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安全地帯・玉置浩二の音楽を語るブログ、管理人のトバです。安全地帯・玉置浩二の音楽こそが至高!と信じ続けて四十年くらい経ちました。よくそんなに信じられるものだと、自分でも驚きです。
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2023年04月01日

願い

GRAND LOVE [ 玉置浩二 ]

価格:2,625円
(2023/4/1 10:34時点)
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玉置浩二『GRAND LOVE』一曲目、「願い」です。

Music by Koji Tamaki, Satoko Ando

これは歴史的なクレジットです。玉置さんがほかの人と一緒に曲を作った?いや、作ったことくらいあるでしょうけども、共作を安全地帯・玉置浩二名義で発表するのは初めてのことだったのです。ましてやそれを玉置さんが歌うなど!わたくし衝撃を受けました。恥ずかしながら軽井沢に移住したことも知らなかったし、安藤さんと恋仲というか音楽を一緒に作るほどのパートナーになるほどの仲だったことにも気がついていませんでした。プライベートのことは全然知らず、しかしこれまでの安全地帯、玉置浩二の音楽を知っているからこそ、この衝撃は大きかったのです。

そしてその衝撃は流れてくるサウンドでさらに増幅され、わたしの五臓六腑に波及していきました。静謐に始まるシンプルなドラム、ガットギターの響き、飾りのないベースの音……これは!『カリント工場の煙突の上に』の復活じゃないか!そう思いました。ですが、もちろん『カリント工場の煙突の上に』とはいろいろ違っています。なにより違うのは、流麗なピアノです。詳しくないですがスタンウェイの音じゃないですかね?わたしが作る曲でスタンウェイのシミュレート音を使うとこんな感じになりますが……そこは詳しくて耳のいい人に教えてほしいです。そして低音高音がきれいに混じって響くこのフレージング!このピアノこそが軽井沢時代の玉置作品を特徴づけるもの、別の言いかたをすれば安藤さんこそが玉置さんの音楽を決定的に変えたわけなのです。

「ほとんどあれはさっちゃんの曲なんだ」(『幸せになるために生まれてきたんだから』より)

志田さんがこの本を出してくれなければ知り得なかったことなのですが、これは共作をはじめて歌ったどころでなく、他人の歌を歌ってはじめて自分名義で出した、という大事件だったのです。玉置さんは安藤さんの作曲・演奏に惚れこみ、安藤さんの曲を歌って自分のアルバムで発表しちゃうだけでなく、安藤さんのアルバムをもプロデュースしてしまいます。「この人とは音楽ができるなって思った。さっちゃんは音楽を作れる仲間だと思った。そういうやつが欲しかった」(同上より)。いやいや玉置さんいっぱいいるでしょ!矢萩さんとか武沢さんとか!星さんとか!実際いっぱいいて、その仲間たちでつくった安全地帯が壊れ、玉置さんは孤独の底に叩き落されたような気分から須藤さんと一緒に再出発をしてここまで来ていたのでした。そこでまた「音楽を作れる仲間」安藤さんと出会えたのは、これはもう運命としか言いようがないでしょう。

なお、矢萩さんはこの後この二人に合流しますし、六土さん田中さんもツアーメンバーとして帯同してくれます。さらには武沢さんもコンサートで少しずつ混ざってくれるようになります。コンサートっていうのはステージの上が全てじゃないですからね。むしろステージの上はごく一部で、リハに移動にとほとんど年単位で付き合いますから、もう一緒に生活するようなもんなんです。ジョンはヨーコといることでビートルズを壊すような恰好になってしまったわけですが、玉置さんの場合は逆に安藤さんがいてくれることで安全地帯も復活していったんじゃないかと思えるほどに安藤さんの存在は人間関係にも音楽にもプラスに働いた、壊れたままになっていたものを修復する作用があったかのようです。もちろん全部偶然ってこともあり得るんですけども、偶然だっていいっす!安藤さんありがとう!

音楽を一緒に作れる仲間というのは得難いものでして、えてして自分だけが作っているような錯覚に陥りがちですし、仲間の作ったところが自分の作ったものをダメにしているような感覚さえ覚えます。ですから、基本的には一人でやったほうが気が楽なんです。ですから、玉置さんと安藤さんはよほど波長が合ったのでしょう。ヘビメタ雑誌のインタビューでは「ケミストリー(化学反応)」があったとよく海外ミュージシャンがインタビューで話していますけども(ドッケン再結成とかで。ウソつけ!付き合わされたミックとジェフが気の毒だよ)、玉置さんと安藤さんにもまさにそのケミストリーがあって、形成された結晶群がこのアルバムであり、とりわけこの「願い」が純度の高い結晶だったといってもいいでしょう。

ピアノもギターも、ベースもドラムも音が全体的にクリアで生々しいです。『カリント工場の煙突の上に』も決して悪くないんですが、このシン!と張り詰めた感じ、背景を防音壁やノイズリダクションでわざと無音にした感じでなくホントに静かなところで演奏しているんじゃないだろうか?いくら軽井沢ったって……静謐すぎるだろうと思わされます(ちなみに実際行ってみると軽井沢はすごい賑わいです)。

「すみれの花……」と玉置さんの歌が始まり、ゾワワ!と逆毛立ったんじゃないかと思いました。耳元で歌われているんじゃないかと思ったからです。なんだこれ?たぶんわたくしプレイヤーにCDをかけてコーヒーかなんか淹れに行ったんだと思いますが、思わず動きが止まりました。電子的なリバーブを使ってないから?歌い方に何か根本的な変化があったから?ミックスの方法論が違うから?何が何なのかよくわかりませんが、この驚異的なボーカルサウンドにすっかりノックアウトされたのでした。

そして歌われるのは、野に並んで咲くすみれ、森に響くつぐみの声、そんな素朴すぎる小さな愛の世界でした。ふたりでそっと暮らしていこうか、生きてゆこうか……なんという!なんというささやかで温かいメッセージ!恋の罪とか恋の罠とかは完全に昔の話、なんと玉置さん、安藤さんという得難いパートナーを得てサウンド面では『カリント工場の煙突の上に』と『JUNK LAND』を、詞の世界面では『あこがれ』と『CAFE JAPAN』『JUNK LAND』をなめらかにしなやかに融合させて、新境地を作り上げてしまったのでした。過去のパターンの組み合わせだろ?予想できたじゃないか何をいまさら驚く?いや驚きますよ。恥ずかしながらまったくこの方向性は見当もつきませんでした。あとから冷静に考えて「こう来たか!」ともう一度驚くくらいなのです。巨人からFAで出てゆくというビックリな離れ業を演じた駒田が中核となるマシンガン打線が試合のどこかで火を噴き、最終回を大魔神佐々木が点差を守るという黄金パターンでいきなり優勝した横浜のように、ものごとには組み合わせの妙というものがあって、それがピタリとハマると(横浜だけに)とんでもない輝きを発するものだと誰もが驚いたあの1998年、わたしは部屋でひとりこの「願い」を聴き呆然としていたのでした。大丈夫か!まだ一曲目だぞ!

そして「いつまでもいっしょに〜」と、なんだか縮こまったというか、伸びやかなところのない旋律で玉置さんが震えるようにささやかな願いを歌います。そしてそれが歌の一番二番の切り替わる箇所になっています。いわゆるサビらしきサビでは全然ありませんが、位置的にはサビです。玉置さんの曲ではいつものことなのですがABサビなどという形式にはぜんぜん囚われることなく、曲は必殺の口笛を含む間奏でメインテーマを続けつつ二番に進みます。ここらあたりでストリングスくるでしょとか当時は予想していて外れたので驚いた記憶があります。曲はただただ静かにゆっくりと、歌ってないのに愛してるとわかる!というもはやエスパーじみた強力な曲の説得力を発揮しつつ、素朴ながらに強い祈り、願い、愛を紡いでいきます。

「雪割草」とはまた郷愁を誘う言葉!きっと北海道の雪の下から顔を出すフキノトウのことだろう……なんと健気な!と玉置さんとほぼ同郷であるわたくし、すっかり感じ入って二番の歌詞世界に入り込んでおりました。しかし、いま調べて知ったのですが、ぜんぜん別の植物でした(笑)。読むと、北陸以北の日本海側本州に分布するようで、どうもここでいう「ふるさと」とは北海道のことではないように思います。ついでにいうと軽井沢も該当地域に入らないような……これは現地でないとわかりません。北陸や羽後地方でなくても長野県北東部では雪割草と呼ぶ花が咲くのでしょうか?知っている方は教えていただけると幸いです。

玉置さんはここにおいて北海道以外を「ふるさと」と歌う心境に至った、いや歌なんだからべつにハイビスカスとか歌っても構わないんですけども、これまで玉置さんが歌ったふるさとは旭川、北海道を明確に意図していたとわたくし思っておりますもので、これはいささかショックというか、玉置さんの心境の変化・進化・深化が進んでいたことを伺わされたのです。そもそもこれまでもぜんぜん北海道とか意図としていませんでしたという可能性もなくはないのですが。

「ずっと二人で歩いてゆこう」

「暮らしていこう」「生きてゆこう」に続いて「歩いてゆこう」ですか……いや、誰でも思いつく歌詞なんですけども、けっして陳腐ではありません。「恋の罪も恋の罠も」「真夏の夢」「ステキな夢」とやはり誰でも思いつきそうな言葉を用いているのにぜんぜん陳腐に聴こえてない陽水マジックを彷彿とさせます。玉置さんの歌詞は前作までにかなりこなれてきて、わたくし玉置さんの歌詞に心酔するまでに至ったわけなのですが、この「願い」では、陽水さんの域に達したのではないか……とまで思わされました。ところでこの1998年、陽水さんはというと『九段』をリリースしておりまして、わたくしいまだに未聴なのでした。しまった!そんなわけでいま注文しました(笑)。90年代の陽水さんと玉置さんがどのような歩みをたどったのか、四半世紀を経て陽水さんの側からも考察してみたいと思います。

そして曲は最後のサビ……いやAメロ……あーもう!(笑)この素晴らしいセクションを繰り返して終わります。「願い」という曲タイトルがここにようやく登場するのですが、なんとその願いは自分のことではなく、地球全体に愛があふれることなのでした。なんと!この愛は……どなたか存じませんがある特定の女性(すっとぼけ)への愛ではなく大自然への愛で、それを人間の愛に喩えて表現していた?いやいやいやそんなバカな?でもそうとしか読めませんよね。ここには恋の罪も恋の罠もありません。さみしい夜に開く古い宝石箱もありません。ただただ、「風のように自然に」「花のようにやさしく」紡がれる愛なのです。そして人間同士の愛も究極的には大自然の愛なのだから、草も花も風も、そして男女も(笑)、そんな愛で世界を満たすのがいちばんハッピーに決まっているよね?という玉置さんの穏やかな笑顔を見るような歌だったのです。これはびっくり。なにがビックリって、その世界理解がです。もはやこれは仏陀(また仏教ネタ)にも似た、悟りの境地を示す歌だったのでした。

仏の目には英雄も貴族も独裁者もみな同じ、人間を分かつのは自然の仕組みでなくいつも俗世の業に満ちた傾向性のようなもので……ああいかん、次の歌の解説に入ってしまいそうですんで、今回はこのくらいで。

GRAND LOVE [ 玉置浩二 ]

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posted by toba2016 at 10:29| Comment(6) | TrackBack(0) | GRAND LOVE

