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安全地帯・玉置浩二の音楽を語るブログ、管理人のトバです。安全地帯・玉置浩二の音楽こそが至高!と信じ続けて四十年くらい経ちました。よくそんなに信じられるものだと、自分でも驚きです。
プロフィール

2023年06月10日

RELAX

GRAND LOVE [ 玉置浩二 ]

価格:2,566円
(2023/6/10 09:50時点)
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玉置浩二『GRAND LOVE』九曲目、「REALX」です。

曲は玉置さんの囁きから始まります。そうもっとやさしく……くちびるかさねて……いやちょっと待って!これ、指南してるでしょ!なんで?そんな指南されたくない!(笑)。と、のっけからわけのわからない状況です。

そして歌が始まります。ハットとバスドラに、たまに極弱のスネア……ギターでF♯mに装飾音を入れながら弾いたような単調なリズムの伴奏、すこしトーンの明るいエレキギターで入れたオカズ、そして時折入るチューブスクリーマー的歪みのギターがこの気だるい感じを切り裂きます。そして歌詞はひたすら情事の予感をさせるきわどさ、そしてリズムが幾重にも絡まって変拍子を思わせる複雑さ(そして実は変拍子はないという)……これは『安全地帯V』で玉置さんがBAnaNAと一緒にやっていた(と思われる)パターンでは!「こわれるしかない」とか「不思議な夜」とかですね。あのころはBAnaNAがこういう変な天才的な曲をかなりアシストしていたので、わたくしてっきりBAnaNAと一緒に曲作って遊ぶときだけこういうノリになるのかなと心のどこかで思っていたのですが、何のことはない、普通に考えて玉置さんが天才的だったのです。それをもう一人の天才BAnaNAがかゆいところに手が届く感じでサポートしていたということなのでしょう。時代はあれから10年以上も経ちまして1998年にもなっていましたから、さすがにわたくし、この手の曲にもかなり耐性がついてきておりまして、すでに快感の粋に達しておりました(笑)。玉置さんの遊び心が歌にも歌詞にもアレンジにもみちみちていて、『安全地帯V』のころのような、周りの職人たちがなんとか辻褄合わせました感はまったくありません。玉置さんがやりたいことがストレートに曲の隅々まで行きわたっているのがよくわかります。そりゃ、ほぼ全部自分で演奏してますから当たり前なんですけども(クレジットには、トロンボーンとバスフルートを佐野さんがお吹きになったとありますので、正確にはそれ以外を玉置さんがすべて演奏されたということになります)。安全地帯の頃は玉置さんがBAnaNAと一緒にバンド内で事実上のソロ活動やるような、意味の分からない感じになっていた時期がありました。それは玉置さんが自分のコントロール下で音楽を作りたいという欲求を部分的に叶えるものであったはずです。そしてそれから10年ほどもして、星さん、須藤さんからも巣立ち、玉置さんはとうとうほぼすべてを自分の手で作り出す体制を構築します。そして復活した……こういう曲!満を持して登場したこういう曲!もちろんこれまでソロ活動のそこかしこで似た遊び心満載の曲を作ってきたのですが、ここまで徹底されたのは初めてじゃないでしょうか。

そんなやりたい放題の玉置さん、徹底的に遊び心のみで曲を作ろうとしたかのように、ひたすら意味深さのみで突っ走ります。「そこで誰かみてて そして何もしないで」って、酷くないですか。あげくに鍵をかけてこいって?千夜一夜物語を残酷な王に毎夜語りつづけるシェヘラザードを必死にサポートした妹デゥンヤザードだって、そんな扱い納得しませんよ!とよくわからない怒りをいったん抑えて冷静に考えてみますと、最初の玉置さんの指南がウザいので部屋の中の恋人たちがそれをシャットアウトしたいという意味じゃないかと思い至ります。誰にも邪魔されたくない、ましてやガイドなんてされたくない、二人きりで愛を貫くためにかえって二人以外の誰か、外界シャットアウト担当者が必要になるくらいと思わせるほどにこの世はお節介で教えたがりの情報社会になっている、ということを訴えたかったんじゃないのか、という可能性を思いつくのです。まあ当時は情報社会といっても、端末がいわゆる「パソコン」と「ケータイ」でしたから、いまの情報社会とはその形態が全然違うんですけどね。

当時はたしか……わたくし今は亡きデジタルツーカーのケータイを使っておりました。そしたらいつのまにかJ-PHONEに変わっていました。勝手に何をしやがる!そしてほんの数十文字だけやり取りできるショートメールが流行り始めた時期でした。「なにしてる?」と打つのに「な」一回と矢印、「な」二回、「さ」二回、「た」四回、「ら」三回、「?」はもう打ち方も忘れました(笑)、と合計で十三回もボタンを押さなければならないという拷問仕様でしたが、若者たちは順応が早く、ほとんどブラインドタッチでバシバシとメッセージを送りあっていたのです。わたくしその手間に頭にきてメールは絶対PCで出すと決めており、携帯に来たメールは基本無視していました。そして1999年、わたくしの携帯電話番号が勝手に変更され、020-だったのが090-2になりました。いいかげんにしろ勝手に何しやがる!(笑)。まあ、いろいろ模索の時期だったんでしょうね。ほんの数年の間に、PCを立ち上げてないと来なかったメールが、それこそ情事の間にもバンバン来る時代へと移り変わっていたのです。当時若者だったわたくしでさえ戸惑ったったんですから、上の世代の人はさぞ驚いたことでしょう。

さてBメロというかブリッジというか、シェヘラザードを持ち出しておきながら情報社会への文句で浮いてしまった「アラビアンNight」を高音で歌い、一気にしっぽりきます。「アンティークのスタンドライドがひとつ」と見事なリズム感覚で一度上がったテンションをリラックスさせるかのようにまた低音に戻ってきます。こういうセンス、ゾクゾク来ますね。さらに歪んだギターで「ペーペペペー!」とまたテンションをじわじわ上げてきます。そして「ベサメベサメムーチョ」(kiss me kiss me more!)とわざわざ西語で淫靡な雰囲気を盛り上げてきつつ「指を絡ませて」と言語的な気分は盛り上げるのにメロディーは落ち着いていくという対比で煽ってきます。このあとドラムが入りますがギターソロ、佐野さんの管楽器で間延びしたんじゃないかってくらい登場人物のテンションをリラックスさせてきます。こっちの気分はあんまり緩まないんですが(笑)。そして玉置さんが何事か囁くんですが……おそらく焦らしているのでしょう。「ヒッフー!ヒッフー!ヒッフー!ヒッフー!」と謎のボーカルリフも焦らしているのです。それが証拠に二番に移行してしまいます(笑)。

間奏から引き続きドラムと佐野さんの管楽器をバックに加え曲はまたAメロ、また思わせぶりな言葉が並びます。ヴェルヴェットのラグを床に敷いて顎なんか這わせています。そして「ピンクシャンパンのシュプールSpur」と今度は独語です。スペインだったりドイツだったり忙しいことでと思いきや、とつぜんベースが入り、一気に下から、それこそ床から突き上げられたかのように曲のテンションが最高潮にまで高まるのです。これは初聴では予想できません。ドラムもこれまで曲に合ってるんだか合ってないんだかよくわからないアクセントで叩かれていたのに、ベースが入るや否や思い切りロックのアクセントでバシバシと攻めてきます。いままでリラックスさせられていたのに!これはいやらしい!(笑)。

そして「踊り明かそう」「裸になろう」「肌寄せ合おう」とシャウト気味にゴキゲンなセリフを歌うのですが、最後に「リラックスして」と二度も叫んできてすっかり混乱します。リラックスどころじゃないだろいま盛り上がってるんだから!と普通には思うのですが……

思いますに、欧米人の「リラックス」は通常わたしたち日本人が使う「くつろぐ」的な意味ばかりではないのかもしれません。けっこう緊迫したときでも平気で「Hey, relax!」と言ってきてイラっとさせられることがあるのですが(笑)、laxには緩むという意味がありますから、たぶん緊張を「緩めろ」って言っているんじゃないかなと思われるのです。普通に考えれば緊張しているのに緊張を緩めるなんてできるわけがありません。キノコを好きでないのにキノコを好きになれというくらい無茶な命令ですが、もちろんそんなことは欧米人だってわかっています。ですから、お前はいまテンションが高すぎて失敗する状態だぞって知らせているくらいの意味なのでしょう。この曲の玉置さんも、歌の登場人物もいま異常なテンション状態にあって、せっかくのふたりきりの夜が楽しめない状態になっているぜ、緩めろ、緩めるんだ……ああ、やっぱり指南している!(笑)。

曲はおそらくストラトキャスターの切り裂くようなトーンで最後まで突っ走ります。最初はロングトーン、そして「ギュバッバー!ギュバッバー!」と、おそらくかなり強く弦を押さえ相当強いピッキングで出したと思われるアタックの強い残酷トーン、そして「ギュギュギュギュ!ギュイーン」と、玉置さんのソロにありがちなメロディー的にはあまり必然性のないトレモロを駆使して曲は終わっていきます。

解説してみてわかったのですが、わたくしこの曲がいちばんこのアルバムで好きかもしれません。『安全地帯V』のころは「不思議な夜」を聴いて何だこの曲よくわかんねえと思う気持ちがなかったわけじゃないのですが、干支を一回りしていつのまにか大好物になっていたようです。「不思議な夜」をはじめて聴いたのは、1998年から数えて人生ちょうど半分のときでした。それから倍の年齢になって聴いたこの「RELAX」にはそれこそ一周回って引き付けられたのでした。ほんとうに長い一周でした。

GRAND LOVE [ 玉置浩二 ]

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posted by toba2016 at 09:50| Comment(4) | TrackBack(0) | GRAND LOVE

2023年06月03日

BELL

GRAND LOVE [ 玉置浩二 ]

価格:2,514円
(2023/6/3 14:42時点)
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玉置浩二『GRAND LOVE』八曲目「BELL」です。シングル「ルーキー」のカップリングで、リズムのプログラミングとアレンジを藤井さんが行っているとのクレジットが記されています。また、この曲も缶コーヒーJIVEのCMに使われていたようです。

なにやら笛ライクなシンセがメインメロディーを高音で奏でている後ろで、ポコポコしたパーカション(おそらくこれがカルロスさんです)と、ふつうのスネア音と「カシーン!」という歯切れのいいシンセパッドの組み合わせでいちいち曲を切り裂くほどの切れ味で鳴り響きます(これが藤井さんの手によるものでしょう)。そしてアコギを細かく高音弦だけカッティングしつづけ、ベースも細かくいちいちスライドをしつつブムムブムムム、ウン!ブムムブムムム、ウン!と……まるですべての楽器が打楽器かのようにあちこちで鳴らされています。まるで南米大陸のポンチョ着たラテンミュージシャンのライブを観たいるような感覚です。そんなの観たことあんのかと言われそうですけど、あるんですよこれが。なぜ誘われたのか謎なタダ券ライブでした。細かく刻まれる大量のリズム楽器をバックに、それに反するようにやけに抒情的に朗々と響く笛と歌……そのライブは1999年だったと思うんですが、あれこの感覚どこかで……ああ、「BELL」か、うわー玉置さんの音楽にはこんな方面の要素もあるのか!おれスゲエことに気がついちゃったかも!でも誰に言っても伝わる可能性ゼロ!(玉置リスナーの友達ゼロ人)という孤独な気付きでした。

