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安全地帯・玉置浩二の音楽を語るブログ、管理人のトバです。安全地帯・玉置浩二の音楽こそが至高!と信じ続けて四十年くらい経ちました。よくそんなに信じられるものだと、自分でも驚きです。
プロフィール

2023年07月16日

Inst.#1

横浜スタジアムライヴ〜ONE NIGHT THEATER 1985 [ 安全地帯 ]

価格:2,945円
(2023/7/8 10:59時点)
感想(3件)


安全地帯ライブアルバム『ONE NIGHT THEATER 1985』六曲目「Inst.#1」です。矢萩さん作曲で、玉置さん抜きの四人での演奏になります。

電飾がやけに派手ハデに会場に浮かび上がり何事かと思わせます。そのなか、シンセドラムのパッドをバシバシと叩く田中さんがいて、六土さんはおそらく鍵盤で、その隣に観ることのできる人物(何者?BanaNAか?)がシンセベースを弾きまくっているものと思われます。この三人が奮闘することによって80年代中盤にこれだけデジタルな音を出しまくっていたわけです。そしてギターのふたりがハモリで強烈なトーンを聴かせます。地味に変拍子の繰り返しです。これで歌モノでいうところのAメロになっています。

そして田中さんの強烈なフィルインが入りキュイーン……キュイーン……キュイーン……という寂しげなトーンでメロディーが奏でられるBメロ、田中さんはずっとフィルインのしっぱなしみたいなハードモードです。

そして武沢さんが超ナイスオーバードライブトーンでメロディーを弾きまくるCメロ(サビ的なところ)に入ります。CDですと途中までなぜかクリーントーンで途中から歪みが入りますが、映像版ですとはじめから歪んでいます。これがCD版と映像版で最も違うところだとわたくし思うんですが、それにしても何があったんでしょう?ペダルの踏みそこない?いや武沢さんに限ってそんなことは……と思わなくもないんですが、これは明らかに歪ませるべきところです。つまり尊敬する武沢さんに対してとんでもなく失礼になるかもしれない見解なのですが、映像版が正しいほうで、CD版はミスしたほうだとわたくし考えております。でもそれはそれでナイスクリーントーンですのでわたくしトクをした気分でおります。

このときの武沢さんの立ち位置はまるで要塞のよう、ギターが二本もスタンドにセットされており、そのうち一本はエレガット、もう一本がギターシンセ用ギターなのですが、そのシンセ装置もスタンドにセットされております。これだけのシステムを使いこなすには、足元にあるペダルもとんでもない数になっているはずでして、わたくしのようなフロアマルチ一台とワウだけみたいなやつとはわけが違うのです。武沢さんの背後にみえるラックがその膨大なペダルによって制御されておりまして、あのナイストーンを横浜スタジアムに響かせていたのかと思うと、わたくしいまさらながらRoland GP-16とか買おうかと思ってしまうくらいのナイスな音なんです。ところでいまRoland GP-16っていくらくらいするんだろう?と思って調べてみましたら、なんとおじさんのお小遣いでもしばらく節約すればなんとか買えるくらいの値段になっており、ぬうううう!と悩んでしまいました。なんてこった!

いっぽう作曲者である矢萩さんはなにやらほとんど指盤上のポジションを変えることなく、なにやら弦を触っているんだか触ってないんだかよくわからない挙動をしています。この曲は最初のハモリ以外武沢さんに見せ場を完全に譲ったということがまるわかりです。これにより矢萩さんのメロウでヘビーなギターは次のInst.#2で炸裂することになるわけです。

そして曲はそのまま田中さんのドラムソロへとなだれ込んでいきます。バスドラのペダルに足を置いたままだと思うのですが、左後方に高くセッティングされたOCTAPADをヘッドホンでモニタリングしながら叩きまくります。わたくしはじめてこのドラムソロを聴いたときにひっくり返らんばかりに驚いたものです。田中さんあんた何者!いや田中さんなんですけど、こんなに手数が多いドラマーだという印象はまったくありませんでしたから、このスキルフルでありつつエモーショナルなソロに全身が直接叩かれるような衝撃を受けたものです。「あれ何観てんの?ふーん、うまいね、スタジオミュージシャンだろ」とか言いながらいつものごとく部屋に現れたうちのドラマーが大して関心なさそうに、それでもいちおうは感嘆しておりましたから、ドラマーからみてもトレメンダスなソロであったことは間違いがないでしょう。しかしその直後彼は画面の切り替えボタンをバシッと押していつものとおり煎餅をボリボリやりながら信長の野望を始めたのでした。うーむ!わたしの安全地帯鑑賞タイムはこうやっていつも寸断されるのが常だったのです。しかし、この後の少女趣味アニメやワインレッド誕生小芝居を彼が見たら大爆笑してわたくしの気分を害するに違いありませんでしたので、それでよかったといえばそれでよかったのです。そして田中さんが渾身の勢いでパッドを叩き切りヘッドホンをはずしドラムセットに向き直すシーンでこの曲は終わっていきます。

ONE NIGHT THEATER〜横浜スタジアムライヴ〜 [ 安全地帯 ]

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(2023/7/8 11:03時点)
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横浜スタジアムライヴ〜ONE NIGHT THEATER 1985 [ 安全地帯 ]

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【このカテゴリーの最新記事】

2023年07月15日

【改名とメンバー募集のお知らせ】バンド・古今東西(仮)【年齢不問・ギタリスト・ベーシスト・キーボディスト】


こんにちは安全地帯・玉置浩二コピーバンド古今東西(仮)です。

ただいま、

ボーカリスト:ちゃちゃ丸さん
ドラマー:よしさん(脱退)
ギターかベース:トバ

の三人組です。【二人組になりましたがまた三人組に】

先日、メンバーによる調査活動により、なんと田園地帯というバンドがすでに存在することが判明いたしまして(しかもかなり活動されているっぽい!こっちはまだ集まってもいないのに)、涙の改名とあいなりました。でもすでに気に入っているので、うっかり古今東西というバンドが発見されない限りはいずれ(仮)は削除されると思われます。

いや、いろいろバンド名を話し合ったんですよ。X JAPANと同じ事情だから田園地帯JAPANにしようか、でもそれだと向こうがJAPANでないみたいになって軽いイヤガラセになるんじゃないのとか、やけくそで「ちまみれ!オレンジロード」にしようかとか、「一口大」とか(トバはなんのネタなのかわからなくてくやしいのであーあれねうんわかるわかるという態度)。そこへちゃちゃ丸さんの提案「古今東西」、おう!そりゃいい!と気に入って古今東西と名乗ることにいたしました。そんなわけでして、古今東西をどうぞよろしくお願いいたします。

ひきつづき、ギタリスト、ベーシスト、キーボディスト募集いたします!ギタリストもベーシストも揃ったらわたくしトバはよろこんで席を譲って補欠となりますので、ふるってご応募ください!関東南部のどこかで一年に一回か二回集まれればいいやくらいのゆるいバンドですので、かけもちもちろんオーケー!関東南部というのもべつにこだわってませんが、全国からおいでの場合に集まりやすいところってだけのことです。なんなら名古屋とかでもいいです。

でも、いずれは安全地帯好きな人たちでホールを満員にできるといいねと話しています。畳まなくてもいい風呂敷ですから、大きく広げていいんです。

マスカレード」「真夜中すぎの恋」「あなたに」「どーだい」「エイジ」あたりからやりたいなと思っております。さらに、まだ集まってもいないのにメンバー間の秘密会議所にてやりたい曲が増えてゆくという事態になっております!そんなわけで
夏の終りのハーモニー」も追加で!

posted by toba2016 at 00:00| Comment(9) | TrackBack(0) | 古今東西

2023年07月09日

『ONE NIGHT THEATER 1985』

横浜スタジアムライヴ〜ONE NIGHT THEATER 1985 [ 安全地帯 ]

価格:2,945円
(2023/7/8 10:59時点)
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安全地帯ライブアルバム『ONE NIGHT THEATER 1985』です。LDやVHSでのリリースはずいぶん前に行われていましたが、CDでのリリースは1998年8月、DVDは2000年12月でした。本記事はCDリリース時をなんとなく基準にしていましたもので、このタイミングでのご紹介とあいなりました。歌詞カードには横浜球場にて1985年8月31日9月1日にレコーディングが行われたとの記載があります。大洋ホエールズもこの間は遠征中だったのでしょう。確かこの年はいつものごとく夏場に調子を落とし、例年と違って秋に驚異的な上位いじめで四位に食い込んだ年でした。安全地帯の御利益か?なお2019年の阪神は三位でした。

ジュリー率いるタイガースが後楽園ライブを敢行して以降多くの名だたるミュージシャンがスタジアムライブを行ってきたのですが、渋谷公会堂等のホールクラスを制覇し武道館・大阪城ホール公演をも楽々と成し遂げた安全地帯も、とうとうその域に達したわけです。当時日本にはそれ以上の会場は基本的にありません。メンバー、スタッフその他関係者は万感の思いだったことでしょう。

さて、先行して発売されていたVHSおよびLDをもう失ってしまいましたので日付の詳しいことはわからないのですが、CD版とは若干収録されている音源が異なります。このことは、CD版にはMCが収録されているという点のみならず、Inst.#1のギター音、そしてドラムソロの音色が明らかに異なりますのでわかります。少なくともここだけは8/31と9/1の違いがあって、収録された音源が異なるわけです。ただもちろん買って聴いてみるまではそんなことはわかりませんでしたし、わたしからすればVHSでよく知っているライブであって収録曲にも変化はないようでしたので(なによりビンボーなので)、発売日に待ちかねて買うって感じではありませんでした。ただ、このCD二枚組リリースの衝撃は1998年当時でもそれなりのものでした。「最強のアンサンブル」「伝説のライブ」等々の触れ込みで、あれ安全地帯ってこんなに評価されてたっけとちょっと戸惑うくらいではありました。なにより安全地帯名義でのCDリリースはかなり久しぶりでしたのでうれしかったです。しかし実際に手に入れて音源の違いに気づいたのは(おもに金銭的な理由で)少し後のことになってしまいました。

