2022年10月22日

板橋宿平尾脇本陣(板橋区)近藤勇が幽閉されていた屋敷跡

流山で新政府軍に捕らえられた近藤勇が、処刑までのあいだ幽閉されていた板橋宿の脇本陣跡を訪ねました。
<板橋宿脇本陣跡>
itabashi-wakihonjin-ato.JPG
板橋宿の脇本陣跡です。脇本陣は、本陣の役割を補うための重要な施設。この地はその役割を担っていた豊田市右衛門の屋敷跡です。近藤勇がここへ連行された時、本陣には新政府軍が駐留していました。

現在は立派なマンションが建つのみで、かつての面影はありませんが、通り沿いに目印の碑と説明板が設置されています。

<平尾町脇本陣の碑>
itabashi-wakihonjin-monument.JPG

<説明板>
Itabashi-Wakihonjin-Explanation-board.JPG
板橋区教育委員会による説明文が記されています。全てご紹介致しませんが、脇本陣を務めた豊田家と、近藤勇に関するところだけ転記させて頂きます

まずは豊田家について
『豊田家は、板橋宿 の問屋・脇本陣、平尾の名主を務めた家であり、代々市右衛門を名乗っていました。天正十八年(一五九〇)、徳川家康の関東入国に際し、三河国より移住してきたと伝えられています。苗字帯刀を許され、平尾の玄関と呼ばれていました。』
ここでいう平尾は、板橋宿のなかのひとつのエリアを指します。もう少し具体的に言うと、板橋宿は上宿・中宿・下宿の3つの宿場で構成されていて、平尾宿は下宿の別称です。その平尾宿は3つの宿場でもっとも南側に位置するため、日本橋から中山道を通って北上してきた場合、最初の宿場となります。

次に近藤勇について
『慶応四年(一八六九)四月、下総流山で新政府軍に捕らえられた近藤勇は、平尾一里塚付近で処刑されるまでの間、この豊田家に幽閉されていました。』
脇本陣で拘束された近藤勇は、本陣で新政府軍による取り調べを受けました。平尾一里塚とは、ここから少し離れた宿場の入り口付近で、現在のJR板橋駅付近(北区滝野川)になります。

近藤に対する取り調べは20日間続き、脇本陣では牢に入り、昼夜を問わず見張り役がついていました。お役目を申しつけられた横倉喜三次は、旗本・岡田将監の家臣にして剣の達人。言い換えると、もともとは幕府直属家臣配下の武士。最終的には近藤勇の介錯を務めることになります。立場は違いますが、横倉喜三次は同じく剣の達人である近藤に敬意を持って接したと伝わります。脇本陣で過ごすあいだ、どんな言葉を交わしたのでしょうか。

Itabashiwakihonjinato.JPG
横倉喜三次は、介錯を務めて受け取った報奨金を全て近藤の法要につぎ込みました。ここは二人の剣豪の思いが通じ合った場所なのかもしれませんね。

■訪問:板橋宿平尾脇本陣跡
(豊田家屋敷跡)
[東京都板橋区板橋]3-15

<補足>
itabashi-wakihonjin-sign.JPG
現地は旧中山道沿いではなく脇道に入ってすぐのところです。

■参考及び出典
現地説明板
(板橋区教育委員会)
Wikipedia:2022/10/22



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2022年10月08日

徳川秀忠生母・お愛の方ゆかりの新宿の寺院(天龍寺)

今回は新宿三丁目駅近くの天龍寺のご紹介です。
<天龍寺山門>
tenryuji-gate.JPG
創建は1591年。開基は戸塚忠春とその娘、開山は小田原最勝寺五世の春屋宗能和尚と伝わります。

戸塚忠春?

遠江国の武士です(戸田忠春とも伝わります)。今川家に仕えて、今川義元が北条氏康と激突した際に討死となりました。

その娘?

