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安全地帯・玉置浩二の音楽を語るブログ、管理人のトバです。安全地帯・玉置浩二の音楽こそが至高!と信じ続けて四十年くらい経ちました。よくそんなに信じられるものだと、自分でも驚きです。
プロフィール

2023年05月09日

GRAND LOVE

GRAND LOVE [ 玉置浩二 ]

価格:2,614円
(2023/5/6 15:53時点)
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玉置浩二『GRAND LOVE』五曲目「GRAND LOVE」、アルバムのタイトルナンバーです。アルバムのタイトルナンバーがシングルでないのはいつものことなんですが、玉置さんの場合、シングルになった曲が一番ポップだとかコマーシャルだとかそういうことはなく、担当が分かれている感じです。コマーシャル担当のシングル、テーマ象徴担当のタイトルナンバー、これは出来がいいとか悪いとかでなく単に別々のことをしているわけです。もちろんメジャーレーベルと契約しているミュージシャンなんですからある程度売れないと困るでしょうけども、たぶん玉置さんはもうそういう心配あまりしてなさそうですし、当時もあんまりしてなかったんだと思います。わたくし玉置さんでないですから想像するしかないんですけど、一般的にというか、誰だってそういう心配しながら生きるってつまらないじゃないですか。沈むときは沈むんだから自分が信じたようにやるしかないんです。いざ沈むときに信じたようにやれてなかったと後悔しながら沈むなんてまっぴらゴメンです。

さてこの曲「GRAND LOVE」大いなる愛、壮大なる愛、遥かなる愛、地球の終わる日でもふたりで手を握り合って……的なハリウッドストーリーが語られるのかと一瞬心配しましたが、もちろんそんなことはなく「いつものカフェ」なんて癒し系な話でひと安心です。愛の偉大さ、壮大さはストーリーの派手さとは違うものであって、崖から落ちそうになっている君の手を腕がちぎれたって離すもんか的な想像しやすさによってのみ演出されるものではないわけです。玉置さんはそんな世相とはパーフェクトに無縁といっていい我が道を突っ走っていたといえるでしょう。いつものカフェにも大いなる愛はある、むしろ日常の風景の中にこそないとおかしい、くらいの思い切りでこの詞世界を描いたわけです。「足りないもの」は、実は足りています。不要だからです。冬の北大西洋に沈む豪華客船のデッキだろうが、地球に衝突する小惑星の上だろうが、いつものカフェだろうが、一定の空間であることには変わりませんので、どれかひとつの空間を特別扱いする理由はありません。それは「ウチら最強!」とかイキリまくってた90年代の若い人たちが自分でそう思っていただけでぜんぜん最強でなかったのと似ています。

ギター一本の弾き語りで始まるこの歌ですが、このギター何でしょうね?トーン的にはエレキなんですが、やけに箱鳴り的な残響をもち、さらに指で弾いたようなタッチで聴こえます。これは玉置さんがよく使っている薄いボディのエレガットかなと思うんですが、確証は持てません。はっきりしていることは、このアレンジに「足りないもの」はなく、玉置さんのボーカルとこのギターによって満ち足りているということなのです。なにせ、この記事を書くために聴き直して、歌が終わるまでギターしか伴奏がなかったことに気がついたくらいですから(笑)。いやすみません、これまで不真面目に聴いていたんじゃなくて、マジで気づかないまま四半世紀も経ってしまったのです。

良かったら、ゆっくりしてて、あったまったら、笑っておどけて……と、促音を駆使したというか玉置さん自身のリズムがここに促音を要求したからそういう詞を書いたのでしょうけども、絶妙のリズム感覚で歌とギターは続きます。

そして「あれこれと〜」と曲が展開します。ここ、曲の中に一回しかないメロディーなんですが、あまりに強烈すぎてこの曲のみならずアルバム全体を象徴するレベルで脳髄に叩き込まれます。伴奏がギターだけなのはすっかり認識し損ねていましたが。思いますに、このメロディー自体は別に奇異でもないし超絶メロディアスってわけでもないのです。ただ、Aメロとの対比によってその存在感が際立っているのだと、現時点では考えています。「良かっ〜たら〜」(タンターンタターン)のリズムと、後半下降するメロディーでゆったり来たのに、「あれこれ〜と〜」と「タタタタンターン」のリズム、そして下降せず複数回上昇するメロディーは下降のタイミングがこれまでより後ろにずれてきます。ひとことでいえば調子を変えた、たったこれだけのことなのですが、一体何がどうしてこんなに脳細胞が活性化するのかよくわからないくらいハッとさせられるのです。「スケジュール」があれほど単調な曲だったのに油断すると頭の中で鳴り響くのと似ています。

そしてゆったりの曲なのにスリリングなリズムで声フィルイン「できるなら〜ふたり」でサビに入ります。このリズムとメロディーの融合、さらにはストーリーテリングまでもが一体になった歌いっぷりはこのアルバムで顕著になった玉置さんの特徴なのですが、これ以上の表現ってあるんですかね……好きとか嫌いとかはもちろんあるんだと思いますが、表現の手法というか芸術の形態というか、歌を主体としたものとしてこれ以上の形は思いつきません。

そして語られるストーリーが「地球を回して」なのです。いや普通に考えればわたしらみんな地球に回されてるんですけども(笑)、そうじゃないんですね。地球だって回りたくて回っているのと違います。わたしらだってその上にいたくているわけじゃありません。ただ、大いなる力によってそうなっているだけであって、それは地球に作用する物理法則(ケプラーの法則)がわたしらに作用する物理法則(運動の法則)と同一のものであるというニュートンが発見し「万有引力の法則」と命名した事実を、さらに玉置さんが愛の法則も同一であると発見した……いやすみません、大いなる愛のことを壮大なスケールで書こうと思ってたら久しぶりに何を書いているのかわからなくなってきました(笑)。愛する二人が回転し地球をも回転させることによって球体マグヌス効果が発生し、「まぁーるく」なればなるほど発生する揚力が上がってゆき二人の愛はさらに高次元のものへと……とかムチャクチャなことを書こうと思っておりました。浮揚していってもらっちゃ困るんです。「いつまでも」「どこまでも」の美しい玉置さんの高音に酔いしれているうちにわたくし頭がバグったようです。

さて曲はブレイクを挟み、Aメロのリプライズになります。「LOVE SONG」の、調号を無視したかのような低音にドキッとさせられていると、ここからいきなりギターにあわせて美しいコーラス、ベース、ピアノによる演奏が入るのです。ちょうど一分、この「GRAND LOVE」のテーマをジャジーに、アドリブっぽく繰り返します。これは前作『JUNK LAND』において「おやすみチャチ」が「太陽さん」のテーマを繰り返すものであったことに似ています。違うのは「おやすみチャチ」が「太陽さん」から独立した曲であったことに対し、この「GRAND LOVE」は合体した一つの曲であることです。これが天才的なんですよね……思いつきませんよ、前作でこうしたから今作もこうしようかとは思いつくとしても、くっつけちゃってアウトロにしようかなんて。この美しいアウトロだけでもひとつの曲として聴くべきというか、驚きましたよ最初のころは。二回目に聴いてようやく理解したくらいです。ああ!これって一つの曲だったのか!まだまだ聴き込みが甘いなあ音の一つひとつが体に沁み込むまで聴かないとな……と思いつつも、時は容赦なく青年を氷河期の悲劇へと引きずり込んでいき、やがてそんな聴き方も難しい時代を迎えることになっていったのでした。

“GRAND LOVE" A LIFE IN MUSIC [ 玉置浩二 ]

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posted by toba2016 at 17:30| Comment(2) | TrackBack(0) | GRAND LOVE

2023年05月05日

HAPPY BIRTHDAY〜愛が生まれた〜

玉置浩二『GRAND LOVE』四曲目「HAPPY BIRTHDAY〜愛が生まれた〜」です。アルバムからのシングルカットで、これが14thシングルになります。カップリングはNHKみんなのうたで流れた「愛だったんだよ」でした。

いきなり余談ですが、わたくしこの名バラード「愛だったんだよ」はしばらく聴けていなかったのです。このとき20代でしばしば起こった超ビンボー期の真っただ中でしてこのときは特に酷く、家賃すらろくに払えてませんでした。NHKとか新聞屋が来るともちろん払えないから夜になっても電灯を点けず気配を消しているんです。「みんなのうた」も観る余裕がないのにどうしてNHKは容赦なく集金にくるのか……と筋違いの被害妄想すら抱く始末です。こうなると人間かなりヤバいですので、ためらわず助けを求めることをお勧めします。いま思うと氷河期の若者がモロに苦難をくらった初期の時代だったんですねえ。そんなわけでこのカップリング「愛だったんだよ」はのちの『BEST HARVEST』で初めて聴くことになりました。これもいずれ、『BEST HARVEST』のときにレビューしたいと思います。

さてこの曲「HAPPY BIRTHDAY〜愛が生まれた〜」は可愛らしいオルゴール風の音で始まります。間を置かず玉置さんの歌がすぐに入ります。ハッピーハッピーバースデートゥーユー?めでたい話なのにしんみりすぎる?なんと謎な雰囲気だ!とまず驚きます。「風にさらわれて」あたりで開発されたと思われるハモリと非ハモリのどちらが主役なのか全然わからない重層ボーカルによって曲はしみじみと進行していきます。

バスドラ、リム、スネア、それぞれおそろしく細心に響きをコントロールした音色のドラム、そのわりに遠慮なくブイーンブイーンと鳴りっぱなしのベース、合間を突くようにピアノ、エレキギターの単音フレーズやハーモニクス、使いどころを選んだ形跡ありまくりのアコギのストローク……『安全地帯IV』や『安全地帯V』のように繊細なアレンジと演奏です。一つひとつの音符が背負う役割が大きく、緊張感に耐えられず勢いで突っ走ったらその瞬間にこの世界は崩れ去るのが目に見えています。この張り詰めた音像にわたくしビビりつくし、Aメロの時点でもうボンヤリしていました。やらなければならない書き物のためキーボードをカチカチさせることすらためらわれて、あきらめてPCの電源を落としオーディオの前に座り込み耳を傾けたのでした。補足しておきますと当時のPCはとにかくデカくてうるさいんです。とても繊細な音楽なんて流していていいものじゃありません。

さて曲はハッピハッピーいうサビ的な箇所のほかに、もう一か所サビだろこの存在感はという箇所があります。ブリッジなんだとは思いますが、「風が強い朝も〜」の箇所は信じがたいほどのメロディアスさ、キャッチーさ、そして喉元に食い込んでくるような旋律の軌跡……しんみりの基調に似つかわしくない鋭さです。わたくし素肌に刃物を当てられたかと思いました。なんだこれは!これまでも玉置さんの曲には驚かされっぱなしで先行きの予想なんかいっぺんも当たったことがないくらいだったのですが、これはさらに予想なんてできるわけのない神の曲だったのです。

曲は愛しい人の誕生日を二人きりで祝うロマンチックなものなのに、わたくし自分の置かれてる境遇を思わされました。風が強い朝なんて幾度もあった、雨に濡れた夜も数えきれない、そんなときに愛する人のために何かをしようと思ったことがあっただろうか?こんなに誰かのことを自分のことのように慈しみ、いたわり、守ろうとしたことがあったか?自分が薄情であるとはあんまり思っておりませんでしたが、ここまでの強き愛を歌い上げられると、自分がペランペランの極薄な情の持ち主であると悟らざるを得ません。マジかよ、先祖代々の土地をはなれて新天地に渡りフロンティア精神をもってもろもろのシガラミにとらわれずダメなら次!次!と新しい社会を作った祖先をもつおれみたいなドライな北海道人には理解できねえ……いけねえ玉置さんも北海道人だった!じゃあおれが薄情なだけか!ぎゃふん!忘れないでベイベー!

