『安全地帯V Harmony』七曲目、「夏の終りのハーモニー」です。アナログ盤ですと、これが三枚目のB面スタートの曲になります。ですから、これでレコード盤をひっくり返すのも最後になりますね。
そして同時にこの曲は、ライブ盤『STARDUST RENDEZ-VOUS』ラストの曲でもあります。『ALL THE BEST』の解説によりますと、「神宮球場でのジョイントコンサートで初めて披露され」たとのことです。あ、いや、知ってたんですけど、というか、コンサートのときに本人たちがそう言ってから歌い始めたんですが(笑)、このユニバーサルによる公式解説によって、第三者が検証可能な形で確認することができるというわけです。
『STARDUST RENDEZ-VOUS』のジャケットで見ることのできる、このお二人の姿……うっとりですね。これはおそらく「夢の中へ」のワンシーンだと思うのですが、このジャケットをみて浮かぶのは、「夏の終りのハーモニー」です。ビートルズ愛用のリッケンバッカーを抱えた陽水さん、これまたビートルズ愛用のエピフォン・カジノを彷彿させるセミ・アコースティックを抱える玉置さん、少年時代のわたくし、この写真に憧れあこがれ、とうとうセミ・アコースティックを買ってしまったのでした。どんな音の鳴るギターか確かめもせずに「あれください!」です。で、そのギターをバンドでとても使いこなせる腕はなかったため、部屋で玉置浩二ごっこをすることにしか使えませんでした(笑)。
さて、この曲ですが、陽水さんと安全地帯のストーリーをここに感動的に完結する、という、泣けてこないはずのない役割にふさわしい名曲です。実際にはストーリーは完結せず、これからもずっと続いていくのですが、安全地帯の大成功ここに極まれりというタイミングで放ったこの曲は、何かを完結させたと思わせざるを得ないものでした。売り出し中の若手バンドが、大御所のハクにあやかる魂胆ミエミエのジョイントとはずいぶん違いますからね。バックステージで金子章平さんが「本来はクールに演出する側の人間でありながら、同時にこみ上げてくる感動にむせいでいた」(志田歩『玉置浩二 幸せになるために生まれてきたんだから』より)というのも、よくわかって、こちらまでむせいでしまいそうです(笑)。
「ワインレッドの心」「真夜中すぎの恋」「恋の予感」と同じく、陽水さん作詞、玉置さん作曲で臨んだこの曲は、成功し成長した安全地帯が、陽水さんとほぼ同格とも思える立ち位置から放った一撃でした。もちろん、陽水さんの歴史と実績を考えればけっして同格ではないのですが、それは当時の若い安全地帯では、どうあがいても埋めることのできない差でしたし、それは言うだけ野暮ってものでしょう。
陽水さんの詞ですが、これまた、どシンプル!「夜空をさまよう」とか「星屑」とか、かなり手垢のついた言葉でもふつうに使っていますし、「ステキな夢」「二人の夢」「真夏の夢」なんて、陽水さんでなくても、誰でも思いつくようなフレーズをポンと出してきます。陽水さんでなければ陳腐に見えてしまいそうな、ごくごく普通でシンプルなものばかりなのです。しかし、この二人が「ハーモニー」とハモる、その一事だけで、すべてが輝くのです。……それをわかっててやってます、この人は。畳みかけるように「二人の夢 あこがれ」「いつまでもずっと忘れずに」と二人は歌い上げるのです。これは確信犯です(笑)。あくまで男女が、夏の終りに迎えがちな、一種の儀式のような恋愛模様を描いたという体裁で、この人は陽水&玉置のことを歌っている!と思わせる効果を、完全にねらっていたとしか思えません。もしねらっていなかったのだとしたら、陽水さんの天才度はモーツァルト級だといわなければならないでしょう(笑)。
さて、リリースから六年ほど経ってから、『安全地帯VIII 太陽』が出たあとのことでした。年始特番だったと思うのですが、安全地帯が出演し、シングル「いつも君のそばに」のほか、「俺はどこか狂っているのかもしれない」「SEK'K'EN=GO」とかだったと思います、ともかく、あまり一般受けしなそうな曲を演奏したことがありました。その直後、もしかしたら同じ番組内だったのかもしれませんが、タモリの前で、玉置さんと陽水さんが、玉置さんのギター弾き語りで、その場でこの「夏の終りのハーモニー」を披露したことがあったのです。この二人が揃ったなら歌わなくちゃいけないでしょう!的な、その場のノリで歌うことになったのではなかったでしょうか。この時の様子は、評判を呼んだようで、いまでもGoogleで「夏の終りのハーモニー」と検索するとYouTUBEの動画が一番上に表示されます。