お愛の方と呼ばれるこの方は、あの徳川家康の側室となり、二代将軍となる秀忠の母となった女性です。尾張清洲藩主となる松平忠吉(家康四男)の生母でもあります。家康には多くの側室がいましたが、秀忠を生んだことで正式な側室となりました。西郷局といい、お愛の方は通称です。

そのゆかりの寺院ということですね

<本堂と寺務所>
temple-shinjuku-tenryuji.JPG
曹洞宗の寺院です。緑も少なく、外見はちょっと無機質な感じもしますが、場所が場所ですので、逆によくぞこの広さを確保しているなぁという印象です。昔はこの境内に湧いていた湧水が、渋谷川の源流だったとも言われています。水も緑も豊かな寺院だったのでしょう。

天龍寺は遠江国にあった戸塚忠春の菩提寺・法泉寺を全身とする寺院です。家康が関東へ移るに際し、現在の牛込付近に移され、法泉寺近くを流れていた天竜川にちなんで天龍寺と改められました。1683年(天和3年)の牛込の火事が原因で、この地に移転となったそうです。

ということで
戸塚忠春とその娘であるお愛の方ゆかりの天龍寺のご紹介でした。江戸の名鐘で知られる寺院ですが、徳川家と関係の深い寺院としてご紹介させて頂きました。

<三つ葉葵>
tenryuji-gate-aoi.JPG

■訪問:天龍寺
[東京都新宿区新宿]4丁目

■参考
猫の足あと

https://tesshow.jp/shinjuku/temple_shinjuku_tenryu.html



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2022年10月02日

太田道灌騎馬像(日暮里駅前広場)鷹狩りをする若き道灌の姿

今回は日暮里駅前の太田道灌像の話です。

<太田道灌騎馬像>
doukan-equestrian-statue.JPG
道灌が馬で駆け抜けようとしている勇ましい姿です

<鷹狩り>
equestrian-statue-outa-doukan.JPG
戦ではなく鷹狩りをしている姿です

その鷹狩りの最中の逸話として語り継がれているのが「山吹の里伝説」。文武両道で知られる道灌が、まだ若い頃の話です。

<説明板>
explanation-yamabukidensetu.JPG
荒川区による説明が記されていますので、前半を抜粋してご紹介させて頂きます。

『太田道灌 山吹の里伝説
鷹狩りの途中で道灌が急な雨に遭遇し、路傍の農家に立ち寄り、蓑を借りようと声をかけると、一人の娘が出てきて、黙って一枝の山吹を捧げた。
「七重八重花は咲けども山吹の
 実の一つだになきぞ悲しき」
(後拾遺和歌集・兼明親王)
 「山吹」の意を得ずに、憤り帰った道灌は、家臣から「山吹」の意を告げられる。娘が古歌に託して「実の」に「蓑」をかけ「お貸しできる蓑もございません」と詫びていたことを知った道灌は、この後、和歌の道に精進するようになったと言われている。』


歌人としても知られる太田道灌ですが、最初から文武両道だったわけではなく、若いころの決意を起点に、そうなっていったと受け止めました。

山吹の里は道灌の逸話として有名ですが、候補地がたくさんあのます。史跡は高田馬場や埼玉県越生市他ほか複数存在しています。ここ荒川区もその候補地のひとつということになります。説明文の中盤には
『荒川区周辺は、道灌の鷹狩りの場であり、花の木(現在の荒川六丁目)辺りに住んでいた高畠三左衛門の娘が、山吹の枝を差し出したと伝える』と記されています。

doukan-yamabukidensetu.JPG
こちらは山吹の一枝を道灌に捧げた娘の像です。現地説明をそのまま引用すると『高畠三左衛門の娘』です。

yamabuki.JPG
一枝の山吹。お貸しできる蓑もなく、これが精一杯の返答だったのでしょう

ということで
山吹の里伝説をイメージした太田道灌の騎馬像のご紹介でした。

Tokyo-Arakawaku-Doukan.JPG

■訪問:太田道灌騎馬像
 (日暮里駅前広場)
[東京荒川区西日暮里]2丁目

■参考及び抜粋
現地説明板(荒川区)



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2022年09月03日

お稲荷さんの引越(新橋)仙台伊達藩屋敷跡の稲荷社

今回は街のオアシスのようだった稲荷神社の引越の話です。神社仏閣ブログのつもりはありませんが、仙台伊達藩の屋敷跡ということで、ちょっとだけ触れさせて頂きます。

場所は新橋5丁目の塩釜公園。仕事のついでに久しぶりに訪問してみて、異変に気付きました。

twitter-Isuke-Shiogama.jpg
あれ、工事中かな

この時は参道の修復工事であろうと思いました。

ところが
しばらく間をおいて訪問してみると

twitter-Isuke-Shiogama (2).jpg
鳥居もお稲荷さんもなくなっている!