曲はすぐに二番に入ります。今度は二人で泣いた夜です。誕生日の日にこれまでのよかったことも悲しかったことも思い出しているのでしょうか。そして星に祈るのです。どんなときでもそばにいると。ああいかん、生まれてこのかた星に祈るなどというメルヘンなことをしたためしがありません。それ以前に、どんなときもそばにいるなどと思ったことがありませんでした。飽きたら次!燃えなくなったら次!(笑)。ですから、愛するということはこういうことなのか!と玉置さんに教えてもらったといっても過言ではありません。プラスとかマイナスとか最初から考えない、すべてを許すというかそもそも計算にそんなもの入っていない、無条件に、ただただ愛おしむ、それが愛するってことなんだ!もちろんその貴重な教えも時を経るごとに忘れてゆき、2005年の「明かりの灯るところへ」でもう一度強烈な愛の在り方を松井さんにガツンとやられることになるわけですが。

「それだけ信じてほしい」と玉置さんの声が裏返る寸前のコントロールでギターソロの悲鳴のような音と入れ替わるあたりでもうわたくし失神寸前、あまりに自分と違う精神世界の魅力・威力に完全に圧倒されておりました。これはもう、凶悪犯罪者が拘置所で聖書の世界に出会うなみの衝撃と言っていいでしょう。

そして曲は「たとえどんなときも〜」をもう一度繰り返し、「今夜は〜(ペララペッラー!…キュイーン!)離さないよ〜」と悶絶もののボーカル・ギターのリレーをカマましてくれます。

そして曲はきもち大きめに入ったオルゴール音を背景にハッピハッピー〜を繰り返す極めて穏やかなエンディングに入っていきます。途中からはハッピーですらなく「La la la la」になり、一瞬ブレイク、「愛が生まれた」と曲のサブタイトルが謳われ口笛で消えてゆきます。いままで生まれてなかったのか?いや、愛が生まれた過程をいままで歌っていたのか?いずれにしろわたくしの知っている精神状態でないのは明らかでした。ここまでに心境に至ってはじめて愛が生まれたっていうのか!とボーゼン、大丈夫かよおれ、いままで生まれたことないんじゃないのか、カシアス内藤が一度も本気を出さずに東洋チャンピオンになったはいいけど、あっさりそのベルトを失ったなみの不完全燃焼なんじゃないのか、輪島戦だけちょっとマジになったけど!

そんなわけで、軽井沢に移転した玉置さんが大いにその愛の在り方をリフォームなさったことは明らかでした。安全地帯時代の刹那的でだからこそ燃え上がるような愛はすでになく、『あこがれ』のようなひたすらに内省的で激しい愛でもなく、相手あっての愛、「場」があっての愛、そして無条件な愛を教えてくれていたのです。年収がどうとか何歳までとか身長はこのくらいとかフィーリング(笑)が合うとか合わないとか、なんとしゃらくさいんだ!頭がいいから、足が速いから、ドッジボールが巧いから、そのくらいの理由で人気者になれる小学校と何が違うんだ?そうじゃない、成績が悪かろうと足が遅かろうとドッジボールがヘタだろうとなんだろうと、その子はまさに目の前で命を燃やして頑張っているじゃないか!それを尊重しないで何が人気者だ恥を知れ!くらいの気持ちになったわけです。おかげでちょっと成長しました。ちょっとですけども。

GRAND LOVE [ 玉置浩二 ]

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2023年04月22日

ルーキー

玉置浩二『GRAND LOVE』三曲目、「ルーキー」です。13rdシングルで、カップリングは「BELL」でした。

カラフルでド派手な『CAFE JAPAN』収録の「田園」が売り上げ歴代一位なのはもちろんなのですが、このモノトーンで地味目な『GRAND LOVE』収録の「ルーキー」もじつは侮れない売り上げがあったようで、玉置浩二歴代シングル売り上げランキングでは11位の渋い位置(本記事執筆時)を確保しています。巨人でいうと淡口憲治です。打率は二割台後半でありつつも長打率が驚異の四割越え(原、クロマティは三割台)、押しも押されぬ代打の切り札的な存在だといえるでしょう。巨人はなんで放出しちゃったんでしょうねえ(〇岡のかわり)。大洋ファンのわたくし、セリーグの代打に淡口がいなくなってだいぶ安堵しておりました。というか、そもそもこの歌は当時ルーキーだった高橋由伸選手のことを玉置さんが歌ったものであって、けっして淡口のような渋いベテラン代打選手のことではありませんでした(笑)。

さて曲はアコースティックギターが心地よいリズムを刻む弦のミュート音と、なにやらパーカッションの「カツカツポコ、スコーン!カツカツポコ、スコーン!」で始まります。こういう何の音かよくわからないパーカッションにもかなりこだわりをもって、自分のイメージに近い音を探していったんでしょう。当時は全然でしたが、わたくし最近玉置さんのパーカッションにだいぶ耳が行くようになりました。アレンジを外注したりバンドメンバーに任せたりせず全部自分で決めているであろう玉置ソロの音を、こうやってひとつひとつ有難がって聴くようになって、ようやく音楽の楽しみ方がわかってきたなあ、なんて思うのです。わたくしもう当時の玉置さんよりだいぶ年上になったんですけどね。天才の仕事というのは、こうやってしゃぶりつくさせていただきながら自分を高めてゆくことができるものなのです。若いころにはそこらのメジャーミュージシャンより自分のほうがいい音楽を作れるような気さえしていましたが、歳をとるにつれ世の中には自分など全く及びもつかないエクストリームな天才がいるということがわかって恐怖するようになってゆくものなのでしょう。

話はまだ前奏でした(笑)。刻みの裏に鍵盤のストロークが入り、強烈なスネアと玉置さんのシャウト(「カモン!」ですかね)を合図にシンセがメイン旋律を奏で、玉置さんが「オーオーオーオーオ」と歌ってシンセに合いの手を入れます。これは前曲「DANCE with MOON」でもみられた手法で、自分の声を歌でなく楽器に近い使い方をしています。楽器「玉置浩二」みたいな感じです。何言ってんだ「田園」も「MR.LONELY」もそうだったじゃねえか、とお思いになる方、正解です。でも、わたくしに言わせればあれらは歌だったんです。厳密にどこって境界線を引くのは無意味なことではあるんですが、このアルバムあたりから玉置さんの声はしばしば楽器として「鳴る」ようになったように思えるのです。歌とは違う声の使い方を駆使するようになって音楽の幅を広げたというか……案外ご本人はそこまで考えてなくていつも通りやってるだけ、という可能性が一番高いんですが、ともあれわたくしがそう思うようになったタイミングがこのアルバムだったのでした。

ギターが左右に広く振られていて、歌が入るタイミングで中央からも聴こえてくる、そしてベースがギターよりも狭い範囲で左右を行き来する、ドラムもベースとだいたい同じ範囲で左右に適度に振られているようで、中央から歌と弾き語りのアコギ、その周りをベースとドラム、さらにワイドにギターというバンドサウンドとしては標準的といや標準的なセッティングです。これは音がナチュラルなぶんゴマカシが極めて効きづらいと思われますが、シンセピコピコの音圧高めでゴマカシだらけだった平成前期の音楽業界にあってあえて同じ土俵に乗っているんじゃないかと思われる、難易度の高いミックス思想を採用したといえるでしょう。

やっと歌です。手を伸ばせば届きそうな星……これは東京ではムリな表現です。東京どころか札幌でもムリです。軽井沢にあって、「東京」読売ジャイアンツの高橋選手がつかむ栄光を視界良好で眺めながら作った歌だということが示唆されるのです。軽井沢がそんなに星がきれいに見えるかどうかまでは知りませんが(笑)。いっぺん二‐三日滞在したことがある程度で、星まで気が回りませんでした。これはいけません。そして慶応大学野球部でスター選手として活躍し鳴り物入りで巨人入りする高橋選手にも、余人がうかがい知ることができるものではないのですが、それまでにきっと数えきれないほどの悲しみがあって、人知れず辛酸をなめたに違いないのです。傍から見てる分には、後にまだ現役選手なのに半分ムリヤリ引退させられて監督にされちゃったことのほうがよほど気の毒なんですが。生えぬきスターを監督にすることにこだわる巨人軍のスター選手が負う宿命ともいえるでしょう。というか、松井があっさり移籍したとばっちりを食った形になったようにしか見えません。それも「数えきれない悲しみ」の一つなのでしょう。

そんなこんなで、シンプルにスネアは二連打だけ、バックにアコギのストロークを入れ、大声で「なんだって!」とフィルインを入れてサビに入ります。そうです、この「なんだって」がフィルインなのです。玉置さんはここにおいて、自分の声を歌と楽器(しかも旋律楽器と打楽器の両方)として同時に使うというとんでもない大技をかましてきたのでした。しかも続く「精一杯」がフィルインのつづきとも歌ともつかぬシームレスな役割を果たしており、聴くほうも違和感全くなくサビ気分に移行することができるのです。おそるべし……思えば、近いことはやはり「MR.LONELY」でも起こっており、サビ前の「オオオオッオー!」はフィルイン的でしたがその後が「何もないけど」と完全に歌に切り替わっていたのに対して、この「ルーキー」ではその続きさえもフィルイン的でもあり歌的でもあるという進化を遂げているのです。

さてサビで歌われるのは、頑張っている君をみるとなぜか涙が出てくる、だから僕も君のためならなんだってするよ、という応援する気満々の歌詞です。これ、歳をとればとるほどよくわかります。なぜか他人事じゃないんですよ。わたしにとって高橋由伸選手は一つか二つ年下なだけの同年代の選手で、彼が巨人で何をしようとも完全に他人事でしたが(笑)、選手たちより上の年代になってから、若い人たちが頑張っている姿をみていると妙にジーンと来ることがあるのです。おいおいそんなに頑張っちゃって!もうおじさん感動しちゃって何でもしてやるからな!頑張れガンバレ、でも頑張りすぎるな、おれたち君の老後までは面倒見れない無責任な立場なんだからな!だからせめて今は応援するよ!という気持ちですかね、ムリヤリことばに直すとすれば。玉置さんはこのとき(シングル発売時)40直前、不惑にさしかかるときでした。落ち着いた生活、制作環境を手に入れたことによって紛れもなくルーキーを応援する立場、心境に至ったのだとじわじわと思わされます。じんわり感慨にふけっていると「飛んで行く!」とまた歌声フィルインで曲は切れ味鋭いアコギストロークのリフで短い間奏から二番へと入っていきます。

突然ですがここの「歩き回った」「曲がりくねった」って、みなさん歌えますか。わたくし実は歌えないのです。音程かリズムか、どっちかかならず失敗します。右四つに組めなかった時の荒勢なみにコケます。玉置さんは歌手なのですから比べたって仕方ないのですが、どういう活舌とリズム感してんだ!とちょっと驚かされるポイントだよーとわたくしがドヤ顔で紹介しているわけなのですが、けっこうみんなこの程度はサラッと歌えてしまって、単にわたくしが歌がドヘタだったとバレるリスクを冒してまで文章を書こうとしているくらいもうネタがない(笑)、いやいやまだ曲は中盤でしたね、がんばります。