そしてラテンミュージックのように玉置さんの歌が朗々と始まります。有名なムービースターが無名のヒロインと恋に落ちて……スターは「死ぬまで」って言ってるのにヒロインは「今夜だけ」なんてかわしています。いったいなぜ?ささやくような「抱いて」が切なすぎます。相手はスターなのに自分は無名、おおよそ釣り合うものではない、うまくいきっこないとヒロインが理解してしまっていたという悲しいストーリーはもちろん思いつきますが、真相は玉置さんしか知りません。

そしてハモリのコーラス……上下に入って三声になっていると思いますが、「WOW WOW」から引き続いて、おそらく玉置さん本人からの励ましとなるメッセージが力強く歌われます。運命に泣いたけども愛は失っていない、ここからはコーラスなしで、夢をもちつづけるんだ、さあ胸のベルを鳴らして元気よくまた歩き始めるんだ!……すでに何度も用いられた手法ですが、このコーラスありとコーラスなしのコントラストが鮮やかで息をのみます。

そしてまたケーナのような響きをもったシンセ……この旋律は全音符を大胆に使った抑揚数の少ないもので、作曲者からするとけっこう思い切りが必要なのですが、玉置さんは曲に最適だと判断したらためらいなく使う方なんですね。わたくしの場合ノーアイデアでコードトーンを伸ばしただけなんじゃないのか?と自分で疑ってしまって、なかなかこのような手法は取れません。まあ、疑ってしまう程度のメロディーなんでたいしたものじゃないってことなんですが。

そして二番、今度は世界的シンガーソングライター達です。うーむ、ボブディランとかですかね、「自由と平和の鐘を鳴らそう」……Belle Isle美しい島で出会った女性は女神のようで……いやBelleだから鐘Bellじゃないですね。ボブディランはおそらく関係ありませんが、彼くらい有名でないと「世界で有数」ってことにはならないでしょう。で、そのボブクラスのシンガーソングライター達が「自由と平和の鐘を鳴らそう」などと歌うと、清純なあの娘がすっかりシビれて「抱いていて…いつまでも」なんて言うようです!なんてこった!おれもシンガーソングライターになろうかなあってくらいビックリです。歌ヘタなんでうたえませんけど!

そしてまた「WOW WOW」から多声コーラスでサビに入ります。「すぐに走ってきて欲しい」……?どういうこと?ここでしばし考えさせられます。実際には曲は先へ流れていくんですからあとから歌詞カードとにらめっこして考えるんですけども。思うに、「ムービースター」や「シンガーソングライター達」は、すばやくないんです。彼らが不埒な遊び人だと言っているわけじゃないんですが(笑)、彼らは何しろ有名人で、忙しいうえに愛を届ける相手が多すぎるんですね。だから「今夜だけ」になってしまいますし、「いつまでも」って願ってもその場かぎりになってしまいがちです。「すぐに」といってもすぐには来られません。無名のヒロインや清純なあの娘はさみしがっているのにどうしようもありませんし、おそらく忘れられてるでしょう。かれらがもっている「力」は魅力的ですが、それよりもすばやくて「誠実な愛」がほしい、でもそうなると「力」は放棄しなくてはならないから魅力的じゃなくなる……というなんだかアンビバレントな切ない気持ちを表しているように思われます。口だけ平和の鐘鳴らしてる場合じゃないぜ!

そして曲は間奏、ラテンなパーカッションにのせてサックスに似た楽器(おそらくはシンセ)がソロを演奏します。歌メロに似ていない、なにやら陰鬱な音色、メロディーにギターのカッティングが絡んで一気に緊張感が高まります。玉置さんが終わり際に「ウン〜」とヒトフシいれるのもまたダークで……この曲は終始このような「陰」が見えていて、ラテンなリズムなのにぜんぜん陽気じゃありません。ラテンといったら陽気と思い込んでいるわたくしがラテンの人に失礼なんですが(笑)。

そして歌は最後のサビを繰り返します。「すぐに走ってゆくがいい」ムービースターよ、シンガーソングライター達よ、そして無数の忙しい男たちよ、言葉なんかで時を稼ごうとするな、彼女たちのベルは切実なんだ。リーン…リーン…リーン…愛してる…愛してる…愛してる…そのベルがいつまでも鳴っていると思うな、百の言葉よりも心だ、愛を失って泣く涙なんかいらない、泣くようなことになる前に会いに行くんだ!

そして無名のヒロインよ、清純なあの娘よ、そして無数の泣いている女性たちよ、負けてはならない、いまは運命のいたずらで離ればなれなだけだ、愛はまだ失われていない、夢を失わずベルを鳴らすんだ。リーン…リーン…リーン…愛してる…愛してる…愛してる…きっとそれは届くんだ。

曲はまたケーナライクなシンセがリードし、カツカツカツ……カツカツカツ……と悲しげに響くパーカッションをバックにホワン……ピーン!ホワン……ピーン!とシンセによるパッドの音を残して、曲は終わっていきます。どこにもベルの音はありません。言及されるだけ、歌われるだけだったのです。

リーン…リーン…リーン…それはまるで、また最初からやり直すような……会うといつでもまた恋に落ちるような感じなんだよダーリン(John Lennon. [Just Like] Starting Over, 1980)玉置さんが念頭に置いていたのは、この歌のベルなんじゃないかなあ、と思っています。最初に散々ボブとか言っておいてあれはたんにBelle Isle知ってる知ってる!とアピールしたかっただけで恐縮なのですが(笑)、ジョンこそは自由と平和を歌い、そして最も忙しく世界中を回ったシンガーソングライターであり、それだからこそ刹那の愛でなくておだやかな生活、家族、愛を求めてやまなかったミュージシャンであって、なにより軽井沢でその癒しの時を求めた人だからなのです。

GRAND LOVE [ 玉置浩二 ]

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posted by toba2016 at 14:37| Comment(8) | TrackBack(0) | GRAND LOVE

2023年05月28日

カモン

GRAND LOVE [ 玉置浩二 ]

価格:2,671円
(2023/5/14 15:26時点)
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玉置浩二『GRAND LOVE』七曲目、「カモン」です。

カッ!(カッ!)カーン!カッ!(カッ!)カーン!カッ!(カッ!)カーン!……というリズムに合わせてギターを弾いていたらこういう曲になりましたという、玉置さん一番搾りのニオイがプンプンする曲です。ジャムをやっていたらたまにいい感じになって、ああ畜生いまの録音しとけばよかったなと思いつつ演奏の中に消えていったアイデアというのはバンドマンなら誰でもいくらもあるんだとは思うのですが、玉置さんの場合はおそらくすべてがよいアイデアなので常に録音中でOKなわけです。この曲は、そんな無尽蔵な玉置さんのアイデア奔流を一部だけ切り取って新鮮なまま曲として仕上げたものなんじゃないかと思えます。最初に思いついた「ド」ラシが「ドなし」になって、ドがないんだから「レミファソラシ」だよね〜「ラシ」だから「無いらしい」「あるらしい」、「しい」だから「険しい」「悲しい」だよねえって遊んでいたんじゃないか、なんて思えてくるほど作曲の源流に近いところであるように思われるのです。

リズムはパーカッション……鈴の音と、なにやらカツーン!と響きと音抜けのやけにいい打楽器で、シンプルなセットです。そしてゴリッゴリのセッティングをしたベースです。前作までけっこう須藤さんが弾いていたベースを今作からは玉置さんがすべて弾くようになったわけですが、この曲が今作ベストのベースだとわたくし思います。遊び心と装飾カッティング音に徹しているギターではなく、このベースがこの曲をリードしているといっても過言ではありません。

曲は玉置さんの「カモン」というやさしい囁きではじまりすぐにクリーン〜クランチトーンのギター二本のアンサンブルがはじまります。シャリーン!カローン!というギターはほんとに武沢さんかと思うほどの鈴鳴りです。そしてリックを奏でるほうのギターもよくミドルの効いた音で……高音でキュイーン!と泣かせるタイミングもこれがまた……こんなふうにギターの音を中心に聴いてしまうのはギタリストのサガでもあるんですが、当時はそんな聴き方してませんでしたから、これは現在のわたくしの感想なのです。最初はなんか怠い曲だなくらいにしか思ってなかったと思うんですよ。だって当時はめちゃくちゃ過激に歪むエフェクターを手に入れて悦に入るとか、せっかくのPEAVEYアンプでドンシャリセッティングにしたスカスカなディストーションをいい音だと思っていた始末ですから。実家にいた頃に使っていたGAINツマミが二つある15Wくらいのフェルナンデスアンプをアパートの湿気ですっかりダメにしてしまって修理もせずにポイっと捨ててからはアンプをもってなかったくらいです。スタジオのジャズコさえ使えりゃいい!ジャズコにディストーションペダルをぶち込んでギャンギャンに鳴らせばそれでオーケーだ!というメタル脳でしたので、というか当時はベーシストだったような気もしますが、玉置さんのこういうギターの機微などに気がつくわけがないのでした。

よもやま話が続きますが、その後自前のアンプを買ったのは2002年ですかね、RolandのCUBE30を買いました。ジャズコモードがあったからです(笑)。いや、これいいですよ、ジャズコよりぜんぜん使いやすくていい音です。たぶんヤフオクとかで安く売ってますから、いまからギター始めようかなって思っている初心者さんはぜひねらってみてください。とにかく壊れにくいですし持ち運びしやすいです。30Wなんて数字を真に受けてはいけません。これは昔の感覚でいうと50Wくらいの音は平気で出ます。なにより筐体が頑丈なのでかなり音量アップにしてもちゃんと鳴ってくれるのが重宝します。500人規模のホールでもわりと十分に鳴らせる音です。あまりの使い勝手の良さにわたくし買い足して二台持ってます。初心者セットなどにフラついちゃダメですよ。あれはギターもたいがいですがアンプはマジでお察しです。わたしなら予算めいっぱいいいギターを買ってアンプなんか後回しでいいし、あとから中古でCUBEです。やや、田園地帯でギタリスト募集してますのでちょっと熱くなりました。ああ、ベーシストも募集してましたね。ベースは……ハートキーのA25かA35がいいと思いますし実際わたしもA35を使ってますが、こっちは数千円では手に入らないような気がします。鼻息荒くギターアンプのことだけ書きまくっておいて、ベースのことになるとぜんぜん役に立てません。

で、そのわたくしが役に立てないベースのことなんですが、この曲、ベースに注目するとガシーン!ガシーン!という歪みの多めなわりと攻めた音作りになっていますよね。ギターがチャリチャリポロポロと何本か重ね取りして音数が多いぶん、存在感あるベース音で全体を引き締めている印象です。ドラムのバスドラとスネアがないぶん、ベースが打楽器の役割も兼ねてるくらい重要な役割を果たしています。内閣総理大臣が閣議決定を阻もうとする国務大臣を罷免して自分が兼任しているくらい枢要、というか主人公にほぼ近いです。もちろんメインは玉置さんのボーカルなんですけども、もしかしたら玉置さんはベースを弾きながらこの重要さに気がついて、わざとあまり意味のない歌詞を作ったんじゃないかというくらいベースの存在感がボーカルに迫っています。

