玉置浩二『CAFE JAPAN』二曲目、「CAFE JAPAN」です。シングル曲ではありませんが、タイトルナンバーですね。
クレジットをみてみますと打ち込みが藤井さん、キーボードが安藤さんのほかはパーカッション、ドラム、アコギにエレキは玉置さん……カズ―?カズ―という楽器を玉置さんが演奏しています。音を聴く限り、最後のサビあたりでアオリに入っている「ビイイ〜」という笛の音がそれでしょう。また、ベースのクレジットがないですね……書き忘れでなければ打ち込みなんでしょうけど、なんか打ち込みって感じのしないベースです(打ち込みと生楽器の区別がつかないポンコツ耳)。
ベースがポーン……ギターがポロンポロン……その裏でシャシャシャシャ……とハイハットをハーフオープンで細かくたたくような音、エフェクトシンバルがカシャン!と響き、「ドゥンドゥーン……ドゥン」玉置さんのスキャットが始まります。「ヘイヘーイ」と声を重ねて、その二声が絡まりながらひとつのメロディーを紡いでいきます。バスドラがドスドスとはじまり期待感を徐々に高めたところで、スネアが「パアン!」と鳴り、エイトビートのドラミングとブンブン唸るベースが始まってボーカルも「パラパ−ラパーラパッパー」と無意味な声リフ、曲はいきなり最高潮に達します。なんだこりゃ、1950年代のアメリカか!なんという懐かしい感じと楽しげな雰囲気!玉置さんからこのような世界が提供されるとは、ほんの数年前のわたくしは予想すらしていませんでした。もちろん安全地帯時代からこのような曲がなかったわけでありませんでしたし、あのぶっ飛んだ『All I Do』、そして前作『LOVE SONG BLUE』を知っていますからまったく準備ができていなかったわけではありませんが、それにしても一皮むけたようなぶっ飛びぶりに少なからず驚きました。これが「碧い瞳のエリス」とか「Friend」とかのイメージしかなかった人が聴いたらそれこそオーディオの前でひっくり返るレベルの変貌ぶりでしょう。
楽器隊の音はズシズシと重く、それでいて華やかで、不思議な疾走感があります。テクニカルでは全然ありません。無骨です。安全地帯感は完全に払拭されています。玉置さんがメインボーカルもコーラスも掛け声もみんな、これライブでどうやってやるのってくらいモロに玉置さんの声でアオリのコーラスを入れます。自分の声で自分の声を盛り上げあうという多重録音の機能を活かしたやりたい放題です。ディズニーランドでいえばミッキーもドナルドもプルートも全部自分が入っているという無茶苦茶ぶりです。すみませんディズニーランド行ったことないのでよく知りませんけど(笑)。
さて歌詞のある歌が始まります。ジャーン!と全音符で伸ばした伴奏に、「〜しょう?」と、歌詞は確かにあるのですが……いまひとつ意味が分かりません……夢のつづきを話すことで闇を明るくする?ささやかな暮らしと未来をつなぐ?頑張って考えてみますと、面白いこともない日常に、ぱあっと光がさすような明るい夢の話、将来のビジョンを語るような前向きな会合、パーティーを開こう、という趣向なのでしょう。
スネアの連打が響き、ベースがブンブンいって有無を言わせぬ展開で曲が進みます。「なじみの顔ぶれ」と「ひいきのみなさん」って同じような意味なんじゃないかと思いますが……そんなことを考える暇もなく「星でも見ましょう」!って声も気分も高揚させてきます。ああそりゃ楽しいじゃん!
