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『All I Do』十曲目、「Time」です。
星さんがアレンジした、安全地帯バラードファン待望の超絶に美しいバラードです。わたくしこのアルバムを手に入れた当時は、こればっかり聴いていました。それだけに、玉置さんが自由奔放に作った他の曲に興味が向かなかったことは反省材料……そんなの、反省しようがないんですけどね。
雰囲気的には、のちの『あこがれ』に近いといえるでしょう。この『All I Do』には、玉置浩二ソロが展開されてゆく90年代の10年間で発展していった要素が、少しずつ少しずつちりばめられており、これ以前の安全地帯にはみられなかった萌芽をすでにみせていたのだな、と思わされます。もっとも、『カリント工場』のような変化が起こるとはこの当時誰も予想できませんでしたし、その変化には誰もが度肝を抜かれましたので、『カリント工場』以前と以降との間には巨大な断絶があると考えるほうがふつうです。それでも、わたしには、この『All I Do』にこそ、90年代玉置浩二のルーツがあると信じたいのです。まあ、この「Time」が雰囲気の似ている『あこがれ』は『カリント工場』以前ですから、ここでいくらそんなことを言っても説得力はゼロですけども(笑)。いずれ『カリント工場』以後の楽曲を語る際に、この仮説を検証していきたいと思っています。
さてこの「Time」、伴奏はピアノと、ストリングスだけです。硬質なピアノだけからはじまるイントロは、わざとベース音を外してあえて他の構成音をたどるような左手と、オーソドックスなコードの崩し弾きの右手との組み合わせで、バランスのあやうい箇所をあえて進むような心細さ感じさせつつも、思っていたよりも速いテンポで儚くスススッと進んでいきます。
リバーブのかかった玉置さんのボーカルが入ると、ピアノが音数を減らして、ボーカルを待ちながら進んでいきます。ボーカルのリバーブと、このシンプルなアレンジ、ピアノの儚さとが、冷えたコンクリートの、それほど広くない、ただただ真っ白な空間を思わせます。歌詞の「白い朝」が降りてくるという描写は、はじめは白くなかったことを示しているのですが(黒かった?暗かった?朝焼けだった?)、曲全体のイメージが「白」に感じられるのです。
Bメロというかサビというか、そこからストリングスが入り、儚さが増幅されます。安全地帯、というか、ふつうのパターンですと、ここからハイハットが入り、ベースが全音引きで入り、と、「あなたに」のような盛り上がりを期待させるわけなんですが、この「Time」は違います。ドラムもベースも入りません。不要です。なくてもぜんぜん違和感を感じないどころか、歌とピアノの力、それを増幅するストリングスが、他楽器との共存を拒むかのように、それだけで完成した音像を示し続けるのです。
さて歌はAメロに戻りまして、ストリングスがチェロを思わせる低音でオブリを入れます。ピアノもパターンを変えて短音で音程の上下を繰り返すアルペジオを入れます。これは切ないです。星さん、あなた本当にロックの人なんですか、じつは西洋室内楽とかやってたでしょ、と疑いたくなるくらいハマってるのです。
そこで、またさっきの美しいBメロ、いやサビかな?と思っていたら、全然違うパターンに曲は突入していきます。「やさしくて 悲しくて………時が過ぎて」と、「〜て」の三連発、いや、二連発で終わりかなとみせかけて、最後にもう一発です。以前にも申し上げましたが、わたくし「〜て」パターンの歌詞は大嫌いなんです。ですが、これはもう参りました。あとに言葉を考えるのが面倒くさかったんじゃないのかとしか思えないような他歌手の「〜て」とは違います。もう(どんなに愛していても、どんなに冷静になっても、どんなに高回転の頭脳が言葉を絞り出そうとしていても)言葉がなくて……という境地に達しての「〜て」なんだ、と思わされるのです。いや、松井さんのことですからもちろんワザとでしょうし、ほかの言葉だってホイホイ思いつくに決まってるんですけども、それがヤボすぎるからしないんだという現実的な対処を感じさせない「〜て」なのです。だって、「このままでただ時が過ぎて(いってしまったのである)」とかだったら、ピアノもストリングスも爆破したほうがマシな気分になるくらい、台無し指数が激高じゃないですか!もう!ふざけるのは程々にするにしても、ここで曲の展開を大きく変えた意味がなくなることは明らかでしょう、そんな月並みな言葉を入れたら。ここは、思いを絞り出すために生まれた箇所でなくてはならないのです。ですから、絞り出してこれだった、これをいうのがやっとだった……という演出がパーフェクトに決まっていると考えるべきでしょう。