今度のサビは「頑張ってやっていたあの頃」と、「君」ではなく自分のことを思い出して、自分も若いころあんなに苦労して精力を傾けていたからわかるんだよ君のこと、と高橋選手の頑張りに全力で受容・共感を示しています。玉置さんはそりゃボロボロになるまで頑張って、ボロボロから立ち直ってここまで来ていますから並大抵じゃないというか、日本の有名バンドマンで随一じゃないですか?ここまでとことん完全燃焼して燃えつきて、また這い上がって全力燃焼できている人なんて。野球選手でいうと(またこのパターンだ!)巨人の吉村、大洋の遠藤……ロッテの村田……いやピンときませんね。それぞれ奇跡的な大復活を遂げてはいますが、玉置さんの復活のほうがスゲえとわたくし思っておりますんで。ですから、玉置さんにこうやって応援されるということは、わたくしにとって往年の名選手を超える奇跡の復活を遂げたなみのとてつもないことなのです。それがあんな形で引退させられて、しかも監督としては十分な成績を残せずにまた原かよ……と思わずにはいられません。いや、原監督に恨みがあるわけじゃないんです(笑)。大洋のエース遠藤の後輩ですから!でもあなたは神奈川のスターなんですから巨人など断って地元の球団に入ってもよかったんじゃないですか?(45年前の恨み節)そんなこと言ったら高橋選手だって高校時代は桐蔭なんですから(以下略)。ちなみに玉置さんは巨人ファンだそうですから、ここに書いてあるのは100パーセントわたくしトバの願望であって、玉置さんの意向とは全く無関係であることをここにお断りしておきます。

さてなんのこと書いてるのかよくわからなくなってきましたが、「どうにかやってきた」経験と自信があるからこそ、「僕だってまだやれる」と玉置さんは力強く高橋さんを励ますのです。傍観者じゃない、大上段の指導者じゃない、一緒に険しい山を登っている求道者同士であって、自分が先達として後進を励ましつつ自分も登っているという姿勢を示します。前にも後ろにも誰もいない坂道を、人間は登れないものです。先を行ってくれる人がいて、そして後ろから来てくれる人がいてはじめて、人間は辛い道を前に進めるのです。玉置さんは音楽界での経験からそのことをよく知っているからこそ、プロ一年目のルーキーたる高橋選手にそういう姿勢を示すことによって強い強いエールを送ろうとしたのだと思われます。

そして曲は間奏のギターソロ、フレーズとしては非常に簡単です。音は異常にナイスですが、はっきりいってなんてことないソロです。ですが、「オ、オ、オ、オーオ、オオオオオ」という声楽器によってすべてが回収されるこの間奏になんと似つかわしく簡素で適切なソロであることか……超速弾きしちゃうぜ超ブルージーな泣きを入れるぜとか、そういうギタリスト的な野心が全くなさそうな玉置さんだからこそできる、声楽器と一体になって並び立つとんでもないソロです。ギタリストだと逆にこれはできないと思います。

「なんだって」と声フィルインからサビ二連発、倒れそうだって〜這いつくばってだって〜君のためなら……いや泥んこになったって?一番よりもっとひどいことになってる!それでも支えるんだ、力になるんだ!

「うまくいかんくたって」……『JUNK LAND』あたりから、こういう日本語としてちょっとおかしい言葉を歌詞に使う傾向が鮮明になってきていますが、リズムと語感に説得力がありすぎますから、これを日本語としておかしいと指摘するのはあまりに野暮すぎます。歌詞カードみて冷静に考える時間をもたなければそんなツッコミ入れることすら思いつかないでしょう。このブロークン日本語はそれくらい凄まじい必然性があるのです。英語ではAren'tをAin'tとブロークンにいうことがありますが、それに相当するものだと考えると納得がいきます。

君のためならいつだって……何するんだろう?笑って(い)よう?笑うだけかい?なんてツッコミも思いつかないくらい玉置さんがニコニコ元気でいてくれることを思い浮かべるとこちらも元気になってきます。「太陽みたいに笑う君はどこだい」と、この五年前に松井さんが書いた歌詞(光GENJIの「勇気100%」)に対する玉置さんからの返答なんじゃないかと思い、わたくししばし呆然として、涙が出ました。五郎ちゃん、俺やっとわかったよ、俺はいまここにいて、太陽みたいに笑っているよ、だから安心してねって玉置さんが言っているんじゃないかと思い……でも実はそんなこと全然なくて、この曲はやっぱり高橋由伸選手への応援歌なのでした(笑)。

「(高橋選手のために)笑ってよう」と繰り返し、曲はアウトロへ、エレキギター、シンセ、声が次々にリードをとり、最後にフェードアウトせず「ジャーン!」と終わります。わたくしの大好きなパターンです。だから玉置ソロシングル11位なんて全然納得いかない!(笑)1−3位あたりはもうどうしようもないのはわかってるから、4位くらいにはなってくれよ!と思わずにはいられない名曲なのでした。

GRAND LOVE [ 玉置浩二 ]

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2023年04月15日

DANCE with MOON

GRAND LOVE [ 玉置浩二 ]

価格:2,759円
(2023/4/8 13:52時点)
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玉置浩二『GRAND LOVE』二曲目、「DANCE with MOON」です。

この曲は一聴すればわかりますが、とにかく起伏というものが感じられにくい平坦な、淡々とした曲です。英雄もない貴族もない、ついでにAメロもBメロもサビもないって感じです。いや、ちゃんと展開があって起伏もあるんですけど、最初はわかんなかったです。ここだここだ、ここでグワーッとくる!あ、あれ?来ない?の繰り返しで裏切られ感が強かったのでした。ウィトゲンシュタインが子どものボール遊びを見ているとサッカーやってるようにみえたがそのうちラグビーになりバスケットボールになり……おいおいルールはどうした?どうなってんだ?と困惑したというエピソードがありますが、それに近いものがあります。いうまでもなく子どもはただ楽しく遊んでいるだけであって、そこにルールがあってなんらか既存の競技が成立していなくてはならないのにしてないから困惑するというのは、見ている側の勝手な想定であるわけです。

さて曲はバスドラとリムの音でカッカカカ……カッカカカ……と単調なリズムから始まります。そしてなにやら玉置さんの囁き声とともに低音のストリング的な音、単音のガットギター、そしてうすーくコードストロークしてるギターらしき音にピアノ、スネアを伴い始めたバスドラに合わせたすごく控えめなベース、そして何やら意味のないことばを喋っているラップ的なボイスと、なにやらカオスで暗い雰囲気をどんどん増してゆき、そのままボーカルが入ります。

「月の砂漠をゆくんだろう」、むむ、これは「砂の街」的なラブソングだろうか?などと思っていると、どんどん「だろう」「だろう」「だろう」と推測四連発をくらいます。それぞれが互いに関連があるとは思えない乱れた思考の直撃をくらい、あやうく一ラウンドでダウンを取られそうになっていまいます。え?え?あれ?ドーン!です。後から考えれば「月」「星」は同じグループ、「ボタン」「シューズ」も同じグループと、全く関連がないわけでもありませんが、それでも何を言っているのかわからない感覚はいまだ残っています。これは思いますに、言っていることはわかるんです。歌詞そのままです。ですがわたしたちは歌詞全体で語るストーリーがあると想定しているからそれが見えないとズッコケるわけです。

そもそもは「DANCE with MOON」月と踊るというのがわからないといやわからないのです。夜空に月が出ています、月は黄道上を東から西に移動します、その間雲に隠れたり出てきたりします。明るかったり暗かったりします。そのわずかな変化にあわせてダンスする……いやそんなわけねえだろ(笑)。つまり、ダンスというのはじっさいに舞踊するわけではなく、何か(エロ?)の比喩であるか、たんなるイメージ描写であるわけなのです。

さてそんな意味があるのかないのかの情景が切り替わり、歌はBメロに入っていきます。英雄、貴族、独裁者と、コルシカ生まれの革命児から欧州の皇帝に登りつめたナポレオン・ボナパルトを思わせますがたぶん何も関係はありません。ここは「ない」三連発によって否定された「シューズ」が君にピッタリであること以外は特に重要ではありません。しいて言えばシューズがピッタリであるかどうかという肉体的条件に適合するかしないかには社会的権威など意味がないということを示唆しているかもしれません。このように意味はそんなにないんですけども、玉置さんが歌うと強い!そうだ!英雄も貴族もないんだ!独裁者でもどうしようもあるものか!という気持ちにさせられて、このBメロを気がついたら口ずさんでしまうのです。なぜだ、意味がないのに(笑)。これが歌の魅力、玉置さんの音楽の力なのでしょう。歌詞をみて意味を推測しているようではまだまだ、それがメロディー、リズム、楽器の演奏と一体的に表現されたときに生じる表現力のすべてを味わい尽くすところからはまだほど遠いといわなくてはならないでしょう。玉置さんが歌詞を自分で書くようになってからその魅力がみるみる増してきたわけなのですが、このアルバムではとうとう最高レベルに達したということができるでしょう。なにしろ曲を他人に書かせちゃうくらいですから、音楽の魅力を最高度にするためにはそれすら厭わなくなってきたわけです。

そして間奏、なにやらサスティンのないシンセパッド的な音でこの曲のメインテーマたるAメロのメロディーが奏でられ、音が歪み気味のギターの音色をバックに合の手に玉置さんの物憂げな「アアー」という声が入ります。これもAメロBメロ間奏、という定番の構成といえばそうなんですが、間奏がおまけ的な存在ではなくて、ボーカルが入っていないだけの強力なパート、むしろメインなんじゃないかと思えてきます。

そして歌は二番へ。風の街、太陽の塔、どこにあるのかさっぱりわかりませんが(万博会場?)、はるか遠くまで彷徨い、むなしい成果しか得られなかったことが思わされます。おそらくピッタリのシューズはどこにもなかったのでしょう。

僕にピッタリのシューズ……むむ!(意味深)メダルがない?シューズにメダルなんかあるか!サイズがない?シューズなのにサイズがない?なにそれ?華やかさ?ふつうのシューズだろ?と「シューズ」を文字通りに受け取ると全く意味が分かりません。ですが歌の力音楽の魅力でねじ伏せられるように感動させられてしまいます。そうだメダルなんかいらない……僕がほしかったのはそんな世間とか社会とかの基準で評価されているものじゃないくて僕にピッタリな……ここにおいてようやく理解します。というか思い当たるものに推測が至ります。これは男女の相性とか、あるいは生活様式といったものの比喩なのでしょう。具体的にいうと安藤さんと始めた軽井沢における音楽生活が、当時の玉置さんにいかにピタッとはまっていたのかが偲ばれます。

そしてまたメインなみの存在感を示す間奏、これがほんとにズシっと柱のように曲全体を支えているようにさえ思えてきます。最初に思いついたのここなんじゃないですかねってくらいです。