で、その存在感あるベースとごくごく控えめなピアノがサビ前で「ジャッジャッジャッジャッジャッジャッジャッジャッ!」と下降フレーズを何度か入れますね。これが一度で頭に入って抜けません。怠い曲だなと思っていた当時ですらそうでした。この曲の本体はここなんじゃないかってくらい印象が強く残ります。さらに、曲のラスト近く、「Tru ru ru…」「今日も一日元気でいらして」でベースがボーカルをなぞるように高音部を奏でます。これはベーシストだと思いつきにくいベースの使い方であるように思われます。ギターとユニゾンにすることはなくはないですが、ボーカルとユニゾンするとは!ベーシストはボーカルを活かすようにしつつ、かつ曲の屋台骨を支えるようにするフレーズを渋く弾こうとするものだとわたくし思っておりました。ハードロック馬鹿だからそうなのかもしれませんが、歌謡曲だってそんなにベースが攻めてくることは寡聞にして知りません。これはベースを玉置さんが弾くからこそ起こったことだと思うのです。ベースの定石などあまりこだわりを持っていない玉置さんと、ベースにどれだけ迫られてもそれによって存在感を消されることのない力量をもつボーカリストである玉置さんとが同一人物であるからこそのアレンジなのでしょう。わたくしベーシストの経験が豊富なわけではないからなおさらそうなのかもしれませんが、無意識にボーカルに遠慮しちゃってこんなフレーズ弾こうと思わない、というか思いつかない、こういう発想がないです。

さて、ひさしぶりに歌詞のことを後半でまとめて書こうかなと思っていたのですが……どこがカモンなんだかさっぱりわかりません。おいで!って言ったってなあ……たんなる穏やかな暮らしじゃないのかこれと思わされるのです。冒頭に述べた通り「ド」ラシが「ドなし」になって〜とそこから組み立てたんじゃないのか……まあ、それにしてもその穏やかな暮らしをちょっと覗いてみましょう。

最初は外を歩いていて家に帰ります。小脇にサボテン抱えて子猫まで拾ってます。園芸屋(店員が「気になるあの娘」)の帰りでしょうか。子猫に棘が刺さっていないか心配になります。家に帰ったのはもう日暮れ後だったらしく、明かりをつけて洗濯物を取り込んでいます。うーむなんという平穏な暮らし!当時のTVショーはまだまだ現代に比べて金つかってましたからやかましかった……ような気がします。当時からあんまりTVみないんでよく覚えていませんが。「ダウンタウンのごっつええ感じ」が前年97年に終わっていまして、わたくしテレビにエンターテイメントを期待するのをほとんどやめておりました。もっぱら深夜から朝にかけて衛星放送の副音声を流しっぱなしにしておりましたので、当時のテレビの思い出を友人と語り合うことがあんまりできないのです。ちなみにこういう生活はこのあと2001年でも続いていて、あの同時多発テロをほぼリアルタイムで観たのでした。

そして夜のテレビ、ダンディズム、ファンタジー、いろいろな趣向のドラマなり映画なりが流れますし、たまにハマり切った人物が出歩いていることもあるのでしょう。冷静に考えれば単なる痛い人たちなんですが、若いうちはそれが個性だと勘違いしたり、さすが都会は多様性と無関心の街だなどとうっかりちょっと感心したりするものです。ですが、そんな世界にあこがれるのは若いうちだけです。30代も後半になれば「晴れた空」こそがありがたいし、果てない人生の道を歩くことのほうがよっぽど重要事なのです。ちなみに軽井沢を含む地域を東信(東信州の略でしょう)というのですが、あそこは行くと大抵晴れているんですね。年間日照時間が長いような気がします。ですから「晴れた空」を求めて玉置さんが軽井沢に行ったということがあるかもしれません。

そして曲は二番、歯医者をサボったり友達の仕事を世話したりしています。まるでテレビドラマの主人公がビートルズの「ペニー・レーン」のようなほんわか具合の街で生活しているような描写です。そんな主人公がとつぜん旅に出るのです。あつかましいTOKYO STYLEにバイバイしちゃうそうですから、このペニーレーンは東京だったのでしょう。はあ、ダンディズムとか夢のファンタジーに……都会にはいろいろ演出はありますがぜんぶ作りもの紛いものですしねえ。

そしてTOKYOを離れた玉置さんは星の降る夜の下にやってきます。軽井沢の星はよく知りませんが、満天の星空の感激はよく知っています。少年のころ、とある独立峰に夜の涼しさを利用して登ったことがあるのですが、その夜は快晴で、信じられないような星空に休憩の間じゅうずっと見とれていました。華やぐ都札幌は遥か彼方、街の灯りはまったくないか、あっても気にならない程度です。あれは、そう……すべてが吹っ飛ぶくらいの衝撃でした。街の暮らしにあるもの、若かった自分が夢中になっていたものさえが、ひどくつまらなく思えてくるのです。ああ、なんにもいらないから、この星空だけ毎日観て暮らしたいなと思いつつ山頂は近づき夜は明けてゆきます。満員の山小屋になんとか場所を見つけて少しの間横になり、朝もやが消えてから下山しました。そして街に帰るとすべてが夢だったんじゃないかってくらいいつも通りです。部活には毎日出ないといけないし、テストは近づいてくるし、気になるあの娘はあいかわらずつれないし(笑)。

気づくといつのまにか控えめにドラムが鳴っています。曲は最後のパートで「〜て〜て〜て〜て」と連用形つなぎで終わっていきます。毎日同じことの繰り返しだ……という都会人の嘆きや失恋人の嘆きといった鬱なものをつぶやき続ける手法として非常にメジャーなんですが、玉置さんはなんと充実した生活の描写としてイキイキと歌います。今日も明日も一日元気、両手を広げて仰いでも何にもぶつからない空間の広さを楽しめること、天まで届けと大声で歌うこともできる開放感、眠る間に毎日明日もこうでありますように祈る余裕、眠る前KISSを交わすくらい体力や精神力が消耗しないでいられる……最高じゃないですか。わたくし眠る前KISSなんてありえないですよ(笑)。だって一秒でも早く寝ないと朝起きられないじゃないですか。あああ。

GRAND LOVE [ 玉置浩二 ]

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posted by toba2016 at 15:23| Comment(2) | TrackBack(0) | GRAND LOVE

2023年05月13日

RIVER

GRAND LOVE [ 玉置浩二 ]

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(2023/5/13 07:46時点)
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玉置浩二『GRAND LOVE』六曲目「RIVER」です。

二分半程度の短い曲です。「Oh Ye」でゆったり始まります。「Oh Ye」で陽気なのかと思いきや「流れていますか」と敬語なのでどういう言語感覚してんだとちょっとくらくら来ます。「きみのクライ」などというcryなのかと思いきや暗いだとか、このしなやかさと飄々さ、自由さにめまいがしてきます。きれいな日本語を使おうなどという気が全然感じられないのにこの美しさ……。

最初に「流れている」のはRIVERです。暗い場所、cryするような場所にキラリと光って流れるRIVER、これは利根川とか天竜川とかのRIVERではなく、比喩でしょう。だって利根川流域なんて誰のクライ場所でもないですもんね。あ!そこおれのクライ場所な!入るなよ!とかマス釣りの遊漁猟券じゃないんだから。ヒントとなるのは「心のほとり」という歌詞でしょう。つまり、このRIVERは思惟の流れ、感情の移り変わり、思い出等々の精神的現象を指すと考えるべきでしょう。

伴奏はアコギ、エレキ、ベース、パーカッション・ドラム、それに高音のシンセです。これはこのアルバムにおける玉置さんの基本セットといっていいでしょう。これらはその気になれば自宅に置くことさえできます。三畳から四畳半あればレコーディングスタジオが組めるのです。もちろん響きとか周囲の騒音とかは保証の限りではありませんが。これに安藤さんのピアノさえ持ち込むことができれば、音の良しあしはともかくこのアルバムの大部分の音は録音することができるでしょう。ああいけねえ、つい自宅でやりたくなっちゃいますね(笑)。

そんな穏やか玉置基本セットで伴奏された「きみ↑のク↓ライ」「キラリ↑とひ↓かる」という美しい高音を駆使した急転直下のボーカルは極上の響きで「流れて」ゆきます。そして一気にBメロで流れが大きくなる感覚、これまで森の奥からしみでてくる湧き水がサラサラだったのが、同じような湧き水を集めて沢といえる小さな「川」として流れ始めたようにアルペジオの伴う軽快な伴奏と歌になります。そこに「一緒にいようか」隣から、ごく近しく語りかける口調になりドキリとさせられます。さらに「星を数えながら泣こうか」と一緒に泣いてくれるのです。ここでは演奏の調子と一緒に距離感が急変する仕掛けになっていて、アレンジ、演奏、歌、歌詞が全て一体になってこの変化を演出しているのです。いやあ……玉置浩二メソッドここに極まれりといっていいでしょう。『LOVE SONG BLUE』のときはまだ歌詞が弱かったというか、最初は演奏もアレンジも外注だったわけで、その一体感がほの見えて構築中といった段階だったのですが、作品を経るごとに歌詞の力が増してゆきそれに併せてアレンジも演奏も力を増してきていました。『あこがれ』で絶頂に達したものを一度全部壊して作り始めたのが『カリント工場の煙突の上に』、外注多めで方向性を探ったのが『LOVE SONG BLUE』、そこから『CAFE JAPAN』『JUNK LAND』と純度と精度を上げてゆき、この『GRAND LOVE』で絶頂に達したということができるでしょう。

曲は間奏もなく二番、また「Oh ye」今度はきみ↑のツライ、いやつらいときにミュージックが流れてきます。やや乱暴かもわかりませんが、わたくし「RIVER」とはこの玉置さんのミュージックであると考えているのです。クライ思惟の中にキラリと光って流れてくるもの、つらいときに流れてきていやしてくれるものは、人生のいつの時点にだって玉置さんの美しいミュージックだったからです。このときわたくしまだ20代前半、心のページもまだぜんぜん書き進んでいない状況でした。だからいま思えばペランペランでめくり甲斐がないんですけども、それでも当時はそれが人生のすべてですからね。これから未来に向かって書き進めるためにめくる一枚一枚のページがじつに新鮮で貴重だったのです。これも今から思えば、なんですけども……。あれから四半世紀、25枚も書き進めてきたのですが、その25枚はもうしっちゃかめっちゃか、クライことつらいことのてんこ盛りでした(笑)。でも、そんなに悲愴じゃなかったんですよ。玉置さんの音楽がRIVERのようにいつもさらさらキラキラと流れていて、そこだけは決して淀むこと濁ることがなかったからです。ここ数年ではちょっと想像しにくいんですけど、玉置さん・安全地帯は長い間、必ずといっていいほど一年に一枚はアルバムをリリースしていたんで、まさにゆく川のながれは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなしという状況でした(『方丈記』より)。つまり、どんなにつらい一ページ一ページでも、RIVERさえ枯れていなければそれは流されてゆくもの、変えられてゆくもの、いつだって先のあるものだったのです。