さてCD版では、一曲目「Lazy Daisy」に最初「エンドレス」のSEがまるまる一曲入っていて、安全地帯に詳しい人でないとこれを「Lazy Daisy」だと勘違いしてしまうかもしれないというちょっとした不親切が起こります。映像だとスタジアムの照明が落とされていく光景から一気に「Lazy Daisy」ですからそんなことは起こらないんですけども。そして一気に「We're alive」と畳みかけ、CD版では「最近やってなかったんですけど」というMCが入って「萠黄色のスナップ」でひと段落という感じです。

そして「風」、映像だとほんとに風が強そうで、玉置さんのあの趣向のよくわからない衣装が風になびきます。いま微妙にクサした衣装ですけど(笑)、祭りの半纏のように見えます。この日の舞台は遊園地やお祭りの趣向で装飾されており、もしかして玉置さんの衣装もそれを反映させたものなのかもしれません。ほかのメンバーはそんなこと知ったこっちゃないよという感じの衣装でしたが。ライブは「Kissから」へと進み、相変わらずマーベラスな演奏です。渋谷公会堂や武道館の音源に比べて、野外ですからやはり音が拡散している印象はありますが、総じて録音状態は良好です。

ここで一息、矢萩さん作曲のインスト曲が二曲流れます。詳細は曲個別の記事に譲りますが、わたくしこれらがとても好きです。なんならしばらくこればっかり聴いていてもいいです(笑)。玉置さんの抜きのインストが収録されたのは少なくとも当時はこれだけでした。映像作品ですと、これまた趣向のよくわからないアニメが挿入されて驚きました。なんというか、少女趣味というか男が想像する少女の像というか、たぶん現代の若者がみたら軽くショックで一秒くらい呼吸が止まって真剣な顔をしたから星屑ロンリネスって感じになるんじゃないかと思います。まあ、当時は意味はよく分からんがなんだかロマンチックだ!詩的だ!くらいな感じではありました。そしてインスト二曲目終わりにも映像作品ですとまた演出がありまして、ここもビックリな小芝居が挿入されていましたが、それはまた今度の記事でということにさせていただきたいと思います。

さてその小芝居と大いに関連がある曲「ワインレッドの心」でライブは前半部クライマックスの盛り上がりを迎えます。ここに「ワインレッドの心」を投入してもよいくらい、当時の安全地帯には余裕があったのです。「Yのテンション」「瞳を閉じて」「エクスタシー」と『安全地帯III』の佳曲を惜しげもなく投入し、一枚目は終了しいつのまにか二枚目に入っています。偶然かどうかわかりませんけども、二枚目一曲目「エクスタシー」からBaNAnaがステージに登場したような気がするんで、一枚目は安全地帯のみ、二枚目はBaNAnaを入れた編成でのライブというように前後半を分けていたのかもしれません。

「ノーコメント」、これは「悲しみにさよなら」カップリングですが、玉置さんと石原さんのスキャンダルを執拗に追いかけるマスコミをからかうような曲で、安全地帯ストーリーの異様な熱気と盛り上がりを示すものでした。以前にもわたくし書いたのですが、当時安全地帯はとんでもないレベルの曲と演奏、歌、そしてスキャンダル、そのすべてを劇場的に展開する大きなノンフィクションラブストーリーのストーリーテラーだったのです。そのスケールはまさに空前絶後、後にも先にもこんなアーティストは現れていないと思います。スキャンダルうんぬんは本人たちが仕掛けたことではなかったでしょうけども、結果としてたんなるロックバンドの域をはるかに超えた芸術的表現を放っていたのです。それは、やはり意図的にそうなったわけではない玉置さんの復活物語とリンクする90年代の玉置ソロと構造的によく似ています。

そして曲は「彼女は何かを知っている」「マスカレード」「碧い瞳のエリス」とだんだん深刻な感じの曲、いやぜんぶ深刻なんですけど、恋愛のダウナーサイド方面を強調する曲が固めて演奏されます。「マスカレード」以降はもうほぼシングル曲ですから(「あなたに」を除く)、ヒットパレードの意味合いもあったことでしょう。「碧い瞳のエリス」から「恋の予感」「あなたに」とスロー気味な曲から、このあと「熱視線」「真夜中すぎの恋」「悲しみにさよなら」とアッパーサイド方面の曲をたて続けに演奏して会場をこれでもかと沸かせてライブは終わります。なお、「あなたに」には曲の後にオーケストレーションが流れ、ここでライブが終わりであったことを示唆しています。つまりこの後の曲はアンコール扱いになるわけですが、1985のライブで「悲しみにさよなら」を残したまま終わっちゃたまらないですから(笑)、もちろんこれは想定されたアンコールということになります。

「ありがとう!さよなら!」と玉置さんの挨拶、歓声、そしてまたもやSE「エンドレス」……この「エンドレス」にはひときわ歓声が大きくなる箇所があるのですが、よく聴くとここはボーカルが重ねられていますから、玉置さんが出てきて歌ったんじゃないかと思います。これはみなさん嬉しかったでしょうね。

収録曲は以下になります(SE「エンドレス」除く)

1.Lazy Daisy
2.We're alive
3.萠黄色のスナップ
4.
5.Kissから
6.Inst.#1
7.Inst.#2
8.ワインレッドの心
9.Yのテンション
10.瞳を閉じて
11.エクスタシー
12.ノーコメント
13.彼女は何かを知っている
14.マスカレード
15.碧い瞳のエリス
16.恋の予感
17.あなたに
18.熱視線
19.真夜中すぎの恋
20.悲しみにさよなら

では、次回以降、インスト二曲の記事を順にお届けしたいと思います。インストの記事書くの久しぶりなのでちょっと緊張しております。

ONE NIGHT THEATER〜横浜スタジアムライヴ〜 [ 安全地帯 ]

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2023年07月01日

ぼくらは…

GRAND LOVE [ 玉置浩二 ]

価格:2,514円
(2023/7/1 07:15時点)
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玉置浩二『GRAND LOVE』十二曲目、「ぼくらは…」です。この曲でこのアルバムも終わりになります。

このアルバム全般に言えることなんですが、玉置さんの声が生々しく耳元で響きます。「ぼくらは〜」と歌だけで始まるこの曲ではなおさらその衝撃を強く感じることができます。初聴時にヘッドフォンでなかったことを後悔するほどです。

「ぬー」とも「ふー」ともつかぬ低音のコーラス、重ねられたシンセ、これが通常ベースが表現する部分を担当する強力な演奏となっています。そしてこれまた低音の打楽器が「タッ…………タタッ…………ドドドン!」とリズムを取ってはいるのですが、これは曲のリズムというよりも、生命の鼓動を表現しているんじゃないかと思うくらいバイオリズムというか血の流れというか、脳を含むなんらか身体の動きに直接響く効果をもっているように思えます。

時折響くギターのクリーントーンによる細かい高音のリック……その少し歪ませたもの、低音のピアノ、これらが歌の裏に入ることで、静謐さを増します。森の中は動物植物だらけですし、風は吹くし樹々がざわめくし葉擦れはするし沢は流れるしで、本当は音だらけなのにわたしたちはそれを静かだと感じますよね。人工の音が入るとそれを音と認識するのに、森の自然な音はあまり認識しないわけです。玉置さんの作り上げたこの曲は、明らかに人工の音でありながら自然の音なんじゃないかというくらい静かなのです。安藤さんのピアノがあるという環境でなければこの境地にはたどり着けなかったんじゃないかとわたくし考えているんですが、おそらく安藤さんはこの曲でも玉置さんの作りたい音にスバリな形で応えたんだろうと思います。

ぼくらは……君と手をとり……え?「君」はぼくらに入ってないの?と初っ端から違和感を感じますが、ここでの「ぼくら」はたぶん人類とかそういう意味で、「君」はもちろんその中に含まれているんだけども「愛しい人、かけがえのない存在」くらいの意味だろう、とあまり深く考えないのが吉だろうと思い直して、詞の世界を味わってみたいと思います。

手をとる、歩く、みつめる、わかる……全部書くときりがないのですが、この歌詞にはひとつも人工物がありません。『JUNK LAND』のジャケットで全裸になった玉置さんそのままの、人工物ぬきの、自然の姿です。ガラクタだらけの東京から裸になって逃れてきたわけですから偶然ではないんですけども、人工物をひとつも歌詞に入れないようにしようと心がけて書いたわけじゃないと思います。玉置さんの心情・心境、今後の生き方への決心が歌詞から人工物を排する結果になったのでしょう。

愛しい人が欲しい、だから悩む、人と人だから、そこには合図が生まれ、それを交わす……人類が人類と呼ぶにふさわしい知性を獲得した太古の昔から、わたしたちは、「ぼくらは」これを繰り返してきました。何十年前も何百年前も……何百万年前でもきっとそうだったのでしょう、それこそ「嘲笑」の歌詞(ビートたけし)で描かれた時間軸に迫るほどのスケールで、人と人とは交信・交流を重ね、愛しさを発生させ育んできたわけです。

