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玉置浩二『GRAND LOVE』六曲目「RIVER」です。
二分半程度の短い曲です。「Oh Ye」でゆったり始まります。「Oh Ye」で陽気なのかと思いきや「流れていますか」と敬語なのでどういう言語感覚してんだとちょっとくらくら来ます。「きみのクライ」などというcryなのかと思いきや暗いだとか、このしなやかさと飄々さ、自由さにめまいがしてきます。きれいな日本語を使おうなどという気が全然感じられないのにこの美しさ……。
最初に「流れている」のはRIVERです。暗い場所、cryするような場所にキラリと光って流れるRIVER、これは利根川とか天竜川とかのRIVERではなく、比喩でしょう。だって利根川流域なんて誰のクライ場所でもないですもんね。あ!そこおれのクライ場所な!入るなよ!とかマス釣りの遊漁猟券じゃないんだから。ヒントとなるのは「心のほとり」という歌詞でしょう。つまり、このRIVERは思惟の流れ、感情の移り変わり、思い出等々の精神的現象を指すと考えるべきでしょう。
伴奏はアコギ、エレキ、ベース、パーカッション・ドラム、それに高音のシンセです。これはこのアルバムにおける玉置さんの基本セットといっていいでしょう。これらはその気になれば自宅に置くことさえできます。三畳から四畳半あればレコーディングスタジオが組めるのです。もちろん響きとか周囲の騒音とかは保証の限りではありませんが。これに安藤さんのピアノさえ持ち込むことができれば、音の良しあしはともかくこのアルバムの大部分の音は録音することができるでしょう。ああいけねえ、つい自宅でやりたくなっちゃいますね(笑)。
そんな穏やか玉置基本セットで伴奏された「きみ↑のク↓ライ」「キラリ↑とひ↓かる」という美しい高音を駆使した急転直下のボーカルは極上の響きで「流れて」ゆきます。そして一気にBメロで流れが大きくなる感覚、これまで森の奥からしみでてくる湧き水がサラサラだったのが、同じような湧き水を集めて沢といえる小さな「川」として流れ始めたようにアルペジオの伴う軽快な伴奏と歌になります。そこに「一緒にいようか」隣から、ごく近しく語りかける口調になりドキリとさせられます。さらに「星を数えながら泣こうか」と一緒に泣いてくれるのです。ここでは演奏の調子と一緒に距離感が急変する仕掛けになっていて、アレンジ、演奏、歌、歌詞が全て一体になってこの変化を演出しているのです。いやあ……玉置浩二メソッドここに極まれりといっていいでしょう。『LOVE SONG BLUE』のときはまだ歌詞が弱かったというか、最初は演奏もアレンジも外注だったわけで、その一体感がほの見えて構築中といった段階だったのですが、作品を経るごとに歌詞の力が増してゆきそれに併せてアレンジも演奏も力を増してきていました。『あこがれ』で絶頂に達したものを一度全部壊して作り始めたのが『カリント工場の煙突の上に』、外注多めで方向性を探ったのが『LOVE SONG BLUE』、そこから『CAFE JAPAN』『JUNK LAND』と純度と精度を上げてゆき、この『GRAND LOVE』で絶頂に達したということができるでしょう。
曲は間奏もなく二番、また「Oh ye」今度はきみ↑のツライ、いやつらいときにミュージックが流れてきます。やや乱暴かもわかりませんが、わたくし「RIVER」とはこの玉置さんのミュージックであると考えているのです。クライ思惟の中にキラリと光って流れてくるもの、つらいときに流れてきていやしてくれるものは、人生のいつの時点にだって玉置さんの美しいミュージックだったからです。このときわたくしまだ20代前半、心のページもまだぜんぜん書き進んでいない状況でした。だからいま思えばペランペランでめくり甲斐がないんですけども、それでも当時はそれが人生のすべてですからね。これから未来に向かって書き進めるためにめくる一枚一枚のページがじつに新鮮で貴重だったのです。これも今から思えば、なんですけども……。あれから四半世紀、25枚も書き進めてきたのですが、その25枚はもうしっちゃかめっちゃか、クライことつらいことのてんこ盛りでした(笑)。でも、そんなに悲愴じゃなかったんですよ。玉置さんの音楽がRIVERのようにいつもさらさらキラキラと流れていて、そこだけは決して淀むこと濁ることがなかったからです。ここ数年ではちょっと想像しにくいんですけど、玉置さん・安全地帯は長い間、必ずといっていいほど一年に一枚はアルバムをリリースしていたんで、まさにゆく川のながれは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなしという状況でした(『方丈記』より)。つまり、どんなにつらい一ページ一ページでも、RIVERさえ枯れていなければそれは流されてゆくもの、変えられてゆくもの、いつだって先のあるものだったのです。
