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記事
リニューアル祗園城(小山市)城山公園 [2024/03/29 23:05]
<城山公園>
こちらは北関東の名族・小山氏の居城として知られる祇園城跡です。現在は城山公園として整備されています。
<思川>おもいがわ
祇園城は思川を望む高台に築かれた山城です。
<観晃橋>
思川に架かる観晃橋
<公園内>
曲輪跡です。舗装された道が妙に綺麗ですね?
これらの画像は、工事が終了した直後に撮影したものです。公園全体のリニューアル工事はまだ続いていましたが、一部が公開されている状態でした。
<リニューアル前..
戊辰戦争の爪痕が残る小山市の寺院(常光寺) [2023/09/16 22:31]
栃木県小山市にて
戊辰戦争の爪痕が残る寺院を尋ねました。
<常光寺山門>じょうこうじ
小山駅西口にほど近い浄土宗の寺院です。
<境内/本殿>
創建は鎌倉時代とのこと。一時期廃寺となっていましたが、1602年(慶長7年)小山政重(小山城主・小山秀綱の孫)によって中興され、浄土宗に転宗したと伝わります。戦国大名としての小山氏は18代当主の秀綱で終わりとなりましたが、その所領の寺に、孫にあたる政重が力を注いだということですね。
さて
この日..
神鳥谷曲輪(小山市)土塁が残る名族の館跡 [2023/05/20 00:05]
つわものどもが夢の跡
北関東の名族・小山氏の館跡を訪ねました。
<神鳥谷曲輪>ひととのや
こちらです。まずこの神鳥谷という地名ですが「ひととのや」と読みます。現地はJR小山駅から徒歩で20分程度でしょうか。更地となっており、説明板が設置されています。説明板によれば、平成19年に本格的な発掘調査が行われ、道路跡や井戸跡などが確認されました。
<説明板>
詳細が記されています。原文の前半を以下に転記させて頂きます。
『神鳥谷曲輪跡は、平成十九年一月から..
北条氏照が改修した北関東の城跡(小山市)改修工事中の祇園城にて [2022/08/21 23:55]
2022年8月
名族・小山氏の居城だった栃木県小山市の祇園城跡。昨年夏の訪問時には工事中だったので、どうなったか気になって再訪してみました。
<城山公園入口>
あらら
工事中です。立入禁止のエリアも増えたようなので、いよいよ工事が佳境に入っているという感じでしょうか?
<堀切り>
こちらもです。ここは本丸と二ノ丸を隔てる堀切跡。城好きの人にとっては見どころのひとつです。よく見ると、二ノ丸(右側)は入っても良いようです。ということで二ノ丸へ
..
暗渠となった堀のなごり(法音寺城跡) 暗渠と城跡28 [2021/09/18 20:50]
本来そこにあったものの余韻が漂う。人がそれを感じ取るアンテナはたくさんあるかと思いますが、今回は舗装された道路の表面に感じる城のなごりの話です。訪ねたのは栃木県野木町の法音寺城跡です。
まずは一目瞭然の城のなごりから
<土塁>
土塁跡です。手前側が城内で、土塁の向こう側、つまり外側には堀が設けられていました。
<土塁の向こう側>
ちょっと分かりにくいですが堀跡です。
つづきまして
<法音寺境内の堀跡>
こちらは法音寺の境内(裏手)の竹林..
法音寺城のなごり(野木町) [2021/09/15 22:10]
つわものどもが夢の跡
栃木県野木町の城跡を訪問しました。
<土塁>
正体不明の土塁が残されています
■法音寺城■ ほうおんじじょう
今回訪問の『法音寺城』は、築城年や築城者といった情報がほとんどありません。地理的な条件からして、同県小山市を拠点としていた豪族・小山氏配下の城ではないかとも言われています。それを前提に推定すると、小山氏の滅亡あるいは居城の廃城と同時期に城としての役割を終えたのかもしれません。
<法音寺>
当日はこちらのお寺を目印..