二分ちょっとのごくごく短い曲なんです。でも、これ以上続けたら美しさ儚さが犠牲になってしまうことが察せられますから、製作者サイドも「浩二さあ〜この曲もっと長くしようよ〜」とは言わなかったことでしょう。
歌詞なんですが……悲恋ですよね。いや、このころの玉置さんのバラードはほぼ悲恋ですから、言うまでもないといえば言うまでもないんですけども。
遠い夢が聴こえる、風が見えたのに消えた、夜の向こう側……普通に考えれば、恋人同士のタイミングがすれ違って、思いがうまくかみ合わなくなっているのでしょう。だからこそ、せっかくふれあえた夏も、冷たいまま、つまり燃え上がりにかけたまま終わってしまったわけです。なんでしょう、当ブログをご愛顧くださっている方ならお気づきでしょうけども、あえて膨らませず、ただ淡々と説明しているのです。そうしているのに、なんだか泣けてきそうです(笑)。やさしいのに、かみ合わなさが悲しい、そうこうしているうちに夜は白々と明けてきて……もう二人とも半ばシラけているのはわかっているのに、いっそ終わりにしてしまうべきだとわかっているのに、それでもギリギリ、終わってほしくないという感覚……ああ、ダメだ、ちょっと休憩してきます(笑)。
はい戻った!気づきました!これは、わたしの好きな、それでいて心に傷を残していた歌のパターンだったんです。
「22歳の別れ」とか「あずさ二号」とかの彼女たちを、わたしはとんでもない身勝手でひどい裏切り者だと思っていたのです。だから、曲の良さと歌詞のインパクトは最上級に評価しつつも、その物語を私は好きじゃなかったんですね。だから、曲としては好きで何百回も聴いてしまっているんだけども、そのたびに少しずつ傷ついていたわけです(笑)。ですが、最近そうじゃない可能性に(やっと)気づきました。彼女たちの恋は、もう半ば以上終わっていたんじゃないかと。いっそ一気に終わらせるために、彼女たちは決断すべくして決断したのかもしれないな……その行動を女性が先にする様子を描いたから、当時の歌のパターンとして新鮮だったのでしょうけども、わたしはそういう可能性に気が付かなかったために、たんなる裏切り者だと思っていたのです。状況次第では、もしかして、ブルータスはカエサルを刺さざるを得なかった……のかもしれないのですから、「裏切り者」という烙印だけを押すのは解釈者として怠慢だったといわざるを得ません。大反省です。
そんなわけで、けっして、わたくしが恋愛経験豊富で、人生のどこかの節目にこういう切ない恋の終わり方をしたことがあったから泣けてきたとか、そういうわけではまったくございません。ご安心を、というのはとても変ですが、ここまで玉置&松井ワールドを堪能し続けてきたわたくしが、そんなヤワなわけはございませんですとも。でも毎回、玉置さんの表現力には陥落させられっぱなしですから、じつは自分がヤワなことをブログで晒し続けているだけなのかもしれません。うーむ、なんだかわからなくなってきました。
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喫茶店に行きましたねえ。高校生の頃まではまだファミレスもそんなになくて、あってもステーキハウスみたいな感じで、そんな長居するような店じゃなかったですよね。
このタイム。バンド始めた頃に、初めて仲間と入った喫茶店がタイムでした。3時間とか普通に平気でみんないました。
このタイムの次に、次のアルバムあこがれの「砂の街」に自然にスーッと入れそうに、今ふと感じました。
玉置さんはおそらくピアノはほぼ弾かないでしょうから、ギター爪弾きながら、音の響きでどんどんメロディーを作る。ロンドンでレコーディングをして、曲が変わった!とおっしゃっていましたように、あこがれが完成した何かの雑誌インタビューでは、楽器を使って曲を作ったら絶対にダメ!と。その時期はカリント工場の真っ最中でしたし、かなりストイックなインタビューではありました。
タイム。次に始まる、アイルビーロングの前奏曲といったら怒るでしょうから、目覚めの朝の苦いコーヒーみたいな位置付けはどうでしょう。白い朝、もう少し
もう少しだけ。