逆に言うと、共感性がないと人にやさしくなれないのです。
例えば、私は主人が浮気しても構わないと思っています。
だって主人の人生ですもの。
彼の好きなように生きていってほしいと思うんです。
そして私から離れたければ離れていけばいい、と考えています。
しかし、こういう考えを持っていると、「主人に浮気されて辛い」という人の気持ちに共感できないのです。
下手をすれば、以下の事を言ってしまいそうです。
「え?人を好きになるのは仕方ないことじゃない。」
「あなたよりその女性の方が魅力があったってことないんじゃない?」
「さっさと離婚して慰謝料なり養育費なりがっぽりもらっておいしいものでも食べればいいじゃない?」
そして、言われた人が傷ついている姿を見ても、「私間違ったこと言ってないし。めんどくさいなぁ」と思ってしまうかもしれません。(だから言いませんが。)
こんな感じで、共感性がないということは、苦しんでいる人の気持ちに寄り添うことができない→冷たい人というように見られることが多いのです。
しかし、人はすべての事に共感性を持っているわけではありません。
体験・経験しないとその気持ちが分からないことも世の中にはいっぱいあります。
皆、どこかしら共感性が少ない部分があるのです。
そして、色々なことに共感性を発揮できる人と言うのは、確かにとても優しい人と言うことになりますが、実はめんどくさい人にもなり得るという問題を抱えているのです。
その例として挙げられるのが、反捕鯨団体のグリーンピースとかシーシェパードとかですね。
彼らは鯨に共感しすぎているのです。
そして、こちらの鯨に対する共感性のなさを批判しているのです。
(その割に同じ哺乳類であるはずの牛の気持ちに寄り添う気はほとんどなく、自分の国で牛が大量に殺されていることに関しては無関心のようですが。)
また、共感性が強いことの弊害に、物事の判断スピードが遅くなるというものが挙げられます。
最近アメリカの大統領選で注目を浴びているドナルド・トランプ氏。
彼は自己愛性人格障害として有名なのですが、同時に一代にして不動産王にまで登りつめた優れたビジネスマンでもあります。
優れたビジネスマンの条件として判断力の迅速さが挙げられますが、共感性が多いと物事の判断スピードが落ちてしまうのです。
数学の問題で条件が1つ余計に増えるのと同じなのです。(風の抵抗を考えるとか、潮の満ち引きを考慮に入れるとか)
条件が少なければ少ないほど、考えなければならない問題はシンプルになるのです。
また、他人の気持ちを考えなくて良いということは自分の気持ちを最優先に考えることができるということなので、常に自分に有利なように物事を進めることができます。
しかし、大統領というのはビジネスマンとは違い、様々な事情の人の気持ちに寄り添い、総合的に問題を解決していくことが必要とされています。
なので、発言すれば発言するほどその共感性の少ない発言で人々の反感を買ってしまうドナルド・トランプ氏が大統領に選出されることはまずないと思いますが、共感性があるからすべてが良い、共感性がないからすべてが悪いというわけではないということなんですね。
何事もバランスが大事、と言うことになると思います。
なお、共感性を高める方法としては、いっぱい失敗することが良いようです。
失敗して痛みを経験すれば、他人に同じことが起きた場合、その痛みがわかるのです。
だから子供の失敗経験を妨げる過保護な親と言うのは子供をダメにしているんですね。
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