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玉置浩二『GRAND LOVE』十一曲目、「フォトグラフ」です。
この曲好きなんですよ。いや全部好きなんですけど、特に好きなんです。なにが好きって、情景です。雰囲気です。歌詞です。歌ですアレンジですって結局全部好きなんですが、アルバム中ほかの曲にない望郷感、なつかしさ感が特に好きなんだと自分で思います。だってこのアルバム、ここまでずっと望郷感ある曲がなかったじゃないですか。『CAFE JAPAN』だと「フラッグ」「あの時代に」「メロディー」、『JUNK LAND』だと「風にさらわれて」があったのに!
さて曲はメジャーコードの低音アルペジオがメインで、ときおりアオリに高音のアルペジオ(カポを使っていると思います)、歪んだ音でブー・ブブーとリズムをキープするベースとバスドラム……スネアは打たれていませんね、その代わりに「(ン)チ(ン)チ(ン)チ(ン)チ」とハイハットが入れられ、バスドラとハイハットに合わせるように何かパーカッションがずっと打たれ続けています。これは玉置ソロ初期の「Will…」に近い設計ですね。
わたくし玉置ソロもこの辺になるとコードチェンジのタイミングをつかみ損ねてコピーや弾き語りが難しくなってくるんですけども、この曲はできます。いってみればリズムが単調なんですけども、そのぶんリズム以外のアレンジや詞の世界に浸ることができるのです。
「ふいにラベンダーの香り」、これは北海道を思い出させます。ラベンダー自体はなにも寒冷地でなくとも栽培できるのですが、なにぶん油分の多い植物ですので陽ざしの強い地域ですと山林火災の恐れが強く、誰も管理していない山野に自然に群生しているようなところはないでしょう。対して、れんげ草は本州を思わせます。北海道にもれんげ草は育つのですがあまり見ません。れんげは土を豊かにしてくれる植物ですので、米や野菜のスキマ時期に田んぼで栽培しているところが多かったのでしょう。それが自然に飛散して、「まくら木のすき間」から芽を出すということも。面積に対して田んぼの占める割合の小さい北海道ではあまり見ることがなく、本州でのほうが圧倒的に起こりやすくなるわけです。
軽井沢に居を定めた玉置さん、へたすると永住する勢いです(しませんでしたけど)。ですが、心にはいつも北海道があります。軽井沢地域には北海道を思わせる空気、植生があってわたしもドキリとすることがあるのですが、玉置さんも電車のホームやそこここの坂道などで、北海道を思わせられる雰囲気にドキリとして、「ラベンダーの香り」さえしてくるような感覚を覚えたということじゃないかとわたくし思うのです。そうだ、北海道でこんな感じで「夕暮れ色に染まるまち」を見ていたなあ……ラベンダーの香りがしてね……ここにはラベンダーはないけど、よくよくみたらあそこにれんげ草が芽を出しているな、といった感じで。
そして薄い「あー」というコーラス、これは歌ではなく懐かしい思い出の過去を思う慟哭に聞こえます。もちろんいい歳ですから声を上げて泣いたりしません。ですが、心の中は追憶の念で「ああー」と一気に大号泣、泣いているのです。その泣き声のようなコーラスにマイナーなコード進行、泣かせる気満々です。「夏の日の思い出」を忘れないでいようと「ずーっと」思っていたのに(「ずっと」と歌っているのに歌詞は「ずーっと」と伸ばしていて、こっちが本当の気持ちなのでしょう)、忘れてしまった、だから「フォトグラフ」は赤茶けている……つまり、すっかり過去のことになってしまったのでした。実際にその「フォトグラフ」が手元にあろうがなかろうが、実際に赤茶けていようがコニカ百年プリントの力で赤茶けていなかろうが、記憶の中にあるまぶしい「夏の日の思い出」とは色を異なるものにしているのです。さらにいうと、その記憶の中の「思い出」さえもリアルタイムで感じた「色」手ざわりも、暑さ寒さも、ニオイも……ずいぶん劣化していることでしょう。そのことを思い知らされて、「涙が出た」……いかん、ほんとうに涙が出てきそうです。おじさんになるとそういう夏の日の思い出的なものからずいぶん遠ざかってますので、この劣化具合が身に沁みてわかるのです。豊平川の花火に誘われて行ったあの日、できたばかりの豊水すすきの駅で待ち合わせた浴衣の君がまぶしくて……ん?待てよ、本当にそんなことあったっけ?家で扇風機浴びてアイス食ってああ極楽ってやってたんじゃなかったっけ?なんだかわかんなくなってきました。このように、記憶がだいぶ赤茶けて真偽すら不明になっています。うーむこのときの玉置さんよりだいぶトシとりましたからねえ……。
曲は二番、「不思議な人ね」と彼女が笑い、振り返らず歩いてゆくシーン……背景にはずっとコーラス、すなわちずっと泣いているのです。東豊線豊水すすきの駅から歩き始めたふたりは豊平川河畔で光のショーを楽しみ、心地よい光線と煙、音、人いきれの圧力の感覚も生々しくの南北線すすきの駅に向かって歩いていきます。彼女は慣れない浴衣に草履で歩きにくそうです。足元を気にする彼女……気づいていながら気づかいの言葉をかけるのが照れくさくてタイミングを見計らうわたくし……「あ、あのさ……」「?」「あの、さ、もう少しで駅だからさ……」「うん……」「大通駅で……いや、さっぽろ駅まで送るよ、あそこ階段長いからさ……」「……うん」(うわあ俺のバカバカバカ!)そしてさっぽろ駅、JR札幌駅への長い通路を歩き長い階段を、彼女は振りかえらずに歩いて行ったのでした……いえ!わたくし噓をついておりました!こんなことまったく起こっておりません!そもそもこれでは「青空のフォトグラフ」になりません。久しぶりの妄想は完全にピント外れ、走者一掃サヨナラ負けの大暴投です。