少し焦りましたが、塩釜神社参道(画像右手の鳥居)の向こうに移されていました

twitterIsuke-220623-Shiogama.jpg
こちらに避難か、土台のコンクリがかなり重厚になったなぁ

twitter-Isuke-2206-Shiogama-inari.jpg
これは仮のお姿なのだろう

そうと思い、現地を去りました。

それからしばらくはお邪魔する機会もなく、数ヶ月が経過。そして真夏の暑い日に近くを通ったついでに訪れてみると

Shiogama-jinja-parking.JPG
あれ?お稲荷さんの敷地が舗装されている

実は、それ以前も稲荷神社の手前は駐車場でした。どうやら、今回の工事は駐車場拡張のためだったようです。

で、お稲荷さんはどうなったのか?

Shiogama-jinja-New.JPG
ここが、そのまま移転先か

私が仮と思った場所が、どうやらお稲荷さんの引越先だったようです。これからはここに鎮座…ですか。むかしを知るだけに、ちょっと寂しい感じがします。

まぁだからと言ってどうこう言える立場ではありません。せめて、いままで何度もお世話になったことに感謝して、その画像を記録として残したいと思います。以下は工事前の様子です

<鹽竈神社>しおがま
shirononagori281 (1).JPG
shirononagori281 (2).JPG
塩釜公園の顔とも言うべき神社です。伊達正宗のひ孫・綱村(四代藩主)が、伊達領内の本社から分霊を迎え祀ったのがはじまりとされています。当初は伊達家屋敷内の神社でしたが、のちに庶民に開かれた神社となりました。

そして
<鹽竈神社のお隣>
shirononagori281 (4).JPG
今回お引越となった稲荷神社です

<公園の説明板>
shirononagori281 (7).JPG
Shiogama-jinja-Shrine-Premises-Sendai.JPG
明治時代と思われる鹽竈神社の左手には稲荷社。昔からそういう位置関係だったわけですね。今後の移転で、今後は参道の右手となります


<街のオアシス>
twitter-Isuke-Shiogama-oasisinthecity.jpg
塩釜神社隣りの稲荷社は、まさに街のオアシスでした。実際にはビルに囲まれています。しかし木々の緑で外部から遮断され、何とも美しい空間でした。素通りしないで立ち寄りたく雰囲気、多少は伝わると思います。まぁ場所が場所だけに、いままでが贅沢過ぎたのかもしれません。

ということで
伊達家屋敷跡のお稲荷さんの引越のお話でした。これも時の流れと受け止めるべきなのでしょうね。拙ブログにお付き合い頂き、ありがとうございました。

■訪問:塩釜公園
(仙台伊達藩屋敷跡)
[港区新橋]五丁目19-7



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2022年09月01日

江戸城下町のなごり(港区)新虎通りの石材

今回は江戸の城下町のなごりの話です。

<新虎通り>しんとらどおり
Shintora-Street-Median-Strip.JPG
新橋と虎ノ門の間だから新虎通り。分かりやすいですね。この道の中央分離帯には、この付近で発掘された江戸時代の石材が並べられています。

<石垣石>
Shintora-Street-Ishigaki-Stone.JPG
ただのお飾りではなく、埋蔵文化財調査により出土した本物です

<出土品>
Ishigaki-Stone.JPG
立派な石材です

この付近は江戸城に近いこともあり、比較的徳川家に近い大名の屋敷が集まっていました。これらの石材はそのなごりということになります。厳密にいうと屋敷そのものではなく、屋敷と屋敷の境の排水溝の石垣に使われていた石材とのこと。そういう意味では、城下町の治水のなごりとも言えますね。

ということで
さり気なく並べられているようで、実は江戸の城下町の歴史が刻まれている石のご紹介でした。

Shintora-Street-Stone.JPG
知れば見る目も変わりますね

■訪問:新虎通り
環状二号線(新橋〜虎ノ門)
[港区新橋]

■参考:
新虎通りエリアマネジメント HP

https://shintora-am.jp/about/shin-tora/



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2022年08月15日

柳生但馬守上屋敷跡(港区)東京美術倶楽部の敷地

柳生新陰流で世に知られる柳生家の上屋敷跡を訪ねました。場所は港区新橋6丁目、地下鉄御成門駅近くです。

<東京美術倶楽部>
tokyoartclub.JPG
知る人ぞ知る東京美術倶楽部のビルが建っています。明治時代に美術品取引などを中心に活動を開始した東京美術倶楽部は、当初は料亭などを会場とし、のちに両国に拠点を構えました。しかし関東大震災で両国の社屋が倒壊すると、当時売りに出されていた芝の旧服部金太郎邸の土地(旧柳生但馬守上屋敷跡)、つまり現在の場所に移転したそうです[東京美術倶楽部ホームページより]。この服部さんは服部時計店(いわゆるSEIKO)の創業者ですね。

なるほど
で、柳生家の屋敷だったと分かるものは現地にあるのか?