「Ummm〇×△□!」と玉置さんが叫んでキーが変わります。一音アップですね。玉置さんの歌が、こうした人生の、いや人類の歴史全部を称えるように、叫ぶように、歌います。まさにGRAND LOVE壮大なる愛の詠唱です。近年のシンフォニックコンサートで聴くことのできるような、感情をそのまま眼前に生の姿で突き出してくるような鬼気迫る歌い方の原形をここにみることができます。「君」の涙を拾うと……涙という合図の意味は様々です。たんに異物が目に入ったこともあれば、歌に感動したこともあるし、はてまた別れがつらいこともあるでしょう。ぼくらは、その様々な意味を推理します。とはいっても、なんの手がかりもなければ目のゴミも歌の感動も同じような可能性しか持ちません。ですから、ぼくらは考えるのです。感じるのです。自分だったらこのときどうして涙を流すだろうかとほとんど無自覚に考えて、その意味をかなり的確に察知する能力をもっているからです。「マインドリーディング能力」と専門家が呼ぶ、人類においてとくに発達したその能力は、ぼくらにとってはごく普通のことでまったくそんな能力を自分たちがもっているなんて自覚すらしていません。相手に、自分と同じような心があると無自覚に前提して、自分の心だったらこの反応をするのはどのようなときかという推理を一瞬のうちに済ませることができるのです。おそらく人類がまだホモエレクトゥスとかいうサルだったころから、自然選択の結果として先鋭化させ発達させてきた能力なのでしょう。KYとかはたんに程度の問題であって、しかも大した違いじゃありません。現代人類はひとしく、すくなくとも数十万年の進化の結果としていまここに生き残っていて、互いにマインドリーディング能力を発揮させながら生きているからです。ですからぼくらは「君」の涙の意味を知り、そして手を振るんです。大丈夫だよ、愛してるよ、ここにぼくがいるよって、合図を送るんです……ここにぼくがいたよ、幸せだったよ、できることならまた会いたいね……と合図を送りながら、穏やかに死んでゆくんです。

曲は鳥の声を思わせるシンセ音からフェードインの大音量でギターのトリル、いくぶん大きくなった感のあるパーカッションにリズムをまかせ、ジャーンと鳴るピアノ、薄いストリングスをバックにそのままギターソロに入ります。ずいぶんリバーブのかかったギターなんですが、不自然なところはありません。そのままホーミー(コメントで教えていただいたモンゴルの発声法)のような……ただこれもギターでしょうね、音色の違うギターでのソロに引き継ぎ、掛け合いをしながら曲は終わっていきます。そのホーミー的な音が、モンゴルの大草原、いっさいの人工物が見あたらない大地を空から眺めている視界の広がりを感じます。さらにはそのギターが途切れるタイミングで鳥の鳴き声が聴こえて、徹底的な自然の静謐さを表現しようとしていることに圧倒されているうちにこのアルバムは終わります。ここはそのまましばらく余韻を味わうべきタイミングなのですが、わたくしうっかりしていてライブラリの次の曲である「太陽さん」が流れてハッとしました(笑)。いかん、CDだとここで自動で止まるから忘れていた!

【追記】ギターギター言ってますが、志田さんの記事により、これは玉置さんの声にギター用のディストーションをかけた音だということがわかりました!

さて、おかげさまでこのアルバムも終わりました。今年はちょっと忙しくてというか本業や地域のことにちょっとマジになってしまって(笑)、ここ三年くらいのなかでも更新ペースが遅くなっているほうなんですけども、いったん止めるともう年単位で止まっちゃうのは経験済みですんでなるべく種火を絶やさないように続けて参りたいと思います。次は久しぶりの安全地帯、『ONE NIGHT THEATER』を扱う予定です。どうぞ引き続きの御贔屓を!

GRAND LOVE [ 玉置浩二 ]

価格:2,514円
(2023/7/1 07:15時点)
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posted by toba2016 at 07:15| Comment(14) | TrackBack(0) | GRAND LOVE

2023年06月24日

フォトグラフ

GRAND LOVE [ 玉置浩二 ]

価格:2,514円
(2023/6/24 07:51時点)
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玉置浩二『GRAND LOVE』十一曲目、「フォトグラフ」です。

この曲好きなんですよ。いや全部好きなんですけど、特に好きなんです。なにが好きって、情景です。雰囲気です。歌詞です。歌ですアレンジですって結局全部好きなんですが、アルバム中ほかの曲にない望郷感、なつかしさ感が特に好きなんだと自分で思います。だってこのアルバム、ここまでずっと望郷感ある曲がなかったじゃないですか。『CAFE JAPAN』だと「フラッグ」「あの時代に」「メロディー」、『JUNK LAND』だと「風にさらわれて」があったのに!

さて曲はメジャーコードの低音アルペジオがメインで、ときおりアオリに高音のアルペジオ(カポを使っていると思います)、歪んだ音でブー・ブブーとリズムをキープするベースとバスドラム……スネアは打たれていませんね、その代わりに「(ン)チ(ン)チ(ン)チ(ン)チ」とハイハットが入れられ、バスドラとハイハットに合わせるように何かパーカッションがずっと打たれ続けています。これは玉置ソロ初期の「Will…」に近い設計ですね。

わたくし玉置ソロもこの辺になるとコードチェンジのタイミングをつかみ損ねてコピーや弾き語りが難しくなってくるんですけども、この曲はできます。いってみればリズムが単調なんですけども、そのぶんリズム以外のアレンジや詞の世界に浸ることができるのです。

「ふいにラベンダーの香り」、これは北海道を思い出させます。ラベンダー自体はなにも寒冷地でなくとも栽培できるのですが、なにぶん油分の多い植物ですので陽ざしの強い地域ですと山林火災の恐れが強く、誰も管理していない山野に自然に群生しているようなところはないでしょう。対して、れんげ草は本州を思わせます。北海道にもれんげ草は育つのですがあまり見ません。れんげは土を豊かにしてくれる植物ですので、米や野菜のスキマ時期に田んぼで栽培しているところが多かったのでしょう。それが自然に飛散して、「まくら木のすき間」から芽を出すということも。面積に対して田んぼの占める割合の小さい北海道ではあまり見ることがなく、本州でのほうが圧倒的に起こりやすくなるわけです。

軽井沢に居を定めた玉置さん、へたすると永住する勢いです(しませんでしたけど)。ですが、心にはいつも北海道があります。軽井沢地域には北海道を思わせる空気、植生があってわたしもドキリとすることがあるのですが、玉置さんも電車のホームやそこここの坂道などで、北海道を思わせられる雰囲気にドキリとして、「ラベンダーの香り」さえしてくるような感覚を覚えたということじゃないかとわたくし思うのです。そうだ、北海道でこんな感じで「夕暮れ色に染まるまち」を見ていたなあ……ラベンダーの香りがしてね……ここにはラベンダーはないけど、よくよくみたらあそこにれんげ草が芽を出しているな、といった感じで。

そして薄い「あー」というコーラス、これは歌ではなく懐かしい思い出の過去を思う慟哭に聞こえます。もちろんいい歳ですから声を上げて泣いたりしません。ですが、心の中は追憶の念で「ああー」と一気に大号泣、泣いているのです。その泣き声のようなコーラスにマイナーなコード進行、泣かせる気満々です。「夏の日の思い出」を忘れないでいようと「ずーっと」思っていたのに(「ずっと」と歌っているのに歌詞は「ずーっと」と伸ばしていて、こっちが本当の気持ちなのでしょう)、忘れてしまった、だから「フォトグラフ」は赤茶けている……つまり、すっかり過去のことになってしまったのでした。実際にその「フォトグラフ」が手元にあろうがなかろうが、実際に赤茶けていようがコニカ百年プリントの力で赤茶けていなかろうが、記憶の中にあるまぶしい「夏の日の思い出」とは色を異なるものにしているのです。さらにいうと、その記憶の中の「思い出」さえもリアルタイムで感じた「色」手ざわりも、暑さ寒さも、ニオイも……ずいぶん劣化していることでしょう。そのことを思い知らされて、「涙が出た」……いかん、ほんとうに涙が出てきそうです。おじさんになるとそういう夏の日の思い出的なものからずいぶん遠ざかってますので、この劣化具合が身に沁みてわかるのです。豊平川の花火に誘われて行ったあの日、できたばかりの豊水すすきの駅で待ち合わせた浴衣の君がまぶしくて……ん?待てよ、本当にそんなことあったっけ?家で扇風機浴びてアイス食ってああ極楽ってやってたんじゃなかったっけ?なんだかわかんなくなってきました。このように、記憶がだいぶ赤茶けて真偽すら不明になっています。うーむこのときの玉置さんよりだいぶトシとりましたからねえ……。

曲は二番、「不思議な人ね」と彼女が笑い、振り返らず歩いてゆくシーン……背景にはずっとコーラス、すなわちずっと泣いているのです。東豊線豊水すすきの駅から歩き始めたふたりは豊平川河畔で光のショーを楽しみ、心地よい光線と煙、音、人いきれの圧力の感覚も生々しくの南北線すすきの駅に向かって歩いていきます。彼女は慣れない浴衣に草履で歩きにくそうです。足元を気にする彼女……気づいていながら気づかいの言葉をかけるのが照れくさくてタイミングを見計らうわたくし……「あ、あのさ……」「?」「あの、さ、もう少しで駅だからさ……」「うん……」「大通駅で……いや、さっぽろ駅まで送るよ、あそこ階段長いからさ……」「……うん」(うわあ俺のバカバカバカ!)そしてさっぽろ駅、JR札幌駅への長い通路を歩き長い階段を、彼女は振りかえらずに歩いて行ったのでした……いえ!わたくし噓をついておりました!こんなことまったく起こっておりません!そもそもこれでは「青空のフォトグラフ」になりません。久しぶりの妄想は完全にピント外れ、走者一掃サヨナラ負けの大暴投です。

