生まれたばかりの赤ちゃんというのは、この世界にやってきたばかりで、ここがどんなところなのか良く分かりません。
とても恐ろしいところなのか、自分にとって嫌なものばかりの世界なのか不安で仕方ないのです。
だから泣くのです。
そして、泣いたらあやしてくれる存在がいることに気づきます。
それが母親(あるいはそれに母親代わりの人)です。
自分が泣いたら優しく抱きしめてくれる、大丈夫だよ、と声をかけてくれる。
そうして赤ちゃんは自分が生まれた世界に母親という安全基地を見出します。
これの近くにいれば、自分は守られている。安心していられる。と。
そうして安心感を得た後、赤ちゃんは母親から少しずつ離れて行きます。
ある程度離れても、母親の姿を見れば安心するので、母親以外の人間と交流し、自分の世界をどんどん広げていくことが可能になっていくのです。
そして、他の人との交流があればあるほど、母親との距離が離れても大丈夫になっていきます。
母親から離れ、自分でいろいろな経験をし、自分の世界が広がっていくうちに、正常な人格が形成され、自分で自分を安心させることが出来るようになっていくのです。
(その経緯には、親から離れるための儀式である思春期も含まれます。)
このように、健全な親子関係を築けていた場合、子供は親から離れ自立し、自分の家庭を持つことが可能になっていくのです。
しかし。
親が安全基地になっていなかった場合(ネグレクト、虐待など)や、親が子供の自立を阻むような親子関係だった場合(過保護など)。
そういう親子関係の場合、子供は正常な人格を形成することが難しく、自分で自分を安心させることが難しくなります。
つまり、この世は赤ちゃんの時に感じていたような、なんだか恐ろしく嫌なものがあふれる世界のままなのです。
自分一人では安心できないのです。
なので、そういう人は人格障害になりやすく、アルコールや薬、恋愛やお金などに依存したり、友人、恋人、素晴らしい自分に執着したり、リストカットなど自分を傷つけたりするのです。
そして、モラハラ加害者は、素晴らしい自分に執着があり、素晴らしくない自分・ダメな自分を許容することが出来ないので、ターゲットにそれを背負わせるのです。
ターゲットに選ばれる人は、困っている人、かわいそうな人を見捨てられない優しい人です。(あるいは優しく見える人、優しい人を装っている人です。)
つまり、モラハラ加害者の面倒を見る母親代わりなのです。
モラハラ加害者のことを見捨てるのに母性が邪魔をしてしまうのです。
モラハラのことをいろいろ調べていた時に、加藤 諦三さんという人の書かれた本のある一節が目に留まりました。
「人からやられっぱなしで戦えない人は、自分が好きだと思っているものが本当は好きではないから戦えないのだという事に気づくことである。それに気づけば強くなれる。」
この一節を読んだとき、私は衝撃を受けました。
そうか。いろいろごちゃごちゃ考えていたけど、シンプルに私はモラハラ加害者が嫌いなんだ、と。
そして、モラハラから逃げるためには、モラハラ加害者を嫌って嫌って嫌い抜いていいんだ、むしろ、嫌い抜かないと逃げられないんだ、ということに気づいたんです。
私はもともと母性が少ないほうだったので、気づいた後は割と簡単に逃げられましたが、母性の多い人は大変だろうなぁと思います。
モラハラ加害者は同情を誘う術に長けていますから。
でも、その母性ははっきり言って無駄なんです。
母性を発揮して、モラハラ加害者のもとにとどまったとしても、彼が自己愛性人格障害を克服し、この世界が安心して住める場所だと認識することはできないのです。
むしろ逆なんです。
ターゲットにどんどん自分のダメな部分を背負わせることで自己はどんどん肥大化し、たとえあなたが精神的につぶれても次のターゲットに狙いを変える人格破壊モンスターになるだけなんです。
もしモラハラ加害者の自己愛性人格障害を直したいと思ったら、まずターゲットがモラハラ加害者のもとから去るのが一番になります。
アルコール依存症の人からアルコールを取り上げるのと同じです。
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