2023年03月19日

『GRAND LOVE』

GRAND LOVE [ 玉置浩二 ]

価格:2,596円
(2023/3/19 15:26時点)
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玉置浩二7thアルバム『GRAND LOVE』です。発売は1998年五月、ファンハウスへの移籍、軽井沢への移住と、完全に心機一転、環境一新、さらに須藤さんと袂を分かち体制まで大改革という、とんでもない変化が起こっていました。聖飢魔IIがこの二年前にやはりソニーからBMGに移籍しており、そのBMGと合併するかしないかくらいの頃だったファンハウスに聖飢魔IIを追うかのように(追ってないと思います)玉置さんは移籍したのでした。聞き及ぶ範囲ではソニーに比べてさまざまな体制が整っていなかったBMGでは、それまで当たり前だったものが未整備で、制作やプロモーションの勝手に大きな変化があったそうです。玉置さんもまた……というか、玉置さんはおそらく望んでそういう環境に飛び込んでいったんじゃないかと思われます。レコーディングは軽井沢のウッドストック・スタジオで玉置・安藤(・矢萩)の二〜三人体制、スタッフはいるにはいても、ほとんど手作りでどんどん録音してしまってゆく玉置さんは、そうしたくてしていたのだと思いますが、むしろ楽しんでいたんじゃないでしょうか。

金子洋平さんが見つけて、玉置さんに紹介した、いまはなきウッドストック・スタジオ、ここを拠点に玉置さんはいくつものアルバムを作り、安全地帯を復活させていきます。98年に『GRAND LOVE』発表、翌月に薬師丸さんとお別れし、そして翌年には安藤さんと結婚しています。まあ、その頃にはさすがにこの人と結婚するんだろうねくらいにはわかっていましたが。その作り上げたサウンドは素朴で美しく、まるで『カリント工場の煙突の上に』まで時計の針を巻き戻したかのようなアコースティックな響きをもっていました。そうか、玉置さん、またギター一本からやり直すんだ……と、強烈なリセット感を感じたものです。その背景に、玉置さんの病気や、東京での音楽生活への不適応、軽井沢への移住などのあったことは予想すらしていませんでした。ただただ、玉置さんの精神に何事か大きな変化が起こっていることのみを感じていたのでした。

では、一曲ずつの紹介を。
1.「願い」アコギとピアノのバラードです。安藤さんとの共同作曲名義で驚きました。
2.「DANCE with MOON」ミディアムテンポの陰鬱系ポップスです。わたくしこのアルバムでこの曲が一番好きかもしれません。
3.「ルーキー」先行シングルで、爽快なアコギロックです。玉置さんから高橋由伸選手への応援歌でした。
4.「HAPPY BIRTHDAY〜愛が生まれた〜」スローテンポの陰鬱バラードです。「ハッピー」なのに陰鬱です(笑)。曲と歌の巧みさに息をのみます。のちにシングルカットされました。
5.「GRAND LOVE」前半はほぼアコギのみの伴奏でしんみりと歌われるこれまた陰鬱ながらにひたすらに穏やかなバラードです。その後ギター、ベース、ピアノのインスト曲が合体してる形でメインテーマが一分ほど奏でられます。
6.「RIVER」けだるいながらに安心感のただようスローテンポのポップスです。
7.「カモン」ミディアムテンポの不思議系ポップスです。このアルバム、だいたい不思議か陰鬱かなんで、そんな言い方ばっかりです。
8.「BELL」シングル「ルーキー」のカップリングです。「ルーキー」に負けない勢いのあるロック曲です。ただし陰鬱です(笑)。
9.「RELAX」またまたミディアムテンポの不思議系ポップスです。
10.「ワルツ」なんと安藤さんのみの作曲クレジット!わたくしひっくり返りました。ひたすら安心しきっている様子のわかるピアノバラードです。
11.「フォトグラフ」アコギのバラード、わたくし最初に気に入ったのはこの曲でした。歌詞が耳にこびりついて離れませんでした。フォトグラフが赤茶けたなんて!いつまでも青空なんて!
12.「ぼくらは…」陰鬱さの感じられない人生前向きバラードの曲なんですが、歌詞には無常観が漂っています。このあやういアンバランスさのなかに玉置さんは一種の安心を見いだしたのだとわかります。

安藤さんとの生活で「俺の精神が安定してきた」「そしたら音楽自体も変わった」(『幸せになるために生まれてきたんだから』より)と玉置さんは語ります。たしかに安定しています。ですが、上の短いレビューで何度も申し上げたことですが、曲がいちいちダウナー系なんです。玉置さんはずっと上下の激しい方でそれが魅力でもあったわけですが、このアルバム以降、軽井沢時代はおおむねダウナー系で安定していきます。いや安定しなくていいです!もっと激しく上下してわたしを楽しませてください!と思わなくもないんですが(笑)、それは聴くだけの人間の勝手な望みであって、肝心の玉置さんがもう限界だったのでしょう。なにしろ、安全地帯の「ワインレッドの心」から「じれったい」まで一気に走り抜けてきた三年半と同じく、『カリント工場の煙突の上に』から『JUNK LAND』まで三年半で走り抜けたのですから。

それでも、一聴してよい曲だ!と思わせる曲が多かったので、これは聴き込めば割と早めに全曲いい曲だ!という状態に至れるだろう、という目算の立ったアルバムでした。この当時わたくし思い切り人生の岐路にありまして、このアルバムを何周聴いたかわからないくらいリピートでかけっぱなしにして、気がついたら日が暮れてる、夜が明けてる、という生活を何か月も続けました。さすがにこれは精神がもたない!少し歩こう!と近所のスーパーに出かけ、「だんご三兄弟」の流れるスーパーをボヤっと冷やかして歩き、なんとそのままカゴをもって店を出てしまい、あわてて店内に戻って会計をするというくらい夢うつつだったのです。これはヤバい!と何度も自分をビンタしましたが、気がつくとまたボンヤリ、『GRAND LOVE』の永遠リピートする部屋に何日もこもっていました。あ、いや、べつに引きこもりとかでなくて、在宅ですべきことがあったのでそうしていただけなんですけども、さすがに精神と身体にかなりよろしくない影響がありました。噂にきく締め切り前の漫画家のような生活です。この酷い生活を支えてくれたのがこのアルバム……というか、このアルバムのせいでダウナー系になったのか、なんだかもうわかりませんでした。さすがに飯は食わないといけませんから、テレビのある部屋に少しだけ戻って、衛星放送で絶不調に陥った野茂を見ながらカップ麺とか食ってました。ガンバレ野茂、ガンバレ野茂、おれも頑張るから……ふう、と食事終了、また『GRAND LOVE』の部屋に戻って……ですから「ルーキー」が高橋由伸選手のことだということも知らないままでした。

そしてまんまと早々に「全曲いい曲だ」と思うに至ったのでしたが、こんなに集中的に聴きこんだアルバムは久しぶり、いや初めてだったかもしれません。いまちょっと試しに流してみましたが、音符の一つひとつまで感覚を覚えています。ここまでわかるのはほかに安全地帯II、III、IVくらいのものだと思います。

さてこのアルバム、歌詞カードには軽井沢で撮られたらしき写真がいくつも収められています。玉置さんが森林の中を歩く写真、廃車の上で何やらポーズをとる写真、そして大きく見開きで青空の下冠雪の山をバックに撮られた写真があります。いまですと、ああ、こりゃ軽井沢の別荘地だなとか、こりゃ浅間山だなとかわかるんですが、当時はいったいどこなのかわかりませんでした。クレジットをよく読めば「WOODSTOOK KARUIZAWA STUDIO」と書いてあるんですが、そこまで細かく読んでませんでしたし。なにしろファンハウスに変わったことすらあとから気づいたくらいでしたから。ほとんど前情報なしにこのアルバムを聴き、そのサウンドの変化に驚き、「Satoko Ando」のクレジットを見て腰を抜かし、そのまま永遠リピート期間に入ってしまったので、とにかく外から情報を全く入れないで聴きこむことができたのです。当時は死にそうでしたが(笑)、聴き込み経験値の上がった得難い時間でもあったのでした。

GRAND LOVE [ 玉置浩二 ]

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2023年03月05日

しあわせのランプ


玉置浩二『JUNK LAND』十四曲目、「しあわせのランプ」です。本アルバムはこの圧巻の名バラード曲で幕を閉じます。なお、七年後の2004年に再レコーディング、シングルとして出されたという珍しい曲でもあります。

「しあーわーせにー」と玉置さんが歌い始めてすぐに右に左に複数本のアコギ、安藤さんのピアノ、須藤さんのベース、そして薄くパーカッションで分厚いながらもあっさり風味な演奏です。

生まれてきたのはなんのためか?誰もが一度は陥る深い悩みに、玉置さんは「幸せになるために」とズバッと答えて歌います。この時点でもうハートがっちりわしづかみ、いままでそんな悩みも忘れていたのに悩める子羊へと一気にフォームチェンジして玉置さんの歌に耳を傾けます。「好きな人と……一緒に……」の裏でギターが「シャラララン……シャラララン……」と鈴のように響きますよね。わたくしこれにぬう!と衝撃を受け(すみません、こと安全地帯と玉置浩二にはいとも簡単に衝撃を受けるんですわたくし)、初聴時にすでにギターさわっていたと記憶しています。このように、歌詞でもギターでも序盤で完全にノックアウト、このアルバムが始めから終わりまで文句の付け所のない大名盤であることを知ったのでした。

空ばかり見て暮らしていた

友達が毎日入れ替わりで集まってくれた

どんなことしたって食っていけるんだから一緒に農業やろう

大丈夫、大丈夫、好きな人たちと、好きなことをやっていればいい、大丈夫

大切なことはいまわからなくたっていい、いまわからないなんて当たり前、わかってくるものなんだから

(おもに『幸せになるために生まれてきたんだから』より)

そう、これは、玉置さんが傷つき静養していた旭川でお母さんが言ってくれたこと、そして玉置さん自身が体験し体得していったことを表現する、魂の歌詞だったのです。お母さんの金言をリスナーのみんなにも伝えたいな、という玉置さんの思いや願いもあったのでしょう。そして、そのお母さんの言葉を玉置さん自身が理解し、咀嚼して今度は自分の言葉として伝える側になったということも意味します。ここにおいて玉置さんが、安全地帯崩壊の衝撃で負った傷を癒し完全復活、いやむしろパワーアップして再登場したという奇跡を、再登場から四年経ったこの時期、すでに『田園』の成功を経て復活が誰の目にも明らかになっているこの時期にようやく鮮明に表現したというエポックメイキングな曲であったといえるでしょう。

Aメロの途中から時折スネアが入ってましたが、Bメロからはバスドラも入り、曲を盛り上げていきます。サビからはシンバルも入りと、だんだんリズムが強くなっていくにつれてわたしたちの感情も高ぶっていきます。

Bメロ、ホワンホワンとしたシンセが入り、「やりきれなくなった時は〜」という条件節でBメロという単位を意味の上でも音楽の流れの上でも埋めていきます。これは意識的にそうしたのか無意識的な天才の技なのか、むむむ、やりきれなくなった時はどうなるんだ?どうしたらいいんだ?なんて言ってくれるんだろう?と期待値が爆上がりになります。

