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玉置浩二『GRAND LOVE』十曲目、「ワルツ」です。作曲者として安藤さん一人だけがクレジットされているという、安全地帯・玉置浩二の歴史の中でも極めてまれな(『ソルトモデラート・ショー』が登場するまでは)玉置さん以外の曲を玉置さんが自分の作品として歌った曲です。『幸せになるために生まれてきたんだから』で志田さんは「これは彼にとっては、スカイ・ダイビングで空を降下する際、パラシュートの最終チェックを他者に任せることにも等しい」とまで述べて、その驚きの大きさを表現しています。なんという的を射た表現!とわたくしも思いました。玉置さんが自分名義で発表する曲を他人に作曲させるなんて、わたくし当時は思いもよらなかったのです。それほどまでに「曲:玉置浩二」というクレジットは絶対的なものであり、ここに変化が起ころうとは全く予想できませんでした。いってみればわたくしあっさり裏切られたわけですが(笑)、玉置さんはわたしが思っていたよりずっと自由な人であり、そしてなにより安藤さんが才能にあふれた人であり、かつ当時の玉置さんと共振するところの大きかった人だったということなのです。
またまたウザい自分語りで恐縮なのですが、わたくしデモ曲作りますね、こんな感じでどう?とメンバーに聴かせますね、こここうしたほうがいいよと誰かが提案しますね、わたくしムッとしますね(笑)、だって完璧だと思って作ってますから。でもとりあえずそのメンバーの言うように変えてみますね、もちろんピンときませんね。でも当たり前ですけど、一人分のアイデアでなくて二人分のアイデアのほうが豊かですから、時間がたつとだんだんそっちのほうがいいと思えてきます。そういう経験を何回か積んでいくと、どんなに最初はムッとしても共作したほうがいいんじゃないかと思えてきます。肝心なのは、わたくしそういう経験を何度もしていながら、玉置さんはこういう経験少ないんじゃないのか……もっといろんな人のアイデアも取り入れればいいのに……とかはまったく思わなかったということなのです。だってあの玉置さんですよ?ここまでに200曲以上わたくしブログで語ってますけども、その200曲以上でいちいちわたくしを感動させてくれてきた玉置さんなのです。玉置さん以外の要素が欲しいなどと思うわけないじゃないですか。実際にはメンバーたち、星さん、須藤さんらのアイデアでけっこうアレンジその他が行われていて、けっして玉置さん一人だけに感動させられてきたわけじゃなかったんですけども、そんなこと思いもよらないくらい「曲:玉置浩二」は絶対的だったのです。まさに聖域でした。ですが当の玉置さんはしなやかに安藤さんをその聖域に招き入れ、なんなら一部明け渡すことさえしたのですから信者(わたくし)はビックリ!安藤さんは『正義の味方』ツアー、そして次作『JUNK LAND』制作とそのツアーにおいてたんなる演奏者として以上のパフォーマンスを発揮して、玉置さんの心をすっかりとらえてしまったことは想像に難くありません。ですが、当時はあんまりちゃんと参加ミュージシャンのクレジットとか読まないわたしの立場からすればとつぜん現れたもう一人の神って感じで、天地がひっくり返ったような感覚を覚えたものでした。
そんなエポックメイキングなこの曲は、パーカッションによる心臓の鼓動のようなリズムから静かに始まります。小さなピアノ、ベースと一緒に歌が始まり、「一緒になって「良かった」」と強烈な告白を冒頭にかまされてしまいます。そ、そうか、一緒になったのか……それはよかった(あれ?薬師丸さんは?という野暮なツッコミはナシで)と曲の穏やかな雰囲気にすっかり飲み込まれていきます。「一番そばにいるから」の「番」の音程が上がる箇所ですでにノックアウト、おそらく玉置さん自身が入れたキーボードの音に絡む安藤さんの見事なピアノに、この曲の名曲であることを十分に感じ取ったのでした。