さて気を取り直して、ピントを合わせ直します。じつはわたくし写真を趣味にしていたことがございまして。昔のカメラって結構難しくて、家族の中ではお父さんしか写真撮れなかったんですよ。だから一眼レフのカメラを操れるってちょっとしたステータスだったんです。わたくしも父のカメラに憧れ、手に入れたキヤノンのマニュアルカメラをあちこちに持ち出してレンズを向けていたのです。最初は撮って写ってるだけで嬉しかったんですが、そのうち自分が撮ろうとしたイメージとプリントの違いに気がつくようになります。あれ……なんでこんな色なんだろうとか、なんでここ切れてるんだろとか、ここもっと隙間ないとおかしいよなとか。金はありませんのでフィルターとか買えませんから、いろいろ絞りとかシャッター速度とかフィルム感度とか変えて試してみるようになります。そして気がつくのです。抜けるような青空、それも夏の青空、それで絞りはF11、シャッター速度1/250から1/500秒、コダックISO100-200が自分のイメージしていた色だと判明します。これはかなり鮮明な記憶です。なにしろこっちは妄想でないからです(笑)。そして望遠で背景をぼかして撮った人物ポートレートが好きでした。これがわたしの「青空のフォトグラフ」なのです。もちろん一枚も残っていませんし、わたしの記憶の中にある当時の感覚も赤茶けてしまってますが……そのイメージはいつまでも「青空」なのです。当時の、最高の青空をとらえようとしてましたし、残そうと思いました。

人それぞれにきっと最高の青空はあるのです。それは恋人との時間かもしれませんし、仲間と燃え尽きたスポーツかもしれません。とうとう一枚も撮らなかったバンド時代かもしれませんし、かけがえのない家族との時間かもしれません。そんな時間はそれと意識することないまま、あっという間に過ぎていきます。一瞬一瞬がもう帰らない時間なんですが、わたしたちはそれを贅沢にもやり過ごしていきますし、そうするしかないのです。ですからわたしたちはきっと、それに少しは気がついていて、せめてとの思いで写真を撮ったり、現代なら動画を撮ったり、あるいは記憶にとどめようと努力します。

ですが時は残酷にも通り過ぎ、当時最高の画質だった写真も、そして現代のiPhoneで撮影した動画もかならず劣化するか、あるいは技術の進化によって未来では鑑賞に値しないレベルに陳腐化しますし、肝心の脳裏に焼き付けた記憶も赤茶けていきます。ですが、どんなに赤茶けていても、それは青空に違いないとわかるのです。「いつまでも青空」のまま色褪せてゆく記録や記憶たち……写真に残されたあの日の1/250秒か1/500秒が、そしてわたしたちの記憶の中にあるあの瞬間が段々とその色や形を失ってゆき、現在のわたしたちとの遥かなる距離、決して逆に辿ることのできない隔たりを思わせ、涙を流させるのでしょう。

玉置さんの歌そっちのけで写真のウンチクを垂れ流すという失態を重ねているわけですが、これはまあいつものこととして(笑)、この曲を聴きながらわたしが考えているのはこのようなことであるわけなのです。「あ〜」という玉置さん自身によるコーラス、何重にも重ねられたコーラスの一つひとつが、失われてゆくあの「青空」を失うまいともがく悲しみの声にも聴こえますし、ひとときの追憶に身を委ねる楽しい思い出の声にも聴こえるのです。

アウトロは「ら〜」に変わり、歌の旋律を繰り返します。「夕暮れ色に染まるまち」は眼の前にありながら、あの日を切り取ったまま赤茶けていくフォトグラフのようでもあります。きっとこのとき玉置さんが思い出していたのは、「ラベンダーの香り」が思い出させた北海道、それもラベンダーの咲き誇る上川盆地のことなのだろう、安全地帯が崩壊し傷つき倒れた玉置さんがその傷を癒やした旭川を離れ、ふたたび力強く歩みを始めてソロ活動を成功させ、そしてどういうわけか辿り着いた軽井沢の日々にあって、ここで音楽をやっていくんだと決心し、ふと自分を育てて癒やした北海道での日々、「青空」を思い出したのだと、わたくしは思うのです。

GRAND LOVE [ 玉置浩二 ]

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(2023/6/24 07:51時点)
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2023年06月17日

ワルツ

GRAND LOVE [ 玉置浩二 ]

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(2023/6/17 12:01時点)
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玉置浩二『GRAND LOVE』十曲目、「ワルツ」です。作曲者として安藤さん一人だけがクレジットされているという、安全地帯・玉置浩二の歴史の中でも極めてまれな(『ソルトモデラート・ショー』が登場するまでは)玉置さん以外の曲を玉置さんが自分の作品として歌った曲です。『幸せになるために生まれてきたんだから』で志田さんは「これは彼にとっては、スカイ・ダイビングで空を降下する際、パラシュートの最終チェックを他者に任せることにも等しい」とまで述べて、その驚きの大きさを表現しています。なんという的を射た表現!とわたくしも思いました。玉置さんが自分名義で発表する曲を他人に作曲させるなんて、わたくし当時は思いもよらなかったのです。それほどまでに「曲:玉置浩二」というクレジットは絶対的なものであり、ここに変化が起ころうとは全く予想できませんでした。いってみればわたくしあっさり裏切られたわけですが(笑)、玉置さんはわたしが思っていたよりずっと自由な人であり、そしてなにより安藤さんが才能にあふれた人であり、かつ当時の玉置さんと共振するところの大きかった人だったということなのです。

またまたウザい自分語りで恐縮なのですが、わたくしデモ曲作りますね、こんな感じでどう?とメンバーに聴かせますね、こここうしたほうがいいよと誰かが提案しますね、わたくしムッとしますね(笑)、だって完璧だと思って作ってますから。でもとりあえずそのメンバーの言うように変えてみますね、もちろんピンときませんね。でも当たり前ですけど、一人分のアイデアでなくて二人分のアイデアのほうが豊かですから、時間がたつとだんだんそっちのほうがいいと思えてきます。そういう経験を何回か積んでいくと、どんなに最初はムッとしても共作したほうがいいんじゃないかと思えてきます。肝心なのは、わたくしそういう経験を何度もしていながら、玉置さんはこういう経験少ないんじゃないのか……もっといろんな人のアイデアも取り入れればいいのに……とかはまったく思わなかったということなのです。だってあの玉置さんですよ?ここまでに200曲以上わたくしブログで語ってますけども、その200曲以上でいちいちわたくしを感動させてくれてきた玉置さんなのです。玉置さん以外の要素が欲しいなどと思うわけないじゃないですか。実際にはメンバーたち、星さん、須藤さんらのアイデアでけっこうアレンジその他が行われていて、けっして玉置さん一人だけに感動させられてきたわけじゃなかったんですけども、そんなこと思いもよらないくらい「曲:玉置浩二」は絶対的だったのです。まさに聖域でした。ですが当の玉置さんはしなやかに安藤さんをその聖域に招き入れ、なんなら一部明け渡すことさえしたのですから信者(わたくし)はビックリ!安藤さんは『正義の味方』ツアー、そして次作『JUNK LAND』制作とそのツアーにおいてたんなる演奏者として以上のパフォーマンスを発揮して、玉置さんの心をすっかりとらえてしまったことは想像に難くありません。ですが、当時はあんまりちゃんと参加ミュージシャンのクレジットとか読まないわたしの立場からすればとつぜん現れたもう一人の神って感じで、天地がひっくり返ったような感覚を覚えたものでした。

そんなエポックメイキングなこの曲は、パーカッションによる心臓の鼓動のようなリズムから静かに始まります。小さなピアノ、ベースと一緒に歌が始まり、「一緒になって「良かった」」と強烈な告白を冒頭にかまされてしまいます。そ、そうか、一緒になったのか……それはよかった(あれ?薬師丸さんは?という野暮なツッコミはナシで)と曲の穏やかな雰囲気にすっかり飲み込まれていきます。「一番そばにいるから」の「番」の音程が上がる箇所ですでにノックアウト、おそらく玉置さん自身が入れたキーボードの音に絡む安藤さんの見事なピアノに、この曲の名曲であることを十分に感じ取ったのでした。

この後にリリースされた玉置さんのソロ作品、そして『安全地帯IX』と『安全地帯X』の随所で安藤さんのピアノを現代のわたしたちは聴くことができます。そしてこの当時の玉置さんに非常によくマッチしていることを十分に感じることができます。当時はこれ以上の組み合わせを想像することは困難でした。タッチといいトーンといい、そして選ばれる音によって紡がれるフレーズといい、玉置さんのピアニストはこの人しかいないと思わせるに十分だったのです。ついさっき天地がひっくり返ったばかりだというのに(「願い」ですでに半回転ひっくり返っていましたが)、もう実力で叩き伏せられて、すっかり安藤信者になったのでした(笑)。

そしてシンセの音……この音、わたしも似たのを使うことがあるんですが、なんでしょうね「……ココココココ……」みたいなやつ、プリセットだと「アンビエント」のカテゴリに入っていそうなやつ(笑)。森の奥で鳴く鳥の声を思わせます。

曲は二番に入り、「三十年くらい前知りあっていたら」とこれまた愛の深そうな歌です。玉置さんこのときまだギリギリ30代だったと思うのですが、三十年もさかのぼったら小学校の中学年です。もう幼馴染の域に入ってくるでしょう。わたくし20代中盤でしたから、当然そんなこと想像できるはずもなく……それでも、大人になってから自分が捜していたピースとなるような人とめぐり逢うという経験をしたことのある人は、なんで僕たちもっと前から知りあってなかったんだろうね的な気持ちを抱きがちです。それでも、小学校中学年頃に知りあっていたらなあ……とまで想像する人はそんなに多くないのではないでしょうか。わたくし、れ、レベルが違う!と驚愕し、その愛に真剣なものを感じずにはいられませんでした。なんとわたくし、小学校時代の友人でフルネームを言える人が……いま数えたら四人しかいませんでした(笑)。しかもとりわけ仲が良かったわけでもなく、たんに覚えやすい名前だったとかそんな理由で記憶に引っかかっていただけです。ズッコケ中年三人組シリーズのような縁の強さというのはわたしの経験外のことなのでした。