1997年、札幌テルメ破綻を代表とするさまざまな開発失敗とそれによって発生した大量の不良債権が、ついに都市銀行の一角であった(最弱でしたけど)北海道拓殖銀行を破綻させ、日本の経済界に激震が走りました。とりわけ北海道の経済は大きなダメージを受け、第一地銀であった北海道銀行がその座を北洋銀行に明け渡し再生の道を探るなど混乱は甚大なものだったのです。札幌以外の街では中心繁華街の灯りがひとつまた一つと消えてゆき、今日の札幌一極集中を招いてしまいました。その一方で本州では第一勧銀と富士銀行は興銀と一緒にみずほ銀行へ、このほか三井住友、三菱UFJ、りそなと次々とメガバンクが誕生していきました。これ、笑っていられる状況でないのは明白です。ですが、若者のわたしにはどうしようもできないというか、日本の誰にも個人レベルではどうしようもできなかったのです。誰が悪いとか何が原因だとか言っても虚しいだけです。そんなことをあげつらってどうにかできた可能性があったのはほんのごく初期だけで、あまりにそれからヘビーな時間が積み重なってしまってからでは微動さえできませんでした。これは日本が経済戦争に敗れたということだったからです。若者たちは職にあぶれ、明日への希望を持てなくなりました。こんなことは当時ほとんどの人にとって生まれて初めてのことだったというその絶望感の大きさたるや、若い人には想像してもらえたらと思うのです。いやマジで日々をしのぐ以外、何もできないんです。金ないけど久しぶりに会った友達とココイチにカレー食いに行って二辛でギブアップ、店を出てもまだ辛くてすまんちょっとジュース買ってくるわと残り一枚の千円札を入れた道端の自動販売機から出てきたお釣りに混じった500ウォン、ふざけんなおれの明日の食費どうしてくれるんだよと怒る気力もなくすという傍から見れば微笑ましいけど本人にとっては悲惨な日々、そんなとき、玉置さん、安全地帯が活動を続けていてくれたことがどれだけ救いになったことか……心のRIVERがいつでも清涼な水を運んできてくれていたことがどれだけ呼吸を楽にしてくれていたことか……またまた当ブログ名物、氷河期の嘆きなんですが、わたくしが語る以上これは外すことはできません。音楽と当時の社会状況とは人生において分かちがたい連関をもっているものでして、複雑に強力に絡み合っているものなのです。

曲ははやくも三番、四度目の「Oh ye」です。ここにおいて、Riverとミュージックが「流れている」ものとして一体もしくは同一のものであることが歌われます。「あのRiver……」と余韻を残して曲の途中で終わった感覚で曲は終わります。エレキギターの音が、トレモロスプリングの震えまで聞こえているんじゃないかというくらい鈴鳴りに響き、そして消えていきます。この終わり方で、RIVERは枯れることなくこれからも流れて行ってくれるんだろうと、わたくしは信じているのです。

GRAND LOVE [ 玉置浩二 ]

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2023年05月09日

GRAND LOVE

GRAND LOVE [ 玉置浩二 ]

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玉置浩二『GRAND LOVE』五曲目「GRAND LOVE」、アルバムのタイトルナンバーです。アルバムのタイトルナンバーがシングルでないのはいつものことなんですが、玉置さんの場合、シングルになった曲が一番ポップだとかコマーシャルだとかそういうことはなく、担当が分かれている感じです。コマーシャル担当のシングル、テーマ象徴担当のタイトルナンバー、これは出来がいいとか悪いとかでなく単に別々のことをしているわけです。もちろんメジャーレーベルと契約しているミュージシャンなんですからある程度売れないと困るでしょうけども、たぶん玉置さんはもうそういう心配あまりしてなさそうですし、当時もあんまりしてなかったんだと思います。わたくし玉置さんでないですから想像するしかないんですけど、一般的にというか、誰だってそういう心配しながら生きるってつまらないじゃないですか。沈むときは沈むんだから自分が信じたようにやるしかないんです。いざ沈むときに信じたようにやれてなかったと後悔しながら沈むなんてまっぴらゴメンです。

さてこの曲「GRAND LOVE」大いなる愛、壮大なる愛、遥かなる愛、地球の終わる日でもふたりで手を握り合って……的なハリウッドストーリーが語られるのかと一瞬心配しましたが、もちろんそんなことはなく「いつものカフェ」なんて癒し系な話でひと安心です。愛の偉大さ、壮大さはストーリーの派手さとは違うものであって、崖から落ちそうになっている君の手を腕がちぎれたって離すもんか的な想像しやすさによってのみ演出されるものではないわけです。玉置さんはそんな世相とはパーフェクトに無縁といっていい我が道を突っ走っていたといえるでしょう。いつものカフェにも大いなる愛はある、むしろ日常の風景の中にこそないとおかしい、くらいの思い切りでこの詞世界を描いたわけです。「足りないもの」は、実は足りています。不要だからです。冬の北大西洋に沈む豪華客船のデッキだろうが、地球に衝突する小惑星の上だろうが、いつものカフェだろうが、一定の空間であることには変わりませんので、どれかひとつの空間を特別扱いする理由はありません。それは「ウチら最強!」とかイキリまくってた90年代の若い人たちが自分でそう思っていただけでぜんぜん最強でなかったのと似ています。

ギター一本の弾き語りで始まるこの歌ですが、このギター何でしょうね?トーン的にはエレキなんですが、やけに箱鳴り的な残響をもち、さらに指で弾いたようなタッチで聴こえます。これは玉置さんがよく使っている薄いボディのエレガットかなと思うんですが、確証は持てません。はっきりしていることは、このアレンジに「足りないもの」はなく、玉置さんのボーカルとこのギターによって満ち足りているということなのです。なにせ、この記事を書くために聴き直して、歌が終わるまでギターしか伴奏がなかったことに気がついたくらいですから(笑)。いやすみません、これまで不真面目に聴いていたんじゃなくて、マジで気づかないまま四半世紀も経ってしまったのです。

良かったら、ゆっくりしてて、あったまったら、笑っておどけて……と、促音を駆使したというか玉置さん自身のリズムがここに促音を要求したからそういう詞を書いたのでしょうけども、絶妙のリズム感覚で歌とギターは続きます。

そして「あれこれと〜」と曲が展開します。ここ、曲の中に一回しかないメロディーなんですが、あまりに強烈すぎてこの曲のみならずアルバム全体を象徴するレベルで脳髄に叩き込まれます。伴奏がギターだけなのはすっかり認識し損ねていましたが。思いますに、このメロディー自体は別に奇異でもないし超絶メロディアスってわけでもないのです。ただ、Aメロとの対比によってその存在感が際立っているのだと、現時点では考えています。「良かっ〜たら〜」(タンターンタターン)のリズムと、後半下降するメロディーでゆったり来たのに、「あれこれ〜と〜」と「タタタタンターン」のリズム、そして下降せず複数回上昇するメロディーは下降のタイミングがこれまでより後ろにずれてきます。ひとことでいえば調子を変えた、たったこれだけのことなのですが、一体何がどうしてこんなに脳細胞が活性化するのかよくわからないくらいハッとさせられるのです。「スケジュール」があれほど単調な曲だったのに油断すると頭の中で鳴り響くのと似ています。

そしてゆったりの曲なのにスリリングなリズムで声フィルイン「できるなら〜ふたり」でサビに入ります。このリズムとメロディーの融合、さらにはストーリーテリングまでもが一体になった歌いっぷりはこのアルバムで顕著になった玉置さんの特徴なのですが、これ以上の表現ってあるんですかね……好きとか嫌いとかはもちろんあるんだと思いますが、表現の手法というか芸術の形態というか、歌を主体としたものとしてこれ以上の形は思いつきません。

そして語られるストーリーが「地球を回して」なのです。いや普通に考えればわたしらみんな地球に回されてるんですけども(笑)、そうじゃないんですね。地球だって回りたくて回っているのと違います。わたしらだってその上にいたくているわけじゃありません。ただ、大いなる力によってそうなっているだけであって、それは地球に作用する物理法則(ケプラーの法則)がわたしらに作用する物理法則(運動の法則)と同一のものであるというニュートンが発見し「万有引力の法則」と命名した事実を、さらに玉置さんが愛の法則も同一であると発見した……いやすみません、大いなる愛のことを壮大なスケールで書こうと思ってたら久しぶりに何を書いているのかわからなくなってきました(笑)。愛する二人が回転し地球をも回転させることによって球体マグヌス効果が発生し、「まぁーるく」なればなるほど発生する揚力が上がってゆき二人の愛はさらに高次元のものへと……とかムチャクチャなことを書こうと思っておりました。浮揚していってもらっちゃ困るんです。「いつまでも」「どこまでも」の美しい玉置さんの高音に酔いしれているうちにわたくし頭がバグったようです。

さて曲はブレイクを挟み、Aメロのリプライズになります。「LOVE SONG」の、調号を無視したかのような低音にドキッとさせられていると、ここからいきなりギターにあわせて美しいコーラス、ベース、ピアノによる演奏が入るのです。ちょうど一分、この「GRAND LOVE」のテーマをジャジーに、アドリブっぽく繰り返します。これは前作『JUNK LAND』において「おやすみチャチ」が「太陽さん」のテーマを繰り返すものであったことに似ています。違うのは「おやすみチャチ」が「太陽さん」から独立した曲であったことに対し、この「GRAND LOVE」は合体した一つの曲であることです。これが天才的なんですよね……思いつきませんよ、前作でこうしたから今作もこうしようかとは思いつくとしても、くっつけちゃってアウトロにしようかなんて。この美しいアウトロだけでもひとつの曲として聴くべきというか、驚きましたよ最初のころは。二回目に聴いてようやく理解したくらいです。ああ!これって一つの曲だったのか!まだまだ聴き込みが甘いなあ音の一つひとつが体に沁み込むまで聴かないとな……と思いつつも、時は容赦なく青年を氷河期の悲劇へと引きずり込んでいき、やがてそんな聴き方も難しい時代を迎えることになっていったのでした。

“GRAND LOVE" A LIFE IN MUSIC [ 玉置浩二 ]

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2023年05月05日

HAPPY BIRTHDAY〜愛が生まれた〜

玉置浩二『GRAND LOVE』四曲目「HAPPY BIRTHDAY〜愛が生まれた〜」です。アルバムからのシングルカットで、これが14thシングルになります。カップリングはNHKみんなのうたで流れた「愛だったんだよ」でした。

いきなり余談ですが、わたくしこの名バラード「愛だったんだよ」はしばらく聴けていなかったのです。このとき20代でしばしば起こった超ビンボー期の真っただ中でしてこのときは特に酷く、家賃すらろくに払えてませんでした。NHKとか新聞屋が来るともちろん払えないから夜になっても電灯を点けず気配を消しているんです。「みんなのうた」も観る余裕がないのにどうしてNHKは容赦なく集金にくるのか……と筋違いの被害妄想すら抱く始末です。こうなると人間かなりヤバいですので、ためらわず助けを求めることをお勧めします。いま思うと氷河期の若者がモロに苦難をくらった初期の時代だったんですねえ。そんなわけでこのカップリング「愛だったんだよ」はのちの『BEST HARVEST』で初めて聴くことになりました。これもいずれ、『BEST HARVEST』のときにレビューしたいと思います。

さてこの曲「HAPPY BIRTHDAY〜愛が生まれた〜」は可愛らしいオルゴール風の音で始まります。間を置かず玉置さんの歌がすぐに入ります。ハッピーハッピーバースデートゥーユー?めでたい話なのにしんみりすぎる?なんと謎な雰囲気だ!とまず驚きます。「風にさらわれて」あたりで開発されたと思われるハモリと非ハモリのどちらが主役なのか全然わからない重層ボーカルによって曲はしみじみと進行していきます。