最近でもNHKのSONGSでお二人が歌っていましたね。何といってもこのお二人が歌っているのですから、ほかに関心がいかないのは無理からぬことですが、わたくしちょっと趣味志向がズレているものでして(笑)、ほかのメンバーも、もっと映してほしかったです。まあ、間奏のソロは武沢さんが主に担当し、最後で矢萩さん武沢さんがハモリを入れているのが見えましたから、それで満足することにしましょう。
アレンジもごくごくシンプル!ただ、きっと急ごしらえだったでしょうに、まったく手を抜いた感じがしないのはもの凄いことです。シンプルな美しさ、雄大さで、ウルトラスーパー超弩級歌手二名の歌を、前面に出すことに徹するという作戦だったのでしょう。安全地帯の過去の曲でいうと、「あなたに」に近い思想でアレンジされた曲といえます。雄大さを思わせるストリングスが遠くから聴こえてきて、儚い音色のシンセでアルペジオ、ロールで近づいてくるドラムからドーン!とベースが入って意気に盛り上げてから、シーンと静かになります。そして、ピアノのコードストロークだけが響き、ささやくような玉置さんの歌が入る……そこに陽水さんのハモリと、静かなベースが加わる……完璧すぎます。
つぎは陽水さんのパートです。ピアノ、ベース、ドラム、ギターのアルペジオ、そして徐々に盛り上がるストリングスをバックに、陽水さんの声が朗々と響きます。そこに、シンセが加わり、玉置さんのハモリが重ねられます。……このタイミングで来てほしい!と思わせるものが、まさにそのタイミングでぜんぶ入ってくるのです。これは、オジー・オズボーンの「クレイジー・トレイン」でランディー・ローズのギターを聴いたときの感動と同じものです。あ、いや、わたくし「クレイジー・トレイン」のほうをあとに聴きましたもので、「ああー!そうそう!なんでボクの聴きたいものがわかるのオー!」という感動は、この「夏の終りのハーモニー」で学習していたのかもしれません(笑)。
同じことは、曲全体についても言うことができるでしょう。陽水のバックバンドをしていた安全地帯が、陽水さんの詞の力に支えられたことをきっかけに成功します。そして、盟友松井五郎さんとのコンビで「悲しみにさよなら」をヒットさせた安全地帯は大きく成長し、もう陽水さんの引力圏を飛び出していました。しかし、ここで、もし、陽水さんとの共作がふたたび実現したら、どんないい曲になるんだろう?しかもその曲を玉置さんと陽水さんで歌い、安全地帯で演奏したとしたら?ああー聴きたい!そんな曲が実現してほしい!と思わせるまさにそのタイミングで、このジョイントコンサートが実現し、この「夏の終りのハーモニー」が放たれたわけです。これはもう、日本の音楽業界で起こった奇跡ベストテンには余裕で入るのではないでしょうか。なおその後、二匹目のドジョウを狙ったとしか思えないようなジョイントが、わたくしからみてほとんど魅力を感じない歌手・バンドの組み合わせで見られたのは、まったくもって噴飯モノでした。
さて、曲はサビに入ります。玉置さんと陽水さんが、互いの声を絶妙に生かしあいながら、完璧なハーモニーを、ほぼサビ全編にわたって繰り広げます。「あこがれを」と、一番では陽水さんが、二番では玉置さんが、そして最後に二人で歌うのは、まさに鳥肌モノです。
オーバー・ドライブの効いた、乾いた音色のギター・ソロが響き、最後はツイン・ギターのハモリで締めくくられる間奏も、見事としか言いようがありません。なぜこんなにシンプルなのに、カッコいいんだ……。ここでお二人が超絶技巧を披露されたら、きっと曲は台無しになってしまうに違いないんですが、それにしてもこの抑制の効いたギターは……とても若者ギタリストのそれとは思えません。脱帽です。
そして、のちの『あこがれ』を彷彿させる、まさに星勝イズム炸裂の美麗かつ壮大なストリングスで曲は閉じられます。ああ……何もかもがよかった……もういっぺん、と安易に繰り返し聴きするのを拒みさえするかのような、強烈な威厳が漂っています。そう、この二人が歌い、安全地帯で演奏するというのは、奇跡なのです。奇跡はそんなに頻繁に起っちゃいけないわけです。ふつうに曲送りボタンを押せばあっさり奇跡は再生されるんですが(笑)、そうしちゃいけない、そんな、ご神体の扉を開けっぱなしにするような真似をしちゃいけない、とわたくしの指先にストップをかけるのです、曲が。
だから、猛烈におかしなことではあるのですが、わたし、この曲を聴こうと思って聴くことはめったにありません。あ、聴けちゃった、ありがたいな、でいいのです。もう四半世紀も前のあのとき、テレビで予期せずにタモリの前で披露された場面を観ることのできた、あの感動を、味わいたいので、そっと扉を閉めているのです。
そうそう、例のセミ・アコースティックですが、配線が死んでいたのを、つい先日、必死こいて直しました。アンプを使わず部屋でつま弾く程度なら支障はないので、べつに配線なんか放っておいてもよかったんですが、あの頃の音色がアンプから聴こえてきたとき、ちょっと泣けてきました(笑)。一心不乱に玉置浩二ごっこで「夏の終りのハーモニー」を弾き語りしていた日々の気持ちが、よみがえったのかもしれません。
