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玉置浩二『GRAND LOVE』二曲目、「DANCE with MOON」です。
この曲は一聴すればわかりますが、とにかく起伏というものが感じられにくい平坦な、淡々とした曲です。英雄もない貴族もない、ついでにAメロもBメロもサビもないって感じです。いや、ちゃんと展開があって起伏もあるんですけど、最初はわかんなかったです。ここだここだ、ここでグワーッとくる!あ、あれ?来ない?の繰り返しで裏切られ感が強かったのでした。ウィトゲンシュタインが子どものボール遊びを見ているとサッカーやってるようにみえたがそのうちラグビーになりバスケットボールになり……おいおいルールはどうした?どうなってんだ?と困惑したというエピソードがありますが、それに近いものがあります。いうまでもなく子どもはただ楽しく遊んでいるだけであって、そこにルールがあってなんらか既存の競技が成立していなくてはならないのにしてないから困惑するというのは、見ている側の勝手な想定であるわけです。
さて曲はバスドラとリムの音でカッカカカ……カッカカカ……と単調なリズムから始まります。そしてなにやら玉置さんの囁き声とともに低音のストリング的な音、単音のガットギター、そしてうすーくコードストロークしてるギターらしき音にピアノ、スネアを伴い始めたバスドラに合わせたすごく控えめなベース、そして何やら意味のないことばを喋っているラップ的なボイスと、なにやらカオスで暗い雰囲気をどんどん増してゆき、そのままボーカルが入ります。
「月の砂漠をゆくんだろう」、むむ、これは「砂の街」的なラブソングだろうか?などと思っていると、どんどん「だろう」「だろう」「だろう」と推測四連発をくらいます。それぞれが互いに関連があるとは思えない乱れた思考の直撃をくらい、あやうく一ラウンドでダウンを取られそうになっていまいます。え?え?あれ?ドーン!です。後から考えれば「月」「星」は同じグループ、「ボタン」「シューズ」も同じグループと、全く関連がないわけでもありませんが、それでも何を言っているのかわからない感覚はいまだ残っています。これは思いますに、言っていることはわかるんです。歌詞そのままです。ですがわたしたちは歌詞全体で語るストーリーがあると想定しているからそれが見えないとズッコケるわけです。
そもそもは「DANCE with MOON」月と踊るというのがわからないといやわからないのです。夜空に月が出ています、月は黄道上を東から西に移動します、その間雲に隠れたり出てきたりします。明るかったり暗かったりします。そのわずかな変化にあわせてダンスする……いやそんなわけねえだろ(笑)。つまり、ダンスというのはじっさいに舞踊するわけではなく、何か(エロ?)の比喩であるか、たんなるイメージ描写であるわけなのです。
さてそんな意味があるのかないのかの情景が切り替わり、歌はBメロに入っていきます。英雄、貴族、独裁者と、コルシカ生まれの革命児から欧州の皇帝に登りつめたナポレオン・ボナパルトを思わせますがたぶん何も関係はありません。ここは「ない」三連発によって否定された「シューズ」が君にピッタリであること以外は特に重要ではありません。しいて言えばシューズがピッタリであるかどうかという肉体的条件に適合するかしないかには社会的権威など意味がないということを示唆しているかもしれません。このように意味はそんなにないんですけども、玉置さんが歌うと強い!そうだ!英雄も貴族もないんだ!独裁者でもどうしようもあるものか!という気持ちにさせられて、このBメロを気がついたら口ずさんでしまうのです。なぜだ、意味がないのに(笑)。これが歌の魅力、玉置さんの音楽の力なのでしょう。歌詞をみて意味を推測しているようではまだまだ、それがメロディー、リズム、楽器の演奏と一体的に表現されたときに生じる表現力のすべてを味わい尽くすところからはまだほど遠いといわなくてはならないでしょう。玉置さんが歌詞を自分で書くようになってからその魅力がみるみる増してきたわけなのですが、このアルバムではとうとう最高レベルに達したということができるでしょう。なにしろ曲を他人に書かせちゃうくらいですから、音楽の魅力を最高度にするためにはそれすら厭わなくなってきたわけです。
そして間奏、なにやらサスティンのないシンセパッド的な音でこの曲のメインテーマたるAメロのメロディーが奏でられ、音が歪み気味のギターの音色をバックに合の手に玉置さんの物憂げな「アアー」という声が入ります。これもAメロBメロ間奏、という定番の構成といえばそうなんですが、間奏がおまけ的な存在ではなくて、ボーカルが入っていないだけの強力なパート、むしろメインなんじゃないかと思えてきます。