バスドラ、リム、スネア、それぞれおそろしく細心に響きをコントロールした音色のドラム、そのわりに遠慮なくブイーンブイーンと鳴りっぱなしのベース、合間を突くようにピアノ、エレキギターの単音フレーズやハーモニクス、使いどころを選んだ形跡ありまくりのアコギのストローク……『安全地帯IV』や『安全地帯V』のように繊細なアレンジと演奏です。一つひとつの音符が背負う役割が大きく、緊張感に耐えられず勢いで突っ走ったらその瞬間にこの世界は崩れ去るのが目に見えています。この張り詰めた音像にわたくしビビりつくし、Aメロの時点でもうボンヤリしていました。やらなければならない書き物のためキーボードをカチカチさせることすらためらわれて、あきらめてPCの電源を落としオーディオの前に座り込み耳を傾けたのでした。補足しておきますと当時のPCはとにかくデカくてうるさいんです。とても繊細な音楽なんて流していていいものじゃありません。

さて曲はハッピハッピーいうサビ的な箇所のほかに、もう一か所サビだろこの存在感はという箇所があります。ブリッジなんだとは思いますが、「風が強い朝も〜」の箇所は信じがたいほどのメロディアスさ、キャッチーさ、そして喉元に食い込んでくるような旋律の軌跡……しんみりの基調に似つかわしくない鋭さです。わたくし素肌に刃物を当てられたかと思いました。なんだこれは!これまでも玉置さんの曲には驚かされっぱなしで先行きの予想なんかいっぺんも当たったことがないくらいだったのですが、これはさらに予想なんてできるわけのない神の曲だったのです。

曲は愛しい人の誕生日を二人きりで祝うロマンチックなものなのに、わたくし自分の置かれてる境遇を思わされました。風が強い朝なんて幾度もあった、雨に濡れた夜も数えきれない、そんなときに愛する人のために何かをしようと思ったことがあっただろうか?こんなに誰かのことを自分のことのように慈しみ、いたわり、守ろうとしたことがあったか?自分が薄情であるとはあんまり思っておりませんでしたが、ここまでの強き愛を歌い上げられると、自分がペランペランの極薄な情の持ち主であると悟らざるを得ません。マジかよ、先祖代々の土地をはなれて新天地に渡りフロンティア精神をもってもろもろのシガラミにとらわれずダメなら次!次!と新しい社会を作った祖先をもつおれみたいなドライな北海道人には理解できねえ……いけねえ玉置さんも北海道人だった!じゃあおれが薄情なだけか!ぎゃふん!忘れないでベイベー!

曲はすぐに二番に入ります。今度は二人で泣いた夜です。誕生日の日にこれまでのよかったことも悲しかったことも思い出しているのでしょうか。そして星に祈るのです。どんなときでもそばにいると。ああいかん、生まれてこのかた星に祈るなどというメルヘンなことをしたためしがありません。それ以前に、どんなときもそばにいるなどと思ったことがありませんでした。飽きたら次!燃えなくなったら次!(笑)。ですから、愛するということはこういうことなのか!と玉置さんに教えてもらったといっても過言ではありません。プラスとかマイナスとか最初から考えない、すべてを許すというかそもそも計算にそんなもの入っていない、無条件に、ただただ愛おしむ、それが愛するってことなんだ!もちろんその貴重な教えも時を経るごとに忘れてゆき、2005年の「明かりの灯るところへ」でもう一度強烈な愛の在り方を松井さんにガツンとやられることになるわけですが。

「それだけ信じてほしい」と玉置さんの声が裏返る寸前のコントロールでギターソロの悲鳴のような音と入れ替わるあたりでもうわたくし失神寸前、あまりに自分と違う精神世界の魅力・威力に完全に圧倒されておりました。これはもう、凶悪犯罪者が拘置所で聖書の世界に出会うなみの衝撃と言っていいでしょう。

そして曲は「たとえどんなときも〜」をもう一度繰り返し、「今夜は〜(ペララペッラー!…キュイーン!)離さないよ〜」と悶絶もののボーカル・ギターのリレーをカマましてくれます。

そして曲はきもち大きめに入ったオルゴール音を背景にハッピハッピー〜を繰り返す極めて穏やかなエンディングに入っていきます。途中からはハッピーですらなく「La la la la」になり、一瞬ブレイク、「愛が生まれた」と曲のサブタイトルが謳われ口笛で消えてゆきます。いままで生まれてなかったのか?いや、愛が生まれた過程をいままで歌っていたのか?いずれにしろわたくしの知っている精神状態でないのは明らかでした。ここまでに心境に至ってはじめて愛が生まれたっていうのか!とボーゼン、大丈夫かよおれ、いままで生まれたことないんじゃないのか、カシアス内藤が一度も本気を出さずに東洋チャンピオンになったはいいけど、あっさりそのベルトを失ったなみの不完全燃焼なんじゃないのか、輪島戦だけちょっとマジになったけど!

そんなわけで、軽井沢に移転した玉置さんが大いにその愛の在り方をリフォームなさったことは明らかでした。安全地帯時代の刹那的でだからこそ燃え上がるような愛はすでになく、『あこがれ』のようなひたすらに内省的で激しい愛でもなく、相手あっての愛、「場」があっての愛、そして無条件な愛を教えてくれていたのです。年収がどうとか何歳までとか身長はこのくらいとかフィーリング(笑)が合うとか合わないとか、なんとしゃらくさいんだ!頭がいいから、足が速いから、ドッジボールが巧いから、そのくらいの理由で人気者になれる小学校と何が違うんだ?そうじゃない、成績が悪かろうと足が遅かろうとドッジボールがヘタだろうとなんだろうと、その子はまさに目の前で命を燃やして頑張っているじゃないか!それを尊重しないで何が人気者だ恥を知れ!くらいの気持ちになったわけです。おかげでちょっと成長しました。ちょっとですけども。

GRAND LOVE [ 玉置浩二 ]

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2023年04月22日

ルーキー

玉置浩二『GRAND LOVE』三曲目、「ルーキー」です。13rdシングルで、カップリングは「BELL」でした。

カラフルでド派手な『CAFE JAPAN』収録の「田園」が売り上げ歴代一位なのはもちろんなのですが、このモノトーンで地味目な『GRAND LOVE』収録の「ルーキー」もじつは侮れない売り上げがあったようで、玉置浩二歴代シングル売り上げランキングでは11位の渋い位置(本記事執筆時)を確保しています。巨人でいうと淡口憲治です。打率は二割台後半でありつつも長打率が驚異の四割越え(原、クロマティは三割台)、押しも押されぬ代打の切り札的な存在だといえるでしょう。巨人はなんで放出しちゃったんでしょうねえ(〇岡のかわり)。大洋ファンのわたくし、セリーグの代打に淡口がいなくなってだいぶ安堵しておりました。というか、そもそもこの歌は当時ルーキーだった高橋由伸選手のことを玉置さんが歌ったものであって、けっして淡口のような渋いベテラン代打選手のことではありませんでした(笑)。

さて曲はアコースティックギターが心地よいリズムを刻む弦のミュート音と、なにやらパーカッションの「カツカツポコ、スコーン!カツカツポコ、スコーン!」で始まります。こういう何の音かよくわからないパーカッションにもかなりこだわりをもって、自分のイメージに近い音を探していったんでしょう。当時は全然でしたが、わたくし最近玉置さんのパーカッションにだいぶ耳が行くようになりました。アレンジを外注したりバンドメンバーに任せたりせず全部自分で決めているであろう玉置ソロの音を、こうやってひとつひとつ有難がって聴くようになって、ようやく音楽の楽しみ方がわかってきたなあ、なんて思うのです。わたくしもう当時の玉置さんよりだいぶ年上になったんですけどね。天才の仕事というのは、こうやってしゃぶりつくさせていただきながら自分を高めてゆくことができるものなのです。若いころにはそこらのメジャーミュージシャンより自分のほうがいい音楽を作れるような気さえしていましたが、歳をとるにつれ世の中には自分など全く及びもつかないエクストリームな天才がいるということがわかって恐怖するようになってゆくものなのでしょう。

話はまだ前奏でした(笑)。刻みの裏に鍵盤のストロークが入り、強烈なスネアと玉置さんのシャウト(「カモン!」ですかね)を合図にシンセがメイン旋律を奏で、玉置さんが「オーオーオーオーオ」と歌ってシンセに合いの手を入れます。これは前曲「DANCE with MOON」でもみられた手法で、自分の声を歌でなく楽器に近い使い方をしています。楽器「玉置浩二」みたいな感じです。何言ってんだ「田園」も「MR.LONELY」もそうだったじゃねえか、とお思いになる方、正解です。でも、わたくしに言わせればあれらは歌だったんです。厳密にどこって境界線を引くのは無意味なことではあるんですが、このアルバムあたりから玉置さんの声はしばしば楽器として「鳴る」ようになったように思えるのです。歌とは違う声の使い方を駆使するようになって音楽の幅を広げたというか……案外ご本人はそこまで考えてなくていつも通りやってるだけ、という可能性が一番高いんですが、ともあれわたくしがそう思うようになったタイミングがこのアルバムだったのでした。

ギターが左右に広く振られていて、歌が入るタイミングで中央からも聴こえてくる、そしてベースがギターよりも狭い範囲で左右を行き来する、ドラムもベースとだいたい同じ範囲で左右に適度に振られているようで、中央から歌と弾き語りのアコギ、その周りをベースとドラム、さらにワイドにギターというバンドサウンドとしては標準的といや標準的なセッティングです。これは音がナチュラルなぶんゴマカシが極めて効きづらいと思われますが、シンセピコピコの音圧高めでゴマカシだらけだった平成前期の音楽業界にあってあえて同じ土俵に乗っているんじゃないかと思われる、難易度の高いミックス思想を採用したといえるでしょう。

やっと歌です。手を伸ばせば届きそうな星……これは東京ではムリな表現です。東京どころか札幌でもムリです。軽井沢にあって、「東京」読売ジャイアンツの高橋選手がつかむ栄光を視界良好で眺めながら作った歌だということが示唆されるのです。軽井沢がそんなに星がきれいに見えるかどうかまでは知りませんが(笑)。いっぺん二‐三日滞在したことがある程度で、星まで気が回りませんでした。これはいけません。そして慶応大学野球部でスター選手として活躍し鳴り物入りで巨人入りする高橋選手にも、余人がうかがい知ることができるものではないのですが、それまでにきっと数えきれないほどの悲しみがあって、人知れず辛酸をなめたに違いないのです。傍から見てる分には、後にまだ現役選手なのに半分ムリヤリ引退させられて監督にされちゃったことのほうがよほど気の毒なんですが。生えぬきスターを監督にすることにこだわる巨人軍のスター選手が負う宿命ともいえるでしょう。というか、松井があっさり移籍したとばっちりを食った形になったようにしか見えません。それも「数えきれない悲しみ」の一つなのでしょう。

