『All I Do』二曲目、「Love ”セッカン” Do It」です。
初めて聴いたとき、なんじゃああああこりゃああああ!と、松田優作なみに動揺したものです。いや、アレは殉職のシーンですし、死ぬほど動揺してないと松田優作なみとは言えないんですけども……ともかく、少なくとも少年の心に強力な印象を叩き込むのには十分な破壊力をもった曲でした。
何せ、タイトルからして「セッカン」ですからね。「摂関」ではなく「石棺」でもなく、「折檻」、オシオキでしょうねええええ(動揺)。いや!いまとなってはオトナのわたくし、念のためにseccanという単語がないか辞書で確かめるくらいの冷静さは持ちあわせております!おりますが!見事にナシ!ネットでもチェルノブイリの石棺をどうこうする、みたいな日本語の記事が上位にずらっと並んだところからして、セッカンは日本語であるという結論に至らざるを得ないでしょう。松井さん……「いったんそれ(『安全地帯IV』までで完成した安全地帯の歌詞スタイル)を壊さないと歌詞が作れなくなった」という境地で『安全地帯V』の作詞に挑んだというのは存じ上げておりますが、傍からみると『All I Do』での壊れっぷりのほうが遥かに上回っております。「僕が詞を書かないほうがいいのでは」とか「バンドと違って英語を使ってもいいんじゃないか」などと、あまり壊れっぷりのほうにはコメントをなさってませんけども(いずれも『幸せになるために生まれてきたんだから』より)、いやいやなかなかどうして、玉置さんソロのハジけっぷりを見事にことばという媒体で表現なさっています。誰も安全地帯と同じ性質を感じることができないくらいに。
さて、気を取り直して曲ですが……
耳に残るところが多すぎてコメントしきれない!と思うくらい、さまざまな仕掛けに満ちています。編曲はこの手の曲の例に漏れず川島さんですが、いったいどんな凝り方をしたらここまで凝れるんだ!というくらいアレンジに注力したものと思われます。ここまで本気のBAnaNAは初めて聴いた……というくらい、バンドへの遠慮というものがありません。
ばっと耳につくものは……ひたすらメインのリフを鳴らす鍵盤、キコキコ鳴りっぱなしの拍子木みたいな打楽器、ブインブインと鳴り響くベース、左右に振られるパッド、左チャンネルにアクセントで入る低い管楽器(バストロンボーン?)……どれもこれもアクの強いタイミングで印象的な音色をダイレクトに脳髄に叩き込んできます。凄いですね川島さん。ロンドンとロスでレコーディングしたそうですけど、川島さんさえいれば日本でもいいじゃないですか、と思えてならない、とんでもないアレンジです。
そして、忘れてはならないAMAZONS、日本のコーラスグループですね。このアルバムのわずか三か月前にリリースされた「じれったい」でコーラスをされた、日本女性の三人組です。いまでも活動されているようで、ちょっと驚きました。中学生のころ、TSUTAYAとかでアルバムを見たこともあります。メンバーの天野由梨(吉川智子)さんは、アンパンマンでアカチャンマンを演じている声優さんでもあるそうです。このコーラス、効いてますね……日本人女性歌手(アカチャンマン含む)がこんなセクシーさを出せるとは……おもにkittyレコード系でAMAZONSのクレジットをちょいちょい見ましたけども、これなら引っ張りダコだったに違いありません。
「ウ〜YEAH!」と玉置さんの低めなシャウトを皮切りに曲は始まります。二回目の「ウ〜YEAH!」からブンブンとベースが鳴り上下にガクガク揺られながらパッドで右にも左にも注意を取られつつ玉置さんの歌が始まるんですけども、いきなりサビでLOVE セッカン DO ITとわけのわからない言葉で頭がついていかないという快感をくらいます。さあ……愛のオシオキだよ……ほーれほーれDo It! これはアタマがおかしくなるんじゃないかとしょっぱなから心配になってきます。
Bメロではベースがルート弾きでスピード感、高音のストリングスでスリル感を高め、緊迫感を演出します。「ハートに隠してる紅い林檎」はもちろん、アダムとエヴァの齧った禁断の実でしょう。アダムとエヴァはこれでエデンを追放になるわけですから(旧約聖書の神は、現代日本人たるわたしたちには到底よくわからない仕打ちをしばしばなさいます)、これはバレたらヤバいアフェアー感バリバリの情事なのがご想像いただけるかと思われます。付言しますと、アダムとエヴァは禁断の果実を口にしたことで、恥じらいを知ってしまったわけです。つまり、恥じらいなど無縁にみえるイケイケの男女が、シチュエーションに燃え上がり、恥じらいの感情をハートの奥底から思い出してしまった、というわけなのでしょう。なんというドキドキ!同時期に『少年ジャンプ』ではグループ交際の冬山デートでスキーのゴンドラに吹雪で意中のあの娘と二人きり閉じ込められてしまった!などという当時最新のドキドキ演出をしていた時代に!玉置さんの音楽がいかにオトナをターゲットにしていたか、よくわかるギャップの大きさです。