曲はサビに入りこの空を見上げて……のちの「からっぽの心で」に通じる空の効果は、旭川での静養を経て玉置さん自身が体感したことなのでしょう。「納屋の空」で幸せに……幸せに……と絶叫した空、「青い”なす”畑」の上に「カリント工場の煙突の上に」広がる青い青い空、玉置さんが何かに困ったとき、詰まってしまったとき、苦しいとき、幾度も空を見上げて「やさしかった頃」を思って笑ったのでしょう。奇跡のアルバム『カリント工場の煙突の上に』において始まった玉置さんの再生劇、そしてその後の『LOVE SONG BLUE』『CAFE JAPAN』そしてこの『JUNK LAND』の、落ち込んだ日本全体を励まし勇気づける大ヒット作「田園」を含む新時代玉置ソロ三部作、すべてを総括する見事なエンディングバラード、いやもうホントに見事としかいいようのない曲です。

「笑っていなさい」というやさしい導きとともに曲はすぐに間奏のギターソロへ入ります。このギターも最初は矢萩さんが弾いたんじゃないかと思ってクレジットを見ましたがそんなことはなく、玉置さんが弾いたのだとわかります。「矢萩が弾いてもおれが弾いた感じ」とすっかり自信満々に語っていた玉置さん、いやほんとにその域に迫っていますよこれは!矢萩マジックかなり効いています。泣きの、いや号泣のソロです。

ダダン!ダン!とブレイクが入り、伴奏はホワンホワン……玉置さんがここで一瞬弱音ともとれる愛を歌います。僕には君がいなけりゃダメなんだ……あれ、いままで支える側だったんでないの?いつのまに入れ替わっている?と思わされるかもしれません。ですが、これはごく当たり前のことなんですが、玉置さんは神ではありませんし、わたしたちの誰も神ではないのです。支え支えられている関係にある、人間同士なのです。もしも君のランプがなけりゃ……この「しあわせのランプ」は、持っている人が幸せでなければ消えてしまい、その人の幸せによって自らを奮い立たせていた人が、なんのために自分はここで頑張っているんだろう、どうしたらいいんだろうと、「闇に迷う」ハメになるのです。わかりやすい例でいうと親子がそうですね。親は子どもが幸せでいてくれたらそれでいい、自分はそのために、それを支えるために生きている、それが生きがいになっているわけですが、子どもが不幸のどん底に落ち込んでいたら、自分は何のために生きているのかよくわからなくなります。ですから必死に支えようとするのです。玉置さんのお母さんもきっと、そんな思いを込めてどん底の玉置さんを支えたのでしょう……玉置さんは少しずつ少しずつ、自分が生かされている存在であると同時に誰かを生かしているのだと身に沁みてわかっていき、その過程で支え支えられる存在としてのゆるぎない自分を確立していったのでしょう。この歌は、そんな新生玉置さんの悟り、願いをそのまま歌にしてしまったわけで、玉置さん復活の奇跡をもっともよく表す曲を選べといわれたらわたくし、「カリント工場の煙突の上に」でも「メロディー」でも「田園」でもなく、迷わずこの「しあわせのランプ」を選ぶでしょう。

平成の中期ごろから特に政治的メッセージの「自立」が目立つようになってきました。たぶん、いまの若い人も小さいころからこの自立しろしろビームをくらいまくって育っていますから、すこしは心を痛めつつもそれが当たり前な気がしているんじゃないかと思います。ですが当時は、やれ自立した女性だのやれ障害者が自立する支援をするだのと、まるでいま「自立」していないみたいな言いぐさで激しく違和感を覚えたものです。なにしろ「自立」とはカネを稼ぐことだと言わんばかりですから、簡単に納得なんかできるわけがありません。じゃあ株の取り引きとかで大儲けしている天才トレーダーは「自立」しているわけですよね?たとえ自分一人ではおしっこができなくて後ろから誰かに抱えてもらって「シーシー」って言ってもらわないとできない人でも、夜になったらかならずお母さんに電話してちょっとしたことでも慰めてもらわないと不安で寝れない人でも、カネさえ稼いでいれば「自立」しているということになりますかね?明らかにそういうことを言う人が言っているのはカネのことだけなんですから、そんな状態でも「自立」していると自信をもって答えなくてはおかしいのです。でもそんなの「自立」っていうの変じゃない?と思うのが自然な感覚ですよね。誰もが支え支えられていて、その関係が成り立っていることを「自立」っていうのでなければ、仮にカネは稼いでなくても、自分では下の世話はできなくても、お母さんに添い寝してもらわないといけなくても、自分のできることで誰かを支えているのならそれは「自立」っていうのでなければ、世の中の誰も自立なんかしていないことにならないとおかしいのです。ハア?わたしはわたしのお給料ですべてを賄っていますし下の世話も自分でできますし誰にも精神的に依存してませんだあ?お前の飯はぜんぶ自分で育てたか狩猟してきたものか?お前の排泄物はおまえんちの庭に埋めるのか?そんなわけあるか!自立がきいて呆れるぜ!とまあ、日本という社会の経済システムとか社会インフラとかの恩恵を無視して話すのはまったくナンセンスです。ついでにいうとかりに完全孤独で自給自足の生活を送ったところで、太陽さんの恵みを無視して「自立」などと言い張るのも噴飯ものでしょう。この支え支えられる関係に誰もが生きている、ときには死者でさえ誰かを支えている、少なくとも現代先進国ではそういう関係性の中でしか生きられないし、「自立」なんてその範囲内でしか成り立たないのですから、ことさらカネのことだけを取り上げるのは無根拠だしアンフェアなのです。誰かが配られたカードの中で「じゃあ今からこれを一番強いカードってことにしようぜー」と叫んでいるようなもので、恣意的で卑怯な思惑しかそこには存在しません。そんな世界だなんて、わたしたちが人間としての誇りを捨てて信じてやる義理はまったくありません。

だから、「僕には君がいなけりゃ ダメさ」と叫んだっていいのです。そう叫びながら、励ますメッセージを送っていいのです。僕は君を力いっぱい支えるよ、だって君は僕の生きる希望なんだから。君のランプが消えてしまったら僕はもうどうしたらいいかわからない、だから君が笑顔でいられるように、幸せだっていって笑っていられるように、僕はなんだってするよ……これは、小賢しい政治的メッセージ「自立」などとは無縁の、人間本来の愛ですし生きる姿でしょう。人間、誰かを支えるためでなければ頑張り通せないものです。自分だけのために何十年も頑張れないですよ、少なくとも私はムリです。ホームレスにならない自信がありません。大事な人たちを支えるために、そして大事な人が振り向けばいつもそこにいて力を与えられるように、だから何十年も、へたすりゃ自分が年老いてもうあと何年も楽しむ時間がなくなってしまうとほとんどわかっていても、頑張れるんです。親たちがそうして生きてくれたからこそ、わたしたちもそう生きて生かされるんです。そうしているからこそ堕ちずに暮らしていられるわけですから、支えているつもりで実は支えられているのです。そして玉置さんにとっては頑張るものが歌だった、音楽だった、そしてそれが超特級天下一品の歌であり音楽であったというわけです。

曲はJUN TAKEUCHI STRINGSのストリングスが入り最高潮、最後のサビに入ります。「めぐりあった頃」のことを思い逢いたくなります。逢っていいんです。「さみしいよって言って戻って」きていいんです。めぐり逢ったからには、すでに支え支えられる関係にあると知っているのですから、それはもう頼っていいのです。頼られすぎるのも処理能力の限界というものがありますから何でもはしてあげられませんけど、頼られたら悪いことにはしません。ほとんどの人は基本的にはやさしいのです。わたしたちはそういう生き物だからです。「さみしいよ」「戻ってきなさい」と歌う玉置さんの声が、わたしたちすべてを広い空から包み、そういうやさしい世界を彩ってゆくように響きます。ぶ、仏陀か!あんた仏陀か!悟りの朝に泉のほとりでスジャータから差し出された乳粥を食べその名前を訊く仏陀のように支え支えられる関係を認め合い慈しみ合う、美しい世界に温かい太陽の光が降り注ぐかのように、ただただ美しい人間の愛がごく自然にシンプルな形でここには顕在化しているのです。

曲はさらにもう一度、「幸せになるために生まれてきたんだから」と、のちに志田歩さんが本のタイトルにしたその美しい愛を歌います。好きな人と一緒にいなさい、たとえそれがわたしでなくたっていい、あなたが幸せなのがわたしの幸せなのだから、あなたもわたしもそのために生まれてきたんだから、ただ蜜蜂が花の間を飛び交うように支え合い、ただ吹く風が青い空を作っているように当たり前に、自然に生きていこう……アウトロの玉置さんの声、ギター、ベース、重ねられるピアノとパーカッション、それを包むストリングス……ジャララン……と弾き下ろされるアコギで終わってゆくこの曲は、渾身の思いで、それでいて後光差す仏陀のように穏やかな心で作られたものだとわたくし信じているのです。

さて……このアルバムも終わりました。ホッとしました。かつて「黄昏はまだ遠く」の記事を書き上げて満足したわたくし、次の区切りは「しあわせのランプ」だなーとボンヤリ思っていたのですが、ようやくたどり着きました。次の区切りは何になるんでしょうかね。ソロ活動の区切り的には『スペード』のラスト「どうなってもいい」なんですが、受けた衝撃の大きさでいうとその次にあたる『安全地帯IX』の一曲目「スタートライン」か、軽井沢時代の終わる「からっぽの心で(Instrumental)」のほうが大きかったです。まあ、またニ〜三年かかると思いますが、さしあたりなんとなくそのあたりを目指して頑張ってまいりたいと思います。

JUNK LAND [ 玉置浩二 ]

価格:2,477円
(2023/3/3 12:19時点)
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2023年02月25日

おやすみチャチ(Instrumental)


玉置浩二『JUNK LAND』十三曲目、「おやすみチャチ(Instrumental)」です。

玉置さんの「お願いします、ワン、ツー、スリー(だんだん声が小さくなる)」から始まるガットギター二本の織りなす美しい「太陽さん」のテーマ、ここにJUN TAKEUCHI STRINGSのストリングスが絡み、ため息の出るような美しい合奏になっています。ギターは二本とも玉置さんが弾いてるでしょうから、誰にお願いしたのかはよくわからないんですが(卓かな?でももう録音スタートしてるから玉置さんの声が入っているわけで)、目の前でこんなセッションあったら腰が抜けるだろってくらいの臨場感たっぷりな一分半になります。

だいたいメロディー弾きとアルペジオの二本なんですが、たまにメロディー弾きで二本が絡むことがあります。それが同じ音程だったりハモった音程だったりします。ですが、ガットギターだととくに顕著なんですが、同じ音程を弾いても同じ音って出ないんですよ。ちょっと押弦の強さが違うとか右手のほうが指のテンションが違うとか、物理的な要因はそんなところだと思うんですが、この「おやすみチャチ」でも微妙にブレた音が重なり合っているのがわかります。

で、ここが不思議なことなんですが、この微妙な違いが膨らみというか厚さというか、気持ちのよい音を生み出す効果があるのです。たぶんコーラス効果とかダブリング効果とかいって物理的な説明のつくものなのだと思いますが、わたくしよくはわかっておりません。エフェクターのコーラスも原理は同じだよと聞いたこともあるのですが、それがどうして気持ちがよいのかは結局は人間の性質なのでしょう、よくわからないのです。

