玉置浩二『LOVE SONG BLUE』九曲目、「LOVE SONG」です。先行シングルで、カップリングは「星になりたい」でした。
わたくしシングルって買わないことがけっこうあって(ビンボーでしたからアルバム出るまで我慢せざるを得ないことがしばしば)、この曲もこのアルバムで聴いたのが初聴でした。とはいえ、シングルだからさぞかしパンチある超絶哀愁バラードが来るに違いないと期待していたのです。そして、なんじゃこのアダルティーな感じ!ムード歌謡か!と驚きました。
曲はシングルですからってのも変ですが、コマーシャルです。一番売れそうです。ですが、売る気はなさそうです(笑)。というのは、お聴きになられた方はわかると思いますけども、当時一番のボリューム層であった若者向けではないのです。「DAYONE〜」とかいって若者にウケればミリオン連発の時代に玉置さんはそんなことをまったく考えず、ひたすら自分の中から出てくる音楽を形にしていたかのようです。これは若者が背伸びできる限界を軽々と超えていました。当時の若者がなんとか届くのは、この数年前に流行ったブラコン(ブラザーのほうではなく)くらいが限界でしょう。四小節ごとの大仰なキメ、艶やかなアルトサックス(Bob Zung)、悲しげに響くガットギターのアルペジオ、エレピの音……これは若者に経験のないレベルの哀愁と激情以外の何も感じられません。わたくし、この曲とDAYONEだったら、下手するとDAYONEのほうに近いメンタリティーだったんじゃないか……そんなの誇りに賭けてもイヤというか切腹しても認める気はないんですが(笑)、そのくらいこの曲は大人向けに感じられたのです。
「抱きしめたかった」という歌詞は簡単な感情を表しているように見えて、その実重かった……だってお子ちゃまはそこで止まりませんもん。そこで「何も言わずに」という心境になる相手もいません。「あー、あるある!せつないよねー」という感想が出てくるはずがなかったのです。正直、この曲の哀愁を直撃されるようになったのは、奇しくもというべきか自然の理としてそうだというべきか、このときの玉置さんの年齢(30代前半)に達したころでした。ぬおー!そうだそうだ!「両手いっぱいに抱えたガレキを川に流」す気分だ!とか、傍からは決して理解できない何かが通じてしまったのです。それ以来、この曲はわたくし的玉置ベストの常に一角を為すようになります。
エレピのアルペジオをバックにサックスソロのイントロ、ひたすら重いベースとエレキギター、鋭いドラム(THE SQUAREの長谷部さん)、これはムード歌謡などではありません。このズシーン!ズシーン!と堂に入った曲の構えはまるでヘビーメタル的ですがメタルではもちろんありません。メタルが若者のシリアスな怒りを込めた音楽だとするなら、この「LOVE SONG」はひたすらな大人の男の愛を込めた音楽だといえるでしょう。覚えておくんだ、ホンモノの男が女を愛するってのはこういうことなんだ……!とガツンと示してくる……やっぱりムード歌謡かも!(笑)。演奏を聴くとすべてにわたってロックの香りがしてきますので、どんな曲でも作れる玉置さんがムード歌謡的なものをつくって、それを精鋭のミュージシャンたちがピカイチの腕で支えロック風味に作り上げたモノといえばいくぶん正確かもしれません。
さて玉置さんのボーカルが始まり、ベースとエレピ、そして小さな音でガットギターが響く中、「カシュ!カシュ!」とパーカッションでリズムを取っています。二回目のAメロ(A’)でガットギターのアルペジオが目立ち始め、長田さんのクランチトーンが響き始め、曲は一気サビに入ります。
サビは「ほらあんなに」「まだどんなに」「いまこんなに」とリズムとメロディが完全に一体となった強力な音・声の塊を連続でぶつけてきます。これが記憶回路に直接叩き込むなみの威力をもって脳髄に迫ってくるのです。この異常なまでの威力をもってシングル曲として選ばれたといっても過言ではないでしょう。戦艦大和の主砲など撃ったら甲板にいる乗員が衝撃波で死んでしまうから全員室内に退避してから撃たなくてはならなかったから実は実戦であんまり撃てなかったという逸話を思いだすほどの破壊力です。「LOVE SONG」という歌詞はそれら一斉射撃のあとに放たれており、この破壊力抜群のサビの中にあってけっして主役とは言えない位置にいますが、いやいやどうして、主砲ではなく、対空砲としても使えた副砲なみのニクさです(笑)。