「お茶でもいれましょうか」ってカフェなら当たり前……ってここで気づくのです。こ、ここはカフェではない!これは傷ついた者たちが集い心を癒す場所……それを玉置さんと須藤さんがカフェになぞらえたのだ……!だからわざわざ「お茶でもいれましょうか」なのでしょう。
『幸せになるために生まれてきたんだから』にはアルバム『CAFE JAPAN』のコンセプトを玉置さんが語った箇所があります。こんな貴重な話を!志田さんあなた最高!歌詞カードに掲載されたいろいろな格好の人(ぜんぶ玉置さん)はカフェ・ジャパンのオーナーだったりマネージャーだったりお客だったりするんです。くわしくは本を読んでほしいのでここからはわたくしの推測が主になりますが……このカフェ・ジャパンとは人生に迷って苦しんで倒れた玉置さん本人がたどり着いた場所、つまり旭川なんですが、そこで玉置さんは一日中空を見て、旧友と語らって、傷ついた心を回復させてゆきます。そしてこわれた心のまま、欠けた心のまま作られていった大傑作が『カリント工場の煙突の上に』なわけですが、玉置さんはそのときのことを振り返ってこの曲「CAFE JAPAN」、このアルバム『CAFE JAPAN』をお作りになったのだと思います。事実、「田園」はいちばんグチャグチャになっていたときのことをそのまま歌にしたもの、と玉置さんはおっしゃっていますので、この推測はほぼ間違っていないでしょう。ですからカフェ・ジャパンとは玉置さんにとっては旭川の、家族・仲間との集う場のことを指すのでしょう。仮面をとって虹色の空を眺める男(玉置さん)は、新しい人生に踏み出す勇気を得てカフェ・ジャパンを後にします。そして作られたアルバムが『LOVE SONG BLUE』、そしてこの『CAFE JAPAN』、そして次作の『JUNK LAND』なのだ、というのがわたくしの現時点での考えです。ですから、この三枚のアルバムは、安全地帯で無理をしたことの音楽的な「落とし前」なのであり、わたしたちはその復活劇を音楽を通して垣間見て、魅せられてきたのだろう……と。む、むう、な、泣けるじゃないですか!(勝手に妄想して勝手に泣く芸風)
曲はドラムだけを残してブレイク、ギターともベースともつかぬナチュラルハーモニクスのフレーズを入れてすぐさま二番に入ります。
大きな(いちょうの)樹の下で君と出逢っていたなら……きっと東京で活動していたおれの運命も少しは違っていたのかもしれない……「つつましい言葉」やあせない「想い出」を共有しているんだから、いろんな意思決定のタイミングや方向が少しずつ変わっていて、運命はもしかして大きく違っていたのかもしれない……
なんだか玉置さんの辿ってきた足跡を悔やむとも肯定するともとれる歌詞なんですが、「いいんだい」「いいんだい」と全体の調子としては肯定に傾いてゆきます。それはそうです、事実そうなったのですから。
ちなみにこのBメロですが、わたくし初聴時から頭にこびりついて離れませんでした。なんというか、リズムと、言葉選びと描かれる世界、歌唱がすべてドンピシャで、新生玉置浩二節の完成系ともいえる見事な出来です。これはほかにどんな歌手がカバーしてもこの魅力は出せないでしょう。事実この時期の玉置さんの歌を誰もカバーしてません。みなさん自分の力量ってものを自覚しているのでしょう。これは玉置さん本人にしか歌えない!と聴いた瞬間にわかります。しかも演奏もほとんど玉置さんですから、もう一体感がハンパじゃありません。ノリノリです。
そして曲は間奏というか、不思議なアナウンスの箇所に入ります。ベースがポワーンと全音符、控えめな音量ながら手数の多いドラム、キラキラキラ……とシンセ、玉置さんの高音コーラスをバックに、玉置さんが「カフェジャパン……カフェジャパン……駆け込み乗車は危険ですけどご遠慮なさらずにどうぞ、ここはカフェジャパン」と、どこかから怒られそうなアナウンスを入れます。カフェジャパンは駅であって、ここで降りて傷を癒す人もいれば、癒し終わって「ご乗車」する人もいるのでしょう、中には「駆け込み乗車」するような人もいますが、この電車は傷の癒えた人を送り出すのがその使命ですから、駆け込み乗車させてでも送り出したい、そんなのこっちが対応してやるから心配せず飛び込んで来い!というフトコロの深さを感じさせます。
そしてドラムとボーカルだけでサビが歌われます。「恋して泣く」「しあわせ」がわからなくて悩む、「お金」が心配になる、「平和」の役に立てるか悩む……と、玉置さん自身が安全地帯時代に散々悩まされたヘビーな課題たちがここで提示されます。
そしてカズ―が響き、フル構成の演奏に合わせて最後のサビが始まります。恋がなんだ、お金がなんだ、いろいろあるだろうけども、それは置いといて、汗、涙、ともだち、笑い、そうした目の前にあるたしかなもののために音楽をやればいい、カフェがお茶を提供するように自然に、音楽を生めばいい、そうして愛されていればいいんだい……これは悟りです。菩提樹の下で仏陀が悟りを得て感じた法悦の心境に似た、音楽をしていく喜び、生きていく喜びを、玉置さんは知ったのでしょう。平和とかお金とか、そういう方面の課題を解決するという方面に真実はない……苦しい苦しい旅の末に、玉置さんはその心境に至ったのではないかとわたくし愚考いたします。
ボーカルだけの「いつでもそばにミュージック〜イエイ」で曲は唐突に終わり、次曲「田園」が間髪入れずにスタートします。これは、わたしたちに教えを説く気がないのかもしれません(笑)。釈迦の場合は悟りのあと水辺でスジャータが乳粥を布施して、梵天が釈迦に教えを説くように諭します、そんな穏やかな時間があったのだろうと思われますけども、玉置さんはそんな様子は全然見せません。これは先が読めません。ぜひ注視してまいりたいと思います。
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