何でも人は、「共感は認知的な負担が大きく、多くの精神的努力が求められる」ので避けたがる傾向があるのだそうです。
つまり、共感性が低い人≒自己愛性人格障害者は、普通の人よりも認知的な負担が少なく、精神的努力も必要ないのです。
これは、同じ算数の問題を解くのにも、共感性の低い人はその問題だけを考えれば良く、共感性の高い人は同時に国語の文章問題にも取り組んでいるような状態とも言えると思います。
なので、共感性の低い人は素早く答えを出せるので、一見優秀な人に見えるのです。
でもその答えは、多くの犠牲を出すものであったり、長い目で見ればコスパが悪いものであったり、酷い場合は損害を被ったり実現不可能なものだったりもします。
とにかく視野が狭く短絡的なのです。
素晴らしい答えの場合もありますが、だいたいそういう場合は他人の回答を盗んでいるケースが多いです。
共感性が少ないので、盗むことに良心の呵責を覚えないため平気でそういうことも出来るのです。
そして、われわれが騙されてしまうのが自己愛性人格障害者たちの自信満々な態度です。
これも、彼らは優秀だと思われたいから優秀な人がとるような態度を真似しているだけに過ぎないのです。
例えば、俳優が大学教授の役をやるとします。
俳優は優秀な人を演じるために、どうふるまえばいいか、どう喋るのが効果的か色々と調べ、その役を演じます。
自己愛性人格障害者も同じなのです。
「優秀」と言われる人の言動を真似て、あたかも自分は世界で一番優秀な人物であると言うように見せているだけなのです。
(しかも、障害なので無意識に子供の時からこれをやっています。)
そんなに優秀だったら東大理3も余裕で受かるはずですが、自己愛性人格障害者の全てが東大に合格しノーベル賞を受賞しているわけではありませんよね。
むしろ学歴なんて低い方が多いのです。
世の中学歴が全てではありませんが、彼らの自信満々な態度は何の根拠もなんの裏付けもあるわけではなく、ただ俳優が大学教授の役を演じているようなものなのです。
しかも彼らは役者ではなく障害なので、周囲の人に「あの人の真似だな」と気付かれるような言動をすることが多いですが、恐ろしいことに本人的には全く恥ずかしくありませんし、周りは気付いていないと思っています。
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>なるほど…!合理的で最短距離で結果を出せるから、スピーディーに処理ができるようにみえるわけですね…!
(な…なんてことだ…私のくどい長文を一言で…)
>私の知るかぎり、<有能(にみえる)自己愛は理数系で、国語系が壊滅的>というのが特徴でした。
私をモラハラしてきたクソゴミ野郎は理数系も国語系もダメで大卒じゃないのに大卒のふりをしていました。
>ゴミ捨てや掃除などの地味仕事は丸投げで、小姑のように「掃除ができていない」とホコリを指ですくったりしていました(笑)
そんなドラマやマンガみたいなことする人本当にいるんですね。
本当に自己愛にはビックリさせられます。
>「自分のPRできる場所はないか」とそればかり考えているから、浅くなってしまうんでしょうか。
何かをする基準が「マウントを取れるか」なので、学問にせよ仕事にせよ趣味にせよ、純粋に好きでやることができないのかもしれませんね。
何かを好きになったら、「それでお金がもらえるか」とか「それで自分が健康になるか」とか「それで他人にマウントが取れるか」とか関係なく没頭したりするじゃないですか。
でも根本的に自分が他人からより良く見える事だけに興味がある自己愛は、そういう感覚になったことがないのかもしれません。
ごくまれに生まれ持った自分の才能を発揮できている自己愛もいますが、本当にめったにない話です。
そして、三島由紀夫のように才能を発揮できたとしても彼も最後は三島事件とか起こして割腹自決してますからね。
(自らの信念(思い込み)に基づいて社会的にインパクトのある事件を起こすとか植松聖被告と似てますね。やっぱり自己愛同士って似てる。)
こういう事を考えると、自己愛性人格障害者である事は一生に一度の人生でかなり損をしているんだと思います。
何かを純粋に楽しめないとか。
思い込みが激しいとか。。
ま、ざまーみろって感じですけどね。
なるほど…!合理的で最短距離で結果を出せるから、スピーディーに処理ができるようにみえるわけですね…!