ビートルズの歌もジョンとポールと二人でそれぞれ微妙に違うボーカルラインを歌っているから気持ちがいいと、何かで読んだこともあります。何も別人でなくても、一人で二回録音すれば似たような効果が出るのも知っています。でも、この曲がなぜこんなに心地よいかは結局は誰にもわからないのでしょう。わたしがお遊戯とか盆踊りとかさんざんなこと言っている(笑)アイドルグループの歌も、みんなで歌うからある程度聴くにたえる歌になっているのだと思われます。もちろんわざわざは聴きませんが。

そんな心地よいガットギターのコーラスにより、曲は「太陽さん」のテーマ、正確には「太陽さん」のアウトロに使われたテーマを二回繰り返します。二回目にはストリングスが入ってえもいわれぬ空間の広がり……まるで眠ってしまった猫を菜の花畑にそっと寝かせて、空の青と花の黄のコントラストを遥かに見渡すかのような……歌詞カードですとそこになにやら白煙をもうもうと上げる禍々しい工場がデンと居座っているわけですが、そんなスケールの広さを感じさせます。

亡くなってしまった愛猫チャチに捧げる曲だと聞いた記憶があるのですが、玉置さんのイメージではもしかしたら広い広い菜の花畑にチャチを葬り、おやすみといって広い菜の花畑を歩く、そして夜になってチャチの上に満天の星が輝く、というイメージでこのテーマをお作りになったのかもしれません。そしてこのテーマから「太陽さん」が生まれ、ほかの曲も次々にできていき、このアルバムは完成した、ということなんじゃないかと、このブログ特有の妄想大爆発で思惟を巡らせております。

なお、このギター、ストリングス、そしてこの曲には含まれていない安藤さんのピアノは、のちのセルフカバーアルバム『ワインレッドの心』の原型イメージになった音なんじゃないかとわたくし勝手に思っております。この音でもう一度安全地帯の曲をやってみたいなあ、となんとなく思っているところに、安藤さんが「安全地帯の曲やろうよ、みんな呼んでさ」と声をかけたからこそ、矢萩さん田中さん六土さんが加わったあの奇跡のアルバムが誕生したのだとわたくし勝手に思っております。よーしこの勢いで安全地帯復活のニューアルバム作っちゃうぞーと作り始めたのが、あとから思い直してぜんぶ自分で録りなおしてソロ名義で出すというビックリなことをした『ニセモノ』なんだと思うのです。

玉置さんはこの後安藤さんとともに軽井沢時代に突入し、そのような活動をして安全地帯復活に三歩進んで二歩下がるような過程を歩むのですが、そのドラマはこの曲「おやすみチャチ」ですでに示唆されていたのではないか、と思われるのです。

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2023年02月23日

MR.LONELY


玉置浩二『JUNK LAND』十二曲目、「MR.LONELY」です。先行シングルで、カップリングは「FIGHT OH」でした。ゴールドディスクではありますが、前シングル「田園」に比べると1/4〜1/5の出荷枚数です。売り上げはガクッと落ちましたが、わたくしこれは「田園」をしのぐ超名作だと思っております。なおフジテレビのドラマ『こんな恋の話』主題歌だったそうです。

さて曲はポーン!(ズッズッパ!ズッズッパ!)ポポーン!(ズッズッパ!ズッズッパ!)とギターのハーモニクスのような音にパーカッションをかぶせて始まります。玉置さんの「オーオオー」という高音の歌にアコギのアルペジオ、安藤さんのピアノとなにやら鍵盤系のシンセの合奏でイントロからAメロBメロまで突っ切ります。サビ前からエフェクトシンバルを合図に始まるドラムと、須藤さんのグギー!グギー!!と歪んだベースが入りますが、演奏は間奏でエレキギター、終盤にうすいストリングスが入るよりほかにはこれ以上楽器を増やすことなくいたってシンプルに、ただただ玉置さんのボーカルを聴かせてくれます。

さて歌詞ですが、これが涙モノです。焦らず驕らず、淡々とできることをやってゆく……去っていってしまった君のことを思い、君のために、ずっとここで同じように暮らしている、待っているという内容なのです。人には帰るところが必要なのだと愛をこめて全力で表現した『カリント工場の煙突の上に』から約四年、今度は玉置さん自身が誰かの「帰るところ」になろうと奮闘している様子が歌われているのです。次々曲の「しあわせのランプ」における寂しかったら帰ってきなさいというメッセージと相まって、反則級の切なさを演出しているのです。当然、「君」は帰ってくるか来ないかはわかりません。帰ってくるかもしれませんから、そのときに帰る場所がないと困るだろうと、一人で淡々と暮らす寂しい男、ミスター・ロンリーであるわけです。「こんな僕でもやれること」とは、そんな、「君」の帰る場所をつくることなのではないだろうか、とわたくしには思えるのです。

「君」が捨てて出てゆくような場所で、「何もない」と思われがちな場所なのでしょう。典型的にはさびれた田舎の市町村を去る若者のことを指していると考えるのがいちばんイメージに合います。そこはもう、基本的に無関心で特には何もしない住民が、地域を活性化させるぞ!と使命感に燃える人と公的補助金をねらう都会の業者が勝手にいろいろやって当たり前に無為に終わっている(補助金の大半は都会にスイーと流れる)のを横目で見ているというキッツい地獄絵図になっています。地域活性化というのはそういう公金まみれのイベントで派手にやった感を出しても基本は一時のことで、活性化なんてするわけないですからね……コツコツと、やれることをやるしかないというか、そもそも活性化なんてねらってできるものではありません。誰もがそれぞれの思惑でそれぞれのすることをコツコツとする、そういう人がたくさんいることで結果として「活性化」しているわけです。無関心派もそれが何となくわかっているからこそ淡々としているといってもいいでしょう。

そこで「君」の帰る場所を守りつづけようとするミスターロンリーは、周囲から何やってんだあいつ、この街がいまどんなことになっているのかわかってないのか?(活性化派)、何やってんだあいつ、あんなことしたって無駄だってわからないのか(無関心派)、まあ素人が何したって何にもなりませんよ(業者)と、フルボッコです。なんなんだ、おれはおれで勝手にやるんだからほっといてくれよ、と思いつつも悔しくて涙をこらえます。

「オオオオーオー!」と高音の掛け声から曲はサビへ、何にもない、でも野に咲く花はある、その花のようにいつでもささやかに力強く生きてゆく……それは悲しき決意表明です。「君が優しかったから」なんて、そんな思い出にすぎないものを理由に、帰ってくるかもしれない「君」の帰る場所を守るんだ、と歌います。その声は歌の内容の通り力強く、悲愴で、それでいてあたたかいのです。こんな複雑な感情を見事に表現する声、そしてその根底には底抜けの愛と善意が溢れている声、こんな声がかつてあったでしょうか。そしてこれほどまでに玉置さんの声が生きる曲をかつて玉置さんは作っていたでしょうか。これまでも名曲がキラ星のごとくズラッとたて続けに存在していました。そのどれもが玉置さんの声が最も生きる、最もその内実に迫る曲だ!という最高傑作ばかりだったのですが、今度ばかりはこの曲以上のものはないんじゃないかと思われるほどの徹底ぶり、肉薄ぶりです。こ、こりゃ最高傑作だろ……と毎回思わされるんですが、さすがにこれ以上はもう……という限界が見えた感すらあったのです。まあ、次々曲の「しあわせのランプ」で早くもその予想は裏切られるわけですが(笑)。まだまだ先があった!玉置さんあんたどこまでいくの!とこのときは恐怖すら感じたものです。

さて曲はイントロに戻りまして「オーオオ」、そして二番に入っていきます。「人の気持ちになって」心が痛むなら、それは共感なのです。わたしたちは共感の力によって生きているといっても過言でないくらい、共感の生き物です。共感するからこそ人を愛し、憎み、哀れみ、大きなエネルギーをもって事態を解決しようとします。これはきっと、わたしたちがホモエレクトゥスとかいうサルでウホウホやってきたころからそうだったのでしょう。だからこそわたしたちは幾度もあった絶滅の危機を集団で乗り切り、壮絶な淘汰と自然選択により現代人類へと進化を遂げてきたのです。「空気が読める・読めない」なんて、現代人類の間では無意味な差しかありません。わたしたちはみな空気を読むスーパーエリートであるからこそ、現代にまで生き延びているのですから。そんなわたしたちは、自分のことでない他人のことに胸を痛めることができます。それは人のサガなのです。極めて自然に、それが無駄だろうとなんだろうと、エネルギーを提供して事態を好転させようと試みるのでしょう。

君も僕も、ふたりとも野に咲く花のように仲良く力強くささやかに暮らしていた、そんな日々は穏やかで優しいものだったのでしょう。僕はもう、君がいなくなった後でも、あの頃の思い出だけで生きていける。いや違う、正確にはあの頃がまた戻ってきてほしいと思っている、その望みは薄いかもしれないけども、君がもしつらくなって帰りたいと思ったら帰る場所として、僕はあの頃と同じようにここにいるんだ……いやもういいじゃないですか、あなたも自分のしたいことをしなさいよ、と思わなくもないのですが、ミスターロンリーにとってはそこを守ることが自分のしたいことなのですから、させておくしかありません。そんなミスターロンリーの気持ちを思いやり、わたしたちも胸を痛めるのです。

曲は間奏、玉置さんの見事なソロ、須藤さんのグッキグキに歪んだベースが目立ちますが、玉置さんも負けじとブルージーで狂おしいスクリーミングを指先に込めてギターを奏でます。うーむ、ことによるとこれは安全地帯を超えたかもしれません。演奏技術とかでなくて、この一体感ある競演の凄まじさは、『太陽』のころの安全地帯にすら迫り、下手するとそれを超えているんじゃないかというくらいの見事な間奏です。

曲は三番、Bメロから始まりサビを二回、そしてイントロとほぼ同じ演奏のアウトロで幕を閉じます。逆風に吹かれても、どんな時でもと若干歌メロを変えて、曲は最後のサビに突入していきます。「遠く離れていたって」というのは、空間的な隔たりの大きさだけでなく、おそらく心理的な距離の大きさもあるのでしょう。先ほどは地域活性化の舞台となるような田舎町で喩えましたが、それは比喩でしかなく、たとえば考えることの違い、携わる仕事などの違いも当然ありうるわけです。ここでいきなりですが野球の話です。先日鬼籍に入った門田は、野村克也と袂を分かったあとに覚醒して大打者となっていきました。二人ともプロ野球界にいるわけですから近くにいるんですが、考え方は天と地ほども違う、といったようなことも当然この「遠く離れていた」には含まれうるでしょう。ふたりの断絶は決定的なものでしたが、ノムさんは、もしかしたら自分が監督をつとめる球団に門田がトレードで入ってきたら干したりせずに受け入れるんじゃないかと思うのです。「お前よう帰ってきたな」なんて言って。もちろん、わたくしが勝手に妄想しているだけですから、本当のことは二人にしかわからないんですけども。以上、唐突なプロ野球バナシでした!あ、いや、「ミスター」って長嶋じゃないですかふつう。ちょっと反骨精神を発揮して「ミスター・ロンリー」はノムさんみたいだなあ、なんて思うわけです。あのコツコツぶりが。

「君」が帰る気なんか全然なくて、自分的には「捨てた」と思っている故郷や古巣であっても、そこに「笑って」「元気でいる」ぼくがいることはもしかしたら「君」の支えになるかもしれない、と信じて生きてゆくミスター・ロンリーの生き方には、わたしたちも大いに共感して胸を痛めて、ことによれば泣くのではないでしょうか。結果としてわたしたちは全然ミスター・ロンリーのようには生きないかもしれません。ですが、その生き方に共感する、胸を痛める、そんな心を、太古の昔からわたしたちは共有しているのだとこの曲は信じさせてくれるのです。

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2023年02月19日

金持ちさんちの貧乏人


玉置浩二『JUNK LAND』十一曲目「金持ちさんちの貧乏人」です。

なにやら玉置さんのヨーデルが聴こえます。やあー、行くのか、久しぶりだなあ(ハッハッハ)というよくわからないやり取りが入ります。そしてワン、ツー(よし)、ワンツースリー(キュッ!)と玉置さんの掛け声で演奏が始まります。

(あーっあっ!緊張するなあ!)オーイエー!(いちにいさんし、にいにいさん)Yeah(さんにいさんしにいにいさん)いくぜー!

