アフィリエイト広告を利用しています

2023年10月28日

暗渠と城跡36 金沢城の外堀を潜った導水路のなごり

今回は、台地上に築かれた金沢城に水を供給した用水の話です。市内を散策中にこんな光景と出会いました。

<石管と説明板>
tatsumiyousui-sekikan.JPG
なんだろう

説明板には、金沢市内を流れる辰巳用水と、石管に関する説明が記されています。少し抜粋させて頂きながらご紹介します『』内は原文の転記です)。冒頭に『寛永八年四月(一六三一年)に城下から出火、当時水利の便に悪かった金沢城が全焼した』とあり、これが用水を造るきっかけとなったと記されています。この惨事に対し『翌九年に三代藩主前田利常は十キロ隔たった犀川上流の上辰巳から水を引くことを企て、小松の町人 板屋兵四郎 にその工事を命じた』とのこと。犀川(さいがわ)は金沢市の南側から西側を通って北へ流れる川です。そこから水を引き込むということになりますが、金沢城は周囲と比べれば高台に位置し、更に堀で囲まれています。どうしやって水を引き込んだのでしょうか?

説明を読み進むと『計数に長じた兵四郎』が難工事に挑み、『現在の兼六園から木管をもって城内へ通水した』と記されています。兼六園も金沢城と同じ台地上(段丘上)にありますが、川の上流から、つまりまだ高い位置を流れている川から用水を築くことで、なんとかクリアしたようです。ただ、高低差は克服できましたが、かなりの工程でトンネルを掘らざるを得ない難工事だったとのこと。
そこまで苦労して引き込んだ水ですが、兼六園と金沢城との間には堀があります。台地を断ち切るように設けた、金沢城最大の外堀です。どうやって城側に水を渡したのでしょうか?

水路橋を架けた…

答えは
地下に導水管を設け、堀底より低い位置を経由した水を、サイフォンの原理を利用して高い位置へ上げたそうです。

サイフォンの原理!懐かしい言葉ですね。ホースを使って試してみたのは小学生の時だったか(?)。水は高いところから低いところへと流れるのが原則ですが、空気の入っていない管の中を水で満たせば、もとの位置より高いところを経由してから落下する、つまり一瞬は水位より高い方へ移動するあの原理ですね。『計数に長じた兵四郎』が造った水の路も基本的には同じ原理ですが、逆に一旦低いところを経由した水が、もう一度高い方へ登る構造にしたようです。最終的な水の出口が、スタート地点の水位よりは低いことに変わりはありません。水の動きだけみれば「登って降りて」ではなく「降りて登って」になることから、逆サイフォンと呼ぶそうです。

なんだか理科ブログになってしまいましたが、私は学校の先生ではないので、表現が不適切であったらすみません。ただの会社員が、大まかに理解しているとだけと受け止めて下さい。

さて
導水管は当初木管でしたが『天保15年(1844年)に石管に取り替えられた』そうです。

<石管>せきかん
tatsumiyousuisekikan.JPG
その石管がここに置かれているのですね。辰巳用水そのものの全長は10km以上にも及びますが、兼六園から金沢城を通過する区間では、地中に埋設された石管を経由していたことになります。ごく普通の水路が、街の開発にともなって地下に埋設される例、つまり暗渠はたくさん見てきましたが、辰巳用水は誕生した時から一部の区間は暗渠だったということです。

石管はそのなごり。説明板の言葉を借りれば『遺品ということになります』。更に説明を付け加えると、こういった石管は『ニ千数百個といわれている』とのこと。そして、その膨大な数の石管のつなぎ目には『松脂、桧皮などを用いて』水漏れを防いだそうです。

ということで
金沢城のインフラである辰巳用水の一部は、江戸時代の開設当初から暗渠だったというお話でした。いわゆる伏越(ふせこし)ということになりますが、江戸時代初期に、既にそんな工事をしていたということを共有できれば幸いです。

拙ブログにお付き合い頂き、ありがとうございました。

■訪問:辰巳用水石管
(尾山神社の南側斜面)
[石川県金沢市尾山]11


お城巡りランキング

■参考及び出典
・現地説明板(金沢市)
・Wikipedia:2023/10/28
・金沢市HP
「歴史都市金沢のまちづくり」
>用水・惣構> 辰巳用水

https://www4.city.kanazawa.lg.jp/soshikikarasagasu/rekishitoshisuishinka/gyomuannai/1/1/18478.html

--------追 記--------
現地は別途ご紹介させて頂いた「尾山神社氷室跡地」のお隣です。

<現地>
oyama-jinja-himuro-ato.JPG
石垣の左手が氷室跡地。右手に石管があります。説明板が設置されていなかったら、石管は見逃したかもしれません。後ろを振り向けば、そこは金沢合同庁舎です。

<参考>
Stonecanal-Tatsumiyousui.JPG
こちらは別の場所(尾崎神社境内)で撮影した石管です。
posted by Isuke at 21:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 暗渠と城跡
この記事へのコメント
コメントを書く

お名前:

メールアドレス:


ホームページアドレス:

コメント:

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この記事へのトラックバックURL
https://fanblogs.jp/tb/12278895
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。

この記事へのトラックバック
検索
記事ランキング
[アクセスランキング]
  1. 1. 上杉謙信の軍旗 毘沙門天と懸かり乱れ龍
  2. 2. 近世小田原城のなごり
  3. 3. 関東の連れ小便・政宗白装束の舞台 (石垣山城)
  4. 4. 刑場近くの橋のなごり 泪橋と思川
  5. 5. 金沢城のなごり
  6. 6. 火の玉不動 大宮宿の水路と刑場のなごり
  7. 7. 足柄城のなごり
  8. 8. 近藤勇ゆかりの地(米沢市)高国寺
  9. 9. 大石内蔵助 終焉の地 細川家下屋敷跡
  10. 10. 大多喜城のなごり
  11. 11. 高岡城のなごり
写真ギャラリー
カテゴリーアーカイブ
プロフィール
Isukeさんの画像
Isuke
もともとは無趣味の仕事人間。土日は家でゴロゴロ。本ブログは、そんな男が急に城跡巡りに目覚め、てくてくと歩き始めた記録です。
プロフィール
X (Twitter) Twitter-Isuke.JPG Isuke@shirononagori
最新記事

お城巡りランキングに参加中 [参加させて頂いた雑誌]

アクティブライフ・シリーズ009 クルマで行く 山城さんぽ 100【電子書籍】[ 交通タイムス社 ]

[当サイトお勧め本]

小説 上杉鷹山 全一冊 (集英社文庫(日本)) [ 童門 冬二 ]


感想(39件)