この後にリリースされた玉置さんのソロ作品、そして『安全地帯IX』と『安全地帯X』の随所で安藤さんのピアノを現代のわたしたちは聴くことができます。そしてこの当時の玉置さんに非常によくマッチしていることを十分に感じることができます。当時はこれ以上の組み合わせを想像することは困難でした。タッチといいトーンといい、そして選ばれる音によって紡がれるフレーズといい、玉置さんのピアニストはこの人しかいないと思わせるに十分だったのです。ついさっき天地がひっくり返ったばかりだというのに(「願い」ですでに半回転ひっくり返っていましたが)、もう実力で叩き伏せられて、すっかり安藤信者になったのでした(笑)。
そしてシンセの音……この音、わたしも似たのを使うことがあるんですが、なんでしょうね「……ココココココ……」みたいなやつ、プリセットだと「アンビエント」のカテゴリに入っていそうなやつ(笑)。森の奥で鳴く鳥の声を思わせます。
曲は二番に入り、「三十年くらい前知りあっていたら」とこれまた愛の深そうな歌です。玉置さんこのときまだギリギリ30代だったと思うのですが、三十年もさかのぼったら小学校の中学年です。もう幼馴染の域に入ってくるでしょう。わたくし20代中盤でしたから、当然そんなこと想像できるはずもなく……それでも、大人になってから自分が捜していたピースとなるような人とめぐり逢うという経験をしたことのある人は、なんで僕たちもっと前から知りあってなかったんだろうね的な気持ちを抱きがちです。それでも、小学校中学年頃に知りあっていたらなあ……とまで想像する人はそんなに多くないのではないでしょうか。わたくし、れ、レベルが違う!と驚愕し、その愛に真剣なものを感じずにはいられませんでした。なんとわたくし、小学校時代の友人でフルネームを言える人が……いま数えたら四人しかいませんでした(笑)。しかもとりわけ仲が良かったわけでもなく、たんに覚えやすい名前だったとかそんな理由で記憶に引っかかっていただけです。ズッコケ中年三人組シリーズのような縁の強さというのはわたしの経験外のことなのでした。
そして「一生懸命になって」の「けん」の高音にまたシビれ、絡むギターにシビれ、間奏のピアノ、キュイーンとうなりを上げるギター、背景のシンセ……これが想像させる「起こらなかった三十年間」にシビれます。幸せになるためにふたりで一生懸命に生きてたのかな……いやぜったいどこかでケンカして別れてるとは思うのですが、それでも、と想像してしまいます。若くて短気で想像力がたりなくて……至らないところだらけの自分が、同じように至らない相手と三十年間も一緒にやれたとは到底思われないのですが、それでも、なんです。おとぎ話のように、ありえない愛を作り上げたふたりの話も、途中で完璧に決裂したふたりの話も……どんなふたりの話もひとしく、それを経験した人にとってみたら、起こったたった一つのケースなのです。
玉置さんのダブル・ボーカルで「雨あがり……」と始まります。虹を渡るモチーフは「またね……」に引き継がれますが、この自然現象をふんだんに取り入れた情景描写は軽井沢期にはじまり、そして「太陽になる時が来たんだ」「蕗の傘」などで全盛を迎えたとわたくし思っております。歌の美しさ、そして安藤さんと作り上げる曲の美しさが加わり、さらに歌詞の世界も広がってと、玉置さんはもう無敵進化ロードを突っ走ります。
「そよ風になってみよう」と、猛烈な進化の中で自分の在り方を模索する玉置さん、それを支える安藤さん、軽井沢期はこの体制を基本にこの後十年ほど続きます。この間、わたしは20代中盤から30代前半、食うのが精いっぱいで死ぬかと思った時期から、苦しいのになぜかいつのまにか結婚し、なにくそ倒れるわけにはいかないとひたすら走り回っていた時期までを過ごしたのでした。「三十年くらい前知りあっていたら」……ないな、うん、ないよな、それでも……と心のどこかで思いながら過ごしたこの十年間、そう思わせてくれた曲としてこの曲はずっと心の奥で響き続けて私の中で特別な輝きをもっていました。……玉置さんと安藤さんのように頑張ろう、と。
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いい時代だったんたと思いますし、玉置さんに必要な時期でもあったのでしょう。安藤さんはいまどうされてるかわかりませんが、いちファンとしては感謝しかないです。ライブの映像、ホントにイキイキされてましたね。
安藤さんは、今も幸せに過ごされているのでしょうか。
ライブでも笑顔やてを振り上げたりなど、盛り上げてくれていましたよね。