ありません

立派なビルの佇まいに圧倒されるだけで、痕跡は一切ありません。隅っこの方に小さくても良いから、屋敷跡に関する説明板とか、石碑でもあれば良いのですがね。

<東京美術倶楽部ビル>
TokyoArtClubBuilding.JPG

まぁそもそも、この付近はむかしは多くの武家屋敷が建ち並んでした場所です。どの敷地もたいていは〇〇家屋敷跡ということになります。それをいちいち気にはしていられませんが、先日たまたまこの付近の古地図を見る機会があったので、何となく意識が高まった上で訪問してみました。


先日見た古地図とは

<住友浜松町ビルのプレート>
Sumitomo-Hamamatsucho-Bldg-Explanation -Board.JPG
こちらです。先ほどの東京美術倶楽部からそう遠くないビルに設置されている「芝神明町町屋跡遺跡」に関する説明板です。周辺の石材はこの付近で発掘されたものです。記されている港区教育委員会さんの説明文も良かったですが、この付近の古地図が印象に残りました。

<古地図拡大>
old-map-shibamyojin.JPG
古地図を拡大させて頂きました。画像中央、有馬知四郎?(越前丸岡藩の有馬家と思われる)の左側、横向きになっている柳生但馬守(たじまのかみ)の文字がありますね。名とともに記されていいる笠の絵は、柳生但馬守の家紋・柳生笠です。まぁ正確には、正式な家紋にかえて用いる副紋ですが、その家のアイデンティティを表すものに変わりありません。柳生家は藩主として大和国柳生藩(奈良市柳生地区)を治めていましたが、石高で言えば1万石程度で、決して大きな藩とはいえません。特筆すべきは、やはり代々将軍家の剣術指南役を務めたことでしょう。

その上屋敷があった場所。古地図に話を戻すと、画像左手(西側)には増上寺の御成門が見えています。これは現在の地下鉄御成門駅付近。そして画像右側(東側)はかつての東海道で、現在の第一京浜です。将軍家の菩提寺である増上寺のすぐ近くで、更に交通の便の良いところに上屋敷を構えていたようです。

<御成門駅>
shirononagori398 (1).JPG

<第一京浜>
Nationa-Route-Daiichikeihan.JPG

<東京美術倶楽部>
yagyuyashikiato.JPG

ということで
柳生藩柳生家の上屋敷跡の話でした。現地に痕跡はありませんが、あとから情報をかきあつめ、何となく納得しました。

■訪問:柳生但馬守上屋敷跡
(柳生藩柳生家上屋敷跡)
現況:東京美術倶楽部
[東京都港区新橋]6丁目19-15

■参考及び出典
Wikipedia:2022/8/15
住友浜松町ビルの説明板
東京美術倶楽部ホームページ

https://www.toobi.co.jp/about/history.html


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2022年08月13日

境内水路のなごり(増上寺) 徳川秀忠の霊廟の水路跡

増上寺のお隣の敷地でこんな光景と出会いました。

<水路跡>
suiroato.JPG
水路跡?こんなところに?

場所は日比谷通り沿いのこちらの門の先になります。

<旧台徳院殿霊廟惣門>たいとくいんれいびょう
Shogun-Hidetada-Grave-Gate.JPG
当ブログでも何度かご紹介させて頂いている徳川秀忠(=台徳院)の霊廟の惣門です。かつて増上寺にあった霊廟の多くは、東京大空襲で焼失しましたが、秀忠の霊廟への入り口となるこの門は難を逃れました。貴重な遺構ですね。重要文化財に指定されています。

<惣門の先>
Tokugawa-Hidetada-Grave-Gate.JPG
惣門を過ぎると階段があり、登り切ってすぐのところに水路跡の評柱が設置されています。

<水路跡から見た惣門>
Shogun's-Grave-Gate- (10).JPG
こんな所に水路?これはどういうことなのか?