さて、曲は二番に入りまして、A’メロを一回だけ(オブリのガットギターが効く!)、そして曲はすぐにサビの繰り返し、間奏、サビ、アウトロへと向かっていきます。
「両手いっぱいに抱えたガレキ」とは、今ふたりを苦しめるもの、それなのに抱えていなくてはならないものすべてなのでしょう。ありていにいうと仕事とか家族とかなんだと思うんですが(笑)、さすがにそこまでは当時のわたくし想像が及んでおりませんで、オトナは大変なんだなーくらいに思っておりました。いやー、若いうちはいいんですよ、体力勝負だから体を動かしてりゃいいんです、少なくとも当時はそれでよかったんです。ですが、年齢を重ねますと、出るわ出るわ、いろんな体面とか体裁とかアリバイとかを揃えなくてはならないというまことに非生産的な仕事の山が!どの組織もクレーム恐怖症ですから仕方ないといや仕方ないんですが、もうちょっとなんとかならねえのこのガレキ!あんたらが腹切る覚悟あればぜんぶ要らないんだよこんなの!この腰抜け!と思うようなどうでもいい仕事が雪崩をうって迫ってきます。まさにガレキ、まさに自由になりたい、ぜんぶ川に流してしまおうか、まああいつらは腹切ることになるかもだけどそんなの知らんわ!って重荷がこのヤワな両肩にのしかかってくるのです。玉置さんが歌ってる「ガレキ」はもうちょっとロマンチックなやつのことだと思うんですけど、それはそれで非常にまずい修羅場が待ってますので、ここは比喩で説明したってことにさせていただきたいところです。ああおそろしい。
「夢」は小さく、それなのにかなわぬ遠いもの、「傷」も小さく、それなのに癒しきれない痛みを保ちつづけるもの、それらに比べてこの「愛」は大きく、どんなつらさからも寒さからも君を守るもの、この「LOVE SONG」は迷いなく君に贈る、いちばんやさしかった日々にいつだって君をすぐに戻すもの……といったように、関連あるんだかないんだか自分でも判然としない「小さい」に対する「大きい」、「つらい」に対する「やさしい」のように、行ったり来たりしながら愛を語るという仕掛けになっています。うーむ、この理路整然としていないのに愛だけは確信をもっていそうなところがリアルです。
さて間奏、これまでもサビを盛り上げてきたサックスですが(なんか、同じフレーズを全然吹いていない気がします、もしかしてぜんぶアドリブ一発で録ったんじゃないのかってくらいライブ感あります)、セオリーどおりというかなんというか、ほぼサビの歌メロと同じメロディーを情感たっぷりに吹きます。これが、アウトロのアドリブ感あるゴージャスなサックスソロと見事な対比を為していて、なんともいえない寂しさを感じさせます。あくまでわたくしの感覚なんですが、異様なくらいサックスの音がいいです。アルトサックスというのは人間の歌に近い表現力をもつ楽器だとわたくしは認識しておりますが、この両サックスソロは玉置さんの歌にぜんぜん負けていないくらいの超絶演奏であるように思えてなりません。サックス吹く人からすればえ?こんなの普通じゃん、ってくらいなのかもわかりませんけども……。
さてそんな超絶悲哀を演出する歌とサックスをたっぷり聴くことのできるこの曲なんですが、わたくしのクレーム予防仕事ごときではとうてい比喩にならぬほどのエレジー、ギリシャ語でいうところのエレゲイア、哀悼歌、挽歌、いやそれじゃ人が死んでるな(笑)、相聞っていうんですかね、このアルバムでいうと「SACRED LOVE」、のちの歌でいうと「出逢い」のような、愛しくてたまんないんだけど決して報われない愛を歌っているように思われます。「正義の味方」や「田園」のような、人生を歌った歌、応援歌的な歌が目立っていて、そう言及されるようになってきた玉置さんですけども、どうしてどうして、ラブソングというか恋愛系の歌も大進化して、このようなロマンチックで繊細なばかりでない歌を歌うようになっていたことを如実に示す傑作ラブソングであるといえるでしょう。
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