ピアノ、ギター、ベース、のほかに、さっきからキュッキュキュッキュと何かをこするような音が入っています。なんだかわかりません。DJという種類の人たちがディスクをこするときにこんな音がするのでしょうか?それとも、たんにウェスで楽器か何かをこすると音なのか……謎の多いオープニングで、おそらく玉置さんと、もしかしたら安藤さん須藤さんもご存知かもしれませんが、ごく限られた人しか声や摩擦音の正体、意図はわからないのでしょう。イントロ一連のセリフらしいものも歌詞カードに書かれていますが、意味はもちろんわかりません。

朝が清々しくてミニスカートでハイヒール?意味が分かんねえ!いや、意味なんてないのかもしれません。すがすが「しい」と先が「いい」、ここだけ韻を踏んでいればあとはどうでもいい、くらいの思い切りで作られた歌詞なんじゃないかとさえ思えます。

リズムが変わり、胸はって恋して〜と、玉置さんのスーパーナイスなファンク的カッティングが響きます。いや冗談でなくいいです。なんだこれ!わたくしカッティングとかブラッシングとか、あんまりやらないんですよ、なんかその場しのぎな感じがして好きでなくて。ただ、この曲のこの場面ではその場しのぎとは全く違います。恋してどうする?どうするかは後で考えるとして、ともかく今夜はビシッと決めなきゃ!というよくわからない切迫感を表現するのにこのカッティングは非常に似つかわしいものであるように思えます。

「やんなきゃー(きゃー)(きゃー!)」とコーラスで盛り上げブレイク、そして急展開でサビに入ります。また「キュキュッ」という摩擦音が響いてきます。ギターがいい具合にカッティングともコード崩し弾きともつかぬ……とギターの話をしようとして気がつきましたが、これ、弦を擦る音かもしれません。断言できるような話ではないんですが、ギターの、ナットよりペグ側、ようするに普段弾かないとこなんですが、そこを指でつまんで擦るとこんな音がしたような気がします。たまにカカカカッとピッキングしたような音も聴こえてきますんで、もしかしたらピックでキュウキュウとスクラッチやってたのかもしれません。もしそうだとしたら遊び心満点ぶっちぎって120点です。さてそんな枝葉のことはともかく(笑)、曲はドラムがドンタタドンタと気持ちの良いリズムでリードし、ギターとベースによるもう分離のよくない分厚い伴奏をひきつれて玉置さんがダブルボーカルで突っ走ります。「金持ちさんちの貧乏人〜」いやダメだ、意味が分かんねえ(笑)。「金持っていかんでくれよ」なんて言われています。なんでしょう?家族扱いされてない居候?それとも自分の小遣いは自分で稼ぐという自立心旺盛な高校生とかでしょうか。なにやら複雑な家庭環境を思わせますが、玉置さんが歌うとおり大抵の場合よくも悪くもありませんので、玉置さんもそのギャップを歌うだけです。え?それだけ?と一瞬思いますが、それはわたしたちのバイアスがそう思わせているだけなのでしょう。だって「ワインレッドの心」だって傷心の女性に男がちょっかいかけてるだけだし、「悲しみにさよなら」なんて「元気出しなよ」って言ってるだけじゃないですか。どうです、金持ちさんちに貧乏人がいるだけじゃねえか!なんて決して言えないでしょう。わたしたちはともすると恋愛に価値を重く置き過ぎなのであって、それ以外のことを軽く見る傾向があるのかもしれません。いや、面白いなあ〜みたまえ、貧乏人が金持ちの家にいるね、これはね、昆虫の世界でも起こることで……いやあ、こういう話に一ミリも興味がない状態からだと慣れるのが大変です(笑)。「金持ちさん」と「貧乏人」とベリースムーズに歌う玉置さんの圧倒的なボーカルに聴き入ってしまって気づきませんが、金持ちはさん付けなのに「貧乏人」はなんか蔑みの感覚が滲み出ています。たぶん「さん」と「にん」がどっちも「〇ん」なのでリズムとか語感とかがうまく合うという音楽上の感覚でこうなったものと思われます。ただ、この「さん」と「人」の扱いの違いさえもギャップとして楽しむという作戦なのかもしれません。むむ、そうだとしたら高度な芸術です。無意識的な差別すら描いてしまうという……「洛中洛外図」のようです。

そしてブレイクが入りまして「貧乏人!」と叫ぶダブルボーカル、ダメ押しか!(笑)そして曲は間奏に入ります。玉置さんのギターソロ、これすごいですよね。『CAFE JAPAN』あたりからさらに円熟味を増して、もはや本職ギタリストとしか思えないエモーショナルなソロです。

「行くぜ!」で曲は二番、「マンションホテル」って何だ?今まで気づかなかった!長期滞在型のホテルのことですかね、Jリーグの監督とか、そういういつクビになるかわからない仕事をしていて住民票を移す気のない人たちが住んでいるようなところだと思います。むむ、そういうところを根城にして今夜も浮名を……続くのが「ABC」とか「アルファベット」とか、もはや文脈がよくわからない言葉たちですから、あまり意味はないのかもしれません。もしかしたら恋愛系のABCかもわかりませんが、別にイロハだっていいじゃないですか、ねえ。

「見栄はってチェックイン?」ああ、実は帰るボロアパート(貧乏人だから)があるのに引っかけた恋人にセレブぶりたくてホテルに長期滞在している体を装う……?いや、家はあるんだ、金持ちさんちが。だから居候なのを隠したいとか、もしかしたら平素ひどい扱いをされているので恋人を連れ帰ったりすると無事では済まない家庭なのかもしれません。なんだかとても気の毒に思えてきました。むしろボロアパートなほうがマシかもしれません。金持ちさんちに住んでると大変なのでしょう。スーパーナイスなカッティングで思考を千々に引き裂かれながらこんなことを考えましたが、もはや物語を背景に想像することすら野暮なくらい、直感で楽しく作られた歌世界なのかもしれないなと思います。

曲は最後のサビ、ギターの単音ソロがバックでキュイーンキュイーンと効いています。これは弾きながら完全に楽しんでいます。こんなに残酷な歌詞なのに。今度は「金持ちさんちの」ではなく「金持ちさんたら」です。ねえ、金持ちさん、金持ちさんったら!と強く呼びかけているのです。「金持って逃げんでくれよ」と言われています。なんで金持ちさんが金持って逃げるの?金持ちの都合とか考えることはわかんねんなあ……もしかしたら手形を飛ばしたとか何かで、官報に掲載された瞬間に債権者が詰めかけるからその前に逃げるということかもしれません。そうならないようにちゃんと金持ちさんのままでいてくれよ、安心安全に金持ちを維持してくれよ平和のために……金持ちは金持ちでいろんな人に対する義務を負っていて大変なのかもしれません。一ピコグラムも同情できませんが(笑)。だっておれ貧乏人だもん。だけど金持ちがいなくなった後の混乱に巻き込まれるのは確かに嫌ですので、腹立ちますけどたのむから出入金の管理は怠らないでくれよと思わずにいられません。そして「金持ちさんたら貧乏人」という言葉でこの歌は終わります。むむ?金持ちさんなんだけど、実は資金繰りが大変で内情は火の車?これはヤバいかもしれません。富裕層といえどもともと根は貧乏人、いつ卑怯な財産隠しに手を染めるか分かったものじゃない……手形飛ばし・夜逃げにも時効というものがありまして、その間債権者に見つからず遊んでいられるだけの財産を隠しておけば楽勝で借金はチャラになるのですから、外国にでも身を隠しておけばいいのかもしれません、いや、やったことないですからわかりませんけど(笑)。年金とか子どもの就学とかいろいろありますから、役所にだけは届け出をしないといけないですし、逃げ切るのは正直ムリなんじゃないかなー、年金とか保険とか義務教育とかそういうものを全部捨てて完全無視する覚悟があれば話は別なのかもわかりませんが……いや、やめといたほうがいいと思います。

思えば、この頃の日本はまだITバブルなど来ておりませんでしたから、IT長者もIT土方もいなかったのです。土地バブルで盛り上がった人と、そこから一気に落ちた人、なんとか持ちこたえた人、みたいなのがいましたが……みんなもとは平民です。苗字が伊集院とか西園寺とか九条とかじゃありません。ちなみにそういうお公家さんたちもみんな律令時代後半からずっと不景気ですので(笑)、日本はずっと平民の商売人が上がったり下がったりしているわけで、根っからの金持ちというのはごく僅かなのです。格差格差といいますがそんなのはレース中の現在位置に不満といっているだけのことで、ある意味とても平等な社会ということができるでしょう。チャンスは誰にでもある!成功するのは数百年に一度かもしれませんが(笑)。ですから貧乏人も金持ちですし金持ちさんも貧乏人ですし、金持ちさんちに貧乏人が住んでいることだってあるでしょう。大した違いではないのです。

そして「貧乏人!」と叫んだダブルボーカルでブレイク、アコギのアルペジオにエレキのソロで曲は終わりまして、「ハイ!」と声が入ります。次の「MR.LONELY」にこのまま入るぜ!という意味なのでしょうか、まるでセッションしているような臨場感です。さっきまで「久しぶりだなあ」「緊張するなあ」といっていたのにノリノリなのでした。

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2023年02月12日

CHU CHU


玉置浩二『JUNK LAND』十曲目「CHU CHU」です。コメントで教えていただいたのですが缶コーヒーJIVEのCMソングでした。The Archive of Softdrinksさんによると、JIVEは2003-4年で販売終了だったようです。うーむもう20年も前か!当時はBOSSが登場して一気に缶コーヒーブームだったんですが、いまやコンビニコーヒーにシェアを奪われだいぶ細々とした感じになってしまっています。

我が愛しのフラッグ」から続く蝉時雨を一気に切り裂くギターの「ジャイーン!」で曲は始まります。武沢さんもそうなんですが、どうしてこんな残酷な音が出せるのでしょう。わたくしの知ってるギターとは違う楽器なんじゃないかと思うくらいです。

玉置さんのボーカル「CHU CHU」が始まり、背景にギター、ハイハット、バスドラとタム、そして……木琴ですかね?テケテケテッテという癖になる音が入っています。主旋律は何の楽器なのか……まったくわかりませんがおそらくキーボードで出したシンセの音でしょう。「……〇×△行くか!(よしそろそろ行くか?)」という玉置さんの声があって須藤さんのベースと安藤さんのピアノが入り、スネアを合図に歌が始まります。

