2023年10月02日
一岡投手の引退試合。最後まで貫いたストレート8球。
【広島】一岡竜司が最終登板でも貫いた直球勝負 真っすぐを武器に、真っすぐに生きたプロ12年
10/2(月) 5:01配信
日刊スポーツ
広島対阪神 引退セレモニーで場内一周する広島一岡
<広島5−6阪神>◇1日◇マツダスタジアム
最後まで直球にこだわった。
現役引退を決めた広島一岡竜司投手(32)が1日の阪神とのシーズン最終戦の6回、マウンドに上がった。
対峙(たいじ)した阪神島田に投じた8球はすべて直球。初球は最速145キロを計測し、最後は144キロ外角高めで見逃し三振に切った。
11年に沖データコンピュータ教育学院からドラフト3位で巨人に入団した。専門学校からのプロ入りしたのは、球界の盟主とも言われた伝統ある球団。自分を見失いそうなときもあった。だが、立ち返ることができたのは「何が良くてプロに入ったのか分からなくならないように」と自信のある直球があったからだ。14年、青天のへきれきの広島移籍をきっかけに、磨いてきた直球で地位を築いていった。
移籍1年目から31試合に登板して、防御率は0点台(0・58)をマークした。18年まで2年続けてシーズン59試合に登板するなど3連覇に大きく貢献。広島の中継ぎに欠かせない存在となり、優しく穏やかな性格でチームメートに愛された。
勤続疲労もあり、肩や肘を痛めながらも、やはり直球にこだわった。球速だけを追い求めてきたわけではない。「どうやったら真っすぐで勝負でき、速く見せられるかなと考えた」。1球1球間合いを変え、得意なクイックの技術も磨いた。「いかに打者に気持ち良く振らせないか」と、1秒を切るスーパークイックも織り交ぜた。「150キロ出ないなら、少しでも距離を」と踏み出す歩幅を7足分に伸ばし、踏み込んだときのグリップ性を求めてスパイク裏の素材も変えた。
直球とともに歩んできたプロ野球人生の終わりを決めたのもまた、直球が理由だった。「質の部分でファウルを打たせたり、空振りを取れなくなった時点で、自分は(引退)と思っていたので。そこは、投げながら分かりやすかった。自分で投げながら感じられたので、納得しています」。球界全体の平均球速が上がる中で、ここ3年は1軍の戦力になれなかった。「自分のストレートを投げられなくなったことが大きな理由。最後までストレートで勝負した結果なので、納得しています」。9月下旬、自ら球団に引退を申し入れた。
引退試合前の会見でも、引退試合後のセレモニーでも、涙を一粒もこぼさなかった。「悔いだったり、後悔だったりはない」。真っすぐにプロ野球人生を歩んだ右腕は、最後まで晴れ晴れとした表情でグラウンドを去った。【前原淳】
カープのリーグ3連覇の戦士が、また1人去って行くことになりました。
一岡投手は昨日のシーズン最終戦、2点ビハインドの6回表に最後の出番が訪れました。マツダスタジアムの大歓声を浴びてマウンドに向かいました。阪神先頭の島田選手との対戦ではフルカウントからのアウトコースへの144キロのストレートで見逃し三振を奪いました。MAX145キロを計測するなど、渾身の8球は全てストレート勝負で最後の力を出し切りました。
1アウトを奪うと、マウンドに来た新井監督から「ザキ(中崎投手)にボールを渡してくれ」と言われたそうです。リーグ3連覇の時の、セットアッパー一岡投手から守護神の中崎投手への必勝リレーを思い出されるシーンでした。
引退セレモニーでは、チームメイトから8回胴上げされ、一岡投手は晴れやかな表情で、背番号30のユニフォームに別れを告げました。
一岡投手は2013年オフに広島からFAで読売に移籍した大竹寛投手の人的補償で読売から移籍してきました。きっと一岡投手の中では、カープで活躍して、読売に一泡吹かしてやるという思いがひとしおだったのではないでしょうか。見事リリーフピッチャーとして球団史上初のリーグ3連覇に貢献しました。
一岡竜司という、ストレート勝負にこだわったセットアッパーは、我々カープファンの記憶に深く刻まれています。一岡投手、12年の現役生活、本当にお疲れ様でした。そして、ありがとうございました。
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