そして最後の歌の入る「〜だろう〜だろう」部分、月、時、星、これらは曲の冒頭と同じモチーフです。そんななか、君は抱かれて月と踊るのでした。君が抱かれているのですから僕が抱いているのでしょう。でもそんなことは全然書かれていませんので、なんだか遠く、それこそ月とか星くらいから……は大げさとしても、視界の中に月、星、そして「君」「僕」がおさまるくらいの広角レンズ的な視界から眺めているような錯覚に陥ります。もちろんねらってそうしたんでしょうけども、あまり深く考えないでこうなったんじゃないかと思えてくる天才ぶりだとも言えます。

ドラムのリズムは「〜ない」でダダン!とアクセントが入るくらいで、だいたいずっと同じです。ベースがドムドムンと雰囲気を変えてはきますけども、基本単調です。宗派によってたまに裏拍が入る読経くらいの単調さです。これで凡百の曲なら眠くなること必至でしょう。それが終始ものすごい緊張感でアウトロまで一気に駆け抜けます。これは眠れませんでした。とりわけ間奏には初聴時から度肝を抜かれました。歌詞もよくわかんねえけどすげえ!(笑)くらいには思っておりました。

シン!と張り詰めた静寂さがこれまでになかったといえばいえる前曲「願い」は、まあ、それでも玉置さんが作りそうな曲ではあったのです。ですが、この「DANCE with MOON」はその想定をだいぶ超えてきました。「ROOTS」と「闇をロマンスにして」を合体させて発展させたような感覚です。もちろんランダムに組み合わせを決めるのならその音像を予想できなくもないですが、よりによってその二つを足すか?とたまげてしまったのでした。ベートーベンの交響曲六番と九番はみんな知っているのに七番八番はあんまり知られていないのに似ていて、マニアな魅力がたっぷり詰まっています。この先このアルバムはますます探究者を引き付ける魅力を放って行くのでした。

GRAND LOVE [ 玉置浩二 ]

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2023年04月01日

願い

GRAND LOVE [ 玉置浩二 ]

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玉置浩二『GRAND LOVE』一曲目、「願い」です。

Music by Koji Tamaki, Satoko Ando

これは歴史的なクレジットです。玉置さんがほかの人と一緒に曲を作った?いや、作ったことくらいあるでしょうけども、共作を安全地帯・玉置浩二名義で発表するのは初めてのことだったのです。ましてやそれを玉置さんが歌うなど!わたくし衝撃を受けました。恥ずかしながら軽井沢に移住したことも知らなかったし、安藤さんと恋仲というか音楽を一緒に作るほどのパートナーになるほどの仲だったことにも気がついていませんでした。プライベートのことは全然知らず、しかしこれまでの安全地帯、玉置浩二の音楽を知っているからこそ、この衝撃は大きかったのです。

そしてその衝撃は流れてくるサウンドでさらに増幅され、わたしの五臓六腑に波及していきました。静謐に始まるシンプルなドラム、ガットギターの響き、飾りのないベースの音……これは!『カリント工場の煙突の上に』の復活じゃないか!そう思いました。ですが、もちろん『カリント工場の煙突の上に』とはいろいろ違っています。なにより違うのは、流麗なピアノです。詳しくないですがスタンウェイの音じゃないですかね?わたしが作る曲でスタンウェイのシミュレート音を使うとこんな感じになりますが……そこは詳しくて耳のいい人に教えてほしいです。そして低音高音がきれいに混じって響くこのフレージング!このピアノこそが軽井沢時代の玉置作品を特徴づけるもの、別の言いかたをすれば安藤さんこそが玉置さんの音楽を決定的に変えたわけなのです。

「ほとんどあれはさっちゃんの曲なんだ」(『幸せになるために生まれてきたんだから』より)

志田さんがこの本を出してくれなければ知り得なかったことなのですが、これは共作をはじめて歌ったどころでなく、他人の歌を歌ってはじめて自分名義で出した、という大事件だったのです。玉置さんは安藤さんの作曲・演奏に惚れこみ、安藤さんの曲を歌って自分のアルバムで発表しちゃうだけでなく、安藤さんのアルバムをもプロデュースしてしまいます。「この人とは音楽ができるなって思った。さっちゃんは音楽を作れる仲間だと思った。そういうやつが欲しかった」(同上より)。いやいや玉置さんいっぱいいるでしょ!矢萩さんとか武沢さんとか!星さんとか!実際いっぱいいて、その仲間たちでつくった安全地帯が壊れ、玉置さんは孤独の底に叩き落されたような気分から須藤さんと一緒に再出発をしてここまで来ていたのでした。そこでまた「音楽を作れる仲間」安藤さんと出会えたのは、これはもう運命としか言いようがないでしょう。

なお、矢萩さんはこの後この二人に合流しますし、六土さん田中さんもツアーメンバーとして帯同してくれます。さらには武沢さんもコンサートで少しずつ混ざってくれるようになります。コンサートっていうのはステージの上が全てじゃないですからね。むしろステージの上はごく一部で、リハに移動にとほとんど年単位で付き合いますから、もう一緒に生活するようなもんなんです。ジョンはヨーコといることでビートルズを壊すような恰好になってしまったわけですが、玉置さんの場合は逆に安藤さんがいてくれることで安全地帯も復活していったんじゃないかと思えるほどに安藤さんの存在は人間関係にも音楽にもプラスに働いた、壊れたままになっていたものを修復する作用があったかのようです。もちろん全部偶然ってこともあり得るんですけども、偶然だっていいっす!安藤さんありがとう!

音楽を一緒に作れる仲間というのは得難いものでして、えてして自分だけが作っているような錯覚に陥りがちですし、仲間の作ったところが自分の作ったものをダメにしているような感覚さえ覚えます。ですから、基本的には一人でやったほうが気が楽なんです。ですから、玉置さんと安藤さんはよほど波長が合ったのでしょう。ヘビメタ雑誌のインタビューでは「ケミストリー(化学反応)」があったとよく海外ミュージシャンがインタビューで話していますけども(ドッケン再結成とかで。ウソつけ!付き合わされたミックとジェフが気の毒だよ)、玉置さんと安藤さんにもまさにそのケミストリーがあって、形成された結晶群がこのアルバムであり、とりわけこの「願い」が純度の高い結晶だったといってもいいでしょう。

ピアノもギターも、ベースもドラムも音が全体的にクリアで生々しいです。『カリント工場の煙突の上に』も決して悪くないんですが、このシン!と張り詰めた感じ、背景を防音壁やノイズリダクションでわざと無音にした感じでなくホントに静かなところで演奏しているんじゃないだろうか?いくら軽井沢ったって……静謐すぎるだろうと思わされます(ちなみに実際行ってみると軽井沢はすごい賑わいです)。

「すみれの花……」と玉置さんの歌が始まり、ゾワワ!と逆毛立ったんじゃないかと思いました。耳元で歌われているんじゃないかと思ったからです。なんだこれ?たぶんわたくしプレイヤーにCDをかけてコーヒーかなんか淹れに行ったんだと思いますが、思わず動きが止まりました。電子的なリバーブを使ってないから?歌い方に何か根本的な変化があったから?ミックスの方法論が違うから?何が何なのかよくわかりませんが、この驚異的なボーカルサウンドにすっかりノックアウトされたのでした。

そして歌われるのは、野に並んで咲くすみれ、森に響くつぐみの声、そんな素朴すぎる小さな愛の世界でした。ふたりでそっと暮らしていこうか、生きてゆこうか……なんという!なんというささやかで温かいメッセージ!恋の罪とか恋の罠とかは完全に昔の話、なんと玉置さん、安藤さんという得難いパートナーを得てサウンド面では『カリント工場の煙突の上に』と『JUNK LAND』を、詞の世界面では『あこがれ』と『CAFE JAPAN』『JUNK LAND』をなめらかにしなやかに融合させて、新境地を作り上げてしまったのでした。過去のパターンの組み合わせだろ?予想できたじゃないか何をいまさら驚く?いや驚きますよ。恥ずかしながらまったくこの方向性は見当もつきませんでした。あとから冷静に考えて「こう来たか!」ともう一度驚くくらいなのです。巨人からFAで出てゆくというビックリな離れ業を演じた駒田が中核となるマシンガン打線が試合のどこかで火を噴き、最終回を大魔神佐々木が点差を守るという黄金パターンでいきなり優勝した横浜のように、ものごとには組み合わせの妙というものがあって、それがピタリとハマると(横浜だけに)とんでもない輝きを発するものだと誰もが驚いたあの1998年、わたしは部屋でひとりこの「願い」を聴き呆然としていたのでした。大丈夫か!まだ一曲目だぞ!

そして「いつまでもいっしょに〜」と、なんだか縮こまったというか、伸びやかなところのない旋律で玉置さんが震えるようにささやかな願いを歌います。そしてそれが歌の一番二番の切り替わる箇所になっています。いわゆるサビらしきサビでは全然ありませんが、位置的にはサビです。玉置さんの曲ではいつものことなのですがABサビなどという形式にはぜんぜん囚われることなく、曲は必殺の口笛を含む間奏でメインテーマを続けつつ二番に進みます。ここらあたりでストリングスくるでしょとか当時は予想していて外れたので驚いた記憶があります。曲はただただ静かにゆっくりと、歌ってないのに愛してるとわかる!というもはやエスパーじみた強力な曲の説得力を発揮しつつ、素朴ながらに強い祈り、願い、愛を紡いでいきます。

「雪割草」とはまた郷愁を誘う言葉!きっと北海道の雪の下から顔を出すフキノトウのことだろう……なんと健気な!と玉置さんとほぼ同郷であるわたくし、すっかり感じ入って二番の歌詞世界に入り込んでおりました。しかし、いま調べて知ったのですが、ぜんぜん別の植物でした(笑)。読むと、北陸以北の日本海側本州に分布するようで、どうもここでいう「ふるさと」とは北海道のことではないように思います。ついでにいうと軽井沢も該当地域に入らないような……これは現地でないとわかりません。北陸や羽後地方でなくても長野県北東部では雪割草と呼ぶ花が咲くのでしょうか?知っている方は教えていただけると幸いです。

玉置さんはここにおいて北海道以外を「ふるさと」と歌う心境に至った、いや歌なんだからべつにハイビスカスとか歌っても構わないんですけども、これまで玉置さんが歌ったふるさとは旭川、北海道を明確に意図していたとわたくし思っておりますもので、これはいささかショックというか、玉置さんの心境の変化・進化・深化が進んでいたことを伺わされたのです。そもそもこれまでもぜんぜん北海道とか意図としていませんでしたという可能性もなくはないのですが。

「ずっと二人で歩いてゆこう」

「暮らしていこう」「生きてゆこう」に続いて「歩いてゆこう」ですか……いや、誰でも思いつく歌詞なんですけども、けっして陳腐ではありません。「恋の罪も恋の罠も」「真夏の夢」「ステキな夢」とやはり誰でも思いつきそうな言葉を用いているのにぜんぜん陳腐に聴こえてない陽水マジックを彷彿とさせます。玉置さんの歌詞は前作までにかなりこなれてきて、わたくし玉置さんの歌詞に心酔するまでに至ったわけなのですが、この「願い」では、陽水さんの域に達したのではないか……とまで思わされました。ところでこの1998年、陽水さんはというと『九段』をリリースしておりまして、わたくしいまだに未聴なのでした。しまった!そんなわけでいま注文しました(笑)。90年代の陽水さんと玉置さんがどのような歩みをたどったのか、四半世紀を経て陽水さんの側からも考察してみたいと思います。