「あのつまらない毎日が素晴らしい」ぬお!1997年秋、つまらない日々をむさぼり、その日々が終わろうとしていることに寂しさを覚えつつ、その日々を閉じる準備をしていたわたくしにクリティカルヒットでした。なぜ泣かせる!何の解決にもならないゴタクを並べていた仲間たちも次々と街を去っていった、ちょうどそんな時期に、よりにもよって……。

当時のわたくし、「つまらない毎日」の閉じ方がわからず、とりあえず必要とされる本を買わなくてはならないのにその金もなく、パチンコ屋に駆け込んでなんとか本代を工面することに成功し、読みふけっている最中でした。この本を読んで、そしてなにがしかの文章を書けばこの毎日は終わってしまう、じゃあ読まなければいいんじゃないか?でもおれが読まない書かないでやり過ごしたとして何が残る?みんないなくなるんだ。残された者とこの日々を続けるか?いや、そいつらもいずれいなくなる。じゃあそれでも残っているやつらと……そんな児童会にいつまでも顔を出すウザい中学生みたいなことしてられっか!ああああ、やっぱ読むしかないよな……などと、頭の中グルグルさせながらひたすらわけのわからない本を読み、飯を食い、洗濯をして、また読んでいました。

「つまらない毎日」は素晴らしかったのです。ああでもないこうでもない、ああでもあるこうでもある、言葉だけが飛び交い中身は何にもない、なくっても構わないのに大問題であるかのように思っているあの毎日、この毎日は夢なんだとわかっていたつもりで、実は全然わかっていなかった……「何のー解決にも、ならないってく」「やんでたー」という当時の人には思いつかない譜割を見事なハモリで歌う玉置さんのボーカルに、自分がいま終わらせようとしている日々がどんなものであるか教えられたような気がしたものです。

場面転換を彩るギターのフレーズ、曲はペースアップ、「自然に」「真剣に」「泣いてりゃいい」「悩んでていい」の組み合わせでわたくしのような迷子の人生を導きます。これまでも十分キャッチーで曲の冒頭からいきなりサビかと思っていたら、実はここからがサビでした的なダブルサビ構成で一気に駆け抜けます。演奏はライドシンバルの連打とアコギのストロークを入れたのか、にぎやかさと疾走感がいや増しています。

素直になれることに自然に泣く……何の得にもならないことに悩む……君と僕で……それでいい、それでいいんだ……

このメッセージは、見栄と向上心と退廃とムダとがドロドロに混在していた青年時代、奇しくもそれに重なった90年代後半の混沌とが相まって、世の中も人生も真っ暗に思えていたのに街はムダにビカビカと安っぽい光で満たされている、そのギャップが生活環境となっていたわたくしにとって、導きの光のように思えました。現代の若い皆さんはご存知ないでしょうけども、90年代は新興宗教ブームで、テロ事件で大騒ぎになったあの教団以外にも、大小さまざまな団体によりさまざまな問題が毎月のように起こされていたのです。ですから当時の若者はそういうものに近づかない!貝になる!という態度を決め込んでいたのです。ほとんどの勧誘は教団の思惑を知らない末端の信者によって善意で行われていたでしょうし、なかには本当に癒しと救いを与えてくれようとした手もさしのべられていたのかもしれませんが、そんなの区別がつくわけありませんから、すべて撥ねつけていました。そうやって自分を守らなくてはならなかったのです。ちょっと大きな駅や交差点には必ず勧誘の人たちが毎日スタンバイしていましたからね。後ろからトントンと背中を叩かれ振り向けばベレー帽をかぶったなにやら可愛らしい女の子がまっすぐに目をみつめてきてニコッと微笑んだかと思うと、私の手を取りボールペンを二本渡してきて、よくみるとテレクラのボールペンだった!きゃーこしゃくなTELクラブかー!感情線で待ちぼうけよー!なんて日常茶飯事です。ゲシュタルト崩壊まっしぐらという雰囲気ただよう世紀末だったのです。とはいえ可愛らしい女の子から折角もらったボールペンですから、例の本を読みながらメモを取るのにしばらく使わせていただきました(笑)。

素直になれること、それは……何の得にもならないこと、それは……とわたくし、本を読みながら考えました。その本は、パチンコで勝った金で手に入れたというダメダメな素性にもかかわらず、わたくしの思考回路をもの凄い速さで回転させてくれました。「つまらない毎日」を数年続けたためにすっかり錆びついた歯車に油をさし、燃料を補給し、そしてプラグに電流を流してくれたのです。そして、音楽は趣味だ、自分の仕事にしてはいけないと思い至ったのでした。人生の転換点といってもいいでしょう。自分の適性やら嗜好性やらからするとわたしが積み重ねるべきことは音楽じゃない、とはっきり分かったのでした。

オッサンが何くだらねえ自分がたりしてんだよとお思いになるのは当然です。ですが、これは多くの人と共有すべき点を含まないでもないのです。もし、わたしがこの時点でこのように思い至れずに音楽の世界を突っ走り、そしていつまでも評価されないと悩み続けていたとしたら……うっかり一発でも当ててしまってその後全然さっぱりになってしまって絶望に苛まれていたとしたら……もしかしたらその先には、あのベレー帽の女の子の微笑みが……ではなく(笑)、偽りの癒しと救いを与えたくて手をこまねいてスタンバイしていたフェイクヒーラー(メタルチャーチ)の彼ら彼女らに取り込まれていたのかもしれないのです。「きみの夢を応援」「生きがい」「自己実現」「なりたい自分に」「キャリア開発」などといううさん臭さ抜群のキャリア産業が看過できない規模の勢力となった現代にあって、これは多くの人に訪れ得る危機といっても過言ではないでしょう。どこの世界によく知りもしない赤の他人の人生に「寄り添う」やつがいる?自分でとことん考えるしかないんだ!真剣に悩むしかないんだ!どんなに悩みが辛くても苦しくても他人にその判断を求めてはいけない!自分にしっくりくるもの、「素直になれること」「泣いてりゃいい」と思えるものに、自然な反応を示すのがベストなんだと、玉置さんは訴えているようにわたしには聴こえてならないのです。

曲は前奏にプラスアルファの「CHU CHU」で二番に入っていきます。

「楽しんでいられなくなる」のは、どうしても何も、人は変わっていくからです。成長するからです。頭の回転を速くする方向に成長することもあれば、身体能力が高くなる方向に成長することもあるでしょう。そうなると、見えるもの、考えることが変わってくるのは当然です。そしてそれは一人ひとり違うのですから、いまの仲間たちはいずれ去ります。そして新たな人たちと新しい人生を作り始めますが、やがてその人たちも去ります。仕方ありません。見えるものも考えることも違うからです。「ダメなんだ」のはどうしてもなにも、変わってしまうからです。「雨に濡れちゃ」った「かけずりまわっていたあいつ」のことも助けてあげられません。助けるには、こっちが見えているものを見ないことにするしかないのです。それは、自分の成長を否定し、人生を放棄して、「あいつ」に捧げてしまうことです。その覚悟がなければ、けっして本当の意味で助けることなどできはしません。それは悲しいことです。タブルボーカルの玉置さんがその悲しさを切々と語ります。これは軽快な曲調とは裏腹に楽しい歌などではなく、変わりゆく自分と人生とを悲しむと言っては言いすぎでしょうが、少なくとも前向きな歌ではありません。切ない歌なのです。

「雨に濡れちゃっても」で一番よりも時間を使ったはっきりしたブレイクがあってまた「自然に」が始まります。ほとんど歌詞は一番と同じですが、「何の為にもならないことに」だけが変わっています。得になること為になることしかしてはいけない的ビームが頭上を飛び交う現代、「コスパ」だとか「タイパ」のようなゾッとする生き方を示唆する醜悪な言葉が飛び交う現代、何の得にもならないことでもいい、何の為にもならないことでもいいと、歌詞をそこだけ変化させることによって浮かび上がらせて玉置さんは力説するのです。

CHU CHU……Thank you John,でしょうか、玉置さんが歌うジョンはレノンしかいないとわたくし勝手に思っておりますが、狂熱のビートルズ全盛期を乗り越えたレノンの生き方はまさに、現代でいえばコスパタイパ完全無視の、傍からは迷惑なんじゃないかってくらい自分に自然な生き方を求めたのでした。軽井沢に避暑に訪れ、ヨーコやショーンと一緒にゆっくりと滞在を楽しみ、ロイヤルミルクティーを飲み……LOVE & PEACEを求めたのです。

木琴が鳴り響き、玉置さんが「自然に真剣に」と繰り返し強調します。スネアが入り「素直に」「素直に」「素直に」……

人生、マジになろうぜ。他人のいうことを真に受けてどうする。誰もがいずれ「雨になっても」「知らんぷり」で去るしかない人生なんだ。自分の人生、自分にしか「自然に」「素直に」なれるピンポイントのことはわからないんだ……迷惑になるかもしれない?それはそうだ。でも、迷惑を避けるように調整するか、迷惑をかけちゃってすべての後始末をするか、どっちかしかないんだ……。これは悲しき真理です。悲しいけれども、でも素晴らしき哉人生、だからこそ新たな出逢いがあって新たな展開がスタートするわけですから、恐れて立ち止まってばかりでもいられません。時代はときに残酷なくらい確実にわたしたちを導きますけども、それはごくごく自然なことだったのです。

かくしてベレー帽のお姉さんにもフェイクヒーラーにも近づかなかったわたくしですが、「ジャイーン!」と時を刻む残酷なギターによって前後が切り取られたこの曲は、そのいっときの悲しさとさみしさ、それと同時に垣間見える希望を意味しているのだろう……玉置さんの爆笑で終わるこの曲には、アイロニカルな笑いでなく、明るい未来を意味する笑いが似合うとわたくし思うのです。



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2023年02月04日

風にさらわれて


玉置浩二『JUNK LAND』九曲目「風にさらわれて」です。JUN TAKEUCHI STRINGSがクレジットされています。

前曲「我が愛しのフラッグ」ラスト、蝉時雨と猫鈴のような音がやまぬうちにアコギのリフでこの曲は始まります。玉置さんのひと唸り、ピアノ、ストリングスが瞬く間に入り、前奏と言えるほどの長さももたぬままストリングスはいったん止み、玉置さんの歌が始まります。

「あのローカル線の〜」という言葉でたちまち意識は旭川に跳びます。安全地帯の合宿所があった永山にのびる宗谷本線が新旭川で石北本線と分かれて、南永山、東旭川へと走っていきます。いまGoogleマップで観るとシネプレックス旭川なんてものができていてちょっとした街みたいになっていますが……このあたり、記憶をたどると一面水田だったような気が……イヤ北海道特有の荒れ地だったか……するのです。東旭川なんて、ほんとに周りなんにもありませんでした。そして電車が旭川に向かう途中、いや電車だったか汽車だったか記憶は定かじゃないですが(笑)、ともかく少しの間国道39号沿いの街並みを走ります。そして39号は繁華街へと曲がってゆき、電車は道北随一の巨大ターミナル、旭川駅へと向かうのです……。

