が、サビ前までずーっと単純な八分のリズムでアルペジオを奏でていてくれますので、六土さん田中さんの強烈なリズムと、中和されているようにさえ思われます。この音色とリズムの調整機能によって洗練度が上がり、安全地帯の楽曲がワンランクアップしたように聴こえるのです。
志田歩さんの『幸せになるために生まれてきたんだから』には、この『安全地帯IV』で、ある意味それまでのスタイルが完成した、『安全地帯V』からは、一度壊して再構築していった、という印象・手ごたえが、メンバー間にあったように書かれています。
たしかに、怒涛の三枚組『安全地帯V』の前に区切りを感じるのは、当然のことです。何より、メンバーがそういう印象をもっているのだから、間違いありません。
しかし、しかし……なのです。わたくしにはどうしても、この『安全地帯IV』ですでに『安全地帯V』や『安全地帯VI 月に濡れたふたり』の領域に入っているように思われるのです。これはわたくしの感じ方がズレているのであって、なにより致命的なことにメンバーともズレている(笑)ので、妄想どころか完全に戯言です。わたくしがこのように感じる原因は、きっと、この(おそらく)川島さんのシンセなのだと思います。サポートメンバーの音に惑わされているんじゃないよ、もっと本質を見ろよ、聴けよ、そう、そう……なんですが……。(おそらく)川島さんの力は、松井さんなみか、それに次ぐくらい、安全地帯と一体化していって、大きな安全地帯の世界を作っているように思えてならないのです。それがこの『安全地帯IV』から、最初の活動休止までの、わたしが聴いてきた「安全地帯」の像だったのではないか……と思えるのです。
その安全地帯の「像」を、時系列的に最初に感じられた曲が、この「デリカシー」だったのです。
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おっしゃるようにこれは男女の機微がこれでもかと歌われています。もしかしたら、いやらしい歌詞であるのを察して当時のわたくし言及をとりあえず避けたのかもわかりませんが、このアルバムあたりからそんなことしてられなくなって、開き直ったのかもしれません。わざと彼女になるって何よ!そんなとんでもない策略あるわけ…ある?えー!
当日は全く歌詞の意味は理解していませんでしたが、ちょっと軽率感のある軽快なリズムと歌詞に意味も分からず魅了されていました。
今考えると、
抱き合うより
わざと彼女になんか
どんな風に声を立てて
もう、既に傷付きたがる…
を含め、歌詞には女性の目線がふんだんに使われています。
シュパンシュポンシュパン
これは、かなり卑猥な男性目線が軽〜く織り込まれていますね。
歌うのを躊躇いそうなこんな表現をこんなにサラッっと歌ってしまう玉置さんってスゴイ。
こんな歌詞なのに、キレイなのは彼の声もそうですが、やはりサウンドの構成力なのかな、と考えます。
気が……
気のせい気のせい。
わたくしにとっては「デリカシー」って、まあー、得るものないのに藪をつつくのはやめておこう、くらいの感覚ですけども、この歌の男女は、藪をつつきたくなるくらい、あるいはつついてほしくなるくらい、距離が近づいてしまったのでしょうね。
途中で書き込んでしましたした。
で、曲タイトルが、デリカシー
男視点のデリカシーは、女視点とはちゃうねん。
貴方のデリカシーは、偽物だわよね。
という、男性の軽薄さ(子供っぽさ)を表現しちゃった
のかなあ、と。
(松井さんから見た玉置さんイメージ?)
まあ、どうひっくり返しても、
ヤバい歌であることは間違いないです。 笑
刹那的に。一瞬だけ。
楽しければいい、と、お互い合意なら、
アリかな、ですが。
ややこしいのは、
男は、生理的観点では、行為に及ぶまでは、
脳内物質が出ていて、相手を好ましい、と思い込んで
夢中になります。
これが、"わざと彼女(彼氏)"。
しかし女性は身籠るという身体的リスクがありますから、
"わざと彼女"は、割合としてはマイナー?かと。
だからこれは男視点のラブソングの典型かなー、とも
思います。
こいつはフラれそうやな…と、思って聴いてしまします。
わざと彼女になる……高度すぎてわかりにくいアヤがあるものですねー。精神的なところも楽しみたいものですが、スピードが要求される場合(笑)、多少そこを省く、つまり「わざと」彼女になる、その段階すらも省きましょう、ということ……なのだとしたら、それは危険すぎる!まあー、人間、悲しいから泣くのではない、泣くから悲しいのだと考える向きもございますし、身体のほうを先に稼働させるのもアリなのかもしれません。うーむ。いま何かスゴいことを言っているような気がします(笑)。
自分自身も回りも不幸になってしまうという
オチがもれなくつきますね。
それも魅力なんですが、非常に危険!
あぶない刑事!最近、舘ひろしさんの魅力を語る
友人に薦められて、
Amazon配信をぽつぽつ見てるとこでした!
確かに、主役の二人(やんちゃとダンディ)を足して二で割ったら
イメージ近いです!
あの頃の流行だったんですね、多分。
わざと彼女になる……
この歌は、私、ワンナイトラブのお誘いの歌だと
思うんです。
ので。
通常の恋愛では、精神的な相互理解があってから
肉体的な理解に進みます。
つまり、彼氏彼女の関係にも二段階。
でも実際は、精神的な理解なんて上っ面のもので
わかってる気になってるか、ふりをしてるだけ。
だから、そこんとこ省略して次にいきましょう。
ようは、まどろっこしい恋愛ごっこ=わざと彼女(彼氏)になる
かなあ?と。
頭脳のコミュニケーションより、運動、
それが貴女の本当に欲しいものだから、いいんだと。
説得してんのかなあ?
というイメージではないかと思います。
ところで、わざと彼女になるって、どんな心境なのか、きわどすぎて、いまでもよくは分からないことをここに白状いたします(笑)。
安全地帯の一つのカラーの曲ですね〜。
ギターの演奏回りはよくわからないので
ネットでひきひき読んでいます。
読みながら聞くとなるほどーと思いました。
解説を拝見していて思ったのですが、
安全地帯という、もの凄い装置があってこそ、
バブル時代のロミオの役回りを
玉置さんは演じることができたのかな〜。
なんにせよ、この前も後もこのタイプの
歌い手さんっていないように思います。
また、ポスト安全地帯のバンドも無いようにも
思いますです。
それにしても、
もうわざと彼女になんかならなくていい
って…すごい歌詞。
インパクト強すぎですよね。