いきなり余談ですが、わたくしこの名バラード「愛だったんだよ」はしばらく聴けていなかったのです。このとき20代でしばしば起こった超ビンボー期の真っただ中でしてこのときは特に酷く、家賃すらろくに払えてませんでした。NHKとか新聞屋が来るともちろん払えないから夜になっても電灯を点けず気配を消しているんです。「みんなのうた」も観る余裕がないのにどうしてNHKは容赦なく集金にくるのか……と筋違いの被害妄想すら抱く始末です。こうなると人間かなりヤバいですので、ためらわず助けを求めることをお勧めします。いま思うと氷河期の若者がモロに苦難をくらった初期の時代だったんですねえ。そんなわけでこのカップリング「愛だったんだよ」はのちの『BEST HARVEST』で初めて聴くことになりました。これもいずれ、『BEST HARVEST』のときにレビューしたいと思います。
さてこの曲「HAPPY BIRTHDAY〜愛が生まれた〜」は可愛らしいオルゴール風の音で始まります。間を置かず玉置さんの歌がすぐに入ります。ハッピーハッピーバースデートゥーユー?めでたい話なのにしんみりすぎる?なんと謎な雰囲気だ!とまず驚きます。「風にさらわれて」あたりで開発されたと思われるハモリと非ハモリのどちらが主役なのか全然わからない重層ボーカルによって曲はしみじみと進行していきます。
バスドラ、リム、スネア、それぞれおそろしく細心に響きをコントロールした音色のドラム、そのわりに遠慮なくブイーンブイーンと鳴りっぱなしのベース、合間を突くようにピアノ、エレキギターの単音フレーズやハーモニクス、使いどころを選んだ形跡ありまくりのアコギのストローク……『安全地帯IV』や『安全地帯V』のように繊細なアレンジと演奏です。一つひとつの音符が背負う役割が大きく、緊張感に耐えられず勢いで突っ走ったらその瞬間にこの世界は崩れ去るのが目に見えています。この張り詰めた音像にわたくしビビりつくし、Aメロの時点でもうボンヤリしていました。やらなければならない書き物のためキーボードをカチカチさせることすらためらわれて、あきらめてPCの電源を落としオーディオの前に座り込み耳を傾けたのでした。補足しておきますと当時のPCはとにかくデカくてうるさいんです。とても繊細な音楽なんて流していていいものじゃありません。
さて曲はハッピハッピーいうサビ的な箇所のほかに、もう一か所サビだろこの存在感はという箇所があります。ブリッジなんだとは思いますが、「風が強い朝も〜」の箇所は信じがたいほどのメロディアスさ、キャッチーさ、そして喉元に食い込んでくるような旋律の軌跡……しんみりの基調に似つかわしくない鋭さです。わたくし素肌に刃物を当てられたかと思いました。なんだこれは!これまでも玉置さんの曲には驚かされっぱなしで先行きの予想なんかいっぺんも当たったことがないくらいだったのですが、これはさらに予想なんてできるわけのない神の曲だったのです。
曲は愛しい人の誕生日を二人きりで祝うロマンチックなものなのに、わたくし自分の置かれてる境遇を思わされました。風が強い朝なんて幾度もあった、雨に濡れた夜も数えきれない、そんなときに愛する人のために何かをしようと思ったことがあっただろうか?こんなに誰かのことを自分のことのように慈しみ、いたわり、守ろうとしたことがあったか?自分が薄情であるとはあんまり思っておりませんでしたが、ここまでの強き愛を歌い上げられると、自分がペランペランの極薄な情の持ち主であると悟らざるを得ません。マジかよ、先祖代々の土地をはなれて新天地に渡りフロンティア精神をもってもろもろのシガラミにとらわれずダメなら次!次!と新しい社会を作った祖先をもつおれみたいなドライな北海道人には理解できねえ……いけねえ玉置さんも北海道人だった!じゃあおれが薄情なだけか!ぎゃふん!忘れないでベイベー!