そして「一生懸命になって」の「けん」の高音にまたシビれ、絡むギターにシビれ、間奏のピアノ、キュイーンとうなりを上げるギター、背景のシンセ……これが想像させる「起こらなかった三十年間」にシビれます。幸せになるためにふたりで一生懸命に生きてたのかな……いやぜったいどこかでケンカして別れてるとは思うのですが、それでも、と想像してしまいます。若くて短気で想像力がたりなくて……至らないところだらけの自分が、同じように至らない相手と三十年間も一緒にやれたとは到底思われないのですが、それでも、なんです。おとぎ話のように、ありえない愛を作り上げたふたりの話も、途中で完璧に決裂したふたりの話も……どんなふたりの話もひとしく、それを経験した人にとってみたら、起こったたった一つのケースなのです。

玉置さんのダブル・ボーカルで「雨あがり……」と始まります。虹を渡るモチーフは「またね……」に引き継がれますが、この自然現象をふんだんに取り入れた情景描写は軽井沢期にはじまり、そして「太陽になる時が来たんだ」「蕗の傘」などで全盛を迎えたとわたくし思っております。歌の美しさ、そして安藤さんと作り上げる曲の美しさが加わり、さらに歌詞の世界も広がってと、玉置さんはもう無敵進化ロードを突っ走ります。

「そよ風になってみよう」と、猛烈な進化の中で自分の在り方を模索する玉置さん、それを支える安藤さん、軽井沢期はこの体制を基本にこの後十年ほど続きます。この間、わたしは20代中盤から30代前半、食うのが精いっぱいで死ぬかと思った時期から、苦しいのになぜかいつのまにか結婚し、なにくそ倒れるわけにはいかないとひたすら走り回っていた時期までを過ごしたのでした。「三十年くらい前知りあっていたら」……ないな、うん、ないよな、それでも……と心のどこかで思いながら過ごしたこの十年間、そう思わせてくれた曲としてこの曲はずっと心の奥で響き続けて私の中で特別な輝きをもっていました。……玉置さんと安藤さんのように頑張ろう、と。

GRAND LOVE [ 玉置浩二 ]

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2023年06月10日

RELAX

GRAND LOVE [ 玉置浩二 ]

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(2023/6/10 09:50時点)
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玉置浩二『GRAND LOVE』九曲目、「REALX」です。

曲は玉置さんの囁きから始まります。そうもっとやさしく……くちびるかさねて……いやちょっと待って!これ、指南してるでしょ!なんで?そんな指南されたくない!(笑)。と、のっけからわけのわからない状況です。

そして歌が始まります。ハットとバスドラに、たまに極弱のスネア……ギターでF♯mに装飾音を入れながら弾いたような単調なリズムの伴奏、すこしトーンの明るいエレキギターで入れたオカズ、そして時折入るチューブスクリーマー的歪みのギターがこの気だるい感じを切り裂きます。そして歌詞はひたすら情事の予感をさせるきわどさ、そしてリズムが幾重にも絡まって変拍子を思わせる複雑さ(そして実は変拍子はないという)……これは『安全地帯V』で玉置さんがBAnaNAと一緒にやっていた(と思われる)パターンでは!「こわれるしかない」とか「不思議な夜」とかですね。あのころはBAnaNAがこういう変な天才的な曲をかなりアシストしていたので、わたくしてっきりBAnaNAと一緒に曲作って遊ぶときだけこういうノリになるのかなと心のどこかで思っていたのですが、何のことはない、普通に考えて玉置さんが天才的だったのです。それをもう一人の天才BAnaNAがかゆいところに手が届く感じでサポートしていたということなのでしょう。時代はあれから10年以上も経ちまして1998年にもなっていましたから、さすがにわたくし、この手の曲にもかなり耐性がついてきておりまして、すでに快感の粋に達しておりました(笑)。玉置さんの遊び心が歌にも歌詞にもアレンジにもみちみちていて、『安全地帯V』のころのような、周りの職人たちがなんとか辻褄合わせました感はまったくありません。玉置さんがやりたいことがストレートに曲の隅々まで行きわたっているのがよくわかります。そりゃ、ほぼ全部自分で演奏してますから当たり前なんですけども(クレジットには、トロンボーンとバスフルートを佐野さんがお吹きになったとありますので、正確にはそれ以外を玉置さんがすべて演奏されたということになります)。安全地帯の頃は玉置さんがBAnaNAと一緒にバンド内で事実上のソロ活動やるような、意味の分からない感じになっていた時期がありました。それは玉置さんが自分のコントロール下で音楽を作りたいという欲求を部分的に叶えるものであったはずです。そしてそれから10年ほどもして、星さん、須藤さんからも巣立ち、玉置さんはとうとうほぼすべてを自分の手で作り出す体制を構築します。そして復活した……こういう曲!満を持して登場したこういう曲!もちろんこれまでソロ活動のそこかしこで似た遊び心満載の曲を作ってきたのですが、ここまで徹底されたのは初めてじゃないでしょうか。

そんなやりたい放題の玉置さん、徹底的に遊び心のみで曲を作ろうとしたかのように、ひたすら意味深さのみで突っ走ります。「そこで誰かみてて そして何もしないで」って、酷くないですか。あげくに鍵をかけてこいって?千夜一夜物語を残酷な王に毎夜語りつづけるシェヘラザードを必死にサポートした妹デゥンヤザードだって、そんな扱い納得しませんよ!とよくわからない怒りをいったん抑えて冷静に考えてみますと、最初の玉置さんの指南がウザいので部屋の中の恋人たちがそれをシャットアウトしたいという意味じゃないかと思い至ります。誰にも邪魔されたくない、ましてやガイドなんてされたくない、二人きりで愛を貫くためにかえって二人以外の誰か、外界シャットアウト担当者が必要になるくらいと思わせるほどにこの世はお節介で教えたがりの情報社会になっている、ということを訴えたかったんじゃないのか、という可能性を思いつくのです。まあ当時は情報社会といっても、端末がいわゆる「パソコン」と「ケータイ」でしたから、いまの情報社会とはその形態が全然違うんですけどね。

当時はたしか……わたくし今は亡きデジタルツーカーのケータイを使っておりました。そしたらいつのまにかJ-PHONEに変わっていました。勝手に何をしやがる!そしてほんの数十文字だけやり取りできるショートメールが流行り始めた時期でした。「なにしてる?」と打つのに「な」一回と矢印、「な」二回、「さ」二回、「た」四回、「ら」三回、「?」はもう打ち方も忘れました(笑)、と合計で十三回もボタンを押さなければならないという拷問仕様でしたが、若者たちは順応が早く、ほとんどブラインドタッチでバシバシとメッセージを送りあっていたのです。わたくしその手間に頭にきてメールは絶対PCで出すと決めており、携帯に来たメールは基本無視していました。そして1999年、わたくしの携帯電話番号が勝手に変更され、020-だったのが090-2になりました。いいかげんにしろ勝手に何しやがる!(笑)。まあ、いろいろ模索の時期だったんでしょうね。ほんの数年の間に、PCを立ち上げてないと来なかったメールが、それこそ情事の間にもバンバン来る時代へと移り変わっていたのです。当時若者だったわたくしでさえ戸惑ったったんですから、上の世代の人はさぞ驚いたことでしょう。

さてBメロというかブリッジというか、シェヘラザードを持ち出しておきながら情報社会への文句で浮いてしまった「アラビアンNight」を高音で歌い、一気にしっぽりきます。「アンティークのスタンドライドがひとつ」と見事なリズム感覚で一度上がったテンションをリラックスさせるかのようにまた低音に戻ってきます。こういうセンス、ゾクゾク来ますね。さらに歪んだギターで「ペーペペペー!」とまたテンションをじわじわ上げてきます。そして「ベサメベサメムーチョ」(kiss me kiss me more!)とわざわざ西語で淫靡な雰囲気を盛り上げてきつつ「指を絡ませて」と言語的な気分は盛り上げるのにメロディーは落ち着いていくという対比で煽ってきます。このあとドラムが入りますがギターソロ、佐野さんの管楽器で間延びしたんじゃないかってくらい登場人物のテンションをリラックスさせてきます。こっちの気分はあんまり緩まないんですが(笑)。そして玉置さんが何事か囁くんですが……おそらく焦らしているのでしょう。「ヒッフー!ヒッフー!ヒッフー!ヒッフー!」と謎のボーカルリフも焦らしているのです。それが証拠に二番に移行してしまいます(笑)。

間奏から引き続きドラムと佐野さんの管楽器をバックに加え曲はまたAメロ、また思わせぶりな言葉が並びます。ヴェルヴェットのラグを床に敷いて顎なんか這わせています。そして「ピンクシャンパンのシュプールSpur」と今度は独語です。スペインだったりドイツだったり忙しいことでと思いきや、とつぜんベースが入り、一気に下から、それこそ床から突き上げられたかのように曲のテンションが最高潮にまで高まるのです。これは初聴では予想できません。ドラムもこれまで曲に合ってるんだか合ってないんだかよくわからないアクセントで叩かれていたのに、ベースが入るや否や思い切りロックのアクセントでバシバシと攻めてきます。いままでリラックスさせられていたのに!これはいやらしい!(笑)。