そして曲は最後のサビ……いやAメロ……あーもう!(笑)この素晴らしいセクションを繰り返して終わります。「願い」という曲タイトルがここにようやく登場するのですが、なんとその願いは自分のことではなく、地球全体に愛があふれることなのでした。なんと!この愛は……どなたか存じませんがある特定の女性(すっとぼけ)への愛ではなく大自然への愛で、それを人間の愛に喩えて表現していた?いやいやいやそんなバカな?でもそうとしか読めませんよね。ここには恋の罪も恋の罠もありません。さみしい夜に開く古い宝石箱もありません。ただただ、「風のように自然に」「花のようにやさしく」紡がれる愛なのです。そして人間同士の愛も究極的には大自然の愛なのだから、草も花も風も、そして男女も(笑)、そんな愛で世界を満たすのがいちばんハッピーに決まっているよね?という玉置さんの穏やかな笑顔を見るような歌だったのです。これはびっくり。なにがビックリって、その世界理解がです。もはやこれは仏陀(また仏教ネタ)にも似た、悟りの境地を示す歌だったのでした。

仏の目には英雄も貴族も独裁者もみな同じ、人間を分かつのは自然の仕組みでなくいつも俗世の業に満ちた傾向性のようなもので……ああいかん、次の歌の解説に入ってしまいそうですんで、今回はこのくらいで。

GRAND LOVE [ 玉置浩二 ]

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2023年03月19日

『GRAND LOVE』

GRAND LOVE [ 玉置浩二 ]

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玉置浩二7thアルバム『GRAND LOVE』です。発売は1998年五月、ファンハウスへの移籍、軽井沢への移住と、完全に心機一転、環境一新、さらに須藤さんと袂を分かち体制まで大改革という、とんでもない変化が起こっていました。聖飢魔IIがこの二年前にやはりソニーからBMGに移籍しており、そのBMGと合併するかしないかくらいの頃だったファンハウスに聖飢魔IIを追うかのように(追ってないと思います)玉置さんは移籍したのでした。聞き及ぶ範囲ではソニーに比べてさまざまな体制が整っていなかったBMGでは、それまで当たり前だったものが未整備で、制作やプロモーションの勝手に大きな変化があったそうです。玉置さんもまた……というか、玉置さんはおそらく望んでそういう環境に飛び込んでいったんじゃないかと思われます。レコーディングは軽井沢のウッドストック・スタジオで玉置・安藤(・矢萩)の二〜三人体制、スタッフはいるにはいても、ほとんど手作りでどんどん録音してしまってゆく玉置さんは、そうしたくてしていたのだと思いますが、むしろ楽しんでいたんじゃないでしょうか。

金子洋平さんが見つけて、玉置さんに紹介した、いまはなきウッドストック・スタジオ、ここを拠点に玉置さんはいくつものアルバムを作り、安全地帯を復活させていきます。98年に『GRAND LOVE』発表、翌月に薬師丸さんとお別れし、そして翌年には安藤さんと結婚しています。まあ、その頃にはさすがにこの人と結婚するんだろうねくらいにはわかっていましたが。その作り上げたサウンドは素朴で美しく、まるで『カリント工場の煙突の上に』まで時計の針を巻き戻したかのようなアコースティックな響きをもっていました。そうか、玉置さん、またギター一本からやり直すんだ……と、強烈なリセット感を感じたものです。その背景に、玉置さんの病気や、東京での音楽生活への不適応、軽井沢への移住などのあったことは予想すらしていませんでした。ただただ、玉置さんの精神に何事か大きな変化が起こっていることのみを感じていたのでした。

では、一曲ずつの紹介を。
1.「願い」アコギとピアノのバラードです。安藤さんとの共同作曲名義で驚きました。
2.「DANCE with MOON」ミディアムテンポの陰鬱系ポップスです。わたくしこのアルバムでこの曲が一番好きかもしれません。
3.「ルーキー」先行シングルで、爽快なアコギロックです。玉置さんから高橋由伸選手への応援歌でした。
4.「HAPPY BIRTHDAY〜愛が生まれた〜」スローテンポの陰鬱バラードです。「ハッピー」なのに陰鬱です(笑)。曲と歌の巧みさに息をのみます。のちにシングルカットされました。
5.「GRAND LOVE」前半はほぼアコギのみの伴奏でしんみりと歌われるこれまた陰鬱ながらにひたすらに穏やかなバラードです。その後ギター、ベース、ピアノのインスト曲が合体してる形でメインテーマが一分ほど奏でられます。
6.「RIVER」けだるいながらに安心感のただようスローテンポのポップスです。
7.「カモン」ミディアムテンポの不思議系ポップスです。このアルバム、だいたい不思議か陰鬱かなんで、そんな言い方ばっかりです。
8.「BELL」シングル「ルーキー」のカップリングです。「ルーキー」に負けない勢いのあるロック曲です。ただし陰鬱です(笑)。
9.「RELAX」またまたミディアムテンポの不思議系ポップスです。
10.「ワルツ」なんと安藤さんのみの作曲クレジット!わたくしひっくり返りました。ひたすら安心しきっている様子のわかるピアノバラードです。
11.「フォトグラフ」アコギのバラード、わたくし最初に気に入ったのはこの曲でした。歌詞が耳にこびりついて離れませんでした。フォトグラフが赤茶けたなんて!いつまでも青空なんて!
12.「ぼくらは…」陰鬱さの感じられない人生前向きバラードの曲なんですが、歌詞には無常観が漂っています。このあやういアンバランスさのなかに玉置さんは一種の安心を見いだしたのだとわかります。

安藤さんとの生活で「俺の精神が安定してきた」「そしたら音楽自体も変わった」(『幸せになるために生まれてきたんだから』より)と玉置さんは語ります。たしかに安定しています。ですが、上の短いレビューで何度も申し上げたことですが、曲がいちいちダウナー系なんです。玉置さんはずっと上下の激しい方でそれが魅力でもあったわけですが、このアルバム以降、軽井沢時代はおおむねダウナー系で安定していきます。いや安定しなくていいです!もっと激しく上下してわたしを楽しませてください!と思わなくもないんですが(笑)、それは聴くだけの人間の勝手な望みであって、肝心の玉置さんがもう限界だったのでしょう。なにしろ、安全地帯の「ワインレッドの心」から「じれったい」まで一気に走り抜けてきた三年半と同じく、『カリント工場の煙突の上に』から『JUNK LAND』まで三年半で走り抜けたのですから。

それでも、一聴してよい曲だ!と思わせる曲が多かったので、これは聴き込めば割と早めに全曲いい曲だ!という状態に至れるだろう、という目算の立ったアルバムでした。この当時わたくし思い切り人生の岐路にありまして、このアルバムを何周聴いたかわからないくらいリピートでかけっぱなしにして、気がついたら日が暮れてる、夜が明けてる、という生活を何か月も続けました。さすがにこれは精神がもたない!少し歩こう!と近所のスーパーに出かけ、「だんご三兄弟」の流れるスーパーをボヤっと冷やかして歩き、なんとそのままカゴをもって店を出てしまい、あわてて店内に戻って会計をするというくらい夢うつつだったのです。これはヤバい!と何度も自分をビンタしましたが、気がつくとまたボンヤリ、『GRAND LOVE』の永遠リピートする部屋に何日もこもっていました。あ、いや、べつに引きこもりとかでなくて、在宅ですべきことがあったのでそうしていただけなんですけども、さすがに精神と身体にかなりよろしくない影響がありました。噂にきく締め切り前の漫画家のような生活です。この酷い生活を支えてくれたのがこのアルバム……というか、このアルバムのせいでダウナー系になったのか、なんだかもうわかりませんでした。さすがに飯は食わないといけませんから、テレビのある部屋に少しだけ戻って、衛星放送で絶不調に陥った野茂を見ながらカップ麺とか食ってました。ガンバレ野茂、ガンバレ野茂、おれも頑張るから……ふう、と食事終了、また『GRAND LOVE』の部屋に戻って……ですから「ルーキー」が高橋由伸選手のことだということも知らないままでした。

そしてまんまと早々に「全曲いい曲だ」と思うに至ったのでしたが、こんなに集中的に聴きこんだアルバムは久しぶり、いや初めてだったかもしれません。いまちょっと試しに流してみましたが、音符の一つひとつまで感覚を覚えています。ここまでわかるのはほかに安全地帯II、III、IVくらいのものだと思います。

さてこのアルバム、歌詞カードには軽井沢で撮られたらしき写真がいくつも収められています。玉置さんが森林の中を歩く写真、廃車の上で何やらポーズをとる写真、そして大きく見開きで青空の下冠雪の山をバックに撮られた写真があります。いまですと、ああ、こりゃ軽井沢の別荘地だなとか、こりゃ浅間山だなとかわかるんですが、当時はいったいどこなのかわかりませんでした。クレジットをよく読めば「WOODSTOOK KARUIZAWA STUDIO」と書いてあるんですが、そこまで細かく読んでませんでしたし。なにしろファンハウスに変わったことすらあとから気づいたくらいでしたから。ほとんど前情報なしにこのアルバムを聴き、そのサウンドの変化に驚き、「Satoko Ando」のクレジットを見て腰を抜かし、そのまま永遠リピート期間に入ってしまったので、とにかく外から情報を全く入れないで聴きこむことができたのです。当時は死にそうでしたが(笑)、聴き込み経験値の上がった得難い時間でもあったのでした。

GRAND LOVE [ 玉置浩二 ]

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2023年03月05日

しあわせのランプ


玉置浩二『JUNK LAND』十四曲目、「しあわせのランプ」です。本アルバムはこの圧巻の名バラード曲で幕を閉じます。なお、七年後の2004年に再レコーディング、シングルとして出されたという珍しい曲でもあります。

「しあーわーせにー」と玉置さんが歌い始めてすぐに右に左に複数本のアコギ、安藤さんのピアノ、須藤さんのベース、そして薄くパーカッションで分厚いながらもあっさり風味な演奏です。

生まれてきたのはなんのためか?誰もが一度は陥る深い悩みに、玉置さんは「幸せになるために」とズバッと答えて歌います。この時点でもうハートがっちりわしづかみ、いままでそんな悩みも忘れていたのに悩める子羊へと一気にフォームチェンジして玉置さんの歌に耳を傾けます。「好きな人と……一緒に……」の裏でギターが「シャラララン……シャラララン……」と鈴のように響きますよね。わたくしこれにぬう!と衝撃を受け(すみません、こと安全地帯と玉置浩二にはいとも簡単に衝撃を受けるんですわたくし)、初聴時にすでにギターさわっていたと記憶しています。このように、歌詞でもギターでも序盤で完全にノックアウト、このアルバムが始めから終わりまで文句の付け所のない大名盤であることを知ったのでした。

空ばかり見て暮らしていた

友達が毎日入れ替わりで集まってくれた

どんなことしたって食っていけるんだから一緒に農業やろう

大丈夫、大丈夫、好きな人たちと、好きなことをやっていればいい、大丈夫

大切なことはいまわからなくたっていい、いまわからないなんて当たり前、わかってくるものなんだから

(おもに『幸せになるために生まれてきたんだから』より)