価格:2,511円 |
しかしまー、よくもまあそういうドがつく貴重な音源を……むかしブラック・サバスのブート盤とかめちゃくちゃ聴きましたが、安全地帯のブート盤もあったら買っちゃうなあ……ファンが勝手にハンディDATで録ったやつでなくて、卓のアウトプットから出たやつなら言うことありませんが、それは出処がヤバいやつですねえ。
アルフィーさんの悪口(笑)。わたくしアルフィーぜんぜん興味なくて高見沢さんのソロをポツポツ聴いたくらいですから悪口いうポイントがわかりませんが、同業者の悪口をいうとは玉置さんも何か鬱憤がたまってたんですかね。
夏にあわてないで、ありがとうございました。一瞬、夏をあきらめて、かなと思いましたが、太田貴子さんは
全く存じ上げませんでした。YouTubeで早速拝聴し、来生さんが作詞のゴールデンコンビでした。
私は富田靖子さんがタイプでしたのですが、提供はされずに今のとこは来てます。。
夏の終わりのハーモニーは、実は夢のつづきツアーの郡山公演に友人が行った時に関係者が知り合いにいて
ライブテープを数年後に聴かせてもらいました。長いメンバー紹介の後で、ギター爪弾きながら、
「なんか良い空気ですねー!」と、上機嫌な玉置さんが、まだ完成する前のホニャララ玉ん語でサビの前まで
唱ってるのを聴いて卒倒しました(笑)
歌詞に意味は全くないとのことで、「私〜なんとかかんとか」と言いながら曲を作ってる、と本当に本人が話してました。あとは、当時のライバルのアルフィーの悪口(笑)今日は何処何処でアルフィーがコンサートで、うんたらかんたらと、言いながら自分達が売れたことに対しての、決意表明‼みたく日本で売れるのは当たり前だ、こんな事で驚いてはいけないような話しを沢山して、これからも良い曲を作りますと言ってから恋の予感に入ってました(大拍手‼)
夏の終わりのハーモニーでした。ありがとうございました。
『氷の世界』がすごすぎたせいか、売れるには売れたけど正当な評価を受けられなかったアルバムってところでしょうか。陽水さんのコトバ遊びを面白く感じる人なら、『氷の世界』よりこっちを先に聴けばいいんですけどねー。わたくし『あやしい夜をまって』とかが陽水の原体験になる世代で、あと追いですからそんな呑気なことを言ってられるんですけど、『氷の世界』大ヒットの後で、次を作らなければならなくなった陽水さんやスタッフの、賭けにも似た心境が察せられます。このパチンコの話みたいに、本人は案外ホノボノのほほんとしてたのかもわかりませんけども。でも、冗談めかしてでも曲を作るのが辛いと書いた陽水さんの心境が、なんだか少しだけ胸に迫ってくるようでもあります。
僕がパチンコに打ち興じてた時の話である。
この遊戯のおもしろさは無教養な人にとって理解しがたい程の偶然性と必然性
神だのみと合理性、やまカンと計算力、人間力学と自然物理、そういった要素が
一打ごとに交錯し、勝てば官軍負ければおつかれさんの、か〜んたんなゲームです。
ともかくその日は非常によい調子で、受け皿いっぱい、それにポリエチレンの箱一箱分
玉を出していたのです。
そのくらい出すと、この社会ではオメデタといってまずは勝ちいくさで
めでたく終わるのですが当日、僕はノッていたので、まだ打ち続けました。
その台は相変わらずコンスタントに出ていましたし
僕の思考力、体力共に余裕たっぷりでした。
・・・・にわかに、玉の出が悪くなったのです。急に玉が出なくなったのです。
いやいや長い勝負にはこういう事もあるだろう
そのうち元のペースに・・・・戻らないのです。いっこうに。手が少しワナワナと震えました。
頭が少しクラクラとしました。でも僕はつねづね勝負師として冷静に生きたいと
思っていましたから、それを心のささえにして打ちました。
僕のそういった見事でひたむきなパチンコスピリットにもかかわらず
玉の出は完全にストップしてしまいました。
こんな事ってあるのかと怒りがこみ上げてきます。
あんなに入っていたのに急に、それも一発も入らなくなるなんて・・・
持ち玉も底をつき僕はもう完全に冷静さをなくし、持ち前のヘソまがりな所が出て
玉なんか要らない欲しくない、このまま出ないまま終われば
こんなに理屈に合わないことが世の中にもあるという純粋な理論を学べると
妙な方向に逃げ込み、心から玉よ出るな、出てみろ
台のガラスをわってやると思ったのです。ケッコウ、本気でアブノーマルな思考へ
走って行ったのです。
僕にとってこの様な完全に打ちのめされる事に、確かな快感を覚えるのです。
不幸のにおいがすると、つい立ちどまって、ひたってみたくなるのです。
幸せが良いと決まっているのに、いったいどうした事でしょう?