そして「踊り明かそう」「裸になろう」「肌寄せ合おう」とシャウト気味にゴキゲンなセリフを歌うのですが、最後に「リラックスして」と二度も叫んできてすっかり混乱します。リラックスどころじゃないだろいま盛り上がってるんだから!と普通には思うのですが……

思いますに、欧米人の「リラックス」は通常わたしたち日本人が使う「くつろぐ」的な意味ばかりではないのかもしれません。けっこう緊迫したときでも平気で「Hey, relax!」と言ってきてイラっとさせられることがあるのですが(笑)、laxには緩むという意味がありますから、たぶん緊張を「緩めろ」って言っているんじゃないかなと思われるのです。普通に考えれば緊張しているのに緊張を緩めるなんてできるわけがありません。キノコを好きでないのにキノコを好きになれというくらい無茶な命令ですが、もちろんそんなことは欧米人だってわかっています。ですから、お前はいまテンションが高すぎて失敗する状態だぞって知らせているくらいの意味なのでしょう。この曲の玉置さんも、歌の登場人物もいま異常なテンション状態にあって、せっかくのふたりきりの夜が楽しめない状態になっているぜ、緩めろ、緩めるんだ……ああ、やっぱり指南している!(笑)。

曲はおそらくストラトキャスターの切り裂くようなトーンで最後まで突っ走ります。最初はロングトーン、そして「ギュバッバー!ギュバッバー!」と、おそらくかなり強く弦を押さえ相当強いピッキングで出したと思われるアタックの強い残酷トーン、そして「ギュギュギュギュ!ギュイーン」と、玉置さんのソロにありがちなメロディー的にはあまり必然性のないトレモロを駆使して曲は終わっていきます。

解説してみてわかったのですが、わたくしこの曲がいちばんこのアルバムで好きかもしれません。『安全地帯V』のころは「不思議な夜」を聴いて何だこの曲よくわかんねえと思う気持ちがなかったわけじゃないのですが、干支を一回りしていつのまにか大好物になっていたようです。「不思議な夜」をはじめて聴いたのは、1998年から数えて人生ちょうど半分のときでした。それから倍の年齢になって聴いたこの「RELAX」にはそれこそ一周回って引き付けられたのでした。ほんとうに長い一周でした。

GRAND LOVE [ 玉置浩二 ]

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2023年06月03日

BELL

GRAND LOVE [ 玉置浩二 ]

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(2023/6/3 14:42時点)
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玉置浩二『GRAND LOVE』八曲目「BELL」です。シングル「ルーキー」のカップリングで、リズムのプログラミングとアレンジを藤井さんが行っているとのクレジットが記されています。また、この曲も缶コーヒーJIVEのCMに使われていたようです。

なにやら笛ライクなシンセがメインメロディーを高音で奏でている後ろで、ポコポコしたパーカション(おそらくこれがカルロスさんです)と、ふつうのスネア音と「カシーン!」という歯切れのいいシンセパッドの組み合わせでいちいち曲を切り裂くほどの切れ味で鳴り響きます(これが藤井さんの手によるものでしょう)。そしてアコギを細かく高音弦だけカッティングしつづけ、ベースも細かくいちいちスライドをしつつブムムブムムム、ウン!ブムムブムムム、ウン!と……まるですべての楽器が打楽器かのようにあちこちで鳴らされています。まるで南米大陸のポンチョ着たラテンミュージシャンのライブを観たいるような感覚です。そんなの観たことあんのかと言われそうですけど、あるんですよこれが。なぜ誘われたのか謎なタダ券ライブでした。細かく刻まれる大量のリズム楽器をバックに、それに反するようにやけに抒情的に朗々と響く笛と歌……そのライブは1999年だったと思うんですが、あれこの感覚どこかで……ああ、「BELL」か、うわー玉置さんの音楽にはこんな方面の要素もあるのか!おれスゲエことに気がついちゃったかも!でも誰に言っても伝わる可能性ゼロ!(玉置リスナーの友達ゼロ人)という孤独な気付きでした。

そしてラテンミュージックのように玉置さんの歌が朗々と始まります。有名なムービースターが無名のヒロインと恋に落ちて……スターは「死ぬまで」って言ってるのにヒロインは「今夜だけ」なんてかわしています。いったいなぜ?ささやくような「抱いて」が切なすぎます。相手はスターなのに自分は無名、おおよそ釣り合うものではない、うまくいきっこないとヒロインが理解してしまっていたという悲しいストーリーはもちろん思いつきますが、真相は玉置さんしか知りません。

そしてハモリのコーラス……上下に入って三声になっていると思いますが、「WOW WOW」から引き続いて、おそらく玉置さん本人からの励ましとなるメッセージが力強く歌われます。運命に泣いたけども愛は失っていない、ここからはコーラスなしで、夢をもちつづけるんだ、さあ胸のベルを鳴らして元気よくまた歩き始めるんだ!……すでに何度も用いられた手法ですが、このコーラスありとコーラスなしのコントラストが鮮やかで息をのみます。

そしてまたケーナのような響きをもったシンセ……この旋律は全音符を大胆に使った抑揚数の少ないもので、作曲者からするとけっこう思い切りが必要なのですが、玉置さんは曲に最適だと判断したらためらいなく使う方なんですね。わたくしの場合ノーアイデアでコードトーンを伸ばしただけなんじゃないのか?と自分で疑ってしまって、なかなかこのような手法は取れません。まあ、疑ってしまう程度のメロディーなんでたいしたものじゃないってことなんですが。

そして二番、今度は世界的シンガーソングライター達です。うーむ、ボブディランとかですかね、「自由と平和の鐘を鳴らそう」……Belle Isle美しい島で出会った女性は女神のようで……いやBelleだから鐘Bellじゃないですね。ボブディランはおそらく関係ありませんが、彼くらい有名でないと「世界で有数」ってことにはならないでしょう。で、そのボブクラスのシンガーソングライター達が「自由と平和の鐘を鳴らそう」などと歌うと、清純なあの娘がすっかりシビれて「抱いていて…いつまでも」なんて言うようです!なんてこった!おれもシンガーソングライターになろうかなあってくらいビックリです。歌ヘタなんでうたえませんけど!

そしてまた「WOW WOW」から多声コーラスでサビに入ります。「すぐに走ってきて欲しい」……?どういうこと?ここでしばし考えさせられます。実際には曲は先へ流れていくんですからあとから歌詞カードとにらめっこして考えるんですけども。思うに、「ムービースター」や「シンガーソングライター達」は、すばやくないんです。彼らが不埒な遊び人だと言っているわけじゃないんですが(笑)、彼らは何しろ有名人で、忙しいうえに愛を届ける相手が多すぎるんですね。だから「今夜だけ」になってしまいますし、「いつまでも」って願ってもその場かぎりになってしまいがちです。「すぐに」といってもすぐには来られません。無名のヒロインや清純なあの娘はさみしがっているのにどうしようもありませんし、おそらく忘れられてるでしょう。かれらがもっている「力」は魅力的ですが、それよりもすばやくて「誠実な愛」がほしい、でもそうなると「力」は放棄しなくてはならないから魅力的じゃなくなる……というなんだかアンビバレントな切ない気持ちを表しているように思われます。口だけ平和の鐘鳴らしてる場合じゃないぜ!

そして曲は間奏、ラテンなパーカッションにのせてサックスに似た楽器(おそらくはシンセ)がソロを演奏します。歌メロに似ていない、なにやら陰鬱な音色、メロディーにギターのカッティングが絡んで一気に緊張感が高まります。玉置さんが終わり際に「ウン〜」とヒトフシいれるのもまたダークで……この曲は終始このような「陰」が見えていて、ラテンなリズムなのにぜんぜん陽気じゃありません。ラテンといったら陽気と思い込んでいるわたくしがラテンの人に失礼なんですが(笑)。

そして歌は最後のサビを繰り返します。「すぐに走ってゆくがいい」ムービースターよ、シンガーソングライター達よ、そして無数の忙しい男たちよ、言葉なんかで時を稼ごうとするな、彼女たちのベルは切実なんだ。リーン…リーン…リーン…愛してる…愛してる…愛してる…そのベルがいつまでも鳴っていると思うな、百の言葉よりも心だ、愛を失って泣く涙なんかいらない、泣くようなことになる前に会いに行くんだ!

