曲は遠くからビヨビヨーン……タリララー……とギターが絡みながら近づいてくる様子から始まります。これ、のちの『安全地帯XI☆Starts☆「またね…。」』にみられるパターンですよね。古くは「SEK'K'EN=GO」にもこの原型を思わせる表現がありました。ああそうか、この『ニセモノ』は最初は安全地帯で作ろうとしたいたんだから、こういうことも起こるだろうな、と思わされます。
軽い音色のドラムにのせて硬質のクリーントーンギターが単音リフを奏で、絡んでいた遠きギターの謎めいた弛緩を引き締め、曲の緊張感を高めます。「んん〜」と玉置さんがうなり、ベースがドムーンムン!とエンジンをかけてからムムムムムムムム……と単音で突っ走りはじめ、玉置さんが『CAFE JAPAN』時代を思わせる掛け声で合いの手をいれます。うるさいアメ車で時速60-70キロくらいの突っ走り具合です。
さあ何かが始まるぜ!みんなカモン!おれのマシンに乗りこめ!って感じなんですが、歌詞をよくよく聴くとこれは断捨離の歌でした(笑)。玉置さんは、傍から見ているとどうもこういうリセット癖があるようで、あるときスパッと何もかもを捨ててイチから新しいものを作ろうとする性質があるように思えますが、歌にもそのような心境が垣間見えることがあるわけなのでした。
手あたりしだいやめる、何から何まで捨てる……やめたり捨てたりしたら楽になるような気がするんですが、そのあと「ガンバレ ガンバレ」です。何をガンバレとおっしゃるのか……やめることを?捨てることを?きっとそうなのでしょう。人間、保守的な生き物ですから、現状変更を嫌います。ですから、それを続けることで少しずつ状況が悪くなってきていても、なんとか最低限の成果があればそれを続けてしまうものなのです。だからガンバレガンバレ、そんなこと思い切ってやめてしまうんだ、捨ててしまうんだ、……。ムムムム……と疾走するベースに音の軽いドラムがすべてを振り切ってすべて壊しながら進むナイトクローラー(プリースト)のように、突進します。「ミョンミョーンミョン、ミョンミョーンミョン」と何の音かわからない、それでいて印象的なリフレインがこの「ガンバレ」の悲壮さを盛り立てます。
さらにもう一度、断捨離を促すパッセージが繰り返されます。無くしてしまえ、そんなことで死んだりするもんか、大丈夫だ、許せないなんて言ってないでスパンと許してしまえ、怒りも捨てるんだ……それで君は死ぬんじゃない、それで生きることが出来るんだ……ああいかん、何もかも捨てたくなってきました(笑)。ここのところ、まあ世情がそうなんでしょうけども、何かをしようとするとそれを邪魔する勢力が我が物顔でデカい声を出していますから、いちいち話すのも疲れてきました。もうトヘロスでも唱えたい気分なんですが現実にはトヘロスもせいすいもなく、ラダトーム(事務室)やガライ(会議室)に近づくとスライムベスやドラキーがレベルに関係なくエンカウントしてきますので、ウザいことこの上ないです。もう最初からやり直したほうがいい……いや、ゲームの話ですよ?ホントですって!