そんなこんなで、シンプルにスネアは二連打だけ、バックにアコギのストロークを入れ、大声で「なんだって!」とフィルインを入れてサビに入ります。そうです、この「なんだって」がフィルインなのです。玉置さんはここにおいて、自分の声を歌と楽器(しかも旋律楽器と打楽器の両方)として同時に使うというとんでもない大技をかましてきたのでした。しかも続く「精一杯」がフィルインのつづきとも歌ともつかぬシームレスな役割を果たしており、聴くほうも違和感全くなくサビ気分に移行することができるのです。おそるべし……思えば、近いことはやはり「MR.LONELY」でも起こっており、サビ前の「オオオオッオー!」はフィルイン的でしたがその後が「何もないけど」と完全に歌に切り替わっていたのに対して、この「ルーキー」ではその続きさえもフィルイン的でもあり歌的でもあるという進化を遂げているのです。

さてサビで歌われるのは、頑張っている君をみるとなぜか涙が出てくる、だから僕も君のためならなんだってするよ、という応援する気満々の歌詞です。これ、歳をとればとるほどよくわかります。なぜか他人事じゃないんですよ。わたしにとって高橋由伸選手は一つか二つ年下なだけの同年代の選手で、彼が巨人で何をしようとも完全に他人事でしたが(笑)、選手たちより上の年代になってから、若い人たちが頑張っている姿をみていると妙にジーンと来ることがあるのです。おいおいそんなに頑張っちゃって!もうおじさん感動しちゃって何でもしてやるからな!頑張れガンバレ、でも頑張りすぎるな、おれたち君の老後までは面倒見れない無責任な立場なんだからな!だからせめて今は応援するよ!という気持ちですかね、ムリヤリことばに直すとすれば。玉置さんはこのとき(シングル発売時)40直前、不惑にさしかかるときでした。落ち着いた生活、制作環境を手に入れたことによって紛れもなくルーキーを応援する立場、心境に至ったのだとじわじわと思わされます。じんわり感慨にふけっていると「飛んで行く!」とまた歌声フィルインで曲は切れ味鋭いアコギストロークのリフで短い間奏から二番へと入っていきます。

突然ですがここの「歩き回った」「曲がりくねった」って、みなさん歌えますか。わたくし実は歌えないのです。音程かリズムか、どっちかかならず失敗します。右四つに組めなかった時の荒勢なみにコケます。玉置さんは歌手なのですから比べたって仕方ないのですが、どういう活舌とリズム感してんだ!とちょっと驚かされるポイントだよーとわたくしがドヤ顔で紹介しているわけなのですが、けっこうみんなこの程度はサラッと歌えてしまって、単にわたくしが歌がドヘタだったとバレるリスクを冒してまで文章を書こうとしているくらいもうネタがない(笑)、いやいやまだ曲は中盤でしたね、がんばります。

今度のサビは「頑張ってやっていたあの頃」と、「君」ではなく自分のことを思い出して、自分も若いころあんなに苦労して精力を傾けていたからわかるんだよ君のこと、と高橋選手の頑張りに全力で受容・共感を示しています。玉置さんはそりゃボロボロになるまで頑張って、ボロボロから立ち直ってここまで来ていますから並大抵じゃないというか、日本の有名バンドマンで随一じゃないですか?ここまでとことん完全燃焼して燃えつきて、また這い上がって全力燃焼できている人なんて。野球選手でいうと(またこのパターンだ!)巨人の吉村、大洋の遠藤……ロッテの村田……いやピンときませんね。それぞれ奇跡的な大復活を遂げてはいますが、玉置さんの復活のほうがスゲえとわたくし思っておりますんで。ですから、玉置さんにこうやって応援されるということは、わたくしにとって往年の名選手を超える奇跡の復活を遂げたなみのとてつもないことなのです。それがあんな形で引退させられて、しかも監督としては十分な成績を残せずにまた原かよ……と思わずにはいられません。いや、原監督に恨みがあるわけじゃないんです(笑)。大洋のエース遠藤の後輩ですから!でもあなたは神奈川のスターなんですから巨人など断って地元の球団に入ってもよかったんじゃないですか?(45年前の恨み節)そんなこと言ったら高橋選手だって高校時代は桐蔭なんですから(以下略)。ちなみに玉置さんは巨人ファンだそうですから、ここに書いてあるのは100パーセントわたくしトバの願望であって、玉置さんの意向とは全く無関係であることをここにお断りしておきます。

さてなんのこと書いてるのかよくわからなくなってきましたが、「どうにかやってきた」経験と自信があるからこそ、「僕だってまだやれる」と玉置さんは力強く高橋さんを励ますのです。傍観者じゃない、大上段の指導者じゃない、一緒に険しい山を登っている求道者同士であって、自分が先達として後進を励ましつつ自分も登っているという姿勢を示します。前にも後ろにも誰もいない坂道を、人間は登れないものです。先を行ってくれる人がいて、そして後ろから来てくれる人がいてはじめて、人間は辛い道を前に進めるのです。玉置さんは音楽界での経験からそのことをよく知っているからこそ、プロ一年目のルーキーたる高橋選手にそういう姿勢を示すことによって強い強いエールを送ろうとしたのだと思われます。

そして曲は間奏のギターソロ、フレーズとしては非常に簡単です。音は異常にナイスですが、はっきりいってなんてことないソロです。ですが、「オ、オ、オ、オーオ、オオオオオ」という声楽器によってすべてが回収されるこの間奏になんと似つかわしく簡素で適切なソロであることか……超速弾きしちゃうぜ超ブルージーな泣きを入れるぜとか、そういうギタリスト的な野心が全くなさそうな玉置さんだからこそできる、声楽器と一体になって並び立つとんでもないソロです。ギタリストだと逆にこれはできないと思います。

「なんだって」と声フィルインからサビ二連発、倒れそうだって〜這いつくばってだって〜君のためなら……いや泥んこになったって?一番よりもっとひどいことになってる!それでも支えるんだ、力になるんだ!

「うまくいかんくたって」……『JUNK LAND』あたりから、こういう日本語としてちょっとおかしい言葉を歌詞に使う傾向が鮮明になってきていますが、リズムと語感に説得力がありすぎますから、これを日本語としておかしいと指摘するのはあまりに野暮すぎます。歌詞カードみて冷静に考える時間をもたなければそんなツッコミ入れることすら思いつかないでしょう。このブロークン日本語はそれくらい凄まじい必然性があるのです。英語ではAren'tをAin'tとブロークンにいうことがありますが、それに相当するものだと考えると納得がいきます。

君のためならいつだって……何するんだろう?笑って(い)よう?笑うだけかい?なんてツッコミも思いつかないくらい玉置さんがニコニコ元気でいてくれることを思い浮かべるとこちらも元気になってきます。「太陽みたいに笑う君はどこだい」と、この五年前に松井さんが書いた歌詞(光GENJIの「勇気100%」)に対する玉置さんからの返答なんじゃないかと思い、わたくししばし呆然として、涙が出ました。五郎ちゃん、俺やっとわかったよ、俺はいまここにいて、太陽みたいに笑っているよ、だから安心してねって玉置さんが言っているんじゃないかと思い……でも実はそんなこと全然なくて、この曲はやっぱり高橋由伸選手への応援歌なのでした(笑)。

「(高橋選手のために)笑ってよう」と繰り返し、曲はアウトロへ、エレキギター、シンセ、声が次々にリードをとり、最後にフェードアウトせず「ジャーン!」と終わります。わたくしの大好きなパターンです。だから玉置ソロシングル11位なんて全然納得いかない!(笑)1−3位あたりはもうどうしようもないのはわかってるから、4位くらいにはなってくれよ!と思わずにはいられない名曲なのでした。

GRAND LOVE [ 玉置浩二 ]

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2023年04月15日

DANCE with MOON

GRAND LOVE [ 玉置浩二 ]

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(2023/4/8 13:52時点)
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玉置浩二『GRAND LOVE』二曲目、「DANCE with MOON」です。

この曲は一聴すればわかりますが、とにかく起伏というものが感じられにくい平坦な、淡々とした曲です。英雄もない貴族もない、ついでにAメロもBメロもサビもないって感じです。いや、ちゃんと展開があって起伏もあるんですけど、最初はわかんなかったです。ここだここだ、ここでグワーッとくる!あ、あれ?来ない?の繰り返しで裏切られ感が強かったのでした。ウィトゲンシュタインが子どものボール遊びを見ているとサッカーやってるようにみえたがそのうちラグビーになりバスケットボールになり……おいおいルールはどうした?どうなってんだ?と困惑したというエピソードがありますが、それに近いものがあります。いうまでもなく子どもはただ楽しく遊んでいるだけであって、そこにルールがあってなんらか既存の競技が成立していなくてはならないのにしてないから困惑するというのは、見ている側の勝手な想定であるわけです。

さて曲はバスドラとリムの音でカッカカカ……カッカカカ……と単調なリズムから始まります。そしてなにやら玉置さんの囁き声とともに低音のストリング的な音、単音のガットギター、そしてうすーくコードストロークしてるギターらしき音にピアノ、スネアを伴い始めたバスドラに合わせたすごく控えめなベース、そして何やら意味のないことばを喋っているラップ的なボイスと、なにやらカオスで暗い雰囲気をどんどん増してゆき、そのままボーカルが入ります。

「月の砂漠をゆくんだろう」、むむ、これは「砂の街」的なラブソングだろうか?などと思っていると、どんどん「だろう」「だろう」「だろう」と推測四連発をくらいます。それぞれが互いに関連があるとは思えない乱れた思考の直撃をくらい、あやうく一ラウンドでダウンを取られそうになっていまいます。え?え?あれ?ドーン!です。後から考えれば「月」「星」は同じグループ、「ボタン」「シューズ」も同じグループと、全く関連がないわけでもありませんが、それでも何を言っているのかわからない感覚はいまだ残っています。これは思いますに、言っていることはわかるんです。歌詞そのままです。ですがわたしたちは歌詞全体で語るストーリーがあると想定しているからそれが見えないとズッコケるわけです。

そもそもは「DANCE with MOON」月と踊るというのがわからないといやわからないのです。夜空に月が出ています、月は黄道上を東から西に移動します、その間雲に隠れたり出てきたりします。明るかったり暗かったりします。そのわずかな変化にあわせてダンスする……いやそんなわけねえだろ(笑)。つまり、ダンスというのはじっさいに舞踊するわけではなく、何か(エロ?)の比喩であるか、たんなるイメージ描写であるわけなのです。

さてそんな意味があるのかないのかの情景が切り替わり、歌はBメロに入っていきます。英雄、貴族、独裁者と、コルシカ生まれの革命児から欧州の皇帝に登りつめたナポレオン・ボナパルトを思わせますがたぶん何も関係はありません。ここは「ない」三連発によって否定された「シューズ」が君にピッタリであること以外は特に重要ではありません。しいて言えばシューズがピッタリであるかどうかという肉体的条件に適合するかしないかには社会的権威など意味がないということを示唆しているかもしれません。このように意味はそんなにないんですけども、玉置さんが歌うと強い!そうだ!英雄も貴族もないんだ!独裁者でもどうしようもあるものか!という気持ちにさせられて、このBメロを気がついたら口ずさんでしまうのです。なぜだ、意味がないのに(笑)。これが歌の魅力、玉置さんの音楽の力なのでしょう。歌詞をみて意味を推測しているようではまだまだ、それがメロディー、リズム、楽器の演奏と一体的に表現されたときに生じる表現力のすべてを味わい尽くすところからはまだほど遠いといわなくてはならないでしょう。玉置さんが歌詞を自分で書くようになってからその魅力がみるみる増してきたわけなのですが、このアルバムではとうとう最高レベルに達したということができるでしょう。なにしろ曲を他人に書かせちゃうくらいですから、音楽の魅力を最高度にするためにはそれすら厭わなくなってきたわけです。