そして無名のヒロインよ、清純なあの娘よ、そして無数の泣いている女性たちよ、負けてはならない、いまは運命のいたずらで離ればなれなだけだ、愛はまだ失われていない、夢を失わずベルを鳴らすんだ。リーン…リーン…リーン…愛してる…愛してる…愛してる…きっとそれは届くんだ。

曲はまたケーナライクなシンセがリードし、カツカツカツ……カツカツカツ……と悲しげに響くパーカッションをバックにホワン……ピーン!ホワン……ピーン!とシンセによるパッドの音を残して、曲は終わっていきます。どこにもベルの音はありません。言及されるだけ、歌われるだけだったのです。

リーン…リーン…リーン…それはまるで、また最初からやり直すような……会うといつでもまた恋に落ちるような感じなんだよダーリン(John Lennon. [Just Like] Starting Over, 1980)玉置さんが念頭に置いていたのは、この歌のベルなんじゃないかなあ、と思っています。最初に散々ボブとか言っておいてあれはたんにBelle Isle知ってる知ってる!とアピールしたかっただけで恐縮なのですが(笑)、ジョンこそは自由と平和を歌い、そして最も忙しく世界中を回ったシンガーソングライターであり、それだからこそ刹那の愛でなくておだやかな生活、家族、愛を求めてやまなかったミュージシャンであって、なにより軽井沢でその癒しの時を求めた人だからなのです。

GRAND LOVE [ 玉置浩二 ]

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2023年05月28日

カモン

GRAND LOVE [ 玉置浩二 ]

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(2023/5/14 15:26時点)
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玉置浩二『GRAND LOVE』七曲目、「カモン」です。

カッ!(カッ!)カーン!カッ!(カッ!)カーン!カッ!(カッ!)カーン!……というリズムに合わせてギターを弾いていたらこういう曲になりましたという、玉置さん一番搾りのニオイがプンプンする曲です。ジャムをやっていたらたまにいい感じになって、ああ畜生いまの録音しとけばよかったなと思いつつ演奏の中に消えていったアイデアというのはバンドマンなら誰でもいくらもあるんだとは思うのですが、玉置さんの場合はおそらくすべてがよいアイデアなので常に録音中でOKなわけです。この曲は、そんな無尽蔵な玉置さんのアイデア奔流を一部だけ切り取って新鮮なまま曲として仕上げたものなんじゃないかと思えます。最初に思いついた「ド」ラシが「ドなし」になって、ドがないんだから「レミファソラシ」だよね〜「ラシ」だから「無いらしい」「あるらしい」、「しい」だから「険しい」「悲しい」だよねえって遊んでいたんじゃないか、なんて思えてくるほど作曲の源流に近いところであるように思われるのです。

リズムはパーカッション……鈴の音と、なにやらカツーン!と響きと音抜けのやけにいい打楽器で、シンプルなセットです。そしてゴリッゴリのセッティングをしたベースです。前作までけっこう須藤さんが弾いていたベースを今作からは玉置さんがすべて弾くようになったわけですが、この曲が今作ベストのベースだとわたくし思います。遊び心と装飾カッティング音に徹しているギターではなく、このベースがこの曲をリードしているといっても過言ではありません。

曲は玉置さんの「カモン」というやさしい囁きではじまりすぐにクリーン〜クランチトーンのギター二本のアンサンブルがはじまります。シャリーン!カローン!というギターはほんとに武沢さんかと思うほどの鈴鳴りです。そしてリックを奏でるほうのギターもよくミドルの効いた音で……高音でキュイーン!と泣かせるタイミングもこれがまた……こんなふうにギターの音を中心に聴いてしまうのはギタリストのサガでもあるんですが、当時はそんな聴き方してませんでしたから、これは現在のわたくしの感想なのです。最初はなんか怠い曲だなくらいにしか思ってなかったと思うんですよ。だって当時はめちゃくちゃ過激に歪むエフェクターを手に入れて悦に入るとか、せっかくのPEAVEYアンプでドンシャリセッティングにしたスカスカなディストーションをいい音だと思っていた始末ですから。実家にいた頃に使っていたGAINツマミが二つある15Wくらいのフェルナンデスアンプをアパートの湿気ですっかりダメにしてしまって修理もせずにポイっと捨ててからはアンプをもってなかったくらいです。スタジオのジャズコさえ使えりゃいい!ジャズコにディストーションペダルをぶち込んでギャンギャンに鳴らせばそれでオーケーだ!というメタル脳でしたので、というか当時はベーシストだったような気もしますが、玉置さんのこういうギターの機微などに気がつくわけがないのでした。

よもやま話が続きますが、その後自前のアンプを買ったのは2002年ですかね、RolandのCUBE30を買いました。ジャズコモードがあったからです(笑)。いや、これいいですよ、ジャズコよりぜんぜん使いやすくていい音です。たぶんヤフオクとかで安く売ってますから、いまからギター始めようかなって思っている初心者さんはぜひねらってみてください。とにかく壊れにくいですし持ち運びしやすいです。30Wなんて数字を真に受けてはいけません。これは昔の感覚でいうと50Wくらいの音は平気で出ます。なにより筐体が頑丈なのでかなり音量アップにしてもちゃんと鳴ってくれるのが重宝します。500人規模のホールでもわりと十分に鳴らせる音です。あまりの使い勝手の良さにわたくし買い足して二台持ってます。初心者セットなどにフラついちゃダメですよ。あれはギターもたいがいですがアンプはマジでお察しです。わたしなら予算めいっぱいいいギターを買ってアンプなんか後回しでいいし、あとから中古でCUBEです。やや、田園地帯でギタリスト募集してますのでちょっと熱くなりました。ああ、ベーシストも募集してましたね。ベースは……ハートキーのA25かA35がいいと思いますし実際わたしもA35を使ってますが、こっちは数千円では手に入らないような気がします。鼻息荒くギターアンプのことだけ書きまくっておいて、ベースのことになるとぜんぜん役に立てません。

で、そのわたくしが役に立てないベースのことなんですが、この曲、ベースに注目するとガシーン!ガシーン!という歪みの多めなわりと攻めた音作りになっていますよね。ギターがチャリチャリポロポロと何本か重ね取りして音数が多いぶん、存在感あるベース音で全体を引き締めている印象です。ドラムのバスドラとスネアがないぶん、ベースが打楽器の役割も兼ねてるくらい重要な役割を果たしています。内閣総理大臣が閣議決定を阻もうとする国務大臣を罷免して自分が兼任しているくらい枢要、というか主人公にほぼ近いです。もちろんメインは玉置さんのボーカルなんですけども、もしかしたら玉置さんはベースを弾きながらこの重要さに気がついて、わざとあまり意味のない歌詞を作ったんじゃないかというくらいベースの存在感がボーカルに迫っています。

で、その存在感あるベースとごくごく控えめなピアノがサビ前で「ジャッジャッジャッジャッジャッジャッジャッジャッ!」と下降フレーズを何度か入れますね。これが一度で頭に入って抜けません。怠い曲だなと思っていた当時ですらそうでした。この曲の本体はここなんじゃないかってくらい印象が強く残ります。さらに、曲のラスト近く、「Tru ru ru…」「今日も一日元気でいらして」でベースがボーカルをなぞるように高音部を奏でます。これはベーシストだと思いつきにくいベースの使い方であるように思われます。ギターとユニゾンにすることはなくはないですが、ボーカルとユニゾンするとは!ベーシストはボーカルを活かすようにしつつ、かつ曲の屋台骨を支えるようにするフレーズを渋く弾こうとするものだとわたくし思っておりました。ハードロック馬鹿だからそうなのかもしれませんが、歌謡曲だってそんなにベースが攻めてくることは寡聞にして知りません。これはベースを玉置さんが弾くからこそ起こったことだと思うのです。ベースの定石などあまりこだわりを持っていない玉置さんと、ベースにどれだけ迫られてもそれによって存在感を消されることのない力量をもつボーカリストである玉置さんとが同一人物であるからこそのアレンジなのでしょう。わたくしベーシストの経験が豊富なわけではないからなおさらそうなのかもしれませんが、無意識にボーカルに遠慮しちゃってこんなフレーズ弾こうと思わない、というか思いつかない、こういう発想がないです。

さて、ひさしぶりに歌詞のことを後半でまとめて書こうかなと思っていたのですが……どこがカモンなんだかさっぱりわかりません。おいで!って言ったってなあ……たんなる穏やかな暮らしじゃないのかこれと思わされるのです。冒頭に述べた通り「ド」ラシが「ドなし」になって〜とそこから組み立てたんじゃないのか……まあ、それにしてもその穏やかな暮らしをちょっと覗いてみましょう。

最初は外を歩いていて家に帰ります。小脇にサボテン抱えて子猫まで拾ってます。園芸屋(店員が「気になるあの娘」)の帰りでしょうか。子猫に棘が刺さっていないか心配になります。家に帰ったのはもう日暮れ後だったらしく、明かりをつけて洗濯物を取り込んでいます。うーむなんという平穏な暮らし!当時のTVショーはまだまだ現代に比べて金つかってましたからやかましかった……ような気がします。当時からあんまりTVみないんでよく覚えていませんが。「ダウンタウンのごっつええ感じ」が前年97年に終わっていまして、わたくしテレビにエンターテイメントを期待するのをほとんどやめておりました。もっぱら深夜から朝にかけて衛星放送の副音声を流しっぱなしにしておりましたので、当時のテレビの思い出を友人と語り合うことがあんまりできないのです。ちなみにこういう生活はこのあと2001年でも続いていて、あの同時多発テロをほぼリアルタイムで観たのでした。

そして夜のテレビ、ダンディズム、ファンタジー、いろいろな趣向のドラマなり映画なりが流れますし、たまにハマり切った人物が出歩いていることもあるのでしょう。冷静に考えれば単なる痛い人たちなんですが、若いうちはそれが個性だと勘違いしたり、さすが都会は多様性と無関心の街だなどとうっかりちょっと感心したりするものです。ですが、そんな世界にあこがれるのは若いうちだけです。30代も後半になれば「晴れた空」こそがありがたいし、果てない人生の道を歩くことのほうがよっぽど重要事なのです。ちなみに軽井沢を含む地域を東信(東信州の略でしょう)というのですが、あそこは行くと大抵晴れているんですね。年間日照時間が長いような気がします。ですから「晴れた空」を求めて玉置さんが軽井沢に行ったということがあるかもしれません。

そして曲は二番、歯医者をサボったり友達の仕事を世話したりしています。まるでテレビドラマの主人公がビートルズの「ペニー・レーン」のようなほんわか具合の街で生活しているような描写です。そんな主人公がとつぜん旅に出るのです。あつかましいTOKYO STYLEにバイバイしちゃうそうですから、このペニーレーンは東京だったのでしょう。はあ、ダンディズムとか夢のファンタジーに……都会にはいろいろ演出はありますがぜんぶ作りもの紛いものですしねえ。

