<太田道灌騎馬像>
道灌が馬で駆け抜けようとしている勇ましい姿です
<鷹狩り>
戦ではなく鷹狩りをしている姿です
その鷹狩りの最中の逸話として語り継がれているのが「山吹の里伝説」。文武両道で知られる道灌が、まだ若い頃の話です。
<説明板>
荒川区による説明が記されていますので、前半を抜粋してご紹介させて頂きます。
『太田道灌 山吹の里伝説
鷹狩りの途中で道灌が急な雨に遭遇し、路傍の農家に立ち寄り、蓑を借りようと声をかけると、一人の娘が出てきて、黙って一枝の山吹を捧げた。
「七重八重花は咲けども山吹の
実の一つだになきぞ悲しき」
(後拾遺和歌集・兼明親王)
「山吹」の意を得ずに、憤り帰った道灌は、家臣から「山吹」の意を告げられる。娘が古歌に託して「実の」に「蓑」をかけ「お貸しできる蓑もございません」と詫びていたことを知った道灌は、この後、和歌の道に精進するようになったと言われている。』
歌人としても知られる太田道灌ですが、最初から文武両道だったわけではなく、若いころの決意を起点に、そうなっていったと受け止めました。
山吹の里は道灌の逸話として有名ですが、候補地がたくさんあのます。史跡は高田馬場や埼玉県越生市他ほか複数存在しています。ここ荒川区もその候補地のひとつということになります。説明文の中盤には
『荒川区周辺は、道灌の鷹狩りの場であり、花の木(現在の荒川六丁目)辺りに住んでいた高畠三左衛門の娘が、山吹の枝を差し出したと伝える』と記されています。
こちらは山吹の一枝を道灌に捧げた娘の像です。現地説明をそのまま引用すると『高畠三左衛門の娘』です。
一枝の山吹。お貸しできる蓑もなく、これが精一杯の返答だったのでしょう
ということで
山吹の里伝説をイメージした太田道灌の騎馬像のご紹介でした。
■訪問:太田道灌騎馬像
(日暮里駅前広場)
[東京荒川区西日暮里]2丁目
■参考及び抜粋
現地説明板(荒川区)
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