街道沿いの将軍御休所跡(野木町)友沼八幡神社 [2021/09/13 22:30]
将軍が日光東照宮参拝時に休憩所とした栃木県野木町の神社を訪問しました。
<友沼八幡神社>ともぬま
日光街道沿いのこちらの神社です。
<説明板>
入口付近に『将軍御休所跡』と題して、詳しい説明が記されています。ありがたいですね。ただちょっと長いので、当ブログ用に要約しながら一部抜粋させて頂きます。
冒頭は徳川家康の亡骸がいったんは駿河の久能山に葬られ、一周忌に日光へと改葬されたことが記されています。その続きとして『東照大権現社が完成すると、将軍秀忠..
将軍の休憩所(小山御殿)日光街道小山宿 [2021/09/11 22:50]
今回は日光街道沿いに設けられた将軍専用の休憩所跡の話です。ただの休憩所ではありません。敷地には堀や土塁を廻らされ、ちょっとした城のような造りだったようです。
<小山御殿跡>おやまごてん
現在は広場として整備され、小山御殿に関する説明板が設置されています。
■日光街道小山宿■おやましゅく
日光街道の小山宿は、日本橋から数えて12番目の宿場です。江戸時代後期には本陣1軒、脇本陣2軒、旅籠が74軒あったとのこと(出典元ːwikipedia)。
日光街道..
工事中の夏(祇園城跡)名族小山氏の居城 [2021/08/29 22:30]
2021年8月
久しぶりに栃木県小山市の祇園城跡を訪ねました。
<祇園城>ぎおんじょう
あらら、何やら工事中のようです
<城山公園>
ここは4百年以上続いた名族・小山氏の居城跡。小山氏滅亡後、戦国末期には小田原北条氏配下となり、江戸初期には近代世城郭に改修されています。それらのなごりを留める場所ということですね。現在は城山公園として地元民に親しまれています。
<工事中>
かなり全面的に…大丈夫か?
何やら不安に思い、現地からTwit..
壬生城のなごり [2021/08/09 21:45]
つわものどもが夢の跡
栃木県壬生町の壬生城跡を訪問しました。
<土塁跡>
本丸の土塁跡です。城跡はすっかり公園らしく整備されてしまっていますが、部分的に城のなごりが漂います。
■壬生氏の城■みぶ
この地に城が築かれるきっかけは、壬生氏の始祖である壬生胤業が構えた館と伝わります(1462年)。壬生氏は京の公家の出、あるいは宇都宮氏の庶流という説もありますが、詳細は分かっていません。のちに築城される壬生城に対し、胤業の拠点は俗に壬生古城と呼ばれるそうです。
..
鳥居元忠を祀る神社(壬生町)精忠神社 [2021/08/08 22:30]
徳川家康の家臣・鳥居元忠を祀る神社を訪問しました。
<精忠神社>せいちゅうじんじゃ
場所は壬生城址公園のお隣です
■壬生藩鳥居家■みぶはん とりいけ
<壬生城跡>
こちらは栃木県壬生町の壬生城跡です。江戸中期から明治になるまで、8代にわたり壬生藩主だった鳥居家の居城です。壬生藩鳥居家の先祖は、徳川家康に仕え、忠義を貫き果てた鳥居元忠です。
■関ヶ原の戦いの前哨戦■
1600年8月26日(慶長5年7月18日)、関ヶ原の戦いに先立ち、鳥居元忠..
下野国の下剋上(壬生綱房)名族宇都宮氏を城から追い出した男 [2021/08/07 21:40]
中世における下野国の覇者と言えば北は那須氏、南は小山氏、そして中央は宇都宮氏。なかでも、宇都宮氏は4百年以上22代続いた名族です。
この名族に従って勢力を拡大し、ついには当主を城から追い出してしまった男がいました。今回はそんな下剋上を下野国で成し得てしまった壬生綱房の話です。
<壬生城跡>みぶじょう
壬生綱房の父・綱重が築いた壬生城跡。現在は城址公園として整備されています。
■壬生氏とは■
壬生氏は朝廷に仕えた壬生家の庶流、あるいは宇都宮氏の庶流..
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