そしてTOKYOを離れた玉置さんは星の降る夜の下にやってきます。軽井沢の星はよく知りませんが、満天の星空の感激はよく知っています。少年のころ、とある独立峰に夜の涼しさを利用して登ったことがあるのですが、その夜は快晴で、信じられないような星空に休憩の間じゅうずっと見とれていました。華やぐ都札幌は遥か彼方、街の灯りはまったくないか、あっても気にならない程度です。あれは、そう……すべてが吹っ飛ぶくらいの衝撃でした。街の暮らしにあるもの、若かった自分が夢中になっていたものさえが、ひどくつまらなく思えてくるのです。ああ、なんにもいらないから、この星空だけ毎日観て暮らしたいなと思いつつ山頂は近づき夜は明けてゆきます。満員の山小屋になんとか場所を見つけて少しの間横になり、朝もやが消えてから下山しました。そして街に帰るとすべてが夢だったんじゃないかってくらいいつも通りです。部活には毎日出ないといけないし、テストは近づいてくるし、気になるあの娘はあいかわらずつれないし(笑)。

気づくといつのまにか控えめにドラムが鳴っています。曲は最後のパートで「〜て〜て〜て〜て」と連用形つなぎで終わっていきます。毎日同じことの繰り返しだ……という都会人の嘆きや失恋人の嘆きといった鬱なものをつぶやき続ける手法として非常にメジャーなんですが、玉置さんはなんと充実した生活の描写としてイキイキと歌います。今日も明日も一日元気、両手を広げて仰いでも何にもぶつからない空間の広さを楽しめること、天まで届けと大声で歌うこともできる開放感、眠る間に毎日明日もこうでありますように祈る余裕、眠る前KISSを交わすくらい体力や精神力が消耗しないでいられる……最高じゃないですか。わたくし眠る前KISSなんてありえないですよ(笑)。だって一秒でも早く寝ないと朝起きられないじゃないですか。あああ。

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posted by toba2016 at 15:23| Comment(2) | TrackBack(0) | GRAND LOVE

2023年05月13日

RIVER

GRAND LOVE [ 玉置浩二 ]

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玉置浩二『GRAND LOVE』六曲目「RIVER」です。

二分半程度の短い曲です。「Oh Ye」でゆったり始まります。「Oh Ye」で陽気なのかと思いきや「流れていますか」と敬語なのでどういう言語感覚してんだとちょっとくらくら来ます。「きみのクライ」などというcryなのかと思いきや暗いだとか、このしなやかさと飄々さ、自由さにめまいがしてきます。きれいな日本語を使おうなどという気が全然感じられないのにこの美しさ……。

最初に「流れている」のはRIVERです。暗い場所、cryするような場所にキラリと光って流れるRIVER、これは利根川とか天竜川とかのRIVERではなく、比喩でしょう。だって利根川流域なんて誰のクライ場所でもないですもんね。あ!そこおれのクライ場所な!入るなよ!とかマス釣りの遊漁猟券じゃないんだから。ヒントとなるのは「心のほとり」という歌詞でしょう。つまり、このRIVERは思惟の流れ、感情の移り変わり、思い出等々の精神的現象を指すと考えるべきでしょう。

伴奏はアコギ、エレキ、ベース、パーカッション・ドラム、それに高音のシンセです。これはこのアルバムにおける玉置さんの基本セットといっていいでしょう。これらはその気になれば自宅に置くことさえできます。三畳から四畳半あればレコーディングスタジオが組めるのです。もちろん響きとか周囲の騒音とかは保証の限りではありませんが。これに安藤さんのピアノさえ持ち込むことができれば、音の良しあしはともかくこのアルバムの大部分の音は録音することができるでしょう。ああいけねえ、つい自宅でやりたくなっちゃいますね(笑)。

そんな穏やか玉置基本セットで伴奏された「きみ↑のク↓ライ」「キラリ↑とひ↓かる」という美しい高音を駆使した急転直下のボーカルは極上の響きで「流れて」ゆきます。そして一気にBメロで流れが大きくなる感覚、これまで森の奥からしみでてくる湧き水がサラサラだったのが、同じような湧き水を集めて沢といえる小さな「川」として流れ始めたようにアルペジオの伴う軽快な伴奏と歌になります。そこに「一緒にいようか」隣から、ごく近しく語りかける口調になりドキリとさせられます。さらに「星を数えながら泣こうか」と一緒に泣いてくれるのです。ここでは演奏の調子と一緒に距離感が急変する仕掛けになっていて、アレンジ、演奏、歌、歌詞が全て一体になってこの変化を演出しているのです。いやあ……玉置浩二メソッドここに極まれりといっていいでしょう。『LOVE SONG BLUE』のときはまだ歌詞が弱かったというか、最初は演奏もアレンジも外注だったわけで、その一体感がほの見えて構築中といった段階だったのですが、作品を経るごとに歌詞の力が増してゆきそれに併せてアレンジも演奏も力を増してきていました。『あこがれ』で絶頂に達したものを一度全部壊して作り始めたのが『カリント工場の煙突の上に』、外注多めで方向性を探ったのが『LOVE SONG BLUE』、そこから『CAFE JAPAN』『JUNK LAND』と純度と精度を上げてゆき、この『GRAND LOVE』で絶頂に達したということができるでしょう。

曲は間奏もなく二番、また「Oh ye」今度はきみ↑のツライ、いやつらいときにミュージックが流れてきます。やや乱暴かもわかりませんが、わたくし「RIVER」とはこの玉置さんのミュージックであると考えているのです。クライ思惟の中にキラリと光って流れてくるもの、つらいときに流れてきていやしてくれるものは、人生のいつの時点にだって玉置さんの美しいミュージックだったからです。このときわたくしまだ20代前半、心のページもまだぜんぜん書き進んでいない状況でした。だからいま思えばペランペランでめくり甲斐がないんですけども、それでも当時はそれが人生のすべてですからね。これから未来に向かって書き進めるためにめくる一枚一枚のページがじつに新鮮で貴重だったのです。これも今から思えば、なんですけども……。あれから四半世紀、25枚も書き進めてきたのですが、その25枚はもうしっちゃかめっちゃか、クライことつらいことのてんこ盛りでした(笑)。でも、そんなに悲愴じゃなかったんですよ。玉置さんの音楽がRIVERのようにいつもさらさらキラキラと流れていて、そこだけは決して淀むこと濁ることがなかったからです。ここ数年ではちょっと想像しにくいんですけど、玉置さん・安全地帯は長い間、必ずといっていいほど一年に一枚はアルバムをリリースしていたんで、まさにゆく川のながれは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなしという状況でした(『方丈記』より)。つまり、どんなにつらい一ページ一ページでも、RIVERさえ枯れていなければそれは流されてゆくもの、変えられてゆくもの、いつだって先のあるものだったのです。

1997年、札幌テルメ破綻を代表とするさまざまな開発失敗とそれによって発生した大量の不良債権が、ついに都市銀行の一角であった(最弱でしたけど)北海道拓殖銀行を破綻させ、日本の経済界に激震が走りました。とりわけ北海道の経済は大きなダメージを受け、第一地銀であった北海道銀行がその座を北洋銀行に明け渡し再生の道を探るなど混乱は甚大なものだったのです。札幌以外の街では中心繁華街の灯りがひとつまた一つと消えてゆき、今日の札幌一極集中を招いてしまいました。その一方で本州では第一勧銀と富士銀行は興銀と一緒にみずほ銀行へ、このほか三井住友、三菱UFJ、りそなと次々とメガバンクが誕生していきました。これ、笑っていられる状況でないのは明白です。ですが、若者のわたしにはどうしようもできないというか、日本の誰にも個人レベルではどうしようもできなかったのです。誰が悪いとか何が原因だとか言っても虚しいだけです。そんなことをあげつらってどうにかできた可能性があったのはほんのごく初期だけで、あまりにそれからヘビーな時間が積み重なってしまってからでは微動さえできませんでした。これは日本が経済戦争に敗れたということだったからです。若者たちは職にあぶれ、明日への希望を持てなくなりました。こんなことは当時ほとんどの人にとって生まれて初めてのことだったというその絶望感の大きさたるや、若い人には想像してもらえたらと思うのです。いやマジで日々をしのぐ以外、何もできないんです。金ないけど久しぶりに会った友達とココイチにカレー食いに行って二辛でギブアップ、店を出てもまだ辛くてすまんちょっとジュース買ってくるわと残り一枚の千円札を入れた道端の自動販売機から出てきたお釣りに混じった500ウォン、ふざけんなおれの明日の食費どうしてくれるんだよと怒る気力もなくすという傍から見れば微笑ましいけど本人にとっては悲惨な日々、そんなとき、玉置さん、安全地帯が活動を続けていてくれたことがどれだけ救いになったことか……心のRIVERがいつでも清涼な水を運んできてくれていたことがどれだけ呼吸を楽にしてくれていたことか……またまた当ブログ名物、氷河期の嘆きなんですが、わたくしが語る以上これは外すことはできません。音楽と当時の社会状況とは人生において分かちがたい連関をもっているものでして、複雑に強力に絡み合っているものなのです。

曲ははやくも三番、四度目の「Oh ye」です。ここにおいて、Riverとミュージックが「流れている」ものとして一体もしくは同一のものであることが歌われます。「あのRiver……」と余韻を残して曲の途中で終わった感覚で曲は終わります。エレキギターの音が、トレモロスプリングの震えまで聞こえているんじゃないかというくらい鈴鳴りに響き、そして消えていきます。この終わり方で、RIVERは枯れることなくこれからも流れて行ってくれるんだろうと、わたくしは信じているのです。

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posted by toba2016 at 07:43| Comment(4) | TrackBack(0) | GRAND LOVE