そして間奏、なにやらサスティンのないシンセパッド的な音でこの曲のメインテーマたるAメロのメロディーが奏でられ、音が歪み気味のギターの音色をバックに合の手に玉置さんの物憂げな「アアー」という声が入ります。これもAメロBメロ間奏、という定番の構成といえばそうなんですが、間奏がおまけ的な存在ではなくて、ボーカルが入っていないだけの強力なパート、むしろメインなんじゃないかと思えてきます。

そして歌は二番へ。風の街、太陽の塔、どこにあるのかさっぱりわかりませんが(万博会場?)、はるか遠くまで彷徨い、むなしい成果しか得られなかったことが思わされます。おそらくピッタリのシューズはどこにもなかったのでしょう。

僕にピッタリのシューズ……むむ!(意味深)メダルがない?シューズにメダルなんかあるか!サイズがない?シューズなのにサイズがない?なにそれ?華やかさ?ふつうのシューズだろ?と「シューズ」を文字通りに受け取ると全く意味が分かりません。ですが歌の力音楽の魅力でねじ伏せられるように感動させられてしまいます。そうだメダルなんかいらない……僕がほしかったのはそんな世間とか社会とかの基準で評価されているものじゃないくて僕にピッタリな……ここにおいてようやく理解します。というか思い当たるものに推測が至ります。これは男女の相性とか、あるいは生活様式といったものの比喩なのでしょう。具体的にいうと安藤さんと始めた軽井沢における音楽生活が、当時の玉置さんにいかにピタッとはまっていたのかが偲ばれます。

そしてまたメインなみの存在感を示す間奏、これがほんとにズシっと柱のように曲全体を支えているようにさえ思えてきます。最初に思いついたのここなんじゃないですかねってくらいです。

そして最後の歌の入る「〜だろう〜だろう」部分、月、時、星、これらは曲の冒頭と同じモチーフです。そんななか、君は抱かれて月と踊るのでした。君が抱かれているのですから僕が抱いているのでしょう。でもそんなことは全然書かれていませんので、なんだか遠く、それこそ月とか星くらいから……は大げさとしても、視界の中に月、星、そして「君」「僕」がおさまるくらいの広角レンズ的な視界から眺めているような錯覚に陥ります。もちろんねらってそうしたんでしょうけども、あまり深く考えないでこうなったんじゃないかと思えてくる天才ぶりだとも言えます。

ドラムのリズムは「〜ない」でダダン!とアクセントが入るくらいで、だいたいずっと同じです。ベースがドムドムンと雰囲気を変えてはきますけども、基本単調です。宗派によってたまに裏拍が入る読経くらいの単調さです。これで凡百の曲なら眠くなること必至でしょう。それが終始ものすごい緊張感でアウトロまで一気に駆け抜けます。これは眠れませんでした。とりわけ間奏には初聴時から度肝を抜かれました。歌詞もよくわかんねえけどすげえ!(笑)くらいには思っておりました。

シン!と張り詰めた静寂さがこれまでになかったといえばいえる前曲「願い」は、まあ、それでも玉置さんが作りそうな曲ではあったのです。ですが、この「DANCE with MOON」はその想定をだいぶ超えてきました。「ROOTS」と「闇をロマンスにして」を合体させて発展させたような感覚です。もちろんランダムに組み合わせを決めるのならその音像を予想できなくもないですが、よりによってその二つを足すか?とたまげてしまったのでした。ベートーベンの交響曲六番と九番はみんな知っているのに七番八番はあんまり知られていないのに似ていて、マニアな魅力がたっぷり詰まっています。この先このアルバムはますます探究者を引き付ける魅力を放って行くのでした。

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2023年04月01日

願い

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玉置浩二『GRAND LOVE』一曲目、「願い」です。

Music by Koji Tamaki, Satoko Ando

これは歴史的なクレジットです。玉置さんがほかの人と一緒に曲を作った?いや、作ったことくらいあるでしょうけども、共作を安全地帯・玉置浩二名義で発表するのは初めてのことだったのです。ましてやそれを玉置さんが歌うなど!わたくし衝撃を受けました。恥ずかしながら軽井沢に移住したことも知らなかったし、安藤さんと恋仲というか音楽を一緒に作るほどのパートナーになるほどの仲だったことにも気がついていませんでした。プライベートのことは全然知らず、しかしこれまでの安全地帯、玉置浩二の音楽を知っているからこそ、この衝撃は大きかったのです。

そしてその衝撃は流れてくるサウンドでさらに増幅され、わたしの五臓六腑に波及していきました。静謐に始まるシンプルなドラム、ガットギターの響き、飾りのないベースの音……これは!『カリント工場の煙突の上に』の復活じゃないか!そう思いました。ですが、もちろん『カリント工場の煙突の上に』とはいろいろ違っています。なにより違うのは、流麗なピアノです。詳しくないですがスタンウェイの音じゃないですかね?わたしが作る曲でスタンウェイのシミュレート音を使うとこんな感じになりますが……そこは詳しくて耳のいい人に教えてほしいです。そして低音高音がきれいに混じって響くこのフレージング!このピアノこそが軽井沢時代の玉置作品を特徴づけるもの、別の言いかたをすれば安藤さんこそが玉置さんの音楽を決定的に変えたわけなのです。

「ほとんどあれはさっちゃんの曲なんだ」(『幸せになるために生まれてきたんだから』より)

志田さんがこの本を出してくれなければ知り得なかったことなのですが、これは共作をはじめて歌ったどころでなく、他人の歌を歌ってはじめて自分名義で出した、という大事件だったのです。玉置さんは安藤さんの作曲・演奏に惚れこみ、安藤さんの曲を歌って自分のアルバムで発表しちゃうだけでなく、安藤さんのアルバムをもプロデュースしてしまいます。「この人とは音楽ができるなって思った。さっちゃんは音楽を作れる仲間だと思った。そういうやつが欲しかった」(同上より)。いやいや玉置さんいっぱいいるでしょ!矢萩さんとか武沢さんとか!星さんとか!実際いっぱいいて、その仲間たちでつくった安全地帯が壊れ、玉置さんは孤独の底に叩き落されたような気分から須藤さんと一緒に再出発をしてここまで来ていたのでした。そこでまた「音楽を作れる仲間」安藤さんと出会えたのは、これはもう運命としか言いようがないでしょう。

なお、矢萩さんはこの後この二人に合流しますし、六土さん田中さんもツアーメンバーとして帯同してくれます。さらには武沢さんもコンサートで少しずつ混ざってくれるようになります。コンサートっていうのはステージの上が全てじゃないですからね。むしろステージの上はごく一部で、リハに移動にとほとんど年単位で付き合いますから、もう一緒に生活するようなもんなんです。ジョンはヨーコといることでビートルズを壊すような恰好になってしまったわけですが、玉置さんの場合は逆に安藤さんがいてくれることで安全地帯も復活していったんじゃないかと思えるほどに安藤さんの存在は人間関係にも音楽にもプラスに働いた、壊れたままになっていたものを修復する作用があったかのようです。もちろん全部偶然ってこともあり得るんですけども、偶然だっていいっす!安藤さんありがとう!

音楽を一緒に作れる仲間というのは得難いものでして、えてして自分だけが作っているような錯覚に陥りがちですし、仲間の作ったところが自分の作ったものをダメにしているような感覚さえ覚えます。ですから、基本的には一人でやったほうが気が楽なんです。ですから、玉置さんと安藤さんはよほど波長が合ったのでしょう。ヘビメタ雑誌のインタビューでは「ケミストリー(化学反応)」があったとよく海外ミュージシャンがインタビューで話していますけども(ドッケン再結成とかで。ウソつけ!付き合わされたミックとジェフが気の毒だよ)、玉置さんと安藤さんにもまさにそのケミストリーがあって、形成された結晶群がこのアルバムであり、とりわけこの「願い」が純度の高い結晶だったといってもいいでしょう。

ピアノもギターも、ベースもドラムも音が全体的にクリアで生々しいです。『カリント工場の煙突の上に』も決して悪くないんですが、このシン!と張り詰めた感じ、背景を防音壁やノイズリダクションでわざと無音にした感じでなくホントに静かなところで演奏しているんじゃないだろうか?いくら軽井沢ったって……静謐すぎるだろうと思わされます(ちなみに実際行ってみると軽井沢はすごい賑わいです)。

「すみれの花……」と玉置さんの歌が始まり、ゾワワ!と逆毛立ったんじゃないかと思いました。耳元で歌われているんじゃないかと思ったからです。なんだこれ?たぶんわたくしプレイヤーにCDをかけてコーヒーかなんか淹れに行ったんだと思いますが、思わず動きが止まりました。電子的なリバーブを使ってないから?歌い方に何か根本的な変化があったから?ミックスの方法論が違うから?何が何なのかよくわかりませんが、この驚異的なボーカルサウンドにすっかりノックアウトされたのでした。

そして歌われるのは、野に並んで咲くすみれ、森に響くつぐみの声、そんな素朴すぎる小さな愛の世界でした。ふたりでそっと暮らしていこうか、生きてゆこうか……なんという!なんというささやかで温かいメッセージ!恋の罪とか恋の罠とかは完全に昔の話、なんと玉置さん、安藤さんという得難いパートナーを得てサウンド面では『カリント工場の煙突の上に』と『JUNK LAND』を、詞の世界面では『あこがれ』と『CAFE JAPAN』『JUNK LAND』をなめらかにしなやかに融合させて、新境地を作り上げてしまったのでした。過去のパターンの組み合わせだろ?予想できたじゃないか何をいまさら驚く?いや驚きますよ。恥ずかしながらまったくこの方向性は見当もつきませんでした。あとから冷静に考えて「こう来たか!」ともう一度驚くくらいなのです。巨人からFAで出てゆくというビックリな離れ業を演じた駒田が中核となるマシンガン打線が試合のどこかで火を噴き、最終回を大魔神佐々木が点差を守るという黄金パターンでいきなり優勝した横浜のように、ものごとには組み合わせの妙というものがあって、それがピタリとハマると(横浜だけに)とんでもない輝きを発するものだと誰もが驚いたあの1998年、わたしは部屋でひとりこの「願い」を聴き呆然としていたのでした。大丈夫か!まだ一曲目だぞ!

