簡単に言うと、依存症者というのは、何か(アルコール、ギャンブルなど)に依存している人のことを指し、共依存症者というのは、依存症者を助けるつもりがその依存症状をより強固にしてしまうような関係のことを言います。
例えば、ギャンブル依存症で借金がある人の場合、誰もお金を貸さなければ「あぁ、このままでは自分はダメだ。」と底をつく体験をし、あとは浮上するしかなくなることで依存症は改善します。
しかし、ギャンブル依存症者にお金を貸してしまう共依存者がいた場合。
ギャンブル依存症者はお金があるので依存症はいつまで経っても治りません。本人も治す気になりませんし、お金を貸してくれる共依存者への罪悪感でもっとギャンブルの快感を求めてしまう可能性すらあります。
例えば、主人がギャンブル依存症で、私が共依存者だったとすれば、以下のような感じのストーリー(ストーリー@)が考えられます。
【ストーリー@】
主人は自分のギャンブル依存症を治したいと思いつつ、嫌なことがあったりすると一時の快感を求め、ギャンブルに行ってしまいます。
私は主人に「もう家にはお金がないんだよ。このままではまつ男(子供の仮名)の学資保険にまで手を出さなければいけなくなる。もうギャンブルはしないと約束して」と言い、主人も一時はギャンブルに行かなくなりましたが、仕事で嫌なことがあったり、ギャンブルができないというフラストレーション、また私に対する罪悪感から「ちょっとだけならいいか。」と、またギャンブルに行ってしまい、結局また200万円の借金を作ってしまいました。
私は結局まつ男の学資保険を解約し、主人の借金を清算しました。
上記の例の私のような共依存に陥りやすい人の特徴として、過去に喪失体験をしているということが多いそうです。
喪失体験とは、身近な人を失ったとか、大切なものを失くしたとか言うものを想像しがちですが、本来得られるべきものを得られなかったという場合にも使用されるそうです。
例えば、家族に依存症者がいたり、幼児虐待をするような家庭だったり、過干渉な親がいるような場合です。
これらはすべて、子供が本来得られるはずだった「安全で安心な環境」を喪失している状態であり、これも立派な喪失体験なのです。
本来子供というのは「安全で安心な環境」で育つことにより、自己と他己の境界線を適切に引くことができます。
しかし、喪失体験をしている場合、その境界線があいまいになってしまうのです。
そうすると、相手の責任を自分の責任に感じたり、相手を自分の思い通りにコントロールしようとするようになります。
そうすることで、自己肯定感を高め、満たされなかった喪失体験を満たそうとするのです。
しかし、相手に幸せを依存している限り、相手に振り回され結局自分が疲弊することになるのです。
上記のストーリー@は以下のストーリーAにつながっていきます。
【ストーリーA】
私は主人がギャンブル依存症だと知っていつつも「私が彼のギャンブル依存症を治す。私だったら治せる!」と結婚しました。
結婚後しばらくは主人のギャンブル依存症も収まっており、私もうれしかったのですが、まつ男誕生後、またギャンブル依存症が再発してしまいました。
私たちは何度も話し合いを行い、そのたびに主人はもうギャンブルはしないと誓ってきました。
でも主人は最近またギャンブルで300万円の借金を作ってしまい、私は実家から家のローン返済名義で300万円借りて清算しました。
私は最近気分の落ち込みが酷く、カウンセリングに通っています。
上記の例の私は、結局主人に振り回された結果、自分の心を病んでしまいました。
そのようにならないためにも大事なことは、以下のことをクリアにすることだそうです。
1.問題を解決するのは誰か?
2.私にできることは何か?
3.私の責任には何か?
ストーリーAをベースに考えると、
1.は、ギャンブル依存症を治すのは主人です。
2.はもうこれ以上お金を出さないことになります。
3.はまつ男を適切な環境で育てることになります。
上記の1.〜3.を明確にしておけば、ストーリーAに続くストーリーBは私たち家族にとって良いものになる事でしょう。
しかし、1.〜3.が不明確なまま、つまり私が主人との境界線を適切に定めないまま物語が進めば、ストーリーBはさぞかし悲惨なものになるであろうことは想像に難くありません。(私→入院、子供→施設、主人→ヤクザに追われる、みたいな。)
大事なことは、他人中心で生きるのではなく、自分中心で生きることです。
自分はどう感じ、何を幸せに思っているのかを常に念頭に置いておけば、他人を助けるときも振り回されなくて済むのです。
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>両親は私に身体的虐待、精神的虐待をしてきました。
>今尚、今度は、心配心配心配心配言って来ます。
過酷な環境だったのですね。
子供にとって親は世界のすべてですから、本当に不安で辛い日々だったと思います。
>でも、私を心配じゃ無いんですよね。
>自分達が不安になりたくなくて、私を、心配という名の下、監視下に置こうとしているだけなんです。
そういう親は、自分と子供の人格を分けて考えられないんですね。
そして子供は自分の延長というか従属物というか、自分の思い通りになるのが当然と考えるんですよね。
子供が大人になっても。
>現主治医、そして私の口からも、私は病気になった純真無垢な15才のままじゃない!成人した大人の人間なんだ!私を対等に見て欲しい。
>大人の女なんだ!と言う事が出来ました。
良いお医者様と巡りあえて良かったですね!
>両親に大学進学すら叩き潰され、バイトすら許されず、首に縄を縛り付けられていたのを、今、物凄く自覚しています。
本当に酷い。かれんさんの親御さんこそ、心療内科が必要だと思います。
でもなぜか本当に異常な人は病院に行かず、周りで被害を受けている人が病院に行くんですよね…。
>私は、私を幸せにする義務があります。
>幸せになる権利があります。
そうそう。そうですよ。
で、ブログで紹介させていただいた本にも書いてあったのですが、そういう過酷な生育環境で育つと親と同じタイプの人とうまく境界線を引けないのだそうです。
彼も他人をコントロールしようとするタイプですから、かれんさんは彼の異常性に気づけて良かったと思います。
>彼の事は取りあえず頭から切り離し、私は幸せになる努力をします(*^^*)今回も自分語りで申し訳ありません(^^;)
自分語り、大いに結構だと思いますよ!
これもブログで紹介させていただいた本にあったのですが、否定的な感情は誰かに話を聞いてもらうことでしか癒されることはないのだそうです。
辛かった、悲しかったことはどんどんデトックスしてスッキリしましょう!
>彼は子供の頃、褒めて欲しくて頑張ったのに、いつも適当にしか扱われなかったそうです。
彼は彼で辛かったのでしょう。
でもそれを解決するのは彼の問題ですね。
かれんさんはできたんだから、彼だって(いつか)できると思いますよ。
でも彼は解決しないことを自ら選んでるのだと思います。
ギャンブル依存症と同じで、目の前の快楽に飛びついてしまうのでしょうね。
ご自分でも仰っていますが、かれんさんは今後ぜひご自分の幸せ中心に生きていってほしいです。
>子育てって責任重大だなって思います。
そうですね。
ちょっと前に"叱らない育児"が流行って(?)いましたが、それも親が子供のことを一人の人間として尊重していなければ、自己愛モンスターを生み出してしまうだけになると思います。
"子育て"と言えども、自分とは違う一人の人間、一人の人格を育てているのだという自覚をもって取り組むことが大事なのかなと思います。