そう、これは、玉置さんが傷つき静養していた旭川でお母さんが言ってくれたこと、そして玉置さん自身が体験し体得していったことを表現する、魂の歌詞だったのです。お母さんの金言をリスナーのみんなにも伝えたいな、という玉置さんの思いや願いもあったのでしょう。そして、そのお母さんの言葉を玉置さん自身が理解し、咀嚼して今度は自分の言葉として伝える側になったということも意味します。ここにおいて玉置さんが、安全地帯崩壊の衝撃で負った傷を癒し完全復活、いやむしろパワーアップして再登場したという奇跡を、再登場から四年経ったこの時期、すでに『田園』の成功を経て復活が誰の目にも明らかになっているこの時期にようやく鮮明に表現したというエポックメイキングな曲であったといえるでしょう。

Aメロの途中から時折スネアが入ってましたが、Bメロからはバスドラも入り、曲を盛り上げていきます。サビからはシンバルも入りと、だんだんリズムが強くなっていくにつれてわたしたちの感情も高ぶっていきます。

Bメロ、ホワンホワンとしたシンセが入り、「やりきれなくなった時は〜」という条件節でBメロという単位を意味の上でも音楽の流れの上でも埋めていきます。これは意識的にそうしたのか無意識的な天才の技なのか、むむむ、やりきれなくなった時はどうなるんだ?どうしたらいいんだ?なんて言ってくれるんだろう?と期待値が爆上がりになります。

曲はサビに入りこの空を見上げて……のちの「からっぽの心で」に通じる空の効果は、旭川での静養を経て玉置さん自身が体感したことなのでしょう。「納屋の空」で幸せに……幸せに……と絶叫した空、「青い”なす”畑」の上に「カリント工場の煙突の上に」広がる青い青い空、玉置さんが何かに困ったとき、詰まってしまったとき、苦しいとき、幾度も空を見上げて「やさしかった頃」を思って笑ったのでしょう。奇跡のアルバム『カリント工場の煙突の上に』において始まった玉置さんの再生劇、そしてその後の『LOVE SONG BLUE』『CAFE JAPAN』そしてこの『JUNK LAND』の、落ち込んだ日本全体を励まし勇気づける大ヒット作「田園」を含む新時代玉置ソロ三部作、すべてを総括する見事なエンディングバラード、いやもうホントに見事としかいいようのない曲です。

「笑っていなさい」というやさしい導きとともに曲はすぐに間奏のギターソロへ入ります。このギターも最初は矢萩さんが弾いたんじゃないかと思ってクレジットを見ましたがそんなことはなく、玉置さんが弾いたのだとわかります。「矢萩が弾いてもおれが弾いた感じ」とすっかり自信満々に語っていた玉置さん、いやほんとにその域に迫っていますよこれは!矢萩マジックかなり効いています。泣きの、いや号泣のソロです。

ダダン!ダン!とブレイクが入り、伴奏はホワンホワン……玉置さんがここで一瞬弱音ともとれる愛を歌います。僕には君がいなけりゃダメなんだ……あれ、いままで支える側だったんでないの?いつのまに入れ替わっている?と思わされるかもしれません。ですが、これはごく当たり前のことなんですが、玉置さんは神ではありませんし、わたしたちの誰も神ではないのです。支え支えられている関係にある、人間同士なのです。もしも君のランプがなけりゃ……この「しあわせのランプ」は、持っている人が幸せでなければ消えてしまい、その人の幸せによって自らを奮い立たせていた人が、なんのために自分はここで頑張っているんだろう、どうしたらいいんだろうと、「闇に迷う」ハメになるのです。わかりやすい例でいうと親子がそうですね。親は子どもが幸せでいてくれたらそれでいい、自分はそのために、それを支えるために生きている、それが生きがいになっているわけですが、子どもが不幸のどん底に落ち込んでいたら、自分は何のために生きているのかよくわからなくなります。ですから必死に支えようとするのです。玉置さんのお母さんもきっと、そんな思いを込めてどん底の玉置さんを支えたのでしょう……玉置さんは少しずつ少しずつ、自分が生かされている存在であると同時に誰かを生かしているのだと身に沁みてわかっていき、その過程で支え支えられる存在としてのゆるぎない自分を確立していったのでしょう。この歌は、そんな新生玉置さんの悟り、願いをそのまま歌にしてしまったわけで、玉置さん復活の奇跡をもっともよく表す曲を選べといわれたらわたくし、「カリント工場の煙突の上に」でも「メロディー」でも「田園」でもなく、迷わずこの「しあわせのランプ」を選ぶでしょう。

平成の中期ごろから特に政治的メッセージの「自立」が目立つようになってきました。たぶん、いまの若い人も小さいころからこの自立しろしろビームをくらいまくって育っていますから、すこしは心を痛めつつもそれが当たり前な気がしているんじゃないかと思います。ですが当時は、やれ自立した女性だのやれ障害者が自立する支援をするだのと、まるでいま「自立」していないみたいな言いぐさで激しく違和感を覚えたものです。なにしろ「自立」とはカネを稼ぐことだと言わんばかりですから、簡単に納得なんかできるわけがありません。じゃあ株の取り引きとかで大儲けしている天才トレーダーは「自立」しているわけですよね?たとえ自分一人ではおしっこができなくて後ろから誰かに抱えてもらって「シーシー」って言ってもらわないとできない人でも、夜になったらかならずお母さんに電話してちょっとしたことでも慰めてもらわないと不安で寝れない人でも、カネさえ稼いでいれば「自立」しているということになりますかね?明らかにそういうことを言う人が言っているのはカネのことだけなんですから、そんな状態でも「自立」していると自信をもって答えなくてはおかしいのです。でもそんなの「自立」っていうの変じゃない?と思うのが自然な感覚ですよね。誰もが支え支えられていて、その関係が成り立っていることを「自立」っていうのでなければ、仮にカネは稼いでなくても、自分では下の世話はできなくても、お母さんに添い寝してもらわないといけなくても、自分のできることで誰かを支えているのならそれは「自立」っていうのでなければ、世の中の誰も自立なんかしていないことにならないとおかしいのです。ハア?わたしはわたしのお給料ですべてを賄っていますし下の世話も自分でできますし誰にも精神的に依存してませんだあ?お前の飯はぜんぶ自分で育てたか狩猟してきたものか?お前の排泄物はおまえんちの庭に埋めるのか?そんなわけあるか!自立がきいて呆れるぜ!とまあ、日本という社会の経済システムとか社会インフラとかの恩恵を無視して話すのはまったくナンセンスです。ついでにいうとかりに完全孤独で自給自足の生活を送ったところで、太陽さんの恵みを無視して「自立」などと言い張るのも噴飯ものでしょう。この支え支えられる関係に誰もが生きている、ときには死者でさえ誰かを支えている、少なくとも現代先進国ではそういう関係性の中でしか生きられないし、「自立」なんてその範囲内でしか成り立たないのですから、ことさらカネのことだけを取り上げるのは無根拠だしアンフェアなのです。誰かが配られたカードの中で「じゃあ今からこれを一番強いカードってことにしようぜー」と叫んでいるようなもので、恣意的で卑怯な思惑しかそこには存在しません。そんな世界だなんて、わたしたちが人間としての誇りを捨てて信じてやる義理はまったくありません。

だから、「僕には君がいなけりゃ ダメさ」と叫んだっていいのです。そう叫びながら、励ますメッセージを送っていいのです。僕は君を力いっぱい支えるよ、だって君は僕の生きる希望なんだから。君のランプが消えてしまったら僕はもうどうしたらいいかわからない、だから君が笑顔でいられるように、幸せだっていって笑っていられるように、僕はなんだってするよ……これは、小賢しい政治的メッセージ「自立」などとは無縁の、人間本来の愛ですし生きる姿でしょう。人間、誰かを支えるためでなければ頑張り通せないものです。自分だけのために何十年も頑張れないですよ、少なくとも私はムリです。ホームレスにならない自信がありません。大事な人たちを支えるために、そして大事な人が振り向けばいつもそこにいて力を与えられるように、だから何十年も、へたすりゃ自分が年老いてもうあと何年も楽しむ時間がなくなってしまうとほとんどわかっていても、頑張れるんです。親たちがそうして生きてくれたからこそ、わたしたちもそう生きて生かされるんです。そうしているからこそ堕ちずに暮らしていられるわけですから、支えているつもりで実は支えられているのです。そして玉置さんにとっては頑張るものが歌だった、音楽だった、そしてそれが超特級天下一品の歌であり音楽であったというわけです。

曲はJUN TAKEUCHI STRINGSのストリングスが入り最高潮、最後のサビに入ります。「めぐりあった頃」のことを思い逢いたくなります。逢っていいんです。「さみしいよって言って戻って」きていいんです。めぐり逢ったからには、すでに支え支えられる関係にあると知っているのですから、それはもう頼っていいのです。頼られすぎるのも処理能力の限界というものがありますから何でもはしてあげられませんけど、頼られたら悪いことにはしません。ほとんどの人は基本的にはやさしいのです。わたしたちはそういう生き物だからです。「さみしいよ」「戻ってきなさい」と歌う玉置さんの声が、わたしたちすべてを広い空から包み、そういうやさしい世界を彩ってゆくように響きます。ぶ、仏陀か!あんた仏陀か!悟りの朝に泉のほとりでスジャータから差し出された乳粥を食べその名前を訊く仏陀のように支え支えられる関係を認め合い慈しみ合う、美しい世界に温かい太陽の光が降り注ぐかのように、ただただ美しい人間の愛がごく自然にシンプルな形でここには顕在化しているのです。

曲はさらにもう一度、「幸せになるために生まれてきたんだから」と、のちに志田歩さんが本のタイトルにしたその美しい愛を歌います。好きな人と一緒にいなさい、たとえそれがわたしでなくたっていい、あなたが幸せなのがわたしの幸せなのだから、あなたもわたしもそのために生まれてきたんだから、ただ蜜蜂が花の間を飛び交うように支え合い、ただ吹く風が青い空を作っているように当たり前に、自然に生きていこう……アウトロの玉置さんの声、ギター、ベース、重ねられるピアノとパーカッション、それを包むストリングス……ジャララン……と弾き下ろされるアコギで終わってゆくこの曲は、渾身の思いで、それでいて後光差す仏陀のように穏やかな心で作られたものだとわたくし信じているのです。

さて……このアルバムも終わりました。ホッとしました。かつて「黄昏はまだ遠く」の記事を書き上げて満足したわたくし、次の区切りは「しあわせのランプ」だなーとボンヤリ思っていたのですが、ようやくたどり着きました。次の区切りは何になるんでしょうかね。ソロ活動の区切り的には『スペード』のラスト「どうなってもいい」なんですが、受けた衝撃の大きさでいうとその次にあたる『安全地帯IX』の一曲目「スタートライン」か、軽井沢時代の終わる「からっぽの心で(Instrumental)」のほうが大きかったです。まあ、またニ〜三年かかると思いますが、さしあたりなんとなくそのあたりを目指して頑張ってまいりたいと思います。

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2023年02月25日

おやすみチャチ(Instrumental)


玉置浩二『JUNK LAND』十三曲目、「おやすみチャチ(Instrumental)」です。

玉置さんの「お願いします、ワン、ツー、スリー(だんだん声が小さくなる)」から始まるガットギター二本の織りなす美しい「太陽さん」のテーマ、ここにJUN TAKEUCHI STRINGSのストリングスが絡み、ため息の出るような美しい合奏になっています。ギターは二本とも玉置さんが弾いてるでしょうから、誰にお願いしたのかはよくわからないんですが(卓かな?でももう録音スタートしてるから玉置さんの声が入っているわけで)、目の前でこんなセッションあったら腰が抜けるだろってくらいの臨場感たっぷりな一分半になります。

