曲は「スパン!」と実にこ気味のいいドラムの音から始まります。そして開放弦もまじえたメインリフが繰り返されます。これがこの曲全体のリズム、サウンドを象徴しており、「凡人」といえばこのリフ、これを弾けば(玉置ファンなら)誰もが「あっ「凡人」だ!」とわかる大きな特徴となっています。ですから、これが耳に残って仕方ないというわたくしのようなリフマニアにとっては、早くも一曲目にしてこの『ニセモノ』が名盤であることを確信させられた名リフとなっています。
さて歌が始まりまして、ポワンポワンとした、おそらく鍵盤と、後ノリのベースに乾いた音のドラムだけ、たまにギターでアオリが入るというシンプルな伴奏で玉置さんがハイテンションに歌います。元気のよい、という形容がピッタリ!簡単にいいますけどもこれが難しいんですよ。世の中にはどんな役を演じていても同じキャラにしかならない役者さんがいるのと同様に、どんな曲を歌っても同じ感情しか表現できていない歌手というのもいるのです。その点、玉置さんは元気のいい歌としんみりした曲はハッキリと表情が違います。これは冷静に考えるとおそるべき表現力であって、わたしら「ワインレッドの心」のしんみりした色っぽさと「真夜中すぎの恋」の劇的に元気のよい色っぽさをたて続けにくらってから約四十年も麻痺したまんまなんですが、世の中にはこんなとんでもない歌手もいるのでした。色っぽいのは変わんねえじゃねえかコノヤローとお𠮟りを受けるかもわかりませんが(笑)、いえいえいえ、玉置さんは「田園」という色っぽくない元気な曲も出しているではありませんか。さらには郷愁の「メロディー」、応援歌の「ルーキー」と、キャリアが積み重なるにつれてもはや人間の感情全方面にわたるのではないかというくらいバラエティ豊かな、それでいて曲想にズバリで鳥肌モノの感情表現を聴かせてくれます。
さてそんな元気のいいボーカルで歌われる世界は、何やら不思議なニオイに満ちています。裸になって文句がない?値うちがあるから見張る?お腹がすくからカッカッカッカッカッカッ?そして天国で踊り、そして落っこちる……ことによるとこれは恐ろしい曲なのかもしれません。底抜けに明るいアレンジに演奏なんですが、歌われているのはもしや……堕天使なのでは……。偽典とされる『エノク書』には、地上の人間を見張る使命をもった天使アザゼルが人間の娘にすっかり魅了され、なんと200人(?)の天使を率いて人間の娘と交わり、天国の秘密たる医療、呪術、金属加工法と武器製造法、染料の知識等を人間界にもたらしたとの記述があります。神からすればこれはとんでもない裏切りです。なにしろ職務放棄、秘密漏洩であり、しかも天使と人間の境界をぼやかしてしまうことによって神の秩序をこれでもかと乱したわけですから。まあ偽典なんでしたらマトモに取り合うようなものでもないんでしょうけども、神からしたら実にけしからん内容であるわけなのです。で、こんだけいろいろ書いておきながら、根拠は「天国」と「見張って」だけだという(笑)。
普通に考えて、裸になるというのは衣服を脱ぐことではなくて本気になるとか本音でぶつかるとかカッコつけずに素の自分で勝負するとかそういうことでしょう。それで素の自分に価値があるのならそう思って勝手に注視していればいい、こっちはもう腹くくってるんだから、自分のできることをするだけだ、という意思表明に思えます。もちろん腹ごしらえもしっかりしてカッカッカッカッカッカッ、うん、やっぱり謎だ(笑)。「カッカッカッカッカッカッ」が以前登場したのは「愛してるよ」なんですが、あのときも「ゲラゲラ笑ってりゃカッカッカッカッカッカッ」というやっぱりわからない描写でしたもので、謎は深まるばかりです。うーん、高笑いか、怒りかなんでしょうけども、どっちでもそれなり納得できるしどっちでもやや釈然としないものが残ります。「愛してるよ」に一か所、この「凡人」に二か所、それぞれ違う感情を表現しているのかもしれません。どれもが怒りと高笑いとがないまぜになった複雑すぎる心境を表しているのかもしれません。全方面感情表現と言いつつ、その方面がよく分らないものまでカバーされているとは想定しておりませんでしたが、そりゃわたしがわたしの語彙なり経験なりで表現できる感情しか歌われていないと考えるほうが不自然なのです。
さて曲はその複雑な「カッカッカッカッカッカッ」に導かれて天国から落っこちるサビへ、印象的な裏メロとそれに合いの手を入れる何やら鈴的な音に乗せて、天国で!踊り狂って!落っこちて!と印象的にもほどがある歌詞を叫び気味に歌い、あっというまに通り過ぎてイントロのリフに戻るのです。早い!この展開の早さはこれまでなかなかなかったように思います。