私の知るかぎり、<有能(にみえる)自己愛は理数系で、国語系が壊滅的>というのが特徴でした。
数字に強いので一見頼もしく感じますが、人の気持ちを汲むことが一切できないため、いつもスタンドプレーでした。
ゴミ捨てや掃除などの地味仕事は丸投げで、小姑のように「掃除ができていない」とホコリを指ですくったりしていました(笑)
自分はしたい仕事(フロントでオシャレな部分のみ)だけしているので、周囲からは有能に見えますよね。
<縁の下の力持ち>には一生なり得ないのが自己愛&境界性だと思っています。
誰かの気持ちを汲んで動くことは彼らには不可能です。
なので、本当の意味で人と良い関係を築けないですね。
会話も数ヶ月すると繰り返しの内容になっていきますし。
「自分のPRできる場所はないか」とそればかり考えているから、浅くなってしまうんでしょうか。
でも素敵な人物に見せかけたいので、できもしないことわざを「座右の銘」などとのたまっていました(笑)
頭を垂れる稲穂には、彼らは一生なりません。
>かまってちゃんというか寂しい人なんだと思うんですよ。いつもいつも自分上げ他人さげ自分上げ他人さげとアル中のように繰り返す承認欲求依存性。
自己愛が強いと、男性は自己愛性人格障害に、女性は境界性人格障害になりやすいそうです。
どちらもかまってちゃん、寂しい人というのは間違いがなく、以前本を読んだときに境界性人格障害者の人はまるで「ニューヨークのタイムズスクエアで独りぼっちのような感覚」と説明がありました。
あんな広い所でひとりぼっちというのは確かに心細そうですね。
だから、境界性人格障害者は必死に誰かにしがみつき、しかも見捨てられる恐怖が強すぎるため相手が自分を捨てないか試す行為を繰り返し、
自己愛性人格障害者は大声で「自分はこの世で一番素晴らしい人間なんだ!」と注目を集めるために大声を上げているんだろうと思います。
>自己愛の取り巻きの無能さ見る目のなさも凄いと思います!新興宗教で変な尊師にお金送ったりするタイプでしょうか。でもよくあんなのの、かまってかまってをおかしいとも思わず聞いてられるなと思います。
多分、自己愛性人格障害者の張り上げる声に、「なんかよく分からないけど、あの人すごそう!強そう!」と寄って行くタイプなんでしょうね。
所詮は自己愛性人格障害者と同じ穴のムジナです。
境界性人格障害者にせよ、自己愛性人格障害者にせよ、他人との適切な距離が取れない限り彼らの虚しい心の隙間は埋まりません。
境界性人格障害者の場合は、歳をとるごとに落ち着いてくるらしいですが、自己愛性人格障害者は悪化すると言われています。
境界性人格障害者の人は次第に見捨てられる不安が克服できていくのに対して、自己愛性人格障害者の誇大妄想は膨らむばかりという事なんでしょうね。
本当、逃げるが勝ちです。
優秀どころか名誉毀損と侮辱罪が適用しそうなことばかりいっていて迷惑だから慰謝料払えと思うくらいです。
自己愛は自分の将来の成功を妄想して他人を見下し、他人の将来の失敗を妄想して他人を馬鹿にしてますが根本は寂しい寂しい誰かかまってが本音ですよ。あと実際は何もない自分に気が付いているが、それでも!勝った気になりたいし、しょうがいしゃなので自分は高学歴で〜とか食べても太らない体質で〜とか妬まれてるの〜とか匂わせないと喋れないのです!
自己愛の取り巻きの無能さ見る目のなさも凄いと思います!新興宗教で変な尊師にお金送ったりするタイプでしょうか。でもよくあんなのの、かまってかまってをおかしいとも思わず聞いてられるなと思います。
ほんとに親でもないのに無償で反抗期のガキと赤ん坊の世話をダブルでさせられるようなもので自己愛に捕まると精神的苦痛はハンパないです。でも自己愛は誰にも相手にされないから高学歴ぶってでも誰かにかまって欲しいんです。
かまってかまってー