曲はすぐに二番に入ります。今度は二人で泣いた夜です。誕生日の日にこれまでのよかったことも悲しかったことも思い出しているのでしょうか。そして星に祈るのです。どんなときでもそばにいると。ああいかん、生まれてこのかた星に祈るなどというメルヘンなことをしたためしがありません。それ以前に、どんなときもそばにいるなどと思ったことがありませんでした。飽きたら次!燃えなくなったら次!(笑)。ですから、愛するということはこういうことなのか!と玉置さんに教えてもらったといっても過言ではありません。プラスとかマイナスとか最初から考えない、すべてを許すというかそもそも計算にそんなもの入っていない、無条件に、ただただ愛おしむ、それが愛するってことなんだ!もちろんその貴重な教えも時を経るごとに忘れてゆき、2005年の「明かりの灯るところへ」でもう一度強烈な愛の在り方を松井さんにガツンとやられることになるわけですが。
「それだけ信じてほしい」と玉置さんの声が裏返る寸前のコントロールでギターソロの悲鳴のような音と入れ替わるあたりでもうわたくし失神寸前、あまりに自分と違う精神世界の魅力・威力に完全に圧倒されておりました。これはもう、凶悪犯罪者が拘置所で聖書の世界に出会うなみの衝撃と言っていいでしょう。
そして曲は「たとえどんなときも〜」をもう一度繰り返し、「今夜は〜(ペララペッラー!…キュイーン!)離さないよ〜」と悶絶もののボーカル・ギターのリレーをカマましてくれます。
そして曲はきもち大きめに入ったオルゴール音を背景にハッピハッピー〜を繰り返す極めて穏やかなエンディングに入っていきます。途中からはハッピーですらなく「La la la la」になり、一瞬ブレイク、「愛が生まれた」と曲のサブタイトルが謳われ口笛で消えてゆきます。いままで生まれてなかったのか?いや、愛が生まれた過程をいままで歌っていたのか?いずれにしろわたくしの知っている精神状態でないのは明らかでした。ここまでに心境に至ってはじめて愛が生まれたっていうのか!とボーゼン、大丈夫かよおれ、いままで生まれたことないんじゃないのか、カシアス内藤が一度も本気を出さずに東洋チャンピオンになったはいいけど、あっさりそのベルトを失ったなみの不完全燃焼なんじゃないのか、輪島戦だけちょっとマジになったけど!
そんなわけで、軽井沢に移転した玉置さんが大いにその愛の在り方をリフォームなさったことは明らかでした。安全地帯時代の刹那的でだからこそ燃え上がるような愛はすでになく、『あこがれ』のようなひたすらに内省的で激しい愛でもなく、相手あっての愛、「場」があっての愛、そして無条件な愛を教えてくれていたのです。年収がどうとか何歳までとか身長はこのくらいとかフィーリング(笑)が合うとか合わないとか、なんとしゃらくさいんだ!頭がいいから、足が速いから、ドッジボールが巧いから、そのくらいの理由で人気者になれる小学校と何が違うんだ?そうじゃない、成績が悪かろうと足が遅かろうとドッジボールがヘタだろうとなんだろうと、その子はまさに目の前で命を燃やして頑張っているじゃないか!それを尊重しないで何が人気者だ恥を知れ!くらいの気持ちになったわけです。おかげでちょっと成長しました。ちょっとですけども。
価格:2,614円 |
奥様とそんな尊い日をお送りになるのですね……玉置さんが渾身の歌で人を愛することで、わたしたちもそのような愛を教えてもらえているのかもわかりません。愛が生まれたというのは、愛という精神現象が始まったという意味でなくて、その対象たる存在が生まれたときから始まったという意味、ほんとうにそのとおりかもですね。そのくらい存在そのものを愛する曲です。
数十年の、この曲が発表されてから四半世紀の、そのような貴重なお話をありがとうございます。自分などまだまだ小僧……精進いたします。
この「愛が生まれた」っていうタイトル、好きな人が生まれてくれたって意味だと思うのです、自信はありませんが笑
このアルバムが出た頃にはもう結婚してたのですが、妻の誕生日には「数十年前のこの日に生まれてくれたんだ」と未だに思いますし、必ず昔の思い出を語り合って泣いてしまいます。
というのも、定期的にこの曲を聴いてるからかもしれません。この曲を聴いて、次の誕生日は大切な日にしようと思い出させてくれるのです、本当に素晴らしい曲です。
幸せな時ほど涙が出てしまう現象と、曲調がマッチしていて聴くと涙が出てしまいます笑
愛を歌う曲って、たくさんあると思いますが、玉置さんはこういった愛の曲ほど暗めになっているイメージがあります、この頃からってだけですかね?私は玉置さんを大好きではあるものの、全曲制覇しているわけでは無いし、音楽にはからっきしなので自信は全くありません笑
とにかく、この曲が大好きです。このアルバムが出てからもう何十年も経ってるのに、未だに生活の原動力になっています、私はこの頃の玉置さんが一番好きです。
長文失礼致しました、更新楽しみにしております。
ハッピーバースデー 愛がうまれた。
このグランドラブまで
テンション高かった気がします。
以降、とりついていたものが自然に剥がれていく楽曲が出てくるんす。
確かにトバさんのおっしゃるとおり、この1曲にはふんだんに玉置セオリーが敷き詰められております。