歌を作り、LPを制作する事は、本当につらくて、きつくて、めんどくさくて
イヤな事だけどそんな中になにかしら幸福を感じるのです。 井上陽水
アルバム「2色の独楽」ライナーノーツより
通常のCDで「2色の独楽」を買ってもこのライナーはカットされている
陽水のCDBOX Noselectionの分厚い歌詞カード本には記載されているが
カットされているのが残念でならない。
陽水さんは、よくぞあのスタイルで打って出ましたよね。その感覚がバクチ打ちです。「心もよう」だって、いかにもな売れ筋とはだいぶ違っていたはずです。職業作曲家・作詞家のつくる音楽を脱却する、ことばにすると単純なことですが、これには信じがたいセンスと能力が必要だったはずです。BANANAを見いだした感覚も、まったく常人離れしています。たまたま当たった、を越えているからこそ、安全地帯があり、いまがありますねー。陽水さんは人の歯を診てる場合じゃないです。
欽ちゃんがバクチ打ちなのは知りませんでした。CHA-CHAみたいなお遊びが好きな人だというのは知っていましたが、いわれてみればギャンブラーですね。ただ、CHA-CHAとか野球チームみたいな、余裕のある楽しみ的なギャンブルばかりでなく、私生活が破滅するほどとは。うーん、芸の魔性ですね。
レコード会社というか、その母体の電器会社というか、それを支える社会基盤というか、それがもう体力がなくて、図体と栄養のバランスが取れてないんですねー、きっと。でかい図体をなんとか生かすためには日銭が必要で、バクチ打ってる場合じゃないんでしょう。年々ダメになっているというか、もう虫の息というか、すでに秒読みですね。第二の陽水カモーン!たぶん、いませんけど……いても、音楽業界がこんなザマでは出てきてくれないと思いますけど……。陽水が歯でも診てたほうがいいと思った時代になったときが、きっとカウントゼロなのでしょう。わたしくらいの年代になれば、もうよほどのことがない限り過去に名作をさがしたり、かつての名手がオトナ世代向けに作ってくれた新作を聴いていたりすればいいですけど、若い人はほんとうに気の毒です。
大袈裟な話でなく日本の音楽産業は別な道を辿ったのではないだろうか?
多賀さん独立しKittyを立ち上げる事も無かったろう。
陽水さんも多賀さんも博打打であるから世に出す音楽が面白いのだと思う
陽水さんの麻雀狂は有名である。
陽水さんが83年頃発売したLP「バレリーナ」(セールスは振るわなかったが大傑作)
まだ20代前半のバナナさんにプロデュースと全ての編曲を任せるとは正に博打そのもの
Kittyというのは5人のイニシャルから取ったそうだが
英語なら博打の賭け金の総額という意味もあるそうで
マニア層に支持されるミュージシャンでも、その音楽は何ら枠をはみ出す事もなく
そういう音楽は感覚が全く受け付けない。
芸人では欽ちゃんが若い頃から破滅的な博打打である
芸風からは微塵も感じさせないのが底恐ろしかったりするが魅力でもある
任天堂の80年代のテレビゲームが面白いのも博打打ゆえ
本来レコードビジネスそのものが博打なのだが・・・
レコード会社が安全志向で博打をしなくなり作品が年々ダメになっている。