曲は二番、演奏にとくに一番と変わったところはありませんが……歌詞のほうは不可解さを増してゆきます。そしてボンクラ耳のわたくしいま気づきましたが、これ玉置さん二回(以上)歌って重ねてますね。一番に比べて二番のほうがやや揺らぎが大きいのかもしれません。23年も経ってやっと気づきました。遅い!だからちゃんとなんて聴いていなかったんですねえ、いま思えば。オジー・オズボーンが声を太くするためにダブルボーカルにしてるんだってインタビュー読んでましたから技法としてはもちろん知ってましたが、だから何なのオジーじゃ仕方ねえなくらいにしか思ってなかったんですね。まさか玉置さんが声を太くすることをねらってそんなことするわけねえだろって思ってますから、そもそも想定にないんです。普通に考えれば非力を補うだけじゃなくてもともと十分な力感をさらに増すとか、微妙な揺らぎを表現技法として取り入れるとか、使いどころはいくらでもあるんです。アタマが固いと人生損しますねえ、四半世紀もそこにあるものに気がつかないでいたんですから。ですから、虚心坦懐にというか、ただただ耳に聴こえてくるもの、胸に感じるものを思考のフィルターで減じないようにしたいものです。いやホントに。
眠れなくて明日が見えない……むう、それは続くようなら病院に行ったほうがいい……いやこれは結構マジです。玉置さん自身、心を病んでしまってひどく辛い思いをなさっていますから、睡眠によって頭をリセットすることの重要性をよくご存じで、それが出来ずに苦しんでいる人への思いやりもハンパではないでしょう。よくたやすいことを「朝飯前」というのですが、これ、たやすいから朝飯を食う前の力が弱っているときでもできてしまうという意味ではなく、朝飯前がいちばん物事をたやすく処理しやすいという意味なんじゃないかとわたくし思っております。睡眠によって昨日の些事はすっかり忘れてしまっていますから思考はクリアですし、早朝にはウザい連絡来ないし(笑)、血糖値が低いからかものごとを早く片づけて飯を食いたいと思ってますし。夜だと二時間かかることを三十分くらいでできてしまう感覚があるくらいです。ですから、眠れないというのは一大事、ほんとうに「明日が見えません」くらいの惨事だといえるでしょう。さっさと眠ってつまらないことは忘れ、名前があるんだかないんだかわからない人のいうことなどに惑わされず、金があるとかないとか、それでできるとかできないとか、イライラしちゃうとか高笑いしちゃうとかの思考を遮るノイズをいったんリセットして、クリアな状態で毎日を始めるべきなのです。そうすると……サビの「天国で踊り狂って」というのは、もしかして仕事の異様にはかどる早朝のことなのでは?(笑)。で、だんだん日常のノイズに支配されてゆくさまを「落っこちて」と……そんなわけあるかって思うんですが、まあ、ひとそれぞれ「天国」、つまり絶好調のときというものはあるものです。それがわたくしの場合は早朝だってだけのことで。そしてそこから落ちてゆく、その最中に雲にまじったり星をつかんだりする……つまり絶好調の間に重要なヒントを手に入れることが出来るというわけなんですが、この積み重ねこそが、「平凡」なとき、つまり通常時において「凡人」が十分なパフォーマンスを発揮できるコツなんだとわたくし考えております。
ひとは絶好調のとき、わたくしの場合は早朝なんですが、天才かって思うようなことができることがあります。そこでつかんだ星は人を驚かせ、他者から一目置かれるようになることさえあるでしょう。絶好調のときの産物だから、言ってみればマグレなんですけども、他者はそう思いません。ですから凡人は絶好調を維持して周囲の期待に応えようと、自己管理を行うようになります。「天国で暮ら」すために。
さて間奏に、非常に単純ながら印象に残るギターソロがありました。これ、やっぱり二本で弾いていると思います。この微妙な揺らぎとハーモニーが「カッカッカッカッカッカッ」に聴こえます。やはり高笑いのような、イラツキのような、そんなギターソロです。凡人なのに、天国で踊ってしまった、つまり神のような天才のようなパフォーマンスを見せてしまった、そりゃ有頂天にもなりますし、焦ってイラツキもするでしょう。おれは凡人なんだとわかっているからこそ、不似合いな世界に躍り出てしまったことによる高揚感と焦りはひどく心を消耗させます。「夢が醒めて」「平凡な男になって」……そうすればラクなんですが、それでも天国で暮らすためには、平素におけるパフォーマンスを高く維持するしかありません。なんか、どこかにないですかね、ムリしないで天国にいられる方法って。
さて、一ヶ月ばかりほとんどお休みさせていただいた当ブログですが、実はまだ完全復調というわけにはまいりません。やや頻度は落ちますが、それでも少しずつは前に進もうと思います。早朝とかに(笑)。
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難しいというか、大変というか、尊敬に値するというか
そんな気がしてきました。(笑)
楽に生きていきたい!!