北海道人にとって都市部の列車は速いです。さかさかと走ります。通勤通学に多くの人をさばいているからでしょうね。これが余市より向こうの函館本線とか、先日大リストラにあった日高本線とか胆振線とかだと、もっとキビキビ走れねえかな!とイライラしちゃいます。ですが、必要もないのに急発進急加速急制動を繰り返して車両を消耗させることはありません。それは合理的なのです。「ローカル線」にもこのように多種多様であって、その中に玉置さんが歌った「ローカル線」が入っているのだと思います。安藤さんが弾くピアノのストローク、それにあおりを入れる玉置さんのギターは、その遅いほうを思わせます。

「鉄は錆びついて〜」と序盤なのにいきなりハモリを入れます。セオリー無視というか、聴いてみるとここにハモリを入れずしてどうする!というくらいハマってますね。この曲は、半分くらいハモリが入っていて、もうハモリのほうが通常なんじゃないかってくらいになっています。ハモリによってハモリでないところとのコントラストが生まれ、むしろハモリでないところの鮮やかさが際立つという、ビートルズを彷彿とさせるスタイルでこの歌は紡がれていきます。

あの頃の鉄は錆び、石は砕けてすっかり姿を変えてしまっています。子どもの頃に聴いた祭りばやしも(永山神社例祭ですかね……)車窓を切ってゆく風の音にかき消されてゆき、もう思い出すことができません……。そんな情景をすっかり変わってしまった景色の中に見るのです。「Yeah」と長く伸ばし、一瞬ブレイクがあってから曲は突如サビに入ります。ここ、わたくしギターをボロンボロン弾きながら歌ってみるんですが、かならず失敗します(笑)。そうです、ここは転調なのです。半音一音上がるけど相対的には同じままズレるだけじゃありません。ドレミファソラシドの位置がまるきり変わるのです。半音階の位置が変わるのです。大事件なのです。つまりどういうことかというと音痴なので変化についていけないのです(笑)。安全地帯の頃には頻繁にあったのですが玉置ソロではあまりなかった気がするのでひさしぶりのショック!でも玉置さんの曲がスーパーナイスであることにはなんにも関係がないので、わたしがヘボだとバレただけでした。

曲調も変わりましたが、情景もさらに少年期へと遡っていきます。野球少年だった玉置さんが、空にボールを投げてボールを失った思い出が歌われます。わたくしも誰も来なかった公園で自分でフライ上げて自分で取ったりしてました。わたしがやると惨めくさいだけですが(笑)、玉置さんの思い出だと青い空にまぶしい太陽、そしてどこまでも飛んで行くボールが爽やかに心に浮かぶのが不思議です。竹内ストリングスの魔力でしょうか。いや、これは玉置さん自身の魅力と歌の力ですね。須藤さんのベースが見事なフックを作っているのも見逃せません。

曲は二番、須藤さんのベースが引き続き曲をリードします。二番かと思っていたら「ダダダーン!」と展開が入って「別れはやっぱりつらい」と切ないセリフでブリッジが途切れます。ぶつんと途切れるのでなく、ごく自然に、別れの辛さを描き出す大音量のストリングスとガットギターのソロへと流れてゆきます。

そしてまた泥だらけの手でボールを投げます。さっきは気づかなかった「woo---yeahyeahyeah」の強さ!失われたボールは、別れた人たちでもある……彼らは泥だらけのぼくと一緒にいてくれて、そして豊かな時を過ごしたんだ、だけどいつか、ちょっとしたすれ違いで去っていってしまった……まだまだ一緒にいたかったのに……ぼくは草むらの中、ベンチの下、そして川の水面にきみを探すけども、空に吸い込まれて消えてしまったとしか思えないほど、どんなに探してもみつからないんだ……「woo---yeahyeahyeah」はそんな悲しみを言葉にならない叫びとリズムで表現していたんだ!と気づかされるのです。

曲は一転、ピアノとアコギのアルペジオだけになり、玉置さんのハモリでない歌がクリアに響きます。「楽になりたくて人を許してしまおう」としたけどできなかった……なんという辛さ!エレキギターのアオリが入り、須藤さんのベースが「ドーン!」と入ったかと思うとストリングスが見事なクレシェンドで入ってきて、玉置さんのハモリがさらに入り「今はもう」と無念そうながらに懐かしそうな、不思議な悔恨とも惜別とも望郷ともつかぬ、すこしだけ温かさを感じるくらいにはふるさとに癒された玉置さんの、それでもいまだ強い後悔が胸をうちます。

「楽になりたくて人を許してしまおう」

ハモリでなく歌われたこの詞に、わたくし初聴時から打ちのめされました。初めて聴いたときに打ちのめされるのは、松井さん時代以来かもしれません。玉置さんソロの曲はだいたい、わたくし最初は馴染みがそれほどよくないんです。二回目聴いてむおお!とやっとわかり、何度も聴いて味わい尽くすというリスニングスタイルを採ってきました。それは、松井さんの歌詞と玉置さんの歌詞が、メロディーやリズムとの組み合わせ方、設計思想が異なるからだったのかもしれません。玉置さんの歌詞に一発KOされることはほとんどありませんでしたが、このアルバムではダウンを取られてあやういラウンドがいくつか出てきていたのです。ここへきて、スーパーメガトンパンチをくらって沈むことになりました……。

わたくし、こうみえて論理と倫理、そして義理を愛する人間です、いや、笑わんでください(笑)。ご存知のように音楽ではワガママ一杯ですが、日常生活や仕事では自分の好き嫌いでものごとを判断することはほとんどないのです。いや、ホントですって!、で、ですから、好き嫌いで曲がったことを押し通そうとする人間には基本近づかないようにしております。頭にくるだけですから。そうして前科者認定した人にもあまり近づきません。その人が変わる見込みはないし、こっちが降りて行って合わせる義理はまったくないからです。

ですが、そういう生き方をすることで、ちょっと世界が狭くなることはあるんですよね。絶対にまた頭にきて離れるに決まっているのに、それはまあ落とし前はいったん保留にして、もう一度その人と何かを始めてみようかと思うこともあるのです。許すまでは行かなくても(笑)。

許しちゃうとラクですよね。「始めた頃に一緒に」です。それはわかっています。でもできないです。このもどかしさ!もしかしておれが異常にガンコなだけか?いやそんなことないだろあれだけの不義理を許すほうがおかしい……と苦しみます。相手はどう思っているのか知りませんが飄々としています。ああ、この苦しみは、おれの側だけにある。原因はあやつでも、苦しさはおれの内部で起こっている。その苦しさをなくす手っ取り早い方法は、こちら側だけで苦しみという現象を解消してしまうこと、つまり許してしまうことだ……わかる!わかるよ玉置さん!と勝手に大共感してしまったのでした。ここにおいて、わたしが心の底で松井さんの詞を求めていた気持ちが消えて、完全に現代玉置さんにシンクロできたターニングポイントだったといってもいいかもしれません。そんな記念碑的な曲なのでした。

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2023年01月28日

我が愛しのフラッグ(Instrumental)


玉置浩二『JUNK LAND』八曲目、「我が愛しのフラッグ(Instrumental)」です。

ボロロロロン!とナイスすぎる弦の響きとハーモニクス、なにやら高音の声系シンセ、そしてピアノと(おそらくエレキ)ギターの単音弾きが絡み合ってメインメロディーを、そしてなにやら尺八のような笛の音がオブリを担当し紡がれてゆくインスト曲です。この曲もベースは須藤さんが弾いているとクレジットされていますが、かなり控えめな音で、注意していないと気づきにくいです。

「フラッグ」は十三曲目の「チャチ」と同じく、当時亡くなってしまった愛猫の名前だとどこかで読んだのですが、もうソースは忘れてしまいました。曲の最後にウインドチャイム、セミの鳴き声が入ってそれに重ねて猫の鳴き声、猫鈴の音が入っているのですが、当時のわたくしにはその意図はわかりませんでした。なにしろ玉置さんが猫好きであることすら知らなかったのですから、これはわたくし相当の情報弱者と言わなくてはなりません。

そしてわたくし、猫どころか生き物を飼ったことがありませんのでその生態はわからないのです。ですから、この玉置さんの「我が愛しのフラッグ(Instrumental)」から想像したいと思います。

夏の日、爽やかな風が吹き込む縁側のある部屋で麦茶なんか飲んでいます。猫は縁側に寝そべったり、そこが暑くなるとちょっと涼しい場所に移動してまた寝そべったりしています。きまぐれな猫の思惑はわかりませんが、敵意がないこと、自分にとって快適であることを最優先に行動していること、とつぜん飛び掛かってきて麦茶を倒すようなことはしないこと、つまり飼い主の生活を脅かす意図はないこと、これらは確実であり、一緒にゆっくり過ごすことのできる生き物です。この曲がピアノを中心にして、ギターがそれに気まぐれに合わせてみたり外れてみたりすること、それでも曲としての調和を見事に保っていることからそのように推察できるわけです。ええ、これは名探偵ホームズが落ちていた帽子からその持ち主を「知性のすぐれた人物だ、容積の問題だよ。こんなに頭の大きな人物なら脳も発達しているに違いない」などと推理したくらい無茶です(笑)。

無茶なんですが、結構こうした推理は当たるものでして、玉置さんは猫たちを愛し、きまぐれな猫たちもその愛に答え疲れた玉置さんの心身を癒していたのでしょう。この曲には修羅場のシュの字も感じられません。ただひたすらに心地よく、ひたすらにゆっくりと、ひたすらに自由でありながら全体の調和を崩すことがありません。毎日スタジオに通ってレコーディングし、何か月もツアーに行く玉置さん、その間猫の世話はどうしていたのかはともかく、帰ってきた玉置さんをいつでも自然に迎え、日常をキープさせてくれる存在であったことは想像というか推理に難くないのです。肩の凝らない家族みたいなものです。

データ販売でなくCDをお買いになったかたは、歌詞カードの中に玉置さんと猫のツーショットが三枚含まれていたことにお気づきになられたことと思います。これらの猫ちゃんに「フラッグ」と「チャチ」は含まれていたのでしょうか……何しろ亡くなったとどこかで読んた記憶がありますから、なんともいえないのです。写真は全部で12枚、そのうち三枚が猫ちゃんです。ほかに、ツアーメンバー、野球のユニフォームを来た八人(九人じゃない?)、卓の前のエンジニアらしき人たち、ストリングスのみなさん、パーカッションを叩く玉置さんなどなどの写真に加え、武沢さんを除く安全地帯の四人で撮った写真もあります。どれもこれも、90年代の風景で、わたくし縁もゆかりもないのに、なぜかとても懐かしくなって涙が出てきます……。

猫は平均で十数年を生きます。ですから、フラッグとチャチは80年代から生きて、そしてそのうち何年かを玉置さんとともに暮らし、玉置さんを支えていたのでしょう。ですから、わたしたちはフラッグとチャチに感謝すべきなんです。素晴らしい音楽を届けてくれる玉置さんを支えてくれてありがとうと。玉置さんもそうした感謝の気持ち、惜別の気持ちをもって、この曲を作り、そしてその名前を曲名に残したのだと思われるのです。