ここでさらにAMAZONSのセクシーコーラス、さらに透明感のある鍵盤でオブリを入れつつ「LOVE セッカン」をかまし、そのまま怒涛のリズムで佳境のCメロに入ります。何が佳境って、そりゃ、ナニですよ(80年代)。「ねぇいい?」からはじまるこの箇所、日本語とは思えないリズムで「ねぇ」「いい」「もう」「じゃあ」と、「東村山音頭」の「ちょいと」「ちょっくら」なみの意味のなさ……いや、意味はもちろんありますし、気持ちもよくわかるんですけど、いかんせん言葉になっていません。それがまた、気持ちが切迫していることをよく表現しています。松井さん天才ですか、いや天才なんですけど、玉置さんにこう歌わせると、信じられないくらいの(エロ)パワーを発揮するということさえ計算ずくなのだろうと、にわかには信じがたい想像をしてしまいます。AMAZONSの「まだだわ」も、玉置さんのパワーでセクシー度最高潮になるんですから……。
さて歌はAMAZONSとの掛け合いで、オブリの鍵盤もともないつつ、「せびるわ」「とぼけるぜ」とちょっと焦らしの小康状態で駆け引きに入ります。その後、Bメロでまた「ギャングだぜ」と燃え上がり、「つくづく↓」と印象的な低音を入れます。これは、古くは『大草原の小さな家』でチャールズ父さんがバイオリンを弾きつつ「ああおれはジャングルの王様↓(だんだん低くなる)」とローラを大笑いさせていたテクニックです。残念ながらマイケル・ランドンはドラマで再現しなかったようですけども(笑)。いや、これが元祖かどうか知りませんよ。西部開拓時代にはすでにこの技法があったということだけは確かなようです。
さて、ここで登場する「となりもセッカン中」はちょっとした謎ですね。隣の家……いや、モーテル(80年代)の隣の部屋?まさか仕事中で隣のオフィス?と想像をたくましくしますが、そんなこと(当事者にも)わかるわけがないので常識的に考えれば、いままで二人のことしか頭に入ってなかったリスナーの視野を、まるでカメラを引いて建物の俯瞰図に広げるかのような効果を狙ったというべきでしょう。曲はサックスソロに入ります。
そして怒涛のCメロが再び……もう、曲の構成がセオリーから外れすぎていて、AもB
もCもあったもんじゃないぜつくづく↓という気分になりますが、こんどはAMAZONSが「ねぇいい?」と懇願する側になっています。そして玉置さんが「だめだよ!」とセッカンを行う、という仕掛けなんでしょうね。これはいやらしい(笑)。
最後のサビで、「ほらぜったい好き」「ほらやっかい好き」「世界中」「倦怠中」と韻を踏みます。ここに松井さん一流の遊びが垣間見えて、なんだかちょっとほっとします。安全地帯にもたまに登場した技法だからです。もちろん普通に韻を踏むだけならだれでもやってるんだとは思いますけど、松井さんのはとにかく際どいんですよ。「ほらぜったい好き」は女性の心を弄びつつも、好きなんだと確信してちょっと安心し、「やっかい好き」で「倦怠中」に「しょうがないなあ〜いつもいつも〜」とちょっと喜んでいる男心が表現されている……ように読めるという塩梅です。「世界中」はよくわかりませんけど(笑)、「セッカン」と音の響きが近い言葉を使いつつ視界を一気に広げるかのような効果があります。
曲はラストに向かってセッカンを再度敢行します。そして、唐突に終わるのです。「NA」という謎のつぶやきを残して。うーん、解説しようとして聴き込んでみたら、思っていたよりはるかにとんでもない曲でした。少年期になんじゃあああこりゃあああとマインドをシェイクされたときよりも、さらに大きい衝撃を受けた気分です。こりゃまだまだ、聴き込みが足りなかったようです。大反省です。そして何より、かつてよりもさらにいい曲だと確信できましたので、ニヤニヤしながら聴いていけるのがうれしくてなりません。きっとまた、解釈も更新されてゆくことでしょう。
ところでこの曲、プロモーション動画を、検索すれば観ることができます。いまの時代からみると、バブリーすぎておいおいおい大丈夫かよ!と思わせる気満々の、これまた非常にメンタルブレイキングな出来になっておりますので、ぜひ人を選んでおススメしたいと思います。
価格:2,161円 |
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で、この曲ですが、明らかにソレ系の変態ソングです。わたくし使命感に駆られ、いちおう疑いをもって臨みましたが、無念ながらやはり変態と結論づけざるをえませんでした(笑)。玉置さんはこういうのが抜群にうまいんですよ。
アレンジは、おっしゃるとおりですね。どこまで細かく譜面を書くかはアレンジャーによるんですけど、パートごとにどう弾くかを考える人と思っていただければおおむね正解です。バンドだと、自分のパートは自分で考えることが多いと思いますけど、たまに独裁者みたいな人がいて、この通りに弾け、できないならクビだぞみたいなハラスメントを敢行したがために、「音楽性の違い」で解散に至るハメになるという悲劇が昔から繰り返されてきたわけです。
自分のパートは自分で考えるかわりに、他のパートの人がどんなふうに考えてもそれを受け止めて、さらに自分のパートを練り直していくのが一番いいと思います。おっしゃるように楽しいですし、何より何人分ものアイデアが込められていきますので、曲のパワーやクオリティが上がるんです。
歌詞は大概最後になるんですけど、最後にこんな歌詞が出てきたら、またアレンジももっとエロくしようと考え直しになりそうですね(笑)。もちろん楽しいですよ!
アレンジって具体的に言うと、楽器の弾き方を決めたり楽譜を作ったりしてる人ってことでしょうか?作詞とかアレンジとか、担当分けてみんなで1つの曲作るのって楽しそうですね。自分が作った曲にこういう変態な歌詞が付いてきたらなんかテンション上がりそうです笑