<説明板>
Stone-of-waterway.JPG
水路跡と書かれた評柱が建てられ、水路に関する説明が記されています。ただ、ちょっと色あせていて、画像では見えにくいですね。少し抜粋しながら要点だけをまとめさせていただきます(『』内は原文そのままです)。

まずこの大きな石ですが、『増上寺山内丸山に造営された台徳院-二代将軍徳川秀忠-霊廟の惣門前に構築された水路に用いられていたもの』とのこと。その実物ということですね。そして『石垣は平成14年(2002)に行われた発掘調査によって、この石列の真下、地下およそ8mの位置で発見されました。』とあります。つまりこの高さではなく、もっと低い位置に水路はあったわけですね。

Trace-of-waterway.JPG
移設された石材。ただし発掘されたのはこの地下ということになります

当時の様子については『かつて、旧御成道-現在の日比谷通り-から御霊屋への通路は、惣門手前でこの水路を渡りました。』そして『往時、水路には清らかな水が流れ、発掘調査では惣門手前に架けられていた橋台の一部も検出されました。』とのこと。

<惣門跡>
Shogun's-Grave-Somon-Point.JPG
こちらは水路跡のお隣の惣門跡。いまは日比谷通り沿いに佇む惣門は、この位置だったということこのようです。惣門をくぐって参道を更に進むと、勅額門があったとされています。

ということは

<勅額門跡>ちょくがくもん
Shogun's-Grave-Cyokugakumon-Point.JPG
ありました。惣門より更に奥には、天皇直筆の額を掲げた門があったわけですね

Shogun's-Grave-Ato.JPG
もはやその姿を見ることはできませんが、壮大で雅な霊廟だったのでしょう。

ということで
かつてあった将軍の霊廟のなごり、そして惣門の前に築かれた水路のなごりの話でした。何もなくても、標識を建ててもらうだけで違った景色に見えたりしますね。

Trace-of-waterway-Shogun's-Grave.JPG

■訪問:
台徳院殿霊廟の水路跡

[東京都港区芝公園]4丁目

■参考及び出典
現地説明板



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2022年08月11日

徳川家の鬼門除けから始まった街中のお不動さん(神田)

今回は神田を歩いている時に出会ったお不動さんの話です。
<出世不動尊>
Shusse-Fudoson-Kanda.JPG
あ、ここか…

出世不動尊の名は聞いたことがありながら、実物を目にするのは初めてでした。

<谷間>
Kanda-Shusse-Fudoson.JPG
何となく神社のような雰囲気ですが、不動明王を祀るお寺です。ビルとビルの間にきっちりと収まっています。

<出世不動尊の由来書>
Kanda-Shusse-Fudoson-Information.JPG
予備知識がないのでこちらを参考にさせて頂きました

冒頭に『出世不動尊は、智証明大師の御作にして、東潮院不動尊と申し上げ、江戸城内一ツ橋徳川水戸家の表鬼門除けとして祭祀せられ』と記されています。鬼門とは、陰陽道では鬼が出入りする方角(北東)とされていますね。説明文からして、地元の人たちによってずっと守り続けられている不動尊のようですが、その創建は、一橋徳川家の鬼門除けだったようです。そういう意味では、徳川家ゆかりの神社とも言えますね。
本尊は智証明大師作とのこと。空海の甥とも伝わる平安時代初期の僧侶です。それって、かなり貴重な像ということではないでしょうか?

<本堂>
Kandashusse-Fudoson.JPG
場所が場所だけに、厳しい戦火をくぐりぬけて今に至ります。現在の本堂は昭和63年に完成したものとのこと。いまでは小じんまりとしていますが、都内屈指の由緒ある不動尊であることは間違いありません。


ところで
神田不動尊とかではなく「出世不動尊」と呼ばれているのはどういうことでしょうか?

これには諸説ありますが、どうもお相撲さんと関係があるようです。力士が願を掛けたところ出世をした事からそう呼ばれるようになったと言われています。繰り返しますが、諸説あります。

出世はいわば現世利益。これを願う人にとって縁起のよい神社です。撮影はしませんでしたが、掛けられた絵馬には、かなり切実な思いが込められているものもありました。いろんな方々の思いが集まる場所でもあるのですね。

<出世不動通り>
Shussefudo-dori-Str.JPG
通りの名前にもなっています。毎月27日が縁日とのこと。出世不動尊は霊験あらたかなパワースポットという噂が広まり、遠くからわざわざ訪れる人も多いようです。でもまず、地元の皆さんに愛され続けているお不動さんという印象でした。

ということで
神田の出世不動尊のはじまりには徳川家も関係しているというお話でした。

■訪問:出世不動尊
[千代田区内神田]2-6

■参考及び抜粋
現地由来書(出世不動尊奉賛会)



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