そして「いつまでもいっしょに〜」と、なんだか縮こまったというか、伸びやかなところのない旋律で玉置さんが震えるようにささやかな願いを歌います。そしてそれが歌の一番二番の切り替わる箇所になっています。いわゆるサビらしきサビでは全然ありませんが、位置的にはサビです。玉置さんの曲ではいつものことなのですがABサビなどという形式にはぜんぜん囚われることなく、曲は必殺の口笛を含む間奏でメインテーマを続けつつ二番に進みます。ここらあたりでストリングスくるでしょとか当時は予想していて外れたので驚いた記憶があります。曲はただただ静かにゆっくりと、歌ってないのに愛してるとわかる!というもはやエスパーじみた強力な曲の説得力を発揮しつつ、素朴ながらに強い祈り、願い、愛を紡いでいきます。

「雪割草」とはまた郷愁を誘う言葉!きっと北海道の雪の下から顔を出すフキノトウのことだろう……なんと健気な!と玉置さんとほぼ同郷であるわたくし、すっかり感じ入って二番の歌詞世界に入り込んでおりました。しかし、いま調べて知ったのですが、ぜんぜん別の植物でした(笑)。読むと、北陸以北の日本海側本州に分布するようで、どうもここでいう「ふるさと」とは北海道のことではないように思います。ついでにいうと軽井沢も該当地域に入らないような……これは現地でないとわかりません。北陸や羽後地方でなくても長野県北東部では雪割草と呼ぶ花が咲くのでしょうか?知っている方は教えていただけると幸いです。

玉置さんはここにおいて北海道以外を「ふるさと」と歌う心境に至った、いや歌なんだからべつにハイビスカスとか歌っても構わないんですけども、これまで玉置さんが歌ったふるさとは旭川、北海道を明確に意図していたとわたくし思っておりますもので、これはいささかショックというか、玉置さんの心境の変化・進化・深化が進んでいたことを伺わされたのです。そもそもこれまでもぜんぜん北海道とか意図としていませんでしたという可能性もなくはないのですが。

「ずっと二人で歩いてゆこう」

「暮らしていこう」「生きてゆこう」に続いて「歩いてゆこう」ですか……いや、誰でも思いつく歌詞なんですけども、けっして陳腐ではありません。「恋の罪も恋の罠も」「真夏の夢」「ステキな夢」とやはり誰でも思いつきそうな言葉を用いているのにぜんぜん陳腐に聴こえてない陽水マジックを彷彿とさせます。玉置さんの歌詞は前作までにかなりこなれてきて、わたくし玉置さんの歌詞に心酔するまでに至ったわけなのですが、この「願い」では、陽水さんの域に達したのではないか……とまで思わされました。ところでこの1998年、陽水さんはというと『九段』をリリースしておりまして、わたくしいまだに未聴なのでした。しまった!そんなわけでいま注文しました(笑)。90年代の陽水さんと玉置さんがどのような歩みをたどったのか、四半世紀を経て陽水さんの側からも考察してみたいと思います。

そして曲は最後のサビ……いやAメロ……あーもう!(笑)この素晴らしいセクションを繰り返して終わります。「願い」という曲タイトルがここにようやく登場するのですが、なんとその願いは自分のことではなく、地球全体に愛があふれることなのでした。なんと!この愛は……どなたか存じませんがある特定の女性(すっとぼけ)への愛ではなく大自然への愛で、それを人間の愛に喩えて表現していた?いやいやいやそんなバカな?でもそうとしか読めませんよね。ここには恋の罪も恋の罠もありません。さみしい夜に開く古い宝石箱もありません。ただただ、「風のように自然に」「花のようにやさしく」紡がれる愛なのです。そして人間同士の愛も究極的には大自然の愛なのだから、草も花も風も、そして男女も(笑)、そんな愛で世界を満たすのがいちばんハッピーに決まっているよね?という玉置さんの穏やかな笑顔を見るような歌だったのです。これはびっくり。なにがビックリって、その世界理解がです。もはやこれは仏陀(また仏教ネタ)にも似た、悟りの境地を示す歌だったのでした。

仏の目には英雄も貴族も独裁者もみな同じ、人間を分かつのは自然の仕組みでなくいつも俗世の業に満ちた傾向性のようなもので……ああいかん、次の歌の解説に入ってしまいそうですんで、今回はこのくらいで。

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2023年03月19日

『GRAND LOVE』

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玉置浩二7thアルバム『GRAND LOVE』です。発売は1998年五月、ファンハウスへの移籍、軽井沢への移住と、完全に心機一転、環境一新、さらに須藤さんと袂を分かち体制まで大改革という、とんでもない変化が起こっていました。聖飢魔IIがこの二年前にやはりソニーからBMGに移籍しており、そのBMGと合併するかしないかくらいの頃だったファンハウスに聖飢魔IIを追うかのように(追ってないと思います)玉置さんは移籍したのでした。聞き及ぶ範囲ではソニーに比べてさまざまな体制が整っていなかったBMGでは、それまで当たり前だったものが未整備で、制作やプロモーションの勝手に大きな変化があったそうです。玉置さんもまた……というか、玉置さんはおそらく望んでそういう環境に飛び込んでいったんじゃないかと思われます。レコーディングは軽井沢のウッドストック・スタジオで玉置・安藤(・矢萩)の二〜三人体制、スタッフはいるにはいても、ほとんど手作りでどんどん録音してしまってゆく玉置さんは、そうしたくてしていたのだと思いますが、むしろ楽しんでいたんじゃないでしょうか。

金子洋平さんが見つけて、玉置さんに紹介した、いまはなきウッドストック・スタジオ、ここを拠点に玉置さんはいくつものアルバムを作り、安全地帯を復活させていきます。98年に『GRAND LOVE』発表、翌月に薬師丸さんとお別れし、そして翌年には安藤さんと結婚しています。まあ、その頃にはさすがにこの人と結婚するんだろうねくらいにはわかっていましたが。その作り上げたサウンドは素朴で美しく、まるで『カリント工場の煙突の上に』まで時計の針を巻き戻したかのようなアコースティックな響きをもっていました。そうか、玉置さん、またギター一本からやり直すんだ……と、強烈なリセット感を感じたものです。その背景に、玉置さんの病気や、東京での音楽生活への不適応、軽井沢への移住などのあったことは予想すらしていませんでした。ただただ、玉置さんの精神に何事か大きな変化が起こっていることのみを感じていたのでした。

では、一曲ずつの紹介を。
1.「願い」アコギとピアノのバラードです。安藤さんとの共同作曲名義で驚きました。
2.「DANCE with MOON」ミディアムテンポの陰鬱系ポップスです。わたくしこのアルバムでこの曲が一番好きかもしれません。
3.「ルーキー」先行シングルで、爽快なアコギロックです。玉置さんから高橋由伸選手への応援歌でした。
4.「HAPPY BIRTHDAY〜愛が生まれた〜」スローテンポの陰鬱バラードです。「ハッピー」なのに陰鬱です(笑)。曲と歌の巧みさに息をのみます。のちにシングルカットされました。
5.「GRAND LOVE」前半はほぼアコギのみの伴奏でしんみりと歌われるこれまた陰鬱ながらにひたすらに穏やかなバラードです。その後ギター、ベース、ピアノのインスト曲が合体してる形でメインテーマが一分ほど奏でられます。
6.「RIVER」けだるいながらに安心感のただようスローテンポのポップスです。
7.「カモン」ミディアムテンポの不思議系ポップスです。このアルバム、だいたい不思議か陰鬱かなんで、そんな言い方ばっかりです。
8.「BELL」シングル「ルーキー」のカップリングです。「ルーキー」に負けない勢いのあるロック曲です。ただし陰鬱です(笑)。
9.「RELAX」またまたミディアムテンポの不思議系ポップスです。
10.「ワルツ」なんと安藤さんのみの作曲クレジット!わたくしひっくり返りました。ひたすら安心しきっている様子のわかるピアノバラードです。
11.「フォトグラフ」アコギのバラード、わたくし最初に気に入ったのはこの曲でした。歌詞が耳にこびりついて離れませんでした。フォトグラフが赤茶けたなんて!いつまでも青空なんて!
12.「ぼくらは…」陰鬱さの感じられない人生前向きバラードの曲なんですが、歌詞には無常観が漂っています。このあやういアンバランスさのなかに玉置さんは一種の安心を見いだしたのだとわかります。

安藤さんとの生活で「俺の精神が安定してきた」「そしたら音楽自体も変わった」(『幸せになるために生まれてきたんだから』より)と玉置さんは語ります。たしかに安定しています。ですが、上の短いレビューで何度も申し上げたことですが、曲がいちいちダウナー系なんです。玉置さんはずっと上下の激しい方でそれが魅力でもあったわけですが、このアルバム以降、軽井沢時代はおおむねダウナー系で安定していきます。いや安定しなくていいです!もっと激しく上下してわたしを楽しませてください!と思わなくもないんですが(笑)、それは聴くだけの人間の勝手な望みであって、肝心の玉置さんがもう限界だったのでしょう。なにしろ、安全地帯の「ワインレッドの心」から「じれったい」まで一気に走り抜けてきた三年半と同じく、『カリント工場の煙突の上に』から『JUNK LAND』まで三年半で走り抜けたのですから。

それでも、一聴してよい曲だ!と思わせる曲が多かったので、これは聴き込めば割と早めに全曲いい曲だ!という状態に至れるだろう、という目算の立ったアルバムでした。この当時わたくし思い切り人生の岐路にありまして、このアルバムを何周聴いたかわからないくらいリピートでかけっぱなしにして、気がついたら日が暮れてる、夜が明けてる、という生活を何か月も続けました。さすがにこれは精神がもたない!少し歩こう!と近所のスーパーに出かけ、「だんご三兄弟」の流れるスーパーをボヤっと冷やかして歩き、なんとそのままカゴをもって店を出てしまい、あわてて店内に戻って会計をするというくらい夢うつつだったのです。これはヤバい!と何度も自分をビンタしましたが、気がつくとまたボンヤリ、『GRAND LOVE』の永遠リピートする部屋に何日もこもっていました。あ、いや、べつに引きこもりとかでなくて、在宅ですべきことがあったのでそうしていただけなんですけども、さすがに精神と身体にかなりよろしくない影響がありました。噂にきく締め切り前の漫画家のような生活です。この酷い生活を支えてくれたのがこのアルバム……というか、このアルバムのせいでダウナー系になったのか、なんだかもうわかりませんでした。さすがに飯は食わないといけませんから、テレビのある部屋に少しだけ戻って、衛星放送で絶不調に陥った野茂を見ながらカップ麺とか食ってました。ガンバレ野茂、ガンバレ野茂、おれも頑張るから……ふう、と食事終了、また『GRAND LOVE』の部屋に戻って……ですから「ルーキー」が高橋由伸選手のことだということも知らないままでした。

そしてまんまと早々に「全曲いい曲だ」と思うに至ったのでしたが、こんなに集中的に聴きこんだアルバムは久しぶり、いや初めてだったかもしれません。いまちょっと試しに流してみましたが、音符の一つひとつまで感覚を覚えています。ここまでわかるのはほかに安全地帯II、III、IVくらいのものだと思います。

さてこのアルバム、歌詞カードには軽井沢で撮られたらしき写真がいくつも収められています。玉置さんが森林の中を歩く写真、廃車の上で何やらポーズをとる写真、そして大きく見開きで青空の下冠雪の山をバックに撮られた写真があります。いまですと、ああ、こりゃ軽井沢の別荘地だなとか、こりゃ浅間山だなとかわかるんですが、当時はいったいどこなのかわかりませんでした。クレジットをよく読めば「WOODSTOOK KARUIZAWA STUDIO」と書いてあるんですが、そこまで細かく読んでませんでしたし。なにしろファンハウスに変わったことすらあとから気づいたくらいでしたから。ほとんど前情報なしにこのアルバムを聴き、そのサウンドの変化に驚き、「Satoko Ando」のクレジットを見て腰を抜かし、そのまま永遠リピート期間に入ってしまったので、とにかく外から情報を全く入れないで聴きこむことができたのです。当時は死にそうでしたが(笑)、聴き込み経験値の上がった得難い時間でもあったのでした。

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