だいたいメロディー弾きとアルペジオの二本なんですが、たまにメロディー弾きで二本が絡むことがあります。それが同じ音程だったりハモった音程だったりします。ですが、ガットギターだととくに顕著なんですが、同じ音程を弾いても同じ音って出ないんですよ。ちょっと押弦の強さが違うとか右手のほうが指のテンションが違うとか、物理的な要因はそんなところだと思うんですが、この「おやすみチャチ」でも微妙にブレた音が重なり合っているのがわかります。

で、ここが不思議なことなんですが、この微妙な違いが膨らみというか厚さというか、気持ちのよい音を生み出す効果があるのです。たぶんコーラス効果とかダブリング効果とかいって物理的な説明のつくものなのだと思いますが、わたくしよくはわかっておりません。エフェクターのコーラスも原理は同じだよと聞いたこともあるのですが、それがどうして気持ちがよいのかは結局は人間の性質なのでしょう、よくわからないのです。

ビートルズの歌もジョンとポールと二人でそれぞれ微妙に違うボーカルラインを歌っているから気持ちがいいと、何かで読んだこともあります。何も別人でなくても、一人で二回録音すれば似たような効果が出るのも知っています。でも、この曲がなぜこんなに心地よいかは結局は誰にもわからないのでしょう。わたしがお遊戯とか盆踊りとかさんざんなこと言っている(笑)アイドルグループの歌も、みんなで歌うからある程度聴くにたえる歌になっているのだと思われます。もちろんわざわざは聴きませんが。

そんな心地よいガットギターのコーラスにより、曲は「太陽さん」のテーマ、正確には「太陽さん」のアウトロに使われたテーマを二回繰り返します。二回目にはストリングスが入ってえもいわれぬ空間の広がり……まるで眠ってしまった猫を菜の花畑にそっと寝かせて、空の青と花の黄のコントラストを遥かに見渡すかのような……歌詞カードですとそこになにやら白煙をもうもうと上げる禍々しい工場がデンと居座っているわけですが、そんなスケールの広さを感じさせます。

亡くなってしまった愛猫チャチに捧げる曲だと聞いた記憶があるのですが、玉置さんのイメージではもしかしたら広い広い菜の花畑にチャチを葬り、おやすみといって広い菜の花畑を歩く、そして夜になってチャチの上に満天の星が輝く、というイメージでこのテーマをお作りになったのかもしれません。そしてこのテーマから「太陽さん」が生まれ、ほかの曲も次々にできていき、このアルバムは完成した、ということなんじゃないかと、このブログ特有の妄想大爆発で思惟を巡らせております。

なお、このギター、ストリングス、そしてこの曲には含まれていない安藤さんのピアノは、のちのセルフカバーアルバム『ワインレッドの心』の原型イメージになった音なんじゃないかとわたくし勝手に思っております。この音でもう一度安全地帯の曲をやってみたいなあ、となんとなく思っているところに、安藤さんが「安全地帯の曲やろうよ、みんな呼んでさ」と声をかけたからこそ、矢萩さん田中さん六土さんが加わったあの奇跡のアルバムが誕生したのだとわたくし勝手に思っております。よーしこの勢いで安全地帯復活のニューアルバム作っちゃうぞーと作り始めたのが、あとから思い直してぜんぶ自分で録りなおしてソロ名義で出すというビックリなことをした『ニセモノ』なんだと思うのです。

玉置さんはこの後安藤さんとともに軽井沢時代に突入し、そのような活動をして安全地帯復活に三歩進んで二歩下がるような過程を歩むのですが、そのドラマはこの曲「おやすみチャチ」ですでに示唆されていたのではないか、と思われるのです。

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2023年02月23日

MR.LONELY


玉置浩二『JUNK LAND』十二曲目、「MR.LONELY」です。先行シングルで、カップリングは「FIGHT OH」でした。ゴールドディスクではありますが、前シングル「田園」に比べると1/4〜1/5の出荷枚数です。売り上げはガクッと落ちましたが、わたくしこれは「田園」をしのぐ超名作だと思っております。なおフジテレビのドラマ『こんな恋の話』主題歌だったそうです。

さて曲はポーン!(ズッズッパ!ズッズッパ!)ポポーン!(ズッズッパ!ズッズッパ!)とギターのハーモニクスのような音にパーカッションをかぶせて始まります。玉置さんの「オーオオー」という高音の歌にアコギのアルペジオ、安藤さんのピアノとなにやら鍵盤系のシンセの合奏でイントロからAメロBメロまで突っ切ります。サビ前からエフェクトシンバルを合図に始まるドラムと、須藤さんのグギー!グギー!!と歪んだベースが入りますが、演奏は間奏でエレキギター、終盤にうすいストリングスが入るよりほかにはこれ以上楽器を増やすことなくいたってシンプルに、ただただ玉置さんのボーカルを聴かせてくれます。

さて歌詞ですが、これが涙モノです。焦らず驕らず、淡々とできることをやってゆく……去っていってしまった君のことを思い、君のために、ずっとここで同じように暮らしている、待っているという内容なのです。人には帰るところが必要なのだと愛をこめて全力で表現した『カリント工場の煙突の上に』から約四年、今度は玉置さん自身が誰かの「帰るところ」になろうと奮闘している様子が歌われているのです。次々曲の「しあわせのランプ」における寂しかったら帰ってきなさいというメッセージと相まって、反則級の切なさを演出しているのです。当然、「君」は帰ってくるか来ないかはわかりません。帰ってくるかもしれませんから、そのときに帰る場所がないと困るだろうと、一人で淡々と暮らす寂しい男、ミスター・ロンリーであるわけです。「こんな僕でもやれること」とは、そんな、「君」の帰る場所をつくることなのではないだろうか、とわたくしには思えるのです。

「君」が捨てて出てゆくような場所で、「何もない」と思われがちな場所なのでしょう。典型的にはさびれた田舎の市町村を去る若者のことを指していると考えるのがいちばんイメージに合います。そこはもう、基本的に無関心で特には何もしない住民が、地域を活性化させるぞ!と使命感に燃える人と公的補助金をねらう都会の業者が勝手にいろいろやって当たり前に無為に終わっている(補助金の大半は都会にスイーと流れる)のを横目で見ているというキッツい地獄絵図になっています。地域活性化というのはそういう公金まみれのイベントで派手にやった感を出しても基本は一時のことで、活性化なんてするわけないですからね……コツコツと、やれることをやるしかないというか、そもそも活性化なんてねらってできるものではありません。誰もがそれぞれの思惑でそれぞれのすることをコツコツとする、そういう人がたくさんいることで結果として「活性化」しているわけです。無関心派もそれが何となくわかっているからこそ淡々としているといってもいいでしょう。

そこで「君」の帰る場所を守りつづけようとするミスターロンリーは、周囲から何やってんだあいつ、この街がいまどんなことになっているのかわかってないのか?(活性化派)、何やってんだあいつ、あんなことしたって無駄だってわからないのか(無関心派)、まあ素人が何したって何にもなりませんよ(業者)と、フルボッコです。なんなんだ、おれはおれで勝手にやるんだからほっといてくれよ、と思いつつも悔しくて涙をこらえます。

「オオオオーオー!」と高音の掛け声から曲はサビへ、何にもない、でも野に咲く花はある、その花のようにいつでもささやかに力強く生きてゆく……それは悲しき決意表明です。「君が優しかったから」なんて、そんな思い出にすぎないものを理由に、帰ってくるかもしれない「君」の帰る場所を守るんだ、と歌います。その声は歌の内容の通り力強く、悲愴で、それでいてあたたかいのです。こんな複雑な感情を見事に表現する声、そしてその根底には底抜けの愛と善意が溢れている声、こんな声がかつてあったでしょうか。そしてこれほどまでに玉置さんの声が生きる曲をかつて玉置さんは作っていたでしょうか。これまでも名曲がキラ星のごとくズラッとたて続けに存在していました。そのどれもが玉置さんの声が最も生きる、最もその内実に迫る曲だ!という最高傑作ばかりだったのですが、今度ばかりはこの曲以上のものはないんじゃないかと思われるほどの徹底ぶり、肉薄ぶりです。こ、こりゃ最高傑作だろ……と毎回思わされるんですが、さすがにこれ以上はもう……という限界が見えた感すらあったのです。まあ、次々曲の「しあわせのランプ」で早くもその予想は裏切られるわけですが(笑)。まだまだ先があった!玉置さんあんたどこまでいくの!とこのときは恐怖すら感じたものです。

さて曲はイントロに戻りまして「オーオオ」、そして二番に入っていきます。「人の気持ちになって」心が痛むなら、それは共感なのです。わたしたちは共感の力によって生きているといっても過言でないくらい、共感の生き物です。共感するからこそ人を愛し、憎み、哀れみ、大きなエネルギーをもって事態を解決しようとします。これはきっと、わたしたちがホモエレクトゥスとかいうサルでウホウホやってきたころからそうだったのでしょう。だからこそわたしたちは幾度もあった絶滅の危機を集団で乗り切り、壮絶な淘汰と自然選択により現代人類へと進化を遂げてきたのです。「空気が読める・読めない」なんて、現代人類の間では無意味な差しかありません。わたしたちはみな空気を読むスーパーエリートであるからこそ、現代にまで生き延びているのですから。そんなわたしたちは、自分のことでない他人のことに胸を痛めることができます。それは人のサガなのです。極めて自然に、それが無駄だろうとなんだろうと、エネルギーを提供して事態を好転させようと試みるのでしょう。

君も僕も、ふたりとも野に咲く花のように仲良く力強くささやかに暮らしていた、そんな日々は穏やかで優しいものだったのでしょう。僕はもう、君がいなくなった後でも、あの頃の思い出だけで生きていける。いや違う、正確にはあの頃がまた戻ってきてほしいと思っている、その望みは薄いかもしれないけども、君がもしつらくなって帰りたいと思ったら帰る場所として、僕はあの頃と同じようにここにいるんだ……いやもういいじゃないですか、あなたも自分のしたいことをしなさいよ、と思わなくもないのですが、ミスターロンリーにとってはそこを守ることが自分のしたいことなのですから、させておくしかありません。そんなミスターロンリーの気持ちを思いやり、わたしたちも胸を痛めるのです。

曲は間奏、玉置さんの見事なソロ、須藤さんのグッキグキに歪んだベースが目立ちますが、玉置さんも負けじとブルージーで狂おしいスクリーミングを指先に込めてギターを奏でます。うーむ、ことによるとこれは安全地帯を超えたかもしれません。演奏技術とかでなくて、この一体感ある競演の凄まじさは、『太陽』のころの安全地帯にすら迫り、下手するとそれを超えているんじゃないかというくらいの見事な間奏です。