いま気づきましたが、こんなこと書いてしまって「おやすみチャチ」の記事では何を書けばいいんだ!(笑)相変わらず後先考えないバカなのでした。

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2023年01月21日

スイスイ


玉置浩二『JUNK LAND』七曲目、「スイスイ」です。

前曲「ラストショー」が終わり、静粛なアフターショー、突如明るいハーモニカの音が響き渡ります。「Yeah」とルーズに玉置さんが言ったかと思うと、突如曲は始まります。パーカッションとアコギのストロークで軽快です。Bメロからはエレキギターのカッティングとホンキートンクなピアノがはいり、さらに軽快、そしてサビでドラムが入り、大合唱の「スイー」で合いの手が入ります。曲はこれを二回繰り返し、アウトロだけなんだかチューニングが合ってないんじゃないのってギターが響いたかと思うと、突如これまでとコードを変えて「暇がない」と連呼し、ふたたびハモニカが響き終わっていくのです。なんという聴きやすいシンプルでノリノリの曲だ!もっと凝るだろ!凝ってドンドン軽快さをダメにしちゃうだろ!なんでこんなに絶妙なんだよ!いま思えば『CAFE JAPAN』の曲たちはここの段階からさらに練り上げて迫力や完成度は上がっているものの、そのぶん軽快さを犠牲にしてしまったんじゃないかと思われる曲が含まれていました。『JUNK LAND』は「デモテープのまま」という玉置さんですが(『幸せになるために生まれてきたんだから』より)、デモテープのままにしたからこそこの曲はこんなにもさわやかなんじゃないかと思えてきます。

さて実はこの曲、わたくし玉置ソロでトップ3に入る好きな曲なのです。上述のように軽快さが一番搾りのまま楽しめる曲であることに加え、青年期から壮年期にいたるわたくしの人生を描いてくれたんじゃないかってくらいシンクロ率が高く、そしてそれがおそらく玉置さんの人生と重なっているんじゃないかなどと、玉置さんからすればキモいことこの上ないことを感じさせてくれる曲なのです。玉置ファンでよかった……と、何十年も思わせてくれる曲なんですよ、そんな曲作ってくれるミュージシャンほかにいませんよ、少なくとも知りませんよ……きっと「田園」や「メロディー」、そして「MR.LONELY」「しあわせのランプ」でそのようにお感じになった方も多いかと推察されるのですが、わたくしにとってはこの「スイスイ」こそがそんなズバリ曲なのです。

アズテック・カメラがヴァンヘイレンの「JUMP」をアコギ弾き語りでカバーするという大事件が1984年にあったのですが、1997年当時のわたくし、まさにそんな気分、〇室プロデュースとか渋〇系とかナメてんのか!と相変わらずオリコンチャートとカラオケと有線に底知れぬ怒りを燃やしておりました。やれやれこんな曲がヒットするなんて世も末だぜとヤサグレていたのです。聴きたくなくても聴こえてくるんですよ当時の曲ってのは……暴力的に聴かせてきますので、うかつに店でウドンも食ってられないのです。ちなみにわたくしヴァン・ヘイレンけっこう好きなんでその所業に怒ってもいいんですが(笑)、アズテック・カメラさんの怒りというかメジャーチャートに対するシラケぶりもよくわかるのです。

さて一番は、多忙な男の独白です。多忙なのは仕事だったりプライベートだったりで用事がギチギチに詰まっているからなのです。「びっしりぎっしりつまって」「いっさいはがされたって言って」と「っ」を活かしたリズムで一気に歌い切ります。このリズム感!言葉のセンス!活舌!ホレボレしますね。わたくしたくさん練習しましたけども、なかなか同じノリは出ません。アコギで弾き語りしようとするとなおさらです。大好きな曲なのに人前で披露するに値する腕前にならないのです。それ以前にわたくし歌わないほうが人類のため(*)なんですが。

(*注)いかりや長介『だめだこりゃ』で、2022年10月にお亡くなりになられた仲本工事さんのことを、歌わないほうが人類のためだといかりやさんが書いていたのですが、それはもちろんいかりやさん一流のジョークで、ドリフターズのリードボーカルを一人選べといわれたら仲本さんだったのは、いかりやさんも認めるところだと思います。仲本さん、どうか安らかにお休みください。

そんなわけでして、「お人好し」と二番に書かれているこの人物、いろんな人から寄りかかられてアップアップしています。仕方ありません、世の中仕事はできる人やれる人に回ってくるものなのです。ろくに仕事をしないくせに自分は潤滑油だとか縁の下の力持ちだとか寝言を言っている人は一定数いるのですが、たのむから潤滑油も縁の下の力持ちも片手間でやってくれ、それで仕事をしている顔をしないでくれと言いたくなります。玉置さんはそんなイヤな感情をあまり持たない人らしく、それでも「大丈夫だよ」って笑ってるタイプの人であるようです。これは自称潤滑油や縁の下の力持ちに骨までしゃぶられること必至です。

いるだろう?そんなやつ?と問いかけ最後にそれは自分だといい、さらに意外なフリをするという、言いかたによっては回りくどい嫌味か!と思わなくもないんですが、玉置さんだと悪気が全然ないことが明らかなので許せちゃう、むしろいつもありがとうと感謝したくなるという清々しさがにじみ出ています。「いるだろう」に続けて「そんなやつ」「友達かい」「ひとりぐらい」「俺かい」と、畳みかけるこの歌、一発で精神の内奥にまで突き刺さり、ずっとずっと頭の中で反芻されます。そしてその一生懸命さと邪気のなさ、公共の福祉を絵にかいたような存在である玉置さんの奮闘ぶりがジワジワと全身に浸透してくるのです。気がつけばこの歌にゾッコン、「おれだーよ!」と口ずさむようになります。みんなを支えているのが自分なんだと叫ぶ快感も相まって、もうこの歌を聴かずには眠れなくなってゆきます(笑)。

そしてブレイクが入りあの娘のために裸になります。「スイー(スイー!)スイー(スイー!)およーいでいって〜」と「ええじゃないか」踊りの時代から日本人の心身に染みついたようなリズム、呼吸で掛け合いが起こります。そして人波に流され溺れそうになっているあの娘を助けるというヒロイックな行為をしている気分を盛り上げてくれます。そうだおれはあの娘のために裸一貫で、どんなに大波だろうが大風だろうが構わず飛び込んで、一目散に助けに行くんだ……実際には部署の残り全員を食わせているだけなんですが(笑)、そんな悲哀が吹き飛ぶほどのヒーローぶりです。

二番も「正真正銘ニッポン人」と天才的なリズムとワードセンス、活舌です。たぐいまれな「き」てんけいて「き」なんてシビれるほどにハマっています。ここにきて、玉置さんの歌詞はわたくしの中で完全に松井さん須藤さんと対等に並び立つ地位を占めました。これまでは松井さん須藤さんの世界に完全に酔いしれ、玉置さんの世界にはハマり切れない感覚があったのですが、この曲あたりをターニングポイントとして、玉置さんの世界に浸りたい!という感情が抑えきれなくなっていきます。いったんこの境地に達してはじめて、それまでなんとなく稚拙に思われていた玉置さん作詞の過去作にもその凄みを見いだすことができるようになったのです。覚えたいですもん!歌詞!この「スイスイ」は、「」「終わらない夏」のときのように歌詞をノートに何回も書いて覚えたい!そんな気持ちにさせてくれた最初の玉置さん作詞の曲なのです。

ところで、わたくしまごうことなき正真正銘ニッポン人なんですが(大和時代とかになるとわかりませんが)、北海道人ですのでちょっとドライなところがあるのかもしれません。北海道はアメリカみたいなもので、みんな先祖代々住んでいませんし、いろんな文化が混ざり合って暮らしていますから、ちょっと道外の人とは感覚が異なるところがあるのかもしれません。ですが、日本の義務教育を修了していますし、テレビも雑誌もみんな日本のもので育ってきていますから、根のマインドは完全に日本人です。それは玉置さんも同様でして、本州に来てからはちょっとずつの違和感を抱えながら暮らし続けることになるのです。あ、そうそう「平和な田舎者」ですよわたくし!(笑)風来坊ではないと思いますが、北海道人ですからここに骨を埋めるとかそういうウェットな気持ちはあんまり持っていませんので、どこか風まかせなところもあるでしょう。

さて今度は「誰かのため」に裸になります。誰なのかわからなくてもいいんです。世知辛い世の中でつらい気持ちになっている人を元気づけるためなら一肌脱いで、輪になって、パアーッとやりますよ!誰がつらくて誰が元気づけられているのかわかりませんけども、そしてカラ騒ぎにウンザリしている人がいるのかもわかりませんが、いいよいいよ、後から悪くなかったなあくらいに思ってくれれば!と鷹揚な気持ちで音頭をとるのです。

「かっこつけてた頃のあの頃のオレ」は、完全に自分のことをミュージシャンとしか思っていなかった痛い中高生時代のわたくしとかでなく(笑)、みんなが一番喜んでくれていたころの自分なのです。玉置さんですとそれこそワインレッド時代かもしれません。わたくしにも音楽関係ではありませんがそんな気分になる時代がそこそこありました。わたくしの場合、こんなこと続けていたら早死にするとわかりましたのでだいぶ前に思い切って転身したのですが、いまでもその頃の自分を取り戻すことで喜んでくれる人たちがいるのです。だから、いまだけは、ちょっとだけはあの頃のオレでいこう……と気分はやや重くなりつつも、それでも全盛期であったのは間違いないのですからちょっとだけうれしい(笑)気分で、自分を奮い立たせてあの頃の足取りで仕事場に向かうのです。玉置さんも「ワインレッドの心」とか「悲しみにさよなら」とかを歌うと喜んでくれるファンたちの前で、ちょっとだけ80年代の玉置さんに戻ってくれるのでしょう。

コードを変えて暇がない……暇がない……暇がない……とアウトロに入ります。そりゃ暇なんかありませんよ、あの頃のオレはいまの自分じゃないのに演じてるんですもん、人のために。そりゃ時間も労力も食われるってもんです。そんなことしないで傍観してりゃいいのに、助けちゃうんですね。お人好しのニッポン人、田舎者ですから。自分が食われていることも半ばわかっています。でも、ちょっと思い切ればできることをしないせいで人が苦しむのはイヤなんです。自分がちょっとムリをして苦しんだほうがマシなんです……。そんな心情を、玉置さんが似たような心境でこの曲を作り、歌っているんだと勝手に想像して重ねて、感動するのです。

人は大人になる際に、自分だけを中心としてみるような生き方をどこかで転換します。子どもが死ぬくらいなら自分が死んだほうがいいくらいに思えて初めて親として一人前であるのに似て、自分が一番活躍できることを喜んでいた時代を過ぎていつか、あの娘のため、誰かのためになるのなら敢えて痛いころの自分さえ取り戻してもいいと思えて初めて人は一人前なのかもしれません。自分だけのことを考えれば、利確して消耗を防げばいいんです。ですが、それなら始めから何もしなければいいと気がついてしまうんですね……それでは何のために生きているのかよくわからないです。人間は、生まれた原因はハッキリしていますが、生まれる理由や目的はありません。そして生きていく目的や理由は自分で見つけるものです。被害に遭わないこと、生命を維持することのために生きているのか?違うだろう?ならば、どんなに損な気がしたってそれ以外のことを全力でやるしかないだろう?そしてあの娘や誰かが助かるんなら、喜ぶんなら、おれの人生それで上等じゃないか!こうして自分をミュージシャンだとしか思っていなかった北海道生まれの少年は大人になります。書くとあっというまですが、実際にはこう思い切るまでに10年単位で時間をかけているのです。「スイスイ」はその過程に寄り添ってくれた名曲ですし、それを作ってくれた玉置さんは人生の師といってもいいのです。

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