1997年、札幌テルメ破綻を代表とするさまざまな開発失敗とそれによって発生した大量の不良債権が、ついに都市銀行の一角であった(最弱でしたけど)北海道拓殖銀行を破綻させ、日本の経済界に激震が走りました。とりわけ北海道の経済は大きなダメージを受け、第一地銀であった北海道銀行がその座を北洋銀行に明け渡し再生の道を探るなど混乱は甚大なものだったのです。札幌以外の街では中心繁華街の灯りがひとつまた一つと消えてゆき、今日の札幌一極集中を招いてしまいました。その一方で本州では第一勧銀と富士銀行は興銀と一緒にみずほ銀行へ、このほか三井住友、三菱UFJ、りそなと次々とメガバンクが誕生していきました。これ、笑っていられる状況でないのは明白です。ですが、若者のわたしにはどうしようもできないというか、日本の誰にも個人レベルではどうしようもできなかったのです。誰が悪いとか何が原因だとか言っても虚しいだけです。そんなことをあげつらってどうにかできた可能性があったのはほんのごく初期だけで、あまりにそれからヘビーな時間が積み重なってしまってからでは微動さえできませんでした。これは日本が経済戦争に敗れたということだったからです。若者たちは職にあぶれ、明日への希望を持てなくなりました。こんなことは当時ほとんどの人にとって生まれて初めてのことだったというその絶望感の大きさたるや、若い人には想像してもらえたらと思うのです。いやマジで日々をしのぐ以外、何もできないんです。金ないけど久しぶりに会った友達とココイチにカレー食いに行って二辛でギブアップ、店を出てもまだ辛くてすまんちょっとジュース買ってくるわと残り一枚の千円札を入れた道端の自動販売機から出てきたお釣りに混じった500ウォン、ふざけんなおれの明日の食費どうしてくれるんだよと怒る気力もなくすという傍から見れば微笑ましいけど本人にとっては悲惨な日々、そんなとき、玉置さん、安全地帯が活動を続けていてくれたことがどれだけ救いになったことか……心のRIVERがいつでも清涼な水を運んできてくれていたことがどれだけ呼吸を楽にしてくれていたことか……またまた当ブログ名物、氷河期の嘆きなんですが、わたくしが語る以上これは外すことはできません。音楽と当時の社会状況とは人生において分かちがたい連関をもっているものでして、複雑に強力に絡み合っているものなのです。
曲ははやくも三番、四度目の「Oh ye」です。ここにおいて、Riverとミュージックが「流れている」ものとして一体もしくは同一のものであることが歌われます。「あのRiver……」と余韻を残して曲の途中で終わった感覚で曲は終わります。エレキギターの音が、トレモロスプリングの震えまで聞こえているんじゃないかというくらい鈴鳴りに響き、そして消えていきます。この終わり方で、RIVERは枯れることなくこれからも流れて行ってくれるんだろうと、わたくしは信じているのです。
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故郷に帰らなければならないというのは切実でありながら、仰るように帰れる場所があるということでもあるんですよね。わたしの実家は札幌の住宅地にあってそこで長く暮らしましたが幼少期を過ごした場所というのが別にあるんですよ。そこはもう人口ゼロ人になっていて帰るもヘチマもないんです。居住不可能、バラックでも建てるしかありません。大学は別々だからきっとこれでもうお別れだねと言いながら校舎の影で並んでふたりだけの写真を撮ったね、戻れない青春のワンシーン……とかもある意味帰れない場所なんですがそんな甘酸っぱいのはなく(そもそも札幌は卒業シーズンは雪の下でそんなことしたら凍死)、文字通り帰れない場所にわたしの故郷的なものはあるのでした。そもそもよく覚えてないし。
情熱大陸、噂には聞くのですが、なんと見逃していたのでした!くやしい!軽井沢時代は玉置さんはやりたい放題穏やかにやっていた感じですよね。『ワインレッドの心』はちょっと驚きました。ザ・穏やかって感じですが、あれは思うようにいろいろ大暴れしてるんだと思います。玉置さんはアコギでこそ緊張感みなぎるやりたい放題をみせてくれます。
軽井沢時代の作品やコンサートには私は丁度東京をあとにする前後と重なり、前半はワインレッドの心を出して武道館をやったあたりまではコンサートも行ってました。ニセモノのからあと、プレゼント、惑星あたりまでは、アルバムは全部買いましたが、本当に数えるくらいしかコンサートにはいかれませんでした。熱量が下がったのか、気持ちは微妙な平行線な感じで、ファンクラブも入ってなかったです。
幸せになるために、の本は流石に買って何度も読み返しました。軽井沢時代の独特な風貌や、こだわり、自然体な感じで今ももしかしたら続いていたかもしれないと、思うと同じ人なのかと思う時があります。
よく新譜が出るとテレビにも連続で歌番組やバラエティーなどにも出てましたし、一番は情熱大陸!軽井沢時代を象徴する番組でした。私はあの数ヶ月後に東京をあとに帰郷したので、良く覚えています。
その帰るタイミングは、ここしかない!ここがお前のその時だ、という出来事が起こり、躰はそれについて行く感じでした。あのとき帰らなかったなら今頃まだ、ひとりで東京の何処かにいたかもしれません。
グランドラブ、軽井沢から話しがだいぶ逸れてしまいました。人間は帰るところがあるから旅に出る、と男はつらいよの寅さんが言ってましたが、きっと帰れない場所も人間にはあるのかもしれません(最後だけ良いこと言いました笑)ありがとうございます。
軽井沢時代、じつはわたしも好きというかどの時代も好きなんですけど、このときはこのときにしかない魅力があって、それがまたあとから思うとモザイク模様の一つとして輝きを増しているという、まことに稀有なミュージシャンだな、と思います。それにしても安藤さんの存在はとても大きかったな、安藤さんがいなければCAFE JAPANの快進撃もあったかどうか……それどころか今日の玉置さんも安全地帯もなかったのではないかと思っています。
安藤さと子さんとの軽井沢時代も含めて、GRAND LOVEの世界観、自分は結構好きですね。
なんとも癒されます…。