さて気を取り直して、ピントを合わせ直します。じつはわたくし写真を趣味にしていたことがございまして。昔のカメラって結構難しくて、家族の中ではお父さんしか写真撮れなかったんですよ。だから一眼レフのカメラを操れるってちょっとしたステータスだったんです。わたくしも父のカメラに憧れ、手に入れたキヤノンのマニュアルカメラをあちこちに持ち出してレンズを向けていたのです。最初は撮って写ってるだけで嬉しかったんですが、そのうち自分が撮ろうとしたイメージとプリントの違いに気がつくようになります。あれ……なんでこんな色なんだろうとか、なんでここ切れてるんだろとか、ここもっと隙間ないとおかしいよなとか。金はありませんのでフィルターとか買えませんから、いろいろ絞りとかシャッター速度とかフィルム感度とか変えて試してみるようになります。そして気がつくのです。抜けるような青空、それも夏の青空、それで絞りはF11、シャッター速度1/250から1/500秒、コダックISO100-200が自分のイメージしていた色だと判明します。これはかなり鮮明な記憶です。なにしろこっちは妄想でないからです(笑)。そして望遠で背景をぼかして撮った人物ポートレートが好きでした。これがわたしの「青空のフォトグラフ」なのです。もちろん一枚も残っていませんし、わたしの記憶の中にある当時の感覚も赤茶けてしまってますが……そのイメージはいつまでも「青空」なのです。当時の、最高の青空をとらえようとしてましたし、残そうと思いました。
人それぞれにきっと最高の青空はあるのです。それは恋人との時間かもしれませんし、仲間と燃え尽きたスポーツかもしれません。とうとう一枚も撮らなかったバンド時代かもしれませんし、かけがえのない家族との時間かもしれません。そんな時間はそれと意識することないまま、あっという間に過ぎていきます。一瞬一瞬がもう帰らない時間なんですが、わたしたちはそれを贅沢にもやり過ごしていきますし、そうするしかないのです。ですからわたしたちはきっと、それに少しは気がついていて、せめてとの思いで写真を撮ったり、現代なら動画を撮ったり、あるいは記憶にとどめようと努力します。
ですが時は残酷にも通り過ぎ、当時最高の画質だった写真も、そして現代のiPhoneで撮影した動画もかならず劣化するか、あるいは技術の進化によって未来では鑑賞に値しないレベルに陳腐化しますし、肝心の脳裏に焼き付けた記憶も赤茶けていきます。ですが、どんなに赤茶けていても、それは青空に違いないとわかるのです。「いつまでも青空」のまま色褪せてゆく記録や記憶たち……写真に残されたあの日の1/250秒か1/500秒が、そしてわたしたちの記憶の中にあるあの瞬間が段々とその色や形を失ってゆき、現在のわたしたちとの遥かなる距離、決して逆に辿ることのできない隔たりを思わせ、涙を流させるのでしょう。
玉置さんの歌そっちのけで写真のウンチクを垂れ流すという失態を重ねているわけですが、これはまあいつものこととして(笑)、この曲を聴きながらわたしが考えているのはこのようなことであるわけなのです。「あ〜」という玉置さん自身によるコーラス、何重にも重ねられたコーラスの一つひとつが、失われてゆくあの「青空」を失うまいともがく悲しみの声にも聴こえますし、ひとときの追憶に身を委ねる楽しい思い出の声にも聴こえるのです。
アウトロは「ら〜」に変わり、歌の旋律を繰り返します。「夕暮れ色に染まるまち」は眼の前にありながら、あの日を切り取ったまま赤茶けていくフォトグラフのようでもあります。きっとこのとき玉置さんが思い出していたのは、「ラベンダーの香り」が思い出させた北海道、それもラベンダーの咲き誇る上川盆地のことなのだろう、安全地帯が崩壊し傷つき倒れた玉置さんがその傷を癒やした旭川を離れ、ふたたび力強く歩みを始めてソロ活動を成功させ、そしてどういうわけか辿り着いた軽井沢の日々にあって、ここで音楽をやっていくんだと決心し、ふと自分を育てて癒やした北海道での日々、「青空」を思い出したのだと、わたくしは思うのです。
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この曲はこのアルバム随一の泣かせる曲ですよねえ。軽井沢で負動産とか呼ばれてる格安コテージ買って、ギターを弾いてこの曲歌ってみたいものです。
カメラが趣味の方は、ある種、老けないみたいです。
瞬間瞬間に感動や喜びを感じ、色々と歩いたり行動するので、老けないみたいです。
自分は、断捨離の一環で、すべての写真、画像データを捨ててしまいました!
軽井沢一人旅、ギターをもって行ってみたいですね。
軽井沢いいですよ。駅近辺はゴチャゴチャしてますが、少し歩くと静かでゆっくりと時間の流れる……それだけでなくて、針葉樹が多くて田んぼがない(少ない)から北海道に似てるんです。ギターを持って行ったことはないですが、持っていくとなにか感じるかもしれませんねえ。
玉置さんの思い切り好きそうなリズムで
コーラスも最高デス。詩が、トバさんが仰るように涙が出た、と唄う主人公とその相方との思い出。青春の青空!
私も偶然写真を勉強、やったことがあって、当時はまだ私もマニュアルのNikon F2、3をよく使いました。絞りはやはり11〜9、5、6の時も多かった。それでシャッタースピードは私は125〜250。
スナップをよく撮りました。好きな人がひとりでも出来ると必然的に撮る回数も増えて上達した気になりました(笑)
軽井沢にはまだ行ったことがないですが、是非一度行ってみたいです。ありがとうございます。