曲はささくれだったストラトキャスター的な音でギターソロが入ります。これは玉置さんなんじゃないかなと思います。そしてピコピコと鍵盤シンセらしき音が加わり「腹立たしい……そんなもんだー」と、怒りをこめておきながら最後にそんなもんだと諦めたような、一種独特のリラックスしたルーズな玉置さん一流の嘆き節が入ります。ここに、地味に「今も昔も」と、「古今東西」の「古今」が隠されているのも非常にオツです。
そしてまたギターソロ、こんどはレスポール系の粘っこい音です。これは音からして矢萩さんなんじゃないかなと思いますが、『CAFE JAPAN』や『JUNK LAND』における玉置さんのフレージングを思わせるところもありますので、判断が難しいところです。
そして歌は二番というか、ラストに向けた展開に入ります。今度はギターソロを挟まず直接ピコピコ入り嘆き節に入りますので、あっというまにラストまで突っ走る感覚があります。野を越えて山も越えて海も空も行く、ホントに突っ走ってます。「ところかまわず愛が行く」って、さすがの玉置さんも愛までも断捨離しようとは歌いません。ちょうどこの頃を作っているあたりで安藤さんと結婚なさっていましたので、考えようによってはリセットなさったわけなんですけども、そんな感覚はないでしょう。ひたすらに愛が行く、どこまでも愛が行く、真面目とか不真面目とかそんなのは周囲による評価であって自分の気持ちとは別のものだ……これはカッコいい!いや、周囲はたまったもんじゃないでしょうから、カッコいいと痺れてばかりもいられないし、見倣うことも勧めることもないんですが、この、ある意味で一途な境地は、なにもそれが愛でなくとも、自分の信じる道において到達したいと思わせてくれるものがあります。
そして曲はまたガンバレガンバレ、最後の嘆き節に入っていきます。この嘆き節の中に「西も東も」とまた「古今東西」の「東西」が隠されています。古今東西、人はいろんなことで嘆いてきました。肌淋しいと、嘆かわしいと、バカバカしくて忌々しいと。ホントに古今東西そうなので、いま自分がそのように嘆いたとしても「そんなもん」なんです。ウイリー・ウイリアムスがクマと対決したら、たぶん現代だと抗議電話が殺到するだけじゃ済まない騒ぎになることでしょう。昔はよかったのに今はダメなのかよと思わなくもありませんが、これもまた「そんなもん」なんです。そんな状況ではご都合主義な人とそうでない人は対立しますし、原理主義者とリアリストも対立するでしょう。そうして人類は筋違いの衝突を起こしながら、ずっとやってきたんだと思われます。「そんなもん」なのに嘆かわしいバカバカしいと嘆きたくもなります。
そしてまたギターソロ……これはこれまでに二回あったギターソロのうち、一回目のソロと似た音であるように思われます。うーん、わからん。何回も聴くとかえってわからなくなります(笑)。そして、『夢の都』のころを思わせるキメで曲が終わります。これはロックンロール!最後だけ!新旧の安全地帯サウンドが90年代でぷっつり切れているところに突如登場したようなサウンドとフレージングで、これは裏事情を知ってからだと胸の奥が暑くなるものがあります。もちろん当時はそんなこと知りませんでしたので、ぜんぜん気づきすらしませんでしたが……。
さて前回の記事からまた一か月ほどお休みいただいていまして今日やっと一つ書いたんですが、さらに一か月くらいはこんな感じでなかなか進めません。こんなわたくしでも本業という非常にやるせないものがございまして、どうにもこうにも動きようがないのです。そんなわけでして、またゆるゆるペースになります。ここ三年くらい頑張ったんだけどな……。もう七年とかやってますが、たまに数か月単位、へたすると年単位で休むことがあるのです。それでも続けてはおります。気が長いんです、わたくし。音楽の世界の広大さと奥深さを日々感じたり遠のいたりしながらも、ゆっくりとでも自分のささやかな一歩を進めてゆくんです。それがわたしなりの、何十年も尊い活動を続けているアーティストへの、ささやかなリスペクトの示し方なのです。
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断捨離はしませんが、リセットはたまにしたくなりますね。ノイズが増えて我慢ならなくなります。玉置メソッドではよくあることなんだと思いますが、音楽もみんな最初から作りたくなるし、仕事の書類も作り直したくなります。このブログも七年やってますから、最初の方はもう何考えてたんだかわからなくて、書き直したくなることもないではありません。きりがないのでやらないですが。
テレホンカードと留守電だけの時代にみんなで一年だけ戻ってみたらおもしろいのにな、と思います。案外コロナ騒ぎと同じで、やらなくていいことに気がついてしまうかもしれません。
こころの余裕がなくなる(マインドレスネス)と、そうなります。
スッキリしたくなるんですね。(そういう時はせっかちになってしまいます。)
たしか、玉置さん、携帯もやめたとか。
昔は、メール魔という噂も聞いたことがありましたが…。
自分なりに、活用はしてはいますが、実は、昔から携帯やめたかったりしてます。
メールで十分。荷物増えるし。(笑)
でも気長にいくことも大事だと感じていて、ようは、日々のバランス取りが大事なのかなと。「ガンバレ ガンバレ」