曲は三番、Bメロから始まりサビを二回、そしてイントロとほぼ同じ演奏のアウトロで幕を閉じます。逆風に吹かれても、どんな時でもと若干歌メロを変えて、曲は最後のサビに突入していきます。「遠く離れていたって」というのは、空間的な隔たりの大きさだけでなく、おそらく心理的な距離の大きさもあるのでしょう。先ほどは地域活性化の舞台となるような田舎町で喩えましたが、それは比喩でしかなく、たとえば考えることの違い、携わる仕事などの違いも当然ありうるわけです。ここでいきなりですが野球の話です。先日鬼籍に入った門田は、野村克也と袂を分かったあとに覚醒して大打者となっていきました。二人ともプロ野球界にいるわけですから近くにいるんですが、考え方は天と地ほども違う、といったようなことも当然この「遠く離れていた」には含まれうるでしょう。ふたりの断絶は決定的なものでしたが、ノムさんは、もしかしたら自分が監督をつとめる球団に門田がトレードで入ってきたら干したりせずに受け入れるんじゃないかと思うのです。「お前よう帰ってきたな」なんて言って。もちろん、わたくしが勝手に妄想しているだけですから、本当のことは二人にしかわからないんですけども。以上、唐突なプロ野球バナシでした!あ、いや、「ミスター」って長嶋じゃないですかふつう。ちょっと反骨精神を発揮して「ミスター・ロンリー」はノムさんみたいだなあ、なんて思うわけです。あのコツコツぶりが。

「君」が帰る気なんか全然なくて、自分的には「捨てた」と思っている故郷や古巣であっても、そこに「笑って」「元気でいる」ぼくがいることはもしかしたら「君」の支えになるかもしれない、と信じて生きてゆくミスター・ロンリーの生き方には、わたしたちも大いに共感して胸を痛めて、ことによれば泣くのではないでしょうか。結果としてわたしたちは全然ミスター・ロンリーのようには生きないかもしれません。ですが、その生き方に共感する、胸を痛める、そんな心を、太古の昔からわたしたちは共有しているのだとこの曲は信じさせてくれるのです。

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2023年02月19日

金持ちさんちの貧乏人


玉置浩二『JUNK LAND』十一曲目「金持ちさんちの貧乏人」です。

なにやら玉置さんのヨーデルが聴こえます。やあー、行くのか、久しぶりだなあ(ハッハッハ)というよくわからないやり取りが入ります。そしてワン、ツー(よし)、ワンツースリー(キュッ!)と玉置さんの掛け声で演奏が始まります。

(あーっあっ!緊張するなあ!)オーイエー!(いちにいさんし、にいにいさん)Yeah(さんにいさんしにいにいさん)いくぜー!

ピアノ、ギター、ベース、のほかに、さっきからキュッキュキュッキュと何かをこするような音が入っています。なんだかわかりません。DJという種類の人たちがディスクをこするときにこんな音がするのでしょうか?それとも、たんにウェスで楽器か何かをこすると音なのか……謎の多いオープニングで、おそらく玉置さんと、もしかしたら安藤さん須藤さんもご存知かもしれませんが、ごく限られた人しか声や摩擦音の正体、意図はわからないのでしょう。イントロ一連のセリフらしいものも歌詞カードに書かれていますが、意味はもちろんわかりません。

朝が清々しくてミニスカートでハイヒール?意味が分かんねえ!いや、意味なんてないのかもしれません。すがすが「しい」と先が「いい」、ここだけ韻を踏んでいればあとはどうでもいい、くらいの思い切りで作られた歌詞なんじゃないかとさえ思えます。

リズムが変わり、胸はって恋して〜と、玉置さんのスーパーナイスなファンク的カッティングが響きます。いや冗談でなくいいです。なんだこれ!わたくしカッティングとかブラッシングとか、あんまりやらないんですよ、なんかその場しのぎな感じがして好きでなくて。ただ、この曲のこの場面ではその場しのぎとは全く違います。恋してどうする?どうするかは後で考えるとして、ともかく今夜はビシッと決めなきゃ!というよくわからない切迫感を表現するのにこのカッティングは非常に似つかわしいものであるように思えます。

「やんなきゃー(きゃー)(きゃー!)」とコーラスで盛り上げブレイク、そして急展開でサビに入ります。また「キュキュッ」という摩擦音が響いてきます。ギターがいい具合にカッティングともコード崩し弾きともつかぬ……とギターの話をしようとして気がつきましたが、これ、弦を擦る音かもしれません。断言できるような話ではないんですが、ギターの、ナットよりペグ側、ようするに普段弾かないとこなんですが、そこを指でつまんで擦るとこんな音がしたような気がします。たまにカカカカッとピッキングしたような音も聴こえてきますんで、もしかしたらピックでキュウキュウとスクラッチやってたのかもしれません。もしそうだとしたら遊び心満点ぶっちぎって120点です。さてそんな枝葉のことはともかく(笑)、曲はドラムがドンタタドンタと気持ちの良いリズムでリードし、ギターとベースによるもう分離のよくない分厚い伴奏をひきつれて玉置さんがダブルボーカルで突っ走ります。「金持ちさんちの貧乏人〜」いやダメだ、意味が分かんねえ(笑)。「金持っていかんでくれよ」なんて言われています。なんでしょう?家族扱いされてない居候?それとも自分の小遣いは自分で稼ぐという自立心旺盛な高校生とかでしょうか。なにやら複雑な家庭環境を思わせますが、玉置さんが歌うとおり大抵の場合よくも悪くもありませんので、玉置さんもそのギャップを歌うだけです。え?それだけ?と一瞬思いますが、それはわたしたちのバイアスがそう思わせているだけなのでしょう。だって「ワインレッドの心」だって傷心の女性に男がちょっかいかけてるだけだし、「悲しみにさよなら」なんて「元気出しなよ」って言ってるだけじゃないですか。どうです、金持ちさんちに貧乏人がいるだけじゃねえか!なんて決して言えないでしょう。わたしたちはともすると恋愛に価値を重く置き過ぎなのであって、それ以外のことを軽く見る傾向があるのかもしれません。いや、面白いなあ〜みたまえ、貧乏人が金持ちの家にいるね、これはね、昆虫の世界でも起こることで……いやあ、こういう話に一ミリも興味がない状態からだと慣れるのが大変です(笑)。「金持ちさん」と「貧乏人」とベリースムーズに歌う玉置さんの圧倒的なボーカルに聴き入ってしまって気づきませんが、金持ちはさん付けなのに「貧乏人」はなんか蔑みの感覚が滲み出ています。たぶん「さん」と「にん」がどっちも「〇ん」なのでリズムとか語感とかがうまく合うという音楽上の感覚でこうなったものと思われます。ただ、この「さん」と「人」の扱いの違いさえもギャップとして楽しむという作戦なのかもしれません。むむ、そうだとしたら高度な芸術です。無意識的な差別すら描いてしまうという……「洛中洛外図」のようです。

そしてブレイクが入りまして「貧乏人!」と叫ぶダブルボーカル、ダメ押しか!(笑)そして曲は間奏に入ります。玉置さんのギターソロ、これすごいですよね。『CAFE JAPAN』あたりからさらに円熟味を増して、もはや本職ギタリストとしか思えないエモーショナルなソロです。

「行くぜ!」で曲は二番、「マンションホテル」って何だ?今まで気づかなかった!長期滞在型のホテルのことですかね、Jリーグの監督とか、そういういつクビになるかわからない仕事をしていて住民票を移す気のない人たちが住んでいるようなところだと思います。むむ、そういうところを根城にして今夜も浮名を……続くのが「ABC」とか「アルファベット」とか、もはや文脈がよくわからない言葉たちですから、あまり意味はないのかもしれません。もしかしたら恋愛系のABCかもわかりませんが、別にイロハだっていいじゃないですか、ねえ。

「見栄はってチェックイン?」ああ、実は帰るボロアパート(貧乏人だから)があるのに引っかけた恋人にセレブぶりたくてホテルに長期滞在している体を装う……?いや、家はあるんだ、金持ちさんちが。だから居候なのを隠したいとか、もしかしたら平素ひどい扱いをされているので恋人を連れ帰ったりすると無事では済まない家庭なのかもしれません。なんだかとても気の毒に思えてきました。むしろボロアパートなほうがマシかもしれません。金持ちさんちに住んでると大変なのでしょう。スーパーナイスなカッティングで思考を千々に引き裂かれながらこんなことを考えましたが、もはや物語を背景に想像することすら野暮なくらい、直感で楽しく作られた歌世界なのかもしれないなと思います。

曲は最後のサビ、ギターの単音ソロがバックでキュイーンキュイーンと効いています。これは弾きながら完全に楽しんでいます。こんなに残酷な歌詞なのに。今度は「金持ちさんちの」ではなく「金持ちさんたら」です。ねえ、金持ちさん、金持ちさんったら!と強く呼びかけているのです。「金持って逃げんでくれよ」と言われています。なんで金持ちさんが金持って逃げるの?金持ちの都合とか考えることはわかんねんなあ……もしかしたら手形を飛ばしたとか何かで、官報に掲載された瞬間に債権者が詰めかけるからその前に逃げるということかもしれません。そうならないようにちゃんと金持ちさんのままでいてくれよ、安心安全に金持ちを維持してくれよ平和のために……金持ちは金持ちでいろんな人に対する義務を負っていて大変なのかもしれません。一ピコグラムも同情できませんが(笑)。だっておれ貧乏人だもん。だけど金持ちがいなくなった後の混乱に巻き込まれるのは確かに嫌ですので、腹立ちますけどたのむから出入金の管理は怠らないでくれよと思わずにいられません。そして「金持ちさんたら貧乏人」という言葉でこの歌は終わります。むむ?金持ちさんなんだけど、実は資金繰りが大変で内情は火の車?これはヤバいかもしれません。富裕層といえどもともと根は貧乏人、いつ卑怯な財産隠しに手を染めるか分かったものじゃない……手形飛ばし・夜逃げにも時効というものがありまして、その間債権者に見つからず遊んでいられるだけの財産を隠しておけば楽勝で借金はチャラになるのですから、外国にでも身を隠しておけばいいのかもしれません、いや、やったことないですからわかりませんけど(笑)。年金とか子どもの就学とかいろいろありますから、役所にだけは届け出をしないといけないですし、逃げ切るのは正直ムリなんじゃないかなー、年金とか保険とか義務教育とかそういうものを全部捨てて完全無視する覚悟があれば話は別なのかもわかりませんが……いや、やめといたほうがいいと思います。

思えば、この頃の日本はまだITバブルなど来ておりませんでしたから、IT長者もIT土方もいなかったのです。土地バブルで盛り上がった人と、そこから一気に落ちた人、なんとか持ちこたえた人、みたいなのがいましたが……みんなもとは平民です。苗字が伊集院とか西園寺とか九条とかじゃありません。ちなみにそういうお公家さんたちもみんな律令時代後半からずっと不景気ですので(笑)、日本はずっと平民の商売人が上がったり下がったりしているわけで、根っからの金持ちというのはごく僅かなのです。格差格差といいますがそんなのはレース中の現在位置に不満といっているだけのことで、ある意味とても平等な社会ということができるでしょう。チャンスは誰にでもある!成功するのは数百年に一度かもしれませんが(笑)。ですから貧乏人も金持ちですし金持ちさんも貧乏人ですし、金持ちさんちに貧乏人が住んでいることだってあるでしょう。大した違いではないのです。

そして「貧乏人!」と叫んだダブルボーカルでブレイク、アコギのアルペジオにエレキのソロで曲は終わりまして、「ハイ!」と声が入ります。次の「MR.LONELY」にこのまま入るぜ!という意味なのでしょうか、まるでセッションしているような臨場感です。さっきまで「久しぶりだなあ」「緊張するなあ」といっていたのにノリノリなのでした。

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