そして歌は二番へ。風の街、太陽の塔、どこにあるのかさっぱりわかりませんが(万博会場?)、はるか遠くまで彷徨い、むなしい成果しか得られなかったことが思わされます。おそらくピッタリのシューズはどこにもなかったのでしょう。
僕にピッタリのシューズ……むむ!(意味深)メダルがない?シューズにメダルなんかあるか!サイズがない?シューズなのにサイズがない?なにそれ?華やかさ?ふつうのシューズだろ?と「シューズ」を文字通りに受け取ると全く意味が分かりません。ですが歌の力音楽の魅力でねじ伏せられるように感動させられてしまいます。そうだメダルなんかいらない……僕がほしかったのはそんな世間とか社会とかの基準で評価されているものじゃないくて僕にピッタリな……ここにおいてようやく理解します。というか思い当たるものに推測が至ります。これは男女の相性とか、あるいは生活様式といったものの比喩なのでしょう。具体的にいうと安藤さんと始めた軽井沢における音楽生活が、当時の玉置さんにいかにピタッとはまっていたのかが偲ばれます。
そしてまたメインなみの存在感を示す間奏、これがほんとにズシっと柱のように曲全体を支えているようにさえ思えてきます。最初に思いついたのここなんじゃないですかねってくらいです。
そして最後の歌の入る「〜だろう〜だろう」部分、月、時、星、これらは曲の冒頭と同じモチーフです。そんななか、君は抱かれて月と踊るのでした。君が抱かれているのですから僕が抱いているのでしょう。でもそんなことは全然書かれていませんので、なんだか遠く、それこそ月とか星くらいから……は大げさとしても、視界の中に月、星、そして「君」「僕」がおさまるくらいの広角レンズ的な視界から眺めているような錯覚に陥ります。もちろんねらってそうしたんでしょうけども、あまり深く考えないでこうなったんじゃないかと思えてくる天才ぶりだとも言えます。
ドラムのリズムは「〜ない」でダダン!とアクセントが入るくらいで、だいたいずっと同じです。ベースがドムドムンと雰囲気を変えてはきますけども、基本単調です。宗派によってたまに裏拍が入る読経くらいの単調さです。これで凡百の曲なら眠くなること必至でしょう。それが終始ものすごい緊張感でアウトロまで一気に駆け抜けます。これは眠れませんでした。とりわけ間奏には初聴時から度肝を抜かれました。歌詞もよくわかんねえけどすげえ!(笑)くらいには思っておりました。
シン!と張り詰めた静寂さがこれまでになかったといえばいえる前曲「願い」は、まあ、それでも玉置さんが作りそうな曲ではあったのです。ですが、この「DANCE with MOON」はその想定をだいぶ超えてきました。「ROOTS」と「闇をロマンスにして」を合体させて発展させたような感覚です。もちろんランダムに組み合わせを決めるのならその音像を予想できなくもないですが、よりによってその二つを足すか?とたまげてしまったのでした。ベートーベンの交響曲六番と九番はみんな知っているのに七番八番はあんまり知られていないのに似ていて、マニアな魅力がたっぷり詰まっています。この先このアルバムはますます探究者を引き付ける魅力を放って行くのでした。
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リズムが先だというのは最初信じられなかったんですけども、自分が曲を作るようになるとやっぱリズムから作りますね。コード進行と簡単なメロディーくらいは先にありますけど、そのあとドラムトラックをつくってからそれに触発されてどんどん変更されていて原形がなくなりますので、実質リズムが先なのでしょう。
この曲も「カッカカカ……カッカカカ……」が先にあって、そして「パパ、パ〜ン、パパ、パ〜ン」とメインテーマができて、って感じなんでしょうね。
ルーツと闇をロマンスにしてを足す発想は無かったので、そう言われてみればなる程!と納得します。作詞も見事に玉置さんはこの時期ハマってますし、産みの苦しさより作ってて楽しんで次から次へ出ていた感じがします。
やっぱり、いつまでも新しいものを人は皆欲しがりますけど、自分の奥深くから引っ張り出してくる新しさは、また古いものも吸って出てくるから良い味がします(笑)うーん!いい出汁だみたいな。
随分この後に行われた、幸せになるためにうまれてきたんだから、のインタビュー集のなかで印象的だったものが、1992に玉置さんが久世光彦さんの演出の偽ハマクラ伝に出演した時のこと。
玉置さんがその撮影中にハマクラさんの奥様とお会いする機会があり、生前濱口庫之輔さんが家で寝てる時にも足でリズムを取って曲を作っていたと。曲はまずリズムから(または同時)必ず作っていたそうで、それは全く玉置さんも同じで、俺と同じだと思ったと、インタビュー集に載ってましたね。
そういうことが、もう全ての玉置ソング(玉ソン)には散りばめられていて、聴いてるこちらもおいおい落ち着いていられなくなります(笑)静かに「ダンスウィズムーン」
ありがとうございました。