小田原城総構の東側の堀跡と土塁跡の話です。
<蓮上院土塁>れんじょういん
すっかり市街地化された小田原市内に残る土塁跡です。豊臣秀吉の小田原攻め(1590年)の際に小田原北条氏が築いた総構の一部で、近くの寺院の名から蓮上院土塁と呼ばれています。小田原城の痕跡は丘陵地帯に数多く残されていますが、街の開発が進む平野部に残された土塁はとても貴重です。
<土塁の窪み>
土塁が凹んでいる場所があります。土塁に何らかの建物を築いた跡かと思いきや、現地説明板によれば小田原空襲で投下された爆弾が着弾した跡だそうです。戦国時代の城のなごりを感じるためにここまで来ましたが、昭和の戦争の痛ましい傷跡をも実感することになりました。
<渋取川>しぶとりがわ
土塁に寄り添うように続くこの道は、総構の堀として利用された渋取川の暗渠です。暗渠とは、地下に埋設された川のこと。この付近は低地であるため、かつては湿地が広がり、川も流れていました。その場所ならではの事情を巧みに利用して、外敵の侵入を拒む工夫を施していたわけですね。
<土塁跡>
それにしても、ここまで立派に残っていると見応えがあります。
<川跡>
一方で、土塁とセットの川は、もはや見ることは叶いません。ただ、暗渠だと気付けば感じることはできます。堀として機能した川も、貴重な歴史の証人。当ブログがきっかけで、渋取川の暗渠に気づき、水の流れを想像してもらえたら嬉しいです。
<街中の渋取川>
暗渠も城のなごりです
拙ブログにお付き合い頂き、ありがとうございました。
■訪問:蓮上院土塁
[神奈川県小田原市浜町]2丁目
■参考
・Wikipedia:2023/4/30
・現地説明板
(小田原市教育委員会)
お城巡りランキング
2023年04月30日
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