それは、いままでの不幸(モラハラ被害者)を脱却できたからです。
もし、モラハラを受けていなかったら、ここまで幸せは感じていなかったでしょう。
つまり、私は今まで感じていた不幸が取り除かれた反動で、ものすごい幸福感に包まれているのです。
これは、ブラック企業から転職した人や、病気が快復した人が幸せを感じるのと同じものです。
そう。不幸は顕在化しやすく、幸せというのは顕在化しにくいのです。
不幸に囚われていると、今ある幸せが見えなくなってしまうのです。
このメカニズムにより、普通に暮らしていても、何か気になるところを見つけると人間というのはすぐ不幸を感じてしまいます。
例えば…
・主人の帰りが遅く、子育てに参加してくれない。
・同僚の嫁さんに比べると、自分の嫁さんは太っている。
・近所の人がまた車を買い替えた。どんだけお金があるんだろう。うらやましいな。
なんかです。
でも、感じている不幸の陰には、幸せが隠れていることもあるんです。
・主人の帰りが遅く、子育てに参加してくれない。
→残業代が増え、住宅ローンを繰り上げ返済できた!
・同僚の嫁さんに比べると、自分の嫁さんは太っている。
→同僚の嫁さんはエステだの通販だの、家事もほったらかして金遣いが荒いらしい。その点うちの嫁さんは料理上手で節約上手だ。
・近所の人がまた車を買い替えた。どんだけお金があるんだろう。うらやましいな。
→実はその家では夫が妻に相談もなく大きな買い物をしてしまい夫婦仲に亀裂が入っている。その点うちは大きな支出があるときはちゃんと夫婦で話合い、夫婦仲も良い。
などなどです。
そして、人はわざわざ不幸を感じる地雷がいっぱいある、SNSをのぞきにいったりします。
例えば…
・A子、今日も華やかなランチに行ったんだな。うらやましいな。
・え?B子、ボーナスが下がったから今年の旅行は海外じゃなくて沖縄にするんだ。契約社員の私はボーナスなんて夢のまた夢だよ。
・C子、二人目妊娠したのか。私は結婚相手さえまだ見つからないのに。
というような感じです。
幸せ情報にあふれているSNS、不幸を感じずにはおれません。
そういうときは、SNSを離れることをお勧めします。
見なければいいのです。
何も感じていなかった不幸を感じるために、わざわざSNSに行かなくてもいいのです。
今ある幸せを精一杯感じる。
これが幸せになる近道なんです。
例えば、私で言えば、
・子供がかわいい。
・夫がモラハラするタイプじゃない。
・卵が安い。
・駐車場が空いていた。
・片頭痛がない。
・洗濯物がパリッと乾いた。
こんな感じです。我ながらとっても単純です。でも単純なところに幸せというのは隠れているものだと思います。
同じ人生だったらなるべく幸せを多く感じる人生が良いですよね。
不幸を感じるものを思い浮かべて時間を過ごすよりは、小さなことでもいいので、今日一日幸せだったことを思い浮かべる。
それだけでも人生における幸せな時間が長くなりますよ。
にほんブログ村
にほんブログ村
【このカテゴリーの最新記事】
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image